3-2・アゼルの悩み
セリは子供たちに妖精の本を読んでから、ずっと考えていた。
「ダメもとで訊いてみようかな」
妖精ってどんな力を持っているんだろう。
セリは気になって、時々眠れない夜がある。
卒業して一年経ったが、アゼルとはお茶飲み友達を継続していた。
「やあ、セリ」
「こんにちは、アゼル様」
アゼルはため息を吐く。
「そろそろ様付けは止めないか、茶飲み友達だろ?」
「だからこそ、きちんとした対応が必要なんです」
いつ何時イコガに出会うとも限らないのだ。
その時にアゼルと必要以上に仲良くなっていると誤解されたくない。
やさしい兄である彼のことだ。
アゼルのために身を引く、なんてことになりかねない。
まあ、その前にイコガにとって、セリはどうでもいい存在だろうけれど。
それは考えないようにしている。
「勤め先でもアゼル様のことが話題になってます」
庶民の娘が貴族の未婚男性と気安く話すことなど、本来ならあってはならない。
「先輩方にアゼル様情報を提供することで何とか被害は免れていますが」
いくらセリでも、いわれの無いの嫌がらせは御免である。
「へっ」
アゼルは自分の情報が意外なところで暴露されていることを初めて知った。
「大丈夫です。
コガとのことは一切、出していませんし、学生の頃の愉快な失敗談くらいですから」
アゼルは頭を抱えた。
「悪いけど、もう無いってことにして欲しい」
「ええ、いいですよ。
じゃあ、一つだけお願いしてもいいでしょうか」
「ああ、もちろん、何でも言ってくれ」
セリは未来の侯爵様にちゃっかりと頼み事をする。
「今度コガに会うことがあったら、これを渡してもらえませんか」
取り出したのは、学生時代に使っていたメモ用の紙束の残りである。
アゼルが承諾を得てパラパラと中身を見ると、数枚に渡り、考察と質問が書かれていた。
「これ……」
セリはシッというふうに唇に指を立てて、アゼルを黙らせる。
「内容については他言無用でお願いします」
「あ、ああ。 で、これは返事が必要なんだね」
セリは「出来れば」と、頷いた。
アゼルは寮に戻ると自分の部屋に入った。
軍部局に入って二年目。
去年までは四人部屋だったが、今年からは個室が与えられている。
この春に行われた剣術の大会で、優秀な成績を修めたからだ。
大会は毎年行われ、ある程度勝ち進めば部屋は維持出来る。
早々に負ければ即退出だ。
しかし、実家である侯爵家の屋敷が近いアゼルにはどちらでも構わない。
「しかし、参ったな」
セリから預かった紙束を見る。
内容は魔物、特に妖精に関する質問だった。
どうみてもイコガでなければ返答出来そうもない。
「はあぁ」
大きなため息が出る。
現在、アゼルは兄のイコガと冷戦状態にあった。
それはセリに切符を渡したことが原因である。
「若い女性に、一人で『ウエストエンド』に来させるなんて」
兄はたいそう怒っていた。
実際にはアゼルは極秘で護衛を付けていたが、『ウエストエンド』までは入れなかったのだ。
だが、アゼルから見る限り、あの二人はなかなかお似合いである。
「彼女、帰って来てから、コガって呼び捨てだもんな」
彼の地で何があったのかはどうやっても聞き出せなかった。
二人とも口が固い。
そういうところも似た者同士だとアゼルは思う。
とにかく、イコガは月に一度はセントラルにやって来る。
最近は魔法で姿や気配を誤魔化して、アゼルに会わないようにしているらしい。
しかし、そんなことはアゼルが本気を出せばどうとでもなる。
「他ならぬセリのお願いだからな。
コーガも無下には出来ないはずだ」
本当は直接会って渡せばいいのに、とは思うが、ふたりのことに自分は関わっていたい。
離れて暮らしている兄に、アゼルは何か役に立ちたくて仕方がないのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最初に会ったのはいつだったか。
まだ幼かったアゼルにとって、かなり衝撃的な出会いだった。
「アゼル、紹介しよう。 遠縁に当たる者だ。
年齢も近い。 仲良くな」
侯爵家の客間で、アゼルはイコガに会った。
黒い短髪、黒い瞳、真っ白な透き通るような肌。
黒い服装は男の子そのものだが、女の子と言われても頷けるほど中性的だった。
「きれー」
アゼルはそう呟いた。
イコガが十一歳。 アゼルが十歳の時である。
夕食の時間までふたりっきりで過ごすことになった。
「ここがぼくの部屋だよ」
アゼルは自分の部屋へ彼を誘った。
やたらと線の細い、痩せた子供で、ほぼ喋らない。
何を見せても興味を示さない。
年取った両親に甘やかされて育ったアゼルは、わがままな子供だった。
そのうち、彼を放ったらかして勝手に遊んでいた。
そんなアゼルをイコガはじっと見つめている。
突然、何もない空間を見上げていたイコガが立ち上がった。
「な、なんだ」
驚いたアゼルに、イコガは一緒に行こうと手招きした。
屋敷の中は夕食の支度で慌ただしい。
イコガという珍しい客に対応するため、使用人たちも緊張していたのだろう。
部屋で大人しくしているはずだと、アゼルの侍女も目を離していた。
「こっち」
廊下に出る。
他人の屋敷にもかかわらず、イコガはアゼルより先に立って歩いて行く。
二階の北側、一番奥にある部屋。
そこはアゼルも入ったことのない部屋だった。
「そこはカギがかかってるよ」
そう言ったアゼルの目の前でイコガは難なく扉を開いた。
静かに入り、そうっと扉を閉める。
「何の部屋だろう」
分厚いカーテンで窓は閉めきられているが、掃除は行き届いているようだ。
埃っぽさはない。
しかし、部屋の中は暗かった。
パチンとイコガが指を鳴らすと、ぼうっと光の玉が一つ浮かんだ。
「ひっ」
まだ魔法というものを間近で見たことがなかったアゼルは腰を抜かしそうになった。
そんなアゼルに構わず、イコガの視線は壁を見上げている。
「な、何があるの?」
恐る恐るアゼルがイコガに声をかけると、彼は手を動かして光の玉を増やす。
そこに浮かび上がったのは、侯爵家の肖像画の数々だった。
「へー、ご先祖さまかー」
アゼルは壁一面に並んだ絵をぐるりと眺める。
そして、たった一枚をじっと見つめているイコガに気づく。
隣に立ち、一緒に目の前の肖像画を見る。
家族三人、赤子を抱いた夫婦の絵だ。
イコガが指を差す。
「あれが君だ」
「え?」
当時、アゼルはまだ自分の両親が、本当は祖父母であることを知らなかった。
父親らしい男性は黒色の髪にがっしりとした体形、母親らしい女性は金髪に青い瞳が印象的。
確かに絵の中の母親らしい女性は今の両親に似ていなくもない。
少し廊下が騒がしくなり、ふたりは顔を見合わせ、そっとその部屋を出た。
扉を閉めるとイコガは魔法できちんとカギも掛けていた。
おそらくアゼルが気がつかなかっただけで、入る時も魔法を使ったのだろう。
「魔法、すごい上手だね」
歩きながらアゼルが言うと、イコガの頬が少し赤くなった。
後日になってアゼルは両親に肖像画のことを訊ね、本当の両親のことを知った。
祖父母は「他人から間違ったことを聞く前に」と、『ウエストエンド』のことも話してくれた。
そして、アゼルには兄がいることも聞かされる。
だが、その兄は『ウエストエンド争乱』に巻き込まれて行方不明だと教えられた。
それからも、イコガは年に一度くらいは侯爵家に来る。
ふたりが兄弟だと名乗り合うことは今のところない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「祖父さんがコーガを兄と認めなかったのは何故なんだろうな」
普通に考えれば『ウエストエンド』の領主なのだから、すぐにアゼルの兄だと分かる。
だが、侯爵家は娘夫婦の子供だとは認めなかったのだ。
今ならアゼルにも分かる。
あの時、肖像画を見ていたイコガは両親の姿を確認したかったのだろう。
そしてその絵の中に、自分がいないことを確認したのだ。
夫婦がセントラルに連れて来たのはアゼル一人。
『ウエストエンド』にいた子供は誰の子か確認出来ない。
そういうことなんだろう。
「いいさ、祖父さんがそうしたいなら」
アゼルは祖父母が生きている間は彼らの流儀に従うと決めていた。
それは同時に『ウエストエンド』への支援につながるからだ。
祖父母の中にイコガに対する後ろめたさがある限り。