恩返し
「やぁ鷲介。久しぶりだね。
それと先日の代表戦、ずいぶん苦労していたようだ」
「そうですね」
両チームのスタメンが並んでいる入場ゲートで、鷲介の隣に立つ英彦がリラックスした様子で話しかけてくる。
あと少し時間が経てばドイツリーグ第28節、ロート・バイエルンVSハンブルク・フェアアインの試合が開始されるのだ。
(いい感じだな……)
英彦と話しながら鷲介は相手チームイレブンを、その雰囲気を見て思う。
ドイツの絶対王者のホームにいるというのに彼らは気圧された様子はなく、英彦と同じように適度な緊張感を保っている。あえて言うならガブリエルがやや緊張気味だが畏怖、又は委縮した様子はない。
アウェーチームのハンブルクFのシステムは前回と同じ4-4-2のダブルボランチ。スタメンの顔ぶれも同様だ。
GKはハンス。4バックは右からガブリエル、ザンビディス、ペア、直康。ダブルボランチはウルリクに、ヤン。右SMFはヴァレンティーン、左SMFは英彦。ツートップの左はサイード、右はレネだ。
放つ圧は以前にも増して強く、分厚いハンブルクFのイレブン。特に存在感を現しているのは今季目覚ましい功績を残している四人の要注意選手だ。
一人目は英彦。時折欠場──理由は不明だが──する彼だが好調は維持し続けており現時点で8ゴール10アシストを上げてチームの躍進の最大の原動力となっている。
これだけ結果を残していれば先日の最終予選にも召集されるのが道理だが、直前の試合で負傷をしてしまい招集は見送られてしまっていた。
二人目は先日ドイツA代表に飛び級で初招集されたヴァレンティーン。リーグでは7ゴール6アシストと同世代の若手の中ではトップクラスの実績だ。三人目のサイードは現時点でチーム得点王の11ゴールをマークしており、その得点力はアジア最終予選でもいかんなく発揮されイラン代表は今だ無敗、ホームの試合では圧勝している。
最後の四人目のザンビディスだが、元々あった荒々しくもパワーに満ちた守備はより強力になったうえファウルやカードを貰う頻度は格段に少なくなっていた。昨季のチームメイトでは一番の成長株かもしれない。
またその急成長ぶりから故国であるギリシャリーグの絶対王者や五大リーグの中堅、古豪クラブからも移籍の話があるらしい。代表においても不動のレギュラーにもなり、チームに大きく貢献しているそうだ。
(ペアさんにガブリエルも雰囲気が違っているし。8位のチームと思っていると痛い目を見るな)
他の面々も昨季のような不安定さは無くなっており、完全に別のチームとなっている。
いや、本来降格争いをするチームではない。これが本来の姿というわけだろう。
「いい調子ですね、ハンブルクFは」
「ああ。Rバイエルンも本調子になりつつあるようだけど、今の僕たちなら不可能を可能にできるとさえ思っているよ」
「そうでしょうね。あのLミュンヘンに引き分け、負けたとはいえRドルトムントと一点差ゲームを演じたんです。
──ですが今日の試合も俺たちが勝ちます。バルセロナR戦へ勢いをつける意味もありますが、優勝するためにはどのチームであっても負けも引き分けも許されませんからね」
「それはこちらも同じことだよ。ELの出場権を手に入れるため、勝ち点は1でも多い方がいいからね」
英彦はそう言い、視線を少し逸らす。
その先にいるのはチームメイトと話すクルトだ。彼を見て英彦は一瞬だけだが嬉しそうな顔となり、しかしすぐに表情を引き締める。
「それじゃあピッチで」
「はい」
そう言うと英彦はゲートの方を向き、鷲介もそれに倣う。
じわりじわりと胸中が熱くなっていく中、審判を先頭に両チームイレブンが入場。セレモニーと握手を終えてピッチに散っていく。
Rバイエルンの今日のシステムはいつもと同じ4-3-3。GKはエトウィン、4バックは右からアンドリー、ジェフリー、クルト、ウーヴェ。
ボランチはドミニク、右SMFはフランツ、左SMFはエリックと同じく代表戦で負傷したアントニオに代わってカミロが出場している。
3トップは右から鷲介、中央にジーク、左にアレックスという今季はよく見る顔ぶれだ。
本来のスタメンから──エリックを除けば──四人も入れ替えているRバイエルン。これは監督とクラブ上層部が相談した結果だという。
サイードたちがセンターサークルに入るのを見ながら、鷲介は視線を相手ベンチに向ける。正確にはベンチに座っているセザルへだ。
今季彼は引退する。すでに発表されており、これが彼との最後の試合になるだろう。
だが当然、譲る気はない。遠慮なく容赦なく叩き潰す。それがおそらく自分が彼にしてあげられる恩返しだ。
(行くぜ)
鷲介が心中で呟くと同時、試合開始の笛が鳴り響く。ボールが動くのを見ながら鷲介はいつもより速めに自分のポジションへ移動する。
そして直康の傍に寄った時だ、Rバイエルン陣内のセンターサークルでボールを受けた英彦が反転し、パスを出す。
ショートではなくゴール近くまで飛んだロングボール。それをサイードが収めようとするが事前に察していたクルトがヘディングでクリアー、それをウーヴェが拾い下がってきたカミロにパスを出す。
しかしカミロがボールを収めた直後、ヴァレンティーンが一気に距離を詰めてきてボールを奪う。少し自分で運び、上がってきた英彦とのワンツーで立ちはだかったドミニクをかわすと、右ハーフスペースのペナルティエリア外からロングシュートを放ってきた。
「!」
鷲介が瞠目するのと同時、弧を描いてRバイエルンゴールに飛ぶボール。バーを越えるかと思われたそのシュートは少し沈み、下がっていたエトウィンが伸ばした手を掠めてゴールに向かう。
そしてボールはゴールバーに直撃するも、跳ね返ってゴールラインを割ってしまった。
「……」
開始直後の得点に一瞬、両チームのイレブンが固まる。だがすぐにゴールしたヴァレンティーンやハンブルクFイレブンは喜びを爆発させる。
ヴァレンティーンを見ると喜びと戸惑いが混在した表情だ。おそらく景気づけの意味が強いシュートだったのだろう。とはいえ1点は1点だ。
(本当に変わったなぁ、ヴァレンティーンさん)
オールラウンダーFWでありCMF、SMFもこなせるヴァレンティーンだが昨季までは今のようなプレーやゴールはほとんどなかった。
今季から見られるようになった彼のロングシュート。パワーはいまいちだが精度が高いそれはリーグとカップ戦含めて2ゴールをマークしている。もちろん守備陣もそれは理解していたはずだが、試合開始直後と言うこともあって対応がわずかに遅れていた。
(ま、無傷で済むなんて思っていませんし。
それに今の一撃で皆、一気にテンションが跳ね上がったみたいだ)
周囲のチームメイトたちのほとんどが唇をへの字にして眉を吊り上げている。不意打ちと言うべき一撃はチームメイトの神経を大きく逆なでしたようだ。
試合開始3分の失点の後、Rバイエルンは怒涛の攻めを見せる。前半15分の間でなんとシュートを7本打ち、そのすべてが枠内に飛ぶ。
しかしハンブルクの亀の甲羅のような守りに得点を奪えない。全員が自陣に下がり英彦やペア、ザンビディスらのコーチングによる守備はRバイエルンの得点を阻む。
(本当に難敵だ。前回よりもさらにやりにくい)
個々の能力が増しているハンブルクFだが、特にチーム全体の一体感が見事だ。あのヴォルフFCほどではないが、フルメンバーでないRバイエルンがてこずるレベルにはある。
鷲介もドリブルで幾度か切れ込みラストパスやシュートを放ったが、枠に飛んだボールはガブリエルの顔面ブロックで防がれ、ラストパスによるチャンスは英彦やウルリクがあと一歩のところで摘んでしまった。
圧倒的に攻めながら点が入りそうで入らない嫌な展開。しかし鷲介は全く慌てていない。
そろそろチームメイトたちの頭も冷えてくる頃だと思い、そしてその通りなのか今まで感情に任せたやや精度が欠けていたチームのプレーがいつもの調子になってきたからだ。
勢いだけではなく緩やかに。しかし確実に相手を追い詰める攻めをするRバイエルン。ハンブルクFも今までのように守ろうとするが緩急をつけたRバイエルンの攻めに徐々に守りが綻んでいく。
前半19分、パスを受けた鷲介は右サイドを突き進む。あっという間にペナルティエリア横まで来て緩急のフェイントで立ちはだかった直康を突破、左足でクロスを上げる。
右サイドから飛んだボールにジークと今日彼のシュートを幾度となく阻んでいるザンビディスが反応。しかしボールは彼らの横を通過する。
そしてそれにガブリエルを振り切って左から飛び込んできたアレックスが合わせる。彼が右足で合わせたダイレクトボレーは見事、ハンブルクFゴールネットを揺らした。
同点に追いついた後もRバイエルンはペースを変えない。緩急をつけた堅実と速攻のプレーで相手ゴールに迫る。一方ハンブルクFは守りに重点を置きつつもカウンターなどで反撃してくる。
だがクルトとジェフリーの2人によるコーチングと守備がハンブルクFの得点を許さない。シュートを撃たせても飛んだボールは枠外だったりエトウィンが余裕をもって対処してしまう。
一度だけ英彦によるドリブル突破でピンチのシーンがあったが、クルトがファウルのような荒々しいタックルでボールを奪うこともあった。
格下の抵抗を余裕を持って受け止める格上と言う試合展開。そして前半31分のRバイエルンのカウンター。クルトからの縦パスに飛び出した鷲介は相手ゴール方向へ爆走。
ペナルティライン手前でペアが立ちはだかるが鷲介は速度を落とし、また緩急をつけた動きで彼を翻弄、右に切れ込む。それにペアが反応した次の瞬間、左を見ずに左へパスを出す。
パスミスではない。彼が寄ってくるという確信があったからだ。そして思った通りジークが走ってきた勢いのままダイレクトでロングシュートを放ち、逆転弾をハンブルクFゴールに叩き込んだ。
「よし、これで勝ち越しだ!」
「はい。でもまだ時間はありますから集中していきましょう」
ガッツポーズをとるジークへ鷲介は言う。
もっとも言わずとも皆わかっているようで、逆転後の試合には大きな変化はない。
そしてこのまま前半が終わると思っていた43分、ペナルティエリア正面よりやや左でロングボールの競り合いで倒れたレネとジェフリー。それに主審が笛を吹き、ハンブルクFにFKが与えられる。
ボールの前に立つのはレネと英彦だ。この二人が今季のハンブルクFのフリーキッカーなのだ。
英彦が駆け寄ったのを見て壁役となっている鷲介は跳躍する用意をする。彼のFKは相手の壁を越えてゴールに向かうことが多いからだ。
しかし今日の彼のキックは違った。ボールは壁の一番右側にいるカミロの肩を掠め、Rバイエルンゴールに飛んだのだ。
「……っ!」
着地と同時、振り返る鷲介。ゴール右に飛んだボールにはエトウィンが左腕を伸ばして弾いていた。
しかしこぼれたボールを拾ったのは右サイドにいたヴァレンティーンだ。唯一右サイドに残っていたウーヴェが立ちはだかるが、若きドイツ代表は強引に中に切れ込む。
ウーヴェも体を寄せて完全な突破は許さないがヴァレンティーンの勢いにやや押され、コースを完全に消せなかった。そしてそこにヴァレンティーンはパスを出し、収めたレネがポストプレーで英彦に落とし、彼の右足がダイレクトシュートを放つ。
枠内に向かったボールをジェフリーの体が壁となり弾く。それを拾ったサイードは大きく左足を振りかぶる。それにドミニクが立ちはだかるが、サイードはシュートを撃つと見せかけて右に切り返して彼をかわすと、今度こそシュートを放った。
Rバイエルンゴール右に飛んだ強烈なグラウンダーシュート。エトウィンも反応していたがわずかに遅く、ボールはゴールポストを跳ね返り、Rバイエルンゴールのネットを揺らすのだった。
◆◆◆◆◆
「ふぅ……」
給水ボトルから口を離し、鷲介は小さく息をつく。
つい先ほど終了した前半。スコアは2-2でこれは前季対戦した時と同じである。
「同点か。思った以上にやるなハンブルクFは」
「こちらもフルメンバーではないですが優勢に進めてこれですからね。英彦もそうですがザンビディスにサイード、ヴァレンティーンの四人は強豪のスタメンに匹敵しますよ」
「チームとしての一体感も見事だ。開始直後の失点後、俺たちの怒涛の攻めを全員守備とはいえ無失点でしのいだのは賞賛に値する。
ジークフリートのゴールで逆転され、その後押されている最中も諦めたり気圧されることもなく、自分たちに負けない気迫と執念で粘り強くピッチを走っていた。
それがあの同点ゴールにつながったのだろう」
チームメイトたちが前半について話すのを鷲介は聞く。皆、前半で同点に追いつかれたことは悔しく思っているがそこまでのショックは受けていない様子だ。
そしてそれは鷲介も同じだ。スコアこそ並んでいるがゲーム内容は悪くない。というより全体的に見て圧倒している。ゴールを許したのは一瞬のスキを突かれてのことだ。
(英彦さん達、ハンブルクFの皆。本当に強い。
──でも、アシオン・マドリーやブルーライオンCFCほどじゃない)
鷲介がそう思っている中、インタビューを受けていた監督が控室に姿を見せる。
監督からも特に大きな指示や変更はない。前半と同じサッカーをすること、いくつかの細かい部分の修正を指摘される程度だ。
トーマスもわかっているのだろう。ハンブルクFは強い。だが今のRバイエルンなら真っ向勝負して負ける相手ではないことを。
(もし今のハンブルクFに俺がいたら、Rバイエルンでも危ないかもな)
そんなことを思いながら鷲介はジークとアレックスと後半に向けて話し、それを終えると一足先に早くピッチに戻る。
「”黒鷲”! ”黒鷲”!」
「”サムライソード”! ”サムライソード”!」
ピッチに姿を現した鷲介に観客席のサポーターから仇名が連呼される。
強く大きく、しかし少し心配げな呼び声。それを聞き鷲介は皆に大きく手を振る。
心配するなと、後半ゴールを決めて勝つという思いを込めて。
鷲介のパフォーマンスでサポーターの声援がより大きくなる中、両チームの選手がフィールドへ姿を現す。
ピッチに散らばっていく相手チームを一人一人見渡し、鷲介は下唇を舐め、思う。
(あんた達は強い。
だが俺は、俺たちはもっと強い。悪いが一蹴させてもらうぞ)
ジークとアレックスがボールを動かし後半が開始されると同時、鷲介は猛スピードで相手の最終ラインまで移動し、ボールを要求する。
直康とヤンがマークに来るがそれに構わず動き続けボールを欲しがる。そして後半開始して数分、センターサークルにいるフランツから長いボールがやってくる。
右ハーフスペースでそれを受け、飛び込んできたヤンの股を抜いてあっさりとかわす鷲介。さらに直康が右から距離を詰めてくるが軽快なダブルタッチでかわし、中央に走る。
「何……!?」
直康の驚きの声を聞きながら前に突き進む鷲介。アレックスが動き相手守備陣をかき乱すのと右に流れたジークの姿が視界に映る。
そしてペナルティエリアラインから二メートルと言ったところでペアが一気に距離を詰めてきた。ここで飛び込んできたのは自分がかわされても味方のフォローが入ると思っているからだろう。
事実、ザンビディスがジークを警戒しつつもこちらへの注意を怠っていない。もしペアが突破されればすぐに彼がこちらに向かうだろう。
(見事な対応だ。──ハンブルクFとしては、だけど)
そう思うと同時、鷲介はドリブル突破すると見せかけてジークにアイコンタクトを送り、ペナルティエリア内にいる彼にパスを出す。
ボールを収めたジークにザンビディスが近づきシュートコースを潰す。だがこちらの意志を察したジークはシュートを撃たず、すぐに鷲介にボールを返してくれた。
再びボールが白線ギリギリ外にいる鷲介の足元へやってきて、ペアが立ちはだかる。それを見ながら鷲介は迷うことなく左に切れ込み、突破する。
「な!?」
あっさりと鷲介に突破されたことに驚きの声を上げるペア。年代別代表の最高峰であるU-23代表だっただけあって彼の備えは悪くはなかった。
だがレオナルドやニコの一対一に比べれば隙があり、未熟と言わざるを得ない。昨季の鷲介ならばわずかに躊躇しただろうが、最高峰のDFたちとのマッチアップを経験した今の鷲介なら微塵も躊躇しない。
ペアが突破されることも考えていたのかハンスが飛び出してきている。だがそれも鷲介から見たら遅いものだ。彼が動くのを見て鷲介はシュートを放ち、ハンスの横を通過したボールがハンブルクFゴールに吸い込まれた。
勝ち越し点に沸くチームメイトとサポーター。鷲介はいつものゴールパフォーマンスをジーク達として早々と自陣に戻る。
前半のような開始直後の失点をやられたことにハンブルクFイレブンは怒ったのか、前がかりになって攻めてくる。だが勝ち越したRバイエルンは余裕をもってそれらを受け止め、得点を許さない。
そして後半12分、サイードからボールを奪ったクルトからロングボールが出て、自陣センターサークル近くにいるフランツにパスが通る。
これはハンブルクFの状況のせいだ。失点後はチーム全体が前がかかりになったものの、中盤から後ろは少しして冷静さを取り戻した。
だが前の三人──サイードとレネ、そしてヴァレンティーンは高い位置におり、彼らとそれ以外との面々との距離ができてしまっていた。その距離を埋めるべく英彦たち中盤の選手も前に出るが、その陣形は前半とは違って不格好で不安定なものだ。穴も多くある。
当然英彦や監督から前の三人に戻るよう声が飛ぶが攻撃の後、彼らは似たような形になってしまう。後半開始直後の失点への怒りもあったのだろうが、Rバイエルン相手に二戦連続で前半イーブンに持っていけたことで彼らは過信してしまっているようだった。自分たちだけでも点が取れると、思っているように見えた。
そんな思い上がりを、クルトたちは一切容赦せず叩き潰してはボールを奪い、Rバイエルンの攻撃につなげる。クルトからのパスを収めたフランツはオーバーラップしてきたアンドリーに渡し、アンドリーは近づいてきた相手を鷲介とのワンツーでかわしてサイドを駆け上がる。
Rバイエルンの速攻に慌てて戻るハンブルクFの守備陣。しかし相手の守りが完成する暇を与えずアンドリーは敵ゴール前にロングフィードを上げる。
それにいち早く反応したのはチームのエースであるジークだ。右サイドから上がった斜めのクロスに飛び込み頭で合わせる。だが今日、幾度となくジークのシュートを防いでいるザンビディスの伸ばした足が地面に叩きつけられようとしていたヘディングシュートを弾く。
ペナルティエリアの外へ転がっていくボールにハンブルクFのイレブンが駆け寄ろうとするが、いち早く拾ったのは全力疾走してきた鷲介だ。
走ってきた勢いのまま鷲介はダイレクトシュートを放ち、ボールはゴールに叩き込まれた。
「──これで二点差」
荒い呼吸をしながら呟く鷲介。チームメイトが喜ぶ一方、ハンブルクFイレブンは表情から力が無くなっていく。
だがそんな時、数少ないアウェーサポーターから歓声が上がった。周りを見て鷲介もその理由を悟る。セザルがヴァレンティーンと交代でピッチに姿を見せたからだ。
こちらの視線に気づいたのか、彼は不敵な笑みを浮かべチームメイトたちを鼓舞していく。以前と全く変わらぬ勝負を決して諦めていないその顔を見て鷲介は緩んでいた気を引き締める。
セザルが投入されたハンブルクFは前半のような一体感を取り戻し、攻守ともに引き締まる。前半の頑張りや粘りを取り戻したハンブルクFのDFに鷲介たちはあと一歩のところで阻まれ止めを刺せない。
またセザルが英彦がいたやや下がり目の位置に降りていくのと入れ替わって、英彦はヴァレンティーンがいた前目のポジションに移動。ドリブルにキラーパスを放ってはRバイエルンゴール前を脅かす。
とはいえクルトを中心とした守備陣は何とか踏ん張り得点を許さない。英彦とのマッチアップで突破されることもあったがジェフリーたちの助けもあって何とか凌いでいる。
全体的に見ればリードし攻める回数が多いRバイエルン優勢だ。とはいえハンブルクFも崩れず得点を諦めていない。
もちろんその核となっているのはセザルだろう。クラブの旗手たる彼が入ったことで相手チームは本来の実力を発揮している。
(それがどうした)
鷲介は心中で吐き捨てる。今のハンブルクFは厄介だがCLの強敵たちに比べたら一枚も二枚も劣る。
そしてこの試合の後に戦うであろうバルセロナRも同じだ。ハンブルクF程度に苦戦させられていて欧州最強の攻撃陣を要するあのチームに勝てるはずもない。
(真っ向から打ち砕く……!)
世界最高峰の敵たちと戦っていくため、またハンブルクFへの恩返しのために鷲介は決意しピッチを走る。
ハンブルクFが二人目の、そしてRバイエルンもウーヴェに変わりビクトルが、フランツに変わりミュラーが交代でピッチに入る。
それから十分ほど経過した後半25分、レネからボールを奪ったビクトルからカミロ、ミュラー、アンドリーと繋がり鷲介の元へボールが届く。
立ちはだかった直康をジークとのワンツーでかわし突き進む鷲介。ペナルティエリア近くでペアが前を塞ぐが後ろから上がってきたアンドリーにパスを出すふりをして騙し、加速して中に切れ込む。
あとはシュートを撃つだけ。そんな鷲介のすぐ横にセザルの姿があった。ペナルティエリアラインすぐ手前で彼は体を寄せてくる。
「これ以上はいかせねぇよ……!」
そう言って接近してくるセザルを見て鷲介は眉間にしわを寄せる。右に切り返せばかわすことはできる。だがそれをすればセザルはもちろん、こちらへ移動しているハンスと今かわしたペアにも挟まれることになる。そうすればさすがにドリブルもシュートもできず、ボールを近くにいる味方に渡さなくてはいけない。
だがその選択は選べない。チームとして間違ってはいないが個人としてその選択はできない。今引いたら負けた気持ちになるからだ。
(だとすれば……打てる手段はこれだけだ!)
そう思うと同時、鷲介は右足を振りかぶる。そしてセザルの伸ばした足がボールに触れる寸前、振り下がった右足はボールを強く蹴る。
セザルの足と鷲介の右足が接触し痛みを覚える中、鷲介の視界にはボールの行く先が映る。ゴール左に向かったボールへハンスが手を伸ばす。彼の腕はコースを塞いだが一瞬遅くボールはそのままゴールに向かう。
そしてゴールポスト上部に激突し、ゴールライン上で一度バウンド。しかしボールが次ピッチに触れた場所は、ゴールポストの中の緑の芝生だった。
「よしっっ!!」
サポーターの歓声、主審のゴールを認める笛の音を聞きながら鷲介は大きくガッツポーズをとる。
「よく決めた! 見事な止めだ!」
「ハットトリックおめでとう!」
駆け寄ってきたジーク、ミュラーに抱擁される鷲介。
数秒してミュラーの言っていた通り今日3得点──ハットトリックをしたことに気が付く。そしてプロになって初めてのことであることも。
「さぁ、これで勝負は決しただろうがまだ時間はある。
最後まで気を引き締めていくぞ」
「はい!」
フランツに変わりキャプテンマークを巻いたジェフリーの言葉に鷲介たちRバイエルンイレブンは大きく頷く。
それからの試合は特に大きな出来事は起こらなかった。残り二十分あるとはいえ三点差をつけられたハンブルクFは見るからに勢いが落ち、反撃もままならなかったのだ。
もちろんセザルや英彦など一部の選手は奮闘していたがRバイエルンの強固な守備陣を崩すことはできず、ロスタイムに鷲介がガブリエルに倒されて得たPKをジークが決めた直後、主審の試合終了の笛が高らかにスタジアムに鳴り響くのだった。
◆◆◆◆◆
歓声轟くミュンヘン・スタディオン。鷲介は6-2と言う試合結果を表示している大型モニターを見ながら大きく息を吐く。
(うーん、少しやりすぎただろうか……?)
ピッチに項垂れ、倒れこんでいる元同僚たちを見て鷲介は思う。
次戦への勢い付けや恩返しを込めて全力で攻め立てたが、かつて苦楽を共にした仲間たちの試合開始前とは正反対の消沈した姿を見てちょっと心が痛む。
いや、だが手を抜くのは失礼だし手加減して勝てる相手でもなかったわけで──。そう心中で思っている鷲介の元へセザルがやって来る。
「最後の最後までやってくれたな鷲介!」
大敗したにもかかわらず彼は平然とした面持ちで傍に寄ってきては鷲介の肩を抱く。
「全得点に絡む大活躍。ハットトリックに2アシスト。
全く、ここまで見せつけられると賞賛する気持ちしかないな!」
「あ、ありがとうございます。
でもいいんですか。みんなかなりダメージ負ってますよ」
「それを与えたお前が言うなよ。
ま、俺は今季で引退する身。来季のキャプテンが何とかするだろうさ」
そう言ってセザルは背後を振り返る。鷲介もそれを追うと消沈したメンバーに直康やウルリクが声をかけ、起き上がらせている。
セザルの言い方から察するにあの二人のどちらかが来季のキャプテンと言うことなのだろうか。
「得点嗅覚はもちろんドリブルのキレも体の使い方もさらに鋭く、速くなったな。CLの強敵たちとの戦いで磨かれたようで何よりだ。
この調子でバルセロナRを倒せよ。もっとも簡単ではないだろうがな」
「はい。それは重々承知しています」
頷く鷲介。映像でさんざんチェックしてわかってはいるが実体験して理解するのとは別の話だ。AマドリーやブルーライオンCFCもそうだった。
「……あー、今になって悔しくなってきた。リベンジするまで引退するのやめようかね」
「奥さんに怒られますよ」
「甘いな鷲介。今度現役続行するなんて言ったら怒る程度ではすまんぞ。無言で離婚届を突き付け子供たちと共に実家に帰るぐらいはするだろうな。
……おのれ鷲介! 俺の家庭に不和を招く気か!」
「だから変な八つ当たりはやめてくれっての!」
理不尽な怒りをぶつけるセザルへ鷲介も容赦なく突っ込み返す。昨季と変わらず自由奔放な人だ。
そこへお互いのユニフォームを肩にかけたクルトと英彦がやってくる。
「完敗だよ鷲介。ハットトリックおめでとう」
「ありがとうございます。でも英彦さんも相変わらず見事でしたよ。
特に後半、クルトさんを抜いたときは1点返されるかと思って冷や冷やしました」
「はいはい、悪かったよ。今度は抜かれないよう精進するよ」
半目で言うクルトを見てセザルと鷲介が笑い、英彦も微苦笑する。
「CL頑張れよ。僕も今いる場所で結果を残して追いつくからな」
「そうだな。とりあえずEL出場権を得るのに全力を尽くすぞ!」
「はい、もちろんです」
ハンブルクFの新旧司令塔二人は力ある表情で頷きあう。
「俺もハンブルクFがEL出場できることを個人的に願っています。
そして英彦さん、あなたが欧州の舞台で活躍できる時を俺たちは待っています」
鷲介の言葉にクルトは即座に頷く。この場にいる人達の中で誰よりも強くそれを願っているのは間違いなく彼だろう。
英彦は微笑しクルト、そして鷲介と握手をかわすと背を向けてチームメイトと共にピッチから去っていく。
「さて、俺も行くか。
それじゃあ鷲介、またな」
「はい。また会いましょう」
セザルは微笑み背を向ける。おそらくこれがお互い、サッカー選手としてピッチで会う最後となるだろう。
短い間とはいえ世話になった人だ。悲しく、寂しくはある。だがそれ以上に感謝と、次はどこで会うのかという期待の方が大きい。
サッカー選手として道は交わらなくても、人生の道のりの中でそうなるかはわからない。きっとどこかでまた会う気がする。
そう思いながら鷲介はチームメイトの方へ歩いていくハンブルクFの背番号10を見送るのだった。
リーグ戦 20試合 22ゴール8アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 6試合 9ゴール2アシスト
代表戦(二年目)7試合 13ゴール3アシスト