進む者、去る者3
敵陣より一気にRバイエルンゴール前に飛んでくるボール。それがヴォルフガングに向かうのを見たクルトは、ジェフリーとアイコンタクトをかわし、彼に近づく。
彼が前を向いたのと同時、一気に加速。彼の足元にあるボールに足を伸ばす。しかしヴォルフガングは間一髪、そのタックルをよけてしまう。
しかしクルトはすぐに彼が避けた方向に反転する。すると予想通り、ジェフリーが立ち塞がっているのを見て、動きを止めたヴォルフガングの姿があった。そして彼の足元にあるボールに、体を投げ出してスライディングを放つ。
伸ばした足は狙い通りにヴォルフガングの足元より少し離れたボールに接触。彼の足元から転がり、それをジェフリーが拾って前にいる味方へ渡す。
「っっ……! うぜぇぞフリードリヒ! いつまでらしくないことをしてやがる」
「君に教える義理はないね」
ボールを奪われ、激怒するヴォルフガングにクルトは普段通りの冷静な口調で答える。そしてドミニクが下がってきたのを見て、クルトは前に出る。
(守備は任せたよ)
(了解)
すれ違いざま、ドイツ代表の盟友とアイコンタクトで意思を交わす。今季加入したドミニクだが、おそらくチームの中ではクルトが一番、彼との付き合いは長い。
クルトより2つ年下の彼だが、年代別代表で幾度もチームメイトになったり、ポジションが近いこともあってコンビを組んだ。その経験があったからか、チームの誰よりも試合中、彼と意思疎通が図れるようになっていた。
鷲介に渡ったボールを敵に奪われ、素早くカウンターに移る敵チーム。ドミニクが下がったことで空いた穴を利用しようとするが、そうなることを想定していたクルトは誰よりも早く動く。
そしてボールをトラップしたローマンに急接近、彼が前を振り向こうとした瞬間、彼とボールの間に体を入れてボールを奪取する。
「ま、また前に……!」
驚くローマンの声が耳に響くのと同時、クルトは前方にスルーパスを放つ。センターサークルから一気にアタッキングサードに向かうボールを、ジークフリートとジョバンニが追う。
ペナルティエリア前でボールを収めたジークフリートの前に立ち塞がるジョバンニ。ジークフリートは右からDFを振り切って突っ込んできた鷲介にパスを出すふりをして右に切れ込み、シュートを放つ。だがジョバンニはさすがベテランと言ったところか、一歩遅れながらもジークの動きに反応しており、シュートコースを限定。結果ゴール右に飛んだシュートはファストの伸ばした手が弾いてしまう。
「ナイスシュートだ! この調子で頼む!
クルトもいいパスだったぞ!」
フランツがいつもの調子でジークフリートと、クルトに声をかける。クルトは微苦笑しながらそれに手を振って答え、CKとなり敵ゴール前に上がっていくドミニクと入れ替わって元のポジションに戻る。
「本当に、どうしたんだフリードリヒ。前半──いや、今までとは別人じゃねぇか」
クルトへ近づき、ヴォルフガングが話しかけてくる。表情にはいくらかの苛立つはあるが、それ以上に冷静さがある。変貌したクルトのことを見極めたいのだろう。
「まるで昔のお前──いや、あのころよりもさらに積極的だな。おかげでこちらは困っているぜ」
「それはよかった。そうでなければこうしている意味がないからね」
そう言ってクルトは再び視線を敵ゴール前に向ける。ヴォルフガングから突き刺すような視線が向けられているが、それはいつも通りに無視する。
(今までとは別人、か。確かに、そうだね)
CKのボールをエリックがバイシクルシュートを放ち、大きくゴールを外れたのを見ながら、クルトは思う。
クルト・フリードリヒと言う選手の持ち味は、DFラインにて的確な読みによるインターセプトと周囲をいかした守備。そして時折行う攻撃は、後方よりカウンターの起点となるロングボールを送るぐらい。そう評論家や選手に評されている。
それは正しい。というのもそのプレースタイルに変えて、クルトはここまで上り詰めたのだ。
今でこそCBが主要ポジションとなっているクルトだが、ユース時代まではボランチ、センターハーフもこなしていた。
しかしそのプレースタイルはトップチームでは全く通用しなかった。故にクルトは自身がもっとも優れている守備の面に力を注ぎ、今の形に至った。
(Rバイエルンでレギュラーとなりドイツ代表に選ばれだ。これでいいと思っていた──)
しかし時折、クルトに誰かが言う。もう少し前に出てもいいんじゃないかと、昔みたいに攻撃に絡んでもいいのではないかと。
そんな声を、クルトは聞き流し続けた。それをすることは容易ではないし、変えてしまったプレースタイルを再び変更するもの難しいという理由で。
(その思いは今でも間違っていると思っていない。でも、もう一つ、大きな理由があった)
怖かったのだ。得たものを失うのが。Rバイエルンのレギュラー、ドイツ代表と言う今の地位を。
今のプレースタイルに変える時も怖くて怖くてたまらなかった。10代でのトップチーム昇格、自分を認めてくれる監督や先輩、英彦たち。自身のプライドに周囲の期待。これらを裏切り、失ってしまうことが。もしこれが通用しなければどうしようと、日々怯えながら必死に変えていったのだ。
そしてほんのついさっき気が付いたことだが、クルトはリスクを冒すこと──挑戦をやめていた。
「CKだ! 守り切るぞ!」
Rバイエルンゴール前でジェフリーが声を張り上げる。つい先程、アンドレアスがギリギリ弾いた、見事なロングシュートを放ったエクトルがボールを左コーナーにセットするのが見える。
ゴール前に上がる速いボール。ほとんど変化もないそれにジョバンニやヴォルフガングたちが飛びつこうとするが、飛び出したアンドレアスのパンチングがボールを弾き飛ばす。
だがそれをペナルティエリア外にいたトビアスが拾い、ミドルシュートを放ってきた。選手たちの頭を超えてゴール左に向かうボール。しかし近くにいたフリオが頭でボールを弾き飛ばす。
再び外に飛んでいくのを見てクルトが安堵したその時だ、視界が陰る。そしてその理由を目にし、大きく目を見開く。
(ヴォルフガング!)
ヴォルフFCのエースストライカーは跳躍し、なんとフリオがクリアーしたボールに対して右足を振っていた。オーバーヘッドの体勢だ。
当たるはずがない、入るはずがないと思う眼前、ヴォルフガングの右足とボールはともにぶつかり合う軌道だ。クルトが愕然と見送る中、放たれるシュート。
ボールの行く先を振り返るクルト。シュートは誰もない、ゴール右へ飛んでいる。同点にされる──
「うおおおおおっっ!!」
クルトの全身から血の気が引いたその時だ、なんとそのシュートを左から飛び出してきた鷲介の伸ばした足が止める。
だが鷲介も止めるだけで精一杯。ボールは正面にこぼれレナトが押し込もうとするが、彼よりごくわずかに速く動いていたブルーノが大きく蹴り上げる。ボールはラインを割り相手のスローインとなったが、絶体絶命の危機は回避できた。
「ナイスブロックだ鷲介!」
「ああ、まったくだ! よく戻っていたな」
「ほ、本当はショートコーナーになったとき、いいボールを上げられるのを防ぐために。あと、こぼれ球をみんなが拾った際のカウンターのために、下がってきていたんですけどね……」
ブルーノとフランツに肩や背中を叩かれる手荒い祝福を受けながら、鷲介は荒い呼吸をしながら言う。
(全く、本当に大した男だよ。君も、ヴォルフガングも……)
心の中で賞賛するクルト。
クルトは──ヴォルグガングはもちろんだが──鷲介のことは今でもあまり好きではない。それは時折、FWとしてチームを無視したエゴを出しすぎるプレーをするからだと思っていた。
だが今日、つい先程、気づいた。彼ら二人は、自分にない尽きぬ挑戦心を持っていると。それ故に、己のように苦境に屈することなく己を貫き、今自分がいる場所にいるからだと。
(昨季対戦した時、ずっと苛ついていたのも、それが原因だったんだろうな)
己の器の小ささにクルトは微苦笑する。まだ十代の子供相手に嫉妬するなど、情けないにもほどがある。
そしてヴォルフガングにもだ。クラブから追放されてもプロになり、かつてと変わらぬ姿で活躍する彼を見ていてずっと苛立っていた。どうしてお前が、昔のままでそこにいるのかと、何度も思った。
(彼らはどこまでも自分を信じ、それを貫いた。僕はそれができなかった)
今だからこそ素直に、二人は凄いと思う。そしてそれを認めることができたのは、先日あったフリッツの言葉だ。
『見せてくれよ。第一線で全力で戦い、走り続けるプロの姿ってやつを』
引退を決めた親友の言葉はクルトの胸中に引っかかった。自分は全力を出しているが、彼が言うような全力は出せているのかと。
そして過去のプレーを見て、疑念は大きくなった。今ほど洗練されていない、しかし熱と泥臭いプレーがあった過去。あの時のような熱を今の自分は常に持ち続けているのか。
前半はそれを確認した。今まで通りにプレーをし、当然手は一切抜かなかった。だがそれでもヴォルフガングに2点を許した。
そして確信した。あの熱を自分は常に持ち続けていないと。己を信じ続け突き進んできた鷲介たちと違い、自分が現状に満足していると。停滞していると。
だからこそ、それを取り戻すべく、監督に直訴した。ただ単に自分のためだけではない。この試合に、全員が一丸となってしぶとく、執念深く走るチームヴォルフFCに勝つためには、あの熱は必要だと思ったからだ。
(ただ、今の僕は、あの頃の僕になっているのだろうか)
そうクルトが思う中、試合は後半三十分を迎える。エリックが倒され得たFKでフランツが直接狙うも、相手GKが弾きクリアーしてしまう。
そしてそのボールがちょうどセンターサークル近くにいるクルトの方へ飛んできた。それを拾い、味方にパスをしようと前に出たその時だ、突然背後から猛烈な鬼気を感じた。
背後に視線を向けると、必死の形相のヴォルフガングが迫っていた。こちらを吹き飛ばすような勢いの彼をクルトは慌てて避ける。
しかし自然と体が動いたことで当然、ボールからは離れてしまう。すぐさま拾うもそこへ再びヴォルフガングが距離を詰めて、強引にボールを奪おうとしてきた。
(ぐっ……!)
自分より強靭なフィジカルの彼にクルトは押されながら、周囲を見渡す。
当然フォローに来ているチームメイトの姿が見えるが、フリーの味方は距離が遠く、近くはアルドフィトにレナトたちがパスコースをきっている。
一瞬、クリアーしようと思うが、すぐにそれを却下する。それでは今までと同じだからだ。ならばここで選ぶ選択は、味方へボールをつなぐこと──
「さっさと寄こしやがれ……!」
「嫌、だ、ね……!」
しかしかわしてもかわしても、執拗に追いかけてくるヴォルフガング。執念、執着の炎が揺らめくその瞳を見て、クルトは次第に気圧される。
そしてとうとうヴォルフガングの足がボールに伸び、クルトは彼のチャージを受けて姿勢を崩す。
取られる。そう絶望したその時だ、
(……鷲介!)
視界に、こちらへ走ってくる鷲介の姿が映った。全力で走ってきているのか口を開けており、息も荒い。
チームメイトの中ではスタミナは下の方にある鷲介。今日もヴォルフFCの面々に負けじと動いていた。おそらくはもう限界だろう。
だというのにこちらへフォローにやってきた。それを見たクルトは一瞬安堵し、次の瞬間、激しい怒りの感情が沸き上がった。
(僕を、侮るなよ……!)
周囲のチームメイトたちはフォローに来つつも、自分を信じ任せてくれていた。しかし鷲介のそれは明かに自分を助けに来ている。──自分がボールを奪われると思っているのだ。
そしてそれはクルトのプライドをひどく傷つけた。勝つために助けに来ているのはわかる。しかしプロになってまだ一年ちょっとの子供にそうされる事実に、クルトの心中で怒りと負けん気が爆発的に膨れ上がった。
「う、お、おおおっっ!」
ヴォルフガングに引き倒されながらもクルトは彼の足がボールに触れる直前、鷲介の元へボールを蹴った。倒れこむ姿勢で蹴られたボールの勢いは弱いが、鷲介は快速でそれに駆け寄り、足元へ納める。
「ナイスパスです!」
そう言うと即座に前を向く鷲介はドリブルを開始する。寄ってきたローマンをまた抜きで突破し、直後迫ったトビアスは先程アントニオと交代したミュラーとの絶妙なワンツーでかわしてしまう。
その姿にクルトは視線が釘付けとなる。自分よりずっと疲れているだろう彼の走力、ドリブルは普段に比べだいぶ衰えている。それでも己を信じ、突き進む姿はただただ、素晴らしい。
若手の頑張りに周囲も呼応するかのように動き、そしてクルトも強引に体を起こす。とはいえ前へは出ない。もし彼がボールを奪われ、カウンターを受けた時、それを自分がフォローしなければならないからだ。
突き進む鷲介の前に立ち塞がったのはザシャだ。ヴォルフFC屈指の運動量を誇る彼の動きは、後半開始時とさほど変わっていない。
さすがに突破は難しいとクルトが思う中、鷲介は前に突き進む。そしてザシャが足を伸ばそうと近づいてきたその時だ、鷲介は前を見たまま、左へパスを出す。
鷲介のノールックパスを受け取ったのは、先程パス交換をしたミュラーだ。猛スピードで上がってきた彼は親友からのボールを、ダイレクトで前に蹴った。
ミュラーの前方にはジークがおり、そこに向かうと思ったが、ボールは彼とマークについているジョバンニの頭上を越えてしまう。そしてペナルティエリアに落ちたボールへ駆け寄ったのは、左斜めから走ってきたエリックだった。
「うおらぁっっ!」
獣のように吠えて、エリックはジャンピングボレーシュートを放つ。エリックの動きが唯一見えていたファストが飛び出し、体と両手を広げていたが、エリックの蹴ったボールは彼の脇をワンバウンドし、ゴールネットを揺らした。
「どうだぁぁっっ!! ゴールだぁぁっ!」
両手を天に振り上げて、エリックは再び吠える。鬱憤を解き放つかのような大声と共にスタジアムには狂喜の声援が轟く。
ピッチの仲間たちにベンチメンバーやスタッフ、監督たちの歓喜が収まったころ、交代掲示板が掲げられる。それを見た鷲介はゆっくりとライン上に待つアレンの元へ歩いていく。
「お疲れ様。あとは任せてくれ」
「はい。後は頼みます。正直、へとへとです」
声をかけたクルトに、鷲介は疲労困憊と言った様ながらも笑みを浮かべている。
横を通り過ぎる鷲介。しかし彼は足を止め、こちらに振り向き、言う。
「どうしてかはわかりませんが、もう大丈夫みたいですね」
「……どうかな。まだ自分では確信が持てないが」
先程の、あの一瞬は昔の自分に戻ったとは思う。
だがあれを常に維持できるかどうかは、まだわからないというのが今のクルトの分析だ。
「それじゃあ、確信が持てるまで頑張ってください。
でもあんまり悠長にしていると、ドミニクさんやジャップさん、ミュラーにポジションを取られますからね」
ニヤリと笑みを浮かべて、鷲介は今度こそピッチから去っていく。
励まし半分、挑発半分と言った彼の表情を見て、クルトは肩をすくめる。
全く、年下のくせに生意気だ。だが今季、不甲斐ない自分の代わりにチームを助けている彼には言う資格はあるだろうし、それぐらい言ってくれたほうが、こちらも気が緩まずに済む。
(僕はまだピッチにいる。いつかスパイクを脱ぐまで止まらず、走り続けないとな)
そう思い、クルトは客席を見る。
フリッツの姿は見えない。だが彼が自分を見て笑っているような気がした。小さく笑い、クルトは自分のポジションへ足を向けるのだった。
◆◆◆◆◆
(ふん。さっさと自陣に戻りやがれ)
逆転ゴールに喜ぶ敵チームを見ながら、ヴォルフガングはそう言いたくなる自分を懸命に抑える。
全く、目障りだ。そしてスタジアムに響くホームサポーターの声援も耳障りだ。すぐさま同点、逆転して、黙らせてやる。
そう思うヴォルフガングの耳に主審の笛の音が聞こえる。ヴォルフガングはすぐにボールを後方に戻し、相手DFの最終ライン付近に駆け寄っていく。
その自分の傍に寄ってくるクルトを見て、抑えていた苛立ちが再び首をもたげる。前半──というより以前とはまるで別人のように変わったクルトは、かつてないほどウザく、難敵だ。
(先程の失点の前のパス。今までのあいつならあんなプレーはしなかっただろうに)
ジュニアユース時代に見られた泥臭い、執念じみたプレー。それがどういうわけか今日、この時に復活してしまっていた。
忌々しく思いながらヴォルフガングはどうにかしてゴールをねじ込もうと思考を働かせつつ、ピッチを走る。しかしボールはなかなかこちらへやってこない。
(何してやがる……!)
心中で吐き捨てるも、チームメイトへ罵声は飛ばさない。逆転されたヴォルフFCは当然ながら逆襲しようと前に出ている。監督も残っていた交代枠二つを一気に使い、勝負に出てきた。
しかしその勢いをRバイエルンは押し返しており、止めを刺そうとヴォルフFCのゴール前に幾度も迫る。
特にあのムカつく小僧──シュウスケ・ヤナギと交代で入ってきたアレンが効いている。小僧とは真逆のテクニカルな動きやドリブルに、疲労困憊のDF陣は振り回され、チャンスを演出されてしまっていた。
アレンが絡み、逆転ゴールを決めたエリックのオフサイドとジークフリートのファウルによるゴール取り消しという、肝を冷やした二つのシーンが連続で起こる。そしてヴォルフガングにまともにボールが入ることなく、あっという間にロスタイム目前となる。
「くそがっ……!」
エクトルから自分に放たれたボールをドミニクにカットされ、思わず呻く。後半の彼はクルトと同じか、それ以上にヴォルフガングたちの邪魔になっているのだ。
年下のくせに自分に似たガタイをしたドミニクだが、CBやSB、CMFなど複数のポジションをこなせる器用で厄介な選手であり、それらも本職に引けを取らないほどだ。去年ドイツに帰還し初対戦した時も、大いに苦しめられた。
彼は粘り強く、献身的なプレーでチームを支えている。ロビンのような大量のスタミナによる動きで攻守に躍動はしない。目立った活躍もほとんどない黒子的なプレイヤーだ。
しかしこちらが攻めようとするとき、またカウンターの時、彼はほとんどの場合ヴォルフFCがいてほしくない場所か、その近くにいる。Rバイエルンの攻めや攻撃時は主に中盤で器用にボールを回したり、緩急を生むための溜めを作ってもいる。
そして後半からクルトのサポートを行うようになった彼は、見事な動きとタイミングで彼をフォローして、共にヴォルフガングたちのチャンスを幾つも潰していた。
「おおおっ!」
再びヴォルフガングの目の前でボールをインターセプトするドミニク。またしても邪魔されたことにかっとなったヴォルフガングは、激しいチャージで彼を吹き飛ばし、ボールを奪う。
しかしそこで主審の笛が鳴りファウルを取られる。注意され、ますます頭に血が上るが、側にいたアルドフィトとレナトに押さえられる。
(くそが、くそがっっ!)
ドミニクに頭を下げ、ヴォルフガングはそっぽを向く。
鳴り響くホームサポーターからのブーイングが苛立ちに油を注ぎ、思わず正面のサポーターたちを睨みつける。
と、その時、視界に見知った顔が映る。フリッツだ。
正面にいる何百、何千人の中から彼を見つけ出せたのはただの偶然というわけではない。ブーイングや厳しい目でヴォルフガングを見つめる大半のRバイエルンサポーターの中で、彼はそのどちらの表情でもなかったからだ。
こちらを見下ろすフリッツの顔は見慣れたものだった。呆れたような、しかしヴォルフガングらしいというような微苦笑。ジュニアユース時代、そしてイングランドで対戦した際に、幾度も見ていた。そしてその顔は決まってこちらが熱くなっているときに向けられていた。
(君は、相変わらずだなぁ)
一昨年、イングランドリーグにて対戦。イエローカードを貰い敗戦した試合後、今のような顔をした彼に言われたのだ。
そしてフリッツはこう続けた。感情は抑えず、しかし心はどこまでも冷静に保つ。それさえできればもっと動く、厄介なFWになるのにと。
過去の一幕を思い出し、心の一部分が静かになる。心中の苛立ちは収まっていないが、それを暴発させるようなことはない。
「ヴォルフガング、押さえろ。まだ時間はある。
俺たちが必ずボールをお前たちに渡すから、前にいろ」
「ああ。頼む」
駆け寄り、こちらの肩を抑えて言うエクトルにヴォルフガングは平静な声音で言う。
するとなぜかエクトルは目を白黒させる。しかしすぐに頷き、自分のポジションに戻る。
三分のロスタイム時もほとんどがRバイエルンにボールを支配されていた。そしてとうとうロスタイムも経過し、もう試合が終わる直前と言った時、ファストのゴールキックがRバイエルン陣内に飛び、それを競り合ったこぼれ球をローマンが拾い、エクトルへ繋ぐ。
(これが最後のチャンス……!)
ヴォルフガングと同じことを思ったのだろう、チームメイトたち全員が一斉に敵陣に侵入する。
捨て身のヴォルフFCの前がかりにさすがのRバイエルンもわずかの間だが動揺。そしてチームの司令塔はそれを見逃さず、相手チームの守備の綻びをついたパスをゴール前へ送ってきた。
右サイドからゴール前に飛ぶボールに反応するのはアルドフィトとフリオだ。わずかに速く反応していたアルドフィトはヘディングを放つが、左側をフリオに押さえられ、また彼の動きに反応していた相手GKが右に飛んだボールを片手で弾く。
こぼれたボールに今度はレナトとブルーノが駆け寄っていく。しかし今度はブルーノが動くほうが早くクリアーしようとするが、それをレナトが体を張って防ぎ、ボールを足元に収める。
もっとも、そこへジェフリーが巨体でコースを狭めながら間合いを詰めてくるのでシュートは打てない。刹那の判断ののち、彼は中に折り返す。
ボールを収めるのはヴォルフガングではない。猛スピードでペナルティエリアのギリギリ外に走ってきたエクトルだ。彼はその勢いのままシュートを放ったが、ドミニクのスライディングでボールは宙に浮く。
(ここだ!)
宙に浮いたボールを見たのと同時、ヴォルフガングは跳躍する。そしてヘディングシュートを叩き込もうとしたその時、眼前に必死の形相をしたクルトが立ち塞がった。
(この野郎……! 最後の最後まで!)
ヘディングは放てる。だがクルトの体が邪魔で防がれる。
その事実に再びヴォルフガングの心中で苛立ちが膨れ上がる。だが同時に先程回想したフリッツのことが頭によぎる。
ヴォルフガングは一瞬、一瞬だけ周囲を見た。目の前のボールを、正面にいるムカつくクルトを、その周りを、視た。
そして発見したゴールへの道。クルトの左肩上に向けて、ヴォルフガングはヘディングを放つ。
頭を叩きつけたボールは狙い通り仇敵の左肩上を通過、反応し伸ばしていたアンドレアスの左手を掠めるもゴールネットに突き刺さった。
「よくやった!」
「同点だー!」
ヴォルフガングが喜ぶより早く、周囲のチームメイトたちが押し寄せてきた。レナトたちウイング二人はもちろん、普段冷静沈着なエクトルも痛みを覚えるほど強く、抱きついてくる。
イレブン全員に駆け寄られる中、試合終了の笛がスタジアムに響く。4-4。土壇場での引き分け。しかし首位のヴォルフFCにとっては勝ちに匹敵する結果となった。
◆◆◆◆◆
試合終了の笛と同時、ヴォルフFCのベンチメンバーやスタッフらがピッチに雪崩込み、劇的な同点弾を決めたヴォルフガングやピッチの選手の元へ駆け寄っていく。
それを見ながら鷲介はゆっくりと息を吐き出す。そして周囲を見ると自チームのベンチメンバーやスタッフたちは唖然、痛恨の表情のままだ。
だが無理もない。あと数秒で勝利、首位となるところを阻まれたのだ。ピッチの面々も負けたかのように肩を落としており、サポーターからも無念の声が聞こえてくる。
(最後の最後で……。でも今季のヴォルフFCを象徴するようなシーンでもあったな)
首位のヴォルフFCだが、実のところ勝っている試合の半数は後半終盤のゴールで勝ち切ることが多い。先日のLミュンヘンの試合もそうであり、Rドルトムント戦も2点目が入ったのは後半40分ごろだ。
最後の最後まで諦めず走り続ける執念のチーム。そのリーグ一のしぶとさの前に、ドイツの絶対王者も勝ちを逃す結果となった。
「はぁ……」
再び出る大きなため息。心中で冷静に批評している鷲介だがいつものように深く分析したのではなく、思いついたまま理由を上げた軽い現実逃避のようなものだ。
鷲介とてショックは大きい。交代した後もRバイエルンはヴォルフFCを押しまくっていたのだ。最後、エクトルからクロスが入った時も、クルトたちなら大丈夫という思いが心の中を9割ほど占めていた。
今日は悔しさのあまり、眠るのにも苦労しそうだなと思っていると、ある光景が視界に入りぎょっとする。仲間から解放されたヴォルフガングにクルトが近づいていたからだ。
(まさかここで喧嘩しないよな。な?)
試合開始前のやり取りを思い出し、鷲介は早足で二人の元へ駆け寄る。
「最後の最後でやられたよ。悔しいし腹も立つが、ナイスゴールだ」
「はっ。あれぐらい、なんでもねぇよ。
──ところで、この俺にハットトリックを決められたわけだが、気分はどうよ」
「最悪だな。気分が悪い。夢じゃないかと思いたいぐらいだ」
「残念だが現実だぜ」
「ああ。わかっている。この胸のムカムカは夢であるはずがない。
寸前で勝利を阻まれ、おまけに君にハットトリックを許すとは。一生モノの屈辱だ」
静かな二人の会話。しかし内容だけ聞いていればいつどちらかが相手の胸ぐらをつかみかねないような内容だ。
鷲介がハラハラする中、二人の会話は続く。
「だがこの試合で何も得なかったわけじゃない。
改めて君が要注意選手であることがわかったし、僕自身も少しは前に進めた」
「……」
「個人としては、今回は僕の完全な敗北だ。だが次はこうはいかない。君を完封して勝つ」
「そうかよ。なら俺は次の試合もきっちりゴールを決めて、今度こそは敗北の屈辱を味合わせてやるよ」
そう言って背を向け立ち去るヴォルフガング。
その彼の背にクルトは再び声をかける。
「明日、フリッツと会う約束がある。何か伝言はあるかい」
「ねぇよ。たかだか病気で引退を決めた軟弱野郎に言うことなんて──」
そう言いかけてヴォルフガングは足を止める。
鷲介が眉根をひそめたその時、彼は肩から力を抜き、言う。
「……まぁ、なんだ。せっかく引退をするんだ。
誰よりも長生きして、これから俺が残す偉業の数々をしっかり後世に伝えろとでも言っておけ。
それともし暇があれば俺に連絡して来い。愚痴ぐらいは聞かせてやる」
そう言って今度こそヴォルフガングは立ち去っていく。
そしてインタビューアにつかまり、インタビューを受けている彼を見ながら、鷲介は言う。
「やれやれ。調子に乗りまくっていますねヴォルフガングの奴。ま、宿敵からハットトリックを奪えば、ああなるのは当然ともいえますけど」
「それが彼と言う人間だからね。……とはいえ、少し心境の変化はあったようだけど」
「そうですか? 試合前と変わりないように思えますが。だいたい愚痴を聞かせてやるとかなんで上から目線なのか──」
「鷲介」
「は、はい?」
「今回の引き分けは痛恨だ。結果次第では三位に転落するだろう」
「それはまぁ、そうでしょうね」
というかそうなると鷲介は思っている。今節のRドルトムントの相手は下位チーム。ヴォルフFCに敗戦した彼らは、引き離されまいと全力で勝利を欲するだろう。
「だが最後の最後まで頑張ろう。勝利のために、走ろう。今日のヴォルフFCを見習って」
「え、ええ。もちろんです。というかいきなりどうしたんですか」
「……別に。ただの決意表明だよ。
さて、ヴォルフガングのようにインタビューもないことだし、引き上げるとしようか」
こちらの返答を待たずピッチから去っていくクルト。その横顔を見て鷲介は少しぽかんとなる。
悔しさはあるが、それを受け止め、次の試合に生かそうと考えている表情。平静ながらも勝利への渇望を感じさせる顔。
ジークや他の面々には幾度も見られたが、クルトからは一度も見られなかったそれを見て鷲介は微笑し、思う。──もう、彼は大丈夫だと。根拠があるわけではないが、強く思う。
(クルトさんの言う通り、少しは収穫があった試合だったんだろうな)
自身のゴールに勝ち点一。それと久方ぶりのエリックのゴール。そしてクルトの復調。
この試合で得た良い結果を思いながら、鷲介はクルトの後を追うのだった。
リーグ戦 18試合 18ゴール6アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 5試合 7ゴール1アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト




