太陽は輝き、星々はきらめく2
「うおー、惜しいな!」
周囲から漏れる無念のため息と同時、フェルナンドが頭を抱える。ミュラーも彼のようなオーバーリアクションこそしないものの気持ちは同じだ。
現在前半25分。スコアこそ0-0だが、試合は攻守が目まぐるしく入れ替わる激しいものになっていた。シュートもAマドリーは6本、Rバイエルンは5本撃っている。
その中で両チームともに二度の決定的シーンがあった。試合開始直後の”ゾディアック”二人によるゴール未遂から数分後の前半十分、Aマドリーはセットプレーから競り勝ったイグナシオがペナルティエリア内に落としたボールをミカエルがダイレクトに左にパス、それにエリア正面に突撃するような勢いできたペドロがダイレクトシュートを撃つが、クルトの足に当たり防がれる。
Rバイエルンの最初の決定的シーンはそのすぐ後だ。ゴールキックのボールをエリックが競り勝ち、ボールをアントニオが収める。そして寄ってきたペドロをフランツとのワンツーでかわして前に出るがその前にリコが立ちふさがる。左へドリブル突破しようとするアントニオだがそれはフェイク。180度反転したアントニオはダイアゴナルランで中に入ってきたフリオへボールを渡し、そのフリオは裏に抜け出した鷲介がいた右サイドのハーフスペースに移動してきたジークフリートにパスを出す。そこへレオナルドが寄っていくがジークフリートは左へノールックパス、ちょうどペナルティアークに流れたボールに突っ込んできたエリックがミドルシュートを放つも見事反応したハビエルのパンチングがそれをはじく。
それから両チームとも遠距離からのミドル、セットプレーからのヘディングシュートがいくつかあるもお互いのDFやGKによって防がれる。両チームの二度目は20分を過ぎた後だ。
最初と同じく、最初に決定的チャンスを得たのはAマドリー。前半二十一分、イゴールとともに鷲介を挟み込んでボールを奪取したフランシスコが相手陣内に反転すると同時、走っていたサウロにピンポイントでパスを送る。Aマドリー随一の快速MFは左サイドを爆走、マークにフリオが寄ってくるとセンターへパスを出し、それを収めたペドロがフライパス。見事反応しジュフリーの裏に抜け出したイグナシオがペナルティエリア内で反転すると同時にダイレクトシュート。非常に難易度が高いボレーシュートだがスペイン代表のエースストライカーは見事合わせて勢いのあるボールがゴール枠内に飛ぶ。しかしその得点確実なシュートは横っ飛びしたアンドレアスの左手が弾き飛ばしてしまった。
そしてつい先ほど目の前で起こったRバイエルンの二度目の決定的シーンはこうだ。相手ゴール手前でフランツからボールを受け取ったジークフリート。しかしすぐさまレオナルドが体を寄せてくるため彼は前は向けないが、エリックが中に切れ込むのが見えたのか彼にパスを出す。エリックは持ち前のテクニックとフィジカルコンタクトでフリストを強引に振り払いシュートを撃つ。しかしジークから離れ戻ったレオナルドによってそれは防がれてしまう。右に零れたボールを獲物を襲う猛禽のような早く鋭い動きで拾う鷲介、シュートを撃とうとする鷲介の前にイゴールが立ちふさがるが若き日本のストライカーはシュートフェイントで彼を突破、エリアに侵入する。右足を振り上げる鷲介にレオナルドが猛烈な勢いで距離を詰める。それにかまわず鷲介は右足を振りぬくがそれはシュートではなくパス。そしてそのパスに反応していたのはジークフリートとフランシスコだ。構わずダイレクトでシュートを撃つジークフリートだが、シュート直前のフランシスコの体を投げ出すような守りが影響したのか、ハビエルの伸ばした左手を超えたシュートはゴールポスト上部に当たりゴールラインを割るのだった。
「しかしここまで激しい打ち合いになるのはちょっと予想できなかったね。Aマドリーはスペインリーグには珍しい守備重視のチーム、Rバイエルンも攻守のバランスが取れたチーム。こうやって打ち合う攻撃重視のチームってわけじゃない」
「このレベルでの攻撃特化クラブはバルセロナ・リベルタ、マンチェスターFCを含めた数チームぐらいしかないからねー」
「とはいえスタジアムの盛り上がりようは凄いことになっているけどな。なんだかんだで攻撃が好きなんだなスペイン人は。リーグも世界一の攻撃サッカーリーグと言われているし」
後ろを振り向いたままヒサシが言う。彼の言う通りサポーターの盛り上がりが試合開始前に比べて明らかに増している。さながら加熱し続け沸騰し、今にも吹きこぼれそうな鍋のような感じだ。
「こういう雰囲気の試合は、一つのきっかけで大きく変わるよなぁ。得点、失点、主力選手の負傷や退場とかでさ」
「確かにそうだな。決定的シーンも一つ何かが間違えばゴールという結果になっていただろうからな。
両チームともこの勢いのまま行けば必ずゴールは決まるだろうが、フルタイムこの調子でいくのはスタミナのこともあってさすがにない。
どちらかが戦い方を変えた瞬間、試合の流れが大きく変わる。さて、それはいつになるか──」
視線をピッチに戻すヒサシ。彼に倣いミュラーも正面を見る。
するとちょうどフリオからのパスを収めた鷲介の姿が目に入るのだった。
◆◆◆◆◆
Aマドリーからのゴールキックをイグナシオとジェフリーが競り合い、そのこぼれ球を拾ったフリオから来たボールを足元に収める鷲介。しかしすぐに反転せず少しキープしたのち、寄ってきたアントニオへパスを出す。
そのアントニオもすぐに前に行こうとはしない。寄ってきたリコたちから離れ、上がってきたブルーノにパスを出しブルーノからのリターンパスを受け取る。そして下がってきたエリックへパスを出し、緩やかな速度で彼の周りにポジションをとる。
鷲介、そしてアントニオは明らかにプレースピードを落としている。とはいえそれは彼らだけではない。ほかの面々も同様だ。そしてそれは先程の決定的シーンの直後、監督からの指示によるものだ。
(このままのペースでいけばガス欠になる。休憩や観察も兼ねてしばらくスピードを落とせ、か)
正直なところ監督からの言葉を聞いて鷲介は先程のハイペースを自覚した。いつもなら察してはいただろうがミカエルたちAマドリーと繰り広げている攻防が楽しく、熱くなっていたため気づかなかったのだろう。
そしてそれはブルーノやエリックなど勝気な面々も同様だったようで、彼らは特に慎重かつ丁寧にボールを回し、最小限の動きでいいポジションを取っている。その結果、Aマドリーは先程と変わらず前に出ては積極的にゴールを狙ってきている一方、Rバイエルンはその猛攻に押されて守備的になり、また前半はミスやカウンターから失点しないようリスクを冒さない、消極的なボール回しをしているように見える。
(ま、そんなわけはないんだが)
バチバチに前に出なくなっただけであり鷲介を含め全員、相手の隙を窺っている。そして隙あらばカウンターで先制を狙っている。
しかしさすがは攻撃サッカーが浸透したスペインリーグにて守備随一とうたわれるチーム。前に出つつもペドロにフランシスコ、そしてレオナルドたちが細かく的確なコーチングを飛ばして攻守や陣形のバランスをぎりぎり保っており、こちらが狙うような大きな穴を作らせてはいない。
激しい打ち合いから一転、ホームチームが攻めアウェーチームが守るというサッカーでよくある試合光景が続く。そして試合開始から四十分ぐらい経過したときだろうか、いつの間にかベンチから起立していたトーマスがハンドサインをこちらへ送る。
それを見て鷲介は小さく微笑む。攻勢に出ろの合図だからだ。ぐるりと周りを見渡すと他の皆もつい先ほどまで不自然に落ち着いていた表情や瞳に力や戦意がある。監督の指示でありまた同格が相手とはいえ、押し込まれていたこの状況に少なからず思うところがあったようだ。
(それじゃあ若い俺が先陣を切るとしましょうか!)
心中でつぶやき、鷲介は手を挙げて加速する。その動きにジークにエリックを始めとする前線の選手が呼応、一気に前に出る。
いきなりペースを変えたRバイエルンにAマドリーイレブンが面食らい、動きが遅れる。その間にRバイエルンは軽快な動きとパス回しでボールを前線に運ぶ。
左サイドでボールを収めるエリックの前にモデストが立ちふさがる。小さく左右に体を揺らしドリブル突破しようとするエリックだがそれはフェイント、右にパスを出す。
左ハーフスペースへマイナス気味に流れたボールへ寄ってくるジーク。しかしその前には思った通りレオナルドが寄ってきている。それを見て鷲介は右サイドから一気に中──レオナルドが空けたスペースへ走り出す。
(よし、予測通りにレオナルドは動いた。ジュフリーさんの言う通りDFの動きが読めるようになっているんだな。
そしてそれはAマドリー相手でも通じている──)
つい先日の練習後の後でジェフリーが鷲介に言ったのだ。DFの動き、そしてそれに伴い発生するスペースの発見する頻度が上がっていると。
言われた鷲介は帰宅したあと、自分のプレーを見返し、その事実を認識する。今シーズン、フリーで受け取る回数が増えていることに。
翌日ジェフリーへどうしてそうなったのか自分ではわからなかったというと、DFをよく見ているからだと言われ、鷲介はそうなった理由に気づく。
(まさかRバイエルンのDFが不安定だった試合──その守りに注視していたから予測の精度が上がるとは……)
ジェフリーがおらずクルトが調子を崩していた間、試合後どうして失点していたのか改めて試合映像を見て理由を探っていたのだ。FWとはいえ何か協力できることはないかと思い。
しかしどうやれば守り切れるかと考えると同時、どうやれば効率よく自分が攻められるかとも無意識のうちに考えていたようで、自分でも気づかぬうちにDFへの観察力が上がっていたのだ。
(ジークさん!)
刹那のアイコンタクトをかわす鷲介とジーク。それが通じたのか彼はこちらの思った通りダイレクトパスを鷲介の元へ送ってくる。
「フリスト、イゴール、二人で抑えるんだ! ハビエル、右に寄っておくんだ!」
フランシスコのコーチング──最後がよくわからない──を聞きながら、ジークからやってきたボールを収め鷲介は微笑む。
が、次の瞬間、こちらへ一気に近づいてきたブルガリア代表不動のCBと、視界の右端に映ったセルビア代表の俊英を見て、眉を顰める。
(また読んでいやがったのか! 全く、反則だろ!)
味方、そして敵の能力をすべて知ったうえピッチ全体の動きを把握、予知じみたコーチングも可能とする。フィールド・アイLV4保持者が可能とする超常じみた能力だ。
話には聞いてはいたが、これほどのものとは思わなかった。フランシスコのフィールド・アイの精度はあのアーサーを確実にしのいでいる。
この試合でもフランシスコの視野の広さは攻守にわたり発揮されている。前半二十分あたりのカウンターもそれだ。ボールを奪取した直後に振り向きざまフリーだった味方へピンポイントパスを放つなど、それこそフィールド・アイLV4がなければ不可能な芸当だ。
そして先程のコーチングも正解だ。鷲介のイメージとしてはフリスト一人がたちふさがることは予測──もしくはフリーでボールを受ける──できてはいた。フリスト一人だけなら突破することも決して難しくはなかった。
だがさらにイゴールが加われば話は別だ。二人ともワールドクラスのプレイヤー。Rバイエルンで言えばクルト、ブルーノを同時に相手取るようなものだ。
こうなったらイチかバチか強引に突破するか──。そう思ったその時だ、ジークから自分を呼ぶ声が聞こえ、鷲介は考えるより早く体を動かし、パスを出す。
フリストが鷲介によってできたスペースへボールが向かい、そしてそこへジークが突っ込んでくる。おそらく先程鷲介にダイレクトパスを出した直後、すぐ裏に走ったのだろう。
(先制だ!)
鷲介が思うのと同時、ジークの右足がボールを捉える。だがゴールへまっすぐ向かったそのボールを、いつの間にかジークの正面にいたハビエルのパンチングが防いでしまう。
馬鹿な、と思う鷲介。だがすぐに気づく。ハビエルがそこにいたのは先程のフランシスコのコーチングによるものだ。──ということはおそらくフランシスコはここまで視えていたということだ。
(予知能力者かよ!)
地団太を踏みたい気持ちにいっぱいになる鷲介。だが近くに飛んできたボールを見てすぐに走り出す。
ハビエルのパンチングで防がれたジークのシュートだが勢いは衰えていなかった。はじかれたボールは勢いよく跳ね返り、左に飛んでポストに当たりペナルティエリアの中央へ跳ね返ってきたのだ。
「フリスト! 背中のボールを」
背中にボールが当たり驚いたフリストに向かってレオナルドの声が響く。だが彼が言い終えるより早く鷲介はそのボールへ駆け寄ると、ボールをゴール右へ叩き込んだ。
「──よしっっ!!」
紆余曲折あったとはいえ念願の先制点。鷲介は右腕を振り上げるのだった。
◆◆◆◆◆
「皆、前半は内容、結果と共にとてもよかったよ」
トーマスがハーフタイムの控室でそう言い、後半のゲームプランや修正点を話すのを鷲介はドリンクボトルを手にしながら聞く。
(受けに回らず、しかし過度に攻撃に偏らないか)
監督の話を要約する鷲介。要はいつものサッカーをしろということだ。確かにチーム事情や状況を考えたら最善かもしれないが、鷲介はこうも思う。
(二点目を取りに行くべきじゃないかな)
前半こそ失点ゼロで抑えたがミカエル、そしてイグナシオのツートップはDF陣に脅威を与えていた。決定的シーンもあったし判断や対処を一つ間違えていれば失点に結び付いたかもしれないところもあった。後半、相手は少なからず攻撃的に来るだろうしそこを突くべきではないか──
「後半開始から十分ぐらいは攻撃的にいったほうがいいんじゃないですか」
ロッカールームに響く声。視線を向ければエリックの姿が目に入る。
トーマスは少し目を細める。それを見て思わず鷲介は少し体を引いてしまう。
「エリック、我々は必ずしもそれを行う必要はない。それがわかっているかね?」
「当然です。この試合を落としても決勝トーナメントには行けます。
ですがAマドリーは間違いなく後半からより攻撃的に攻めてきます。ホーム、それもスペインのビッククラブがこの状況で攻勢に出ないことなどあり得ませんからね。
そこをついて早々と二点目を取れば試合展開はより優勢になりますよ」
「RマドリーやバルセロナRならばそうだろうがAマドリーの場合、それは可能性の域を出ない。仮に向こうが攻めてきてこちらが前がかりとなったとしても、簡単に二点目が取れるかな? AマドリーのDFがどれほどのものかは君たちFW陣がよく知っているだろう」
むっとして押し黙るエリック。しかし反論はない。彼自身、前半は抑えられており決定的シーンは一度だけだ。
「それに向こうもこちらに必ず勝たなくてはいけないわけでもないし点差はまだ一点。前半の攻撃的なサッカーからいつもの守備を重視したカウンターサッカーに切り替えてくること可能性は十分にある。
むしろいままでのリーグ戦やCLの試合を見ているとそういうパターンが多い。もしAマドリーが今まで通りに来るならば、こちらが前に出ればまんまと相手の作戦にはまってしまうよ」
「ですが──」
「そのへんにしておけエリック。監督の決定に逆らうのか」
なおも監督へ反論しようとしたエリックの言葉を遮ったのはジークだ。それに腹が立ったのかエリックはむっとし、彼へ突き刺すような視線を向ける。
「そんなつもりはねーよ。ただより攻勢になってくるAマドリー相手にいつも通りにやっていて勝てるかって言われたら疑問だったから提案しただけだ。
ジークフリート、お前はどう思うんだよ」
「俺は監督の作戦に異論はない。相手がより前に出てこようといつも通りだろうと、いつものサッカーで落ち着いて受け止め、対処するべきだ。そうすれば自然と二点目も入るだろう」
「俺はそうは思わねーな。Aマドリーの鉄壁の守備に加えてあのミカエルがいるんだぜ。前半こそ抑えられたが後半そうなるとも限らない。今期のマドリーダービーを知らねーわけじゃないだろ」
エリックの言葉にジークは口ごもる。
マドリーダービーとはスペイン首都、マドリードをホームとするレイ・マドリーとAマドリーの試合のことだ。世界最高のダービーマッチと言われるエル・クラシコ──RマドリーとバルセロナRに匹敵するといわれる
今季行われたそれは敵地に乗り込んだAマドリーが負けた試合だったが、エリックが言っているのはAマドリーの後半の展開のことだ。前半あのラウルの活躍を含めたホームのRマドリーが2-0で折り返した後半、Aマドリーが驚くべき反撃を見せる。
後半始まって十分、RバイエルンDF陣と同等、もしくはそれ以上とされるRマドリーの守備からミカエルが2ゴールを挙げて同点に追いつき、さらに二十分過ぎようとしていた時間、カウンターで逆転したのだ。もっともそのあとRマドリーの反撃により二失点したAマドリーは敗戦したのだが。
「俺たちを信用していないのかエリック」
「そうは言わねぇ。だがあの”白い巨人”が18のガキに翻弄されていたのは事実だろ。ジェフリー、あんたはそうならない確信でもあるのか?」
押し黙ったジェフリーから背を向け、エリックは周囲をぐるりを見渡す。
「確かにこの試合は必ずしも勝つ必要はねぇ。だが向こうさんがガチのメンバーで来ているってことは、そう言う現実的な計算よりも”同格”の相手に負けられないっていうガキみてーな理由が多分にあると思うが。ベストメンバーのRバイエルンも同じじゃないですか?」
「作戦に変更はない」
エリックの問いにトーマスは固い声で答える。肯定も否定もしていない言葉、しかし鷲介は声音からかすかな肯定の意を感じた。
おそらくエリックの言うことは的を射ている。トーマスが負けず嫌いのことは鷲介もよく知っている。ただ先制した現在、無理をする必要はないと考えての後半への指示なのだろう。
エリックは先程よりも鋭くなったトーマスと視線を合わせる。数秒両者がにらみ合い、エリックが根負け──または諦めたように肩を落とし、言う。
「……わかりましたよ」
「皆、よろしく頼む」
監督の言葉に皆が返事を返す。しかしそれは揃ったものではなくバラバラだ。
気まずい雰囲気のままロッカールームを後にするRバイエルンイレブン。ピッチにはまだAマドリーの選手たちの姿はないのを確認すると、鷲介は自分とは逆サイドにいるエリックへ視線を向ける。
(何か一声、かけるべきだったかな……)
こちらへ背を向けているエリック。どことなく味方と距離を置いているようにも見える。
声をかけるのはあの場ではなく、ロッカールームを出た後だ。さすがにエリックのように公然と監督の戦術否定をするつもりはない。
とはいえ鷲介自身、彼の意見に傾いている部分もあった。「自分も同意見だけど、ひとまずは監督の言う通り頑張ろう」とでも言っておけばよかったような気がしてならない。
(……よし、今からでも)
そう思い鷲介が一歩踏み出そうとしたその時だ、Aマドリーイレブンが姿を見せ、それを周囲のサポーターが大歓声で迎える。
先頭はミカエルであり、こちらの視線に気づくと不敵な笑みを向けてくる。思わず鷲介もにらみ返し、その間にAマドリーイレブンはピッチに散っていく。
主審の笛とともに始まる後半。ジークと鷲介が触れ、後方に下がっていくボールと動く味方を見ながら、鷲介はピッチを駆ける。
リードされているAマドリーだが監督の予想通りいつもの守備を重視したカウンターサッカーに切り替えてきた。リードされているのに前に出てこないとは変な話だが、Aマドリーにとってはこの試合は必ずしも勝つ必要はないからさほどおかしな話ではない。またチーム本来のサッカーをやることでチームのポテンシャルを発揮させようとする意図があるのかもしれない。
中盤とDF四人がコンパクトな距離を保っては中を固め、サイドに集まったボールをFWを含めた全方位のプレス&チェックで追い詰めボールを奪取、またはミスしたところでカウンター。Aマドリーのいつも通りの、しかし厄介な戦いぶりに鷲介たちRバイエルンイレブンは深く踏み込むことができない。鷲介も一度単独で切り込んだがイゴールをギリギリ突破した直後、横から飛び出してきたレオナルドにあっさりボールを奪われ、カウンターの起点となってしまっている。
(ユヴェントゥースTFCといいこのチームといい、待ち構えてくるチームってのはどうにもやりづらい……)
それがアジア各国クラスやドイツリーグ下位、中堅クラスのチームならば自身のスピードやドリブルで強引にぶち破れるが、同格のビッククラブがそれをするとそう簡単にはいかない。
鷲介が苦慮する一方、ミカエルもRバイエルンの守備陣を前にあと一歩踏み込めていない。世界トップレベルのドリブルスキルを発揮してはブルーノとロビンを翻弄するも、クルトとポジションを入れ替えたジェフリーが最後に立ち塞がり決定的な仕事はさせていない。
繰り広げられる一進一退の攻防。しかし後半十五分手前ぐらいだろうか、フランシスコのイグナシオに向かったパスをフリオがカット。同胞からのパスを奪ったフリオは高い位置にいたフランツへボールを送る。
RバイエルンのショートカウンターにAマドリー守備陣が大いに慌てる様子を見ながら鷲介は敵ゴールへ向かって走る。左サイドのエリックにボールが渡った現在、状況は三対三だ。攻撃のため高い位置を取っていたイゴールの戻りが遅れているからだ。
「こっち!」
フリストに今にも勝負を仕掛けようとしていたエリックへ、鷲介は全速力で中央へ疾走しながら叫び手を上げる。そして鷲介がセンターレーンに入ると同時、センターにいたジークがゆっくりと右のハーフレーンへ移動していく。走りながらこちらの意図を読んで動くジークに鷲介は唇の端を曲げる。
鷲介としては三つのゴールへの道筋を考えている。まず一つはエリックからのボールをダイレクトで右のハーフレーンに移動したジークにパス、至近距離からジークのシュートで得点。二つ目はエリックからのボールを収めた自分によるエリア外、又はペナルティエリアに踏み込んでからのシュート。三つめは強引に突破したエリックのシュートによるゴール。またはそれがこぼれた場合自分が押し込むことも想定している。
ゴールへの道筋を反芻した直後、エリックは動く。軽く右に動き、次の瞬間左から切れ込もうとする。だがフリストは見事にその動きについていっている。
だがその切れ込みもフェイクだった。切れ込んだ直後エリックは右に反転すると走ってくる鷲介にパスを出してきた。歯を剥いて微笑む鷲介はボールに駆け寄っていくが、そこへレオナルドが──予想通り猛スピードで突っ込んでくる。
(シュートコースを狭めての突撃。トラップしたボールを前に蹴りだして、スピードで強引に抜くこともできるけどそうしたら相手GKが詰めてきて先にボールを抑えられる──)
刹那でそう思考した鷲介は思い描いていたゴールへの第一の道筋を選択。エリックからのボールをダイレクトで右のハーフレーンに出す。
(よし、これで二点目──)
そう思ったその時、鷲介は驚愕する。出したボールの先──ジークのそばになんとフランシスコの姿があったからだ。
しかも彼はスライディングの体勢で鷲介のパスをカット、こぼれたボールをハビエルが大きく前方へ蹴りだしてしまう。
「危ない危ない! 間一髪だったな」
起き上がり笑顔で言うフランシスコに鷲介は表情を引きつらせる。だがすぐにムカついている場合ではないと気付き、慌てて自陣のほうへ振り向く。
ハビエルが蹴ったボールはセンターサークル内にいたペドロが抑えていた。すぐさまロビンが距離を詰めるがペドロは左に走るサウロにパスを出すふりをしてドリブルで突破してしまう。
中央に飛び出すペドロに呼応して動くミカエル、イグナシオ、サウロ。猛スピードで前線に駆け上がったサウロを含めた三人はスリートップのようにRバイエルンゴールへ迫る。Rバイエルンの左サイド、ペナルティエリア直前でボールを要求するミカエル。センターレーンでどっしりと構えたイグナシオ、フリオの裏に抜け出そうとするサウロ。
(誰に来る!?)
鷲介が心中で呟いたその時、ペドロはパスを出す。ボールの行き先は左サイド──ミカエルだ。
ボールが出たと同時、下がるミカエル。そして収めた次の瞬間、ワンタッチコントロールでボールとともにゴールに背を向けた状態から中に90度反転、ピッチ中央へ切れ込む。またその一連の動作で、距離を詰めていたブルーノを振り切ってしまう。
ミカエルのその動きに鷲介は一瞬見とれてしまう。よどみない体重移動にそれに見事に追従するボールコントロール技術、そしてそれらをDFが動いた瞬間に行ってしまう判断。Rバイエルンクラスの相手に今の鷲介が成功させるのは非常に難しい。
そのミカエルの前に立ちはだかるジェフリー。小さく体を左右に動かすミカエルだが当然ジェフリーはそれに動じない。
やや左に寄っているジェフリーの空いた右側へ突っ込むミカエル。速く鋭い動きでジェフリーの左腕側を通過し、ペナルティエリアへ侵入する。
しかしそれは誘いということに鷲介は気づいていた。そして前半の最初の時のようにミカエルの元へアンドレアスが突っ込んできている。
(──ちょっと待て。何かが)
まるで前半最初の再現というべき光景を見て鷲介が違和感を覚えたその時、それは起こった。ミカエルはアンドレアスの前で急停止しすぐに左へ切り返す。ボールもジェフリーの股を通しており見事ミカエルとともに左へ移動している。
今までのミカエルが見せていたボールタッチや足元の技術によるものではない。鷲介が得意とするようなスピード任せの切り返しだ。
だがそれが見事に効いた。今まで通りの動きから滅多に見せないスピード任せによる切り替えし。完全に虚を突かれ、慌てて対処しようとしたジェフリーたちだが明らかに反応が遅れている。そして当然ミカエルはそれを見逃さず利き足をふるいボールをRバイエルンのゴールネットへ突き刺した。
「──!!」
スタジアムを揺らすかのような歓喜の声が響くのを耳にしながら、鷲介は奥歯をかみしめる。同点とされたこともだが、何より今のゴールはこぼれ球を押し込んだ自分と違い、ミカエルの技量のみで成し遂げられたものだからだ。
ペドロたちに抱きつかれるミカエル。そしてその視線がこちらに向き”若獅子”は勝ち誇った表情を向けてくる。
(……くっ!)
これ以上ない格の違いを見せつけられこぶしを握り締める鷲介。センターサークルから再びボールを後ろに渡し、勝ち越しゴールを決める気満々で自分のポジションに移動する。
だが同点直後、Aマドリーの様子が一変する。再び前半のように前に出てきたのだ。その様子に鷲介はもちろんほかのメンバーの面食らってしまい、ボールを相手ゴール前まで運べない。
(同点にしたことでAマドリーとしてのメンツを保つことはできたはずだ。
こんな状況でカウンターを食らい失点すればより不利になるのに!?)
戸惑う中、試合は続く。そして後半二十分になったころだろうか、同点ゴールを決めたミカエルにボールが入る。
ちょうどRバイエルン陣内中央にいたミカエルはすぐさまゴールに向かって突き進む。そこへロビンが向かっていくがミカエルはダブルタッチであっさりとかわし、直後距離を詰めてきたブルーノをまた抜きで突破してしまう。
わずか数秒でペルティエリア目前へと迫るミカエルに熱狂するサポーターたち。先程と同じくジェフリーが進路を阻むが、その表情は険しく余裕のかけらもない。
(ジェフリーさん、頼む!)
鷲介が願うのと同時、ミカエルが動く。
腰を低くしシザースを繰り出すミカエルに対しジェフリーは動かない。そしてミカエルが左に思いきり踏み込んだその時、絶妙なタイミングでボールを奪うべく足を伸ばした。
(よし、奪える!)
そう鷲介が確信した時だ、左に傾いていたミカエルの体が右に急転換する。同時にボールも左から右に動く。
それを見て鷲介は大きく目を見開く。”それ”がなんなのか、自身も”それ”の使い手だからすぐにわかった。
(エラシコ!)
突っ込んできたジェフリーと入れ替わるかのように右へ方向転換するミカエル。体重移動にボールコントロール、自分が使うエラシコと比べても一枚も二枚も上手だ。
そう思うと同時に鷲介は逆転されることを覚悟する。この状況でミカエルほどの選手が外すことは考えられないからだ。
だがミカエルの動きはペナルティライン上で止まる。──いや、正確にはジェフリーが伸ばした腕が彼のユニフォームをつかんでしまい、止められる。
倒れるミカエルにピッチに鳴り響く笛。そしてジェフリーには当然だがイエローカードが提示される。
(助かった……)
けたたましいブーイングが響く中、鷲介は安堵する。場所が場所なだけにPKの可能性もあったが主審の判定はFKだ。
何とか防いでくれ──。そう思いセットされたボールへ視線を向けると、鷲介はぞっとした。
ボールのそばにいるのは倒されたミカエルだ。彼一人だ。いつもならミカエルに加え、フランシスコやペドロがそばにいるのだが、彼らは距離を置いている。
そして二人の表情はリラックスしており笑顔すら浮かべている。それはまるでミカエルのFKが入ることを確信しているかのような様子だ。
再びミカエルを見て鷲介は体温が下がるのを感じる。ボールの前に一人立つミカエルは異様と思えるほど落ち着いており、そして壁を見ていない。ゴールだけにしか視線を、意識を向けていない。
(あの様子は。まさか、そんな──!)
心臓の鼓動がいつもより大きく鳴り響き、脳内に警鐘がやむことなく響く。理屈ではない。サッカー選手としての本能が危機を訴えているのだ。しかしFKを邪魔することなどできるはずもない。
「外れろ外れろ、外れろ……!!」
ボールに向かって走るミカエルを見ながら鷲介は頭に響く警鐘をかき消すように口に出して外れることを願う。
ミカエルに左足から放たれたボールは壁となっていたクルトの頭を超えてゴール左へに向かう。アンドレアスもそれを読んでいたのか右に動いており、ボールに向かって跳躍してを伸ばす。
アンドレアスのグローブとゴールポストとの間はちょうどボール一個分が入るスペースしかない。そしていくら狙ったとはいえそんなスペースにボールが入るなど可能性としては限りなくゼロに近い。
しかしミカエルの放ったFKはそのボール一個分のスペースを通過し、ゴールネットに突き刺さった。可能性としてはゼロに近い、限りなく不可能を可能としてしまった。
「……間違いない」
逆転ゴールに沸く歓声を聞きながら、鷲介は確信する。ミカエルが”ゾーン”に入っていることに。
リーグ戦 10試合 11ゴール4アシスト
カップ戦 1試合 1ゴール1アシスト
CL 3試合 4ゴール0アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト