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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第一部
7/191

代表とは






 眩しさを感じ、鷲介は目を空ける。じんわりとまぶたを刺激していたそれはカーテンの隙間から入ってくる陽光だ。

 時計を見れば午前八時過ぎ。昨日の試合の疲れのせいか、いつもより起きるのが遅くなったようだ。


「くあぁぁぁ……」


 あくびをしながら自室を出て洗面所へ向かう。顔を洗い、乱れた髪を最低限整えてキッチンへ向かう。


「おう、起きたか」

「おはよう鷲介くん」


 キッチンに来た鷲介に声をかけたのは一組の男女。新聞を読んでいる180中ごろのがっしりとした体躯の男は柳空也、鷲介の父親だ。

 金髪碧眼のセミショート、若々しくたおやかな女性はサーシャ・ケーニヒ。鷲介の継母だ。

 ちなみにこの夫婦、一回り以上年が離れている。父空也が41に対してサーシャは26。鷲介の9歳年上と言った若い継母だ。


「おはようリーザ」

「おはよ。にぃにぃ~」


 キッチンへ入った鷲介へ元気よく駆け寄ってきた異母妹──リーザを鷲介は受け止める。顔だちは母そっくりの可愛い幼女だが、その外見とは裏腹に非常に元気なのだ。

 「にぃにぃ」と連呼しながらじゃれついてくるリーザを継母に預けて、鷲介はテーブルに置いてある朝食をいただく。慣れ親しんだ味わい。休みと言う事もあってか今日は父が作ったようだ。

 朝食を終えた鷲介は先程父が読んでいた新聞を手に取る。正面にはいくつかの政治や経済の記事、そして昨日のロート・バイエルンとレヴィアー・ドルトムントのことが書かれている。


「『両チーム、期待の若手の奮戦により引き分け』。『黒鷲シュヴァルツ・アドラー、『鉄壁』を食い破る1ゴール1アシスト』、『黄金の鷲ゴルト・アドラー、圧巻のスーパーゴール』。

 ドイツリーグの未来を担う『双鷲ツヴァイ・アドラー』……?」


 詳細な内容が書かれてある部分を見て鷲介は眉をひそめる。『黒鷲』と『黄金の鷲』、そして『双鷲』。聞き覚えのない名前だが、文脈から察するにこれは──


「俺とカール・アドラーのことか」

「そうみたいだな。まぁ中々のネーミングセンスだと思うぞ。どちらの名前も鷲にちなんでいるし」


 確かに父の言うとおり鷲介の鷲、そしてカールの名字であるアドラーはドイツ語では鷲を意味する。二人を一つにまとめたのが『双鷲』。『黒鷲』、『黄金の鷲』はおそらく鷲介とカールの髪の色にちなんのだろう。


「にぃにぃ。ぼーる、ぼ~る」


 ばたばたと足音をたてて駆け寄ってくるリーザ。両手に抱えてるのは父が買った彼女専用のサッカーボールだ。サッカーをしている自分を見ているせいかリーザは休みの日や暇なときはこうしてボールを持ってきて遊びをせがんでくるのだ。

 朝から元気いっぱいな妹を見て鷲介は苦笑。彼女と共に家の庭に出て、ボールを蹴り合う。


「やあ~」


 たどたどしくもボールを蹴る異母妹を微笑ましく思いながら鷲介は彼女とボール遊びに興じる。正直子供はあまり好きではない──と言うよりも苦手だったが、リーザ相手だとそうは思わない。これが親愛というものか。

 そんな調子で妹と付き合い二度目の朝食──ドイツでは二度朝食を取るのが習慣──を済ませたところで玄関のチャイムが鳴る。ドタバタと足音を立てる妹と共に玄関に行きドアを開ければ、由綺が立っていた。


「おはよう鷲くん。リーザちゃんもおはよう」

「ゆーちゃん、おはよ~」


 元気よく挨拶するリーザに由綺はしゃがみこんで目線を合わせ、優しく頭を撫でる。それが気持ちいいのかリーザは円満な笑みを浮かべる。

 恋人と異母妹の心温まる風景を見て、鷲介は自室に戻り出かける準備をする。用意を終えてリビングに戻ると由綺は膝にリーザを載せて絵本を広げている。どうやらリーザから本を読んでほしいとせがまれたようだ。


「すまん由綺、待たせたな。それじゃあ行くとするか」


 そう言って鷲介は膝に乗っているリーザを降ろそうとする。だが異母妹は激しく暴れる。

 鷲介は止む無くサーシャへ視線を送る。するとさすが母親といった手慣れた動きでリーザを抱き上げて、「ご本、ご本」と駄々をこねる異母妹を優しく説得してくれた。


「さてと、それじゃあ改めて。行くとするか」

「そうだね。──リーザちゃん、ご本はまたあとでね」


 サーシャの腕の中で機嫌をよくしたリーザに手を振る由綺。鷲介もそれを真似て彼女と共に家を出る。路面電車やバスを乗り継いで到着したのはミュンヘン市内にある巨大デパートだ。

 今日、ここに来たのは鷲介が初めて代表に参加するのでそれに使う下着やタオルを購入する──という名目のデートだ。名目通りそれらは購入したが当然それだけで終わらず、服を見たり本屋に音楽ショップを覗いたりもする。


「由綺、本屋に行ってるぞー」


 鷲介はCDショップで両手にCDを持って悩んでいる由綺にそう言って、本屋へ向かう。

 まばらに人がいる店内を回りネットで評判のいい英語やスペイン語の参考書と手ごろな料理の本を手に取り、そして最後にスポーツ雑誌のコーナへ向かう。


(お、あったあった)


 棚に鎮座してあった目的の本。ドイツのサッカー専門誌『シュースカノーネ』の最新号を見つけて鷲介は目を輝かせる。

 最後の一冊に手を伸ばして掴んだそのとき、逆方向からの左から誰かが『シュースカノーネ』を掴む。


(誰だ俺の『シュースカノーネ』に手を出したのは)


 そう思って左を見る。するとそこには鷲介と同年代の金髪の若者がいた。鷲介と同じくサングラスをかけ、頭部にはつばのある帽子をかぶっている。

 背は鷲介よりも高い。体つきもがっしりしている。と言うかどこかで見たことがあるような── 


「ヤナギ選手、ですか?」


 突然呼ばれた鷲介は思わず視線をそちらに向ける。声の発生源は金髪の若者の後ろにいた小学生ぐらいの金髪の少年だ。

 青年と顔立ちがどこか似ている。おそらくこの二人、兄弟なのだろうか。そう鷲介が思ったその時だ、青年が雑誌から手を話し、まじまじとこちらを見る。


「……ヤナギ?」


 低い声。それを聞き鷲介は驚きのあまり雑誌から手を離してしまう。それは昨日聞いたばかりの、彼の声。 


「カール・アドラー……なのか」


 おずおずとした鷲介の問いかけに青年はかけているサングラスをわずか傾ける。

 サングラスの奥にある氷のようなアイスブルーの瞳を見て、鷲介も目の前にいるのが昨日、接戦を演じたライバルクラブの選手であることがわかった。






 ◆◆◆◆◆






「初めましてヤナギさん。僕はミヒャエル・アドラー。カール・アドラーの弟です。お会いできて光栄です」


 喫茶店の対面でそう挨拶する金髪の少年。仏頂面な兄とは対照的に明るく利発そうな少年だ。


「ところでア……カール、ミヒャエルくん、今日はどうしてここに? 何か用事でもあったのかい」


 わざわざドルトムントから来たと思い鷲介がそう尋ねると、ミヒャエルはきょとんとした顔になる。

 はて、何かおかしなことを訊いただろうか。そう思った時、カールが口を開く。


「俺の家はミュンヘン市内にある。そして今日俺たちがここに来たのは近々ある母の誕生日プレゼントを買うためだ」

「え、そうなのか? じゃあお前は」

「ああ、レヴィアー・ドルトムントが用意してくれた寮に住んでいる。俺は元々フランベルクにいたがRドルトムントに買われてな。セバスティアンから聞いていなかったのか」

「そういやあ地元のライバルクラブにいたってことは聞いたがフランベルクだったのか。てっきりレーベ・ミュンヘンかと思っていたぞ」


 ミュンヘンをホームタウンとするプロサッカークラブは三つ。Rバイエルン、フランベルク、そしてレーベ・ミュンヘンだ。

 フランベルクFC。十数年前のRバイエルン一強時代のときは上位にいたが、最近では毎年一部、二部を行ったり来たりのエレベータークラブだ。

 一方のレーベ・ミュンヘン。こちらはRバイエルンと同じく常に上位に位置する強豪クラブだ。特に二、三年ではRバイエルン、Rドルトムントと共にCLカンピオーネリーグ常連チームの一つでもある。


「ちなみに僕はレーベのジュニアチームにいます。ちょっと迷いましたが昨日は地元のライバルであるRバイエルンを応援していました」

「そ、そうか」


 あははと笑って言うミヒャエル。ちらりと横を見ればカールは先程と変わらないむっつりとした──いや心なしかさらに感情が無くなった能面のような顔になっている。


「そしてヤナギさん、僕はあなたのファンになっちゃいました! あの『鉄壁』Rドルトムント守備陣から1G1Aの大活躍、本当凄いです!」

「あ、ありがとう」


 ぐいっと身を乗り出してくるミヒャエルに鷲介は戸惑う。むっつり顔の兄と違い感情がコロコロ変わる少年のようだ。


「ふふふ。鷲くん、サインでもしてあげたら?」

「え、いいんですか。もしよろしければぜひお願いします!」


 そう言ってミヒャエルは自分の買い物袋から灰色のTシャツを取り出す。ここまで無邪気な好意を見せられては流石に断る気にもなれず、鷲介はサインを書く。


「ありがとうございます!」


 満足そうな少年の笑みを見て鷲介も微笑する。だがじっととした視線を感じ、身をすくませる。その視線はミヒャエルの隣に座っているカールから発せられていたからだ。


(こ、この視線は!)


 鷲介は戦慄する。これと同じ視線を幾度も感じたことがあるからだ。そう、異母妹リーザと遊んでいるとき、大好きなおもちゃを奪われた子供のような顔を顔をする父から。

 確かにカールの立場としてこれは面白くはない。弟がライバルチームの、それも自分と同年代の相手のファンになったと言っているのだ。もし自分が彼の立場なら──


(おのれカール! よくもかわいいリーザを! ってそうじゃなくて、これはまずい……!)


「……昨日の試合だが」

「な、なんだ。まだ自分が負けたとか言うのか」


 思わず身構える鷲介。


「勘違いするな。もうそれは引き分けと言う事で話はついているだろう。俺個人としては納得はいかんがジークフリートさんやケヴィンさんがいうのならひとまずはそれで良しとする」


 ジークやケヴィンの名を口にするカールの言葉には敬意が込められている。まぁ二人とも代表の先達であり世界トップクラスの実力者でもあるから当然といえば当然か。


「正直に言う。ヤナギ、俺はお前を見くびっていた。プロになる実力はある。だがロート・バイエルンのメンバーとしては足りないと」

「はっきり言うのな」

「だがそれが誤りであったことは昨日の試合で分かった。お前はロート・バイエルンの重要な戦力の一つであり”ゾディアック”──俺やロナウドと並び称されるだけのプレイヤーだと思い知らされた。軽く見て、すまなかった」


 真面目な顔でそう言ってカールは頭を下げる。あまりに急すぎる反応に鷲介は思い切り戸惑う。


「お、おい。頭を上げろって。お前から見れば俺が格下って思っても間違ってない。だから頭を下げる必要はない」


 鷲介としては一度たりとも彼より自分が上回っていると思ったことはない。昨日の試合を後でもだ。


「これはお前への謝罪であると同時に俺自身のけじめだ。少なくともこうしなければ俺の気がすまん。もし今日会わずとも次に再会した時、俺はお前にはこうして頭を下げただろう」


 鷲介は思わずミヒャエルを見る。しかし少年は微苦笑して首を横に振るだけだ。


「わかったわかった。謝罪は受け入れる。だから頭を上げろって。

 ところでさっき言ってた”ゾディアック”ってなんだ? なんで俺たちに黄道帯が関係あるんだ? というかミュラーの奴も言っていたような……」

「”ゾディアック”っていうのはヤナギさんや兄さんみたいな十代で世界レベルの実力を持つ若手の総称です」


 鷲介の疑問に答えたのは帰ってきたミヒャエルだ。注文したドリンクに一口付けて、彼は言う。

 

「イギリスのサッカー専門誌『ファーストフットボール』が最近つけたみたいです。確か『シュースカノーネ』の最新号にも掲載されていますよ」


 そう言ってミヒャエルは先程購入した雑誌を開き、こちらに見せる。


「『近年、16~20才という少年と言っていい若者が世界のトップリーグで輝きを放っている。

 その中でも世界のトッププレイヤーに引けを取らない輝きを見せている13名の超新星”ゾディアック”』……。うわ、ホントだ」

「現時点のランキングもあるのね。カールくんは第三位。鷲くんは、と」

「第十一位か。わかってはいるが偉い差だな」


 鷲介は、はははと乾いた笑い声を出し、改めて”ゾディアック”の特集がされている記事を見る。鷲介を除く十二名のうち五名は鷲介と同い年で残りは16歳が3名、18歳が2名、19、20歳がそれぞれ1名となっている。そしてどの選手も世界に轟くビッククラブに所属し、今年の状況について記述されている。

 また後ろのページにはゾディアックほどではないが活躍しているヤングプレイヤーも三十名ほど選ばれている。その中にミュラーを初めとする欧州のユースで名を馳せた選手たち、そして日本からは”天才”と言われている中神の名前もあった。


「今年16、17となる連中は全員フランスのU-17W杯に参加するそうだ。──もっともランキング第一位、ロナウドの奴は怪我で参加を辞退するそうだがな」


 カールが口にしたその名前を聞き、鷲介は”ゾディアック”特集の最初のページにでかでかと載っている一人の選手を見る。

 ロウナド・ジ・ソウザ・アシス・リベイロ。鷲介、カールと同じ十七歳でありブラジルのU-17、U-20、フル代表を兼任している選手。世界中のサッカー関係者たちが口をそろえて『二十歳を超えるまでにW杯を含む参加したあらゆる大会を制覇してもおかしくない』と言われるほどであり鷲介はもちろん、カールも昨季その実力を目のあたりにしている。U-20以下限定なら間違いなく、世界一のサッカー選手と断言できるプレイヤーだ。


「ロナウドか……。とんでもない選手ってのは分かってはいるが怪我で参加辞退とはちょっと残念だな。予選リーグでせっかくブラジルと当たるわけだし、戦ってみたかったぜ」

「そう悲観することもないだろう。彼はバルセロナ・リベルタに所属している。ロート・バイエルンは今季もCLに出場するのだから対戦する可能性はある。──俺としてはこの大会で昨季のCL決勝の借りを返しておきたかったがな」


 そう言って険のある表情になるカール。昨季のCL決勝でロナウドに決勝点を決められたことを未だに悔しがっているようだ。

 バルセロナ・リベルタ。ロナウドが所属する昨季のスペインリーグとカップ戦の覇者でありCL、世界クラブ選手権をも制した現時点で世界一と言っていいメガクラブだ。

 ちなみにRバイエルンは準々決勝で、Rドルトムントは決勝で対戦。接戦を繰り広げるもバルセロナに屈した。両クラブにとって因縁の相手と言える。


「もっともそういう意味ではお前もだヤナギ。次戦うときは俺が勝つ。そして今季のドイツリーグにドイツカップ、カンピオーネリーグを制覇するのは俺たち、レヴィアー・ドルトムントだ」


 氷のようなアイスブルーの瞳に滾るような戦意を宿してカールは言う。ミヒャエルと性格は違えど思ったことははっきり言う。その実直さを鷲介は好ましく思い、微笑む。


「気が早いぜカール。俺たちはU-17W杯で戦う可能性だってあるんだからよ。もしそうなったら内容、結果共に今度こそ俺が勝つ」

「それもそうだな。だがもしU-17W杯で戦うことになったら勝つのは俺たちドイツU-17だ」


 にらみ合う鷲介とカール。だがすぐに両方とも破顔する。

 隣の由綺、ミヒャエルも笑顔になっていたが、突然金髪の少年は眉をひそめる。


「ミヒャエルくん、どうしたんだい?」

「いえ、もしU-17W杯で日本とドイツが対戦したら僕はどっちを応援すればいいのか……。やっぱりヤナギさんのいる日本でしょうか」

「そこはさすがに母国を応援しようぜ。兄貴が泣くぞ?」


 再びカールからあの視線を向けられながら、鷲介は正直すぎる少年に思わず突っ込むのだった。






 ◆◆◆◆◆






 アドラー兄弟と別れ、デパートを後にした鷲介たちは時間が昼過ぎと言う事もあって外で食べることにした。

 もっともデパート内のレストランや近くの喫茶店ではなく、プロになってからよく行くなじみの店に足を運ぶ。


「今日も中々繁盛してるみたいだなぁ」


 客でにぎわっているパン屋の様子を見て、鷲介は呟く。そして店から出てきた由綺が買ってきたパンが入った袋を持つと、パン屋のすぐ隣にある小さな古ぼけた店舗の前に立つ。

 扉の側には回転閉店の表示もなく中の様子を見る窓もない、一見してすでに閉店した元お店と思うような所だ。だが鷲介は全くためらわず店のドアノブに手をかけて、開ける。

 中は薄暗く人の気配はほぼ皆無と言っていい。いるのは店の隅にいる男性二人とカウンターにいるバーテンダーのような恰好をした初老の男性だけだ。


「こんにちはユルゲンさん。連絡した通り来ましたよ」

「ああ、いらっしゃい鷲介、由綺さん」


 コップを拭いていたちょび髭を生やした男性は鷲介たちを見てにこりと微笑む。彼はユルゲン・クライバー。この料理店兼酒場のマスターだ。

 もっとも鷲介にとってはそれだけではない。元プロサッカー選手でありRバイエルンに籍を置いていたこともある、偉大な先達だ。


「今日はあんまり人いないんですね」

「まぁこの店は僕が趣味でやっているようなものだし、お客も限定しているからね。こういう日は珍しくもないよ」


 はははと笑うユルゲン。彼の言う通りこの酒場はユルゲンの個人資産で始めたものらしく、そして訪れる客もプロサッカー選手かその関係者、または限られた親族のみらしい。

 鷲介が数回訪れた時にはRバイエルンやレーベ・ミュンヘンのメンバーと顔を合わせたことがある。


「おや、隣で買ってきたのかい。それじゃあ妻のパンを買ってくれたのでコーヒーでもサービスでもしようかね」


 鷲介としては特にそれを狙ったわけでもないがせっかくの厚意を断ることはしない

 またパンだけでは腹が膨れないので鷲介はメニュー表の料理を注文する。


「そういえばジークから聞いたよ。U-17の日本代表に選ばれたそうだね。おめでとう」


 カウンターに置かれたコーヒーを一口してありがとうございますと頭を下げる鷲介。

 するとユルゲンはなぜか首をかしげる。


「何ですか?」

「いや、思ったよりも嬉しそうじゃないなと。ここに初めて来たときは嬉しさいっぱいという感じだったが」

「そうですね。嬉しかったのは嬉しかったですけど、バイエルンのトップチームに上がった時ほどではないですね。

 やっぱりU-17だからですかね」


 鷲介の目標はRバイエルンのスタメン確保を始め多くあるが、その一つが日本代表、それもA代表のエースとなることだ。

 正直日本人限定ならば自分の実力は同性代では二つ、三つ飛びぬけており、A代表すら入れるだろう。順調に成長すれば三年後のW杯では代表のエースになっていると思っている。


「U-17とはいえそうがっくりくることもないよ。他国で各国の同世代の相手と戦えるわけだし何より、国を背負ってサッカーをするんだ。

 これは将来、君が日本のフル代表で活躍するための、大切な経験となるよ」

「EFAユースリーグでいろんな国の選手とやりあいましたけど……」


 EFAユースリーグとはEFA加盟のクラブユースにおける国際大会の一つだ。

 ヨーロッパのクラブ限定の大会だが、今現在も欧州はサッカーの最先端を行っており、鷲介のように欧州以外からやってきた、またはスカウトされている選手は多い。

 バイエルンに入団して5年、国内外で数多のチームと試合をした鷲介は欧州はもちろん各大陸出身の選手とも対戦している。そのため各国の選手と戦うと言う事に今更感がある。


「クラブと国とは似ているようで違うものさ。それは君が今後、代表に選ばれ続ければ自ずとわかってくるよ。

 そうだろうルディ、ポウルセン?」


 人としてもサッカー選手としても先輩はそう言って視線を店内の奥に向ける。それを鷲介が追うと酒場の隅にいた二人組の姿が見える。

 ユルゲンの言うとおりそこにはチームメイトであるルディと昨夜、いやと言うほど勝負したRドルトムントのポウルセンの姿があった。


「ルディさんはともかくなんであん…あなたまで……」


 別クラブとはいえ年上、それも一サッカー選手としてははるかな先達であるポウルセンへ、鷲介は言葉遣いを改める。


「ポウルセンと俺、そしてドラガンはレーベ・ミュンヘンのユース時代からの付き合いだ。今日は一緒にドラガンの病院に行ってきたんだ」

「スレイマニさんの? でどうだったんですか」

「捻挫だ。全治三週間」


 そうルディに言われて鷲介はほっとする。同じポジションを争う者同士色々と複雑だが、プレイヤーとしては敬意を抱ける人だ。大事にはなってほしくない。


「そういえばスレイマニも代表ではいろいろ無茶をしていたな。特に八年前のW杯予選では靱帯断裂が治りきっていないのに出場。結果的にセルビアはW杯出場権は得たがとの本人は怪我を悪化させた上パフォーマンスも長期低下。

 出場したW杯でもぱっとせず当時所属していたNASミランから放出されたんだったな」

「それ、本当ですか……?」


 ポウルセンの言葉を聞いて思わず鷲介は訊ねてしまう。鷲介から見たスレイマニは穏やかで知的、良識的な大人だ。

 サッカー選手はどこかしら負傷を抱えていることは珍しくもなく無茶をすることもよく聞く話だ。だが靱帯断裂ともなれば選手生命に影響する重傷だ。にもかかわらずそれが完治していない状況で彼は国の代表選手として戦った。いささか信じがたい。


「それだけスレイマニは代表で戦えることに強い思いを持っていたんだろう」


 ポウルセンの言葉に頷くルディ。そういえばこの二人もそれぞれの国の代表選手だったことを今更ながら鷲介は思い出す。


「あの、お二人は代表とクラブで戦うことに、どんな違いがあると思ってますか」


 鷲介の問いにベテラン二人はしばし黙り込む。


「悪い。うまく言えない。ただユルゲンさんが言っていた通り、クラブチームで戦うのとはちょっと違うとは思う」

「違いに関しては人それぞれとしか言いようがない。ユルゲンさんの言うとおり、こればかりは自ら体験して感じていくことだ。

 ただ俺個人の見解としては月並みだが途方もない嬉しさと重圧も感じる。それもクラブとは比較にならないほどの。代表で戦うと言う事は、期待する自国民全てを背負うことだ。自分の家族はもちろん友人知人や見知らぬ他人。また代表に選ばれなかった選手、支援してくれるスタッフ。

 そしてかつて代表に選ばれていた過去の偉大なプレイヤーたちも含めた、全ての想いと共に戦うことだ。それから感じる圧はクラブの比ではない。ヤナギ、U-17とはいえその一端をお前も感じることになるだろう。心して挑むんだな」


 ポウルセンの予言じみた──しかし実感がこもった言葉を聞き、鷲介は自然と首を縦に振っていた。






◆◆◆◆◆






 夜、鷲介は自室にあるPCの画面をじっと見つめてる。20インチの液晶モニターに表示されているのは昨年行われたアルゼンチンW杯における日本代表の試合だ。

 代表とクラブのサッカーは似て非なる。そう昼間ルディとポウルセンに言われたことが気になった鷲介は、スレイマニの話で出てきたW杯の試合を見て、改めて考えてみようと思ったのだ。


「うーん。改めてみると日本代表の駄目駄目さが浮き彫りになるなー」


 去年、そして現在の日本代表のサッカーはボールキープとショートパスを多用したポゼッションサッカーだ。アジアにおいては最強とされるそれだが、やはり世界の強豪国と比較すると未熟と言わざるを得ない。

 またプレースピードや判断力もオランダに比べて確実に劣っている。ダイレクトでつなげられるところをいったん止める、一人で行けそうなところに躊躇して囲まれ、結局パスを選択する等等。

 とはいえ、分かったのは日本代表の駄目駄目さだけではない。異様なまでの粘り強さも見て取れる。後半に十分過ぎでスコアは2-1、オランダリードで試合内容も全体的にオランダが押してはいるが、日本も要所要所で食い下がったり際どい反撃ができていたりする。

 そしてこれは他二つの試合でも見られたものだ。もっとも引き分けたグループリーグ二戦、パラグアイとアメリカは日本より強かったがオランダほどの力の差はなかったから、そこまで気にも留めなかったが。

 だがさすがに優勝候補の一角に挙げられていたオランダ相手でもそれが見られたとなれば気にならないはずはない。この大会、オランダはベスト8で敗退するが負けた相手は優勝した開催国アルゼンチンだ。それも延長戦まで行った大会ベストゲームに数えられる接戦を演じたのだ。

 その相手に間違いなく格下であろう日本が予想以上に接戦を演じてる。オランダのサッカーが悪いとは思えないだけに、この内容は少し不可解だ。


「これは一体どういう事か……。ん?」


 首を傾げ椅子に背を預けたその時だ、自室の扉が開く。

 振り向けば可愛いパジャマ姿の異母妹と何故か継母の寝間着を着た由綺の二人が入ってきた。


「にぃにぃ~」

「おっと。二人揃ってどうしたんだ? リーザはそろそろ寝る時間だと思っていたが。

 というか由綺、その姿……」


 夕食食った後、リーザと少し遊んだら帰るんじゃなかったのか? と視線で鷲介問いかけると胸元に抱き着いたリーザが言う。


「にぃにぃとゆーちゃんといっしょにねる~」

「と言ってきかないので、今日は泊まることにしたの」


 微苦笑する由綺。


「学校の方はいいのか?」

「大丈夫。いつもよりちょっと早く起きて帰れば十分間に合うから」

「そうか、本当、悪いな。……うっ」


 じゃれついてくるリーザの頭を撫でていた鷲介の視界の隅──扉の入り口から見えた父空也の姿を見て鷲介は表情を引きつらせる。

 こちらを見つめる父の視線は今日昼間に見たカールのそれと全く同じ──それをさらに濃くした、粘っこいものだったからだ。


「リ、リーザ。パパと一緒に寝たらどうかな~?」

「や! にぃにぃとゆーちゃんとねる。ねるのーっ」


 ぎゅーと抱き着いてくる妹。そして入り口で無言で崩れ落ちる父親を見て鷲介は思わす天を仰ぐ。

 後が怖いがここでリーザを押しのけるような真似はできない。


「わかったわかった。それじゃあ一緒に寝ようか。ただお風呂に入ってくるからちょっと待っててくれよ」


 そう言って鷲介は風呂に入り妹が部屋で由綺と遊んでいる最中に明日の支度と寝る前のストレッチを済ませる。

 そして父母が持ってきてくれた布団を敷き、二人と共に床に就く。さすがに鷲介が普段使用しているベットに三人は寝れない。


「……もうリーザは寝たか?」

「うん。ぐっすり」


 視線を胸元へ向けると、すやすやと可愛い寝息を立てている妹の姿があった。布団に入った直後は元気に由綺や鷲介と話をしていたがやはりそこは三歳児。睡魔にあっさりと屈したようだ。


「さすが保育士志望。子供のあやし方にも慣れたもんだ」

「リーザちゃんは元々寝つきがいいよ。ところでさっきから何か考えてるみたいだけど、どうしたの?」

「ん? ……ああ、ほら昼間、ルディさんたちが言ってたことをちょっとな」

「もしかしてクラブと代表との違いってやつ?」


 頷く鷲介。長く艶やかな由綺の髪の毛を手ですくい、いじりながら言う。


「さっきジークさんとちょっと話してみたりもしたがポウルセンやルディさんと似たり寄ったりだった。

 去年のW杯の日本の試合を見て違いを探してみたんだが、日本が全試合、異様なほど食い下がっているっておかしなところはあったな。どのチームも決して弱くも調子も悪くないのに、何故あそこまで戦えたのか……」

「……そういえば去年、暖人兄さんも同じようなことを言ってたわ。モチベーションが違うんだろうなって結論付けてたけど」

「モチベーションの違いだけでああまで食い下がれるものかねぇ……」


 モチベーションや応援で試合における選手の技量が上がることは稀にあるが、明確な実力差があるならばそれだけで覆すことは困難だ。それにW杯と言う4年に一度の大舞台、他のチームのモチベーションが日本に劣っているとは思えない。

 眉根をひそめる鷲介。その頭に由綺が優しく手を置く。


「由綺?」

「考えても分からないなら、今無理して考える必要はないよ。鷲君は初めての代表選出なんだし。

 今は何も考えずただいつも通りにU-17W杯に挑めはいいんじゃないかな」


 慈しみような眼差しを向けてくる由綺。優しく頭を撫でられる鷲介は軽い眠気を感じる。


「……。それもそうだな。わからないことを考えていてもしょうがないし、試合をしていくうちにわかってくるかもしれないわけだし」

「そうそう。さ、ちょっと早いけどもう寝ようよ」


 微笑む由綺。そして彼女は目を閉じると、何故かこちらへ顔を突き出してくる。


「……由綺さん?」

「お休みのキスをお願いします♪」


 渋面となる鷲介。だが躊躇いはほんのわずか、身を乗り出し由綺の唇へ軽くキスをする。


「お休み鷲くん」

「ああ。おやすみ」


 笑顔を見せる恋人の姿を目に焼き付け、鷲介は目を閉じた。







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