U-17日本代表
出迎えの車から降りて鷲介が最初に見たのは鮮やかな緑のピッチだ。
ここは地元のクラブチームが所有しているらしいがさすがドイツと並ぶサッカー大国。きちんと整備されており、
その上をU-17日本代表の選手たちが体を動かしている。
鷲介は空港まで出迎えてくれた日本サッカー協会の人に案内されてフィールドすぐそばにある建物に入り着替える。
そして更衣室前の案内図に従って進むとU-17日本代表たちがいるピッチへ出て、監督とコーチのいる場所へ歩いていく。
「すいません。少し遅れました」
「近くで交通事故があったのはきいているよ。ようこそU-17日本代表へ。私が監督のミシェル・木崎だ」
そう名乗ったやせ気味の男性は手を差し出してくる。鷲介はその手を握り握手する。
ミシェル・木崎。フランス人と日本人のハーフで元プロサッカー選手でもある。現役時代はボランチ、センターバックが主なポジションでしつこいマークと素早いカバーリングで日本代表まで上り詰めた人らしい。
しかしネットで見たとおり監督にしては随分と若い。実年齢は四十後半なのだが間近で見ると三十後半ぐらいに見える。
監督の号令の元、ランニングをしていた面々──鷲介を除くU-17代表メンバーが集結する。
彼らに向かって鷲介は自己紹介をし、下げていた頭を上げる。その時視界の隅に見覚えのある顔が見えた。
「あ、テツじゃん」
左端にいたごつい顔の少年を見て鷲介が思わず声を出すと、彼はうげっとした表情をした後、顔を逸らす。
あの反応とあの顔つき、間違いない。テツ──藤中鉄一だ。
藤中鉄一。鷲介と違い幼少のころから各年代別代表として常に選出されていたエリートでU-17日本代表の中核選手の一人だ。そして今季、Jリーグの強豪東京エストレヤでプロデビューを果たしており鷲介と同じ十代のプロサッカー選手でもある。
「藤中君とは知り合いかい?」
「はい。まだ日本にいた時、何度か戦ったりしました」
東京を拠点とするエストレヤと同じく鷲介が所属していたサッカークラブも東京都内にある。そのため公式戦や練習試合などで顔合わせることが多かったのだ。
「なるほど。しかし今は練習の時間。再会の熱い抱擁は後で存分にやってくれたまえ。
さて、柳くんが来てこれでU-17日本代表は全員集合したわけだ。ではランニングの続きといこうか。鷲介くんも入ってくれたまえ」
鷲介は頷き、チームの最後尾に入る。そしてランニングが済み、戻ってくると木崎は文字が書かれたホワイトボードを見せる。
「今日の練習メニューはこんなところだ。大会はすぐそこだ。今日も気合を入れて練習に取り組むように」
記されたそれらに一対一のような個人で行うものは無く、パス回しなど集団で行うものばかりだ。
それらを悠々とこなしながら鷲介は代表の皆へ視線を送る。さすがU-17とはいえ世界大会に出るメンバーなだけあって基本はしっかりしている。だが鷲介が知る欧州のトップユースと比べれば幾分かは落ちる。
(遜色ないのはテツを含めた主力数名か)
それらを順調に済ませた後、最後の練習メニュ──紅白戦が開始される。鷲介は青色のビブスを着たチームで、唯一の顔見知りであるテツは着ていない側のチームだ。
(俺はサブチームか)
ビブスを着たメンバーの顔を見て鷲介は心中で呟く。テツのいるチームは録画で見たASCU-16選手権の試合で見た顔が多く、ネットで調べたU-17日本代表の主力選手ばかり集まっている。
特に有名なのが来年Jリーグデビューと予想されているJリーグ札幌オウルユースに所属するGK宮野数馬とソルヴィアート鹿嶋ユースのCB遠藤正之。一昨年と昨年の選手権二連覇した静岡の清水学院のSMF志村信吾、ここ五年で冬、夏含めて五回全国制覇している西日本最強と呼ばれている国雲高校のエースFW細谷真純あたりか。
「さてキャプテン、俺たちはどうするんだ?」
「そ、そうだね。どうしようかな」
困惑気味に眼鏡をかけている長身──確か名前は前田──が言う。どういうわけかこの紅白戦、チームの好きに戦っていいと言われており監督やコーチは全く関与しないようだ。そのため自然と指示はチームのキャプテンに仰ぐことになる。
「みんなは何か意見はある?」
「攻撃力はこちらが劣ってるわけだし守備重視のカウンターはどうだ?」
「いやいや、ここは真っ向勝負だろ。戦力としてはこっちが下だけどそこまでの差はねーぞ。ガチンコ勝負でいかねぇか?」
「というか柳くんがいるんだから攻撃力ならむしろ僕たちの方が上じゃない?」
意見を出すサブ組。鷲介にも意見を求められたが「俺はキャプテンの指示に従う」と一言だけ言う。
と言うより正直な話、意見を出せるほど鷲介はサブ組──というかU-17日本代表について知らない。意見を出せる立場ではないのだ。
「──よし、こうしよう」
いくつか意見が出たところで考えがまとまったのか、前田はフォーメーションと指示を出す。フォーメーションは4-4-2のダブルボランチだ。戦術は攻撃力で劣る為オーソドックスにカウンターとなった。
皆が指定されたポジションにつき、鷲介も同じサブ組のFW山口と共にセンターサークルへ入っていく。
サブ組のキックオフで試合は開始される。鷲介が後ろに蹴ったボールはゆっくりと後ろへ回っていき、それを細谷たちレギュラーFWらが追っていく。
「君のマークは俺がすることになったからよろしくな」
後ろを見ている鷲介に誰かが声をかけてきた。振り向いたそこにいたのは真面目そうな顔つきの少年、遠藤正之だ。
よほどフィジカルトレーニングを積んで効果があったのか、それとも元々のものなのかはわからないが正之は鷲介よりも身長が高く体つきもがっしりしている。すでに大人の体と言ってもいいだろう。
調べたところその立派な体格と、それに似合わない素早い動きによるカバーリングやマークで敵チームのFWをことごとく封殺してきたらしい。
「マークはお前一人なのか?」
「今はね。君の実力次第では悔しいけど増えることもあるよ」
「そう」
そっけなく返事をして鷲介は再び視線をフィールドへ戻す。どうやらレギュラーチームもサブ組と同じフォーメーションのようだ。ただダブルなサブ組と違って中盤はダイヤモンド型のワンボランチ。そこには鉄一が入っている。
サブ組の最後尾からロングボールが出る。それを両チームが競り合い拾ったのはレギュラー組だ。右SMFの宮国は拾ったボールでドリブルするとマークに来た相手をまた抜きでかわして前へ出る。
宮国へマークが寄ってくるが彼は何回かのフェイントでかわすと右へパスを出す。受け取ったのはテツだ。そこへボールを奪いに行く前田。彼は体をぶつけ、長い脚を伸ばしてボールを奪おうとするがテツは全く体の芯がぶれずボールを奪わせない。
(うーん。昔と変わらぬ、いや、昔とは比較にならない頑強なフィジカルだな)
これこそが彼の最大の持ち味だ。小学生時代に戦った時もこの異様ともいえる、年相応ではないフィジカルを生かしたキープ力で自軍の中盤と守備陣を支えており、鷲介のチームも彼の体躯を最大限に生かしたパワープレーの前に幾度も屈した。
テツはサイドの上りを待っていたのか横にやってきた左SBへパスを出すと一気に走りだす。ボールを受け取った右SBは逆方向へサイドチェンジ。それを胸トラップした左SMFの志村はすぐ近くまで来ていたサブ組をするりとかわしてサイドを走り、二人目をフェイントで惑わしてセンタリングを上げる。
低いグラウンダー製のボールに飛びついたのは細谷だ。彼はマーク外しが得意らしく、今まさにマーカーを外していた。そしてそのボールをダイレクトでシュートするが、ゴールに向かったボールはバーをたたく結果に終わった。
(やるなぁ)
素直に鷲介は思う。志村のグラウンダーセンタリングはマイナス気味な上、CBとGKの間だし、細谷もマークを完全に振り切っており、ダイレクトシュートはボール一個分内側ならゴールに入っていた。
その後の試合の内容はレギュラー組が優勢だ。攻撃は志村と細谷を中心として何度もサブ組にゴールに迫る。またディフェンスではGK宮野が積極的に指示を送っては前がかりとなっていたチームの位置を調整する。
そうなるとカウンターを戦術としていたサブ組は思った以上に攻撃ができず、攻められる展開となってしまう。鷲介も初めてのチーム、そして自分のやるべきことことを優先していたため積極的に前に出ない。
そしてとうとうレギュラー組がサブ組のゴールネットを揺らす。前半二十六分、志村のスルーパスに抜け出した細谷が、前半三十二分、志村のフリーキックに頭で合わせたテツがボールをゴールへ叩き込む。
(さすがにやるな。……だがこのままやられっぱなしのまま前半を終えるのは面白くない)
そう思い鷲介はちらりと後ろを見る。相変わらず遠藤がマンマークをしているが、その表情には油断と慢心の色が見える。
きついの一発かましてやろう。鷲介がそう思った時だ、GKからロングキックが放たれる。
そのボールを競り合うサブ組のFWと宮国。こぼれたボールにレギュラーチームのCBが拾い前線へ送るが、それを前田が素早い出足でカットする。
CBが一人いない、カウンターのチャンス。そう思った鷲介はボールを要求し、裏へ一気に加速する。前田からのやや精度にかけたパスを足元に収めた時、レギュラーチームが迫る。
「させないよ!」
「ボールをよこせ~」
遠藤と共にやや間延びした声で言いながら来たのは志村だ。鷲介は意識のギアを一気にトップへ入れると遠藤へ向かってドリブル、そしてワンフェイントであっさりとかわす。
「なっ!?」
「ええ~」
背後から聞こえる遠藤と志村の驚きの声。迫るタイミングは悪くなかった。だが所詮はユースレベルの寄せ。この程度の寄せならユース時代に何度も余裕でかわしてきた。まして油断しているこの状況なら当然と言うべき結果だ。
ペナルティエリアへ向かって斜めにドリブルする鷲介に正面からもう一人のCB大野、そして左から鉄一が迫る。鷲介は高速シザーズで遠藤と同じく大野をあっさりかわしPAラインへ迫る。だがそこへ鉄一がショルダーチャージを仕掛けてきた。
「……!」
「これ以上はいかせねぇ」
テツのショルダーチャージは強烈だ。ユースで対戦した相手の中でもこのレベルは滅多にいない。だが鷲介は体勢を崩さない。
スピードとドリブルが武器の鷲介はドイツに来た当初、散々ショルダーチャージを受けては姿勢を崩し、または転んでいた。しかしプロになった今でもそれを貫けているとう事はそれらへの対処方法を理解しており、そして慣れていると言う事だ。
(ジェフリーさんやクルトさんに比べたらかわいいもんだ)
チャージを受けた瞬間、一瞬だけ体の力を抜いた鷲介は衝撃を逃がす。そして直後、テツへ体を寄せて頑強な彼を壁代わりにして右足を振るった。
しっかりとした体勢で放たれた鷲介のシュートに宮野は反応して手を伸ばす。指先がわずかにボールに触れるが、勢いは失われずゴール左のサイドネットを揺らした。
◆◆◆◆◆
「いやー、終了間際にいいのを一発喰らっちゃったなぁ」
前半が終了してのハーフタイム時、あっはっはと笑いながらそう言うのは志村に鉄一はいらっと来る。
独特のリズムのドリブルと長、短どちらも精度の高いパスを武器にする彼は選手としては頼もしいが、常にマイペースかつ空気を読まない天然な彼のことを鉄一は好きではない。
案の定、彼の空気を読まない発言に周囲の空気が悪くなる。
「志村、笑ってる場合かよ。あんなにあっさり決められたんだぞ」
額に青筋を立てた大野が詰め寄るが志村は全く気にした風もなく言う。
「えー? でも柳が向こうにいる時点で失点するのは予測通りだろ。だいたいあっさりっていうけど柳の奴は俺たちより数段上の実力者──下手すればA代表クラス。
むしろこれぐらいやってくれなきゃ駄目だろ」
嫌味の欠片もない志村の発言に大野達DF陣が気色ばむ。そこへ割って入ったのはU-17日本代表キャプテン宮野だ。
「はいはい。とりあえず柳が凄いことは皆が再認識したな。後半、マークを増やすか」
宮野はそう言って正之を見る。今までボトルに口をつけていた彼はそれを離し、言う。
「もうちょっと僕一人でやらせてもらいたい。でもみんながそうしたいのなら反対はしないよ」
そう言って彼を皆を見渡す。U-17日本代表のレギュラーメンバーは何も言わない中、鉄一は口を開く。
「あと一点取られるか、柳にゴールされたら俺と正之でマークにつこうと思う」
鉄一の発言に皆がざわめく。それも当然の反応だ。チーム随一のCBの正之とそれに次ぐDF力を持つ鉄一が二人がかりで抑えると言ったのだ。AFCU-16選手権はもちろん、他国との親善試合でもそうしたことは一度もない。
志村のように口にはしないが鉄一も柳のレベルが自分達よりも上の、A代表クラスと認識していた。ドイツリーグに、あのロート・バイエルンのトップチームに昇格し、少ないとはいえ試合に出ているのだ。
それぐらいはあるのではないかと思っていたが、彼のあのプレイを目の当たりにして確信した。想定ではなく、間違いなく今の彼はフル代表に選出されてもおかしくないレベルにあると。
「でも鉄一がマークについたら攻撃の方が」
「それなら心配ご無用! ナカに回す分、俺とタニにボールをよこせばいい。ガンガン攻めるからさ! な、ナカ!」
弱気な宮国の発言を志村の馬鹿でかい声が吹き飛ばす。志村に名前を呼ばれたタニ──細谷は小さくため息をつき、
「そうだな。藤中が守りに入るなら俺たちが頑張ればいいだけだ」
「さっすが我がU-17日本代表のエースストライカー様! 頼もしいお言葉~!」
「はいはい。あと志村、タニって呼ぶな。肩を抱くな」
二人がじゃれついていると、宮野が鉄一の隣に来て小さい声で言う。
「藤中、もし二人でマークすれば抑え込めるか」
宮野の問いかけに鉄一は言葉に詰まる。正之と自分がマークにつく。これはU-17日本代表における最高のマークだ。だがそれでも柳を完全に抑え込めるかと言われれば五分──というよりも分からない。
昔と違って今の柳は実力の底が知れない。自分たちで足りると断言できないのだ。もしかしたら二人でも不足しているかもしれない。だが鉄一は断言する。
「現状、五分だ。だがあくまで現状だ。確率は試合の中で上げていくさ」
柳は格上だ。だが鉄一とて今まで格上相手のマークについたことはあるし、その格上を抑え込んだこともある。試合の中で相手を知って、成長して。
(このままで終わるものか)
気の抜けた顔でボトルに口をつけている柳を鉄一は睨みつけた。
◆◆◆◆◆
(見られてるなぁ)
後半が始まって五分、鷲介は思う。前半には感じなかった突っつくような視線を感じる。
マークについている遠藤からはもちろん他のDF、さらには近くに寄ってきたレギュラーチームの面々からもちらちら見られている。
とはいえ注目されるのは慣れているので特に気にせず鷲介は試合の状況を見る。後半の立ち上がり、サブチームは前半開始と同じく落ち着いている。二点目を取られ、鷲介がゴールするまでの間はやや消沈していたがあの得点がきっかけで元に戻った。
もっとも幾人か──特に攻撃陣はより元気になったようで近くにボールが来るとすぐにチェックに行っている。
レギュラーチームは前半と違って静かだ。さながら攻めまくって熱くなっていたボクサーが相手からの強烈なカウンターを受けて、冷静さを取り戻したような印象だ。
(じゃあ今度は慌てさせるか)
そう思って鷲介は大声でパスを要求。さらに敵からの視線が強くなるが無視して右サイドを動き回る。一方のレギュラーチームも志村や細谷らを中心に攻め込むが、勢いづいた彼らは突破やパスは許しても決定的なプレイはさせない。
そんな展開が続いているとサブ組のSBからのボールが鷲介に届く。即座に振り向いた鷲介へ遠藤が急降下して獲物を奪う鳥のように迫る。
(うーん、まだまだ)
そう呟いて鷲介は右サイドへ。当然遠藤もついてくるがそれは気にせず──かといって油断はせず──じっと周りを見ながらゆっくりとサイドをドリブル。ボールを持った自分にレギュラーチーム全体が寄ってきている、
またサブ組の攻撃陣が上がってきたのを見ると鷲介は自陣へバックパス。それを右のDMF森が受け取ったのを見て一気に加速すると同時にパスを要求する。
「くれ!」
要求通り前方へパスが来る。ラインぎりぎりで飛び出したのでオフサイドにもかからない。敵陣へ落ちたたボールへ走る鷲介を遠藤は追うが、最初の加速で引き離している。ボールを収めた鷲介に左SBの中村が寄ってくるが遠藤と同じくワンフェイントで突破する。
ペナルティエリアラインに至近の距離まで近づき、このまま切れ込んでシュートを撃つことを鷲介は一考するが、やはりレギュラーチームはそれを警戒しており、大野と宮野がしっかりシュートコースを塞いでいる
(いい判断だ。でも俺に気を取られすぎだな)
パスを出そうとするが、背後から二つの強烈な視線を感じると鷲介はさらに深くサイドを突き進む。
ゴールラインぎりぎりまで近づいた鷲介の前を遠藤が塞ぐ。必死の形相からこれ以上好きにはさせないという強い意志が感じられる。
もう一つの強い視線──おそらく中村だろう──を感じた鷲介はすぐに左へ切り返し左足を振りかぶる。そこへ体を投げ出すような勢いで遠藤が来る。
こちらにふりまわされながらもシュート、パス両方を塞いだ見事なマークだ。また他のDFもゴールさせまいと絶妙な位置にいる。
いいディフェンスだ、いいポジショニングだ。──だが甘い。鷲介は振りかぶった左足でまた右へ切り返すと、遠藤たちDFが鷲介に集中していたため空いた逆サイドのスペースへセンタリング。そこへフリーで飛び込んできた山口がヘディングを放つ。
(よしこれで同点──!?)
そう呟いた直後、鷲介は驚く。完全に一点もののヘディングを宮野が片手で弾き飛ばしたのだ。
その反応は全く予想しておらずさすがU-17日本代表と鷲介は感心する。だが宮野がパンチングしたボールは運悪くゴールポストに当たりペナルティエリア内へ。そしてそのボールをゴール前まで来ていた右SMF蜂須賀がスラィディング気味のシュートでゴールに押し込んだ。
「よっしゃぁ!」
「ナイスゴール、蜂須賀!」
歓喜に沸くサブチーム。鷲介もぐっと拳を握りこぼれ球を押し込んだ蜂須賀へ駆け寄り賞賛する。
一方のレギュラーチーム──特にDF陣の顔色は悪い。中でも極めつけなのが遠藤で、完全に血の気が引いている。まぁあれだけ気合を入れていたにもかかわらず鷲介に好き放題やられたのだ。無理もない。
レギュラーチームのキックオフでボールが後方に回っていくが、失点のショックが大きいのかやはりどこか元気はない。それを見てあと一点、二点叩き込むかと思い、鷲介がボールを追おうとしたその時だ。
「これ以上お前の好きにはさせないぞ」
鷲介に背後から聞こえる声。振り向けばかつてないほど真剣な表情のテツが立っていた。
◆◆◆◆◆
山口と宮国が競り合ったボールがこぼれる。それを拾ったのは柳だ。
それを見て即座に遠藤が彼へ迫り、また鉄一も死角から接近する。柳はスピードの乗ったフェイントでまたしてもあっさりと遠藤をかわすが、彼も試合の中で慣れてきたのかすぐさま食い下がる。
そして鉄一も遠藤の援護にまわって柳へショルダーチャージを放つ。ぶつかり、やや姿勢を崩す柳。しかし足元からボールは失わず、ボールを奪おうとしていた遠藤の脚がボールに届く前に後方へパスを出す。
「くそっ」
毒つく遠藤。鉄一は声に出さず心中で唸る。
同点にされてから鉄一も柳のマークに加わったが想定以上の苦戦を強いられていた。さすがにU-17日本代表の主力二人のマークに柳も今までの様な自由気ままなプレイはできなくなってはいるものの、それでもボールが来ればこちらのマークをものともしてない素振りで平然とドリブルをしたりパスを出す。ボールを失わないのだ。
この試合中にわかったことだが、柳はパスも上手い。志村やU-17日本代表のエース中神のようなパサーが放つセンスはないがとにかく正確で、確実に味方に届くパスを出している。
柳のバックパスもらった前田が大きくサイドチェンジ。サブ組の左SMF長谷川に渡り、長谷川は山口とのワンツーでレギュラーチーム右SB近藤をかわすと深くサイドをえぐりセンタリングを上げる。
そのボールに飛びつこうとする蜂須賀と柳。前半のゴールが印象づいているのかDF陣は柳の動きにつられて蜂須賀へのマークが緩くなる。
そしてそれを察したのか蜂須賀はダッシュでマークを振り切ってほぼフリーの状態となり、上がったボールをダイレクトボレー。ゴールの枠に向かった決定的な一撃は大野が体を盾にして防ぐ。だがそのこぼれ球を拾ったのは上がってきていたサブチームの森だ。
(まずい!)
そう鉄一が思うと同時、森がシュートを放つ。だがそれに宮野が必死の形相で飛びつき、パンチングでかろうじてコーナーへ逃れた。
「うーん。またまた惜しいな」
小さく安堵の息を吐く鉄一のすぐそばで柳が軽い口調で言う。同点の後、試合の流れは完全にサブ組へと傾いていた。
しかしそれは当然ともいえることだ。なにせ鉄一たちU-17日本代表の主力二人が柳一人のマークについているのだ。10人対9人で戦っているようなものだ。
しかも柳はマークされていても効果的なパスを幾本もだし、またDF陣を脅かす効果的なオフ・ザ・ボールの動きを繰り返している。それがますますレギュラーチームの守備を揺るがし、またその揺らいだ守備を見てサブ組が勢いづくという完全な悪循環となってしまっている。
(だが俺が離れるわけにはいかない……)
前半、借りてきた猫のように大人しかった柳が後半は一転して動き回ってチームへ脅威を与え続けている。二人にマークされているにもかかわらずだ。
もし鉄一か遠藤、一人で相手にしようものならどんな惨事になるかわかったものではない。下手をしたらハットトリックさえされかねない。そう思うだけの実力を彼は持っている。
宮野からのゴールキック。競り合い、こぼれたボールを拾ったのはまたサブ組だ。その直後、鷲介は鉄一たちを引き離す。
歯軋りしながら鉄一は彼を追い、遠藤が彼を止めている間に後ろから迫る。だがまたしてもボールを奪おうとした直前で彼は味方へパスを通してしまう。
(どれだけ周りが見えているんだコイツは!)
柳の驚くべき視野の広さと判断の速さに鉄一は歯噛みする。常に首振りを続けているとはいえ尋常ではない。Jでさえこれほどの物を持っているのはソルヴィアート鹿嶋の南米トリオぐらいだ。
鉄一は柳はもちろん、いつも以上に周囲を凝視、観察する。非常に悔しいがそれをしなければ柳とはまともにプレイもできない。より深くボールと彼の動きを把握しなければ。
そして後半も終盤、宮国が奪われたボールがサイドへ流れ、それを柳がキープする。
当然彼へのマークに向かう鉄一だが、直前に周囲の確認はしている。サブ組は長い時間攻めていたためか多くのメンバーが敵陣深く入っていた。残っているのはDFのみでそれも二人ほどだ。
ここでボールを奪えれば絶好のチャンスともいえる。そしてそのために鉄一は乾坤一擲の大ばくちを打つ。
柳のマークにつくが今までと違いやや緩めにし、彼はもちろん周囲を見て柳の行動を予測する。案の上、柳は一瞬で加速、フェイントとドリブルで左へ振り切る。
遠藤と自分の位置、そして柳のドリブルを見続けた結果の予測は、見事に的中。鉄一は彼の足元へスライディング。伸ばした足が見事ボールを捉える。
ボールを挟む両者の脚が拮抗したのはほんの一瞬。フィジカルで勝る鉄一がボールを奪った。
「──」
驚く柳に目もくれず鉄一は即座にロングパス。ロングパスに定評がある鉄一のボールは狙い通りに飛び出した細谷が追って捕まえる。
慌てて残っていたサブ組のDFが彼に向かうが、細谷はすぐに誰もいない左側へパス。それを彼の後ろから飛び出した志村が足元に収める。
「ナイスパース!」
息を弾ませながらも脳天気に叫び志村はペナルティエリアに侵入。飛び出してきていたキーパーを嘲笑うかのようなループシュートを放ち、ゴールネットを揺らした。
◆◆◆◆◆
「よくやった、志村!」
すぐ側で拳を握るテツ。飛びあがる志村。他のレギュラーチームもまるで本番の試合のように歓喜の声を上げる。
一方サブチームは冷や水をぶっかけられたかのような表情だ。無理もない、あれだけ押していたのにたった一発のカウンターで状況が一変してしまったのだから。
(……むかつくな)
そう思った鷲介はハッとする。いつの間にか自分がこの試合に熱を入れていたことに気がついたのだ。
正直なところ、鷲介としてはこの試合の勝敗はどうでもよかった。鷲介にとってもっとも重要なのはU-17日本代表の実力を知ることだ。今日初めてチームに合流した鷲介はチームメイトの実力やサッカースタイルを全く知らない。もちろんネットや雑誌で調査はしているが、ただ知識として得たものと実際見て実感するのとは大きな違いがある。
それを知る為、前半は控えめにプレイをして両チームの選手の観察に務めた。後半は前半の観察で得た情報の再確認も兼ねてより積極的にプレイしたが、それでもやや本気──80%ぐらいの力しか出していなかった。U-17日本代表でスタメン奪取するのはそれぐらいで十分だと思っており、それは概ね間違いでもなかった。
本気を出すのはあくまで本番でいいと思っていた。──今、この瞬間、勝ちこされるまでは。
(このまま終わるのは面白くない)
試合が再開され、さっそく鷲介にボールが来る。もちろん今まで通り遠藤とテツが寄ってくる。
自分を止めたことによるものか二人──特にテツの表情には自信が満ちている。次も止めてやると言う気概がある。
(残り時間も少ない。……全力で行くか)
そう思うと同時、鷲介は加速、本気の高速シザーズで遠藤をかわす。
直後テツがショルダーチャージをしてくる。今まで以上に体重が乗った、それも的確な一撃に鷲介はスピードを殺されてしまうが、
(この程度の当たりで俺が止まるものかよ!)
ボールは足元からこぼさず再加速。強引に抜き去る。
ペナルティエリア前に来ると左から大野が、右から中村が詰めてきているのを見た鷲介は左にいた山口へパスを出すと、大野と中村の間をオフサイドギリギリに飛び出して同時にボールを要求。
「ダイレクト!」
要望通りダイレクトでパスを出す山口。そのパスを邪魔しようと大野が足を延ばし、ボールに当たる。ペナルティエリアの左側に逸れたボールを鷲介は真っ先に拾うが、その間で鷲介の前を中村が塞いでいた。
「これ以上君の好きにはさせない!」
右から聞こえる遠藤の声。ペナルティエリア内にはテツの姿もある。鷲介を止めようと中村は腰を低くして近づき、大野はやや離れたところからシュートやパスコースを消している。
さすがの鷲介もこの四人と宮野相手では点を取るのは厳しい。脳裏にワンフェイントで中村をかわしてセンタリングという最善手が現れるが、鷲介はそれを選ばずドリブルを仕掛ける。
(やってみるか)
ボールを奪おうと足を延ばす中村をワンフェイントでかわす鷲介。体をぶつけてきた中村だが、それも一瞬の加速で振り切って前へ進む。
そこへさらにシュートを撃たせまいと距離を詰めてくる大野と遠藤、シュートコースを消す宮野、ボールを奪おうと近づいてくるテツ。
(それがどうした!)
心中で叫ぶと鷲介は右へ体を動かす。ただしスピードは五割程度の低速だ。
それにつられる大野、ボールを奪おうと足を延ばした遠藤を見た瞬間、今度は左に最高速度でカットイン。ゴールラインを割るギリギリの角度に突撃すると同時に左足を振り切った。
利き足ではない左のシュートは飛ぶ鳥を打ち落とすかのような軌道を見せる。宮野が伸ばした手の横を通り過ぎ、ゴール上部のネットを揺らした。
「……!」
愕然となるレギュラー組を見つつ、鷲介はぐっと拳を握る。緩急のフェイント&カットイン、成功だ。
そして宮野がボールを拾ったところで試合終了のホイッスルが響き渡った。
◆◆◆◆◆
「──とまぁ、こんな感じかな」
そう言って鷲介が話し終えると、部屋の床に腰を下ろしているU-17日本代表の面々はそれぞれ感嘆の声を漏らす。
今いる個室はU-17日本代表が宿舎として借りているホテルの一室だ。部屋の主は鷲介と志村である。
夕食時のことだ。志村からプロになった現在の状況やらを詳しく聞かせてほしいと頼まれ──と言うよりもせがまれ、それに興味のある面々がこうして集まったのだ。
「やっぱりプロともなると違うもんなんだなぁ。ユース組のミヤたちはどう思うよ?」
「若干わかるところはあるな」
もう一人の部屋の主に言葉に宮野が答え、彼と同じユース組が違いを話す。鷲介も日本のユース事情は全く知らないのでドイツと違う部位があり、なかなか興味深い。
話はそれで終わらない。鷲介のドイツでの生活についても問われる。
鷲介のプライベートを含めた外国暮らしの話に誰もが真剣だ。やはり将来的、欧州でプレイする野望を持っているからだろうか。
「なぁヤナ、率直に聞くけど俺たちはどこまで行けると思う? ベスト16? それともそれ以上?」
「断言はできないけど予選リーグを勝ち上がることは不可能じゃないとは思うな。
でも予選も間違いなく厳しい戦いになる。どのチームも侮ることはできないだろうし」
紅白戦でおぼろげながら分かったが、U-17日本代表はユースレベルでは中の上ぐらいだ。だがW杯ともなればそんなチームはごろごろしているだろう。
自分が加われば上の下ぐらいにはなるかもしれないが、それでも最後まで勝ち上がれるとは言い切れない。特にドイツなど”ゾディアック”を要する優勝候補は間違いなくそれ以上だからだ。
「さて、小難しい話はこの辺にして、遊ぶぞー!」
話が終わった直後、志村がそう言ってキャリアケースから取り出したのはゲーム機とTVゲームだ。
「ふっふっふ。早速だがヤナ、勝負だ!」
志村が掲げるゲームソフトは見覚えがある世界的に有名なサッカーゲームのシリーズ最新版だ。
「別にいいけど。てかヤナってなんだ」
「あだ名をつけるのが志村の趣味でな。本気で嫌だと言えばやめるぞ」
そう言う細谷。そう言えば彼はタニと呼ばれていたことを鷲介は思い出す。
「ちなみに俺はU-17の中で一番、このゲームに強い。すなわち俺がゲームの王者だ!」
「ならその王座を早速貰い受けるとしようか。俺もこれについてはそれなりの腕前だからな」
「上等! かかってこいー!」
両腕を組み胸をのけぞる志村。鷲介はそれを見ながらゲームのコントローラを握り、眼光を鋭くする。
「……ぬおおおお! バカな! また負けたー! タニ、タニー! お、おれの敵を討ってくれー!」
「死んでないだろ。あとタニはやめろ。……………おいおい、ゲームでも無双するのかよ」
「それじゃあ今度はオウルユースの中でもトップクラスの俺が相手をしようか。…………。そこからゴールを決めるか。強いなー」
挑んでくる志村達主力三人を蹴散らす鷲介。昔から身近にゲーム好きな父親や同僚──ジークたちRバイエルンメンバー──らがおり、彼らに散々付き合わされている。
そして基本負けず嫌いな鷲介は暇なときは練習、研究しており結果、彼らを一蹴するぐらいの腕前にはなってしまっていた。
「そろそろ誰か交代してくれないか。ちょっと疲れてきた」
「ヤナ! またあとで再戦するぞ!」
「はいはい。わかったよ」
指差ししてくる志村にぞんざいに答える鷲介。部屋に備え付けられた小さい冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し喉を潤すと、和気藹々とした雰囲気でゲームをするU-17メンバーを見てふとユース時代のチームメイトたちのことを思いだし、口元をほころばせる。
(こういう所はどの国でも変わらないんだなぁ)
しばしの休憩の後、再びコントローラーを握り挑戦者を倒していく。またこの部屋の騒ぎが聞こえたのか、部屋にいなかったメンバーも訪れ、彼らを志村が強引にゲームへ誘っていく。
「よっしゃーっ! とうとう勝ったどー!」
鷲介との十数回の勝負の後、初めての勝利にガッツポーズをして高らかな声を上げる志村。それを見て苦笑しつつも、むくむくと負けん気が胸の内に沸いてきた鷲介は再戦を口にしようとしたその時だ、
「──君たち、さっきからいったい何を騒いでいるのかな」
静かな、しかし冷淡な口調が部屋に響き、部屋から響いていた音がピタリと止まる。
声のした方を見れば半眼のテツと遠藤、そして笑顔ながらも目は笑っていない監督の姿があった。
◆◆◆◆◆
コンコンとドアがノックされ、ミシェルは「どうぞ」と返答する。入ってきたのは見回りに出ていた代表スタッフの一人だ。
「みんなはしっかり眠っていたかな」
「はい。先程の大騒ぎの際、監督が怒ったのが効いたのか静かなものです。まぁ志村くんだけは本当に眠っているかどうかは怪しいですが」
チーム一騒がしくコミュニケーションに長けた少年の名前を聞いてミシェルは思わず苦笑する。確かに彼の場合、布団の中に隠れながらもまだ起きていそうだ。
スタッフが部屋を後にするとミシェルは今しがた見ていたノート型パソコンへ目を向ける。そこに映っているのはU―17の予選リーグで当たる敵チーム、ブラジル、セネガル、イングランドの主力選手のプレイ動画だ。
「私がいた時と比べて随分レベルが上がったものだなぁ」
若手のレベルは年々上がっているが、特にここ十年は凄まじい。鷲介たちゾディアックと称されるような規格外の選手が幾人も生まれ、数々の名勝負を生み出している。
そして今回の大会はU-17始まって以来、最大最高の大会になると目されている。その中心となるのは当然鷲介たちゾディアックだ。世界のトップチームのスカウトマンたちも注視している。
今見ていた動画を閉じて新たな動画を見る。U-17日本代表選手たち、そして最後に見るのは今日合宿に合流した鷲介の今期のプレイ集だ。
彼に関してはASCU-16選手権が始まる前から目をつけていた。その時からも凄かったがロート・バイエルンのトップチームへ昇格してプロデビューしたこの数試合で、また一回り以上成長している。特に今日の紅白試合で見せた最後のプレイはその証左と言っていい。
だがA代表に選ばれても不思議ではない彼がいたとしても予選リーグを突破するのは決して簡単ではない。なにせ日本がいるリーグにはゾディアックNo1のロナウドを要していた優勝候補のブラジルとは別のゾディアックがいるイングランドいる。ゾディアックがいないセネガルも侮れず、最悪全敗して予選リーグ敗退なんてことも十分あり得る。
「ヤナギは上手くチームに溶け込めるかな」
夕食時、同室の志村が中心に接していた──というよりも一方的にじゃれついていた。先程の騒ぎでも他のメンバーと仲良くやっていたそうだから、ひとまずコミュニケーションの方では問題はないだろう。
だが選手としてチームに溶け込むのは別問題だ。特に鷲介が所属クラブとU-17日本代表とのレベル差を痛感し、それでもうまくチームに融和できるかはわからない。もちろん代表メンバーもミシェルもそれに尽力しなければならないが。
大会まで残り一週間、当然のことだが一日たりとも気は抜けなさそうだ。