選手の価値
キーボードの上を走らせていた指を止め、広助は背伸びをして立ち上がる。そして軽くストレッチをして硬くなった体をほぐすとトイレへ行き、休憩所の自販機で缶コーヒーを購入して大きく息をつく。
師走のこの時期。記者も相応に忙しい。すでに今年最後のフットボール・ニュース──ダイヤモンド社が出版しているサッカー雑誌──は発売されているが、今現在作っている記事は年末発売予定のCL特集号だ。
特に今年は日本サッカー界の至宝である柳選手がいることもあり、例年になく力を入れている。いつもならだいたい一発OKが出る広助の記事だが、編集長に二度ほど書き直すように言われた。
編集長の意見を交え、先程完成した記事はいつもとは微妙に違っている。賞賛と辛口が広助の記事の特徴だが今回は辛口の部分が弱くなっており、誉め言葉がやや過剰だ。これらは編集長指示による記事改変によるものだ。
『数年後にはアジア人初のFWのグローリア・ボールを獲得しているだろう』、『世界トップクラスプレイヤーたちの基準年俸10億円を超えるのも時間の問題』、『日本のW杯優勝はこの男の成長にかかっている』等──
(過剰な描写や評価は柳のためにならないんだがなぁ)
いちサッカーファンとしてそう思う。もっとも広助も消極的賛成で記事を作ったのはそれらの言葉が彼ならば実現可能と思わせる活躍をしているからだ。
ドイツリーグは数日前、前半戦が終了。怪我もあり17試合中11試合しか出場していない柳だが、12ゴール5アシストという見事すぎる結果を残している。プロとなってまだ2年もたっていない、18歳という年齢では破格の結果だ。
そして柳が所属するRバイエルンは前半戦が終了して4位となっている。ミュンヘン・ダービーの後の二試合は二連勝したが他の上位陣も勝ち点を稼いだ結果だ。以下がドイツリーグ前半期の上位5チームだ。
1位:Rドルトムント
2位:Rゲルセンキルヒェン
3位:ヴォルフFC
4位:Rバイエルン
5位:Lミュンヘン
もっともこれら5チームの勝ち点の差はあまりない。そのためどこかが躓けば順位はめまぐるしく変わるだろう。
「CL、Rバイエルンの1回戦の相手も中々厄介なチームになったな……」
空になった缶コーヒーをもてあそびながら広助は言う。ウインターブレイク直後に行われたCL決勝トーナメントの抽選会。Rバイエルンの相手はイングランドリーグの強豪、ブルーライオンCFCとなった。
ブルーライオンCFC。イングランドリーグにて常に優勝争いを義務付けられている『ビック6』と呼ばれているチームの一つだ。ここ10年のうちリーグを2度制しており去年は3位、今年も前季終了時で3位の位置にいる。Rドルトムントと共に死のグループを突破した強敵だ。
幾人もの名選手はいるが。最も注目するべきは19歳にして不動のレギュラーとなったオランダの”ゾディアック”、マルコ・ステーフェン・エヴェルスだろう。今季リーグでは16試合出場して7ゴール9アシスト、CLのグループリーグでは全試合出場して1ゴール4アシストと言う立派な結果を残している。
柳が実力を発揮するまでは”ゾディアック”最高のウイング、サイドアタッカーと呼ばれていたが、今現在では二人は並び称されている。そして同時にこう言われてもいる。──どちらが”ゾディアック”最高のウイングなのかとも。
(他の組み合わせも目が離せないものばかり。仕事に差し支えないようしっかりしないとな)
デスクに戻りCLの一回戦の組み合わせを見ながら広助は思う。ちなみにCL決勝トーナメントに出場する16チームは以下の通りだ。
イングランドリーグ:マンチェスターFC(2位通過)、ライヴァー・バード・リバプール(1位通過)、ブルーライオンCFC(2位通過)、マンチェスター・アーディック(1位通過)
スペインリーグ:Rマドリー(1位通過)、バルセロナR(1位通過)、Aマドリー(2位通過)
ドイツリーグ:Rバイエルン(1位通過)、Rドルトムント(1位通過)、Rゲルセンキルヒェン(2位通過)
イタリアリーグ:ユヴェントゥースTFC(1位通過)、RNSミラン(2位通過)
他リーグ:フルール・サンジェルマン(フランス 1位通過)、アルステルダム・アイアース(オランダ 2位通過)、アギアス・ベンフィカ(ポルトガル 2位通過)、バーゼルSC(スイス 2位通過)
そして組み合わせはこのようになっている。ちなみに★が付いたチームには”ゾディアック”が所属している。
ライヴァー・バード・リバプール(1位)VS バーゼルSC(スイス 2位)
マンチェスター・アーディック★(1位)VS Aマドリー★(2位)
Rマドリー★(1位)VS RNSミラン★(2位)
バルセロナR★(1位)VS Rゲルセンキルヒェン(2位)
Rバイエルン★(1位)VS ブルーライオンCFC★(2位)
Rドルトムント★(1位)VS アルステルダム・アイアース(オランダ 2位)
ユヴェントゥースTFC★(1位)VS アギアス・ベンフィカ(ポルトガル 2位)
フルール・サンジェルマン(フランス 1位)VS マンチェスターFC★(2位)
「さて、今年はどこのチームが優勝するかね」
そう呟き、広助はキーボードのタッチを再開するのだった。
◆◆◆◆◆
「うん。先日と同じで問題はないな」
「はい?」
左足の触診を終え、いつものいかめしい顔で言う昭雄の顔を鷲介は思わず見返す。
「あの、昭雄さん。確か左足は軽度の肉離れで今年いっぱいかかるって言ってましたよね」
「ああ。だがそれはあくまで完治スピードが私の想定より遅れていた時の話だ」
「先日と同じって……17節の三日前に受けた時と同じってことですか?
確かその時はまだ治ってないって言ってましたよね?」
「ああ。あれは嘘だ」
全く罪悪感を感じない物言いに思わず鷲介がむっとしたその時だ。後ろから強烈な怒気を感じ思わず振り向く。
思ったとおり由綺が、噴火直前のような迫力のある笑顔を浮かべていた。
「お父さん、どういうことかな……?」
「落ち着きなさい由綺。それに柳君も。
今回の嘘についてはクラブやトーマス監督との話し合いの結果だ」
「なら正直にそう言ってくれれば……!」
その先の言葉にかぶせるように昭雄は言う。
「いくつか理由があるのだよ。
まず16、17節の相手が下位チームだったこともあるし、何より今君に無理をされたくはなかったそうだ」
「無理なんて……!」
「先月負傷したところをまた怪我をしておいて無理をしていないというのは、説得力のかけらもないと思うぞ」
昭雄の言葉に鷲介はぐっと押し黙る。
「トーマスさんやクラブ幹部の方もおっしゃっていたが、君の前季の成長と活躍ぶりは想定をはるかに超えていたとのことだ。
正直なところこれほど早くRバイエルンのレギュラーに定着するとは思っていなかったとのことだ」
移籍していったスレイマニさんの穴は君とアレン選手の二人で埋める予定だったと言われていたよ、と付け加える昭雄。
「しかしいざシーズンに入ってみれば活躍し続ける君の姿が目に入ってくる。今季、いつになく負傷者が多発した分、その穴埋めをするかのように奮戦しチームを救い、結果を残す君の姿は余計に目に焼き付いたそうだ。
それが不味かったそうだ」
「それのどこに問題が……!」
「想定以上に君を酷使してしまい怪我をさせたことだよ。これが君の治療期間を偽った1番の理由だろう」
そう言って昭雄は未だ怒った表情の娘を見て、言う。
父親ではなく冷徹な医師の顔に見つめられ、由綺は少しひるむような表情になる。
「由綺、わかっているとは思うが彼はまだお前と同じ18歳だ。
そして、恐ろしいことに、現時点で世界のトップに通じる能力を持っている。”ゾディアック”の中でも上位だろう。
──しかし体は別だ。世界のトップレベルたちが集うフィールドで常に全力を発揮し続けられるほどではない。
現に君の負傷が起こった試合はどちらもCL出場チームの強豪だ。監督やクラブ、私がそう判断するには十分な材料ではないかね?」
落ち着いた、しかし反論を許さない昭雄の声音。
診察室が静寂に包まれ、由綺がかすれた声で言う。
「それじゃあ……どうすればいいの」
「さすがにそれは私の管轄外だ。監督やチームのフィジカルトレーナーと今まで以上に綿密なコンタクトを取って──……」
唐突に言葉を止める昭雄。何かを思い出したような顔で彼は鷲介を見てる。
「そういえば柳くん。夏頃チームと契約更新をして年俸が上がったんだったね」
「え? ええ……」
プロ一年目の年俸は日本円で一億ちょっとだったが夏にはその三倍の数字が提示された。
最初聞いた時は驚き貰いすぎ、何かの間違いなのではと問い返したがチームのスポーツディレクターや同席したマルクスたちにいろいろ言われ、その条件を呑んだのだ。
「これは医者ではなく個人としての意見なのだが、君専属のフィジカルトレーナーを雇ったらどうかね?」
「専属の……フィジカルトレーナーですか?」
頷く昭雄。
「世界のトップ選手で専属のトレーナーを持っている人は少なくない。もちろん監督やクラブとも相談して決めるべきことではあるが、おそらくは反対されないだろう。
Rバイエルンの選手でも何人か専属のトレーナーを雇っている選手がいるのは知っているだろう?」
「は、はい」
「もちろん個人契約だから君が報酬を支払うことになる。だが以前聞いた君の給与なら十分可能だと私は思うよ。
まぁまずはクラブや代理人たちと相談してみることだ。その気があるのならね」
昭雄はそう言って診察が終わったことを告げ、鷲介は由綺とともに診察室を後にする。
病院を出て駐車場に向かう途中、鷲介は小さく呟く。
「フィジカルトレーナーか……」
「そういえばあるスプリント系の選手はチームと個人契約両方のトレーナーと綿密にコンタクトを取っているってどこかのコラムで見たことがあるよ」
誰だったかなと呟き、思い出そうとする恋人。とその時、鷲介の携帯から着信音が鳴り響く。
「はい」
『鷲介か。私だ、マルクスだ。もう病院で診察は受けたか』
「はい、今さっきに。ちょうど今病院を出るところですけど」
『そうか。確か今日は病院の後は何も予定はなかったな。……ならすまないが今からクラブハウスに来てくれないか。
お前と、私に会いたい人がいるとのことだ』
何故かマルクスは奥歯にものが挟まったような様子で言った。
◆◆◆◆◆
「ウインターブレイク中とはいえ、予定にない私との面談を許可してくれたことは感謝するよ、柳くん」
クラブハウスの一室にてそう言うのは、スーツを着た黒髪がやや禿げ上がっている壮年の男性だ。
フォルカー・ヘーバルト。Rバイエルンのスポーツディレクターだ。元プロ選手でありRバイエルンOB、そしてドイツ代表経験者でもある。
「さて、時間もないことだしさっそく話をするとしようか。半年前にしたばかりだが、君との契約更新をしたいのだよ」
「はぁ。……んなっ!??」
フォルカーがテーブルに取り出した一枚の契約書。そこに記されている年俸の額を見て鷲介は思わず声を上げる。
当然だ。その額は現在の年俸の倍──すなわち日本円にして6億を超えていたのだから。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください! なんですかこの額は!?」
「我がRバイエルンが君に提示する年俸だが。……もしかして足りなかったかね?」
「逆です! 多すぎます! と言うかなんでいきなりこんな金額が出てくるんですか!」
夏の3倍アップの時も驚いたが今度はさらにその倍だ。もう訳が分からず鷲介が言うと、フォルカーは「そういえば君は他の選手に比べて異様に謙虚だったね……」と呟く。
「君自身も自身の移籍に関するいろいろな記事や噂を聞いていると思う。だが我がチームとしては君を他のチームに手渡したくはないのだよ。それを防止するため年俸を上げさせてもらったのだが」
「いや、前の契約更新の時も言いましたけど、俺は今のところ移籍する気は全くありませんって!」
こちらの言ったことを信用していないのかと思い、鷲介はやや苛立った声で言う。
しかしフォルカーは落ち着いた表情を崩さず、言う。
「それは覚えているよ。──だが過去に君のような選手が移籍していった例は世界中に数えきれないほどある。
そしてそれはこのRバイエルンでも例外ではない。今一度言うが、チームは君を手放すことは絶対に避けたいと考えている。正直クラブ上層部では前季のMVPと言う人さえいるのだよ」
ちなみに私もその一人だと言うフォルカー。そこで初めて彼の視線が真剣なものであることに鷲介は気づく。
思わず鷲介は隣に座るマルクスを見る。だが代理人は何も言わず表情も変えていない。
「マルクスさん、どう思いますか」
「ミカエルやカールも似たような年俸を貰っているし、特に問題はないと思うが」
言われて鷲介はそれを思い出す。ミカエルたち”ゾディアック”上位の面々はこれと同等かそれ以上であったことを。
ちなみに年俸のトップ3は一位はロナウドの700万ユーロ(日本円換算8億5千万)、二位はラウルの650万ユーロ(日本円換算7億9千万)、三位はミカエルとカールが600万ユーロ(日本円換算7憶3千万)と言う並びだ。
(つまり俺はあいつらに匹敵すると評価されたわけか。……嬉しいけど、う~ん……)
夏の時も驚いたというのにこの急上昇。もはや恐怖さえ感じてしまう。
「いきなり給与が上がることに戸惑う気持ちは、まぁ元プロだった私もそれなりにわかる。だがそれはクラブの君への評価と期待、そしてどれだけクラブが君を必要としているかということだ。
とはいえ今回の話が急であることは私にもわかっている。数日後、また改めて話をしようと思うが、それでいいかね?」
「はい……」
「ありがとう。──あともう一言付け加えておくけど年俸は750万ユーロまで上げることができることを覚えていてくれたまえ」
750万ユーロ。日本円に換算して約9億円。その額はもはや世界トップクラスの選手でも一握りの選手しか得られない報酬だ。
ちなみに鷲介の契約年数は4年となっている。つまり現在は12億、もし9億まで上がった場合は36億と言うトンデモ数字になる。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃないです……」
休憩所のソファーに体を寝そべらせるような態勢をとる鷲介。先ほど購入したオレンジジュースに手を付けずぼーっと天井を見つめている。
フォルカーとの話し合いは10分にも満たなかった。だというのにまるで1試合走り切ったかのような疲労を感じる。
「そう深く頭を悩ますことはない。ロナウドたちはもちろん、他の”ゾディアック”たちもこの冬で年俸アップされるそうだからな」
「そういう問題じゃないっす……」
「プロになって活躍すれば年俸が上がるのは当然だろう。何をそんなに悩むことがあるんだ?」
「その上がり具合が問題なんですって! 俺は、まだ、プロになって一年半しか経過していないんですよ!?」
いつもと変わらぬマルクスに思わず鷲介は声を荒げる。
ダンと拳でテーブルをたたき、こぼれそうになったオレンジジュースを慌てて抑え、一気飲みをして、言う。
「最初の契約時の時の一億はよしとします。今年の夏もまぁ、許容できます。
ですがそれから一年も経たずさらにその倍──6億ですよ!?」
そこまで言って、鷲介の声はトーンダウンする。
「脳みそがついていきません……」
過去、こういう事例があったことは知識としてはある。最近でも似たようなことが起きたことも知っている。
だが実際、自分がその立場になってみると鷲介としては戸惑うしかない。
「酷な言い方かもしれんが慣れろとしか言えんな。あとこの後の面談次第ではさらに給与が上がる可能性もある」
「……そういえばマルクスさんは今回の契約更新やその後誰と会うのか知っているんですよね。いったい誰なんですか」
そう鷲介が問うと、マルクスはやや不機嫌そうな顔になり、「会えばわかる」と短く告げる。
珍しいその姿に鷲介は口をつぐみ、新たなオレンジジュースを購入したり、マルクスと雑談などをして時間をつぶす。
そして時間となり会議室に赴く。扉を開けて中に入ると、そこには見慣れないスーツ姿の男性がいた。身長は170ぐらいで少しふくよかな体形をしている。そして鼻元にはきれいに整った髭──ちょび髭がある。
『おお! 黒鷲! 会えて光栄だ!』
鷲介を見るや男性は椅子から立ち上がり、両手を広げて近づいてきては抱擁する。
男性の唐突な行動に鷲介は目を丸くし、固まってしまう。
「オ、オランダ語?」
かろうじて男性が発した言語を読み取る鷲介。
男性は抱擁を解き、嬉しそうな顔でオランダ語を早口で話しだす。オランダ語は単語程度なら理解できる鷲介にはもう何を言っているのかさっぱりわからない。ただ自分と会えてうれしいのだけは様子でわかるのだが。
「ロドルフさん。すみませんが英語かドイツ語で話していただけますか」
マルクスが無表情で──やや冷たい口調で言う。男性、ロドルフはそれに全く堪えた様子を見せず笑顔を見せる。
「おお、すまない! そうだったな!
それでは改めて。私はロドフル・コンティーニ。名前ぐらいは知っているだろう?」
ドイツ語で自信たっぷりに言うロドルフ。そして鷲介はその名を聞き、大きく目を見開く。
ロドフル・コンティーニ。マルクスと同じ代理人だ。そして代理人として、またトラブルメーカーとして世界有数と知られている人物でもある。
欧州各地のビッククラブとパイプを持ち、移籍を希望する選手をことごとく移籍させた剛腕代理人。その一方でメディアを使いクラブや監督を痛烈に非難批判する人物でもある。
「さて時間は有限だ。さっそく話をしようじゃないか」
そう言って傍に会ったビジネスバックから素早く書類を取り出すロドルフ。
「レイ・マドリー、バルセロナ・リベルタ、ユヴェントゥースTFC、マンチェスターFC、マンチェスター・アーディック。君はどこに移籍したいかね?」
いきなりテーブルに置かれた契約書五枚とロドルフの言葉に鷲介は固まる。
硬直は数秒。しかし思考は乱れに乱れたままだ。そこへロドルフが契約書の一枚──レイ・マドリーのもの──を差し出してくる。
自然と手は動き契約書を手に取る鷲介。そして目を通し、とうとう鷲介の頭はオーバーヒートしてしまう。年俸9億。四年契約。他にもボーナスやら出場機会保障などの特典を見て凄いなーと完全な他人事のように考えてしまう。
「うん? 固まってどうしたのかね」
「ロドルフさん。すみませんが最初から話をしてもらえますか」
「君のほうで話はしていないのかね」
「あなたが直接話したほうがいいと思いましたので」
「……ふむ。それではそうするとしようか。シュウスケ・ヤナギくん、私と契約を結ばないかね? そうすればその5チームへの移籍話は私がまとめてみせるよ」
「……。は、はい? どういうことですか」
ロドルフの言葉に鷲介は問い返すだけだ。
「名だたるビッククラブの中でもより強く大きく、財力を持ったその5クラブは全てのサッカー選手の目指すべきところだ。君もそうだろう?」
「……。いえ、別に」
鷲介がそう答えると、ロドルフは目を丸くする。そしてフームと呟き、微笑む。
「君は自分を育ててくれたクラブへの愛着があるのだね。しかし正直に答えてほしい」
「あの、すみませんが、本当に移籍する気はないんです。
正直に言いますけどこれらのクラブからオファーを出されて他の選手なら嬉しいのでしょうけど、俺には驚いたり戸惑う気持ちしかないんです」
「……では君はこのRバイエルンに骨をうずめる気なのかね?」
ロドフルの表情が笑みから厳めしいものへと一変する。少しの偽りも許さない、圧迫感さえ感じるそれに鷲介は気圧されるも、自身の気持ちを正直に口にする。
「それは、わかりません。他のリーグに興味がないとも言いません。でも今すぐに移籍する気はありません。
この5チームにこれだけの評価をしてもらって嬉しくはありますが、俺はRバイエルンで何も成しえていない。個人としても、チームとしても」
5チームが提示した条件はどれもRバイエルンよりいいものだ。年俸はもちろん出場機会の保証や臨時ボーナスなど。
プロとして考えるのであれば移籍を考える方が正しいのかもしれないが──
「あなたの言う通りこのクラブには育ててもらい愛着もあります。だからこそ何も残さず去るなんて真似はできません」
「君が移籍することで莫大な移籍金がクラブには入る。何も残さないということはないだろう」
「確かにそうです。でも俺が残したいのはお金ではなくリーグタイトルやCL制覇など、サッカー選手として残せる結果です。
もし移籍するにしても、俺が納得するものを残さず移籍しようとは思いません。クラブから必要とされない限りは」
「……では、私との契約も無しと言うことかね?」
「正直それについては、いきなり言われて驚いたとしか言いようがありません。
ですが俺はマルクスさんでの仕事に特に不満はありません。ですので申し訳ありませんが──」
「ああ、わかった。みなまで言わなくてもいい」
鷲介の言葉を遮るロドルフ。そして大きく息を吐き出し、苦笑する。
「やれやれ。まさかまたしてもあっさりフラれてしまうとは。
君たち”ゾディアック”はあくまでサッカーが第一なのだねぇ。……若者らしく健全ではあるが少しつまらなくも思うな」
最後の方はオランダ語で呟くロドルフ。
それよりも鷲介は気になったことがあったので、それを問う。
「君たちって、どういうことですか?」
「私は君を含めた5人の”ゾディアック”とも会い、私と契約を結ぶことや移籍を勧めたのだよ。
もっとも結果は2勝3敗と言う結果。成立した2つの移籍も来シーズンからになったがね」
「2人……。いったい誰ですか」
「それは守秘義務があるから言えないね。まぁ一つだけ言うなら君の顔見知りであるということかな」
そう言いながらロドルフは契約書を封筒にしまい、鷲介の隣に座るマルクスへ差し出してくる。
さらに鷲介の手元には名刺と思われる小さい長方形の紙と一枚の封筒を置く。
「これは?」
「招待状だ」
「招待状? 誰ですか」
「それは開けてからのお楽しみだ。──それでは、失礼するよ!」
鷲介、そしてマルクスと握手をかわし、早足で立ち去っていくロドルフ。
荒々しく開けられた扉が静かに閉められたのを見て、鷲介は大きく息を吐く。
「まるで嵐のような人でしたね……」
「”まるで”ではないな。実際契約している選手が移籍する際、嵐のようにクラブ関係者を翻弄している人だ。メディアを使い平然と批判しているところからクラブにとっては敵に等しい。一部では疫病神とさえ言われている」
「でも選手にとっては最高の代理人なんですよね……」
「選手側から見ればそうだな。実際移籍が成立して感謝されている話はよく聞くし、彼を代理人に臨む選手は多い。
何年かしたら彼と契約するのも悪くないと思うぞ」
そう言うマルクスを思わず鷲介は見つめる。彼はロドルから渡された契約書をいつもの感情を表に出さない無表情でチェックしている。
それを見て鷲介はマルクスに突き放されたように思ってしまう。
「この際だから言っておくが鷲介、私に義理立てする必要はない。私が代理人として不十分だと思えばすぐ別の代理人に変えるべきだ」
「マルクスさん、俺は」
「わかっている。今はその気はないというのだろう。
だがそういう選択をすることができること、そしてする必要があるかもしれないことを頭にとめておけ。
それも、チームとの契約更新も、”プロ”のサッカー選手であるお前が考え、やらなければいけないことだ。
もちろん相談には乗るし、お前に取って最良の条件や年俸を得られるよう力は尽くすがな」
「……」
そう言ってマルクスは部屋にあるコピー機で契約書を写し、鷲介の手元に置く。
「ところで招待状の中身、確認したらどうだ」
「あ、そうですね。……うん? 誕生日パーティーの招待状みたいですね。
開催者は……」
文面の最後に記された名前を見て、鷲介は目を見開く。
記載されていた名前はロドルフが契約する選手の中でももっとも有名な選手の一人、ヨハン・ニコラス・ファン・ローイ。世界一のウイングと称される人物だったからだ。
リーグ戦 11試合 12ゴール5アシスト
カップ戦 1試合 1ゴール1アシスト
CL 4試合 6ゴール0アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト




