狼のチーム2
「えええええ!? 何で今のを防ぐのよー!」
「イ、イザベラ。落ち着いてってば……」
頭を抱え吠える親友を宥める由綺。今いる場所は家ではなく喫茶店であり、周囲にいる客から凝視されている。
半分は理解のある色があるがもう半分は非難じみたものもある。由綺は後者の面々へ頭を下げると改めて親友に落ち着くよう言い、喫茶店にあるテレビへ視線を向ける。映し出されているのはドイツリーグ第14節、ヴォルフFC対ロート・バイエルンの試合だ。
「はい、これでも飲んで落ち着きなよ」
苦笑しながら喫茶店の息子であり友人でもあるグスタフがイザベラ、そして由綺の座るテーブルの前にコーヒーを置いてくれる。注文したものはとっくに食べ終わっている。どうやらサービスのようだ。
「……あら、これまたいい香りと味ね。腕を上げたようで何よりだわ」
イザベラの上から目線の言葉にグスタフは笑うだけだ。幼馴染と言う間柄なだけあってお互いのことをよくわかっているのだろう。
「でも落ち着いていられないわよ。後半十五分を過ぎてもまだ0-1のまま。試合的にはRバイエルンが押しているのに点が入らないのよ。
さっきのシーンだってなんであれを防ぐんだって話だわ!」
落ち着いたのもつかの間、再び眉をつり上げるイザベラ。由綺としても同じ気持ちだがさすがに彼女のように騒ぎはしない。
後半の試合はイザベラが言うとおりアウェーのRバイエルン優勢だ。そもそも試合全体の流れを見ればドイツの絶対王者の方がチャンスやシュートシーンを作りだしておりホームチームを幾度となく脅かしている。
だが、点は入っていない。ギリギリのところで防がれてしまっている。先程のシーンもそうだ。
「あれは守ったヴォルフFCのGKを褒めるべきだよ。僕もあのシーンは流石に同点となると思っていたし」
イザベラが騒いでいるのはつい先ほどのビックチャンスのことだ。フランツのサイドチェンジからのボールをエリックが収め、そこへチェックに来た右SB、アメリカ代表のヒース・スペンサーに対しドリブル突破しようと前に出る。
だがヒースのDFでゴールに迫りつつもペナルティエリアの方へ中々進めないエリック。フォローに来たアントニオたちの声も聞こえていないのか──それとも無視しているのか──それでも愚直に突き進み、とうとうゴールライン際まで来てしまう。
しかしそれはエリックの盛大なトラップだった。ラインのすぐそばまで来たエリックは急反転しパスを出す。左サイドに出されたそのボールは近くにいたアントニオの横を通り、オーバーラップしてきたブルーノの元へ向かった。
ブルーノはダイレクトでペナルティエリア内にセンタリングを上げる。ややマイナス気味に曲がったボールに飛びついたのはジークと対応しシュートコースを塞いだジョバンニだ。だがジークは頭を下げてボールをスルーしてしまう。
けれどそのボールを収めたのはヴォルフFCの選手ではなく、ペナルティエリア内に侵入していたアレンだ。ダイアゴナルランでエリア中央からエリア左側へ動いたジークにジョバンニだけではなくザシャも釣られ、その開いたスペースにアレンが右サイドから入り込んだのだ。
ペナルティエリア内、フリー状態のアレンは即座にシュート体勢に入る。しかしそこへコンラートが体を投げ出すようなスラィディングでアレンの前に飛びだす。
だが、しかし、Rバイエルン随一、いやドイツリーグ随一と言ってもいいテクニックFWはワントラップしてボールと共に右に移動、コンラートをかわすと同時にシュートを放つ。スピード系ドリブラーの鷲介にはできない芸当だ。
ゴール右枠内へ飛んだボール。得点確実と言ってもいいシュートだったが、それは横っ飛びしたファストが伸ばした左手で弾き、威力の弱まったボールを体で押さえてしまうのだった。
「それにしても、ここまでしぶといとはさすがに僕も思っていなかったよ。前半を見る限り後半は押し切れると思っていたからね」
「でも現実はこうよ! あーもう、この試合を落せば五位転落は確実よ。レーベ・ミュンヘンの今節の相手は降格圏ギリギリ、三連敗中のヴァイス・ツィーゲKなんだから!」
昨年6位と躍進した日本代表の鹿島が所属するヴァイス・ツィーゲKだが、今季は数年ぶりに降格争いを強いられるとみられている。
昨季の主力だったルーカス・ロッシが移籍し、大黒柱たるエクトール・クライスラーは二節で復帰に半年もの時間を要する大怪我を負ってしまっていた。もちろん他メンバーも奮起はしているが強豪や上位チームとの対戦成績はほとんど負けており、同格や格下とされているチーム相手にも勝ち星を落していると言った状態だ。
(この試合を落としてレヴィアー・ドルトムントが勝てば勝ち点差は七。まだ追いつける数字だけどそれはあくまでRドルトムントたち上位チームが調子を崩したり勝ち星を落したらの話……)
13節終了時点の順位はこうなっている。
1位、Rドルトムント 13試合11勝2分け無敗 勝ち点35
2位、Rゲルセンキルヒェン 13試合11勝1分け1敗 勝ち点34
3位、ヴォルフFC 13試合10勝2分け1敗 勝ち点32
4位、Rバイエルン 13試合10勝1分け2敗 勝ち点31
5位、Rミュンヘン 13試合9勝2分け2敗 勝ち点29
この上位五チームの中で昨季と同じく安定した強さを持つのは1位2位のRドルトムントとRゲルセンキルヒェン、5位のRミュンヘンだ。メンバーは数名変わりつつも昨季と同じ強さを誇っている。
一方調子を上げたチームはヴォルフFC。調子を落としたと言う意味ではもちろんRバイエルンだけだろう。
「それにしても本当に妙な試合ね。攻めていて優勢なのに点が取れないなんて」
「ヴォルフFCの選手たちが噂通り走っているのはわかるけど、それでもここまでRバイエルンの猛攻を防いだ上、反撃も鋭いなんて」
後半も押されているヴォルフFCだが全くの無抵抗ということはない。数回発動したカウンターにてRバイエルンゴールを脅かしている。
リーグ随一の走力チームとは聞いているが、Rバイエルンとほぼ対等に渡り合っているのを見ればそれが素人目から見ても尋常ではないのはわかる。一体どうしてここまで拮抗した試合になるのだろうか。
「──うん、今日の試合を見て確信したよ。ヴォルフFCの走力──オフ・ザ・ボールはRバイエルンをも上回っているね」
「オフ・ザ・ボール? ボールのないところの動きよね。私としては似たり寄ったりに見えるけど……」
「普通に見たらそうだね。でもより慎重に深く観察してみればわかるよ。両者のオフ・ザ・ボールには個と組織と言う大きな違いがある」
グスタフの言葉に由綺とイザベラは意味がわからず顔を見合わせるだけだ。
「要はオフ・ザ・ボールの動きをする際、Rバイエルンの選手は個人個人が組織になるよう動いているのに対し、ヴォルフFCは最初から複数人が完全に連動して動いているんだ。
正直これほどの連動したチームは欧州にもそうは無いよ。僕も現役時代、走力やオフ・ザ・ボールを売りにしていたから、よくわかる」
ジュニアユース時代、グスタフはDF、DMFとしてピッチを走り回りチームに貢献していた。しかしそれ以外の点がユース昇格レベルに到達しておらず昇格できなかったのだと言う。
「相当練習したのもあるんだろうけど、的確なコーチングをする人が多いんだろうね。ジョバンニ選手にエクトル選手もそうだろうけど、コンラート選手にザシャ選手。それとローマン選手にヴォルフガングさんも多分そうだろうね」
「チームの半数以上じゃないの!」
「うん。ヴォルフガングさんは今でこそFWだけど、Rバイエルンのジュニアユース時代は主に中盤がメインでコーチングも上手だった。コンラート選手たちがいたU-23ドイツ代表も今までの代表に比べてコーチングの量が凄まじいと言う話を聞いたことがあるし。
フィールド・アイみたいな極端に視野が広い選手はエクトル選手だけだろうけど、自分のプレーエリアに対しての視野が極めて優れているんだろうね」
そこまで喋り息をつくグスタフ。
「さすがW杯四度目の優勝メンバーの一人でありヴォルフFCのレジェンド、オリヴァー・フォクツが指揮するチームなだけはあるね。”マンシャフトのダイナモ”、”ヴォルフのスーパーコンピューター”と言われたあの人らしいチームだ」
そう言ってグスタフは微苦笑を浮かべる。いつもの優しい顔だが、発した言葉からは羨望と驚嘆、そしてわずかばかりの嫉妬が入り混じっていた。
それについて言及せず由綺がテレビへ視線を向けたのと同時、ボールがラインを割る。すぐに再開しようと持ったボールをピッチに投げ入れようとするロビンだが、主審が笛でそれを制する。
「おっ! きたわね!」
明るい声で言うイザベラと同じように、由綺も表情をパッと輝かせる。後半二十分手前、両チームの選手が同時に交代され、そのうちの一人が鷲介だったからだ。
◆◆◆◆◆
ヴォルフFCの交代選手より早くピッチに入る鷲介。交代するアントニオと抱擁をかわすと、すぐさまフランツやジークらの元へ走り監督からの作戦を伝える。
「──なるほど。わかった」
「この作戦の肝は鷲介か。任せたぞ!」
頷くジーク達へ鷲介も首を縦に振って応じる。そしてフリオからのスローインでボールがピッチに入る。
(よし、いっちょやるか)
心中で呟きながら鷲介は首振りをしてボールと自分のポジション──左SMFの周りを確認する。
(うーん、ギラギラしてるな)
一通り確認が終わった後のヴォルフFCに対する感想だ。緑と白のイレブンは誰もが過剰という量の戦意に満ち満ちている。
降格チームが残留争いの時に発する殺気に近いものだが、あれほど鬱陶しくない。例えるなら湿気が全くない晴れ晴れとした夏の空という感じだろうか。
「ホラよ!」
オーバーラップしてきたブルーノからボールがやってくる。収めると同時、背後からローマンと交代で入ったガーナ代表サリー・アサモアが距離を一気に詰めてきた。
鷲介はチェックを受けないよう下がりながら──当然周りを見て──ボールをキープ。そしてフランツからのコーチングを聞くと体を左サイドに向けてヒールパスを出す。
そのボールをエリア中央で受け取ったフランツを見てすぐさま鷲介は加速、ダイアゴナルランでゴール正面へ走る。そして鷲介と交差するようなタイミングでフランツがポジションを下げていたエリックへパスを出す。
そしてそのエリックがダイレクトで走りこんだ鷲介にボールを渡す。ペナルティエリアギリギリ外からシュートを放つ鷲介だが、ボールを蹴ったのと同時、ジョバンニの伸ばした足がボールの軌道上に出現。ボールをはじき返す。こぼれたボールをフランツが拾おうとするが、それより先にトビアスが駆け寄っており前線に蹴りだしてしまう。
(なるほど。こういうわけか)
外から見て感じた通り──そして監督の言ったことが正しかったのを再確認し、鷲介は唇の端をかすかに曲げる。
個人個人の判断と味方のコーチングで守備ブロックを形成するのではなく、意思統一した複数人が同時に動いたうえでのコーチングによって作られる守備陣。単純な強度ならばRドルトムントの“鉄壁”には及ばないが、守りが完成する速さはおそらく同等だ。
(でもだからこそ、意思統一がされているからこそ、俺が付け入るスキがある)
ローマンが出したパスをフリオが足に当てボールがラインを割ったのを見て、鷲介は監督、そして前線三人のほうに視線を向ける。トーマスは微笑み、ジークは視線で了解の意を示し、エリックとアレンはかすかに頷く。
Rバイエルンゴール前で繰り広げられるボール奪取劇を見ながら、鷲介はゆっくりと自分のポジションを上げ、同時にFW三人との距離が狭まっているのを確認する。
そしてフランツがボールをインターセプトしたのを見て、鷲介は前に動く。直後フランツから正確なボールがやってくるがそれを鷲介と入れ替わりで自陣センターサークルまで下がったジークが納め、ジョバンニが動く前にパスを出す。
敵陣センターサークル外に落ちたボールへ鷲介が、そしてジークと同じ前線に残っていたエリックのマークについていたヒースが駆け寄っていく。だが世界最高峰のスピードと、このシーンを予期していた鷲介のほうが速い。
ボールを収め一気に相手ゴール前へ。そこへザシャが立ちふさがる。一瞬でかわされることを警戒してか飛び込んでこない。
(正しい判断だよ。──でもだからって、守り切れるわけじゃない!)
心中でつぶやき、鷲介は前に出てはザシャの守備エリアへ侵入する。これにはさすがに動かざるを得なくなるザシャは足を伸ばしてくる。
しかし突発的に動くその動きは遅い。鷲介はスピードに任せて強引に左に切り返し突破する。
エリアに侵入する鷲介。しかし眼前には体を広げシュートコースをつぶしたファストの姿がある。ザシャが鷲介を待ち構えた間に寄って来ていたのだろう。
だが鷲介はみじんも慌てずボールを蹴る。右、マイナス気味に出たボールのところには誰もいない。──だが。
(やっぱり来てくれましたか!)
右サイドから猛烈な勢いで走ってきているアレンを見て鷲介は微笑む。彼の後ろには必死の形相で追ってくるコンラートの姿がある。
アレンに気が付いたのか、顔を青くしたファストが慌てた様子で右のほうへ寄っていく。
だがもう遅かった。先日のEUROで活躍したクロアチア代表FWはエリア外、右サイドから全速力で斜めに突っ込んでいるというなかなか難しい状態にもかかわらずダイレクトでボールを蹴る。スピードこそ普通だがボールはぶれることなくゴール右隅に向かい、ラインを割って優しくネットを揺らした。
「よしっ!」
後半三十分近く、ようやく追いついたことで狂喜するチームメイトとRバイエルンサポーター。鷲介もアレンと抱擁をかわし、フランツとジーク、そしてエリックからも頭を撫でられ、背中や肩をたたかれる。
しかしすぐに気を引き締め、周りを見る。案の定、同点に追いつかれたヴォルフFCイレブンからは煮えたぎるマグマのような戦意が発せられている。
キックオフの笛と同時に前に出てくるヴォルフFC。試合終了間近だというのにスタミナのことなど一切考慮せず走ってはRバイエルンゴールへ迫る。
だが疲労による走る速度とプレー精度の低下は各所でみられる。当然それを鷲介たちが見逃すはずがない。
エクトルからヴォルフガングへのスルーパスをロビンがカットし、自陣センターサークル内にいた鷲介の元へボールがやってくる。そこへサリー、トビアスがやってくるが鷲介はワンフェイントでサリーをかわし、トビアスが前に立ち塞がろうとする前に左へパスを出し、即座に走る。
ヒースを背負いながら鷲介からのボールを収めるエリック。鷲介は彼の左斜め──中央に走りこみながら鋭い視線を彼に送る。こちらの意図を読んだのかエリックは一瞬ためらうも鷲介が走りこむであろう場所へパスを出す。
(ナイスパス! さすがにこの状況で一人で行こうとする選択はしなかったようで何よりだよ!)
眼前に転がるボールを見て鷲介は心中でいつもは自己中な同僚をほめる。もっとも一点リードしている状況か、もしくは今日の試合でゴールを決めているのであれば個人技で突破を図ろうとしたかもしれないが。
何はともあれペナルティエリア正面にやってきた鷲介。だがゴール前に右からやってきたジョバンニが立ち塞がる。
(本当によく走るよ。それにこの時間帯でもこの人の動きは正確だ)
立ち塞がる元オランダ代表DFへ鷲介は素直に感心する。ヴォルフFCの中で疲労によってポジショニングが乱れる者がいる中、彼は試合開始の時と同じような正確性だ。特に左にいるザシャの幾分か正確性を欠いたポジション取りを見てなお、そう思う。
(だけど正確に動いた──試合開始前と同じように動いたあんたじゃ、俺は止められない!)
心中でつぶやくと同時、鷲介は右足でボールをワンタッチコントロールする。ボールを前に蹴りだすと同時、自身も加速して前に出る。もちろんジョバンニもすぐさま反転して追ってくるが、そのときすでに鷲介はペナルティエリアに侵入していた。
「はあっ!」
前に出て両手を広げるファストにかまわず渾身の力を込めてシュートを撃つ。ボールはファストの左腕部上を通過し、ゴールネットに突き刺さった。
◆◆◆◆◆
「おお……!」
柳の見事な逆転ゴールに新村が声を上げる。先ほどのアシスト以上にチームメイトから祝福される若き日本のストライカーを見てヨアヒムも微笑む。
(狙い通りといったところかね、トーマス君)
Rバイエルンベンチ前でガッツポーズをとるRバイエルンの後輩を見てヨアヒムは思う。
投入され十分も経過しないうちの逆転劇。1ゴール1アシストという結果を残した柳は凄まじいが、そうなったのは半分トーマスのおかげだ。彼は柳を非常にうまく活用したのだ。
狼の群れのように複数人が一斉に動くヴォルフFCの攻守。Rバイエルンレギュラー陣の猛攻さえ耐え続け、攻撃に転じた見事ともいえるもの。だがそれは全員が的確に走りポジショニングをとることで成立するものであり、また最初からこうなるわけではない。試合前に入手したデータと試合中の対戦相手の生の情報を一致させることで完成度が高まっていくものだ。
そして完成度が限りなく完全に近い状態まで高まったところでの柳という、ほかのRバイエルンイレブンとは段違いなスピードを持つ選手の投入。守りが後手に回るのは必然であり、その結果が彼のゴールとアシストになって表れた。
当然その対処方法はヴォルフFCの監督は選手に伝えていただろう。だがデータで知るのと体感するのは大きな違いがある。まして世界最高峰ともいわれる柳のスピードだ。わかっていても止められないことだろう。ワールドクラスであるジョバンニが柳のワントラップで振り切られたように。
(そしてヴォルフFCのもう一つの誤算は柳君とジークフリート達とのポジションチェンジだろう)
一点目のアシスト前、ジークフリートが下がってきて柳にパスを出したのと、二点目のエリックのアシストがそれだ。両者とも柳が前に出るのを前提で下がっていた。ジークフリートはともかく、エリックの先ほどのプレーは滅多に見られない。予想外だったのは間違いないだろう。
「後半も残すところあと六分。今日の試合は中断されることもほとんどなかったのでロスタイムも長くて一分程度でしょう。
ヴォルフFCの粘り強さは知っていますが、勢いは間違いなく逆転したRバイエルンにあります。……決まりましたかね」
「そう思うかね?」
「最後の最後まで何が起こるのかがわからないのがサッカーです。ですが、今日の試合は決まったと私は見ています。ヨアヒムさんはどう思いますか?」
「私もその意見には概ね賛成だ。概ねは」
そう言いながらヨアヒムは視線をヴォルフFCベンチ前に向ける。
視線の先には直立し腕を組んでいるヴォルフFCの監督、オリヴァー・フォクツの姿がある。眉根をひそめ難しい顔をしている彼。しかしその表情からは諦めの色は一切見えなかった。
◆◆◆◆◆
エリックとジョバンニが競り合い、こぼれたボールを鷲介が拾う。そこへ必死の形相のトビアスが距離を詰めてくる。
トビアス・クスター。鷲介の一つ年上であり17歳でトップチームデビューを果たしたドイツ期待の若手選手。ハンブルク・フェアアインのヴァレンティーンとともにドイツU-20代表の中心選手でもある。順調に成長すれば次のW杯のメンバーに選ばれるとまで言われる俊英だ。
トビアスは腰を落としてこちらを待ち構える。鷲介は小さく息をつき右にかすかに動いた次の瞬間、左へ鋭く切り返す。
だがトビアスはその動きについてきた。つい先ほどはこれだけで振り切れていたというのに。
しかし鷲介は慌てない。体を寄せてくると同時にボールを奪うべく足を伸ばしたため大開きとなった彼の股間へボールを通し、そして左に動く彼とすれ違うように右に動いて突破する。
(ドイツ代表の未来を担う逸材か。あながち間違いじゃないかもな)
すれ違いながら鷲介はトビアスの評価、そして警戒レベルを一段引き上げる。今までと同じくあっさりかわしたものの、今のトビアスのこちらの動きに反応した動きは見事だった。もし彼がもう少し早く反応できていれば伸ばした足がボールに届いていたかもしれない。これほど見事な対処をした同世代はサルバトーレかヴァレリー、“ゾディアック”の面々ぐらいだ。19という若さでヴォルフFCの中盤の底を任されているのは伊達ではないようだ。
ともあれトビアスをかわした鷲介は敵陣中央を突き進む。そして下がってきたアレンとのワンツーとジーク達の動きに釣られて空いたコースを見つけると、大きく右足を振りかぶる。
だがミドルシュートを放つ直前、ザシャが足を伸ばしてきた。それにかまわず放ったシュートはゴール右へ向かうが、横っ飛びしたファストの手にあたりボールはゴール枠外のラインを割る。
(もうちょっと近づいて撃てばよかったかな……)
CKとなったつい先程のプレーを見て鷲介は思う。あの距離から撃ったのは得意の距離だったからだ。だがそのあたりはザシャとファストも把握していたようで二人の息の合った守りに防がれてしまった。
もし次似たような形になれば──そう鷲介が考えながらピッチの様子を見ていた時だ、銀髪の巨漢が鷲介のそばに寄ってくる。
「よう」
短く挨拶をしたのはヴォルフガングだ。彼は自陣ゴール前の守備につきつつも、こちらにぎらつく瞳を向けている。
粘つくような、突き刺さるような視線を受けて鬱陶しいと感じながらも鷲介はCKに集中する。
フランツが蹴り上げたボールはヴォルフFCゴール前に飛ぶ。それにエリック、ジェフリー、ジークが飛びつくが、執念というべき敵の守りにボールはエリア外へはじかれる。
鷲介の頭上を越えたボールは右サイドのライン近くまで飛ぶ。だがそれを上がっていたフリオが抑えた。
(こっちへ!)
右サイドへ走りながらアイコンタクトを送る鷲介。それが通じたのか、フリオはトラップすると鷲介の元へボールを供給してくれる。
フリオからのパスを収めゴール方向へ振り向く鷲介。するとすぐそばに突撃するような勢いのコンラートが迫ってきていた。しかし鷲介は小さく嘆息すると左に切れ込んでコンラートをかわす。
(イノシシみたいな勢いだったが、そんな考えなしの突撃でボールを離すものかよ)
あまりに杜撰すぎる守備に呆れつつゴール方向を見たその時だ、今度はヴォルフガングが突っ込んできていた。
しかもタイミングは絶妙だ。並みのFWならなすすべなくボールを奪われるかヴォルフガングの巨体に押されパスを選択するだろう。
だが鷲介は並みのFWではない。世界最高峰といわれるアジリティとスピードを発揮し、ぎりぎりヴォルフガングをかわす。
(よし、今度こそ)
味方にボールを送ろうとしたその時だ、鷲介は大きく目を見開く。なんとかわしたタイミングに合わせたかのようにサリーがこちらへスライディングを放ってきていたからだ。
伸びてきたサリーの右足は見事、鷲介の左足のすぐ横にあったボールに当たる。後ろにこぼれるボールに鷲介はすぐさま拾おうと振り向くが、そのボールを最初にかわしたコンラートが拾ってしまう。
「コンラート! 右サイドだ!」
サリーが叫ぶのと同時、大きくボールを蹴りだすコンラート。ボールは放物線を空に描き、ハーフウェーラインを越えて一気にRバイエルンの右サイドへ落ちる。
そしてそれに向かって疾走するのはブルーノとレナトだ。後半も変わらずバチバチやっていた両者は必死の形相でボールを追う。
先にボールに触れたのはレナトだ。そして彼は先程の鷲介のようにワンタッチコントロールでさらにボールを前に出して走り、ゴールに迫っていく。一方のブルーノはボールを奪うことは諦めたのか走る軌道を外から中に変え、自陣ゴールに戻っていく。
ペナルティエリア近くまでやってきたレナトにクルトが距離を詰める。そしてブルーノと二人で挟み込みボールを奪うつもりなのかうかつに飛び込まず、適切な距離を保っている。
だがレナトはそうはさせまいとクルトとの距離を一気に詰めて勝負に来る。一瞬驚き、しかしすぐに動くクルト。だがレナトは見事なダブルタッチでクルトをあっさりかわしてしまう。
「クルトさん!?」
戻りながら見た光景に思わず鷲介は声を上げてしまう。クルトらしくない──そう思うがすぐに訂正する。レナトが上手いだけだと。
とはいえRバイエルンにとっては絶体絶命のピンチだ。クルトの右を突破したレナトとボールはペナルティアークのすぐそばにあり、その前にはアンドレアス以外誰もいない。クルトも体を反転させているが間に合わない──
同点の言葉が鷲介の脳裏に浮かんだその時だ、今まさにペナルティエリアに侵入しようとしたレナトに──否、ボールに向かってブルーノがスライディングを放ったのだ。体を投げ出し放たれたそれは見事ボールに当たる。
だがブルーノの伸ばした足にレナトの足が引っ掛かり転倒してしまう。まずいと鷲介が思った直後、主審の笛が高らかに鳴り響く。
ブルーノへ提示される二枚目のイエロー、そしてすぐさまレッドカードが突き付けられる。それを見て鷲介は表情をゆがめるが、やむ得ないとも思う。
(ボールに向かっていたとはいえ背後からのスライディングで相手を倒してしまった。運が良ければただのファウルで済んだかもしれないけ、ど──!?)
鷲介は心中で驚きの声を上げて、大きく目を見開く。その理由は主審がペナルティスポットを指さしたからだ。PKだ。
その判定にクルトたちはもちろん、ピッチを去ろうとしたブルーノも審判に食って掛かる。当然だ、どう見てもレナトが倒されたのはペナルティエリアギリギリ外だったのだから。
「どう見ても転んだのはエリアの外だった。PKはおかしいだろう!」
「VARで確認してくれ!」
フランツ達の猛抗議を主審は首を振って拒否する。そしてブルーノへ早く出ていくよう手ぶりし、早足で距離を置こうとする。
まったく抗議に取り合わない姿にブルーノは額に青筋を浮かべ詰め寄ろうとするが、鷲介は彼の肩を抑えると、強引にこちらへ振り向かせ言う。
「ブルーノさん、早くピッチから出てください!」
「邪魔するな鷲介! こんなふざけた結果納得できるはずが──」
「あんたは赤を貰ってるんだ! これ以上問題を起こすと次節出場停止だけじゃすまなくなるぞ!」
鷲介の言葉に一瞬、考え込むような表情になるブルーノ。だが再び怒りの色を顔に表し乱暴に鷲介の腕を振り払うと、踵を返して主審のほうへ行こうとする。
再び止めようと一歩踏み出す鷲介だが、あるものを見て伸ばした手を止める。それは抗議していたフランツへ主審がイエローカードを突き付けた光景だ。
愕然とする鷲介とブルーノ。カードを突き付けられたフランツもだ。その時、ジークやジェフリー、アンドレアスが主審との間に強引に割って入り、フランツを無理やり引き離す。
「ブルーノさん!」
「……わかったよ! くそがっ」
怒り、そして悔しさに満ちた顔でピッチを去っていくブルーノ。フランツもジェフリー、アンドレアスに諭され落ち着きを取り戻したようだが怒りと不満、そして後悔の感情が表情に満ちている。
(ブルーノさんだけではなくフランツさんも次節のRミュンヘン戦は出場停止か……)
次戦、主力二人の離脱に鷲介が歯噛みしていると、隣をヴォルフガングが通る。そしてすれ違いざまに一言、
「ナイスキープだったぜ」
表情を固まらせる鷲介。それが失点のきっかけとなった鷲介のプレーを指しているのは明白だからだ。
両こぶしを握り悔しさを押し殺す間、ヴォルフFCのPKはあっさりと決まってしまう。
土壇場で追いつきますます盛り上がるアウェーチームとそのサポーター。それを見ながら鷲介は消沈した様子のフランツに近づき、言う。
「フランツさん、ボールをくれ」
◆◆◆◆◆
「これまた、まさかの展開ですね……」
「ヴォルフFCは後半も右サイドから攻める展開が多かった。PKはともかくブルーノの退場を狙ってはいたのだろう」
ヨアヒムがそういうのと同時、Rバイエルンのキックオフで試合は再開され、ロスタイムに入る。表示された時間は1分だ。
これはさすがに引き分けか。そう思う中Rバイエルンは前に出る。だが当然ヴォルフFCのイレブンは失点しまいと動いては守りを固める。ボールを回すRバイエルン、それに対し選手たちが懸命に動いては小刻みに守備形態を変え待ち構えるヴォルフFC。
あっという間にロスタイムが半分過ぎたその時だ、フランツからのボールを敵陣中央で柳が受ける。すぐさま前を振り向く柳だが、ヴォルフFCイレブンはすぐさま守備ブロックを固めてしまう。
ボールをキープしながらぐるりと周りを見渡し、再びゴール方向へ視線を向ける柳。40秒が経過したのと同時、彼はドリブルを開始する。
柳の前に立ち塞がるトビアス。柳は右に上がってきたフリオの方に視線を向けるが次の瞬間、それに気を取られたトビアスの股にボールを通して突破する。
だがイレブンのほとんどが自陣にいるヴォルフFC。トビアスを突破した柳へザシャとサリーが獲物に襲い掛かる狼のように迫る。正面、左から向かってくる二人に対し、柳は一瞬でトップスピードとなり振り切る。
そこへジークのマークを外したジョバンニが強襲する。しかし問題はないだろう。柳の突破に対するジョバンニの突っ込むタイミングは完璧だ。パスを出す余裕もない。
(残念だがここまで──)
そうヨアヒムが思い、試合時間が五十秒を過ぎたその時だ。選手、監督としてもドイツの生きたレジェンドの眼が大きく見開かれた。
完璧なタイミングで突っ込んだジョバンニに対し、なんと柳はぶつかる直前で急停止し、ルーレットでかわしてしまう。しかも外から中に360度回転した彼はペナルティエリアに侵入してしまった。
「え?」
ヨアヒムにほんの僅か遅れ、新村が何が起こったのかわかっていないような声を上げる。同時に時間が残り五秒を切り、柳が右足を振り上げる。
「──」
ヨアヒムが息をのむと同時、柳はシュートを放つ。ゴールから二十五メートルほどの距離からドリブルを始め緩急をつけた動きに加えルーレットという大技をクリアし四人突破したにもかかわらず、柳の右足から繰り出されたシュートは強烈な勢いでヴォルフFCのゴールネットを突き刺した。
ネットに突き刺さったボールが落ち、転がるまでのほんの二、三秒間、スタジアムが静まり返る。そして主審がゴールを認める笛を吹くと同時、スタジアム中から驚愕と悲哀が入り混じった絶叫が発せられる。
「……ゴール、ですね」
「ああ」
表情を引きつらせて新村が言う。困惑、そして驚愕に染まっている。
右腕を振り上げる柳へジークフリートたちが抱きつき祝福する。世界トップレベルの選手である彼らの表情にも驚きと歓喜、そして柳への惜しみない賞賛がある。
ピッチに響く試合終了のホイッスル。改めて喜ぶ柳たちは狂ったように喜ぶサポーターの元へ駆けつけ、手を振る。それにますます数少ない王者のサポーターたちは興奮した様子を見せる。
一方土壇場の土壇場でまさかの逆転ゴールを許し負けたヴォルフFCイレブンは誰もが唖然とした表情だ。無理もない、彼らの守備は完璧だった。今彼らができる最高の守備ができていた。
(ヴォルフFCの守りは見事だった。だが柳君の底力が君たちの守備の欠点を突破するだけのものだったということだ)
ヴォルフFCの守備の最大の欠点は彼らは個でワールドクラスの選手を止められる選手が少ないという、わかりきったものだ。
Rバイエルンをはじめドイツリーグ上位陣の攻撃をことごとくシャットアウトするヴォルフFCの固く粘り強い守備だが、それはやはり彼らの選手個人ではなく複数の選手によるコーチングにポジショニング、走力があってこそだ。今のように個人技で強引に突破される、または突破された後、守備を再構築される前に動かれれば彼らの守備は十全の力を発揮できないのだ。
とはいえジョバンニ達ヴォルフFCのDF陣を責めることはできない。繰り返すが彼らの守りはあの時間帯でも見事なものだった。──ただ、それを柳の底力があっさりと凌駕してしまっただけなのだから。
「全く、見に来たかいがあったというものだ……」
驚きのため息をつくヨアヒム。正直これほどのものを見せられるとは思わなかった。
“ゾディアック”。彼らの規格外のプレーシーンはいくつも見てきたが、今のそれはトップ10、いやトップ5に入るかもしれない。
このまま順調──否、自分の想定以上に成長し続けるのであれば、もしかしたら“ゾディアック”不動の1位であるロナウドに肉薄するかもしれない。
「三月、彼に会うのが待ち遠しいな」
呟き、微笑むヨアヒムだった。
◆◆◆◆◆
重苦しい空気が控室に漂っている。その発生源の一人であるヴォルフガングは着替えもせず椅子に腰を掛けていると、扉が開き監督が姿を見せる。
「なんだ、ヴォルフガング、まだ着替えていなかったのか」
眼鏡をかけたやせた風貌の男だ。年齢が五十を超えているはずだが元気に動くその様子から四十代、いや三十代に見間違えられることもあるらしい。
オリヴァー・フォクツ。ヴォルフFCとドイツ代表のレジェンドであり”マンシャフトのダイナモ”、”ヴォルフのスーパーコンピューター”という異名を持っていた頭脳明晰な監督だ。
「時間もない。さっさとシャワーを浴びて着替えろ。我らがスタジアムとはいえ、いつまでもそうしていると体によくはない。負けて悔しいのはわかるが体調管理はしっかりしろ」
「ずいぶん冷静ですね。あんな負け方をしたっていうのに」
いつも通りの冷静な態度に思わずヴォルフガングは反論する。
周りの選手がざわめき、エクトルとジョバンニが眉を顰める一方、オリヴァーは気にした様子もなく肩をすくめて言う。
「先ほどの会見でも言ったが、今日のチームの出来はほぼ悪くなかった。負けたのはシュウスケ・ヤナギがこちらの想定していた以上の力を発揮したからにすぎない。──我々の理解が足りず、準備不足だっただけだ」
オリヴァーの言葉にヴォルフガングは奥歯をかみしめる。彼の言葉は全く正しい。だがそれで胸の内の悔しさが晴れるどころかますます曇っていく。
「私としても正直、あれほどとは思っていなかった。瞬間的な脅威で言えばカール・アドラーさえ上回るかもしれんな」
カールの名を言われ、ヴォルフガングは自分の膝に拳をたたきつけた。うつむき、奥歯が砕けんばかりに嚙合わせる。
そんな反応をして思い出したのはシーズン開始のRドルトムントとの試合でカールにゴールを決められた時だ。柳とは全く違う形だが、あの時もカール一人に守備を崩されゴールを決められたのだ。
「とはいえこの目で彼のプレーを見れたのはシーズン後半、戦うときのいい材料となる。それにシーズンはまだ半分も終わっていない。──というわけだ、落ち込むのはそのぐらいにしてさっさと汗を流してこい!」
そういってヴォルフガングにタオルを投げつけてくるオリヴァー。頭を覆ったタオルを乱暴な手で取りオリヴァーを睨みつけるが、監督はこちらのことなど見向きもせずスタッフと何やら話し始めている。
その態度に益々いら立つヴォルフガングだがエクトルやジョバンニの主力と、トビアスやローマンといったヴォルフFC育ちの選手から向けられている視線を感じ、大きく息をつくと控室を出てシャワールームへ向かう。
(シュウスケ・ヤナギ……!)
カールに匹敵するといわれる日本人の“ゾディアック“。だがヴォルフガングとしては過大評価だと思っていた。せいぜい準ワールドクラス、結果を残しているのはジークフリート達周りの選手に今までのチームが気を取られているからにすぎないと。
だが今日の試合、あの短時間だけで全得点に絡む活躍。いくらヴォルフガングたちが疲れていたとはいえ途中出場の選手にあそこまでやられたことはない。今日が初対決でありこちらの予想を越えていたとしても、許容できるものではない。
(次のアウェーゲーム。今度こそ食らってやるぞRバイエルン。シュウスケ・ヤナギ……!)
三度目の正直とならず敗北して得た今日の屈辱。何十倍にもして返してやるとヴォルフガングは誓うのだった。
リーグ戦 10試合 11ゴール4アシスト
カップ戦 1試合 1ゴール1アシスト
CL 3試合 4ゴール0アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト




