再発?
「ハッピー、バレンタイン」
「ハッピー、バレンタイン」
ヒュフナー一家が経営する喫茶店の隅に腰を下ろした鷲介と由綺は、同時にそう言ってお互いが持つ品々をテーブルに出す。
鷲介が出したのはバラの花束に小さい紙袋。由綺が置いたのは手作りのチョコレートと鷲介が出したのより少し大きい紙袋だ。
日本では女性から男性にチョコレートを贈るメジャーな行事となっているバレンタイン。ここドイツでは逆に男性から女性へプレゼントを贈るのが一般的だ。
由綺と付き合い始めてからのバレンタインは今日のように日本、ドイツ両方の祝い方をブレンドしたものとなっている。
「お、ニット帽。……手作りか」
「うん。ドイツの冬は寒いから、作ってみました。
あ、これは髪留めだね」
鷲介の紙袋から由綺が取り出したのは桜色のリボンだ。
「ああ。保育士のバイト中、髪をまとめているだろ。俺が見たことがない奴を選んでみた」
「ありがとう。ちょっとつけてみるね」
そう言って由綺は席を立ちレストルームへ向かう。そして戻ってきた彼女の髪型は一つ結びとなっており、結び目には鷲介がプレゼントしたリボンが綺麗に巻かれている。
「どうかな?」
「ああ、似合っているな」
鷲介がそう言うと由綺は嬉しそうにはにかむ。髪をまとめたことで見えるうなじや耳元が妙に色っぽい。
お返しとばかりに鷲介もニット帽をかぶる。赤毛で編まれたニット帽は見事にすっぽりと頭に収まり、温かさを感じさせる。
「いちゃついているところ失礼します。ご注文の品ですー」
笑いを含んだ声でそう言って注文した菓子や飲み物をテーブルに置くのはグスタフだ。鷲介は彼に見せびらかすようにニット帽を向けると、彼は苦笑して下がっていく。
「明日の試合出れそう?」
「ああ。スタメンは今日の練習後に発表された。明日は最初からピッチに立てる」
明日のスタメン。システムはいつもの4-3-3。GK及びDFラインはブルーノやクルトたちスタメンが名を連ねている。
中盤三人ボランチはドミニク。ミュラー、アントニオはSMF。スリートップは右から鷲介、アレックス、エリックだ。
CL決勝トーナメント前と言うことを考慮したのかフランツとジークはともにベンチだ。最近ゴールを量産しているジークの、少し不満そうな顔が記憶に新しい。
「CLのノックアウトステージ直前の試合、勝って弾みをつけたいね」
「そうだな。しかも相手が水曜日に戦ったばかりの相手だしな」
ふぅとため息をつく鷲介。それを見た由綺は怪訝な表情となる。
「フランクフルトKだよね。水曜日は完勝したけど、強敵だったの?」
「いや強敵と言うほどじゃない。でも明らかに弱いチームでもない」
明日対戦するフランクフルトKはどこのリーグにもいる”強いがビッククラブほどではなく、また安定感がない中位が定位置”的なチームだ。
降格争いをするほど順位は落ちない。強豪にも時折勝ってしまう。2位、3位の順位に来ることもある。だが予想もしない敗戦などもするチームであり上位に来そうで結局来ず、最終順位は中位、もしくは上位の最下位で終えることが多い。昨季も一時は2位、3位に留まっていたが結局最終順位は7位だった。
「それにちょっと気になることもある」
「ニステローイ選手の移籍の話?」
頷く鷲介。ここ最近鷲介はもちろん、Rバイエルン関係者にサポーターを驚かせ、悩ませている最大のニュースだ。
エリックがスペイン、イングランドの強豪クラブからオファーを受けているその話。ただそれだけなら欧州サッカー界のいつものことで済ませるのだが、オファーを出したクラブの名前が出ておりそれらが肯定していること、また当人がそれに対して否定的なコメントをしていないのだ。
さらに──
「代理人がメディアを通じてRバイエルン首脳陣を煽っているっていうコラムもあったけど……」
「そんなものがあったのか。しかしよりにもよってこのタイミングだ。ロドルフさんもやってくれる」
年末にあったロドルフの顔を思い出し、鷲介はため息をつく。
このタイミングで話を表に出したのはクラブ首脳陣への圧力とエリックに注目を浴びせるためもあるが、オファーをしたチームの提示した移籍金や年俸を上げて、自身の取り分を多くせしめる意図もあるのだろう。ロドルフのいつもの手法だ。
エリックは最近途中出場が多い。後半戦が始まりリーグ、カップ戦を含めて5試合。そのうちスタメンだった試合は18節だけだ。ゴールもその試合だけで現在の彼のリーグ得点数は13ゴール。鷲介より1つ少ないのだ。
「ゴールもアシストも全然決めていないからか、一部の昔ながらの過激なサポーターからは給与泥棒なんて言われているしな」
移籍初年度で13ゴールは見事な結果だ。だがそう批判されるのは莫大な移籍金と共にやってきたというのに、それに見合った活躍ができていないことと、ゴールペースが極端に落ちたことが原因と言われている。
エリックは10節のレヴィアー・ドルトムント戦の時点で10ゴールをマークしチームトップだった。しかし22節終了から換算するとたった3ゴールしか決めていない。にもかかわらずチームが勝利し勝ち点を稼いでいるのは、彼とは対照的に出場機会が増えたアレックスやアレン、復帰した鷲介がゴールアシストを取っているからだ。
「あくまで私見だけど前半戦途中……12月ぐらいからかな。単独で行くことが多くなったよねエリック選手」
由綺の指摘に鷲介は首肯する。元々個で突破を図ることが多いエリックだが、彼女の言う通り12月からさらにそれが顕著になっている。
そして対戦したチームもそれがわかっているのか鷲介が怪我で欠場した16節から現在までの試合、そうしたエリックを嵌めてボールを奪取する動きを取っており、それがきっかけで何度もチームはピンチに陥った。アレックスたちの好調とゴール減少と並び、エリックがスタメンから外されることが多くなった理由だとどこかの解説者も言っていた。そしてそれは正しいと鷲介も思っている。
「以前はもうちょっとチームプレーをしていたんだがな……」
試合中はもちろん、練習中でも指摘されているエリック。言われて最初は直るのだが、時間が経つと元に戻ってしまう。
どうしたんだろうかと鷲介が眉根をひそめていると、遠くから視線を感じた。
そちらに視線を向ければグスタフと、いつの間にか来店していたイザベラの責めるような眼差しがある。
二人は同時に、無言で、下を指差す。鷲介は下を向き、テーブルの上にあるチョコレートと花束を見て、二人が何を言いたいのかを悟る。
「由綺」
「ん? どうしたの──」
同じように首をかしげていた恋人の口へ鷲介は彼女の手作りチョコレートを放り、同時に自分の口にも入れる。由綺が作ったチョコは一口サイズのトリュフチョコだ。
濃厚だがくどくない、甘いチョコレートの美味な味が口内に広がる。
「しゅ、鷲君。いきなり何をするのかな」
「何、せっかくのバレンタインのデートだ。難しい話はこのぐらいにしておこうと思ってな。──うん、美味い」
鷲介は少し顔を赤くした由綺へそう答えて新たなチョコを頬張る。
奇襲された由綺は少しむくれるが、挑戦的な顔になると、トリュフを手にしてこちらに差し出してくる。
「はい、あーん」
「……」
思わず目を丸くする鷲介。誰も──特に知人が──いない場所なら珍しくない光景だが、馴染みの店で由綺はこういうことをしたことはない。注目され、冷やかされるのが恥ずかしいからだ。
「き、今日はバレンタインだし特別だしね」
言い訳のようなことを口にする由綺。鷲介は微苦笑して素直に恋人が差し出すチョコレートを口に含む。
「うん美味い。二割増しのおいしさだな」
「そう? じゃあもっとしてあげよう」
笑みを浮かべ由綺は新しいチョコを指につまみ、差し出してくる。
数週間ぶりのデート、バレンタインと言うこともあって由綺に成すがままにされる鷲介。チョコを食べさせられながらのんびりと雑談やお互いの私的な近況について話していると、
「あー、いちゃいちゃしてるー」
唐突に聞こえる幼い声。由綺と同時に視線を向けるとそこにはアレンとその奥さん、そしてリーザと親友となったアレンの娘、セヴェリナの姿がある。
だが鷲介は表情を引きつらせる。こちらを見ていたのはアレン一家だけではない。グスタフにイザベラはもちろん、いつの間にかやってきていたのかブルーノたちチームメイト数名がこちらを見てにやにやしている。
大勢に見られていたという事実に由綺の顔が一気に赤くなり、顔を伏せてしまう。鷲介もさすがに恥ずかしく頬が熱くなる。
「綺麗に取れたけど、いる?」
そんな鷲介たちの元へ近づいてきたフリオが、二人がいちゃついている姿を写したスマホの画面を向けて言うのだった。
◆◆◆◆◆
曇天のフランクフルトの空。冷たい雨が降る中、スタジアムにリーグ23節の試合開始の笛の音が鳴り響く。
白い吐息を吐きながら鷲介はピッチを走り、相手チームのスタメンと様子を見る。
現在6位のフランクフルトKのシステムは3-5-2。GKは元ドイツ代表のオラフ・フンボルト。3バックは右からオーストリア代表のルイス・シンデラー、アイルランド代表のミック・ジャイルズ、ドイツU-23代表のヘルムート・プルーク。
中盤はダブルボランチ型でパラグアイ代表のホルヘ・ガビラン、メキシコ代表のギジェルモ・アキーノ、右のSMFはヴァレンティーンと同じU-20ドイツ代表のニクラス・ラメロウ、左SMFはドイツ代表のアルミン・コーラー、そしてCMFはエジプト代表のハサン・ラムズィ。
ツートップはドイツリーグ1の長身FWでギリシャ代表のエースストライカー、コンスタンティノス・グーマスとモロッコ代表のエースストライカーでありチーム得点王のユセフ・マヒだ。
お互い静かな立ち上がりの試合。まずフランクフルトにチャンスが訪れる。ハサンとのワンツーでサイドに流れたアルミンがゴール前にロングボールを送り、それにジェフリーとコンスタンティノスが競り合う。
ジェフリーは190センチとチーム1の長身だが、コンスタンティノスはそれよりさらに9センチ高い199センチだ。精度の高いボールに対しジェフリーはいいポジションを取って跳躍するが、同時にジャンプしたコンスタンティノスの頭のほうが先にボールに届き、ユセフに落とす。しかしユセフがシュートを撃つ直前、フリオがシュートブロックしてピンチをしのぐ。
(体の出来も才能って言われるが、本当あの長身は反則的だ!)
ジェフリーが的確な位置にいるにもかかわらずボールに先に触れてしまう。水曜日もあの長身からのポストプレーやヘディングで幾度もピンチとなった。彼の身長を利用した攻撃はフランクフルトKの常套戦術となっている。
しかし当然だがRバイエルンも黙っているわけではない。再びコンスタンティノスに向かってボールが飛ぶが、今度はポジショニングに飛ぶタイミング、どちらも制したジェフリーが競り勝ち、そのこぼれ球をブルーノ、アントニオ、ミュラーが速いパスでつなぎ、右サイドに流れていた鷲介の元へボールがやってくる。
立ち塞がるヘルムート。鷲介はシザースを繰り出しぬくと見せかけて中にパス。そのボールをアレックスがダイレクトで斜め左に蹴りだし、エリックがオフサイドギリギリに飛び出す。
ホームチームのサポーターの悲鳴を浴びながらゴールに突き進むエリック。鷲介も全速力でゴール前に走る。
「パス!」
傍に寄ってきたミックをスピードの乗ったフェイントで振り切りボールを要求する。だがエリックはフリーとなった鷲介にパスを出さず、立ちはだかるルイスを強引にかわして中に切れ込んではシュートを放ち、ボールはゴールポスト右をかすめてラインを割る。
もし鷲介にパスが通っていれば1点ものだった。とはいえエリックのプレーはいつものそれであり間違いとも言えなかったので鷲介は「ナイスシュートです!」と声をかけて身をひるがえす。
前半も20分が過ぎたがどちらのチームにも先制点は生まれない。試合展開は攻めるRバイエルン、守りカウンターをするフランクフルトKと言った感じだが、双方共にあと一歩のところで決定的シーンとはならない。
(やっぱりフランクフルトKの監督の手腕によるところが大きいんだろうな)
アレックスのシュートがバーを越えたのを見て、鷲介はフランクフルトKのベンチに視線を送る。数学教師を思わせる容姿をした白髪の老人──フランクフルトKの監督であるヴィリ・マガトが、平坦な眼差しをピッチに向けている。
ヴィリ・マガトは元RバイエルンOBであり、なんとRバイエルンの監督のトーマスとは同期。しかも数年前まで、トーマスと共にRバイエルンでコーチとして共に働いていたのだという。
その彼が就任した後、フランクフルトKはRバイエルン戦に限り、こちらの長所や短所を知り尽くしたかのような戦術や戦い方をしてくるのだ。その結果、先日や今日のゲームのように痒い所に手が届かないような試合展開となる。
もちろん個々の能力ではRバイエルンのほうが上だし、幾度も個の力で戦術を覆してきた。前半戦や先日のカップ戦もそうだ。だがそれに合わせた対処をして、完璧とは言わないがそこそこできているフランクフルトKは一筋縄ではいかない難敵だ。
「鷲介!」
前半30分を迎えるかと言う時間、アントニオからボールがやってくる。ゴール方向を見た鷲介だがマッチアップするであろうヘルムートはしっかりと距離を置いている。
それを見て一気にゴール前に行く鷲介。だがヘルムートは前に出てこず、周囲とのバランスを保ちながら一定の距離を保っている。
一気に距離を詰めて右から中へ切れ込む鷲介。流石にヘルムートも自身の守備範囲まで侵されると動き、足を伸ばしてくる。しかし鷲介はダブルタッチで逆を取りペナルティエリアに侵入する。
だがそこでシュートと言うわけにはいかない。ゴールへの角度がないこともあるが相手GKがこちらに寄っており、さらにヘルムートと入れ替わるようにギジェルモがエリア内に姿を見せていたからだ。
(ちっ!)
シュートを撃とうと思っていた鷲介はやむ得ず切り返しセンタリングを上げた。だがエリックに向けたそれは速さも精度もなく、ルイスのヘディングではじかれる。
不用意に飛び込まない。ゴール前で味方が突破されたらすぐにフォローに入る。鷲介に対しての対策もしっかりできているように当然アレックス、エリックへの対策もスコアレスと言う結果が今は問題ないことを証明している。今日のエリックは最初こそ個人で行くことが多かったが、そのたびに近くにいるアレックスやアントニオから注意を受けたため、今は大人しくチーム寄りのプレーをしている。
しかしとうとうゴールネットが揺れる。前半37分、ミックからのロングボールに抜け出したユセフがペナルティエリア前まで接近、立ちはだかるクルトをスピードに乗ったフェイントで振り切りミドルシュートを放つ。
アンドレアスも飛びついたシュートはゴールポストに当たり跳ね返る。だがそれにジェフリーと競り合って飛び出したコンスタンティノスが体を投げ出すように足を伸ばし、こぼれ球をRバイエルンゴールに押し込んだのだ。
「……!」
それを見てやられたと歯噛みする鷲介。だが次の瞬間、主審がノーゴールの判定をし、歓喜したフランクフルトKサポーターの喜びを打ち消す。
「ファウルがあったようだね」
すぐそばにいたミュラーが言うと同時、スタジアムのスクリーンにそれが表示される。コンスタンティノスがジェフリーを押しのけたプレーがファウルだったようだ。
ほっと大きく息をつく鷲介。その時、ボールを持ったブルーノがこちらを睨む。刃のようなそれを見た鷲介は小さく首肯して周りを見渡し、ゆっくりとセンターラインの方へ歩いていく。
(やっぱり!)
そう心中で呟くのと同時、主審の笛の音が吹かれ、ブルーノがこちらへボールを蹴る。クイックリスタートだ。
鷲介はトップスピードとなり飛んできたボールに追いつき、一気に相手ゴールへ迫る。虚を突かれた形となったフランクフルトK守備陣の人数は少なく、対処も遅れている。
ペナルティエリア前までやってきた鷲介へ、ヘルムートは今度は接近してくる。一か八かと言う表情をした彼を鷲介はまた抜きであっさりとかわしエリアへ侵入。そこへ左からミック、正面からオラフが迫っているが鷲介は迷わず左へパスを送る。
「先制だ」
そう呟くのと同時、鷲介のボールを走ってきたエリックが無人のゴールに押し込んだ。
◆◆◆◆◆
「さて後半はどうなるかしらねー」
隣に座るイザベラの陽気な声と共にTVから主審の笛が鳴り響き、後半が開始される。TVの端に表示されているスコアは2-0。当然2点取ったのはRバイエルンだ。
2点目が入ったのは、クイックリスタートによる電光石火と言うべき先制点から一分後だ。不意打ちと言うべき失点に動揺していたフランクフルトKは不用意なパスをプレスをかけていたアレックスにカットされ、そのままドリブルでゴールに迫った彼にミドルシュートを撃たれる。
当代のドイツ代表GKたちからその座を奪われたオラフだが、代表まで上り詰めた実力者である彼はアレックスの隅を狙ったシュートを横っ飛びで弾く。だがこぼれた位置が悪く、そしてその近くには鷲介の姿があった。誰よりもこぼれ球に早く反応した鷲介は突発的に前を塞いだミックを軽やかにかわし、ゴール左隅にボールを叩きこんだのだ。
5分も経たないうちの連続失点はフランクフルトKに衝撃を与え、同時にRバイエルンに勢いをもたらす。ロスタイムを含めた7分間の間、Rバイエルンは3本のシュートを放ち、うち一つはオフサイドになったものの、ネットを揺らした。
ロスタイムを挟み、さすがに落ち着きを取り戻したフランクフルトKだが、Rバイエルンは前半の勢いを持続しており攻守にわたり圧倒する。51分、左サイドにいたミュラーのパスに右からダイアゴナルランで飛び出した鷲介がダイレクトボレーでネットを揺らすが、これもまたオフサイドでノーゴール。57分、CKからジェフリーのヘディングが弾かれたボールをアントニオが叩き込むも、前半のコンスタンティノスと同じくゴール直前でファウルが確認されてノーゴール。
調子のいいチームと同じようにエリックも調子に乗る。だが前半と違い対策されているものの、ゴールを決めた勢いがあるのか個人技でそれを凌駕し、ゴールへ迫る。いわゆるノっているという状態だ。
3つのノーゴールと言う不運は続くが試合状況に変わりはない。3点目が入るのは時間の問題。誰もがそう思っていた時だった、
「えっ」
後半21分、フランクフルトKが1点を返した。コンスタンティノスが競り負けたボールをユセフが拾いミドルを放つが、それをクルトの足がまたしてもはじき返す。
だがそのこぼれ球にハサンが駆け寄りエリア外からロングシュートを放つ。スピードと体重が見事に乗った弾丸ミドルはアンドレアスが反応するより早くゴール右上に突き刺さった。
「一点返されたわね。でもまぁ不意を突かれたような形だったし、大丈夫でしょ」
驚きつつもイザベラが平静な様子で言う。彼女の言う通り失点後はやや過剰に攻めていた感があったRバイエルンはいつものペースに戻っていた。
一方1点返したことで、ホームと言うこともあってフランクフルトKは勢いづく。しかしRバイエルンの堅守を崩すには至らない。
疲れが見えていたミュラーに代わりカミロが交代で入り、鷲介と交代するのかライン手前に監督より指示を受けているアレンの姿が見えた後半31分、事件が起こる。エリックに主審がレッドカードを提示したのだ。
◆◆◆◆◆
「な……!?」
主審が掲げた赤いカードを見て鷲介は大きく目を見開く。しかしすぐはっとなり、エリックの方へ視線を向ける。
先程の鷲介と同様、愕然としていたエリック。しかし次の瞬間、主審に食ってかかる。
「なんで今のがカードなんだ! 説明しろ!」
殴りかからんばかりの形相のエリックを鷲介、アレックスが慌てて抑える。今日のチームキャプテンのジェフリーもどういうことか審判に説明を求める。
今エリックがイエロー、そしてレッドを提示されたプレーはルイスへのチャージングだ。足と体を相手にぶつけるような乱暴なファウルだが、イエローを貰うほどではないはずだ。
「前半、イエローを提示した時、私は彼に厳重注意をした。にもかかわらず同じような危険なプレーをしたので二枚目を出しただけだ」
主審が言っているのは前半、エリックがルイスを突き飛ばすような形でボールを奪ったプレーのことだ。その直後のプレーがフランクフルトのノーゴールとRバイエルンの先制点に続くのだが。
だが今のプレーとあれが同じと言うのはいささか違うように思える。鷲介とジェフリーも同じ意見なのかVARで確認してくれと言うが、主審は首を横に振り、エリックへピッチへ出るような仕草をする。
「ふざけんな! 撤回しろ!」
しかしエリックとしては当然それに納得するはずもない。抑えている鷲介たちを引きはがそうと激しく暴れる。
そこへさらにブルーノ、アントニオがエリックの腕を抑え、言う。
「残念だが判定は覆らない。早くピッチを去れ」
「レッドを貰って怒る気持ちはわかるがこれ以上駄々をこねると出場停止期間が延びるだけだぞ!」
「うるせぇ! 離せ!」
なおも暴れるエリック。そんな彼に対してフランクフルトKだけではなくRバイエルンサポーターからもブーイングが飛び出してしまう。
コーチやベンチメンバーも駆け付け、彼らに連れられるようにピッチから去っていくエリック。のどにものが詰まったような、すっきりしない状況で試合は再開される。
エリックがファウルをした位置から蹴られたボールは左サイドのアルミンの元へ。そこへフリオが距離を詰めるが、アルミンはパスをすると見せかけてフェイントでフリオを振り切りサイドを駆け上がる。代表でこそクラウスがいるためスタメンとなっていないが、彼もクラウスと同じくドイツでは珍しいテクニカルドリブラーの一人だ。
追いすがるフリオよりほんの少し早くゴール前にボールを入れるアルミン。グラウンダーセンタリングにコンスタンティノスが突っ込むがジェフリーが体を張って彼の突撃とシュートを阻む。
ペナルティエリア正面にこぼれるボールを拾ったのはハサンだ。ドミニクとカミロがチェックに行くがそれより早く彼は右へロブパスを送る。中に寄っていたブルーノの背後を取ったそのボールを追って切り込むのはニクラスだ。
「ブルーノさん!」
鷲介が叫ぶと同時、名を呼ばれたブルーノも反転して反応はしていた。だがチーム屈指のスピードを誇るニクラスのほうがボールに触れ、ダイレクトで中に折り返す。
飛び出してそのボールに合わせるコンスタンティノス。低空からのダイレクトボレーにジェフリーもアンドレアスも反応していた。
だがコンスタンティノスが放ったシュートはジェフリーの足に当たり微妙にコースが変わる。そして緩やかな速度となったそれは反応していたアンドレアスの横を通過し、ゴールラインを割ってしまった。
「……!」
思わず審判を見る鷲介。だが前半のようなファウルもオフサイドの判定もなく、主審はゴールを認める。それにより相手チームイレブンが大きく喜び、サポーターが狂喜乱舞する。
(同点……!)
アンドレアスとジェフリーを責める気は毛頭ない。放たれたシュートのコースがいきなり変わってしまった場合、それを防ぐのは世界レベルのGKでもほとんど不可能な現象だからだ。
しかしここにきてまさかの同点に鷲介はもちろん仲間たちも驚きを隠せない。1点入るまであれだけ押していたのだから仕方がないともいえるが。
試合終了まで7分と言ったところでの同点弾に監督は即座に動く。ジーク、フランツの二人を同時投入したのだ。
だがいくらチームの核ともいえる二人でもまさかの同点弾に動揺しているチーム全体を即座に引き締められない。勢いをつけるべくジークが放ったロングシュートもハサンが体で防いでしまうし、一人少ないRバイエルンに対し、フランクフルトKは容赦なくそこをついて攻撃を仕掛けてくる。
エリックがいなくなったことでジークのワントップ気味の4-3-2となるRバイエルン。鷲介も何とかボールを運ぼうとするが、人数的に余裕のあるフランクフルトKの守備網に深く侵入できない。
失点に動揺しリズムを崩すRバイエルン。ゴールを決めその勢いで逆転を狙うフランクフルトK。完全に、両チームの状況が逆転してしまっていた。
「フランツさん! ……あっ」
ヘルムートとギジェルモに挟まれ鷲介はパスを出したところ、アルミンのスライディングがボールをカットする。そしてすぐに前を向いた彼は右へパスを出す。
Rバイエルン陣内、アタッキングサード近くの左サイドでボールを受け取るニクラス。ブルーノがチェックしボールを奪取しかけるが、倒れながらもニクラスはフォローに来たハサンにボールを渡す。
そしてハサンから弾丸のようなパスが放たれる。パスの行き先はRバイエルンのペナルティエリア正面であり、そこへユセフが左から突っ込んできた。
しかし鷲介はあまり心配はしていなかった。ユセフにはクルトがしっかりとマークしており、またアンドレアスもきっちりと構えていたからだ。
ハサンからのパスを受け取ると同時、右に動くユセフ。しかしクルトはきっちり正面を塞いでおり、距離的にもシュートを撃っても防げる位置にいる。
それでも強引にシュートを撃とうとするユセフ。それを見て防いだと鷲介が思った時、どうしたことかクルトの反応が一瞬、遅れた。
(え……?)
放たれるユセフのシュート。ゴール右へ飛んだそれはアンドレアスの伸ばした手とゴールポストをかすめて、ネットに突き刺さった。
◆◆◆◆◆
3度鳴り響く笛の音は試合終了のホイッスルだ。前半と共に止んでいた雨はそれが合図だったように再び振り出してくる。
逆転勝利に喜ぶフランクフルトKイレブンとは対照的に、Rバイエルンの面々は3-2という敗戦に肩を落とし、表情を暗くしていた。もちろん、鷲介もだ。
(2点差からの逆転負け……。これは効くな)
試合全体を見れば優勢だった試合。しかも前半戦の時のように怪我人が多数出ていたなど負ける要因もなかった。ジークとフランツがベンチにいたのも、試合内容を考えれば言い訳にはできない。
アウェースタジアムに来てくれたサポーターに謝罪し、悔しい思いを抱きながら開けた翌日。早い時間に目が覚めた鷲介は宿泊したフランクフルトのホテルにて試合結果の記事をスマホで検索し、それを見てため息をつく。
敗戦の記事に載っていた出場した選手たちの採点は、失点するまで特にミスもなかったため採点はほぼ平均点──鷲介は一番高かった──だが、相変わらず不調な上、退場したエリックと逆転弾を防げなかったクルトは低い数字が当てられている。
(それにしても、あの時のクルトさん……)
明らかにいつもと違っていた。疲れから寄せが甘くなったのかとも思ったが、なんとなくそうだとは思わない。
もしかしたら、前半戦のRゲルセンキルヒェン戦のレッドカードで負ったメンタルダメージが、完調していないのかもしれない。
「あとでジェフリーさんたちに話を聞いてみようかな。……しっかし、これは酷いな」
敗戦の記事をいくつか見て、そのどれもに酷評されているエリックの文面を読み、鷲介は眉をひそめる。
エリックに関しては『敗北を招いた疫病神』、『前半戦と変わらず、自分勝手にプレーしすぎている』などと非難轟々だ。これを見たロドルフの反応を思い、鷲介は軽く頭を抑える。
ちなみにチームメイトたちはそこまでエリックを非難してはいなかった。今日の試合は最近に比べると動きもよかったしゴールも決めた。ただエリック自身は憤懣やるかたなしといった様子だったが。
「ブルーライオンCFCは、しっかりと勝ったみたいだしな」
同日行われたイングランドリーグにて、ブルーライオンCFCはマルコが1ゴール1アシストの活躍により見事勝利している。そして試合内容の記事の最後に、試合終了後のインタビューのコメントが載っている。
「己もチームも最善の結果を残す。これが真のワールドクラスの選手と言うものです」
昨日の鷲介、そしてエリックを揶揄するような発言だ。いや、向こうの試合は鷲介たちよりも少し遅れて開始されていた。それとマルコの性格を考えると、間違いなくこちらへの挑発だ。
苛立った鷲介はスマホを持つ手に力がこもるが、大きく深呼吸し、心中の苛立ちを吐き出す。
「絶対に負けねぇ」
ゴールを決めてガッツポーズをするマルコを睨み、鷲介は呟く。”ゾディアック”No1ウイングと言う称号には興味はないが、負けん気が胸の中で膨れ上がる。
朝食までまだ少し時間がある。それまでブルーライオンCFCの昨日の試合や最近の様子を見ておこうと思い、部屋に備え付けられてあるパソコンの方に足を向けるのだった。
リーグ戦 16試合 15ゴール6アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 4試合 6ゴール0アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト