頂に登るは天使か鷲か
「おや、青井君。君も来ていたのかい」
「……緑川さん? お久し振りです!」
ミュンヘン・スタディオンのスタンドで声をかけられる広助。
左を向けばそこにいたのは眼鏡をかけた黒髪の一部が白くなり始めている男性だ。
穏やかそうな風貌だが瞳には知性の色がある彼は緑川。かつて広助と同じ会社に勤めていたが、現在はフリーのルポライターとして活動している。
「君の書いた記事、チェックしているよ。
相変わらず辛口だが、読みやすくわかりやすい。さすがは僕の後を継いだだけのことはあるね」
「緑川さんに比べたらまだまだですよ。記事、探すのは苦労していますが見つけたら必ず目を通しています」
「ほう。では私の最新コラムは読んだかね?」
「一応は。でもイタリア語で書かれていますし、あと数回読み込まないと完璧には理解できそうにありません」
ルポライター緑川が取り扱っているのは当然サッカーであり、その場所は最前線である欧州だ。
八年前、とあるリーグのサッカーくじが大当たりしたらしく会社を辞めた彼は学生時代留学していたというイングランドに移住。
そこを活動拠点として欧州各国のサッカー事情を記事にしては雑誌やコラムにしている。
「さて、とうとう今期のCLも準決勝まで来た。
君はこの試合をどう見るかね?」
「戦力は互角ですが勢いからすればホームのRバイエルンでしょうか。
1回戦、準々決勝共に凄まじいスコアで勝ち上がっています。ベスト4のチームの中で間違いなく、最強の攻撃力を持っているでしょう」
「失点も多いが完全に崩された形はあまりない。
”ゾディアック”たちなどのスーパープレーやスター選手たちが”ゾーン”に入ったことによるものも多いからね。
ではアウェーのレイ・マドリーはどうかな」
「堅実。Rマドリーのイメージはこれですね。
尖った部分はありませんが明確な穴──弱点もない。攻守ともに高いレベルでまとまっている上、様々な戦術を自在に使いこなしあらゆる形で得点を奪う。
今大会のチームの中でもっともバランスがいいチームでしょう」
ブルーライオンCFCのような強固な守備、バルセロナRのような悪魔的な破壊力はない。
しかし攻守戦術、あらゆる面で欧州トップクラスのチーム。それが今季のRマドリーだ。
「では両チームの”ゾディアック”はどう見ているかな?
欧州各国のメディアでは柳くんの方が優れていると報じているところも少なくはない」
「当然でしょう。CL初出場だというのに現時点で11ゴールを上げてCL得点王ランキング4位。
1位のアルフレッド、2位のロナウドはもう得点が伸びることはありませんから勝ち上がっているチームだけで考えれば2位です」
日本の至宝たる”サムライソード”の活躍に欧州メディアはもちろん、日本のサッカー界は大いに盛り上がっている。
昨季の活躍で”ゾディアック”ランキングこそ上がったものの、初めてのCLということもあり他の”ゾディアック”よりは下に見られていた柳。
しかしそれも過去の話。ロナウドにミカエル、カール。そして今日対戦するラウルといったランキング上位陣と遜色ない評価を日本、欧州でも与えられている。
別の会社では第二の柳を探せというような、欧州はもちろん南米やJの下部組織にいる将来有望な若手や育成年代についての連載や記事を作っていたりしている。
また欧州に支部がある企業は彼の威光にあやかりたいのか、たびたびスポンサー契約を申し出ているという話もある。
「はっきり言って驚異的です。俺も彼がCLで活躍することは想像していましたが、それを軽々と超えています。
下手をしたらアルフレッド選手たちや12ゴールをマークしているジークフリート選手を超えてCL得点王を手中に収める可能性だってある。
Rマドリーの守備陣でも彼の突破を止めるのは簡単ではないでしょう」
バルセロナRのロナウドに並ぶ高速ドリブルと突破。そして最近見られるようになったチームとのより深い調和。
CL1回戦、準々決勝を見る限り、今の彼を完璧に止められる守備陣、DFはおそらく存在しないだろう。
「ただラウル選手も柳君やロナウドたちほど目立ってはいませんが、チームがここまで勝ち進むのに貢献しています。
ゴール数こそ7ゴールですがアシストは6つ。スコアポイントで言えば柳くんとほぼ差がありません」
柳のスコアポイントは11ゴール3アシスト。わずか1しか差がない。
「それに数字にこそ表れていませんがチャンスメイクや前線からの守備でも精力的に動いてはチームの得点の起点になっています。
プレースタイルや結果は全く違いますが、両選手ともチームの躍進に大きく関与しているのは間違いないでしょう」
「どちらの若手も好調というわけか。……スタメン発表だな」
ホームチームはまごうことなくベストメンバーだ。システムは4-3-3。GKはアンドレアス。4バックの右からフリオ、ジェフリー、クルト、ブルーノ。
中盤三人のボランチはドミニク。右SMFにフランツ、左SMFはアントニオ。
そして3トップは言わずもがな。右に柳、中央にジークフリート、左はエリックだ。
電光掲示板に表示されるスタメン。選手が映り、切り替わるたびにホームサポーターの声援は大きくなる。
特にジークフリートと柳が表示された時はすさまじい。チームの中核を成すエースと今季チームを幾度も救ってきた若きストライカー。今や二人の評価は大差ないという表れなのだろう。
そんなRバイエルンは直前に行われた31節は鷲介とエリック、ジークフリートの代わりに出場したアレックス、途中交代で入ったアレンが仲良く1ゴールずつ決めて4-0の見事な快勝している。
「Rバイエルンはベストメンバーで来たか。
さてRマドリーはどんな陣容かな」
システムは4-4-2。GKはスペイン代表でもあるビクトル・レブロン。
4バックは右からスペイン代表、クラブ共に不動のレギュラーであるセルヒオ・フロレンティーノ。CB二人はセルヒオと同じスペイン代表のルイス・カマーチョ、クロアチア代表のニコラ・ヴルサリコ。左SBはフランス代表、リュカ・ジャンヴィオン。
中盤はボックス型。右ボランチはドイツ代表セルジュ・バスラー。左ボランチはベルギーの新星、シモン・フェルメーレン。
右SMFはスペイン代表の快速MF、パウリーノ・バルトラ。そして左SMFは当代最高の司令塔と言われるクラブ、ブラジル代表の10番、アーギアだ。
最後に2トップ。右はスペイン代表エドゥアルド・アセンシオ。そして左は柳と同い年の”ゾディアック”、スペイン代表のラウル・ルーカス・エルナンデスだ。
「こちらもベストメンバーですね。まぁ当然ですか」
「青井君、唐突だが君はどちらのチームが決勝に行くと思う」
「はい?」
緑川の言葉に思わず広助は目を丸くする。
質問の意味が解らない。決勝に行くための試合が、今行われようとしているのに。
「軽いお遊びだよ。なんとなくで答えてくれればいい。
ちなみに私はRマドリーだと思うよ」
「……何故、そう思うんです?」
「深い考えはないよ。両チームの今季の調子を見てそう思っただけさ」
あからさまにはぐらかすような答えだ。追及しても答える気はなさそうだ。
「そうですか。じゃあ自分はRバイエルンだと思います」
「ふむ、理由を聞いていいかな?」
「自分も深い考えはありません。ただ柳君がいるチームですし決勝トーナメントの勢いもありますから」
「なるほど。
──さて、それでは試合観戦に集中し、お互いの推しのチームがどうなるか楽しみに見るとしよう」
◆◆◆◆◆
「来たか」
後ろにいるジークの言葉が聞こえた直後、カツカツというサッカーシューズのスパイクが床を踏む音が無数に響いてくる。
音のする後ろに目を向けると、白いユニフォームを着たRマドリーの選手たちが姿を見せた。彼らはエスコートキッズたちに笑顔や挨拶をすると手を握り、鷲介たちの横に並ぶ。
互いの顔見知りと言葉を交わす両チーム。互いにリラックスしており、また心地のいい緊張感を漂わせている。
「よう」
「やあ」
鷲介が真っ先に言葉を交わしたのは当然、ラウルだ。彼もまた他の選手には目もくれず、真っすぐ隣にやってきた。
「調子がよさそうだね。初めてのCL、それも準決勝まで来たのに気負っている様子もない」
「そっちもな。昨日会った時と何ら変わらないように見えるぜ」
「そうかい? 実際のところは少し緊張しているんだけどね。
でもこの緊張はいい緊張だ。今のような様子の時の僕はいいプレイができるからね」
「奇遇だな。俺もだ。
今の状態なら二人、いや三人をぶち抜くことさえ容易にできそうな感じだな」
「ほう、言うじゃねぇの。
だが許してやるよ。それだけの口を叩くだけの実力を見せているからな」
「抜きたければ抜けばいい。ゴールを奪われないのであれば問題はない」
鷲介の言葉に続く二つの声音。
視線を向けるとそこには二人の選手の姿があった。
不遜な笑みを浮かべている褐色の男性。両チームの選手の中で一番の小柄だが、放つ圧はとても大きい。
もう一人の金髪の男性は対照的に長身だ。ジークと同じ金髪碧眼で銅像のような無機質な顔立ちだ。
「初めましてだなヤナギ。
知っているとは思うが名乗らせてもらうぜ。アーギアだ」
「セルジュ・バスラーだ。ジークフリート達から散々お前のことは聞いている」
「こちらこそはじめまして。シュウスケ・ヤナギです。
あなたたちとは一度、会ってみたかった」
二人と握手をする鷲介。ビックネームが多いRマドリーだが、眼前の2人はその中でもさらに高名な選手だ。
十年以上ドイツ代表に名を連ね、クラブと共に主力となっているセルジュ。そしてブラジル代表の10番であり世界一の司令塔と称されるアーギア。またワールドカップやCLの大舞台で幾度もオーバーヘッドを決めており、世界一オーバーヘッドが上手い選手としても有名だ。
「バルセロナR戦見たぜ。沢山の点がネットを揺らしサポーターが熱くなる、実に俺好みのスペクタクルな試合だった」
「だがRマドリーの試合ではそうはならない。そして残念だが準決勝の結果に君たちのサポーターは肩を落とすことになるだろう」
賞賛するアーギアに挑発するような物言いのセルジュ。
対照的な二人の言葉だが、二人の心中は強い自負を伺わせるその態度で明らかだ。
「相変わらず威勢がいいですねセルジュさん。流石は我がドイツの”猛将”!」
「あなたたちにそれが可能なことはわかっています。──ですが、俺たちがそれを打ち砕くだけの力を持っていることを忘れないでください」
「あとカードを貰うような真似はやめてくれよ、アーギア」
そう声をかけてきたのはフランツ、ジーク、アントニオだ。
「おいおい、何人聞きの悪いこと言っているんだアントニオ。俺はクリーンな選手だぜ?」
同じ代表のチームメイトにアーギアは心外そうな顔をするが、アントニオは半目を向けたまま言う。
「普段はな。だが大舞台、それもテンションが最高に高まったお前はよくカードを貰っているだろ。
前回W杯の決勝トーナメント1回戦、それと一昨年のCL準々決勝で一発レッドになったことがあったよな。あとさらに遡ればU-17W杯の決勝でもだ」
アントニオに言われ押し黙るアーギア。そこへセルジュとフランツ、ジークが口を開く。
「あーあの試合かー。ハットトリックに2アシストという獅子奮迅の活躍していたのにレッドを貰ったんだよな。
それもオーバーヘッドを邪魔されて落下、そのDFを突き飛ばしての一発退場。気持ちはわからんでもないが、見た時は唖然としたものだ」
「そのおかげか対戦した準々決勝、ジークフリートのゴールもあって3ー1で快勝したなぁ。アーギアがいれば逆の結果になっていたかもしれないが」
「一昨年のCL準々決勝での退場も衝撃的でしたね。マンチェスターFCとのセカンドレグ。
ファーストレグを0-2で負けていて更に先制されての状況でアーギアさんの2ゴール2アシストで大逆転。
そのまま試合が終わるかと思いきやロスタイム、ドリブル突破されたヨハンさんのユニフォームを引き倒すように引っ張り倒して一発レッド。
さらにそのファウルのセットプレーで追いつかれ、PK戦でRマドリーは敗退したんですよね」
ドイツトリオとアントニオの突っ込みにアーギアは頬を引きつらせる。
「……サ、サッカーに情熱を注ぐのは当然だ。それが行き過ぎることもあるが、俺ぐらいのスーパースターともなれば周囲は理解してくれるものだ」
「W杯もCLのあれも擁護の声よりもバッシングのほうが圧倒的だったぞ。活躍した分余計にな。
特にW杯の時は酷かったな……」
「おいおい、何うちのエースを虐めているんだお前らは。
試合前のメンタルアタックは勘弁してくれよ?」
そう言って姿を見せたのはセルヒオだ。先程まで話していたフリオの姿もある。
「いいところに来たなセルヒオ。こいつらに俺がいかに素晴らしい選手か説明してやってくれ」
「任せてくれよ。──いいかお前ら、アーギアは当代最高峰の司令塔であり世界屈指のゴールハンターだ。今季もリーグではゴールアシスト共に二桁取っているしな。
調子に乗ったコイツを止められる奴はほぼ皆無だろうぜ。──ま、なぜか絶好調の時に退場する悪癖はあるが」
「お前もかー!」
「ははは、事実だろー?」
ユニフォームを掴むアーギアにセルヒオは笑顔で言う。側にいるフリオが「本当、性格が悪い」などとうそぶいている。
「──でも、アーギアさんが頼りになるのは本当です。
この人のおかげで僕たちもチームも幾度も救われましたし、いくつもの栄冠を手にしましたから。
我がRマドリーの心臓ですよ」
初めてアーギアを擁護するようなことを言ったのはラウルだ。
嘘偽りのない声音を聞いてアーギアは9歳年下の同僚に抱きつく。
「ラウルー! お前だけだそう言ってくれるのはー! 我がクラブの未来よー!」
「やれやれ。相変わらず我がチームの若きエース君はお優しい」
「ま、事実ではあるしね」
バルセロナRを思い出すような和気藹々の様子。もしかしてスペインのクラブはみんなこんなノリなのだろうかと鷲介は思う。
「さてと、騒ぐのはこの辺にしておくか。審判団の皆さんがこちらを見ているようだしな」
「騒ぎを大きくしたお前が言うのか……」
アーギアの突っ込みをセルヒオはスルーし、こちらを見渡して、言う。
「今は、試合を愉しもう」
「望むところだよ」
セルヒオに即答するフリオ。いつになく無表情だが、その言葉には力と熱がある。
ジーク達もセルジュに、アントニオもアーギアに。その他の面々も覇気が籠ったな眼差しで近くにいる相手を見つめている。
当然、鷲介もラウルに視線を向けておりラウルも熱さと冷静さが同居する視線を返してきた。
そして審判団より時間を告げられ、盛大な音楽が響く中ピッチに入場する両チームのイレブン。セレモニーを終えてピッチに広がっていく。
正面、緑のフィールドに見える11の白。対峙するRマドリーイレブン、そしてセンターサークル内にいるラウルを見て、鷲介は視線を鋭くする。
(──勝つ。今度こそ)
そう鷲介が思うと同時、Rマドリーのキックオフで試合が開始された。
◆◆◆◆◆
試合開始の笛が響くと同時、鷲介は動きながらラウルが下げたボールの行く先を見つめている。
スペインのクラブらしく正確かつ速いパス回し。ライバルであるバルセロナRとも大差ない。
ダイレクトで一気にGKまで下げられたボール。エリックが突っ込んでいくがGKのビクトルは慌てることなく右にパスを出す。
ボールを収めるのはセルヒオだ。そして彼はにやりと笑みを浮かべるとボールを蹴る。
鋭く速いボールがセンサーサークルに入る。それをセルジュとシモンがダイレクトでワンツー。前に出たセルジュにフランツが立ち塞がるが構わずセルジュはパスを出し、そのボールはフランツの股間を通り抜け、アーギアに渡る。
「!」
トラップと同時に前を向きドリブルを始めるアーギア。すぐにドミニクが距離を詰めるがアーギアはするりとかわし、ペナルティアークにいるエドゥアルドにパスを出す。
クルトにマークに付かれているエドゥアルドは前を向けないと思ったのかアーギアへすぐさまボールを返す。そこへ反転したドミニクがボールを奪おうとするがそれより一瞬早く触れたアーギアが浮き球のパス放った。
裏に抜けようとしたラウルへのパス。そう思ったがボールの軌道を見て鷲介はゾッとし、たまらず叫ぶ。
「ゴールに向かってる! アンドレアスさん下がって!」
鷲介の声が聞こえたのかそれとも気づいたのか、前に出ていたアンドレアスが慌てた様子でゴールに走る。
ゴール右に向かうアーギアの蹴ったボール。それにアンドレアスは左手を伸ばす。何の接触も無ければネットを揺らしていたボールだが、アンドレアスの左手のグローブの指先が触れたことで軌道が変わり、ゴール右のラインを割った。
開始直後のスーパーループシュートにホームサポーターからは安堵の声が漏れ、少ないアウェーサポーターが盛り上がる音が耳に響く。
(挨拶代わりってことかよ……!)
にやけた顔で周囲を見渡すアーギア。あからさまな挑発に思わず鷲介は心中で唸る。
アーギアの蹴ったCKのボールを跳ね返すRバイエルン守備陣。こぼれ球をオーバーラップしてきたセルヒオが拾い混戦状態のゴール前に上げるが、ジェフリーの打点の高いヘディングがボールを跳ね返し、それを下がってきていた鷲介が拾う。
前を向く鷲介。そこへシモンが正面を塞ぐ。こちらのドリブルを警戒しているのか──また守備陣の再構築する時間を稼ぐためなのか、一定の距離を保っている。
(悪いが守備の再構築の時間なんてやらないぜ)
呟くと同時、鷲介は前に出る。ドリブルを開始した鷲介にシモンは驚いた表情を浮かべるも、距離を詰める。
鋭いシモンの踏み込み。それを鷲介は全力加速ですれ違うように回避。彼の横を通り過ぎて、前線に残っていたジーク達へパスを送る。
Rマドリー陣内の右サイドに流れるボールへエリックが駆け寄りゴール方向に切り込んでいく。そんな彼とジークの前に立ちはだかるのはGKと二人のCBだけ。セルヒオたち両SBは高い位置にいたため未だ自陣に戻っている最中だ。
立ちはだかるルイスに仕掛けるエリック。中に切れ込むと見せかけ外に行く彼だがルイスもすぐに追尾し、ボールに足を伸ばした。
しかしエリックは再び中に切り返すと、マイナス方向にパスを出した。ペナルティアーク手前に転がるボールに駆け寄るのはRバイエルンのエースストライカーだ。
ジークの前にニコラが立ちはだかるが、それに構わずジークは左足を振りぬいた。Rバイエルンの10番が放ったダイレクトロングシュートは超低空でピッチを駆け抜けて、ゴール左下へ向かう。
先制。そう思った鷲介だが、スペイン代表の正GKを務めているビクトルが伸ばした右手がボールに触れる。そして先程のアーギアのシュートのようにボールがゴール外のラインを割った。
スコアは動かない。だがホームサポーターの声援はますます盛り上がった。ジークの名前とその愛称である”竜殺し”がスタジアムに響く。
「やれやれ。ダイレクトで撃ってあの威力と精度とは。敵に回すと理不尽極まりないな」
いつの間にか傍にいたセルジュが呆れた様子で言う。
跳ね返されるフランツのCK。それをペナルティエリア外にいた鷲介が拾うが、再びシモンが突っかかってきた。
こちらの動きを予測したかのような早く鋭い接近に鷲介は思わず慌て、右サイドにボールを出す。しかしフリオがボールを収めた直後、セルジュが突撃してきた。
(速い……!)
鷲介が心中で驚愕する目の前でフリオはセルジュから激しいチャージを受け、ボールを奪われる。そしてセルジュは奪取したボールを大きく蹴りだす。
後ろを振り向くとセンターライン付近に残っていたエドゥアルドとジェフリーの2人が競り合い、勝者はスペイン代表FW。そしてエドゥアルドは数秒下がると見もせずRバイエルンの左サイドにパスを出す。
それを受け取ったのはパウリーノだ。スペイン代表随一、スペインリーグ屈指の快速MFはトラップと同時にボールを前に蹴り出す。ボールは前を塞ごうとしたブルーノの横を通り過ぎ、パウリーノは加速してそれを追尾、拾って一気に左サイドを駆け上がる。
(俺に匹敵するスピードを持っていると聞いていたが、走るだけなら俺並みじゃないか!?)
一人スルーパスで爆走するパウリーノ。それを追うブルーノを見ながら鷲介も自陣へ戻る。
その途中、視界に入る白いユニフォームの背番号7。
(ラウル……!)
ペナルティエリアへ近づこうとしたパウリーノへクルトが近づく。彼はスピードを落とし、フェイントを入れてボールを中へ。
マイナス方向に飛んだボールを収めたラウル。走る速度を緩めることなく強い勢いのボールを胸トラップで完全に勢いを殺し、足元に転がす。
そのあまりにも無駄がなく流麗な一連の動作にトラップ直後のスキを狙って飛び出そうとしていたジェフリーが思わず動きを止める。
ジェフリーの一瞬の躊躇。それをラウルは見逃さずゴールへ向かう。近づいてきたラウルを見てジェフリーは再稼働、ペナルティアークからミドルシュートを撃とうとしたラウルへ距離を詰めて前を塞ぎ足を伸ばす。
「駄目だジェフリーさん!」
ジェフリーの行動は間違っていない。ラウルはミドルシュートの名手でもある。あの距離ならコースを潰すのは当然だ。
だがラウルに対してそれは悪手だ。彼のボールタッチ、コントロールは世界レベル。”ゾディアック”で言うならばミカエル、ロナウドと遜色がない。
鷲介がそう思った次の瞬間、ラウルは淀みない動きでシュートフェイントによる切り替えしてジェフリーをかわしエリアに侵入。飛び出していたアンドレアスに対してループシュートを放つ。
アンドレアスの頭を超えたボールは軽くゴールラインを跳ね、優しくゴールネットに触れた。
「ナイスゴール」
いつの間にか隣にいたエドゥアルドの声が聞こえたのと同時、スタジアムから落胆の声が轟く。前半まだ5分だというのに、いきなり先手を取られてしまった。
自陣へ戻ってくるラウルにアーギアたちが抱きつくのが見える。それを見ながら鷲介は熱くなっていた頭が一気に冷えるのを感じる。
「いきなりやられたな。しかしあのトラップにシュートフェイントの動きの繋ぎは反則だろう」
「流石は”ゾディアック”、スペインの至宝とも言われる天才というわけか!」
悔しげなドミニク、快活なフランツの声が聞こえる。
鷲介がスピード、カールがフィジカルであるようにラウルが持つ世界トップレベルのそれはトラップと動きの繋ぎだ。
今のジェフリーのように彼のフェイントに引っかかり突破されたDFは数知れない。AマドリーのレオナルドにバルセロナRのクリストフ、エドガーなどもだ。
「まだ時間はある。取り返すぞ」
「はい」
突き放すような口調で鷲介は即答する。
それが気になったのか、ジークが眉根を潜める。
「……鷲介?」
「ジークさん、ゴール前に来たらボールをください」
「おいおい、ライバルにいきなりやられて悔しいのはわかるが熱くなるなよ」
ジークと同じように思ったのか寄ってきたエリックが笑みを浮かべて言う。
そんな彼に鷲介は鋭い視線を向けて即座に言葉を返す。
「熱くなっていません。とにかくください」
「お、おう……」
そう言って鷲介はさっさと自陣に戻る。少し熱くはなっているが、まだ冷静だ。
響く試合再開の笛の音。いきなり先制点を奪われたRバイエルンは攻め込むが、Rマドリーの守備陣は凌ぐ。
再開直後の6分、上がってきたクルトからの裏へのロングボールにエリックが抜け出すが、ルイスとセルヒオによって止められる。
13分、Rバイエルンゴールより20メートルから放たれたアーギアのFKのこぼれ球を拾うドミニク。それを鷲介、アントニオがドリブルとパスで繋ぎ、最後はフランツの矢のようなスルーパスをジークがダイレクトに合わせるがニコラが体を張って防ぐ。
攻められるRマドリーも当然、黙っていない。12分にはアーギア、パウリーノ、ラウル、エドゥアルドの四人によるパスとドリブル突破によりRバイエルン陣内中央を突き進むも、最後はファウルで止められる。
また18分には鷲介たちRバイエルンイレブンをひやりとさせる場面が訪れる。オーバーラップしてきたリュカとアーギア、そしてラウル達でRバイエルンの右サイドを突破。上げられた低弾道センタリングにジェフリーよりわずかに速く動いたエドゥアルドが左足で合わせた。
その動きとシュートの速さに全員が反応できなかったが、ボールはゴールポストに直撃してラインを割り、事なきを得た。
(さすがRマドリー。欧州No1の戦術チーム……!)
現在のクラブは大まかに分けて二つのチームに分かれる。一つは一つの戦術を鍛え上げチームの骨子としたチーム。もう一つは複数の戦術を使い分けるチーム。
もっとも現代では前者のチームが多い。1シーズンで監督や選手が入れ替わる現在、一つの強みを極めるのがチーム強化に手っ取り早く時間もかからないという理由だからだ。
しかしRマドリーは数少ない後者に当たる。そしてこのチームはサッカーにおける四大戦術、中央突破、サイドアタック、ポゼッション、カウンターをどれも遜色ないレベルで使いこなすチームなのだ。
「鷲介!」
相手ゴールより25メートルの距離でアントニオから入るボール。鷲介はすぐに前を向くがそこにセルジュが立ち塞がる。
視線が合い、笑みを浮かべるセルジュ。それを見て鷲介は心中で舌打ちする。
セルジュ・バスラー。ドイツ代表の不動のボランチであり世界最高の一人とも言われる人物。ボランチに必要なすべての能力を高いレベルで兼ね備える難敵だ。
すでに前半25分に差し掛かろうとしているがその間に訪れたいくつかのチャンスを彼や彼のコーチングによって潰されている。鷲介もドリブル突破を試みたが一度は彼に止められ、二度目は突破するもすぐに他の選手と反転した彼に挟まれ、奪われていた。
(誘っていやがる……)
腰を低くしたセルジュ。しかし発せられる圧が甘い彼を見て鷲介は思う。おそらく彼を突破しても先程のように別の選手がすぐにフォローに来るのだろう。
それがわかっていたが鷲介は前に動く。軽く体を揺らした後に繰り出したダブルタッチで彼をかわし前に出る。しかし直後、ルイスが突撃してきた。
クラブ、代表でもレギュラーのルイス。その最大の理由は191センチという長身とドリブラーのようなアジリティの高さだ。今日もその長所を生かしてエリックの突破を防ぎ、ジークのヘディングをはじき返していた。
完璧なタイミングでの突撃。だがドリブル前に周囲を見ていた鷲介は彼が来ることも予測していた。一瞬の減速後、最大加速。スピードで強引に彼の横を通り過ぎる。
だがそれもセルジュ──いや相手守備陣の思惑通りだったのか。今度はエリックから離れたセルヒオが距離を詰めてきた。
パス、シュートコースも塞いだセルヒオの突撃。奪われる。そう鷲介が思うのと同時、抜けるという声が心中で響き、体に全能感が満ちる。
(──来た)
先制点を奪われてからずっと体の中にあった熱が、ようやく爆発する。そしてその熱さに従い、鷲介はマルセイユルーレットを発動。セルヒオをかわしてペナルティエリア中央に侵入する。
ゴール方向に振り向くと両手を広げ距離を詰めている相手GKの姿が映るが、鷲介は冷静に彼の右脇に向けてボールを蹴る。インサイドキックで蹴られたボールはピッチを滑り、ゴール左ネットに吸い込まれた。
「──よくやったぁ!」
傍にいたエリックが叫ぶと同時、同点弾に歓喜するRバイエルンサポーターの声がスタジアムに轟く。
駆け寄ってくる味方。しかし鷲介はそれに構わず相手ゴール内にあるボールを拾い、センターサークルに戻る。
「何してる! まだ同点だぞ! さっさと戻れ!」
唖然としている味方に向かって鷲介は手を振って叫ぶ。まだ同点。喜んでいる暇などない。
試合再会の笛の音が響き、両チームの選手はボールを巡って動き出す。先程までややRマドリーのペースだった試合は同点になったことで一気に互角──いや、Rバイエルン優勢へとなっていく。
同点に追いついたことでチームが活性化したのも理由だが、一番は”ゾーン”に入った鷲介だ。キレた動きで敵陣を動き回ってはキーパスやミドルシュートを放ち、それがより味方の攻撃を活性化させる。
前半34分、鷲介はフリオからのパスに軽く触れて流した直後、前に出て背後にいたシモンを突破。右ハーフレーンからセンターレーンへ移動する。
そして相手DFたちがこちらに集中した時を見計らってノールックで左にパス。それを左ハーフレーンに走ってきたアントニオがダイレクトでパスを出し、それにルイスの裏を取って抜け出したジークがゴール方向に向くと同時シュートを放つ。
利き足ではない左足のシュートだがボールはゴール左に向かっていく。しかしそれをビクトルの伸ばした手が弾き、横に飛んだボールはポストに当たってペナルティエリア正面に転がっていく。
そこに走っていく鷲介。ペナルティアークでボールを拾いシュートを撃とうとするが左足を振り上げた瞬間、ルイスが立ち塞がった。
(切り返す)
そう思った直後、体がその通りに動く。左足を動かしてボールを右に移動、右足を振り上げる。
そこへ今度はニコラが前を塞いだ。ブルーライオンCFCのニコと共にクロアチア代表不動のレギュラーである彼の守備も一級品だ。見事にシュートコースを消している。
(切り返す)
しかし鷲介は先程と同じことを思い、そして体もそれに従い動いた。
二回連続のシュートフェイント。しかし動きに淀みはない。そして切り返すと同時にエリアに侵入、渾身の力でシュートを放つ。
ビクトルが腕を動かすが強烈なシュートには当たらず、ボールは相手ゴールネットに突き刺さった。逆転、2-1だ。
「ナイスゴールだ鷲介!」
「何だ今の切り返しは! できるならもっと早くにやっておけよ!」
抱きつき、また乱暴な手で鷲介の頭を撫でるジーク、エリック達。
それを受けつつも鷲介は小さく笑みを浮かべ、皆に早く自陣に戻るよう催促する。戻る途中硬い表情のラウルが目に移り、鷲介は思う。
(もう、お前に負けるのは御免なんだよ)
今、鷲介を動かしている熱はハッキリ言えば負けん気だ。
ラウルに負け続けて溜まっていた負けん気。それにラウルの先制点が火をつけ、時間が経つにつれて大火となり、”ゾーン”に入ったのだろう。
立て続けの逆転、そして勢いづく鷲介に引っ張られ、またホームサポーターの声援を受けてRバイエルンはより前に出て攻撃に力を入れて、Rマドリーを押し込む。
当然アーギアやラウルたちも黙っておらずカウンターによる攻撃を仕掛けるが勢いに乗ったクルトたちDFたちの積極的守備により防がれ、又は遅らされてカウンターを潰されていく。
さらに相手のカウンター中にボールを奪取してからのカウンター。いわゆるカウンター返しによってRバイエルンはRマドリーゴールに迫る。
一度目は前半38分、アーギアからのパスをカットしたブルーノによるロングカウンター。裏にエリックが抜け出しゴールに迫るがルイスとビクトルの2人によって防がれる。
そして二度目は前半44分、ジークからボールを奪取したルイスによるロングパス。それをラウルが収めて前を向き距離を詰めてきたフリオをかわしてしまう。
しかしそれを狙い撃ったクルトの突撃でボールをロストするラウル。こぼれたボールを拾ったドミニクは強く速い縦パスを放ち、敵陣のミドルサードにいたフランツもそれをダイレクトでセンターレーンにいた鷲介に渡す。
「”ゾーン”に入ったようだが、これ以上好きにさせないぜ……!」
「止める……!」
ペナルティアークの白線のそばで立ちはだかるセルヒオとルイス。
普段なら躊躇する場面だが、勢いのまま鷲介は行く。先に来たセルヒオの股を抜いてかわし左ハーフレーンに移動。ペナルティエリアに切れ込もうとするがルイスが追尾し、立ちはだかる。
そんなルイスに対し鷲介は一瞬、切れ込む動きを見せる。そして次の瞬間、振り向くことなく右へパスを出す。
ペナルティアークの白線に転がるボール。それに誰よりも早く駆け寄ったのはRバイエルンが誇る世界一のストライカーだ。
「おおおっ!」
猛りと共に放たれるジークの”竜殺し”の異名となった強烈なシュート。あまりの勢いに相手GKは一歩も動けず、ボールはゴール右に突き刺さった。
地震を思わせるようなホームサポーターの歓喜の声が轟く中、電光掲示板のスコア表示が3-1へと切り替わるのだった。
リーグ戦 23試合 24ゴール10アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 8試合 11ゴール3アシスト
代表戦(二年目)7試合 13ゴール3アシスト