日常の突然の幕切れ
「暑い...」
都内に住む大学生、村林和仁は、そう言って家のドアを開けて外に出た。よく飲んでいる清涼飲料水がいつの間にか切れていて、買い出しに行かねばならなかったからだ。季節は夏であり、猛暑日が続く中、セミ達が自分の生きた証明を残そうと必死に鳴いている。純粋な暑さと煩わしいセミの声から逃れるように、日中の人通りは他の季節に比べて比較的少ないように思える。そんな街中を歩いていると、人だかりができているのを見つけた。
「今こそ東京は生まれ変わる時です!どうか、この柳原文康に清き一票をよろしくお願いいたします!!」
学校のない日は基本家に引きこもっている和仁は知る由も無かったが、今は都知事選の真っ最中である。与党の名が入ったトラックの上に乗り、一人の男が演説を行っていた。40過ぎぐらいだろうか。精悍な顔立ちで、体格もしっかりしている。
「この選挙、柳原が立候補してたのかよ」
柳原文康。政界に大きな権力をもつ柳原家の次期党首であり、つい先日まで総務大臣を務めていた。若手ながら、いや、若手だからこそか、革新的な政策を打ち出したことで一躍有名になった。就任した当時には社会問題になっていた介護福祉問題を、「柳原改革」と呼ばれる一連の改革で一定の収束に導いたことは日本はもちろんのこと、世界からも高い評価を得ている。将来は総理大臣として日本を主導していくと期待が高まっているが、その前に都知事の候補者として出馬しているとは、ネットニュースですらあまり見ない和仁は知らなかった。
「まあ、誰が当選しても俺には関係ないか」
鬱陶しそうにそう言って和仁は人だかりから離れ、目的のスーパーへ向かった。コンビニならここに来る途中にもあったのだが、箱買いするならスーパーへ行くしかないのだ。あと、スーパーの方が基本的に安い。バイトもせずに親の仕送りだけでダラダラ生活している和仁にとって、このようなこまめな節約は必須だ。
そんなこんなで目的の飲み物を手に入れた和仁は、今なお終わっていないであろう演説を思い出し、またあそこを通るのもなんかなーと思い、迂回して帰宅した。
その夜、和仁はまた外出していた。
「ブドウ買わねーとなー」
引きこもっていて、ソシャゲを結構回している和仁は、最近ハマっているゲームのイベントを乗り切るため、課金が必要だった。簡単に課金する方法がコンビニでそれ用のコードを購入することだが、そのコードが記されている商品にブドウのロゴがドデカく印字されていることから、課金する=ブドウを買うというスラングが成立していた。
近場のコンビニへは路地裏を通って行った方が早い。入り組んでいるうえに、夜のため明かりもほとんどなく、地元民ぐらいしか使わないだろう。そんな路地裏で、和仁は不振な動きをする男を見つけた。焦った様子で誰かを探しているようだ。あまりに気になったため、和仁は月明かりの中、目を凝らしてその男の顔を見てみると、
(柳原文康!!なぜこんなところにいるんだ...)
だが、さらに驚くべきことが起こった。和仁の後ろから誰かが飛び出し、柳原を刃物で刺したのだ。脈を切ったのか、少し離れていた和仁にも血しぶきがかかる。
「え...?」
柳原の絶叫が響く中、和仁は呆然としていた。そうしている間にも柳原を刺した何者かは走り去っていく。少年のようにも見えるし、老人のようにも見える。あまりのことに理解が頭に追いついていなかった。
「おい、そこのお前。なにしてる!!!」
悲鳴を聞きつけやってきた住人が懐中電灯の光を和仁に当てそう言う。照らし出された和仁の姿は血をまとい、現場の加害者のそれであった。
「え.....??」