3-10・石の声
誰の声だったのかは分からない。
ただの空耳だった可能性もある。
それでも、その声に小さなイコガは救われた。
「セリ、もう一つお願いがあるんだ」
イコガは起き上がり、手のひらくらいの大きさの紙を一枚取り出す。
次にペンを取り出して、その紙に魔法陣を描き始めた。
小さな石の耳飾りを片方だけ取り出し、その魔法陣の上に置く。
「セリ、悪いけど。 この石に向かってもう一度、呼んでくれないか」
赤い、水晶のような石の付いた耳飾り。
セリはそれに向かって「コウ」とやさしく囁く。
一瞬光ったと思うと、魔法陣の紙が消えた。
「ありがとう、セリ」
イコガは耳飾りを自分の耳に付けた。
「これでいつでも君の声を聞くことが出来る」
そう言ってその耳飾りに手を当て、目を閉じた。
誰にも聞こえないが、イコガには聞こえているのだろう。
じっと目を閉じていた彼の顔がやさしい微笑みを浮かべる。
「そろそろ送ろう」
イコガは立ち上がると、セリに手を差し出した。
セリはその手を取って黙って立ち上がる。
帰りたくないという想いが顔に出ていたのだろう。
「セリ」
イコガは、顔を上げたセリの涙の跡をなぞるように頬に手を触れた。
セリは吸い込まれるようにじっとイコガの目を見つめる。
二人はそのまま唇を重ね、しばらくの間、抱き合っていた。
翌朝、セリがいつもように出勤すると、何だか職場の様子がおかしかった。
セリは首を傾げながら子供たちの元へ行こうとする。
「ちょっと、セナリー」
別棟に向かっている途中で、アゼル狙いの先輩に声を掛けられた。
「あなた、アゼル様の他に男がいるそうね」
「はい?」
セリは何を言われたのか分からずに怪訝な顔になる。
「ほんっとになんて娘なんでしょう」
先輩はやれやれといった感じで、わざとらしく大きく息を吐いた。
「あなたは真面目で仕事も出来る。
資格試験も何とか受かったって聞いて、私たち、あなたを応援する気でしたのよ」
アゼルとのことを応援する?。
この先輩が?。
セリはあり得ないなあという感想しかない。
「それなのに、あなたったら黒いマントの男と逢引してらしたわよね」
先輩がいやらしそうな顔で、ポッと赤くなったセリの顔を覗き込む。
「あ、はい」
セリは否定はしない。
というか、イコガのことだろうし、否定するつもりはない。
ただ公園での姿を見られたと思うと恥ずかしさで顔がますます赤くなる。
その時、違う女性の先輩がたまたま側にいた。
「あなた、問題になってるわよ」
どうやらセリが提出した研究論文が問題になったようだ。
「何故でしょうか」
辺りを見回したあと、その先輩が小さな声でセリに忠告してきた。
「あなた、妖精を使った治療をしたんですってね。
それ、その黒いマントの男と関係あるんじゃない?」
セリの治療に関しては子供たちから他の職員や家族には知られてしまっている。
所詮、子供相手に内緒事など無理なのである。
「それがどうかしたんでしょうか」
「どうかしたか、ですって!」
アゼル狙いの先輩が大声で叫んだ。
周りの目がセリたちに向けられる。
「あなた、自分の研究のために子供たちを実験に利用したんじゃないの。
おまけに得体のしれない黒いマントの魔法使いまで色仕掛けで利用して!」
妖精を呼び出すために怪しい男を使ったという噂があるそうだ。
「は?」
セリはきょとんとした。
子供たちに関しては懸命に治療を模索した結果でしかない。
それは医療関係者なら分かるはずだ。
「あのお、黒マントの男性は魔法学校の先輩で、アゼル様のご親戚ですが」
イコガとアゼルは表向きは兄弟ではなく、親戚ということになっている。
「なんということでしょう。
アゼル様がお可哀そう。 こんな小娘に引っかかるなんて」
大袈裟に先輩が苦悩の表情を浮かべ、喚き散らす。
相変わらずセリの話など全く聞く耳を持たない。
もう一人の先輩は呆れて早々に立ち去ってしまった。
セリが歩き出すと、今度は上司に呼び止められた。
「セナリー、ちょっと来てちょうだい」
「はい」
セリを呼び止めていた先輩が、ニヤニヤしながら「早く怒られに行きなさいよ」と背中を押す。
上司の部屋に入ると、一組の中年夫婦がいた。
セリを見て二人は立ち上がり、深く礼を取った。
「君がセナリーだね。 娘が大変世話になった」
「あ、ああ」
セリの担当だった最年長の少女は今日、退院する。
ある程度動けるようになったため、あとは自宅での療養となったのだ。
「あなたのお陰です、ありがとう」
母親らしい女性が涙を流してセリの手を握った。
しばらくして、
「申し訳ない、お仕事のお邪魔になりますね」
と、夫婦は娘の元へ戻って行った。
これから退院の手続きである。
うれしいことのはずなのに、セリは少し寂しい気がした。
「セナリー、座ってちょうだい」
どうやら上司の用事はこれだけではなかったようだ。
セリは素直に上司の前の椅子に座る。
「あなたの試験の成績も、研究論文も素晴らしかったわ」
そう言いながらも上司の顔色は冴えない。
「あの女の子の前の付き添い人の女性、覚えてるでしょう?」
わがまま少女に付き合い切れなくなって逃げ出した女性使用人。
「あ、はい」
「その女性があなたを訴えると言ってきたの」
セリは驚いてポカンと口を開けた。
確か、あの後、仕事を放棄したとして解雇になっている。
「な、何故でしょう?」
「あなたがお嬢様をわざと病気にして、その治る病気をじらした上で、治療して取り入ったと」
「ええ!」
セリの声はほとんど叫びに近かった。
その女性はセリがお嬢様に取り入るため、自分を嵌めたのだと訴えていた。
「そんな馬鹿な」
「ええ、皆んな分かってるわ、言いがかりだって」
あまりにも馬鹿馬鹿しくてセリは何も言えずに肩を落とした。
「それでもあなたの悪評にはなるわ」
上司は悔しそうに顔を歪めた。
セリはその日からしばらくの間、自宅謹慎となった。
セリの危機は、病気を救われた子供たちの親や、アゼルの侯爵家にも伝わった。
多数の者から事実無根という話が出てきて、訴えた側が捜査を受けることになった。
おかげですぐに訴えは取り下げられ、無かったことになる。
しかし、一旦悪評が付くとセリの仕事はやりにくい。
そのまま休職することになってしまった。
マミナがセリの家を訪ねて来てくれた。
部屋で二人で話していると、マミナが興奮して声を荒げる。
「何よ!、セリは何も悪くないのに」
「仕方がないわ。 病院はある意味、評判が命だから」
いくら国が経営していても患者に人気がないところは潰れることもある。
「いいのよ、マミナ。
私はきっとあの職場に合わなかったのよ」
上司の女性は良い人だったが、権力には逆らえない、やさしい人だった。
「それに悪いことばかりじゃないわ」
セリはマミナに一枚の紙を見せる。
「なあに、これ」
勉強嫌いのマミナは細かい文字は苦手だ。
ふふっと笑ってセリが簡単に説明する。
「つまりね、医療従事者として独り立ちするために各地で研修させてもらえるってことなの」
病院の後押しもあり、各地の病院の視察をすることになったのだ。
そしてそれが終わったら、どこの土地でも有効な医療従事者の免許が与えられる。
「資格試験、受かったんでしょう?」
先日、お祝いをしたばかりだとマミナが首を傾げる。
「うん、あれはね、セントラル限定なのよ」
都市や土地柄で病気というものは違う場合があり、治療方法も違ったりする。
身元は保証するから色々と勉強しておいでということだ。
「腕試しってことかー」
うんうんと頷く友人にセリは笑い出す。
「いやだ、マミナったら。 それってアゼル様みたい」
二人できゃあきゃあと笑い合う。
ふいにマミナがセリを抱き締めた。
「分かってるわ。 病院はセリを厄介払いしたかったんでしょ」
「マミナ」
ぐすっと涙声になる親友の身体をセリは抱き締める。
「私なら大丈夫よ。 きっと一人前になって戻って来るわ」
「セリ」
セリは論文の件で目立ってしまったのだ。
その上、侯爵家の跡取りであるアゼルとの噂。
目撃された黒いマントの男性との逢引。
妖精についても魔法嫌いの一部団体から病院に抗議が押し寄せていた。
「人間なんて、魔物よりずっと厄介だわ」
マミナの言葉にセリは苦笑を浮かべる。
「ええ、そうね」
セリは一週間後に旅立った。
アゼルからもらったコートを着て、マミナにもらった鞄を持って。
そして、イコガから渡された妖精石が入った袋をしっかりと握りしめて。
第三部終了です。
お付き合い、ありがとうございました。
第四部につきましては、また後日お知らせいたします。




