疾風と黒鷲は空を駆ける5
「これはこれは! 土壇場できたな!」
「ええ。まさか”ゾーン・チェーン”が発動するとは」
「いや、まぁ絶体絶命まで追い詰められたからこそ、ああなったともいえるかもしれないな」
噴火を思わせるような歓声を聞きながら、ヨハンたちは目の前で起きている現象について語る。
”ゾーン・チェン”。それは”ゾーン”に入った選手の状態が他の選手たちに連鎖することだ。今日の試合で言えば”ゾーン”に入ったマルコに呼応するように、他の選手が”ゾーン”に入ったのだ。
「見た感じニコにディディエ、ゲルトがそうなったのかね」
「いや、ゲルトはどうだろうか。はっきりとはわからんな」
「でもニコさんにディディエさんは間違いなく”ゾーン”に入っていますね」
そしてこのような状況になるのは珍しいことではない。CLの決勝トーナメントに進出するチームの選手のほとんどがワールドクラスであり”ゾーン”の経験者だ。
天才に怪物、そしてそれらに迫った実力者たちが激しくぶつかり合う以上、このようなことが起こるのはむしろ必然とさえいえるだろう。
ちなみにヨハンもフルール・サンジェルマンとのアウェーゲームで”ゾーン”に入り、4-1と言う逆転勝利に大きく貢献した。
「おやおや、柳の奴は唖然としているな。
あの顔は”ゾーン・チェイン”初体験って感じだな」
「彼はCLの決勝トーナメントは初参加なのだから無理もない。それにほんの5分前まで優勢だった状況をあっさりと覆されたのだ。
こればかりは、体験しないことには慣れはしないだろう」
パトリックの言葉にヨハンは頷く。そして柳はジークやフランツから肩や背中を叩かれ、のろのろと動き出す。
ロスタイムまで数分と言った時間に鳴り響くキックオフの笛。ボールを下げるRバイエルンにブルーライオンCFCは先程以上の勢いで迫る。
トータルスコアこそ5-5と並んだが、アウェーゴールはRバイエルンの方が多い。彼らが準々決勝に進むためにはあと1点必要なのだ。
「なんか前線全員、”ゾーン”に入ってねぇか?」
パトリックの言葉にヨハンは頷きそうになる。そう思うような勢いと激しさが青のイレブンにはある。
そしてその勢いにドイツ王者は明らかに圧倒されている。特に若い二人──鷲介とミュラーはまるで別人のような消極的な動きだ。
「……不味いな」
そうヨハンが呟いたその時だ、ドリブルするディディエの前にミュラーが立ち塞がる。
なんとしても止めるという顔つきのミュラー。しかし”ゾーン”に入ったディディエはパワーとスピードが同居した力強いドリブルで強引に彼を突破してしまう。
それに食い下がるミュラー。しかし明らかに反応が遅れており届かない。それを彼自身もわかっていたのか彼の右手が伸び、ディディエのユニフォームを掴んで倒してしまう。
当然鳴り響く笛とミュラーに提示されるイエローカード。凄まじいブーイングが頭を抱える若者に向けられる。
ロスタイムに入ると同時、ペナルティアークちょうどに置かれるボール。それにマルコとゲルトの2人が寄る。両者は視線をかわし数秒後、マルコが距離を置く。
「キッカーはゲルトか。あいつのFKは危険極まりないぞ」
リーグ戦でゲルトが蹴った近距離からの3本のFKは全てネットを揺らしている。そしてその時と今の状況は大差がない。
笛が鳴りボールを蹴るゲルト。ボールはジャンプしたRバイエルンの壁をギリギリ掠め、ゴール右に向かう。
そのボールにアンドレアスが伸ばした手──いや指が当たる。しかしボールは勢いを失いながらも横に飛び、サイドネットに突き刺さった。
「……これは、決まったな」
ブルーライオンCFCサポーターの喜びの声だけが響くスタジアムで、パトリックがぽつりとつぶやく声が聞こえた。
◆◆◆◆◆
「鷲介、鷲介」
二度声をかけられ、鷲介はゆっくりと首を振る。いつの間にか隣にはジークが立っていた。
「キックオフ開始と同時、全員で攻め込む。お前も一気に敵ゴール前に走れ」
「はい……」
頷く鷲介。それを見てジークが少し眉を顰める。
「いつになく元気がないな」
「元気がないというか、試合の展開に頭がついていけません……」
「さっき俺が行ったことを覚えているか」
「覚えていますよ。でも……!」
呆れたような口調のジークを鷲介は睨みつける。
残り20分での大々逆転劇を鷲介の脳は完全に理解できない。まだ前半ならかろうじて納得もしただろうが時間は後半、それもこちらが逆転した後の出来事。
(こんなバカみたいな出来事、そうそう受け入れられるかよ……!)
自分と同じくミュラーも呆然としている。傍にフランツやロビンがいるところから自分と同じことを言われているのだろうが、果たしてまともなプレーができるのだろうか。
(残り時間はロスタイムだけ。それもあと数分……)
どんな状況でも最後まで諦めないと決めていた。だがこんな未知の状況は鷲介の想像を、意志をはるかに超えたものだ。
勝ち越したブルーライオンCFCは間違いなく全員で守りに入り、なんとしてもゴールを奪わせまいとするだろう。さらに強くなるあの守備陣からゴールを奪うイメージが少しも沸いてこないのだ。
「諦めたか」
心中を言い当てられ鷲介は視線を鋭くし──すぐに眦を下げた。彼の言う通り鷲介はもう折れかかっている。
周りのチームメイトたち──ミュラー以外は──鷲介同様力はない、敗北を受け入れたような表情だ。しかし同時に勝利への強い渇望が瞳にはある。
負けるにしてもただでは負けない。最後の意地を見せるという仲間たちの面構え。だというのに自分は、
(情けない)
失望されるなと思った。以前、似たような状況で自分はなんと偉そうなことをみんなに言ったのだろう。それがこの様だ。初体験だからなど言い訳にもならない。
「ま、そうなるのは当然だ。かくいう俺も過去、同じようなことがあった時、心の中で白旗を上げたからな」
ジークの言葉に鷲介は勢いよく顔を上げる。
微苦笑した彼が放つ言葉には、深い実感がこもっていた。
「だが鷲介、まだお前はピッチに立っている。準備しているアレンとの交代もない。監督はお前を信じているんだ。
そして当然だが俺たちもだ」
ジークがそう言うと同時、鷲介の背中を誰かが強く叩く。そちらを見れば蔑むような眼をしたエリックがいた。
「なにしょげてやがる。まだ時間は2分ある。あと1ゴールを決めるのには十分すぎるだろうが」
「できると思うんですか……?」
「馬鹿かお前は。──以前お前も言っただろうが。できるかどうかじゃない、やるんだよ。勝つためにな」
腕で乱暴に汗をぬぐいながらエリックは言う。小さく息を吐き、彼は少し声音を和らげる。
「安心しろ。疲れ果てているお前にそこまで期待していない。俺がゴールを決めるためにボールを運ぶか、相手ゴール前をかき乱せ。あとは俺が何とかしてやる」
そう言ってエリックは身をひるがえしセンターサークルの方へ歩いていく。それを見ていたジークが微苦笑する。
「やれやれ。相変わらず自分勝手な言い草だ。しかしこの状況では頼もしく感じるから不思議だ。
しかしエリックの奴も、鷲介を信じている様子だったのは、少し意外だな」
「え?」
「交代しろとは言わなかっただろう。お前なら自分が行ったことはできると思っているんだろう。
──俺もエリックと同じ意見だ。体力的にお前はもう限界だろうし、あとは俺たちが何とかする」
そう言ってジークは微笑み鷲介の肩に手を置く。それだけならと思い頷こうとした鷲介だが次の瞬間、口からこんな言葉が飛び出た。
「いいえ。ゴールは俺が決めます。ジークさんたちこそボールキープや相手DFのかき乱しをお願いします」
鷲介の言葉に目を丸くするジーク。しかし彼は何故か嬉しそうに微笑み、肩に手を置く。
「わかった。その心意気で残り時間プレイしろよ」
そう言って先にセンターサークルへ向かうジーク。鷲介もすぐにその後を追う。
赤いユニフォームの背番号10を見ながら、鷲介の心中は一つの強い感情に支配されていた。
状況による諦めではない。敗北するであろう未来への悲しみでもない。
怒りだ。ジークやエリックに気遣われたことに対する、怒りだった。
(ボールを運ぶだけ、DFを引き付けるだけしていればいい? ……ふざけるな!)
もしシーズン前の自分ならこうは思わなかっただろう。しかし今シーズンの数々の経験と活躍、周囲の人々たちからの評価と自分がワールドクラスのチームメイトにも決して劣らないという自負が、鷲介に怒りを覚えさせた。
ジークやエリックを超えたとは一度も思ったことはない。だが励まされ、元気づけられるようなただの若輩では決してない。いかなる状況でも彼らと対等な立場であることは示してきた──
(まだ2分ある。それだけあれば数回はピッチを横断できる……!)
怒りを心中に秘めながら鷲介はボールを小さく動かす。最後のキックオフの笛がスタジアムに鳴り響く。
ジークの言葉通りRバイエルンイレブンはアンドレアスとクルトを残し、敵陣になだれ込む。そしてブルーライオンCFCもこれまた予想通り、全員が自陣に引きがちがちの守備を構築する。
攻めるRバイエルン、守るブルーライオンCFC。敵、味方共に必死の形相でピッチを走り回る。
鷲介も後先考えず動き回り、そしてとうとうボールがやってくる。フランツがジークに出したボールが跳ね返され、そのこぼれ球を拾ったのだ。
ゴールの方向を向くのと同時、ハミルトンがぶつかるような勢いで距離を詰めてきた。鷲介は大きく深呼吸、彼が足を伸ばした瞬間を見計らって横にかわす。
しかし避けた先にはマルコとキースが立ちはだかっていた。そしてマルコが迫ってきた。
これはかわせない、奪われる。絶妙なタイミングでの接近に鷲介は心中で思う。
無念が心中を満たそうとしたその時だ、鷲介は見た。マルコがうっすらと笑みを浮かべているのを。勝ち誇ったような顔を。
(まだ、試合は、終わってないだろう!)
そう思うと同時、鷲介は全身が軽くなったのを感じる。同時に周囲の動きがよりはっきりと見え、また遅くなる。
”ゾーン”に入った。そう思うと同時、体が動く。こちらからボールを奪うであろうマルコのタックルをギリギリでかわし前に出る。そしてぎょっと目を見開いたキースの股を抜き、相手ゴールに突き進む。
しかしそこへ立ち塞がったのはニコだ。”ゾーン”状態は未だ維持しているらしく、鷲介の動きもしっかりと視界にとらえている。
(ニコ・アサノヴィッチ──)
目の前の男にはチームも自分も散々苦しめられた。ポウルセンやバレージと同格の世界最高峰DF。”ゾーン”に入っている今は世界一と言っても過言ではないかもしれないが──
(突破する!)
誰であろうと関係ない。立ち塞がるなら抜き去る。そう思い鷲介は軽く左右に体を揺らした次の瞬間、ジークが動き中央にできたスペースへ切れ込む。
”ゾーン”状態のニコは鷲介の動きについてきてボールを奪おうとする。それを予測できていた鷲介はニコが体を当てた瞬間減速。そして自身とボールの軌道を左回りにして動き、ニコをかわす。マルセイユルーレットだ。
「な……!」
ニコの驚愕の声が聞こえる。しかし鷲介にも余裕はない。
“ゾーン”状態だったとはいえ勢いに任せた全力の動きとマルセイユルーレットと言う大技にあっさりと限界を超えてしまい、“ゾーン”が解除されてしまっていた。
それでも鷲介はシュートを撃とうとする。だが見た、コリンがこちらに飛び出している姿を。
(最後の最後まで……!)
おそらくこれがニコたちの最後の、そして必勝と言うべき守り。至近と言う距離まで両手を広げて迫ったコリン。このまま勢いに任せたシュートを撃てば、間違いなく体のどこかに当たり止められるだろう。
最後の最後まで嵌めてきた。それに驚嘆しながらも、心の一部は冷静だ。”ゾーン”状態のニコならば、最後の最後までこちらの邪魔をするであろうことを予想していたからだろう。
だから鷲介は体の力を抜き、抜かれたニコが右から迫りコリンが距離を詰めた瞬間、左足のキックでボールを浮かせた。チップシュートだ。
こんなハイレベルな試合でやったことがないテクニカルなシュート。しかしこれしかゴールするイメージはなく、そして今ならできる気がしたのだ。
ボールは飛び出したコリンの頭上を超え、ゆっくりとゴールに向かう。下がってきたトレヴァーがオーバーヘッドでクリアーしようとするが、ボールに伸ばしたつま先は届かない。ボールはサイドネットをやさしく揺らし、ゴール枠内に落ちた。
「……どうだ」
呟くと同時、鷲介は大きく息を吐き、ピッチに腰を落とす。同じタイミングでホームサポーターの絶叫がスタジアムを揺るがす。
そして主審がサポーターたちの声を切り裂くような鋭く、甲高い笛の音を二度鳴らす。最初はゴールの、そして二度目は試合終了の笛を。
最終スコア5-4。ブルーライオンCFCの勝利だ。しかし二戦合計して6-6。
この結果、アウェーゴールが多いRバイエルンが次のラウンドへの進出を確定させた。
◆◆◆◆◆
「鷲介ー!」
「やりやがったなこの野郎!」
「うんうん、よくやった。偉い偉い」
試合終了と同時にピッチにへたり込んだ鷲介の元へ駆けてくるチームメイト。へとへとな鷲介はなすすべなく彼らの手荒い洗礼を受け続ける。
「本当に、本当に凄いよ君は!」
「ああ、見事だね」
半泣きのミュラーと微笑するクルトも珍しく仲間とともに鷲介の体を叩く。
それを受けているとふと気が付く。いつの間にか目の前にマルコの姿があったからだ。
「……」
無言で見つめるマルコ。鷲介も思わず見返す。
そして十数秒経過すると、彼は口を開く。
「まずは準々決勝進出おめでとう、最後まで勝ち抜けよと言っておく。
……だが、俺とお前の勝負は俺の勝ちだ。ともに2ゴールだが俺はアシストもしたからな」
「ああ。そうだな」
負け惜しみのようなマルコの言葉に鷲介は即座に頷く。これにミュラー達はもちろん、マルコも目を丸くする。
実のところ今日のスコアポイントは共に2G1A。二戦合計では鷲介が3G2A、マルコは3G1Aと鷲介が勝っている。
しかし試合中の活躍は明らかに彼の方が上だった。鷲介は相手の脅威にこそなってはいたが、マルコほど流れの中で得点になるような危険なプレーはできなかった。
だから鷲介はマルコの間違いを指摘せず、素直にこう言う。
「”ゾディアック最強のウイング”はお前だよ」
ウイングとはただ単にゴールを決めたりドリブルで敵陣を切り崩すだけではなく、主戦場であるサイドにおいてどれだけチャンスを生み出せるかだ。
そう言った意味では彼は明らかに鷲介を上回っていた。だから鷲介は続けてこう言う。
「だから次はウイングとしてもお前に勝つ」
「……そうか。なら次もコテンパンにしてやるよ」
そう言ってマルコは不敵な笑みを浮かべつつもユニフォームを脱ぎ、差し出してくる。
鷲介は少し驚くが、同じようにユニフォームを脱ぐ。そして赤いユニフォームを肩にかけたマルコは「またな」と言って去っていく。
「有言実行したな鷲介」
そう言って肩に手を置くジーク。そう言えば彼はミュラー達のように歓喜の輪に加わらなかったことを思い出す。
「少し挑発気味に言った言葉に見事乗るとは、さすが我がチームの若きエースだ」
「……やっぱりそうでしたか」
半目になり鷲介はジークを睨む。あの物言いは彼らしくないと思っていたのだ。
「睨むなよ。お前だってアシオン・マドリーの時は同じことをしただろう? おあいこだ」
しかし彼は悪びれることなくこう返してくる。
とはいえそう返されては鷲介も何も言えないので黙り込む。
「しかし勝てませんでしたね……」
「これがCLだ。特に”ゾディアック”のいるチームとの試合は毎回こんな感じだ。
勝てると思ってもあっさりとひっくり返される。お前たちや、それに触発された選手にな」
労わるようにポンポンと軽く背中を叩くジーク。
「頂点まであと三つ。次も勝つぞ」
「はい」
◆◆◆◆◆
「ユニフォームを交換してきたのか。驚いたな」
控室にて着替えや帰る支度をしていたマルコへ、ニコが声をかけてくる。
「別に。良くあることでしょう」
どこか愉快そうな先輩にマルコはそっけなく答える。すると彼はますます面白そうに笑みを深くする。
「いや俺の知る限りお前がほかの選手とユニフォームの交換をしたことはなかったはずだ。あのヨハンとでさえ、な。
──まぁ、そうしたくなる気持ちはわからんでもないが」
「どういう意味です? 俺にはさっぱりわかりません」
「互いに高めあえる好敵手との出会いは喜ばしいってことだ」
そう言うニコの表情はさっぱりしている。最後の最後、ヤナギにやられたというのに悔しい素振りさえない。
いや、まったくないという訳はないのだろう。ただ面に出さないのと、一度だけとはいえ完全に自分を凌駕したヤナギを少し気にいったのかもしれない。なんとなくマルコはそう思う。
「別に好敵手だなんて思っていません。ただそれなりにやる奴だとは認めてもいいとは思っているだけです」
ヨハンほどの興味は沸かない。ただマルコの“屈服させたい選手リスト“のトップ5にランクインし、次戦うときは内容結果ともに圧倒してやると思っただけだ。
マルコの言葉にニコは微苦笑し「そういうことにしておくか」と言う。
こちらの意図がしっかりと伝わっていない様子なので教えようとマルコが口を開いた時だ、彼はそれにかぶさるように続ける。
「しかし最後の最後でやられたな。警戒してはいたがやはり一瞬の爆発力は凄まじい。
──ロナウドを思い出さずにはいられないな」
苦い表情のニコにマルコも開いた口を閉じる。
昨季のCL準々決勝にてバルセロナRと当たったブルーライオンCFCは“ゾディアック”不動の一位である彼の活躍によって敗退させられた。一戦目は引き分けたが次戦、相手のホームで完敗したのだ。
当時スタメンとなりつつあったものの、怪我のため出場できなかったマルコは彼の凄まじいプレイを見せられ、それは目に焼き付いている。マルコの屈服させたい選手リストでは一位のヨハンに次ぐ順位にいる。
「もしあれと当たった時、ヤナギはどうなると思う?」
「さぁ、どうでもいいことです。当たるかどうかもわかりませんし」
そう言ってマルコは止めていた着替えや片づけを再開する。
「まぁ、もし当たったのなら見てみたいですね。
ロナウドに。“ゾディアック”最強であるあの男に、どこまで食い下がれるのかを」
◆◆◆◆◆
「いやーアーサーの言う通りヤナギの奴、最後の最後で爆発したな!」
「ルーレット直後からのループとか信じられんな……」
ブルーズスタジアムの帰りに寄ったバーで談笑するヨハンたち。
周りの客はヨハンたちと同じく、今しがた終わったRバイエルンとブルーライオンCFCの試合について話している。
残念がるもの、アウェーチームを称える者もいれば、冷静に批評したり敗北したホームチームに文句を言っている者もいる。
「しっかしマルコ達は最後の最後で運に見放されたな。──いや、ある意味帳尻はあっているか」
「そうですね。見事に柳くんも”ゾーン”に入りましたしね」
ヨハンとアーサーが言うのは”ゾーン・チェイン”のことだ。
”ゾーン”に入った選手から”周囲のプレイヤーにゾーン”が伝播するこの現象だが、実のところそれは敵味方を問わない。
今日の試合でいうならマルコが”ゾーン”に入りニコたちもそれに続いたが、敵チーム選手であるヤナギにも伝播したのだ。
「それで、どうでしたかヨハンさん。柳君は」
「そうだな。確かに爆発力ならかなりのものだな。だが、俺の本気には及ばないな」
「そうかぁ? 最後のゴールシーンはお前でも難しいだろ。あの一瞬ならお前を超えていたんじゃないか」
「はっ。なーに言ってんだパトリック。あんなプレーぐらい楽勝だっての」
「まぁまぁお二人とも、落ち着いて」
にらみ合うヨハンとパトリック。そこにアーサーが苦笑して割って入ってくる。
そこへ近くの席からこんな声が聞こえてくる。
「しっかしマルコにヤナギ、どちらも見事な活躍だったな!」
「そうか? マルコはともかくヤナギの奴が目立った活躍をしたのは最後だけだろ」
「バッカお前。あのニコと初マッチアップで対等に渡り合えただけでも凄いだろうが。
それにFWは一点決めればヒーローよ。それも試合の結末を左右するゴールを決めたんだから、まったくとんでもない若造だ!」
「他のゾディアックがいるチームも順当に勝ち上がったみたいだし、今年もまだまだ楽しめそうだな―」
興奮冷めぬ様子のサポーターたち。ヨハンたちはなんとなく長居は無用とアイコンタクトをかわすと店を出る。
ヨハンの車に乗った後、後部座席に座るアーサーとパトリックが勝者について語りだす。
「それにしてもやはりRバイエルンの攻撃陣は凄いですね。あのブルーライオンCFCから4ゴールを奪うとは」
「型にはまった守り方をしていたニコたちにも問題はあるが、わずかな時間で逆転したのは確かに凄い。
もし準々決勝で当たったら厄介だな」
「それに以前まで不安定だった守備陣もだいぶ安定していました。
前半、そして後半もピンチもいくつかありましたが何とか抑えていましたし。もしマルコがゾーンに入らなければ逆転されたブルーライオンCFCが得点する可能性は低かったでしょうね」
共に勝ち上がった場合、当たる可能性を考慮しての会話だろう。
しかしヨハンは口を挟まず、相槌や短い意見だけに留める。
そして二人を返したのち帰宅するヨハン。深夜と言う時間なだけあって眠っている妻や子供たちを起こさないよう静かに家に入り、シャワーで汗を流す。
すっきりした後自室に入り、ナイトキャップを嗜む。オランダの国民酒と言われるイェネーファだ。
普段は寝る前に酒は飲まない。しかしシーズン中に何度かこのようなことがある。次の試合が待ち遠しい時や優勝が懸かるなどギリギリの状況。──予想を超えたプレーを見て選手の本能が疼いている時だ。
「ああ、早く明日にならねぇかな」
試合が待ち遠しいわけではない。前回のアウェー戦でコテンパンにのした相手だ。油断さえしなければ負ける要素はない。
ヨハンが見ているのは次のステージだ。Rバイエルンと、ヤナギと対戦することを強く望んでいる。そのために明日の試合を一刻も早く終わらせ、準々決勝の抽選結果を知りたいのだ。
そう思い始めたのは最後の彼のプレー──あのループシュートを見た時からだ。パトリックにはああ言ったが、ヨハンでもあのようなプレーをするのは簡単ではない。まして対峙していたのはあのニコだ。
しかしヤナギはやってのけた。“ゾーン”に入っていたとはいえ。──いや、あの瞬間、彼は“ゾーン”状態ではなかった。おそらく試合終了間近と言う時間での大技の行使で限界がきたのだろう。
にもかかわらず飛び出してきたGKの動きをよく見た、綺麗なループでゴールを奪って見せた。見事だった。
自分と比べて、彼が同い年の己を上回っているとは思わない。だがそれは総合力で見た話だ。
点取り屋としてならばおそらく──
「本当に、ワクワクさせてくれるぜ。“ゾディアック”は」
ヨハンはそう呟き、空になったグラスに酒を注ぐ。そして心中の熱を冷ますかのように一気に飲み干すのだった。
リーグ戦 18試合 18ゴール6アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 6試合 9ゴール2アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト