3-3・空を飛ぶ心
その日、イコガは王宮前で待ち伏せしていたアゼルに捕獲されていた。
出た後なら逃げ切れただろうが、入る直前だ。
しかも、そのまま二人で謁見室に行く羽目になった。
型通りの儀式を終えて退室後、そのままアゼルと共に軍部の訓練所にある寮に来ている。
寮の自室でアゼルが取り出した紙束を渡すと、イコガは目を丸くしていた。
「これを、セリが?」
きちんと閉じられた紙束は、よく整理されていて均一になっている。
見やすく柔らかい女性の文字。
イコガは「これがセリの書いた文字か」と感心して見ていた。
「コーガ。 そんなデレっとした顔で見てないでさ」
「む」
照れ隠しなのか、イコガは少し表情を険しくした。
アゼルは急に休みを取ったため、寮には今、ほとんど人はいない。
「それ、どうする?」
「どうするとは?」
パラパラと眺めていたイコガが紙束から顔を上げた。
「返事が必要みたいだけど」
「ああ」
おそらく、セリの質問は今回だけでは終わりそうにもない。
厄介ではあるが、イコガは心のどこかでセリとの繋がりがうれしかった。
「一度読んでみる。 返事は、後日考える」
「分かった。 その時は連絡をくれれば仲介するよ」
イコガは嫌そうにため息を吐いた。
出来るなら弟は巻き込みたくはない。
しかし他に手がないのも確かだった。
「よろしく頼む」
そう言って立ち上がり、部屋から出る。
アゼルが「送る」と言ってついてきた。
駅の広場まで来ると、イコガはいつもの飲食店で茶葉を購入する。
その間、アゼルは外のテーブルに座って待っていた。
ぼんやりと駅に出入りする人波を見ていると、イコガが駅に向かって歩いている背中が見えた。
「酷い!、ちょっと待って」
アゼルは慌てて追いかけた。
ウエストに向かう汽車の発車まで、そんなに時間の余裕はない。
「いつもならもっとゆっくりしていくのに」
イコガは今まで夕方過ぎのウエスト行きに乗ることが多かった。
アゼルが文句を言うとイコガは唇を引き結んだ。
「すまん、ちょっと用事があるから」
それは言い訳にしか聞こえなかった。
夕方の時刻になるとセリが広場に姿を見せることがあるからだろう。
「そんなにセリに会うのが嫌なのか?」
並んで駅に向かいながらアゼルは心配そうにイコガを見る。
「彼女はまだ若い」
「俺と同期だ」
アゼルはイコガの言葉にかぶせるように返した。
本当のアゼルの年齢は二十一歳だ。
だが、『ウエストエンド争乱』を連想させない為に公表されていない。
子供の頃は家庭教師付きで外に出る事もなかったし、父親似の体格の良さもあって不審がられることは無い。
まあ、貴族家では占いや縁起を担ぎ、子供の出生など誤魔化す者は多かった。
イコガはさらにアゼルより一つ上なので、セリとは実年齢が四つほど離れている。
「もう彼女は一人前の大人の女性だよ」
学生時代は特にセリとの付き合いはなかったアゼルだが、イコガのせいで卒業しても付き合いが続いている。
「あの土地は若い女性には向かない」
彼女はセントラルで生きて、やがて誰かと結婚して、幸せになるだろう。
それでいい。
「コーガ、本当にそれでいいのか?」
「当たり前だ」
イコガにはそれを止める理由などない。
汽車が駅のホームに停まっている。
イコガは一旦貨物車両に向かい、割符を出して荷物を確認する。
王家からと、侯爵家からの支援物資が乗せられていた。
「またな」
アゼルの肩をポンっと叩いて、イコガは客車に乗る。
「久しぶりに話せてよかったよ」
笑顔のイコガにアゼルは少し腹立たしさを覚えた。
もしかしたら、それは何も出来ないアゼル自身になのかもしれない。
汽車がセントラルから離れると、イコガはセリの書いた紙束を読んでいた。
ずっとずっと、時にはニヤニヤしたり、時には難しい顔をしたり。
いつもは寝ているだけの時間を退屈せずに過ごしたのである。
セントラルに限らず、街中の通信はほとんどが手紙である。
近ければそこら辺の子供に頼むこともあるが、だいたいは専用の配達人に頼んで届けてもらう。
これが遠距離となると音声通信網が活躍する。
その都市の駅ごとに魔法局の通信施設があり、一部魔道具を使って送受信が行われている。
「アゼル様、通信文です」
「ありがとう」
ある夜、寮に戻ったところで受付から文を受け取る。
「コーガか。 へえ、珍しいな」
着替えを済ませ、寝台に寝転がって文を広げる。
しばらく無言で読んでいたアゼルがため息と共に立ち上がった。
「まったく人使いが荒いな」
次の休みに、アゼルは国の魔法局に向かった。
受付で待っていると、壮年の眼鏡をかけた男性が通りかかり声を掛けてきた。
「おや、アゼル殿ではないか」
「局長様、お久しぶりです」
同じ侯爵位である魔法局局長とは子供の頃からの顔見知りだ。
「お話なら私がお聞きしよう」
「あ、いや、そんな、お忙しいのにお手を煩わせるなど」
「いいから、こちらへどうぞ」
半ば強引に局長室へと連れて行かれた。
「ほうほう。 それでは『ウエストエンド』に直接、通信文を送りたいと」
「ええ。 こちらなら、それに耐え得る魔道具があると伺いまして」
遠距離間の通信文の話だったのだが、やはり相手は局長。
強者である。
アゼルはあっさり『ウエストエンド』の地名を出さなければならなかった。
現在、『ウエストエンド』向けの通信文はウエスト駅を通して行われている。
そこから先は一日に二往復しかない汽車で運転士が届けているのだ。
「手紙のやり取りを何度か繰り返す予定でしてー」
「ほうほう。 それは何かの必要があってですかな」
局長の眼鏡がきらりと光る。
アゼルは人払いを頼み、局長は念のためにと魔法防御まで発動してくれた。
こほん、と一つ咳をしてアゼルは局長に顔を寄せる。
アゼルの侯爵家が『ウエストエンド』の領主と親密であることは上層部なら知っている。
「実は恋文なんですよ」
遠距離恋愛なのだと、アゼルは話を盛りあげていく。
「ふうむ。 なるほどなるほど」
だが、局長のほうはあまり興味がなさそうである。
彼は軍部局に勤めるアゼルから、もっときな臭い話が出るのではと期待していたようだ。
「よろしいでしょう。 魔鳥便をお出ししますよ」
「ありがたいです」
アゼルは思い通りの答えを手に入れ、心の中でホッとしていた。
セントラルと辺境地の間を飛ぶ魔鳥便は、最近では滅多に使われない。
アゼルは何とか、それを利用するための許可を手に入れたのだ。
必要な時にアゼル家の家紋を付けた荷物を魔法局へ持ち込み、専用の魔鳥にと渡すだけで良い。
これでいつでもイコガとセリの間の通信文だけでなく、小さな荷物も引き受けられる。
翌日、アゼルは『ウエストエンド』の領主へと通信文を入れた紋章入りの箱を持ち込む。
魔鳥は故郷である『ウエストエンド』まで、一気に飛んで行った。
魔力がある限り全力で飛ぶため、汽車よりは早い。
「早ければ明日の早朝、遅くても明日の夕刻までには着くでしょう」
魔法局でも危険な物が入っていないかの検査はある。
だが、イコガとセリの間で交わされるのは紙束だ。
「どうせ検閲されたとしても、恋文だしな」
アゼルはニタリと微笑む。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『ウエストエンド』で通信文を受け取ったイコガは頭を抱えていた。
「恋文なんて無理だ」
確かに、セリとの紙束の交換が続きそうだから、アゼルに魔鳥便が使えないかと打診した。
それがどうして恋文を送るという事になるのか。
「魔鳥便なんて高価なものを使うからでしょ」
通信文を受け取る係である少年執事はため息を吐いた。
セントラルの魔法局では必ず検閲があるはずだ。
「ただの受け答えの文書だぞ」
「内容が問題なんですよ」
ロクローはざっと目を通させてもらった。
「『妖精、魔物の発見方法と使用出来る魔法について』
これ、下手すると軍事機密ですよ」
「そうかなあ」
ロクローはダメ領主に呆れ顔だ。
「つまり、それを誤魔化すために、検査員が見る最初の紙に関係のない文章を入れろって事でしょ」
「それがなんで恋文……」
「男女でやり取りするからじゃないですか」
それが一番怪しまれない。
「分かった。 何とかする」
イコガは病室の寝台で、久しぶりに領地のこと以外で頭を悩ませていた。