進む者、去る者2
ミドルサードとディフェンシブサードの境目でヤナギがボールを受け、前を向く。そのタイミングでコンラートが突っ込んでいくが彼はあっさりとそれをかわす。
一歩で一気に加速するヤナギに、今度はザシャが距離を詰めた。しかしヤナギはさらに加速、ザシャがショルダーチャージをする間もなくその横を通過してしまう。
技術ではない。スピードに任せただけの動き。しかし加速と減速に変化する際の動きによどみはなく、彼の字である”サムライソード”の如く凄まじい切れ味を見せ、ドイツリーグトップクラスの守備網を切り裂き、突破していく。
一気にゴール前に迫る彼と共にホームスタジアムの真紅のサポーターたちから大声援が沸き起こる。それに押されるようにヤナギは最後まで自分で行き、シュートを放つ。
単独フリーの決定機。しかしシュートと同時にジークのマークを外したジョバンニがギリギリコースを限定したため、ゴール右へ向かったボールをファストが何とか弾き、CKとなった。
フランツの蹴ったボールをザシャとトビアスがクリアーし、センターライン近くまで飛んだボールがラインを割ったのを見て、エクトルは小さく息をつく。
(日本サッカー界の至宝。若き代表のエース……)
以前ヤナギについて書かれた記事の中でそんな文面があった。そしてそれを見てエクトルは思わず眉を顰め、複雑な気持ちとなった。彼もかつての自分と同じ扱いを受けていると思ったからだ。
(もっとも、俺のようになるかどうかは、あと数年しないとわからないが──)
16歳で母国ウルグアイリーグにてデビューし、リーグ、カップ戦のほとんどに出場し新人らしからぬスコアポイントを稼いだエクトルは新人賞を獲得。ヤナギと同じ17歳にてA代表に召集され、19歳の時参加した南米選手権では得点王を獲得。その活躍をもって世界トップリーグであるイングランドリーグのブルーライオンCFCへ移籍したのだ。
だが今になって思えばその選択は間違いだった。莫大な年俸を始め出場機会の保証といった特典に釣られて移籍したのはよかったが、世界一のフィジカルリーグと言われるイングランドリーグにて19歳であり、まだ線の細かったエクトルは苦戦を強いられた。
それでも若さゆえの負けん気と自分の実力を信じて1シーズンは何事もなく戦い抜き、そこそこの結果を出した。だがそれからが不味かった。最初のシーズンの疲労が残っていたのか、2シーズン目のリーグ初戦で前季を棒に振る大怪我を負うと完治した後季は監督が代わっていたこともあり、スタメンを獲得することはなかった。
自分と同じ技術に長け、しかもフィジカルが強い選手が冬の移籍でやってきたのもあるのだろうが、若さゆえに無理をして大小の怪我を繰り返し、安定した出場ができなかったのだ。
もちろんエクトル自身も何もしなかったわけではない。食事改善や個人でフィジカルトレーナーを雇ったりもした。しかし劇的な改善は得られず、また当時短気だったエクトルはそれに苛立ち、時折暴飲暴食など不摂生な生活を再発させてしまうこともあった。
そしてたびたび負う怪我は代表にも影響した。W杯最終予選終盤は参加できず、本選には怪我のため選出されなかった。その上、代表がグループリーグで敗退したため、次期エースとして期待されていたエクトルは母国サポーターから激しいバッシングを受けることとなった。
(あの時は腹が立ったが、言われて仕方がなかった。だが……)
エクトルが代表引退を決意したのは怪我を押して出場した母国ウルグアイで開催された南米選手権のすぐ後だ。エクトルやブルーノ、そして当時スペインリーグのバルセロナ・リベルタの絶対的エースとして君臨していたエンツォ・ディアスを擁していたウルグアイは優勝候補の一角として挙げられていた。
しかし何と結果はまさかのグループリーグ敗退。しかもエクトルは最終戦にて負傷退場してしまうというこれ以上ない最悪の結果となってしまった。
当然母国のサポーターたちが激怒したのは言うまでもない。エクトルも激しくバッシングされた。──そしてそのすぐ後に、エクトルの叔父が殺されてしまった。原因はフーリガンがエクトルを好き勝手罵倒しているのを聞き激怒、喧嘩となった際、ナイフに刺されたのだという。
エクトルは早く両親を亡くしており叔父に引き取られて育った。サッカーも彼から教わった。いわば人生とサッカー両方の父親と言うべき人だった。
叔父の死にエクトルは激しく落ち込みそのシーズンはボロボロ。そしてとうとうチームからも戦力外通告──移籍を勧められる。そんなエクトルを母国民やメディアのみならず、育ったクラブのサポーターまでも散々非難した。
そんな扱いを受けたエクトルはもう、代表として戦う気は微塵もなくなった。そしてブルーノたち代表の仲間の声を無視して代表引退を発表したのだ。
(彼と再会しなければ、とっくの昔にスパイクを脱いでいただろうな)
そう思いエクトルはサッカーにおける第二の師と言うべき人物──ヴォルフFCの監督をちらりと見る。
ヴォルフFCのフォクツ監督とはブルーライオンCFCに移籍した時知り合った。当時彼はブルーライオンCFCの育成年代の監督であり、まだギリギリ十代だったエクトルのことを気にかけてくれていた。
彼と再会したのは父の生まれ故郷であったヴォルフスブルクに父の墓を建てた時だ。ちょうどヴォルフFCの監督として就任したばかりの彼は再会していきなりエクトルのことを冷たく、しかし正確に批評した。当然怒ったエクトルだが彼は顔色一つ変えず言う。ヴォルフFCに来る気はないか、父の育った街のクラブを強くしてみないかと。
少し悩みはしたがエクトルはその誘いに乗った。そして当時は下位と中堅をさまよっていたクラブを彼と共に数年かけて中堅~上位に位置するクラブとした。今季は優勝争いをしている強豪だ。
ドリブルでペナルティエリアに侵入しようとしたヤナギをトビアスがファウルと見間違うようなタックルで止め、ボールをジョバンニが拾う。そしてこちらを見るや彼はロングボールを放り込んできた。
ヴォルフガングとドミニクが競り合い零れたボールを、敵陣センターサークルでエクトルは収める。攻撃に傾倒していたRバイエルンは最終ラインも高く、最後尾の人数もジェフリー、クルト、ブルーノ、ドミニクの四名。一方こちらは自分とレナト、そして今競り合ったヴォルフガング。ちょうどいい人数だ。
「ボールをよこせ!」
「こっちにパスだ!」
動き出すヴォルフガングとレナトの声を聞きながらエクトルはドリブルで前に突き進む。一番近くにいたドミニクが守備人数が少ないためか、不用意に飛び込まず一定の距離を保ちながら有効なドリブルコースをつぶしている。
(邪魔だ)
エクトルはドミニクの方へ進む。流石にそれを見て彼はこちらからボールを奪おうとする。
それをエクトルはダブルタッチでギリギリかわし前に出る。だがすぐに赤色のユニフォームが立ち塞がる。ブルーノだ。
「いつになくキレキレだな! 今でも代表で活躍できるんじゃないのか!?」
「知らん」
一つ年上のブルーノとの年代別代表のころからの知り合いだ。ドイツに来てからはプライベートでもそこそこ付き合いもある友人だ。だが今、この場においては敵でしかない──
(相変わらず、いやらしいDFだ)
先程突破したドミニクと同じく、ドリブルコースを塞ぐブルーノを見てエクトルは心中で舌打ちする。
残っているジェフリーとクルトはレナト、ヴォルフガングたちに注力している。もしブルーノをかわせればビックチャンスになるが、それは彼もよくわかっているようで、進むこちらから一定の距離を保っている。
突破されれば後がないためのディレイというだけではない。後ろから人の気配が感じられ、こちらに向かってきている。おそらく先程かわしたドミニクだ。彼と二人で挟み込むのをブルーノは狙っているのだ。
(そう狙い通りに行かせるか)
そう思いエクトルは前に出る。それを見たブルーノが目を見開く。過去の対戦から自分が左右に振って抜きに来るか、味方にパスを出すものと思っていたようだ。
その選択肢はもちろん頭に浮かんだ。しかしエクトルは前に出る。そして一瞬の動揺を見せた友人を強引にスピードで抜き去る。
(お前が俺を知っているように、俺もお前を知っているんだよ)
性格や気性の荒さで忘れられがちだが、ブルーノは高い技術と洞察力を持つ上、相手の研究も怠らない頭脳派選手。それが彼を世界トップレベルのSBたらしめている理由だ。
それ故に予想もしないプレイをされると、わずかではあるが反応が遅れる。今のように。
「くっ……!」
追いすがろうとするブルーノの声を聞きながら、エクトルは左足を振りかぶる。
ヴォルフガングたちはボールを要求して動いているが、敵からしっかりとマークされている。そして味方の指示を出しているアンドレアスはゴール正面からやや左より、先程の位置から動いていない。
眼前の状況を一瞬とはいえ確認したエクトルは、利き足である左足を渾身の力を込めて振り切った。ゴールまで二十数メートルある距離をボールが矢の如く滑空する。
エクトルがパスではなくロングシュートを選択したことにアンドレアスは驚き、すぐに反応する。ゴール右上に飛んだボールへ寄り、手を伸ばす。
しかし一瞬遅かった。ボールは彼のグローブがコースを塞ぐより一瞬早くそこを通過。ポストを掠めてゴールネットに吸い込まれた。
「……よし」
「ナイスゴールだ!」
「あんなシュート打てたのかよ!」
小さくガッツポーズをとるエクトルの元へ、真っ先に駆け付けるヴォルフガングとレナト。二人とも同点になった喜びと自分にパスを出さなかった怒りが混在した顔になっている。
相変わらず結果を欲しがる奴らだ。そう思いながらも二人の手荒い祝福を受け止める。
前半残り10分を切ったところでスタジアムにキックオフの笛の音が響く。再開された試合の状況は再び互角となる。特に主力であるレナトにアルドフィト、ジョバンニらが攻守にわたり奮起して、Rバイエルンの勢いを押しとどめている。
このチームには訳あって代表から外された選手が複数いる。主力であるレナトにアルドフィト、ジョバンニがそうだ。結果を残し再び代表に返り咲くため、彼らは勝ちに繋がる執念じみたプレーをすることがある。今もそのようなプレーを彼らは見せている。
クルトがクリアーしようとしたボールにジェフリーと競り合い体勢を崩したが、すぐに起き上がってはボールを奪取しようと近づくアルドフィト。
ローマンが出したロングパスがラインを割るまで追いかけるレナト。
ヤナギとのワンツーでペナルティエリアに侵入したジークフリートのシュートを至近距離から止め、痛みを無視してすぐに動いてはクリアーするジョバンニ。
プロとして洗練されたプレーではない、泥臭さ執念深さが感じられるものばかりだ。──だがそれらがあるからこそ、ヴォルフFCは今首位にいる。これらのプレーに他の面々は触発され、いかなる時間帯でも──疲れていようとも──精度の高い、または泥臭いプレーでチームの危機を救ってきた。
そしてエクトルとて例外ではない。まだ前半だというのに、周囲に声をかけながら──と言うより怒鳴りながら──勝つために奔走する。
レナトたちのように代表に返り咲きたいという気持ちからではない。ただ単に負けるのが嫌いなのと、ヴォルフFCという自分を受け入れ、応援してくれているサポーターを喜ばせたいからだ。
このクラブに来て数年、いいことばかりあったわけでもない。しかし一時とはいえスパイクを脱ぐことさえ考えた自分を甦らせ、ここまで成長できたのはフォクツ監督とこのクラブ、そして声援を送ってくれたサポーターがいたからだ。
(このクラブと共に俺は頂点へ上り詰める──)
ナショナルチームだけが頂点を目指せる方法ではない。W杯に出場できなくてもクラブチームでレジェンドとなった選手はいるのだ。エクトルはそれを目指すのだ。
ドミニクによる倒れそうな激しいチャージに耐えながら、エクトルは相手ゴール前で待ち構えている味方にパスを送る。
そしてそのボールに、レナトたちに勝るとも劣らない貪欲な上昇志向を持つヴォルフガングが寄っていくのだった。
◆◆◆◆◆
ロスタイムに入った直後の今、センターラインの左──ヴォルフFCイレブンから見て右サイド──にいたローマンからロングパスが放たれたのを鷲介は見た。
DFラインの裏を狙ったそれに反応するレナト。しかし裏を取られたブルーノはすぐさま反転しており、また精度が甘かったパスはタッチライン際まで飛んでいく。
レナトはボールがラインを割るギリギリで何とか収め、ドリブルで進む。だが彼の進む先をジェフリーが塞いでいる。
立ちはだかるジェフリーに勝負を仕掛けるレナト。しかしイングランド代表不動のCBは彼のフェイントをしっかりと見ており、惑わされていない。
突破できないとわかったのか、レナトは半歩ほど左にかわしてセンタリングを上げる。中央を超えて左サイドにいるアルドフィトにボールが飛ぶが、フリオがジャンピングボレーでボールをクリアー。ボールは鷲介の元へやってくる。
(よし、このボールを拾って)
キープすると思ったその時だ、センターサークル中央にいたジークが「後ろ!」と叫ぶ。
その声に反射的に従う鷲介。振り向くとおっかない顔をしたトビアスがすぐ傍まで迫ってきていた。
ぶつかるような勢いのトビアスを見た鷲介は、考えるより先に体が動く。ボールをトラップすると同時にピッチの中へ転がし、自身もそちらへ移動。トビアスをかわす。
だが転がったボールを鷲介より先に、先程までジークのそばにいたジョバンニが拾い、すぐに前線へ蹴ってしまう。
早いグラウンダーのボールの行く先にはエクトルの姿がある。彼はボールをトラップすると同時に反転して前を向く。しかしパスを出そうとしたところでドミニクが強烈なショルダーチャージを見舞った。
(よし!)
鷲介は心中で喝さいの声を上げる。だがすぐに驚きで目を見開く。よろめいたエクトルがそれでもRバイエルンゴールへパスを出したからだ。
191センチのドミニクのチャージは強烈だ。鷲介も受けたことはあるがギリギリ体勢を崩さないのが限界でパスを出したり、ボールをコントロールなどできはしない。
それでもエクトルはゴール前にボールを送った。どんな技術か──そう思ったが、そうではないと確信する。
(そう言えばあの人、若いころはイングランドリーグにいたんだったな……!)
フィジカルコンタクトの激しさでは世界一と言われるイングランドリーグでのプレー経験、そして十年以上プロとして活躍してきた経験のたまものなのだろう。あれは鷲介たち若造には決してできないものだ。
Rバイエルンゴール正面に向かうボール。それに駆け寄っていくのはヴォルフガングとクルトだ。
(クルトさん……!)
因縁ある二人のぶつかり合いを見て、鷲介は何とか凌いでくれることを願う。
ゴールに背を向けてボールを収めたヴォルフガングはすぐに右に切れ込み、シュートを放った。動き出しにシュートまで、綺麗につながっており文句のつけようがない。
しかしクルトはそれを予期していたのか、シュートコースに足を伸ばしていた。結果、ヴォルフガングの蹴ったボールはクルトの足に弾かれる。
だがそのボールは横ではなく前にこぼれた。そしてヴォルフガングはクルトが動くより先に反応、こぼれたボールに覆いかぶさるような勢いで体を前に出して力任せにクルトを弾き、ペナルティエリアへ侵入した。
(──!)
本能、執念、と言うようなプレーを見て鷲介は思わず総毛立つ。
力任せの突撃でクルトを振り切ったヴォルフガングの前に、アンドレアスが全身を投げ出して立ち塞がった。両手を広げたその姿はまさしく壁であり、ボールが通る隙間はほぼない。
防げる、弾ける。そう鷲介が強く思うのと同時、ヴォルフガングは右足を振り切った。ボールはアンドレアスの左腕に当たり、上へ跳ね返る。
しかし跳ね返ったボールが作った角度は直角でも鋭角でもない、鈍角だった。そしてボールはRバイエルンのゴールネットを揺らしてしまった。
「くっ……そ!」
鷲介が歯ぎしりすると同時、スタジアムがサポーターの声で揺れる。そしてそのすぐ後、ゴールの笛を鳴らした主審が前半終了の笛の音を周囲に響く。
騒ぐサポーターの声を聞きながら控室に戻る鷲介たち。戻る最中ジョバンニ達と話しているヴォルフガングを目が合う。一瞬勝ち誇った顔になるヴォルフガングだが、それには驕りや油断といった物は一切ない。他の面々も似たようなものだ。
(少しは己惚れてくれると思ったけど……)
そこまで馬鹿ではなかったようだ。鷲介は視線を外し控室に戻る。スタッフから給水ボトルを受け取り喉を潤すと、隣に座っていたジークが話しかけてくる。
「見事だな、彼は」
「はい。まさか前半で2点も取られるとは思っていませんでした」
最近の好調ぶりから1失点は想定していたが、まさか前半のうちに2点も取るとは。
今日のヴォルフガングの好調ぶりは自分やカールと同等、いや上回るといってもいいかもしれない。
「とはいえ点の取り合いで負けるのは癪だ。チームとしても、個人としても」
「全くの同感です」
静かに闘志を燃やすジークに鷲介は即答し、周囲を見る。
そして気づく。項垂れているクルトの前にミュラーが立っているのを。親友の表情がいつになく、厳しくなっているのを。
(まずい)
そう思い鷲介が腰を上げるのと同時、クルトが顔を上げ、ミュラーが口を開く。
「あれが全力ですか、クルトさん。あんな勇気のないプレーが、今のあなたの本気なんですか」
「……不躾な問いだね。僕が手を抜いているように見えたのかな」
「見えません。でもだから、確認しているんです。どうなんですか」
「君がどう思うかはともかく、僕は全力を出したよ。手は一切抜いていない」
「……そうですか」
自分のように爆発するかと思ったが、冷静な親友を見て鷲介は上げていた腰をおろす。
そこへインタビューを終えた監督が控室に姿を見せる。するとミュラーはそちらのほうを向き、言う。
「監督、お願いがあります。僕をクルトさんの代わりに出してください。
後半、ヴォルフガングのマンマークにつきます」
ミュラーから飛び出したその言葉に鷲介はぎょっとする。真面目で優等生なミュラーがこんなことを言うとは。
そしてそれはチームメイトたちも意外──というか予想外だったのか、皆視線を彼に集めている。
「……ミュラー、お前らしからぬ大胆な発言だな」
「うん、びっくり」
奇妙な沈黙の中、ブルーノ、フリオが目を丸くして言う。
それを無視してミュラーは続ける。
「皆さんも見たでしょう。クルトさんは今日も今までと変わりがない、リスクを冒さない無難なプレーばかり。
あれじゃあヴォルフFCの攻撃を食い止められません。まだ僕が出たほうがましです」
「ミュラー、それはさすがに言いすぎだぞ」
「大人しい顔して意外と言うな」
きっぱりと言い切るミュラーにエリックは少し面白そうな顔になっている。
一方DFリーダーであるジェフリーが厳しい表情となり窘めるも、ミュラーは彼を見ず、監督を注視している。トーマスさんは静かな表情でそれを受け止めている。
「ブルーノさん、フリオさん、ジェフリーさん。皆さんはどう思いますか」
静まり返っていた控室にクルトの声が響く。スタメンの三者は顔を見合わせ、口を開く。
「去年より腰は引けているな」
「競り合いや勝負の場面で、ほんのちょっとだけど寄せが甘いかな」
「しかしポジショニングやコーチング、守備形勢は以前より上手くなっているぞ」
ブルーノとフリオはやや否定的な、ジェフリーは肯定的な意見を口にする。
しかし三者とも言葉にクルトを擁護する感じはない。ミュラーの意見も一理あると、少ながらず思っているのだろう。
(ミュラーのマンマークか……)
鷲介はそれを考える。親友が言う通り今のクルトのヴォルフガングに対する守備よりはましかもしれない。
だが守備全体のことを考えたらミュラーを出すのが得策とは言えない。スペイン修行後、対人レベルは格段に向上した一方、戦術理解、判断レベルはそこまで成長していない。
もしヴォルフガングだけ注視していればいいのであればミュラーを出す方がいいのかもしれないが、レナトやアルドフィトも今の彼に近いレベルで危険な選手だ。
元代表とはいえ、事情有りでそうなったあの二人の実力は現役代表とほとんど遜色がない。チームの勢いに乗った彼らを、ジェフリーたち三人で完全に抑えきれるかはわからない。
そして肝心のヴォルフガングもミュラー一人で対処できるかどうかは不安だ。クルトよりはましだが今日の彼は自分たちに並ぶ。正直、今のミュラーでは完全には抑えきれないだろう。
と一人鷲介が考えていると、クルトの平静な声が控室に響く。
「監督、お願いがあります」
「何かね?」
「もしこのまま出場するのでしたら15分、時間をいただけませんか。試したいことがあります」
クルトの言葉にジェフリーたちが大きく反応する。ブルーノは「んなっ!?」と叫び、フリオは手にしていた給水ボトルを取り落とす。ジェフリーも大きく目を見開いて大胆発言をしたクルトを見つめている。
(どうしたんだクルトさん……)
鷲介もクルトが言ったことに衝撃を受けている。真面目で慎重、不用意なリスクを冒すことを好まない彼から、まさか試したいことがあるという発言が出るとは。
練習中ならともかく、試合でこんなことを言うのは初めてだ。
「それはこの試合でなければならないことかね? 相手が弱く勝っているならともかく、今のヴォルフFCは君たちとほぼ互角。さらにこちらは勝ち越されている状況だ」
「必要だと僕は思います。この試合はもちろん、CLや残る強豪との試合を見据えても」
「何をする気なのかね?」
「前に出る回数を増やそうと思います。ドミニクがいるボランチの位置まで上がり、攻撃参加回数を増やします。
もちろん守備は今まで通りやりますが不備も出てくるでしょう。そこはドミニクにフォローをお願いしたいと思っていますが」
「クルトさん、いきなりそんな真似が──」
何か言おうとしたミュラーをトーマス監督が手で抑える。
「そうしたらどうなるのかね?」
「今まで以上に前線、中盤へのロングパスが供給できます。サイドや裏抜けの回数は増え、ヴォルフFCも最終ラインは高い位置を保っているのでチャンスが増えるでしょう。
また僕が動くことで相手は混乱しますし、攻撃を阻害しようとヴォルフガングたちもこちらへ意識を向けます。結果、相手からの攻撃の勢いが少しではありますが、弱まります」
「なるほど」
「でももし相手がそれに対処、または上回った場合、今ミュラーが言った通りマンマークします。ミュラーと僕を代えるのもいいと思います」
見つめあう両者。平静な視線が数秒交わり、監督は頷く。
「わかった。15分、様子を見よう。
ミュラーはいつでも出れるよう、後半開始と同時にアップを始めておいてくれ」
「は、はい」
そこから先はいつものようにトーマスさんから細かい修正点と後半の試合運び──先程のクルトの発言も混ざった──を告げられる。
「クルトさん、どういうつもりなんだろうか」
「お前の言葉に反発したのかね」
からかい交じりに言うと、半目で睨んでくるミュラー。「冗談だ」と鷲介は言って、続ける。
「ま、何かしら勝算はあると思うぜ。やけくそ、やぶれかぶれっていうような表情じゃなかったし」
平静を保ちながらも強い決意をにじませていたクルトの表情。あれは覚悟を決めた顔だった。
何に対してかまではわからないが、あれは信じてもいい顔だ。なら、鷲介がやるべきことは──
「何にせよ、あのクルトさんがあそこまで言ったんだ。俺も点を取らないとな。
チームを勝利に導く、ゴールを」
そう締めくくって鷲介は親友の肩を叩き、ジーク達と共にピッチに戻る。
その途中、反対側からの通路からヴォルフFCイレブンがやってくる。前半終了時と同じ、誰もが自身、覇気に満ちた表情だ。
(いい顔だ。燃えるぜ)
決してヴォルフFCを見くびっていたわけではない。だがこの展開は予想を超えており、それは鷲介の負けん気、闘志を過熱させる燃料となる。
ピッチに戻る鷲介とRバイエルンイレブン。そして主審の笛と同時、ヴォルフガングがボールに触れて後半が始まる。
後方に下がるボール。それを収めたジョバンニは前方へパスを出す。ピッチの中央を進むボールを受けたのはいつもより少しポジションを下げていたエクトルだ。今日、絶好調の彼にすぐフランツが反応するも、彼はボールが足元にないかのような早く鋭い反転を見せ、前方にボールを送る。
一気にゴール前のヴォルフガングに行く。そう思った鷲介だが目を見開く。エクトルの出したボールはいつの間にかセカンドトップの位置に下がってきていたレナトの元へ。そして彼はワントラップするや、すぐゴール前にクロスを送る。
ペナルティエリアに入ったボールへ斜めから飛び込むアルドフィト。彼はフリオが側にいながらもダイレクトボレーを放つ。しかしアンドレアスの正面でボールは弾かれる。
そしてそのこぼれたボールにヴォルフガングが迫る。シュート体勢に入った彼を見て鷲介は血の気が引くが、ヴォルフガングがシュートに行こうとしたその時、クルトが横から激しいチャージを食らわした。
「!」
このクルトのプレイに鷲介は声を失う。そしてその間にクルトは、体勢を崩したヴォルフガングの足元よりボールをかっさらい、クリアーした。
「クルトさん……」
彼らしからぬ今のプレーに鷲介は目をしばたかせる。ペナルティライン上のこととはいえ、一歩間違えればファウル──下手をすればPKにすらなっていたかもしれない。
ボールがラインを割ったため、ヴォルフFCのスローインでプレーは再開。前半の勢いのまま攻めてくるヴォルフFCに対し、Rバイエルンも真っ向から相対し攻める。
もっとも殴られたら殴り返すような前半と違うのは時折ボールが後方──クルトやドミニクのところに下がることが多少、多くなり、そこより攻撃が展開されることが増えた。これは監督の指示だ。中盤のフランツ達以外から攻撃を始めるため。──そしてヴォルフFCの陣形の穴を突くために。
走力と正確なオフ・ザ・ボールで攻守の強度を維持しているヴォルフFCだが、鷲介たち最前線の動きで綻びは生じる。そこを中盤、後方の二点からのパスで突くといった作戦だ。
そして監督の狙い通り、これが効果を発揮し、後半15分までに鷲介たちスリートップの面々は一人一回ずつ決定的シーンを作り出す。
後半4分、クルトからの正確なロングフィードに飛び出した鷲介が上げたセンタリングを、エリックがジャンピングボレーを放つが、相手GKが動かした腕に当たり、防がれる。
二度目は8分、中盤まで上がってきたクルトにボールが繋がり、前に飛び出したフランツにスルーパスが放たれる。ペナルティエリア直前でボールを受け取ったフランツは、ラストパスを警戒したヴォルフFCのDFたちの虚を突くかのようなロングシュートを放ち、こぼれ球をジークが強引に押し込むがジークのファウルを取られてノーゴール。
そして後半13分の鷲介。ゴールキックのボールを収めたクルトからジークのポジションに移動した鷲介の元へロングボールが入る。ボール要求をしながら動くエリックにジークに引っ張られ、ヴォルフFCの守備陣に穴が発生、鷲介は自慢の足であっという間にゴールに迫る。
最後に立ち塞がったザシャも強引に突破、ペナルティエリアに入ると同時にシュートを撃つ。しかしこれはファストの絶妙な飛び出しでボールが弾かれ、ゴールに向かっていたボールをジークのマークに向かっていたジョバンニがクリアーしてしまった。
攻めは好調ながらもあと一歩が届かないRバイエルン。しかし鷲介は不思議と慌てなかった。何かの歯車がかみ合えば、すぐにゴールが入る予感がしていたからだ。
一方ヴォルフFCの攻撃、Rバイエルンの守備は前半とは全く異なる様相を見せていた。ハーフライムの宣言通り、前に出る回数を増やしたクルト。これが予想以上の効果をもたらした。
今までの──調子がおかしくなる以前の──クルトは基本DFライン付近で相手を待ち構え、周囲と連携して嵌めて取る守備をしていた。もちろん攻撃参加もあったがそのほとんどはカウンター、またボランチの位置ぐらいまでしか上がってこず、そこからジーク達や前に出たフランツへパスを出していた。
しかし後半のクルトはいつも以上に動き、ボールではなく相手に向かっていった。その前半とは人が変わったようなクルトの対応に、ヴォルフガングたちヴォルフFCの攻撃陣は驚き、戸惑う。そしてそれにより発生したミスをクルトは容赦なく刈り取っていく。
もちろんクルトの方もミスが発生しないわけではない。彼の予想外のプレーをヴォルフガングたちの泥臭い、執念深いプレーが凌駕し決定的なピンチが二度訪れる。しかしそれはジェフリーやブルーノたちDF陣が、そしてドミニクのフォローによって失点は免れる。
(攻守ともにいい感じ。けれど、そろそろ流石に点を決めないと……)
クルトの予想外の動きにヴォルフFCの面々も戸惑っていたが、さすがに20分近くも経つと対処してくる。特にエクトルはヴォルフFCの中でいち早くRバイエルンの守備の変化に対応しており、二度の決定的ピンチも彼が深く関与している。
彼や他のメンバーがチームのゴールネットを揺らす前に点を取らなければ。そう思ったその時だ。アントニオが下げたボールをドミニクと入れ替わるようにボランチの位置にいたクルトが自陣のセンターサークルで受ける。
そこへエクトルが迫るが、クルトはすぐにアントニオにボールを返す。そこでクルトの前進は止まると鷲介が思ったその時だ、なんと彼はさらに前に進みアントニオからのワンツーを受ける。
(いくらなんでも前に出すぎだ!)
さすがにこれには鷲介はもちろんジーク達も──走りながらも──唖然としている。本来のポジションからかけ離れすぎた動き──暴走と言うべきものだ。
しかし鷲介は足を止めない。味方がそうであるように敵もまたクルトの予想外の行動に戸惑っているのが見て取れるからだ。
それを見た鷲介はクルトの暴走をスルーし、動き出す。そしてそれにより発生するヴォルフFC守備陣の歪みを察知し、動く。
(ここだ!)
ジークとアイコンタクトをかわし、中に入る鷲介。そしてジークが逆に右に流れるのを見ながら、鷲介は前に来ているクルトへボールを要求する。
交わる二人の視線。躊躇は刹那の時間。近づいていたトビアスに邪魔される前にクルトは鷲介の足元へパスを出す。
強く速いボールが足元にやってくる。そして背後からはジョバンニの強いプレッシャーを感じる。
そしてボールが足元に来た瞬間、鷲介はスルー。その直後、鋭く反転してボールを追う。
(俺がこうするしかない、こうしたら決定的シーンになるってよくわかっているパスだ!)
クルトに賛辞を送り、鷲介は全力でボールを追う。そしてボールを収めると同時、ペナルティエリアラインをスパイクが踏む。
その瞬間、左からヒースが飛び出し、右から体を広げたファストの姿が視界に映る。しかし走る最中、彼らがそう来ることを見ていた鷲介は躊躇せず左足を振りぬいた。
短い、しかし力を入れた左足のシュートはヒースたちがゴールを塞ぐより早くピッチを走り、ヴォルフFCのゴールネットに突き刺さった。
次の瞬間、鷲介は右腕を振り上げ、ホームスタジアムのサポーターたちの大歓声がそれに応える。
「よくやった!」
「これで同点! さぁ、一気に逆転するぞ!」
ジーク、フランツに頷きながら、鷲介は去ろうとしていたクルトを呼び止めサポーターの方を指差す。
ゴールパフォーマンスの誘いに彼は渋い顔を浮かべる。しかしフランツにジークが同じ素振りをするので、小さく息を吐いてサポーターの前へ行きゴールパフォーマンスを行う。
「ナイスアシストです。でもさっき、なんであんなに上がってきたんですか」
自陣に戻りながら鷲介はクルトに訪ねる。彼は少し考えこみ、言う。
「流れに、いや勢いに身を任せたってところかな。我ながら、らしくないと思うけどね」
「確かに。冷静沈着なクルトさんらしからぬ様子でした。
でもまぁそのおかげで同点になったわけですし、結果オーライでしょう」
「そう言うのはあまり好きではないんだけどね……」
そう言いつつも、クルトの顔には淡い微笑が浮かんでいる。それを見て、鷲介も小さく笑むのだった。
リーグ戦 17試合 16ゴール6アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 5試合 7ゴール1アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト




