死人の国
暗闇の中、和仁は目を覚ました。
「あれ..ここは...?」
自殺を決行した記憶はあるのだが、これはどういうことなのだろうか。あの後誰かに助けられたと考えるのが妥当だろう。もし死後の世界だとしたら、生命活動と自意識は連続したものではないということになる。今までなにもしてこなかった自分が、どんな偉大な科学者、哲学者によっても解けなかった難問を身をもって解いたことになる。何もせず死んで、それによって前人未到の偉業を達成するという何とも皮肉な構図が完成する。
「死後の世界、なんて存在しないか。まだこの生き地獄が続くのかよ。」
そんなことを考えていると、かすかに足音が聞こえた。
「村田和仁さんですね?」
女性の声だった。年は二、三十代だろうか。とても耳心地のいい、綺麗な声音だと思った。
「今の状況は理解できますか?」
暗闇の中であるため、女性の姿は視認できない。
「い、いえ。私は死のうとしたあと、誰かに助けられたのでしょうか。」
和仁は戸惑いながらもそう返した。
「いやいや、あなたは紛れもなく死にましたよ。ここは俗に言う、あの世、というやつです。」
「ん...?」
女性の言うことを認識するのにまず数十秒かかり、認識してからも何を言っているのかよく分からなかった。少し前に自分で考えていた突拍子もないことが他人の口から出ると、ふと我に返り、信じられないものである。さらに数分かかって、
「わけのわからない冗談はやめてください。未遂とはいえ死のうとした人間にかける言葉はそれではないでしょう。」
「確かに、そうかもしれませんね。謝罪します。お辛かったでしょう。ですが、今言ったことは事実です。あなたは確かに死にました。ここがあの世であることは間違いです。厳密に言うなら、あなた方の言う現世とあの世の境目でしょうか。」
「ど、どういうことですか?」
「ここであなたは選択するんです。一つは、これまでの記憶を捨てて全く新しい生を受けること。この場合、あなたは転生という形になり、新しい命を授かります。別の生命の自我として生まれ変わる、という言い方もできます。こちらの注意は、次に生まれ変わるのが人間とは限らない、ということです。”我々”からすると、あなた方人間も、動物も虫も植物も同列なのですけれど、あなた方人間はどうも自分たちを高次存在としてとらえている節があります。ですから、一応伝えておきました。もう一つの選択肢は、記憶を持ったまま新しい世界で生活することです。”死人の国”へと赴き、第二の人生を歩むのです。こちらの注意としては、なんといっても記憶を引き継いでしまうことです。普通、人に限らず生命が死ねば、今言った前者となり、転生して新たに生を受けます。このように二択を迫られているあなたたちは、生前に未練があるのです。そういった死に方をした人の多くは、生前でひどい経験をした人です。新しい世界といえど、その記憶を保持したまま生きていくのは苦しいことでしょう。ですが未練があることもまた事実です。そのため、今あなたに選択をゆだねています。後者に関してはもう一つ注意がありますが、長くなるのでいったん割愛します。状況の説明としてはひとまず終わりました。」
和仁はしばらく口を開くことはできなかった。なにより、信じられない情報が錯綜していたから。そして、その情報を整理したとて、すぐに結論がでるようなものでもなかったからだ。
(”死人の国”?そんなものが本当に存在するのか?だが、口振りからしてだましているようにも思えないし、設定も詳細すぎる。これはどういうことなんだ。)
(もし仮に、”死人の国”が存在するとして、俺はそこに行くのか?あんな怖い体験をして??正直、これからまともに人と接していく自信がない...)
そんな思考を、和仁はずっと繰り返していた。それは一分二分といった短い時間だったかもしれないし、はたまた数時間にもなる熟考だったかもしれない。
「ずいぶんと、お悩みのようですね。」
突然、女性が声を発した。
「村林さん、あなたがここに来たということは、前世でなにか後悔があったということです。実際に言葉にすれば頭が整理されることもありますから、私に話してみませんか?」
和仁は、特になにも考えぬまま、女性に話し始めた。ある政治家の殺害現場を目撃してしまったこと、それによって冤罪を着せられたこと、そしてなにも頼ることができずに自殺したこと...
そうしているうちに、自身が死に際に感じていた感情を思い出した。
「そうだ、なぜ俺は何もしていないのに死ななければならなかったんだ。まだ何も成し遂げていないのに...」
この時、和仁は自分の人生に後悔があったのだと気づいた。
(まだ、俺は何もしていない。このまま植物とかになる可能性があるなら、人としてもう一度やり直したい!)
「”死人の国”へ、行かせてくれ...」
「そうですか。分かりました。ですが最後に、”死人の国”についてもう一つ知っておかなければなりません。」