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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界樹

作者: 春男

"世界樹"


それは全ての元凶だった。


突然現れたかと思えば、人々に勝手に特殊能力を植え付け・・・

人々の欲を刺激し混乱を生じさせたかと思えば、今度はまるで踏みつけてないがしろにするかの如く、化け物達を生み出していく。


巨人、悪魔、天使、妖精、悪霊etc...


だから人なんて簡単に壊れた。


お互いの殺し合いなんてザラ。

後先気にせず逃げ出すこともあれば、無駄死にとわかっていても躊躇なく命を投げ捨てる。


文字通りの地獄。


人が創り上げた叡智なんて全く通じない。

元々、劣等種であるのが人間だ。

与えられた能力も満足に使いこなせる人間はいなかった。


人間という種に待つのは"絶滅"。


無法地帯となった世の中、誰もがそう諦めた。





しかし・・・絶望が世界を満たす中、諦めない一人の男がいた。。


その男は知っていたのだ。

この地獄の終わらせ方を。

それは"世界樹"の核を壊せば化け物は全て3日と経たず消えていく。


男には家族がいた。

懸命に働く父、愛情を満遍なく注ぐ母、まだ頼りなくとも愛らしく、とても可愛らしい弟妹。

男には恋人がいた。

曲がったことが嫌いで、自分に正直に生きる、負けず嫌いな綺麗な女性。


男にとってそれは戦いの場に駆出すのに十分すぎる理由だったよう。

彼は躊躇いなく巨大な壁へと立ち向かった。。


そんな男の能力は『再生』。


腕を千切られ、足を失くそうとも、男は独りであろうとも前に進む。

何歩下がろうが、誰が立ち憚ろうとも、願いのために前に進む。


そんな男の覚悟に、世界樹は最も適した能力を与えていた。


しかし、その道のりには地獄以上の地獄。


世界を敵にしての勝負だ。


彼について行こうとするものはいない。

余裕のあるものないもの関わらず誰も助けてもらえない。

痛みの総量は死を超える。

孤独、故の涙がどれくらいかはもう記憶にない。

知性あるものを己の願いのために殺す罪の意識。


男の苦しみは、想像すら無礼に当たるほどのものとなっていた。


しかし男は決めたのだ。


前に進むんだ、と。


痛みで愛した人の顔なんて思い出せない。

苦しみで何の為なのかも思い出せない。

孤独で生きている理由すら思い出せない。


でも・・・忘れた訳じゃない。


愛した人がいるということ。

戦う理由が存在し続けてること。

今まで我武者羅にでも生きてきた過去があること。


男は諦めが悪いのだ。


毎日、剣を持ち目的地まで進み続けた。







途方もないその旅路。




そんな中、男に転機が訪れる。


男の行動を支援する仲間が現れたのだ。


その団体の名は『報復者』

化け物と戦う覚悟があるものだけが入団できる戦闘集団。

復讐を望み、人類の平和を目指し、ただひたすらに敵を葬るだけの人々。


しかしそんなもの、化け物からしたら所詮のただの人間の集まり。

技・体・心が揃っている男に比べたらそれはあまりに非力であまりに脆弱。

最初は誰もがすぐに潰れると思い、逆らうことを愚かなことだと、そう呆れた。


勿論、その予想は正しかった。


彼らはは案の定迷った。

「これでいいのか」と「これが正しいのか」と辞めるものは続出する。


彼らはは案の定怯えた。

勝てない、無理だ、逃げようと心から恐怖する。


彼らは案の定もう嫌だと嘆きだした。

死にたい、感情は絶望で満たされる。


大半の人間は諦めることしか出来なかった。


しかし人間の中に男みたいな例外がいるように、彼らの中にも諦めの悪い人間はいた。


それこそ、彼らのリーダーでありながら、男の恋人である、女。


彼女こそ、世に負けた人間達に立ち上がるための意味を与えた、唯一の者だったのだ。


そんな女の能力は『幻想』

言い換えるなら夢の可視化。


言葉の通り、女は自分の思い描いた光景を思いのままに現実に表示することが出来る能力だ。

決して男のような戦闘向きな力でない。

どちらかといえば後方で戦士育成に使われる力だろう。


しかし女は男の背中を見てじっとしていられるほど人間が出来てはいなかった。


彼女は統率力に優れていたのが幸いしたのだろう。

彼女は躊躇なく何十万人もの人間を受け入れ、何万と導いたおかげで、子供のみでありながらリーダーに選ばれた。


そんな女の考え方はこうだ。


初め、女は男を見て自分一人では救えないと理解する。


故にまず人を集めた。

親族→技術者→戦士→研究者→etc.....


男の意志に賛同するものを「一人ずつでいい」・・・声をかけ、夢を共有し、同じ理想を抱かせた。

共通の敵、通じ合った想い、優秀な先導者、伝説の英雄。

条件なら偶然にも、奇跡的にも、揃っており、夢を見せる力の持っていたのだから仲間は簡単に集まった。


しかし次に集まった人の数と同じぐらい仲間を失うこととなる。

人間は最弱種。

立ち向かう敵は、圧倒的強者、理不尽の権化とも呼ばれる神にも近しい化け物達。

仲間の死は免れないものだった。


地獄だった。

腸を抉られ、体を真っ二つにされ、全身を焼却され、肉片が散らばるほど喰い散らかされ、沢山仲間は殺される。

「なんで助けてくれなかった!」「なんで殺されなきゃならなかった!」「なんで見捨てた!)「なんでお前が死んでないんだ!」と死んでいった仲間たちの親友や親族には批難される。

「もう無理だ!」「こんなとこ、いてられるか!」「俺らが間違ってた・・・奴らには逆らっちゃいけない。」「この悪魔!俺を連れ戻す気か!」と、多くの仲間には逃げられる。

・・・女にとって信じられるのが3人と自分に忠誠を誓ってくれた者しかいない最悪な瞬間もあった。


しかし女は諦めない。


元々、他人の助けなんて無理だと分かっていて始めたことだ。

元々、無茶無謀だと分かっていながら挑戦したことだ。

元々、意味ないと理解しながらも進めてきたことだ。


「・・・あいつも・・・戦ってる。」


女に諦められる理由なんて存在しない。


所詮人間。反抗が精一杯であろうとも・・・誰しもが無理だと諦めていようとも・・・結局、敗北するが人間であろうとも・・・!

女に挫けることは許されない。

女は多々ひたすらに前を向いて歩いていた。


そんな中、ある程度の実力が備わってくると・・・男の一歩一歩と道を築いたことが功を奏し始めた。


人の唯一の武器は創意工夫。


男の辿った道の解析に人海戦術が最も当てはまり、彼らの元に多くの有益な情報が入ったのだ。

それは、種族ごとに大きな弱点を見つけ出し、強力な罠や武器の製造の元となりはじめた。


男が旅に出て早20年。


やっとのことで女は我が身一つで世界を変えようとする男の背中に追いついた。


個の力は弱い。

しかし集まれば多少は通用する。

すれば余裕が生まれる。

全体の強化に力が出せる。


人類はやっと・・・地獄の終焉に手を掛けた。


敵は強大。


しかし人は協力し強くなるから関係ない。

たくさんの犠牲はあった。

たくさんの絶望はした。

たくさんの恐怖だって感じた。

それでもたくさんの理想を描いた。


託し、託され・・・繋ぎ、繋がれ・・・


やっと男はその手に"世界樹"の"核"を手に入れた。


世界樹は萎れていく。

だんだんと枯れて行き、あっという間にさっきまでの生き生きとした姿なんて見る影もなくなる。


それでも世界樹は植物としての役割を果たす。


男の手元に一つの"実"を落とした。

それはまるで『お前が食え』と言わんばかりに輝く実。


GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!


その瞬間、男の周りから化け物たちの怒りの咆哮が鳴り響く。

実が落ちたことにより、化け物達は一匹残らず枯れた世界樹、正確には実を持つ男へと視線を移していた。


男は数多くの視線を第六感で感じ取り、理解した。


この実はそれほどまでに特別なものなのだ、と。


化け物たちは一斉に男の元まで走り寄る。

実を奪う為に焦り散らす。

戦っていた人間なんて今は気にしない。


なんとしてでも!あの実は!あの実だけは!取り返さなければ・・・!


しかし、とき既に遅し・・・男は実にかぶりついた。


口に広がる至高の味。

旨い、甘い、辛い、酸っぱい、苦いとかヤワなものじゃない。

幸福としか言えないこの味。


その実は男の欲望を五感と同時に、すべてを満たしきった。


「・・・あぁ、これが・・・世界・・・。」


実が与える世界の全て。

叡智は勿論のこと、世界を壊すほどの肉体。

感覚は世界に根を張ったかの様に広がり散っていく。


溢れ出る万能感。


実を食べた後の男はまるで別人で、神のような神々しさをもち、その目は慈愛に満ちていた。


男の恋人である女を除き、人間たちは揃いも揃って男に向かって祈りを捧げる。

化け物たちは化け物たちで恐れを懐きその場で立ちすくむ。


しかしそれは数秒のこと。


化け物たちは・・・男を喰おうと動き出した。

男はそれを確認し、苦笑する。


「することは変わらない。」


向こうからは見えているだろうか。

届くかも分からない笑顔。それでも遠く離れる恋人へと男は笑いかける。


それは新たな覚悟な現れ。


『世界のすべてを再生する。』

いわば理不尽の終わり。


男は地面に刺した一本の剣を引き抜き・・・また笑う。


「最後だな・・・。」


いつもどおりの構え。

左足を前に出し、右足に重心を置く。


・・・スゥ〜〜っ。


男の耳に響く呼吸音。


「来い!化け物共!」


手はクロスさせ、剣は左手に。

まさに駆け出す構え。

男は叫んだ。


「まとめて全員・・・ぶっ殺してやる!」


閃光のような突撃。

男は化け物たちの首を刎ね続ける。

巨人が相手なら健を切り、倒れさせたところで脳を突く。

触手が相手なら再生できないほどに細かく切り刻む。

悪魔なら体真っ二つにして死ぬまで殺し続ける。


今の男に毒は効かない。

不意打ちも通用しない。

致命的な傷だって一瞬で再生してしまう。


化け物にとっての最大の天敵はそこにいた。


しかし、化け物たちも一筋縄じゃない。

この男を倒さなければ自分たちは絶滅すると分かっているからこそ、相打ちでも殺そうと躍起になる。


男は神にも等しい力を手に入れても肉体は人間。

避けられない攻撃もある。


いつも通りに化け物たちの攻撃は男に穴を開ける。

男はその痛みを全身で味わいながら、それでも、それでもと、敵を薙ぎ払い続ける。


その戦闘の場はまさに異界。


男が足を踏みしめると広がる花畑。

百鬼夜行、いや、千鬼夜行、万鬼夜行とも呼べる人外達。

男から流れ落ちる血の雫。

緑、紫、黒、白と色鮮やかな人外達の血飛沫。

踊りのような優雅とも言える殲滅。

絵のような一致団結した細やかな反抗。


それはまさに神聖の領域。


足を踏み入れることすら許されない。

人間達は強弱関係なく等しく立ち尽くす。


しかし、そんな時・・・。


「・・・お願い!」


男の恋人が無線機越しに叫んだのだ。

それは男を思う想いそのもの。

それは女が戦い続けた理由。


「あの馬鹿を・・・助けて!」


戦場で男と共に戦った戦士は等しく同じ気持ちを持つ。


『なんの恩返しができるだろうか。』


恩の感じ方は様々。

命を助けてもらった。大事なものを守ってくれた。

生きる勇気を貰った。生きる意味を与えてくれた。

自分を認めてくれた。信頼を、友情を共有してくれた。

些細なものから大きい物まで。


前線で生きるものなら、男に返しきれない恩を背負っていた。


と言うのに、誰一人として何一つも返せていない。

誰一人として何も出来ていない。

誰一人として男を支えられていない。


戦士たちは女の声を聞いて等しくこう思った。


(これが恩を返す最後のチャンスなんだ)


戦士たちは叫ぶ。


「「「「ウォォぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」」」」」


それは覚悟の咆哮。

男とともに戦うことを決めた戦士の強き叫喚。


戦士たちは己の武器掲げ、戦場へと駆けつける。


これは戦士たちにとってこれは最後の散り場。

命の果ても同然。


己のできること、己のするべきこと。


遠距離近距離、武器の良し悪し、得意不得意何一つ関係ない。


「奴らを・・・倒せぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!!」


戦士たちは自分達の傷なんか気に止めもせず戦いに身を投じた。


神聖の領域に人間の全てが混ざる。

血、汗、声、努力、工夫、拳、命。


「・・・。」


殺し合いの果てに生まれたこの戦場。

そんな中、誰よりも命を削る男は、白昼夢の中にでもいるような気分になっていた。


瞬きをするごとに変わる景色。

直感と本能にだけ従う肉体。

様々な温もりや痛みが流れる感覚。


男がするのは、積み上げた経験からくる無意識的な体の動きに、超越した感覚を合わせ、直感が示す場所へと剣をなぞる事だけ。


それ以外は何もしない。


仲間への気遣いも、罪悪感からくる後悔も、生きることの喜びも何も考えない。

脳に流れる事をただ感じ続けること以外何もしない。


全神経が統一した夢のようなその時間。


「・・・っ!」


それは突然、終わりを告げた。

化け物が一体、自分の体に大きな穴を開けながら、男の心臓を貫いたのだ。


両者共に血を吐き、地面に足をつける。


KYEEEEEEEEEEEEEeeeeeeeeeeee!!!!!!!!!!!!!!!


その光景を見た化け物達は歓声を上げた。

人間のように勝利を喜んだ。


『これで、あの人間さえ食えばその種族だけは生き残る!』


KYEE「うるせえ。」eee......っ!?


男のその声はその場にいる化け物達全員に響く。

化け物達は男が生きていたことに驚くが、それ以上に、胸の穴からドバドバと血を流しながら立ち上がる姿に戦慄した。


男の笑みは何よりも不気味。


瞳から感じる太陽と同じ一筋の光はどんなものより力強かった。

故に意識的にその場にいるものすべて男には敵わないと悟る。


そんな男が叫んだ。


「どうした、雑魚共・・・。」


それはもう高らかに笑いながら


「もう終わりか!?」


さも狂気的に、それこそ狂乱的に


「お前らの意地はその程度か!?」


剣を振りかざす。


「来いよ、お前らが俺たち人間を殺して貫いたその意地。

それを証明してみろ・・・しないなら全部、俺が壊してやる。」


傷はない。渦を巻くように肉が再生したから。

痛みはない。世界に繋がった感覚がそれ以上の苦しみを与えるから。 

辛くはない。辛さを打ち消すほどに生きる喜びが溢れているから。


男は叫んだ。


「その全部、おれがぶっ壊してやる!」


花畑に散る化け物の首、肉片、大量の血。

声にならないうめき声に殺意しかない叫び声。


人々はやっと理解した。


ここは楽園なんかじゃない。希望溢れる神聖な領域じゃない。

ただの地獄。最初から、ただの血に塗れる戦場だ。


ただの殺し合いなんだ。


さきほどまでの神聖さは欠片もない。

いや、元々そんな大層なものではなかったのだろう。

本来存在していたのは殺害と言う行為のみ。

焼却、溶解、銃殺、斬殺、撲殺、何でも良しの死合。


戦士たちは自分の勘違いを正す。


殺しに希望はない。助かる人もいれば死ぬ人もいる。

犠牲者がいて放蕩者がいるのが殺し合い。


「なぁ、お前はさ・・・。」


戦士の一人がほかの戦士に尋ねた。


「何の為に殺している?」


尋ねられた戦士は俯きながら答える。


「生きる為。」


尋ねた戦士は空を見上げた。


「そうだよな・・・皆、最終的には・・・そこに落ち着くんだよな。」


瞳をとじ、覚悟を入れ直す戦士。

彼は手に持つ槍を握りしめ、一人の殺害者として恨みのこもった目で男と戦う化け物たちを睨んだ。


「俺は奴らを殺す。俺の日々を奪おうとするアイツ等をぶっ殺す。

お前は・・・どうする?」


尋ねられた戦士は笑みを零して答える。


「変わらないだろ。今までどおり・・・化け物達は駆除対象。

命を懸けて・・・地獄へと葬る!」


戦士達の命を賭けた咆哮と決意は唖然としていた戦士たちに伝染する。

全員が己の欲のため、他者を犠牲にし始めた。


欲と欲のぶつかり合い。

代償はお互いの命。

代償はお互いの時間。

代償はお互いの自由。

対価はお互いの命。

対価はお互いの時間

対価はお互いに自由。


地獄は正しき地獄となる。

それはもう、駆けつけた恋人が息を呑み、絶望するぐらいの正しい地獄に・・・・変貌を遂げていた。


「・・・嫌。」


女は知っている。

本来、男は虫も殺せないほど優しい人。

食事のために動物を捕らえた時は毎回感謝の念仏を唱えたり、痩せこけた猫やスラム街の子供を見かけたら自身の飯を与えるたり・・・。

女の知る限り世界で一番、男は死に弱かった。


なのに男は自分を騙して、嫌いな殺害を望んでやるようになった。

女をきっかけに死を目の前にして生き始めた。

今では暴走しているのか、その顔には何処か楽しんでいる様な雰囲気がある。


女は恐れていたのだ。


いつか男は自責の念に耐えられなくなり壊れるのではないか、と。


「・・・止めて、お願い。」


だから男を追いかけたし、男を守ることを目標に生きてきた。

なのに結局、恐れていたものは現実になった。

止めることは出来なかった。


「・・・お願いっ。」


女にとって男は自分のすべて。

彼がいたから自分が生きれたも同然。

故に、過去の姿が想像できない今を見ると、すべてを失ったかのような虚無感に襲われる。


女は地面に崩れ落ちた。


「殺せ!奴らを、殺せ!!」


頼みの綱としていた仲間も壊れた。

自分と同じ思いを抱えた仲間ももういなくなった。


「お願いっ・・もう・・・止めて・・・っ!」


もう変えられない。

私の好きだった彼はもういない。


女はその場にいる誰よりも大きな絶望を抱え込んだ。


女が自分を犠牲に成し遂げようとしたのは男と共に生涯を過ごすこと。

彼に包まれ、彼に愛され、彼を支え、彼を愛することこそ・・・女の唯一の何を犠牲にしても叶えたい願い。


「っ!?」


仲間とも約束した。

死んでいった仲間の為にも叶えてやることを誓っていた。


そう、この思いは自分だけのものじゃない。


女は転がってきた仲間の死体の手を握る。


「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・っ!」


死体は握り返してくれはしない。

感じるは生暖かい感触のみ。


何も伝えてはくれず、何も与えてはくれない死体。


死は等しく何もかもを奪っていく。


『諦めろ』


死体は女に伝えてきた。

女は見たくないものを見ないために頭を下げようとする。


しかし死者が持っている一つのペンダントが視界に映る。

それは緑色の石がついたデザインもないただのペンダント。


それを見た瞬間、女は思い出す。

この死者が生きていたときに交わした会話を、


『なぁなぁ、これ、これ見てくれ!』

180超えた身長のおっさんが突き出すは緑色の小さな石。

『これな!俺の娘のお気に入りなんだけどな!

くれたんだよ!出発前に渡してくれたんだよ!凄いだろっ!』

「・・・川原にそう言うのいくらでも落ちてそうよね。」

私は呆れながら適当に言葉を返す。

それは彼の心にグサッと来たらしい。

怒って言い返してきた。

『なっ!?止めろよそう言うの!せっかく俺の娘がくれたものなんだぞ!

そこは良かったわねって褒めろよ!指噛んで羨ましがれよ!』

「やっぱりマウント取りたかっただけか・・・あのね、結婚してない私にそんなマウント意味ないわよ。」

私が書類作業に戻ろうとしたとき、男は男の意地として煽りをしてきた。

『あ、そうだよな、リーダーはいくら色仕掛けしても襲われなかった悲しい女だもんな。

子作り未経験の女の子だったの忘れてた。

悪かった、俺が大人気なかったよ。』

それが私の逆鱗に触れる。

「・・・あのね、あいつの習性知らないの?

全裸で前歩いても赤面して逃げるほどの鈍感ピュア属性付きの馬鹿よ?

風呂上がりに私がわざわざ目の前でバスタオル脱いでさ、すべてさらけ出した時なんて言ったと思う?

『・・・今日は裸で過ごすの?』、よ!

襲えっつってんの!私の処女膜貫けつってんの!

さっさと私を抱けっつってんの!

あいつにゃ女の気持ちがわからんのかァァァァァァァ!」

私が一通り叫び、息切れを起こすと、おっさんは哀れみの視線を向け肩に手をおいてきた。

『・・・・大変・・・だったんだな。』

私はそれにもムカッと来たので平然と言い返す。

「ま、ムカついたから一日中襲ってやったけどね。」

『逞しい子っ!?』

「ま、そんなこんなであいつから指輪貰ったし・・・結果オーライ?ね。

・・くださいあ、身を飾れる分、私のほうが愛されてるわね。」

へっと見下すとこめかみに怒りマークを浮かべるおっさん。

『な、なんだと!娘の愛ががお前らのおままごと恋愛に負けるとでもっ!」

「あぁ、もう!耳元で叫ぶな鬱陶しい!」

『ほら!訂正しろ!貴方様の娘の愛は偉大です、と言い直せ!』

「・・・面倒くさいほど親バカね。

・・・はぁ〜、ちょっとそれ貸せ。」

私はおっさんから石を奪い取る。

『あ!おい、何をするつもりだ!か、返せ!』

「煩い、黙ってろ・・・ほら、これでいいでしょ?」

奪い返そうとするおっさん。私は一瞬である作業をして石を返す。

「それなら首から下げれて落とすこともない。

せっかく私のお気に入りの龍の髭使ったんだから大切にね。」

『お、おぉ〜!流石はリーダー!』

「調子のいいやつ。

まぁ、いいや、満足したならさっさと帰って。

私は仕事があるのよ。」

『うぉっ!ふはっ、ふははっ!』

「聞いてないし。」

よほど嬉しかったのだろう。

おっさんはいい歳して跳ね回る。

『リーダー!本当にありがとな!』

子供の喜び抱きついてきた。

『こりゃ凄いもんだ!たった1つの紐でここまで美しくなるとは!

愛してるぜ!リーダー!』

「・・・大袈裟な。そこまでのもんかねぇ〜。」

私は呆れる。

彼の喜びの意味がそこまで良くわからないから。

彼は言った、

『勿論だぜ!だって生きてる限り・・・俺は娘を身近に感じられる!』

「そう・・・それなら・・・とても良かったわ。」



女は死体が持っていた一つの剣を握り締める。


「分かった。・・・分かったから。」


太陽に照らされ光るペンダントは私に言う。


『貴女にはまだあるでしょ?』


仲間はすべてを失った。仲間は死んだから想っていた家族も彼の中から死んだ。


「・・・逃げるのも・・・許してくれないんだ。」


しかし女にはまだある。

いくら絶望しようとも手の届くところに大切な人がいる。

諦めきれない願いが心にある。


それを死んだ仲間が、仲間の大切な想いが伝えてくる。


「・・・私、行くよ。」


心はズタボロだ。

もう何もかもを忘れて床につきたい気分。

しかし願いかまある。

諦めても絶望しても、理由がそこにある。

大切な、何よりも守りたいものがそこにある。


「目ぇ、覚まさせてやるっ!」


だから女は剣を片手に、仲間と同じように戦場へと駆けつけた。


敵を薙ぎ払いながら男のもとへと行く。


「邪魔だ!」


神に届きし力強きもの"巨人"。

男を倒すために背中を向けていたことが仇となり脚が切断される。

立ち上がれないよう腰の骨を絶たれ、痛みをなくすため首を刎ねられ絶命。

己の頑丈さを疑わなかったのが敗北の原因だった。


「獣風情が私を阻むか!動物は動物らしく、人間様に逆らってんじゃねぇ!」


食物連鎖の頂点に立つ"ビースト"。

鼠からライオン、恐竜から龍と小さいものから大きいものまで種類は豊富。

その上この場にいるのはどれもが神話級の通称古代種と呼ばれる獣達だ。

どの個体も攻撃、特殊能力は異なる。

炎や雷、水などのブレスをに加え、肉体の一部の凶器化、触手や麻痺毒入りの粘液などの特殊攻撃。

その上動きも殆どが瞬間移動並みで体が鋼や鉄以上硬度。

そんなビーストは己の持つ力で、女の殺気に答え、殺そうと動き出す。

まさに天変地異。地は割れ、物理的に最悪は生み出された。

が、知能の低さ故に攻撃も防御も全てが単調。

女は己の経験量からくる予測にすべてを見切り、己の鍛え抜いた斬刀術で簡単に首と胴を切り離す。

本能的危機察知に創意工夫の熟練度、鍛え抜かれた動体視力は女のほうが上だったらしい。

知識の薄さから来る工夫の無さが敗北の原因だった。


「目障りだ!!小さいなら私の視界に写り込んでくるなよ!小蝿共!」


小さき力あるもの"妖精"。

物理的な力は最弱中の最弱。

しかし自然操作能力という特殊な力がある。

故に湿度、温度、気圧の操作。いくら此の力が弱くとも数の利も合わせて向こうが有利。

女の体はいつも以上に重く、気怠さが倍に。

弱り切った個に集で攻める。

・・・・これは間違っていた。

女は歴戦の戦士。体調不良など根性で吹き飛ばせる。

女は持ち合わせた剣技と鍛えぬいた身体能力で中央にいる一体を切断。

案の定、一部は崩れ穴ができる。

女は見逃さない。できた穴は突かれ最後まで崩された。

たった数秒の攻防。空飛ぶ多くの小さき光は一つ残らず人間に切り刻まれる。

個の圧倒的な弱さが敗北の原因だった。


「姿気持ち悪いのよ!少しは私達見習ってその歪な姿治して来い!それか一生世の中に出て来んな!」


悪意の塊、願いに代弁者"悪魔"

この世の物とは思えないその姿形。

突き出た脳みそ、黒き翼、痩せ細った足に鋭くデカイ爪。

力、速度、硬度共に圧倒的有利なため、弄ぶかのような力押しで女に対抗。

一撃で決めようと最初から全力全開に。

それが悪手だった。

女の技には相手の力を元にする高威力のカウンターがある。

悪魔の打撃以上の衝撃を持った斬撃は、刀の強度を犠牲に悪魔の体を分割した。

しかし悪魔の本来、精神体。

核を壊さない限り瞬時に肉体は再生する。

悪魔は核のある右半分の肉体で、倒したと思っている女を殺そうとした。

が、それが大きな間違い。後ろを向いて油断しているように見せているだけ。

結果、女に核の位置を知らせるだけのこととなる。

防御する術がない悪魔は百等分に細切れにされ、核を剥き出しにし呆気なく存在を消滅させられた。

相手の観察を怠ったのが敗北の原因だった。


「邪魔だ!消えろ!消えろっ!!」


本能のまま女は剣を振るう。

男のもとへと行く辿り着くため、全身全霊、女は何もかもを切り裂いた。

異形の敵を足蹴りしてようやく辿り着くその戦場。


「・・・っ!?」


女は見た。

狂乱にも血を大量に流しながら化け物たちと戦う男を。


腕から血が吹き出ようとも剣を振るうその姿。

怨みがましく敵を睨みつけるその表情。

どんな相手でも確実な死を求めるその執着。


「こ、この・・・っ!」


女は迷わずに、剣を振り切った男に向かって・・・


「馬鹿野郎がァァァァぁぁぁぁぁっッ!!!」


ドロップキックをかました。 

男の傷つくのが前提の戦い方が不利に働いた。

男は女の全身全霊の一撃に耐えきれず、地面へとのだろう倒れ込む。

女は化け物を近づけないため、剣で円状に地面をえぐり、能力を発動する。


「『幻惑の世界』!」


それは女の能力を使った、入るも出るも不可能の結界。

それこそ女の持つ最大の防御。

しかし最高持続時間は5分。

女は男を説得するのを、その短い時間で達成しなければならなかった。


「な、何を・・・っ!」


すぐさま女は文句を言いだそうとする男の襟を掴みあげる。


「いい加減にしなさいよ、あんた!」


世の中、誰も正しさだけでなんて生きてはいけない。

男はそれを知っているから、一度も人類のためなんて口にしなかった。

男は正しさを勝てに生きている人間が、目的半ばで死んでいくのを見て理解していた。


「私、約束したわよね!」


己の正義を声を大にして叫びはしなかった。


「私の為に生きるなら、絶対に無理するなって!」


だから正しくない理由。

自分の恋人の為に、害するものはすべて殺す。

正しさなんて持たない為に、これを信念に生きてきた。


そんな男に故郷から旅立つ前、女はある約束をした。


「百歩譲って命を削るのはいいわよ。

いくら言ったって直らないことはもう分かってる!」


正しさだけでは人は生きてけない。

だからと言っても、間違いだらけの人生に人は耐えられるはずもない。

物事は表裏一体。今まで死んでいった戦士がその証拠。


女は知っていた。


『人は間違えたら無意識にも正しさを求める。』


そうやって完璧な不完全を貫き通すのが人間。

間違えた分を正しさで相殺する仕組みを、人間はもっている。

それは己と言う存在を生かすための本能と言い換えてもいい。


「でもね!自分を削っていいなんて言ってない!」


女は男が武器を手にしたときから分かっていた。


男は己の願いのために間違え続ける。

正しさなんて一切受け付けない。


でも所詮、男は人間。本能には逆らえないのが道理。

つまりいつかは抱えた罪を償うために何を犠牲にしても正しさを求める怪物になるときが来ることを、女は分かっていた。

そう、例え、仲間であっても・・・例え、愛する者であっても・・・例え、己の理性であっても・・・

その全てを犠牲にして、いつか自身が忌み嫌う殺人鬼になってしまうことを、女は知っていた。


だから男が旅立つ前にある約束を交わす。


「自分削ってまで信念貫くことなんて許してない!」


それは『無理をしない』。

男が男であるための最大の条件。

いくらでも無茶をする男を男たらしめる鎖。


「あんたが、あんたが言ったのよ・・・っ!

未来を生きるときは・・・笑っていなきゃ駄目なんだって!」


しかし、今、その鎖は解けかけている。


「あんた・・・笑えてるの?

自分殺して・・・そんな無理して・・・未来思って・・・笑えて・・・ないじゃない!」


その鎖は男のもとから離れようとしている。

だから女は男の元へと駆け寄った。

その鎖は腕だけでいい。繋げようとしていた。


「いい!最後よ!最後に一回しか言わないからよく聞きなさい!

あんたが無理して私を救っても・・・あんたがいなくなるなら私はすぐに死ぬ!

私を殺したあんたを憎んで、絶対に自殺してやる!」


女は男を引き寄せ、叫ぶ。


「いい!あんたのする事は全て本末転倒!

あんたの好きな未来の私の幸せなんて訪れない!

敵をすべて殺して作った平和なんて私が壊す!

あんたの願いなんて私は絶対許さない!

あんたに・・・私の幸福なんて・・・守らせない!」


あまりに身勝手な発言。

これには男も怒りを覚える。


「はぁっ!?なんだよ、それ!

そんなら俺が今まで頑張ってきた意味ないじゃねぇか!

俺が幸せになれなかったのも!俺が救われないままなのも、全部お前のためにって我慢してきたってのにっ!

全部!全部全部全部!お前のために捧げてきたのに!

そうだ・・・そうだよ!お前だ!

お前のせいだっ!お前がいるせいで俺は・・・っ!お前のせいで・・・っ!?」


男は溜め込んでいたものを言葉に出す。

それは男にとって思いもしなかった事。

本来、この戦場は男の身勝手により生み出されたもの。

女を理由にしたのも男の身勝手。

男に他人を責められる権利なんて存在しなかった。


男はこれでも常識ある知性の持ち主。


すぐに自身の発言の理不尽性を理解し、言い淀む。

謝罪をしようとしたが、自分の言ったことはたとえ思っていなかった事だとしても本音であることは事実。

繕うことも出来ない。


というより、女がその暇を与えてはくれなかった。


「えぇ!そうよ!全部私が原因よ!

あんたが思い通りに生きれないのは、私が全部阻止してるから!」


男が思わず口にした怒りは女によって事実と化す。

女は叫んだ。

その事実を作り出したのは、本来男のせいなのだと。

 

「この際だから今まで言えなかったこと全部言ってやる!

私を守るだなんてよくそんな生意気言ってくれたわね!

私があんたに守られるだけの安っぽい女だとでもっ!

私が泣く泣く実家で神に祈りを捧げながら恋人の帰りを待つ腐れた女だとでもっ!

愛する人が命張ってるのに、何もせずただ呆然とし続けるだけのクソ雑魚ナメクジだとでもっ!

嗚呼アアアァァぁぁぁぁっ!!!

このっ鈍感大馬鹿ド腐れピーマン馬鹿野郎!」


いや、真実を教えているのではない。

女は男の胸ぐらを掴み上げ、不満を全部ぶちまけているのだ。


「グェッ!?」

「何、自分一人で解決しようとか考えてんのよ!

何、自分一人でなんとか出来るとか思ってんのよ!

私がそんなに弱く見えるのか!

私がそんなに雑魚に見えるのか!

どうなんだ!言ってみろ!言ってみろって言ってんだよォォォォォォーーー!」

「うわァァァァっ!?」


ブンブン振り回される男。

締まる首と揺れる頭で何も言えない。

なんとか言い返そうとした男は口を開くが、その瞬間投げ飛ばされる。


「確かに!あの時の私は弱かった!

化け物に勝てるなんて口が裂けても言えないほどに雑魚だった!

けどね・・・っ!私だってね・・・!

あんたと共に死地へ向かう覚悟ぐらい・・・してたのよっ!

あんたと地獄を行く覚悟ぐらいは出来てたのよっ!」

 

女の言う事も間違いじゃない。

それを女の今までの行動が証明している。

女の誤算は唯一。それは自身の出遅れ。

男に頼りすぎた代償で男の背を追うこととなった。


男は能力に恵まれた。

いくら実力が足りなくても、相手の油断を誘えて持久戦が可能なため男は力に恵まれた。

それに比べて女は能力や物理的強さ合わせて力不足。

男からしたら連れて行くことは眼中になかった。


「なのにあんたは私を置いてった!

私の声を聞いてはくれなかった!

・・・だから決めてやったわ。

こんな惨めな思いをさせたあんたを絶対に許さないって。

必ず復讐してやるって。」


それが女の逆鱗に触れた。


「でも・・・どんなに考えてもいいアイディアは生まれなかった。

あんたの邪魔をするって考えたけど・・・こんなんじゃ意味がない。

こんなことしたら復讐は達成出来ても、結果的に人類は救われないし、私も幸せになれない。

あんたを失うのは私的に論外なの。」

「・・・ぽッ///。」

「私の裸見て顔赤らめなかった癖にこんなんで照れんな!」


女は男と真正面に向き直る。


「・・・私の幸福の絶対条件はあんだがそばにいること!

私の復讐の絶対条件はあんたの願いが叶わないこと!

だから選択肢は一つしかなかった。

願いが叶う寸前で阻止すること!

だからあんたが聖杯を手に入れた時も!悪魔侯爵と契約を交わそうとしたときも!神龍との会食の時も!・・・全て阻止してやったわ!」


ドヤっ、と威張る女。

男からしたらそれは太陽の様な暖かさを持っているため一瞬見惚れてしまう。

しかし女の台詞は男にとって予想外のこと。


「・・・ん?ちょっと待て。

今まであと一歩のところで失敗してたのはお前のせいだったのっ!?」

「え?気づいてなかったの?

あんたが聖杯手にした瞬間に聖杯壊したのも、悪魔侯爵と手を合わそうとした時に心臓を爆発四散させたのも、神龍の一部を食おうとしたときに屋敷に火をつけたのも全部私が仕掛けたことよ?」


素知らぬ顔で平然と言い放つ女。

余りのあっけなさに男は唖然とする。


「な、なんだよそれ・・・助けに来たぞって・・・めっちゃいい顔してお姫様抱っこしに来たりしたじゃん。

全部・・・自作自演ってこと・・・?」

「当たり前じゃん。絶望した後にヒーロが来たらヒロインは惚れるのが王道でしょ。私はそれがしたかった。」

「復讐忘れんな!あと彼氏にヒロインとか言うんじゃないよ!と言うか邪魔しなかったら戦争は長引かなかったのにっ!

どうしてくれんのさ!俺の苦労っ!?」

「別にいいじゃない。平和にはならなかったけど、男としての気持ちいい事は味わえたじゃない。」

「・・・。」


何でも叶えられる力を手に入れた男。

しかし幾度としてそれを奪ってきた女。

効力は弱まれど女は願った。


彼の純情を奪いたいと。


その願いが叶ったからか、もしくは女の口車に乗せられて溜めてきた鬱憤が爆発したからなのか、女が計画を実行したその日の夜は必ず、男は女と体を合わせ女の思い通りに事は動いた。


「でも誤算だったのよね。あんたの覚悟がこれほど強いものだったのはさ。

私に溺れるかと思ったら逆に一周回って私を守るって頑固になったし、変にテクも覚えて最後にゃ私が鳴かされる始末。」

「・・・ねぇ、下ネタ挟むのやめない?さっきまで結構シリアスな話だったような気が・・・。」


男の主張など通るはずもない。


「そう・・・あの満月の夜こそ、忘れられない。」


女は恥ずかしげもなく男女の夜を語る。


「ねぇ!聞いて!誰もいないとはいえ、白昼堂々性事情を外で言いふらさないで!」

「あの日は散々弄ばれたわ。」

「聞いて!お願い!」

「鳴かされ泣かされの二段活用。

その上、半日手足を掴まれての弱点攻めにスピードを変えた偏差的快楽の連続攻撃。」

「・・・。」


男は話を聞かない女を早々と諦め、放心状態に。


「私は誓ったわ。明日にでも媚薬漬けにでもしてやろうと。」


しかし女の奇行にはツッコまずにはいられない。


「何てことをっ!?」

「だってのにっ!あんたはさっさと戦場に駆け出した!

一言も残さず私のもとから立ち去った!」

「・・・っ・・・。」

「死んできますって書き置きだけして・・・あんたは私の前から消えてった。」

「・・・・・・・。」


当の本人は罪悪感あるためか顔を合わさない。


「・・・久し振りに過呼吸に陥ったわよ。

部下が駆けつけてくれなかったら、ずっと目の前が真っ暗のまんまにだったわ。

この気持ち、あんたにわかる?」

「・・・。」


目を合わせない、罪悪感に囚われた男。

追求しよう、そう女が口を開こうとしたとき・・・


ピシっ!


女の結界にヒビが入った。

それはタイムリミットの宣言。

意は地獄の再開。


男が戦う為に姿勢を整えよう腰を浮かす。

あまりに真っ直ぐな瞳。

あまりに力強い腰つき。

あまりに逞しい立ち姿。


「・・・っ!」


男が手を剣の柄に掛けようとした瞬間、女は咄嗟に男の胸に飛び込んだ。


「わかってるわよ、あんたは曲げない。

いくら説得したって信念なんて絶対に変えやしない。」

「・・・。」


女の言い方は甘く女性らしいもの。

今にでも泣きそうな声しているから、男は強く出られない。


「・・・もう嫌なの。あんな惨めな思いするぐらいなら死んだほうがマシ。

だから決めた。私、あんたと一緒に死ぬから。

縋り付いてでと一緒にお天道様のもとまで付いて行ってやるから。」

「・・・っ・・・。」


心を許した男の負け。

発言の主導権は完璧に女のもとにあるため、男の否定など許してくれる雰囲気ではなかった。

だと言えど、男の思いは変わらない。

表情が歪んだ。


「・・・いくら否定無駄だからね?」


それを感じ取った女はある行動に出る。


「・・・んむっ///!?」


掴まれる顔。

遮られる視界。

当てられる唇。


数秒間の接触後・・・女は顔を離し、小悪魔のように舌なめずりをした。


「ふふっ、これで契約完了♪」

「・・・契約?」

「そ、契約。」

「・・・どんな?」


男は女の触れた自身の唇に触れ、女の口にした契約とは何か考える。

女は上から目線にヒントを与えてきた。。


「ヒント1、私の能力は?」

「・・・幻惑。」

「ヒント2、その能力でできることは?」

「・・・思考の操作、意識の改変。つまり催眠。」

「ヒント3、私の目的は?」

「・・・俺の・・・生存。」


男はまさかと表情を驚愕したように歪ませる。


「お前・・・まさか・・・っ!」


男の目的は女の生存。

女の目的は男の生存。

両者ともにこれだけは譲れない。


しかしどんな物事においても自身にとっての最悪は起こり得る可能性がある。

つまり女にとって男の死は100%抑えられるものではない。


だから女は考えた。


男を失いたくない。死なせたくない。

でも救いきれるかわからない。助けられるなんて思えない。

ならばどうするべきか。

どんな選択が二人にとって納得できる結末へと迎えられるか。


女が導き出した答えは・・・強制心中。


「私にはアンタが死ねば、その瞬間自殺すると自己暗示をかけた。

あんたには私が死ねば、その瞬間自殺すると自己暗示をかけた。

良かったわね、これで私達は一心同体よ。あ・な・た♪」


女は能力で最悪、共に死ねるように能力を発動させた。

己の催眠能力を最大限活かし、最大の呪術をお互いにかけるのは長年の付き合いである男にとって容易に想像でき、怒鳴らずにはいられない。


「ば、馬鹿なのか!っ!?こんなことしてただで済むとでもっ!?」

「済まないわね、十中八九私達は死ぬ。」


女の作った結界、そのビビから化け物の目が覗く。

その大きさはあまりに異質。

人では敵わない生物だと二人に伝えていた。


だが女にとってそれは考えるに値しない。

正々堂々と睨み返す。


「わかってるならなんでっ!?」

「けど・・・大丈夫よ。」

「・・・っ・・・!」


女の勇気を感じ取らない男。

女は男の焦りを感じ、落ち着かせるため自分の胸に抱きしめる。


「それはあんた一人で戦ったならの話。」


そして女は男に向かって微笑む。

最後の優しさをぶつける。


「・・・今は私がいる。

貴方には私が繋いだ仲間がいる。

私が築き上げてきた力がある!」


女は男に女が出会ってきた仲間との思い出を見せる。

それはとても美しく、儚げでありながら凛とあり続ける光景。

男の見てきた孤独で恐怖だらけの禁忌の毎日とは違う。

男の背負ってきた醜くて、生々しい、阿鼻叫喚の呪いとは違う、眩しくて幸福な世界。

女は言った。


「背負ってるもの、降ろせとは言わない。

抱いている想いを、消せとも言わない。

それはあなたのアイデンティティ。なくてはならないものだしね。」


男から少し離れて、手を差し出す。


「でもそろそろ返してもらう。

私が背負わきゃいけない分、貴方が勝手に持ち去った分・・・全て、ね。」


真正面に立ち、足りない身長を補うために気迫で押す。


「私が見据えた未来はあんたと共に過ごす未来よ?

あんたが思い描いた理想より困難な未来なのよ?

だったら自分のものぐらい背負えなきゃやっていけない。

背負わなければいけない業に耐えて、茨の道を進んでいかなきゃならない。

だってのにあんたは奪った。

あんたの勝手が、私の覚悟を踏みにじった!」


女が見せる光景がその事実を物語っている。

男には否定できる理由がない。


「傲慢なのかもしれない・・・強欲なのかもしれない。

巫山戯てると思われても仕方ない話だとも思う。

あんたからしたら私の言い分なんて、一人でどうにかできるって駄々こねる小土間そのものでしょうしね。

でもね・・・それでもね!

私はそれを叶えられるだけの力をつけてきた!

背負えるだけの基盤を築き上げてきた!

何百人も犠牲にして、何万人と絆を交わして生きてきた!

夢叶えるために・・・私はこの力を手に入れた・・・っ!」


男にとって正真正銘、最後の一世一代の選択。

女の言うことは紛れもない事実。

男からしたらあまりに非力であるものの、可能性としては一番成功する確率がある。


「・・・最後に選択させてあげるわ。

知らないだろうけど私は貴方に届きうる力を手に入れた。

この窮地を乗り越えるための可能性を手にしてきた。

どうする?・・・また一人で自分の我儘を貫き通す?

それとも私が考えたこの『心中上等!生意気言ってるとぶっ殺すわよ!』作戦。手伝ってくれる?

2つに一つよ、選びなさい。」


誤れば地獄。

正しければ天国。

ただ男にとって一番信じられるは己の実力。

だというのに、己の実力が女は信頼に値すると告げている。


「・・・。」


究極の選択を前にして、男は無意識に・・・涙をこぼした。

女を危険から守れなかった悔しさ故か

女に自分の命まで背負わせることになった怒り故か

女が茨の道であっても共に進んでくれると決断してくれた嬉しさ故か。

男は最後の涙を流す。

しかしそんな男の心情など女は考慮しない。

意地悪にも泣いてる男を急かす。


「・・・ほら、どうなの?

私の『生意気言ってる奴は全員抹殺』作戦。

参加するの?しないの?」


本音を言うと男は死ぬ気だった。

本来なら無謀とも言える男の挑戦。

しかし命を代償にすれば世界は平和になるのは確実。

男の実力がそれを証明している。

男自身も確信しており、愛する女のためならと命を捨てることは厭わないつもりだった。


しかし、女の説得は男の胸に響く。

生きたい気持ちが強くなってしまう。

そんな中、生き残れる可能性を提示された。

男は逃げられない。

最善の手を探し続ける男の性格が仇となったのだ。

女の照らした道を辿る事は必然で、その手を取ることは確定した。


ニヤッと笑う女に男は涙目で苦笑する。


「ははっ、それさ、もし断ったりしたら俺死んじゃうじゃないの?」

「お、よく気づいたわね。

そうよ、断わったりしたら鉄拳制裁をお見舞いしてぶっ殺すか、外のやつに殺されてたわ。」


未来余地でもしてきたかのような口ぶり。

それが男の背中を押す。


「・・・全部・・・任せるね。」

「・・・えぇ・・・任せなさい。」


たった一言。

その言葉は二人の運命を繋げる。


結界が壊れると同時、男は剣を構え、敵へと駆け出した。

前だけを見て、向かってくる敵を全て切り裂いていく。


今の男に防御はない。

全神経を攻撃に集中させており、夢中に敵をなぎ払っている。


男からしたら多対一の状況。

今までなら防御3攻撃7の割合で戦っていないと即死してしまう可能性があった。

いくら世界樹の力があれどそれは変わらない。

故に男は防御を捨てきれなかった。


しかし今は違う。


「全隊員に告ぐ!各自、プランαに移行!

死力尽くして・・・私達を生き残せ!!」


円を作った化け物を達を囲うように武器を持って配置に着く戦士たち。

女の結界が生み出して時間で集合した万を超える弱き人類。


今の男には彼らがいる。


味方に支持を出しながら、男のスキをつこうとする敵の攻撃を一つ残らず捌き切る女と、最前線を共に生き抜き生死を彷徨った心強い仲間がいる!


「聞いたかお前らっ!ここが最終局面!

全力であの馬鹿共を救い出すぞ!突撃ィィィ!」

「B隊!俺達はA隊の援護射撃だ!

硬い敵には特殊弾は惜しみ無く使い切れ!

仲間の戦闘を許すなよ!」

「C隊、D隊は側面から叩きこめ!

A隊の手柄は全て横取りしてやれ!」

「私達F隊は指揮に徹するわよ!

負傷者の回収と情報拡散は怠るな!」

「我々F隊は物資補給だ!

仲間の亡骸からも使えるものは全部使っていけ!」


女の前線指揮は人類に統率を産んだ。

それは言わば協力。


男の戦いに魅せられた者。

男の背中に憧れを抱く者。

仲間の死に復讐心募らせる者。

余りの理不尽さに怯える者。


様々な者が強者弱者関係なく、その場で最善手を選択する。

独断、随順、指揮、援護、先行。

誰もが己に出来る最大の手段を実行する。


これこそ、人類が生き残って勝ち進んできた理由の一つ、無意識の信頼と協力。

化け物たちが一切しないもの。


女の優れた統率力がなせる絶対的な美技だった。


「・・・ッ!」


男を力でねじ伏せようと正面から向かってくる『地の選別者・セルガン』。

ビーストの古代種の一体で持ち前は山を破壊したという逸話を持つその剛腕。

さすがの男と言えど正面からのぶつかり合いでは体が粉々にされるのは間違いない。

だと言うのに男は恐れずそのまま突っ走る。


「吠えんな、猿。」


なぜなら女が『水銀弾専用大口径自動拳銃』を腰から引き抜き、わずか0.5秒で正確に両目を撃ち抜いたのだ。


視界の暗転、急激な激痛。そのビーストはうめき声をあげ、立ち止まる。

男は簡単に全身をバラバラに切り裂いた。


しかし油断はできない。まだ相手はいる。


「・・・チっ。」


セルガンの肉片と大量の血液が崩れ落ちる。

そして男の視界に写したのは同じく古代種の一体。

一本角を持ち、電速並みに突進してくる4足馬型のビースト『天蕾の審判者・ナキリ』。

その速度は銃弾並みとはいかずとも、人間からしたら十分に電光石火。

崩した姿勢を治すのは間違いなく間に合わない。

その上、中距離から届く雷撃の痺れに、ナキリの視線が与える恐怖の重圧。


このままでは男の体はあの角に貫かれ、体は雷に焼けとかされる。


「・・・ふぅ。」


なのに男は焦らない。

いつも通り抜刀術術を繰り出そうとする。

理由は単純。


KYUAAAッ!?

ドンッ!


ナキリは男の仲間数人が撃ち込んできた爆散弾を避けるために一度止まったのだ。

ナキリの横の地面が弾丸により爆発する。

しかし低威力。

その爆風ではナキリの動きを止めることはできない。


KYOOOOOOっ!!


首を曲げ体を捻り、角で男を刺そうとする。


「舐めんなよ・・・「「「「馬風情が!」」」」」

GYAっッ!?


しかしそれは避け場のない雨の様に飛んでくる爆散弾により防がれた。

肉体の側面に当たると同時に一気に爆発。

ゼロ距離爆風には流石のナキリも体勢を崩した。


「・・・俺を忘れたか、審判者。」


それが敗北の原因、体は右左に真っ二つにされた。


「伏せてっ!」


途端、聞こえてくる女の怒声。反射で男な体は地面を這うように倒れ込む。


「覇道・破迅風魔!」


歩行術・瞬歩で男の前に出た女は、戦武術(化け物相手に通ずる武術)を繰り出した。

すると何もない空中に何重もの透明な波が発生する。


ボタボタ・・・


地に滴るのは緑の血。

透明な波の先にいた生物は、『命狩りたてる者・イオド』。

芋虫のような体に無数に生えた背の触手。

縦に裂けた口に触手先の毒の棘、自由に透明化する能力が特徴。


基本的な戦い方は背後からの触手による毒の奇襲。

イオドはそれに従い、ナキリとの勝負に集中した男の気の緩みに乗じ、奇襲を仕掛けた。

しかしそれは男と同じ天性の感と、男以上の観察力の持ち主である女に軽々と見抜かれる。

故に触手ごと、内臓に渡り傷つけられ、一瞬で絶命した。


「こら!気を抜かない!」

「避ける事はできたよ、多分だけど。それに毒は地を全部抜けば無力化出来る。」

「あ、慣れて大丈夫ってわけじゃないのね、媚薬の効き目が薄いからもしかしたら体質なのかもって思ってた。」

「・・・効きにくい体質が良かったなぁ〜。」


イオドの死体を階段を登るように踏みしめる二人。

雑談を交わす姿は精神的余裕を感じされられる。

見渡す限りの自分を救おうとしてくれる多くの仲間。

側で共に歩んでくれる最愛なる恋人。

男にとってその光景は幸福そのもの。

もう死んでもいい、満たされた心は焦りを消し男の地力を引き立てていたため、今まで以上に男には余裕があった。

そしてその余裕からくる冷静は周りにも広がっていく。


実態を持たずとも死を誘ってくるもの。

体積と密度を容易く変化させるもの。

融合と分裂を無造作に繰り返すもの。


いくら敵が不特定多数で、厄介以上の力を持っていようとも、今の人類には通じない。


「カウンターを狙え!干渉と同時なら攻撃は通じる!」

「大丈夫だ!いくらデカくなって硬くなろうと弱点は同じ!

隠されてもゴリ押しでぶっ殺せ!」

「近距離隊!切断は止せ!打撃を対応しろ!!

出来るなら炎や氷で消失を狙うんだ!」


後方にて、女より送られた情報を元に指揮官達は戦士達にそれぞれの対処法を送る。


支援部隊はより正確な時間稼ぎを。

前線部隊はより確実な殺害法を。


分析、解析した重要な情報にスキのない戦士の配置。

惜しげも無く配布された強力な武器に各種の欲を刺激する圧倒的強者として君臨する男の存在。

その強者に並び続ける女の存在からくる精神的余裕。


協力を基本としている人類にとって、今この瞬間、この場には恐れるものは一切存在しなかった。


とはいえ、戦争は続く。


この最終人神獣戦線の勝敗の条件が男の死か種としての全滅。

故に人類は敵の一斉排除を止められない。

化け物の死体はどんどん積み上がってていく。


「チッ、やっぱり来た。」

「ん?何が・・・うわ、怠。」


数メートル先、色とりどりの血と様々な肉片で満たされた美しい花畑で、男はある気を感じとった。

それは殺気。

化け物同様、殺すという意思の詰まった感情のこもった視線のこと。

誰からの殺気か、それを確認した男は自然と溜息をこぼす。


「・・・。」


殺気の持ち主、それは・・・身長2メートル以上の全身黒ずくめで手足の長さが異常な人間型の化け物。

通称『神の代行者・ニャルラトホテプ』だった。


元来、ニャルラトホテプは平和を重んじる、アザトースを筆頭とした神の使い。

神の支配から逃れる実力を持ち、物理法則の壊れた世界の住人故、アザトースに変わり、平和のためならば混乱と狂気をもたらす事を常としてきた。


これらは伝書でしか伝えられていないことだが、世界を駆け回った男にとってニャルラトホテプが危険な存在なのは随分前から把握済み。

真っ向勝負では敵わないことも理解していたため、敵に回したくない化け物トップファイブに入れていた。


「分かってたことだけど、流石に・・・面倒くさいや。」


しかしこの状況は大方、予測通りのこと。

ニャルラトホテプの性質上、男が己が道を行くのであれば、立ちはだかってくることは分かりきっていた事だった。


だから男は何一つ動じず、花畑の上でじっと見つめてくるニャルラトホテプと対峙するため剣を構える。

やられたらやり返す方針をとり、同じように悪意のない殺気を、圧力をかけるかの如く伝え返す。


「・・・グゥっ!?」


すると男は急に横へと瞬時に移動した。

構えたはずの剣は横で煙を上げているのが見える。 


男は剣を見てようやっと理解した。

ニャルラトホテプが腕をムチのように伸ばし高速に攻撃してきたということを。


それと同時に悟る。


ステイタスで競うならまず敵わない。

男自身の動体視力ではニャルラトホテプの攻撃を捉えることもできない上、ギリギリ防ぐのがやっとのこと。

つまりこれは肉体の反射によるカウンターが期待できない絶望的な状況を意味していた。


「・・・しょうがない。」


しかしいくら時空を超える存在が相手と言えど、敗北=全滅の戦争のなか人類に撤退の文字は許されない。


「・・・制限、解除。」


男は1割しか使っていなかった世界樹の力をむりやり3割に増やす。

世界樹は元々、根を生やした世界にあらゆる種族の生み、世界のすべてを掌握する力を持つ。

持ち主が人間とはいえ、その力を開放したならば空間の掌握は可能。

男はその力のおかげで周囲5キロメートル以内の空間を自分の手に。

物理的法則を自由に操るニャルラトホテプを地面に膝をつかせた。


『・・・ッっ!?』


純粋な力の差では世界樹のほうが上。

ニャルラトホテプは強力な力を前に跪く。

男は力が通じることに倒せるという確信を得た。


「ヴァッ・・・!」


しかしその代償なのか、目、耳、鼻、肩、胸、背中、腰、足、手の甲などと数カ所から血が吹き出すほどの激痛に襲われる。

その痛みは常人ならショック死レベルのもの。

男が耐えれるレベルで済んでいるのは『再生』のおかげだった。

とはいえ、今の男にその痛みを耐え抜く長期戦に挑む余裕はない。


「全員!一斉射撃!俺が耐えてる間に撃ち殺せぇぇぇぇ!」


男は全身に走る止まない激痛を耐えながら仲間を信じて叫ぶ。

任せるなんて一度もしてこなかった男が、叫んで助けを求める。

男の恋人である女はもちろんの事、女の指示を受けていた余裕ある戦士たちは、一斉に平和の象徴へと銃を向けた。


「総員!魔術、弾薬も全て!惜しげもなく奴にぶち当てろ!

あいつの初めてのデレを無駄にした奴は厳罰に処すから覚悟しろ!」

「「「「贔屓が過ぎるんだよ!クソリーダー!」」」」


鳴り止まない銃声。

ニャルラトホテプから黒い靄と赤い血が無数に飛び散る。

十数秒の戦闘。

ニャルラトホテプは地面に倒れ込んだ。


「はぁっ・・・はぁっ・・・・はぁっ。」


体力の限界を感じ、体は強制的に力の出力3割から0.5割へと落トス。

男がしたのは数分間の無呼吸運動のようなもの。

体の悲鳴には逆らえず、男は自然と膝から崩れ落ちた。


「ヴぅ・・・っ!」


心臓は痛めつけた仕返しだと言わんばかりに、呼吸を困難にさせる。

息を吸うと無数の針が入り込むような痛みに、息を吐くと感じる火傷跡をなぞって抉るような痛みに襲われる。

再生による回復もその重症さには時間をかけなければならなかった。


故に男は、地獄の真ん中で一瞬無防備となる。それは攻撃も防御も取れない態勢。

またとない男を殺せる唯一のチャンス。

今、ここを突かれたら敗北は必須。


『・・・シネ。』


死んだと誤信されていたニャルラトホテプはその瞬間を見逃さなかった。

その速度はまさしく音速。

真っ黒の細い腕は、より強靭に、より強大に、より強硬に、何もかもを貫く爪を構え男の元へと伸ばしていった。


「馬鹿っ!避け・・・っ!」


油断をしたことのない女はすぐそれに気付く。

助けるために間に合わなかろうと、体は無意識に駆け出した。

走馬灯のようにゆっくりと進む現実。

見せられるは数メートルと途方もなく遠い距離と、大切な人を失うかもしれない絶望。


丁度、ニャルラトホテプの爪が男の頭に触れそうな瞬間、堪らず女は目を閉じた。

聞こえてくるは肉が抉れ血が飛び散るような音。


終わった・・・そう女の心は暗闇に落ちることに・・・ならなかった。


「何諦めてんのさ・・・俺を支えるって言ったあの言葉・・・もしかして嘘だった?」

『・・・っ!?』


血肉を分ける音のすぐ後に男のからかうような声が聞こえてきたからだ。

女はとっさに目を開ける。


「まぁ、仕方ない話か、俺の助けが必要なクソ雑魚ナメクジなんだし過度な期待はしないほうがいいよね。」


視界に映るは、右腕を失いながらも地を足で立つ男の姿。

ニャルラトホテプが頭を失い地面に倒れていることから、男が直前に左に避け、重症を負いながらも勝利したことを理解する。

これには流石の女も負けてはいられない。

生意気にも悪態をつく男を前に、女は涙を拭い取り容赦なく銃を構えた。


「・・・これでも私は必要ないとでも?」


男に向かって放った銃弾は、いつの間にか男の後ろに立っていたニャルラトホテプの身体を撃ち抜く。

男はそれでニャルラトホテプの残骸が意志を持ち立ち向かってくる事を知った。

いくら司令塔である頭を失った体とはいえ、元は物理法則を無視するニャルラトホテプ。

完全に消滅させなければ安全は得られない。


男の拳は流星が降り注ぐように敵の体を靄一つ残さず消す。


「・・・いんや、やっぱり必要だよ。困ったことにさ。」


この瞬間、ニャルラトホテプに二人は完全勝利が決定した。

奇跡とも言えるこの勝利。

それは二人の間に存在した少しの実力の疑いを消す。

二人の中の出来た完全なる信頼。


「さて、もうそろそろ行くけど・・・大丈夫?」


男の戦闘による疲労は余りに酷いもの。

完全に再生しきれてない右腕がその証拠になっている。

だが、それでも男はまたと立ち上がり、剣を握り平然と笑う。

余りにも簡単に最高難易度の挑戦ができるかと問い掛ける。

恐怖も不安も、焦燥も悲哀も、付き物のない幸せそうなその表情。

女は悟る。

その問いかけは誘いではなく命令、完璧な信頼が作り上げる拒否の出来ない圧倒的圧力も同等。

女の催眠の如き小悪魔的誘導なんて目じゃないほどの立場を完全に利用した悪魔的強制。


「・・・ほんと、変わんないわね、あんたは。」


女にとって思い返せば男の行動は今までと何一つ変わらない。

勝手に地元を飛び出したかと思えば、一人で勝手に戦地へと赴き、最後には敵味方関係なく理不尽とも思える命令と言う名の要求。

いつも通り平和も混乱も絶望も希望も、男を取り巻く男の作り出した環境がいつも通り女を振り回す。

これには流石の女だって溜息が出るというもの。


「ハハッ、嫌気さしてる〜。・・・嫌いになった?俺のこと?」


男は女の呆れを感じ取ったのだろう。

答えなんてわかりきっているのに男は苦笑しながら尋ねる。


「・・・んなわけ。」


女は静かに立ち上がり、手に持つ銃をリロードする。


「これでも私は一人の男を愛した純情の女よ。

毎夜毎夜と愛を育むために仕事を部下に押し付け十数年。

非難、罵倒、罵詈雑言全部無視してやって来たってのに手放すぐらいなら・・・私は世界を敵に回す!」


そして今までで一番の愛念を込めて笑い返す。


「「「「「何、被害者ずらしてんだ!ふざけんなよ!このアマ!」」」」」


周りの仲間からの暑い声援。


「ハッハッハ、それならみんなに感謝しないとね。」

「「「「元はといえばオメェが逃げるせいだろ!和むなクソッタレ!」」」」」


そして周りの仲間からの祝福の声を胸に抱き、男は意識を切り替える。

改めて自分の持つ目で、視界で、今の生きている世界を眺めた。


途方もない数多の強敵。

1ミリも埋まらない力の差。

傷つきそれでもと立ち向かう仲間たち。

共に生きて進む愛する恋人。

心に決めた人類を守るという覚悟。


されど変わらない人類の劣勢。


「それでもさ・・・皆、ありがとね。」


今、男の中に雑念はない。

仲間を守る思いはあれど、未来をどうにかしようとは考えていない。

集中するは自身のするべきこと、化け物消滅までの時間稼ぎのみ。

共に散ってくれる仲間への感謝が


男は勝利の為の一手として地面に剣を突き立てる。


それを見た女は慌てて仲間に向かって叫んだ。


「総員!馬鹿が動く!衝撃に備えろ!」


男は剣を伝って地面に世界樹の力を開放する。

前回とは違って操作ではなく開放。

圧倒的な力の執行による強制的支配。

『敵の殲滅』という意志の元動くその力は男を中心とした地上を簡単に支配した。


本来、世界樹は自然そのもの。男の中にあるその存在も森林を操る絶対的王者。

故にその支配手段はとても単純だった。


地面から生える数多の樹木。

それが例外なく全ての敵の動きを止めた。

その上、出来るなら圧死、もしくは心臓を貫き大半の化け物を死滅。


「・・・っ!?今だ!全員!かかれぇぇぇ!!!」


異常な頑丈さと回復力を持つ化け物は生き残るが、流石は常識の範疇を超えた非日常を送る人類。

一瞬の驚愕はあったがすぐ意識を切り替え、殲滅に走り化け物たちを殺していく。


「よっしゃ!これなら全滅出来っ!?」


そして同様に樹木は人間たちも襲い始めた。


「う、うわァァァァァっ!?た、助けっ。」

「痛い痛い痛い痛い痛いイタいイタいイタいイタいイタいっ」

「来るな来るな来るな来るな来るなァァァァァ!!」


化け物は確実に死んでいる。

それはもう今までで犠牲になった人の分、その償いの如く大量に樹木の肥料となっている。

人類側としては多少の犠牲で化け物共が死ぬなら願ったり叶ったり。


「っ!」


しかし女からしたら、この最悪な樹木を操っているであろう男の元まで走り出すほどに、仲間が死んでいくのは見過ごせない。

男をこれ以上味方をも殺すどクズに成り下がらせるわけにはいかないからだ。


「ちっ、邪魔なっ!」


迫ってくる樹木を女は叩き斬ろうとする。

が、その硬さは伝説級。簡単なわけがない。

炎弾で燃やすことも、爆発で爆散させることもかなわないのだ。

とはいえ、立ち止まっては間に合わなくなる可能性がある。


「リーダーっ!俺たちが盾になる!行ってくれ!」


女の苦悩。事前に築いた力が、女に手を貸した。

斬ることは叶わない。

それならと仲間が使うのは己の肉体にハンマーや縄。


「・・・っ!馬鹿を止めてくる!総員!私を守れ!」

「「「「「「おぉっ!!!!!」」」」」」


駆け出した。死体を踏みしめ、小さな隙間を抜け、男のもとへと女は駆け抜けた。


「・・・っ!?」


だが樹木は立ちはだかる。巨大な隙間のない壁を作り出したのだ。

巨大なハンマーを振り回す大男がそれを遠目で確認し、女に向かって叫ぶ。


「飛べっ!」


何をする気なのか、それはわからない。

振り向く時間すら惜しい今、それを確認している暇もない。

けど、信頼する仲間の命令。

上司に向かって行動を指し示すのだ。

有効な手じゃない訳がない。

女は言われたとおり、ジャンプした。

すると下からハンマーが動く足場となって現れる。


それを見た脳は即座に次の最適手を導き出した。


「行っけぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェェ!!!」

「ウォォォォォぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


それは動く足場が流してくる衝撃を糧に、高くそびえる樹木の壁を飛び超す

、いわば女の筋力とハンマーの威力を使った飛行。

女は軽々とその壁を超えた。

しかし超えた先にあるのは高所からの自由落下。

でも女は運がいい。

目の前には樹木で縛られている巨人がいたため、持っていたワイヤーを使い振り子の原理でなんとか打撲程度で済ませることができた。


「ちっ、あの馬鹿は何処に・・・っ。」


だが打撲とはいえ高所からの落下。ダメージは相当なもの。

樹木が裂いた傷は悪化し、肩は骨が悲鳴を上げている。


持っていた回復薬を腕に打ち込み傷を回復させるが、数分の休息が必要。


それには男を見つけることが急務になる。

女は樹木が生い茂る中央へと急いで向かった。


「アイヤァァァァァァァァぁぁっ!!」

「ゼェリャァァァァァァァぁぁっ!!」


後方から響く仲間の怒声に地から伝わる武具による振動。

それらは痛む体を慰め、女が前に進む勇気と一発ぶん殴るという目的を与えてくれる。


約5分。


女は男のもとに辿り着くまでに数十人を犠牲にその短いとも言える時間を費やした。

故に苛立ちは最高潮。


「・・・っ!邪魔なんだよっ!私の道を・・・っ!遮ってんじゃ・・・ねぇっ!」


向かってくる樹木に限らず、道を阻む化け物たちは女の怒りの斬撃に切断もしくは破壊される。

理不尽な硬度を誇るものも女の集中力が導き出した、唯一の弱点を突く斬撃には逆らえない。


男を覆い隠す樹木の壁。


「セイヤァっッ!!」


全身全霊の一撃はかくも簡単に立ち憚る壁を斬り去った。


「・・・ハァ・・・ハァ・・・ハァ。」


そして見えたのは、血反吐を吐きながらも剣をなんとか握り続けようとする男の姿。

限界の到達点とでも言いたいのか、男の体に血の気はない。

病人の如く色素が薄く、気絶寸前なのか目の焦点が合っていなかった。


傍から見ただけでわかる男の深刻さ。


「遅いよ・・・流石に・・・辛いって。」


それでも弱々しくも女へと笑いかける様子に女は堪らず、側へと駆け寄った。


「馬鹿っ、勝手に突っ走るからっ!」


弱い脈、冷えた体に荒い呼吸。

何度も戦場を駆け巡り鍛え抜かれた女の観察力が本能にこのままじゃ危ないと告げる。

女は注射型の回復薬をバックパックから取り出し打ち込もうとした。


「・・・ごめん、即断即決じゃないと不安が拭い取れなかったから・・・仕方なかったんだ。」


しかしそれは男の手によって遮られる。

回復は言わば肉体的余裕の生成。

世界樹の操作による代償の再臨を意味し、回復すればその瞬間、ショック死レベルの激痛をまた味わう事になるのを男は知っていた。

故に死なないギリギリを己の能力を使用し、樹木の操作と共に並列で処理している。


汗水流すその様相が女に1分1秒無駄にできない現実を伝えた。


「・・・ふざけてるんじゃないわよね?」


怒気を孕んだその一言。

男は仲間を傷つけた罪悪感に襲われながらも、己の性分に逆らえず笑いながら返す。


「あれ?俺って真面目で勇敢なヒーローとして有名じゃなかった?」

「私の中では無茶無謀を考えなしに行う大馬鹿者よ。」


男は今にも膝から崩れ落ちそうなのをたえ、音に向かい右手を差し出す。


「ははは、違いない・・・僕はこの世で一番の・・・大馬鹿さ。」


男は思う。


自分が大馬鹿者なら君は何なのだろうか。

我儘、自分勝手、傍若無人を信念に七つの大罪を犯しながらの人生。

こんなの傍から見たら三流映画監督が作った都合のいい駄作と同様。

見るに耐えない、ゴミも同然だ。

今まで何度も捨てられた事実とこの人生の製作者が自分だけなのがいい証拠。


なのに君は一度も目を離さなかった。


嘲笑された記憶はある。罵詈雑言をぶつけられ、阿呆だと呆れられもしたいい思い出。

しかし記憶を遡るに、君は手放したことは一度もなかった。

邪魔しようとも、愚かと笑おうとも作り上げれば、君は必ず見てくれた。


今もそうだ。この愚作に君は愛も変わらず手を離さない。

1円の賞金も、誰からの称賛も、なんの価値もないというのに、ちゃんと向き合ってくれる。


「・・・だから助けてほしい。」


同じだ。

俺からしたら、そんな君は何一つ変わらない。

意地を無理矢理にでも貫き通す、愚行の自覚もない大馬鹿者。


だからわかる。


君は馬鹿だから投げ出すことを選択しない。

逃げれる事実に見向きもしない。

今まで積み上げてきた理由を成し遂げる。

いくら不幸の未来が待っていようとも、思い描いてきた夢を諦めない。


自分の前に来てくれたように。


「この手を・・・取って。」


男の予想は正しかった。

女は躊躇わず男の手を握る。一切の雑念なく、男と今を生きるためその手を取る。


途端、男は今まで記憶してきたもの全て、世界樹の力と共に流し込んだ。


それは痛みと同様。女の中に嵐の中で吹き荒れる風の如く、恐怖、不安、苦悩が示す男の人生の過酷さを胸の締め付けで伝える。

そして、その痛みを享受出来るほどの愛に溢れた、儚くも美しいすべての景色を伝え、女に示す。

力の使い道。

力の使い方。

力の使い所。


「・・・やっぱり・・・あんた馬鹿よ。」


男の全てを真の意味で知った女はぼやく。


女からしても男が作り上げるものすべて駄作。

手直ししてあげないと存在することすら許されない塵芥も同然。

見るに耐えないものだった。

女もそこには賛同した。

それでも目を離せなかったのはなぜか。理由はごく単純。


見ていたのがそんな駄作ではなく、男自身であったからだ。

もっと詳しく言うなら、男の自分のルールを曲げないその生き方に、女は惚れたのだ。


「この作戦、私前提じゃない。」


元々S気味で加虐心旺盛の女。

男の生き方を捻じ曲げ用とした事実は数多く、その全てが失敗していたことに腹を立てていた。

諦めることを知らない女はその度にその屈辱を胸に焼き付けた。

けどいつしかそんな悔しさは、命を賭けて毎日を生きる男を見て、ある疑問にが侵食されつつあった。


それは・・・『こいつはどんな最後を迎えるのか。』


意地を張った人間の最後なんて周りの人間からしたらあまりに寂しいもの。

一人ぼっちに死んでいく不幸そのものだった。

女の知る限りそんな者たちの自分に向ける最後の言葉は「こんなふうになるなよ」と自虐を込めた言葉ばかり。


「いい加減気づきなさい。」


けど男は違う。必ずと言っていいほど生き残り、毎日満足そうに泣きながら悲しんで、笑いながら楽しむ。

一日の終わりにはまるで赤子のように思い出を噛み締めるかの如く眠りにつく。


ここで女は理解した。男の生き方は自分とは覚悟が違うのだと。


人は、自分とは違うものに、時に畏怖し、時に憧れ、時に追いかける。


女は屈辱を糧に、男を知る事に全力を注いだ。


そして、今だ。


この瞬間に女のその願いは実現する。


「あんたは私がいないとだめなの。はぁ〜、なんで毎回私を突き放すかな〜。」


男の今までを、男のこれからを、男の終わり方を、先行視聴で知る事が出来たのだ。

男の作り上げた、最初で最後の最高傑作を、確かにその目で見る事ができたのだ。


女からしたら、大満足だった。もう死んでもいいほど満たされていた。


なのにまだ男は許さない。今までの仕返しの如く、女に対する愛を今まで思い積み上げた分、物理的に、ついでの癖して渡してくるのだ。


これには女も慌ただしくしている男に乙女の如く嬉しそうに笑いかける。


「ん?分かってるわよ、私が大事なのよね?私が好きだから、私を愛してるから。」

「・・・怒った?」


記憶が渡ったのを知っているため、男は包み隠さず尋ねるが、その顔には少しばかりの申し訳なさが残る。

女はそれに優しく諦めも入ったような表情をして返す。


「いいや、彼氏が命を賭けて尽くしてくれるなんて女冥利に尽きるからね。

怒りより、嬉しさのほうが強いわ。」

「それはそれは・・・少なからずも頑張ってきたかいがあったってものかな。」


安堵、女の心身ともに幸福を感じるその姿は男に少なからずも安らぎを与える。

それは思考の余裕を具現化した。


「まぁ、それがなくてもね・・・どうせこれが最後になるんだし・・・今が蔑ろにされるんじゃなかったらもうどうでもいいのよ。」

「・・・最後・・・」


女の言葉に何かに気づいたかなような反応を示す。

思い出を振り返っているのか空を見上げる男は呟いた。


「そっか、もうこれで・・・最後なんだ。」


男はある後悔がある。

それは考えた作戦が上手く行くにしろ、行かないにしろ、どの道男の元の目的、女の物理的救済が果たされないことだ。


それは今となっては、いくら思考を巡らそうと、先にあるのは失敗か妥協の2つの未来しかない事実。

思故に無駄の一言の尽き、張本人の女は勿論のこと、男には邪魔とも言える泥そのものだった。


けど、泥だからと男は流し落とさない。

なぜならそれは男にとってここまで突き動けた理由でもあったからだ。


この想いがあったからこそ、幸せな今があり、「人生」というタイトルの絵を描いてこれた。


だから本当は先にあるのが不幸であろうとも、この想いには答えたかった。

騙すでもいい、裏切るでもいい、見捨てることでもいい、どんな形であれ報いることがしたかった。


けど現実はそんな単純じゃない。


女の登場でもう不可能な手段であることが確定してしまっているから、もうどうしようもない。

この後悔は後悔のまま、終わる。


「結局・・・何を成せたんだろう。」


しかし、問題が一つだけあった。それは男の中でそれが別段悲しいわけではないことだ。


過去、後悔を発散出来ず抱えたまま生きる事は星の数ほどある。

そのどれもが終わらぬ痛みの連鎖。

故に男の中で救済や贖罪の糧となり、男は前を向き続けられていた。


だが今回は違う。


悔しくはあるものの、この結果に嬉しくなっている自分がいて、張本人の女自身がこれを望んでいることから、この結果に男は満足してしまったのだ。


とはいえ、これが後悔であることに変わりはない。

達成できなかった虚無感に襲われないわけではない。

でもどこか満たされている自分がいるからこそ、その心情は複雑で、男の呟きはその全てを表していた。


「・・・何も出来てないんじゃない?」


女は笑いながら問う。


「昔の人はいい事を言ったわ、世の中結果が全て。

本当、全くもってその通りよね?

結局、あんたは私を救えない。

結局、救えた数は犠牲の数に劣って、結局、最後にあるのは無様な死。

ほら、クソみたいな結果。

どうよ?身勝手を極めたこの人生、これでもまだ大層な夢抱ける?」


皮肉めいた冗談のよう。

でもそのどれもが一切の否定不可能な事実。変

わらぬ絶望で、変えられなかった最後を意味する。


だからそう問われて男は分かってしまった。


『理不尽なんて変えようとするだけ無駄。』なんだと。


ならばもう、一番簡単で労力の消費しない手段で対処しよう。

今までしてきた手段で最も楽なのを選び取る。


「はは・・・そうだ、そうだった。」


それは"開き直り"


言い方次第では逃げにも、弱みを見せないための強がりにも見られ、その後の行動次第で重荷にも、空へと羽ばたく羽にもなる万能の手段。


二人の経験からするとこれは精神面で間違いなくチート。

縛るものがない今、多少のずるさは感じれど、二人は今回も泥沼から抜け出すためにそれを活用する。


「俺はずっと我を通してきた!

世の悪人となんら変わらないほどに自分のわがままで何度も仲間を死なせ、結果得たのはたくさんの犠牲!」


自傷気味に自分を笑う男。

諦めの入ったその嘲笑は女に苦笑を誘う。


「・・・いい加減、俺達も良い歳なんだ。

もう・・・子供のような我儘はやめないといけない。」

「じゃあ、やらないの?この作戦。」


男が予め提示していた作戦は今まで通り、自己と他者の犠牲が付き物の、男の願望を叶えるためだけのもの。

女からしたらもう慣れが来て何とも思ってはいないが、勝手の一言に尽きるのは一目瞭然。

心を入れ替えた男。普通ならそんな作戦取りやめるに決まっている

けど女は知っていた。人間、在り方を変えたところで本質は変わらない。


男の性格を知り尽くしている女は挑発するように問いかける。


「いや、これで最後にする。」


やっぱりと苦笑するのは仕方がなかった。


「今更、やり方変えたところで結果は知れてる。

言っちゃえば、それはするだけ無駄ってやつさ。」


楽しそうに、それでいてちゃんと現実と向き合う辺りを見渡すその姿。


「なら最後は持ち合わせたものすべてで挑まないと。

慣れた方法で、得意な技で、勝算高いやり方で。

・・・俺はいつも通り、後先気にせず、好き勝手にやる。

ま、今回は史上最悪の悪友とも言える君がいるんから、もっとたちの悪いものになるんだろうけど。」


男の様子にもう迷いはなかった。

何をするにもまず挑戦。

男にいつもの調子が戻ったことに女は嬉しくなる。


「ふっ、他人任せも良いところね。」


女は最後の確認をした。

本当にそれでいいのかと。


「いいじゃん、みんな関係者だし。責任押し付けられるぐらいなんだから後始末ぐらい全部丸投げしたってバチは当たらないでしょ。」


男は答える。

それでいいんだと。結局それしかないんだと。


「それにフィナーレぐらいは好きなように演じたいからさ・・・。」


だから女に向かって、男は優しく微笑み手を差し出す。


「・・・手伝ってくれますか?」


それは握れば地獄、逃げれば天国の二択。


「いい笑顔して共犯になれってか、昔のピュアなあんたはどこに行ったのよ?」

「知らなかった?それは見せかけ、俺は元から極悪非道な殺人鬼なんだぜ?」


皮肉めいた自虐。

それは女を遠ざけるためか、それともただの冗談か。

女は最後の最後でも男の優しさに触れる。

それはいつも以上に、女の母性を刺激した。


「・・・なら、私にもあんたを止められなかった責任があるわね。

・・・了解、その覇道、一緒に歩んであげる。」


元々、答えの決まった選択問題。

女は表面上適当に理由をつけて選択する。


男はそれに、そこはかとなく悲しくなりながらも、諦めたように表情を崩す。


「・・・ありがとう、宜しくね。」


男の最後の作戦が今、始動する。

嬉しそうに微笑んで男は意識を手放した。

女はそれを両腕で優しく包み込み、腰につけたトランシーバーを手に取る。


「・・・各員、通達する。心して聞け。」


連絡先はともに戦ってくれている味方全員。


「私達は今までずっと、死の縁を進んできた。

一歩先が終焉か地獄の毎日。

無茶無謀って言われても仕方がなかったと思う。

でも、それでも・・・諸君が私を信じて付いてきてくれたこと、命を賭けて私の思想に賛成してくれたこと、嬉しく思う。

まずはそのことに感謝を述べよう。

・・・本当にありがとう。」


一方的な連絡。

二人の身を案じていた者たちは自分たちの声が届かないことに困惑を覚えた。


「だが諸君、まだ仕事は終わっていない。

君たちには最後にまた、死の縁を歩んでもらうことになる。」


同時に不安も覚えたが正直、彼らにとって理不尽は常。

静かに女の言葉を聞く。


「・・・これは最後の命令だ。悪いが拒否権はない。

前線を走る能力者の諸君、今から私達が化け物共を殺せる力を渡す。

だから・・・その力使って・・・敵を倒せ。

安全性は皆無。恐らく力の使用者のほぼは戦闘終了後戦士するだろう。

だから慈悲は持つな。今まで恨みを連ねよ。見定めるは敵の心臓のみ。

・・・何を賭しても・・・化け物を殲滅せよ。」


最前線を生きる者たちに命を捨てる恐怖はない。有るのは戦場で命を散らす覚悟のみ。

故に彼らは気づく。

女が指し示すのは彼らの望みを果たす唯一の近道であることを。


「非能力者諸君、君たちには後世を頼む。

悪いが私達は身勝手だ。勝手に世の中荒らして、勝手に死んでいく。

必ず平和はもたらすが、その後のことなんてさっぱりなんだ。

だから君たちには後始末を頼む。

人間らくし生きている君たちにしか頼めない最重要任務だ。

サボるなよ、諸君が私達の唯一の希望で間違いなかったと思える報告を私達はあの世で待っている。

・・・愛に生きろ・・・これは命令だ。」


女と親しい仲のものは女のこれが遺言であることを理解する。

一方的な連絡が変わらない現実であるのを知る。

だから黙って聞いた。

誰一人涙流さず、その言葉を耳に焼き付けた。


女は一滴と滴る涙を男の肩に顔を埋めることで拭い取る。

思った以上に遺言を伝える事は泣きたくなるらしい。

心は渦を巻くように思い出と共に感情を揺さぶった。


しかし時間に余裕はない。


男を抱き寄せ、女は最後の言葉を紡いだ。


「では諸君、健闘を祈る。」


男の作戦はごく単純。

『世界樹の樹木、神樹による化け物たちを殲滅。』

最初、男は傲慢にも自分一人で実行した。

その結果、数人の味方の犠牲が生まれる。

そして男自身も多大なるダメージを追うことになった。


・・・そう、神樹の存在はそれはあくまで世界と同様。


一つの法則そのものであり、人間が操れるものではない。

つまり現状、男一人では神樹を操作するのは不可能なのだ。

そこで男は考えた。


自分一人でだめなら力を分け与え、行使すれば作戦はうまく行くのではないか、と。


世界樹の力を分け与えるのは簡単だ。

元々、能力は世界樹によるもので無数に映える世界樹の根の先と同じ。

本人が耐えられるかは別にして、分け与えるだけなら特に苦労はない。


しかし、分け与えるための通り道が男には存在しなかった。


男の能力は再生。

それは入れ物としての役割を成すのに適した力。

機能はそれのみで、味方へ力を渡す物理的な関係を作るものではなかった。

このままで自滅は必須。


そんな時、男の目の前に一筋の光が射し込むように女が現れる。


それは解決策を導き出す答えとなった。


女の能力は幻惑。それはいわば他者の意識への介入であり、世界樹の通り道としては、幻惑による命令統一が可能な辺り最高の出来。


男はここで女の身を犠牲にする道を思いついてしまった。


あとは運命通り。


女は力を渡されたとき、その悲しみも一緒に自分の終わりを知り、それでも男といれるならとその運命を受け入れる。

そして現在・・・。

二人は自分の持てる全てを神樹の操作に任せて、意識を手放した。


「・・・これが・・・力。」


その瞬間のことを能力者は後にこう語る。


『夢を見た。』と。


化け物たちが思いのまま死んでいく姿は、まるで快楽が流れ込むようで、戦士たちを万能感で満たす。

麻薬に溺れるかのように活性化された欲望は、特有の浮遊感を生み、辺りを俯瞰する様な視界を作る。


人間たちに自分たちが神なんだと言う意識を作るぐらいのその現実。


そんな己の望みが願うがままに叶う瞬間は正に夢と言っても過言ではなかった。


「・・・ハハ・・・ハハハっ。」


その光景に戦士たちは勿論のこと、非能力者も堪らずに笑みをこぼす。


種としての敗者だった人類。

個体として不完全だった人類。

生物としての劣っていた人類。


化け物を前で死を続けた人類。


それがどうだ。男の力一つでそのすべてが逆転した。


逃げ惑う化け物達。

痛みか恐怖ゆえか、泣き叫ぶ化け物達。

存在を肉片へと形を変える化け物達。


全人類がこの光景を望んでいたことだが、その呆気なさに、その悲哀溢れる事実に、力なき非能力者達は愛する者の死を思い出し、自分を重ね、少なからずも同情の念を生んでいた。


しかし、いくら可哀想だからと、戦士たちの復讐を止めることはできない。

仲間が行う圧倒的な殺戮を・・・止めることなんてできない。


後を任された非能力者達が出来るのはただ、その楽園とも呼べるこの地獄を、忘れないために、目に焼き付けることだけだった。

そんな数十分間の夢。

その場にいた化け物たちが木の栄養と変わり果て、前線の能力者達が力の行使に限界を迎えたのか崩れ落ちるかのように倒れることでようやく終わりを迎えた。


「・・・。」


戦場を包む静寂。

それは生き残った人類に勝利を伝える。

大半の味方を犠牲にして得た勝利。

当然、それを喜ぶものはいなかった。


「全員、立て。」


戦士の中で生き残った一番階級の高い青年が部下たちに命令を下す。

任された仕事を遂げていない彼らに休む時間はない。


「下された任務、全うするぞ。」


道があれば進む。

彼らは武器を取り、血塗られた花畑を進む。


目的は残党狩り。


「全員・・・化け物共をこの世から・・・一匹残らず、殺し切れ!」


彼らに特殊な力はない。あるのは時間を犠牲にして手に入れた筋力と第六感、戦闘経験のみ。

だがそれだけで、今の彼らには充分だった。

今の自分には敵を討つ力がある。敵を討って良い大義名分がある。

彼らが己の欲のまま生きる障害なんてどこにも存在しなかった。


「ウォォぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!」


敵の殆どは瀕死の重体。

回復力も使い果たし、独自の特殊能力を使える体力は残ってはいなかった。

腕もちぎれ、羽には穴が空き、肉体には無数の傷がある中、一見この戦場は人間が強者として君臨しているようだが、やはり化け物は化け物。

いくら相対するのが力弱き人間とはいえ、重症でありながら接戦を繰り広げられるその強さはまさに化け物たらせるものだった。


殺すか殺されるか。


恐らく、この瞬間の戦場が、今までで一番、命の賭け引きを平等にしていた。




そんな銃声や怒声、悲鳴に咆哮が溢れる中・・・樹木に覆い隠されていた男の微睡んだ意識が朝、目覚めるように覚醒した。

腕には寝ているのか動かない女がいる。


「・・・終わった・・・?」


男は鉄のように硬く、重い体をなんとか動かし、戦争の行く末を見るため周囲を観察する。


力を行使した反動か、鈍くなっていた五感。

それが捉えたのはいつも通りの人類と他種族の殺し合い。


「・・・ないよな。」


死後硬直にも似た針金のような体は限界を迎え、強制的に地面に仰向きに倒れさす。

男はそれに逆らわず、視界を澄んだ青空で満たした。


「・・・変わんないや。」


男は聞いてくれなくても、隣にいる生涯をともにしようと誓った語りかける


「俺頑張ったんだぜ?」


男はあたりの戦場の惨状を確認し、ポツリと言葉を溢す。


「救えられる人は例外なく救ってきた。

必要のない犠牲はできうる限り減らした。

分かり合えるように言葉だって敵味方関係なく交わしてきた。」


それは紛れもない本音。

叶うことないと期待していなかったけど、そうなればいいと目標にしていた願いに対する結果を考慮した愚痴。


「その結果がこれだ。くたばることも出来ずに仲間の死を眺めてる。」


普段ならまず有り得ない。

弱音を自分から吐いて、洪水の如く泣くなんてまず考えられないです。


けど、現状を認識したらそれは仕方のないことだった。


「・・・その上、得たのは恋人の死だけだ。」


だって男の腕の中で眠っている女は、ただ死んでいるだけなのだから。


「フハ・・・・ハハハハハ・・・アーッハッハッハっはっハッハッハっ!」


女の死、それは男を男とたらしめる土台の崩壊を招く。

呼吸をしない喉、鼓動を鳴らさない心臓。

それは男の中の忍耐という軸を壊し、ダムとのように堰き止めていた感情を外に流し出す。


「・・・起きてくれよ。」


男に力を振り絞る物理的余力はもう存在しない。

それは最愛の人を抱き締めることを認めず、女を現実へ戻すための治療を施すのがことを許さなかった。

そんな現実は、実質、男に現状を認めること以外の一切では救われない事実を突きつけていた。


「・・・頼むから、起きろよ。」


涙腺のダムも崩壊し始める。涙は洪水の如く流れ落ちるのが止まらない。

澄んだ青空とは対象的に、この瞬間の男の心情は暗く、重く、辛く、苦しい絶望に相応しい色に染まりきっていた。


「なに、寝てんのさ・・・・起きてくれよ・・・なぁっ!」


腕から感じる彼女の温度はもう生者のそれではない。

男の呼びかけなんて届くはずがない。


「一緒に死んでくれるんじゃないのかよ!俺はまだ生きてるぞ!俺はたまだ・・・生きてるんだぞっ!」


弱々しくも怒気の孕んだ咆哮。

それはまさに駄々をこねる子供のよう。


「なんでっ・・・なんで、なんでぇっ!」


男は初めて自分の能力を恨む。

再生は便利だ。

身体的限界を軽々と超えさせてくれる。

様々な細かい願いを叶えることで男はその恩恵を受けていた。


でも今は違う。

この能力のせいで願いは叶わなかった。


いや、男は理解していた。・・・願いはちゃんとかなっている。

それは『生きたい』という点で。

足りなかったのは『二人で』、言わば女の生のみ。


男には分かっていたことだが、能力は万能じゃない。便利ではあるが全知全能では勿論ない。


この結果は、能力に溺れた男に相応しい、一番似合っている度し難い末路だった。


「くそ・・・くそ、くそっ!」


男は過去を変える力を求める。

絶対にしないと決めていた失敗。

男はどうしてもそれを消すため、理想や妄想であっても神に縋りつく。


しかし、世界はあり得ないほど平等だった。


男の罪はまさしく一人殺せば犯罪者、百万殺せば英雄のよう。

積んできた徳に、行った悪行。

総合的に考えれば質的にも量的にも悪行のほうが酷く、詳細を言えば男の積んだ得の殆どはただ周りが美化した悪行に過ぎなかった。


故にこの結果はその悪行に対する罰も同然。


それどころか、取り返しのつかない失敗で済ませるあたり、神は男の誠実さを考慮し温情を与えていた。


しかしそんなのは男に伝わるわけがない。


「嗚呼アアアアアアあああァァァァァぁぁァァァァッヅ!!!!」


男の感情の全ては怒りに変換される。

その矛先は神という空想上の存在に向かう。

行き場のない咆哮は、あまりに可哀想なものだった。


「・・・・。」


男は時間が進むに連れ、冷静さを取り戻す。


「・・・。」


故に男は気がついた。

もう自分の心が、こう囁いていることに。


「・・・消えよう。」


神様は男にとことん甘かったらしい。

これは最後の慈悲なのだろう。


動かなかった男の体は、微力ながらも能力のおかげか回復を果たしていた。


立つことまではできないが、男はなんとか自分の上半身を起こす。


「・・・。」


周りには死にゆく仲間と肉片となる敵。


「・・・。」


男はそれを嘲笑するように不敵に笑いとばしたかと思えば、自分の胸に死んだ女を抱き寄せる。

そして何を思ったか、すぐそばに刺し立てられていた剣を右手に持った。


「・・・クソ喰らえ。」


最後には、女の心臓ごと、自分の腹を剣で穿いて、慈悲を与えてくださった神へ、最高最悪の冒涜を躊躇なく犯しきった。








その日、世界から化け物が消えた。


男の死が世界の素軸となっていた世界樹の消失と同じ意味を現実にもたらしたのだ。


おかげで人類はある種の平穏を手に入れる。


生死に関して、もう圧倒的理不尽に襲われることはなくなったと信じていいだろう。


しかし、生き残った者は誰一人として・・・安堵のため息をつくことはなかった。


戦争は間違いなく幕を閉じている。

終わりの夜が来ないのも、過ぎていく時間が証明してくれているのだから、生き残った者は安心を信じるしかない。


けどそれと同時に、過ぎていく時間は人類に教えていたのだ。


『失ったものはもう戻らない。』


この安心を得るために払った多大なる犠牲。

それは人々の心に治らない傷を残す。

過ちの恐怖が鮮明に脳裏に残っているのだ。


故に人々は平穏の中を生きようとも気を抜くことはできなかった。


心の静寂なんて得れるはずがなかったのだ。


だが、今を生きているのはその世界で生存している者たちのみ。


いくら文句を吐き散らかそうとも、未来は確実に訪れる。


成長し、嫌でも前に進み出す。


人類の根っこに住み着いた想い、『幸福の成就』。


人類はそれを疑うことなく、達成を目指して、努力を始めた。


結果、世界では数多の命の息吹が出現し始める。


数十年もすぎれば、人々は恨みを忘れ始めており、幸福の成就はその瞬間、少なからずも達成できていた。


化け物の消失はこの結果だけを見れば、上出来なものだっただろう。


つまり二人の死は有益で、人類にとって必然なものだったのだ。


人類はそれを感謝しながら享受する。


恨み辛みを忘却の彼方へと消し、未来ある子供達が辺りを幸福で満たし続ける。


人類は甘い蜜の中を味わい泳ぎ続けていた。


男の死後、戦地の中央で、幸か不幸か、世界を改変する新たな芽が根を張っているとも知らぬまま。


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