第一話 ある冬の日に
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その日は、冷たい雪が降りしきっていた。
本来ならばこんな時に野外、それも防寒能力の無い薄い布切れしか着ていないのでは、すぐに凍死してしまうだろう。
だが、今は寧ろ暑いくらいだ。
それもそのはず、目の前では今まさに巨大な屋敷が燃え盛っているからだ。
街から馬車でなければ着かない山奥にある、僻地に似合わぬ豪勢な屋敷。所有者の羽振りの良さが伺える。
100人住んでもまだ余裕があるだろうそれを、炎は全て包んでいた。
その場で生きているのは、その光景を眺める二人のみ。
一人は赤黒い派手な着物を身に纏い、肩まで届く黒髪に深紅の瞳、額から生えた二本の深紅の角が異質な、美しい顔の男。もう一人は、その男に抱き抱えられた少年だ。
深海の様な深い藍色の髪、エメラルドグリーンの瞳。雪の様に白い肌に痩せ細った身体つき。左手の甲には複雑な紋章が光っている。魅惑的とも言えるその姿だが、至るところに青アザや内出血、切傷に人のものであろう歯形が付いていた。
表情はまるでこの雪で凍り付いてしまったかの様に冷たく、その瞳に映るのは炎の揺らめきだが、それを視てはいない。
暫くすると、少年の乾燥しひび割れた唇が開いた。
「……来るのが遅い」
「悪かったな」
男は、着物を掴む少年の力が強くなるのを感じながら応える。
「皆死んだ。殺された。お父様は切り殺され、お兄様は撃ち殺された。……お母様は殴り殺され、お姉様は獣と化した男共に犯され殺された」
「そうか」
次第に少年の声は震えてゆき、溢れた涙がその頬を伝って行く。
「僕は……ずっとお前を呼んでいた!」
「知っている」
「使用人達が殺されてゆく時も!家族が殺されてゆく時も!変態に売られる時も!豚の様な貴族に陵辱される時も!友達が殺される時もだ!何故だ!何故、何もかも終わってしまった頃になって……!」
絞り出す様な少年の声は、不思議とこの騒がしい空間にも良く響くものだった。
男は、睨み付けてくる少年の美しい瞳をじっと見つめ返す。
「俺は、俺の生まれた世界にて封印されていた。動くことは出来ず。眠ることも出来ず。生まれ変わることも出来ず。……呼び掛けに、応えることも出来ず」
「……!」
「彼の陰陽師が施した封印は実に強固であり、俺はこのまま無間地獄に囚われるのを覚悟した。そんな折に来たのがお前からの呼び掛けだった」
その時を思い返し、懐かしむ様に微笑む。
「か弱い呼び掛けだった。……だが、幾度となく行われたそれによって封印は破られたのだ。人間に使役されるなど、生粋の鬼なら憤慨し術者を殺しているだろう。しかし、俺はお前に大恩ができた。退屈とは、俺の最も忌諱するところ。そこから救ってくれたのはお前だ、少年」
「っ」
深紅の瞳は妖しく輝き、吸い込まれそうな深みで少年を見つめていた。
「我が名は酒呑童子。少年よ、お前を我が主と認め仕えよう」
暫し酒呑童子の瞳を見つめていた少年は、一瞬だけ顔を伏せ再び見つめ返す。そこにはもう涙は無かった。
「僕の名は、エリス・アークライン!今は無きアークライン王国国王の末裔にして、アークライン家の当主なり!そしてお前の主だ、酒呑童子!今日からお前は僕の剣となり、盾となりて、我が前に立ち塞がる障害の悉くを排除しろ!……そして、僕を独りにするな……!」
思わず酒呑童子は目を見開いた。
先程までは触れたら壊れてしまいそうに弱々しかった少年がどうしたことか、今では王者の気風を露にし、その瞳を輝かせているのだ。
酒呑童子には、それがどうしようもなく嬉しかった。
「任せろ、我が主」
―――――この日、ラングリッド王国にてとある貴族が死亡する事件が起きた。
その貴族には黒い噂が多く流れており、特に年若い少年を好んで別荘に集めているとされた。
焼け跡から見付かったのは、多数の成人と子供の遺体。
陵辱され怨みを抱いた子供に殺害されたのではとされたが、全て燃えてしまった後では詳しい事が判明することは無く、真相は闇の中に葬られた。
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「目的?」
「そうだ。主は何がしたい?それによって、これからの行動の指針とせねばならん」
山奥とはいえ、名のある貴族の屋敷だ。異変に気付く者がいるかもしれない。
それに、雪が降りしきる夜分に盛大な炎が踊っていては遠目からでも分かるだろう。
早めにここから移動しなければとなったのはいいが、そもそもここが何処なのか分からないという問題があった。
街へ続く道こそあるものの、例の貴族の息がかかった者達がいるだろう。
人身売買は犯罪であり、これだけ派手にやっておいて今までお咎め無しというのは、街の住人達はグルなのでは無いだろうか。飴をやっているのか鞭で叩いているのかは知らないが。
となると、この雪景色に染まっている道無き道を行くしかない。
普通の者であれば遭難は必然、だが酒呑童子は大丈夫だと言った。
「……復讐だ。僕の家族が殺された、その元凶を必ず殺す」
「その元凶に、宛はあるのか?」
この世界には、魔法というものが存在する。
そして、人は生まれつき魔法を使える者と使えない者がいる。これは努力でどうにかなるものではなく、完全に才能の世界だっ
た。
その比率は数百万人に一人とされており、これが貴族と平民の生まれついての変えられない差となっているのだ。
とはいえ貴族の血というのはあくまで魔法使いが生まれやすいというだけで、貴族の子は必ず魔法使いというわけではないのだが。
エリスは左手の甲に生まれた時から召喚印が刻まれたいた、生まれついての召喚術師だった。
召喚術者には三種類あり、一つがエリスの様に生まれつき契約している者。一つが直接契約を交わし召喚獣として扱う者。そしてもう一つが、縁のある物を触媒として召喚する者である。
「アークライン王国は、ラングリッド王国とディアス帝国の間に位置する小国だった。両国の対立が激化した際、ディアス帝国を寄せ付けぬ為に防波堤としてラングリッド王国の属国へと迎え入れられた。……属国とは言うが、あんなのは侵略と変わらない。軍を差し向け銃を突き付け、王国に加わるか滅ぼされるか、とな」
黙々と歩みを進める酒呑童子と抱えられるエリスには、雪が全く付着していない。
まるで二人を避けるかの如く雪が流れているのだ。さらには空気も暖かい。極寒の世界にありながら夏の訪れを感じさせるかの様に。
「何度かラングリッド王国にて開かれた社交界へ出席したが、奴等の思惑が透けて見える様だった。利用価値があるから生かしているが、そうでなければ貴様の小国ごとき一息に潰してやろうという、な」
「軍事力に相当な自身があるのだな、そのラングリッド王国とやらは」
「まあ、この大陸の中でいえば最も巨大だからな。僕の国の兵は6万ぐらいだったが、ラングリッドはその数十倍だ」
単純な兵の数で言えば、世界的にも最上位に位置するのがラングリッド王国の強みである。
敵対してる国では最大のディアス帝国ですら、数倍の兵力差をつけられているのが実情だ。
「僕の国は連日襲撃を受け疲弊していた。そんな中でラングリッドからの補給物資が途絶えた。好機とみたディアスの兵が退去して押し寄せ、もう終わりかと思った」
およそ二年前の事だが、今でも鮮明に思い出せる。
押し寄せるディアス帝国の兵、王城にまで攻め込まれた夕暮れ時。待ちに待ったラングリッドからの援軍。そして、アークラインの兵もろとも殺戮した砲撃と魔術の雨。
その日、アークライン王国は滅んだのだ。
「そんな策を使う者と言ったら、おおよそ見当がつく。グラント将軍か、第三王子のヴァイスだ」
グラント将軍は、多少無理してでもディアス帝国を即刻潰すべきと考えており、アークライン王国を囮にするぐらいは平気でするだろう。
そしてヴァイス王子はもっと単純だ。
至高の国であるラングリッド王国。長い歴史、広大な国土を持つこの国に矮小な国の土民が加わるなど誇りに傷がつくという、拗らせた愛国者である。
「情報がいる。策の考案者を明らかにしなくては」
「拠点に協力者も必要だろう。能力があり信用できる者が」
今はまだ足りない物だらけだ。
だが、決して諦めることはない。
二人のすがたは闇に紛れて、その足跡は雪に埋もれて消えていった。