3-1・日常の隙間
第三部は十話で終わります。
よろしくお願いいたします!
中央都市セントラルに住むセリは十八歳になった。
一応は大人の女性である。
『ウエストエンド』から帰って早くも半年が過ぎた。
あの後、アゼルにはちゃんとお礼は伝えているが、イコガとのことは詳しく話してはいない。
「一度も『ウエストエンド』に行ったことないって言ってたものね」
彼はすべてを知っているのかも知れない。
ただその目で見ていないだけで。
セリにはそんな気がした。
新しい職場といっても、以前から働いていた病院なのでセリにとっては慣れている環境だ。
春に簡単に新人を受け入れる式典があり、セリの同期たちはそれぞれ配属先が分かれた。
しかし、セリだけは以前と同じ子供たち担当だった。
式典の後、女性の上司と共に子供たちの所へ向かう。
「おねえちゃーん」
セリが担当していたのは、治る見込みがないとされている子供たちである。
多少のわがままが通るのだ。
「あの子たちがどうしてもあなたが良いそうなのよ」
セリは自分が頼りにされていると思い、うれしかった。
「精一杯がんばります」
それが今年の春のことだった。
この世界では魔力を持つ者と持たない者がいる。
その昔、魔力を持つ者が独裁者として魔力の無い者たちを虐げていた時期があった。
現在では魔力持ちは少数で、王侯貴族などの一部を除き、一般人の魔力量などたかが知れている。
王侯貴族にあっては、魔力があるのは正統な血筋だという証拠と捉える者もいた。
それと、同時に警戒される材料にもなる。
いつ暴君に豹変するか分からないというのが理由だ。
そのため魔力が多ければ多いほど、国への忠誠を誓う謁見の呼び出しが多いという。
たいていの貴族たちは国王主催の新年の宴に参加するだけなのだが、『ウエストエンド』領主であるイコガは月に一度。
その魔力の高さが窺われた。
セリは魔法学校の生徒だった頃から、今の病院で働いている。
自分が出来ることと出来ないことは分かっているつもりだった。
それでもやはり社会人となると上下関係も相まって難しい。
「セナリー、これも片付けてね」
「はい」
夏も過ぎ、半年経っても、セリはまだ新人である。
「あら、まだいたの?。 もう皆、帰っちゃったわよ」
「あ、はい。 もう少し」
一番の下っ端なので、学生の頃はやっていなかった雑用も多い。
書類の作成や子供たちの服の繕い、外部からの見舞い品の管理等もある。
誰も手伝ってくれないそれらを、セリは黙って片付け続けた。
「ふう」
早番の帰り、セリはよく駅前広場の飲食店にいた。
天気の良い日は外の席に座り、駅から出て来る人波をぼんやりと眺めている。
セリがいるのは広場の東側なので、王宮に近い。
イコガに会うつもりはなくても、その姿だけでも見られるのではないかと多少の期待はあった。
「やあ、セリ」
だけど顔を見せるのは金髪脳筋のアゼルである。
「こんにちは、アゼル様」
脳筋と呼ばれるほど彼は確かに強い。
学生の頃からあまり魔法は使わず、武力で押し切ってしまうので魔力量は分からないが。
「相変わらず硬いな、セリは」
「アゼル様はもう少し自覚なさったほうがよろしいかと思います」
彼の家は侯爵家であり、軍部機関上層部の有力候補である。
こうして一人でいるように見えても、常に護衛が隠れて見張っているということをセリは最近学んだ。
アゼルはニコニコと微笑んでいるがその腹の底は分からない。
セリにとっては少し苦手な相手だった。
勝手に同じテーブルに座り、給仕にお茶を注文する。
「その香り。 イコガの好きなやつだね」
アゼルの言葉にセリは目を丸くする。
「ふふっ、イコガはここのお茶がお気に入りでね。
大量に買って『ウエストエンド』に持ち帰るほどだよ」
本当にこの脳筋は軽薄そうなのだが、こういうところはイコガの弟なのだなと思う。
「そうですね。
『ウエストエンド』で頂いた時にセントラルを思い出しました」
セリにとって、これはセントラルの香りだった。
「へえ」
二人は時々こうやって一緒にお茶を飲む友人関係になっていた。
ある日、セリは職場の先輩の女性に詰め寄られていた。
「あなた、侯爵家の若様とどういったご関係?」
「あの、すみません。 どなたのことでしょうか」
「しらばっくれる気?。 アゼル様よ」
休憩時間に何故か二人っきりで建物の影に隠れた場所にいる。
どうやらアゼルと二人でお茶を飲んでいるところを見られたようだ。
「あー、彼は学校の同期です。 今は茶飲み友達ですね」
「茶飲みって、あなたね。 彼の立場も考えなさい」
「どういうことでしょうか」
セリは本気で分からず、逆に先輩に訊き返した。
「もう!、これだから庶民は」
どうやらこの先輩は貴族家の女性らしかった。
国の要所である役職は七つの侯爵家が長となって勤めている。
一般人であっても優秀であれば長に任命され爵位を得られるが、貴族間ではやはり冷遇されてしまう。
優秀な一般人は貴族家に婚姻や資金提供などを用いて、養子に入ることが多かった。
アゼルの家は侯爵家である。
実は祖父母であるアゼルの両親はすでに高齢で、アゼルは早いうちに家督を継ぐ。
まだ若く、特定の決まった婚約者がいない彼は優良物件なのだ。
この女性の話では、アゼルに注目している女性貴族、または優秀な実績を持つ女性は多い。
しかしアゼルはあの通り脳筋で、恋愛に疎いというか、女性のことを気にする様子がない。
玉砕覚悟で言い寄って文字通り砕け散った令嬢が多いそうだ。
「まあ、なんてこと」
セリはアゼルの行為に心底呆れた。
彼は間違いなく意図してやっているのだろう。
それくらいのことはやりそうなだというのは、この半年の間でセリにもよく分かった。
彼の脳筋は厄介ごとを避けるための芝居なのだ。
セリはため息を吐く。
「あのお、申し訳ありませんが、私とアゼル様はそういった関係ではありません」
自由に色仕掛けなり、家に圧力なり、やってもらって結構だ。
セリには関係ない。
「何を言ってるの。 あんなに親密そうにしておいて」
「ですから」
セリが何を言ってもその女性先輩は聞く耳をもたなかった。
「さっさと身を引きなさい!」
彼女はそう言い捨てて離れて行った。
それからだろうか。
セリの病院での待遇がますます悪くなっていった。
以前からセリは「新人なのだから」と積極的に雑用をこなしていた。
その仕事が大幅に増えたのである。
「あれ?、これ他の人の分だよね」
そういったものが増えた。
多くは子供たちに人気があるセリに対する嫉妬だったり、アゼルに想いを寄せる先輩からの教育的指導のせいだったりする。
「まあいいや」
セリは多少忙しくなった、としか思わなかった。
何しろ、セリには魔力がある。
洗濯だの、掃除だのはある程度、魔法で処理が出来るのだ。
おまけに日頃から文字を読むことが好きなセリにとっては、書類の片付けなどは気楽な仕事だった。
やがて仕事も二年目に入ろうという頃。
それまで嫌がらせのように押し付けられていた仕事がこなくなった。
新人が入ってきたせいもあるが、どうやら今度は「何もさせない」ことにしたようだ。
雑用から解放されたセリは、心置きなく子供たちの世話をした。
「おねえちゃん、ご本読んで」
「ええ、いいわよ」
セリが好んで子供たちに読み聞かせしたのは、妖精や、心優しい魔物が出て来るおとぎ話だ。
「妖精さんは皆の願いを叶えるため魔法を使いました」
「わああ」
子供たちは目を輝かせる。
幼い子供たちの素直な様子にセリも頬が緩む。
「そんなの夢物語よ。 嘘に決まってるわ!」
セリの担当の子供の中でも年長になる、十二歳の少女が叫んだ。
「いくら魔力があったって、魔法が使えたって、病気は治せないのよ」
そう言って泣き出してしまう。
他の子供たちもしゅんとしてしまった。
「そうね、その通りだわ」
セリも、何度も自分の魔力の無意味さを嘆いたことがある。
簡単な傷を治す。 部屋を清潔に保つ。
それくらいしかセリの魔法は役に立たないのだ。
セリが少女の手を握っていると、年少の幼い子供たちも少女のベッドに寄り添う。
「よーしぇーさんいたら、きっとたしゅけてくれゆよね」
一番小さな女の子がそう呟いた。
「そうかもしれないわね」
その時、セリの脳裏には『ウエストエンド』で睨らまれた妖精の顔が浮かんでいた。