3-7・妖精との遭遇
翌朝から、セリはいつも通りに過ごしている。
医療従事者の資格試験の勉強をし、紙束を読み、子供たちの世話をする毎日だ。
それでも、いつか子供たちに妖精という奇跡を見せることが出来る機会は狙っていた。
セリの担当である子供たちは全部で五人。
いずれも原因不明、治療が出来ない病といわれている。
時期はそれぞれだが多くは幼くして発症し、身体の不調が続き、だんだんと自由に動けなくなっていく。
そしてほとんどが成人前には命を落とすという病気だ。
一番年長である少女は十二歳。
入院して二年目。 だんだんと神経質になり、精神が不安定になってきている。
「おはようございます」
セリが病室に入ると、少女は相変わらず付き添い人に対して暴言を吐いていた。
「いい加減にしてよ!、出てって」
何が気に障ったのだろう。
それも分からず困惑した表情のまま、その女性が謝罪している。
「申し訳ありませんでした」
少女の家から派遣されている付き添いの女性だが、そのまま部屋を出て行った。
セリはため息を吐いて、その後姿を見送った。
セリが部屋にいるのを見て、少女が不機嫌そうに顔を逸らす。
「分かってるわよ、ただの八つ当たりだって」
「ならいいのよ。 でももう少し考えてね」
いつも世話をしているセリには本音がちらりと漏れる。
付き添い人は少女の家の使用人だから、上下関係がはっきりしていて弱みは見せられないという。
上流階級というのは難しいなとセリは思う。
だけど、それでも他人に対する礼儀は必要だ。
「子供だからって、いつまでもわがままは通らないんじゃないかな」
「いいのよ。 どうせ私はもう家には戻れないもの」
「またそんなこと言って」
死ぬことばかりを考えている少女に、セリはもっと将来のことを考えて欲しいと願っていた。
「絶対に治らないわけじゃないのよ」
不治の病といわれてはいるが、奇跡的に生き延びて普通の大人になった子供もわずかにいるのだ。
もし、わがままなお嬢様のまま大人になったら、嫁の貰い手とか苦労しそうである。
「そうね。 じゃあ、あなたが妖精にでも頼んでみてよ」
いるはずがないけどね、と少女はふいっと窓の外に視線を移した。
セリには、窓に映る彼女の顔は何もかも諦めているようで、実はまだ希望を捨てていないように見える。
その後、少女の付き添い人は戻らなかった。
何かあったのかと実家のほうにも連絡を入れたが、不明だということだった。
「付き添い人になって、まだ日が浅かった者だ。
おそらく娘の癇癪に耐え切れなかったのだろう」
親までそんなことを言って、今夜だけ病院側で何とかしてくれということになった。
夜間の付き添いといっても特に何かするわけでもない。
少女は身体の自由が利かないので、お手洗いにも補助が必要ではあるが。
「私なら昼間にお世話もしていますから大丈夫です」
セリは夜間の付き添いの代わりを申し出た。
「構わないけど、明日もそのまま仕事になるわよ?」
上司からは夜勤明けでも翌日の仕事はそのままだと言われたが、セリは頷いた。
「構いません。 今は特に何もしていませんから」
色々とあって、セリは今、資格試験の勉強と子供たちの世話しかしていない。
最悪、疲れてどうしようもなくなったら、勉強だと言って別室で休もうと考えていた。
セリは「とりあえず、今夜だ」と準備をする。
「知ってる?。 今日は満月なのよ」
パチッと片目をつぶって見せるセリに、少女は胡乱気な顔を向ける。
「それがどうしたっていうのよ」
「ふふっ、それは夜になってからのお楽しみ」
偶然にも訪れた絶好の機会に、セリは運命的なものを感じていた。
「きっとうまくいくわ」
セリは小さく拳を握りしめて気合を入れた。
夜になり、最年長の少女の部屋に泊まる。
個室で、患者用寝台の他に付き添い人用の寝台がある部屋だ。
さすが名家のお嬢様の個室。
セリの自宅の部屋よりも倍くらい広い。
付き添い人の部屋が分かれていないのは、病人にはどんな小さな変化も見逃せないからである。
「はあ、付き添い人用なのに寝具もふわふわだあ」
セリは自分の物よりも高級な枕にうれしそうに頬ずりした。
「はあ。 ちょっと、セリ。 なに喜んでるのよ」
不機嫌なご令嬢はセリが楽しそうなのが気に入らないようだ。
「だって。 本当にわくわくしてるんだもの」
自分より年下の少女に、今は患者と医療関係者としてではなく、友人のように接する。
「月夜なのよ。 きっとイイコトがあるわ」
そう言って、二人で窓の外を見る。
病院の建物は三階建てだが、セリの担当の病室は別棟の一階だ。
体力が無い子供たちに配慮されている。
部屋の照明をすべて落とすと、窓からまるで昼間のように明るい月の光が射し込んだ。
セリは『ウエストエンド』の荒野の大きな月を思い出していた。
「あちらも同じ月夜なのかしら」
遠く離れた地でも、今、セントラルで見ている空と同じなのだろうか。
イコガの白い髪、透き通るような青い瞳。
抱き締められた感触、暖かさ。
正直、唇が触れ合ったことは曖昧な記憶でしかない。
夢だったと言われたら「そうかな」と思うくらいに。
思い出に浸り、顔をほんのり赤くしているセリに少女が声をかける。
「もう寝るわよ、私」
「あ、うん。 その時になったら起こすからね」
「えー」
妖精など現れないと思いながらも少女はしぶしぶ頷いた。
病院の庭、深い木々の上に月が姿を現す。
深夜、セリはカーテンを開けた窓からしっかり空を見ていた。
「そろそろいいかしら」
四葉のクローバーを取り出し、そっと頭に乗せた。
じっと庭の奥、木々の深い場所を見つめる。
「あ、あれかな」
闇の中に小さな光が見える。
「でも、動いてないわ」
『ウエストエンド』で元気に飛び回っていた光とだいぶ違う。
セリは、もっとよく見ようと窓を開けた。
ひゅうっと入り込んだ夜風に少女が目を覚ます。
「なあにー」
セリは他の誰かに気付かれないように、黙ってそれを指差した。
少女もさすがに深夜だと気付いて口を閉ざし、セリが指差すほうを見た。
「あれが?」
小さな声で疑わしそうに訊く。
「分からないわ。 でも、もしそうなら」
セリは少女の手を取って、イコガに教わった通りに手のひらを上にして握る。
「いい?。 手に魔力を集めるのよ」
「えー、やったことないわよ」
この国の貴族などの上流階級には魔力持ちが多い。
一定の年齢になれば魔力検査はあるが、それまでは分からないのである。
セリはこの少女にも魔力があるはずだと思っていた。
「じゃあ、私が少し流してみるわ。
それを感じたら、自分の中で探してみて」
少女は頷き、目を閉じた。
しばらくして、セリの魔力と違う魔力が少女の手のひらで光る。
「やったわー」
慌てて二人で口を押さえ、周りを伺う。
ほっと息を吐いて、その手のひらの魔力を外から見えるように窓に近づけた。
セリが思っていたより少女の魔力が高く、手のひらの光は強く輝いていた。
二人はじっと外の様子を伺う。
「あ、動いた」
フワリと動いた妖精らしい光がこちらに向かって来る。
「な、なにあれ。 怖い」
少女の手が震えている。
セリはしっかりと少女の手を握った。
フワフワとした小さな光が、やがて窓の側まで来た。
セリにとって、一つの賭けである。
「しっかりと見てね」
少女の寝台に一番近い窓が開いている。
クローバーを髪に差した少女が恐る恐る窓に向かって、集めた魔力を差し出す。
それは、『ウエストエンド』でセリが見たモノより、はるかに小さかった。
まるでヨロヨロといった感じで窓から入って来る。
そして、少女の手のひらにちょこんと乗った。
セリは、目を見開き固まっている少女を見守る。
「何か話しかけてきた?」
セリの言葉に少女はこくこくと頷いた。
「魔力、もらって良いかって」
そう言っているらしい。
「少しだけならって言ってみて」
少女がセリに言われた通り伝えると、しばらくの間、チカチカと点滅した。
そして、満足したのか、再び舞い上がり、窓から出て行った。
さっきよりずっと動きが良くなっていた。
「どんな姿をしてた?」
妖精を見送りながら、セリは少女に訊いた。
「とっても神秘的な……女神様みたいな姿だった」
それが彼女がずっと思っていた妖精の姿。
怖がっていたわけじゃないと分かり、 セリは安心した。