滅亡した世界にただ一人
薄暗い闇の中、マエリベリー・ハーンは目を覚ます。
夢を通して異世界の境界をさ迷うのはこれが初めてではない。
また、いつもの夢なのだろうか?
彼女はそう考えた。
彼女が経験した夢の体験は実際の経験となってマエリベリー・ハーンの肉体に作用される。
否、現実と夢の境界のない彼女にとってそれは非現実離れした夢のような事であろうと現実と大差ない体験なのだろう。
もっとも、マエリベリー・ハーンにとって現実が何か、夢とは何か最早、定かではない。
このような出来事がいつから起こったのか、そもそも、自分が人間なのかさえも怪しい。
そんな事を思いつつ、マエリベリー・ハーンは前へと進む。
「おい」
そんな彼女を暗闇の中、呼ぶモノがいた。
何かまでは漆黒に染まったこの闇の中では解らない。
ただ、それが爛々と輝く深紅の瞳で彼女を見ているのは確かである。
このような経験も何度かして来た。
だが、それに慣れているかと言えば、それは嘘である。
故にマエリベリー・ハーンは逃げようとした。
「逃げるな逃げるな。別にとって食ったりはしない」
それが制するよりもマエリベリー・ハーンは逃げる事を優先させた。
自分が何故、このような目に合わなければならないのか・・・。
何故、自分はこのような能力を持って生まれたのか・・・。
神がもし、いるのなら、呪うところであろう。
幸い、今までのパターンと違い、それが彼女を本気で追い掛けてくる気配はなかった。
だが、この手のパターンは幾つか経験している。
一つはいつでも自分に追い付ける自信があるタイプの何か、もう一つは油断させてから、此方に襲いかかるタイプの何かである。
それ以外にも様々なパターンを経験済みの彼女はそこにあるそのモノの存在を恐れるようになる。
そして、どうやら、今回のそれは前者のようである。
「待てと言っているだろうが」
前を走っていた筈のマエリベリー・ハーンの前にその赤く輝く瞳が再び現れる。
彼女はそれを見て、息を飲む。
暗闇から月が覗くとそれの姿がうっすらと輪郭を露にする。
それは闇夜に溶けるように漆黒の外套に身を包む死神のようにも思えた。
実際、その姿は死神のそれと云っても過言ではない。
そんな死神のような何かは怯える彼女に歩む事なく、言葉を投げ掛ける。
「安心しろ。お前をどうこうするつもりはない。ただ、少し話相手になって欲しいだけだ」
「・・・話相手?」
マエリベリー・ハーンが何とか言葉にしてオウム返しに尋ねると死神はゆっくりと頷く。
「大した話ではない。少し誰かと話したい時にお前が現れた。ただ、それだけだ」
「・・・私でなきゃ駄目なの?」
「面白い事を言う。まるでここが何処かも理解していないようだな?」
そう言って死神は目深く被ったフードの下で笑みを浮かべる。
その意味が分からず、マエリベリー・ハーンは改めて、周囲を見渡す。
そんな彼女に周囲にはおびただしい数の十字に組まれただけの墓らしき存在が一面に広がっていた。
「・・・あ」
「ここは終わっているんだ。全てがな?」
死神は寂しそうにそう呟くとゆっくりとマエリベリー・ハーンに近付く。
彼女はそんな死神から逃げる事が出来なかった。
ただ、死神の瞳があまりにも寂しげで今にも消えてしまいそうなのを見て、思考が麻痺してしまっているのだろう。
死神はマエリベリー・ハーンに手が届く位置まで来るとそこで立ち止まり、本当にただ語る事しかしなかった。
死神が言うにはかつて大きな戦争があり、多くの犠牲が生まれ、敵も味方も全て滅び、生き残った生命が新天地へと目指して旅立った事。
そんな世界にただ独り、死神だけが取り残された事。
それを聞いて、マエリベリー・ハーンは切なくなった。
だが、この世界の存在ではない彼女にはどうする事も出来ない。
そんな彼女を見て、死神は笑う。
「ここはいずれ、訪れる終焉だ。お前が気にする事ではない」
「貴方は寂しくないの?」
「寂しいと云う感情は当に捨てている。だが、そうだな?
こうして、お前に話しかけたと言う事は俺にもそう言った感情が残っているのかも知れないな?」
死神はそう言うと改めて、マエリベリー・ハーンを見詰めた。
「お前からは俺に近いモノを感じたのだが、どうやら、俺の勘違いだったらしい。
お前にはお前の帰るべき場所があるようだ」
「私に帰る場所なんて・・・」
「大丈夫だ。お前にはいずれ、大切な友が出来る。そいつを大事にしてやれ。それがお前の居場所になる」
「なんで、そう思うの?」
「そうだな。恐らく、それはーー」
そこでマエリベリー・ハーンは目を覚ます。
今の自分は夢なのか、それとも現実なのかは解らないが、自分が見たのは恐らく、世界の終焉だったのだろうとなんとなく、理解出来た。
世界に終わりがあるのなら、恐らく、全てが地に還り、ただの失われた世界として寂しくさ迷うのだろう。
もしも、そんな世界に独り、取り残されたら自分ならいっそ、自ら命を断つだろう。
それからマエリベリー・ハーンは宇佐見蓮子と云う大切な存在のいる世界を中心となる現実とし、その上で蓮子と様々な体験をして行く。
それは死神の予言通りとなった。
もし、あの死神と再び語り合う事があったのなら、あの時の話の続きを聞いて見たいとマエリベリー・ハーンは時たまに思うのだった。
しかし、再び、あの世界に行く事はしばらくないだろうと彼女は感じていた。
何故なら、目の前には自分と云う存在を受け入れてくれる宇佐見蓮子と云う存在がいるのだから。
彼女がいる内はまだ、死神の元には向かう事はないだろう。
「メリー!次は何処へ行こうか!」
マエリベリー・ハーンは今はただ、目の前の大切な親友との時間を大切にしようと思うのだった。
そんな無茶振りをする親友に振り回されるのを楽しく感じつつ、マエリベリー・ハーンはいまをただ、楽しむ。
そんなマエリベリー・ハーンが再びあの死神の事を思い出し、親友の宇佐見蓮子に「昔、こんな夢を見た事があるのよ」と語るのは別のお話。