初会見、初面談
(さて、どんな就任会見になるのやら)
いつもなら眠気を誘う午後三時ごろの時間帯。だが今日に限って広助の眼はブラックコーヒーが必要ないほど冴えている。
今から行われる新たな日本代表監督就任会見。机前に置かれているPCの画面に表示されているのは日本サッカー協会会長に技術委員長。そして二人に挟まれすぐ後ろに通訳を控えさせているのが新たな代表監督となるヨアヒム氏だ。
会長たちの話が終わりマイクがヨアヒムの手元に置かれる。それを見てドイツ人監督は二コリと微笑み、口を開く。
「日本の皆さん、こんにちは。新しい、日本代表の監督、となりました、ヨアヒム・マイヤーです」
たどたどしい、しかしはっきりと聞こえるヨアヒム氏の日本語に会場中がかすかにどよめく。かつてJリーグでプレーをした時のヨアヒムは今ほど上手に日本語は喋れなかったのだ。
挨拶の後「回答できることはできる限り自分で答えます。つたないですがよろしくお願いします」と通訳を通して述べると、改めて会見がスタートされる。
「最初の質問です。十年もの間、監督業から遠ざかっていたあなたが一体どういう経緯で日本の代表監督に就任したのでしょうか」
「率直に言いますと私から逆オファーしました。もし代表に何かがあり後任を決めていないのであれば私に任せてくれないかと」
「なぜ母国ドイツではなく日本の代表監督を?」
「日本のサッカーについては常に注視していました。Jリーグが私がいた時と何ら変わらない素晴らしいリーグであり同時にサッカーそのもののレベルは確実に向上しています。海外で所属する選手もずいぶん増えました。
──ですが世界の頂点に到達するほどのものではない。故に私がそれを成し遂げたいと思ったのです。我が母国ドイツでは私が監督でなくとも世界の頂に届きうるレベルにありますから」
ためらうことなく夢の言葉──日本のW杯優勝を成し遂げると口にするヨアヒムに広助は驚く。
画面向こうの通訳も驚きと困惑の顔をしており、記者たちからも大きなどよめきが湧く。
「日本の、W杯優勝ですか。それは全国民が望むところではあります。
しかし失礼を承知で言わせていただきますが日本のサッカーレベルはそれを狙える実力は無いと思われますが」
「確かに。今の日本代表ではどれだけ力を尽くしても何があったとしても届くのはおそらくベスト8が限界でしょう。
だからこそ私と代表選手たちが頂点を狙えるほどまでに強くなるのです」
「監督も、ですか?」
「もちろんです。私は選手としても監督としてもあらゆる栄光をものにしました。──ですがそれは過去の話、世界最高の監督と言われていた手腕は今の私にはありません。十年も監督業から身を引いていたのですから当然と言えば当然ですが」
またしても戸惑い、どよめく通訳に記者たち。そんな彼らへヨアヒムは落ち着いた様子で言葉を続ける。
「監督がチームを強くする。これは当然のことです。ですがその逆もあるのですよ。チームが成長し、その姿が監督の想像以上となったのを見た時、監督はどうすると思いますか?
満足する? いいえ、それはありえません。一流の監督はそれを喜びこそすれ満足し足を止めるような真似はしません。成長したチームに負けまいと己自身を鍛え上げるのです。
そして想像以上に成長したチームをさらに輝かせるべく指揮し、選手がそれに応える。そういった監督と選手同士の成長のラリーを続けたチームが頂点に君臨するのですから」
微笑みながら言うヨアヒム。確かな、そして有無を言わさない重い実感のこもった言葉にしばし会見場は静まり返る。
「本戦まで残り一年と半年。いえ大会期間を含めれば一年と七カ月。今の日本代表ならばそれだけの時間があれば世界の頂を狙えるチームになることは不可能ではないでしょう」
広助は思わず腰を上げる。周囲の面々が何事かとこちらへ視線を向けるが気にしている場合ではない。
今から一年と七か月後──それは再来年の六月末当たり。すなわちW杯決勝の時期だ。公言こそしないがヨアヒムはこう言っているのだ。決勝まで勝ち進んでみせると。
「現に今の時点でも、世界レベルの選手が二人いるでしょう。それが誰なのかは、言うまでもありませんね」
「小野選手、柳選手のことですよね。ということはヨアヒム監督は彼らを中心としたチーム作りをするつもりですか」
「それも私が行うべきプランの一つではあります。それだけということはありません。
彼ら中心のサッカーだけをしていて、もし怪我や不調などで本戦に出れなかったときチームは本戦直前で方向性を見失ってしまいますから」
そうヨアヒムが言った時だ、神経質そうな表情の記者が鋭く突っ込む。
「ヨアヒム監督は本戦に出れるのが既定路線のように話されていますが、まだ最終予選は終わっていません。
そして韓国、イラクの結果次第では日本は最悪三位となり四次予選に回る可能性もあります。それについてはどうお考えでしょうか」
「特に何も。残り五試合すべて勝利し、それでも本線の切符が手に入らなければ四次予選も勝つだけのことです」
平然と言う新監督。それを聞き、質問をした記者は表情を引きつらせ、やや刺々しい口調で言う。
「失礼ですが、ヨアヒム監督はアジア予選を軽視し過ぎではないでしょうか。
残り五戦全勝するのは例え柳選手がいたとしても厳しいと思われます。アジア最終予選はそれほどのものです」
「確かに。今のチームならばそうでしょうね。──だからこそ私が指揮し、日本が強くなったうえで残り五試合全勝すると言う事です。
今の日本には柳選手はもちろん中神選手など豊かな才能を持った若手や選手が多くいます。彼らの力を引き出せばそれも難しいことではありませんから」
だが百戦錬磨の監督の経験がそうさせるのか、ヨアヒムは記者の尖った言葉に微塵も態度を変えない。そして同時に自分の言葉も撤回しない。
全く態度を変えないその様子に質問した記者はもちろん他の面々も戸惑った様子が見れる。そしてそれは広助もだ。
(幾人もの代表監督を見ては来たが、ここまで精神面──自己の強い監督は初めてだな……)
一見ただの好々爺にも見えるヨアヒム。しかしその態度や言葉の裏には鋼のような強固な自信がある。
その姿はかつて彼が監督をしていた時の姿そのままだ。クラブやドイツ代表監督時代も丁寧かつ穏やかな態度でメディアに対応し、意地の悪い、悪意のあるようなことを言われても、決して声を荒げることはなかった。──そしてそれらの声を結果を出して黙らせてきた。
(個人的には好ましい。サポーターやメディアも一時は安心するだろう……)
しかし懸念事項が皆無と言うわけではない。いかにサッカー界の生きた伝説と言うべき人であっても十年のブランクは決して小さくはない。そしてヨアヒムが素晴らしい結果を出したのはドイツ代表やRバイエルンといった世界トップクラスの選手が各ポジションに必ず一人はいたチームだけだ。残念だが日本代表はそのようなチームではない。
そして最初の会見でこれだけ堂々と大口をたたいたのだ。残りの試合結果はもちろん、内容を見る目も厳しくなるだろう。高齢なヨアヒムの心身がそれに耐えきれるかも不安材料だ。
その後もいくかの質疑応答──先程のように意地の悪いものも数点あった──が続くが、ヨアヒムはやはり最後まで笑顔を崩さず落ち着いた口調で丁寧に答えていく。
「私と、選手たちが、共に成長する代表。皆さん、温かく、そして厳しい目で、見てやってください」
最後にヨアヒムは日本語でそう言い、頭を下げる。こうして就任会見は終了する。
ヨアヒム達が退席するのを見てパソコンのウィンドウを閉じる広助。大きく息を吐くと手元のメモに書かれた名前を見る。
それは会見の途中ヨアヒムが言った日本代表スタッフの名前だ。半数ほど入れ替わっており、新たに加わったメンバーの中にはなんとあの奥倉邦夫の名前もある。
(引退してからサッカーには一切かかわっていなかった奥倉が加わるとは、一体どういう風の吹き回しなのか。かつてのチームメイトに声を掛けられたのかね)
日本が初めてW杯に出場した時のエースである奥倉は、これまで幾度となく日本サッカー協会から代表スタッフや協会メンバーに誘われていたが、それをすべて断っていたことで有名だ。今更メンバーに加わった理由はそれぐらいしか思いつかないが──
(──と、考えるのはこの辺にしておくか)
広助は奥倉や他に考えていたこまごまなことを頭の隅に追いやる。まずは新たな代表監督の記者会見の記事を書く仕事があるのだ。
自分の考えを振り払うと席を立ち、休憩場に向かう。そしてお気に入りの缶コーヒーと共に休憩を済ませると自分のデスクに戻るのだった。
◆◆◆◆◆
「むぅ、そろそろ来る頃か」
「ええっと、もう片付ける所は無いわよね」
リビングで落ち着きのない着飾った両親を見て鷲介は小さく息を吐く。その様はまるで学校の教師に家庭訪問される親のそれだ。
「ママやパパ、そわそわしてるねー」
「そうだな」
両親と同じく、四歳の妹もおめかしした姿だ。かくいう鷲介もスーツ姿ではある。これから家にやってくる来客への、礼を失さないための格好だ。
「かんとく、まだこないのー?」
「そろそろ来ると思うんだが──」
オレンジジュースを注いだコップを妹に手渡しながら鷲介が言ったその時だ、玄関のチャイムの音がリビングに鳴り響く。
それを聞き両親は緊張で体を硬くし、鷲介は視線を少し細める。
「どうやらやってきたようだ。出迎えてくる」
ジュースを飲むリーザにそう言って鷲介は玄関に向かう。後ろから両親も続く。
ドアを開けると玄関先には予想通り、待ち人の姿があった。
「こんにちは柳君。今日はお邪魔させてもらうよ」
11月末の冷たい風と共に玄関に入ってきたのは鷲介の代理人のマルクスとつい最近、日本代表の新監督に就任したヨアヒムだ。そして日本サッカー協会の人間と思われる四十代ほどの日本人も一人いる。
緊張しきっている両親と挨拶をかわすヨアヒム達へ鷲介は玄関先にあるコートハンガーを使うよう言い、彼らが身にまとっていたコートやマフラーなどを外すのを見て共にリビングへ向かう。
母が用意した熱いコーヒーに一口付け、新しい日本代表監督は口を開く。
「改めて挨拶をさせてもらおうか。日本代表の監督に就任したヨアヒム・マイヤーだ。こちらは私のサポートをしてくれている新村和人君だ」
「新村和人……。”極東の射手”」
鷲介の言葉に新村氏は苦笑する。新村和人。”極東の射手”。元日本代表MFであり歴代の日本代表の中でも五指に入ると言われているFKの名手だ。
Jリーグから海外に飛びだしオランダ、ドイツ、スコットランドのリーグでプレー。当時海外からJリーグに戻り現役を終える選手がほとんどだった中、海外で終えた選手としても有名だ。
(にしても……ヨアヒム監督といい、この人もどこかで会ったことがあるような……?)
そう思う鷲介だが、正面に座ったヨアヒムが口を開いたことで小さい疑問は彼方へと飛んでってしまう。
「今日は突然の訪問を快く迎えてくれてありがとう。君の怪我の様子をじかに確認したかったのと少し話したかったことがあったからね。
──復帰はヴォルフFCとの試合と聞いているが、間違いはないかね」
「はい。……予定よりさらに遅れましたがトーマス監督よりそう言われています」
少し間を開けて言う鷲介。本来の予定ではリーグ13節で復帰予定だったが監督の判断でそれからさらに一週間伸びたのだ。
「それはよかった。復帰まで四週間と聞いていたがさらに一週伸びたので少し心配していたのだよ。
特に肉離れは君のようなスピード系選手にはつきものと言ってもいい。癖になる選手もいるからね。これからも異変を感じたらすぐ診てもらうといい」
そう言った後、ヨアヒムはより細かいことを聞いてくる。私生活や食事、最近の練習場での様子、またメディア出演やスポンサー契約まで。
マルクスと共にそれらを話し、ヨアヒムは細かなアドバイスをしてくれる。そしてそれらが終わった後、ヨアヒムは再び母が入れたコーヒーで一息入れる。そして姿勢を正し、訊ねてきた。
「ところでだ。私が初めて指揮をした日本代表の試合は見てくれたかと思うが、どう思ったかね」
鷲介は言葉に詰まる。しかし鷲介の心中を察したかのようにヨアヒムは「率直に言ってくれないか」と言う。
マルクス、そして新村に視線を向けると二人は無言で頷く。どうやら遠慮はいらないようだ。
「では率直に言います。非常に危なっかしい試合でした。勝てたのが不思議に思うほどの」
鷲介が言うのはW杯最終予選の後に行われたクウェートとの親善試合だ。結果こそ2-0で勝ったものの、試合内容は手放しで褒められるようなものではなかった。
前半は普通にチャンスがありピンチもある、今までの日本代表と言うべき試合だった。危なっかしいと鷲介が言ったのは後半全体だ。後半突入と同時に交代カード全てを使いメンバーが六人入れ替わった日本代表は前半とは打って変わって攻勢に出たが、攻守でいくつものミスが発生し危険なシーンが多数発生した。失点ゼロで抑えられたのは奇跡としか思えないほどの。
「うん。ネットやメディアでもそう言われているが私もそう思うよ。
そして日本やアジア各国のメディアも私のことをさんざんこきおろしていたね」
ヨアヒムの言うとおりだ。試合の後に書かれたクウェート戦への評価に対する記事は酷いものだった。もちろん十年ぶりの監督復帰の初めての試合と言うことで擁護する声も少なからずあったが、それよりも圧倒的に非難の声が多かった。
特に韓国をはじめとするアジアの強豪国のメディアはヨアヒム個人に攻撃的な記事もあり、それを見た鷲介は眉をひそめたものだ。
だが当の本人は平然としている。日が経っているとはいえあそこまで──日本のメディアにさえ──言いたい放題言われたというのに微塵も気分を害した様子がない。それが妙に不気味に感じる。
「しかし改めて日本代表と言うチームをどうしていくかプランは固まったし何より勝利したことは大きい。最終予選では二連敗中だったからね。
三月の最終予選からは私のやりたいサッカーを浸透させていくことができるかもしれない」
「監督のサッカーですか。もしかしてW杯優勝した時のような?」
鷲介がそう言ったのは後半のサッカーを見たからだ。攻撃時、チーム全体が前に出ては積極的にボールを回し相手を翻弄、ダイレクトパスやドリブルで攻撃をしかけてゴールに迫る。守備の時も高いポジションを取り、ボールを奪う際は複数人が一気に動きゾーンを形成、奪取する。
動きの鈍さやミスを除けば後半の日本代表はまさしくW杯を制覇したドイツ代表に非常に酷似していた。
だが鷲介の問いにヨアヒムは笑って否定する。
「まさか。あのサッカーはあの時代、そして当時のドイツ代表メンバーだからこそ実行し世界制覇を成し遂げたサッカーだ。あれをそのままやろうとはさすがに考えてはいないよ。
今の日本代表メンバーでもあのサッカーは実行不可能だし、できたとしても私の目標には届かないだろう。あれから十年以上経過している。あっさりと対策されてしまうだろうしね。
親善試合の後半、それをやるよう指示を出したのはちょっとした確認だよ」
「確認? それは一体なんですか」
「それに関しては次の代表招集の時、教えよう。──そうだね、ヒントを上げるとすればレイ・マドリー、レヴィアー・ドルトムント、マンチェスターFC。この三チームの試合をよく見ておくといい」
そう言って微笑むヨアヒム。さながらゼミ生に課題を出す教授のような顔つきだ。
(速く知りたければ自分で察しろってことか)
鷲介は頷きながら上等だと心中で呟く。
「先に言っておくが君は私が作るチームの中核の一つとなってもらう。リーグ戦にカップ戦、そしてCLもある身で大変だとは思うが遠慮はしない。
先程も言ったが体のメンテナンスは細心の注意を払ってくれたまえ」
笑顔で厳しいことを言うヨアヒム。言葉にこそしないが彼は『安易な怪我はするな』と言っているのだ。
頷く鷲介。そして小さく息を呑むと、わずかに身を乗り出して口を開く。
「……監督、一つお尋ねしたいことがあります」
「何かね?」
「会見で言っていたこと、全て本気ですか」
視線を鋭くして鷲介が問う。はっきり公言こそしなかったものの、目の前の老将はW杯優勝を目標にすると言ったのだ。
こちらが本気で聞いていることが分かったのか、ヨアヒムは温厚な気配を消して言う。
「もちろん。──ああいう場で嘘偽りを言う趣味は私にはないよ」
ヨアヒムの態度とその言葉に鷲介は一瞬、気圧される。笑みこそ変わらず浮かべているものの彼が放った圧はトーマスやジークが時に放つそれに酷似している。幾多の修羅場を潜り抜け勝利してきた監督、トップレベルの選手が持つプレッシャーに。
「それでは失礼するよ。明日のヴォルフFCとの試合、楽しみに見させてもらうよ」
再び好々爺の雰囲気となったヨアヒムはそう言って新村と共に鷲介の家から去って行った。
間をおかずマルクスも仕事があると言って帰っていくのを見送り、鷲介は自室に戻ると着替えPCを開きネットにつなぐ。先程ヨアヒムが言っていた三チームの試合をネットで探し、片っ端から目を通す。
風呂と食事、リーザと戯れる以外の時間全てをそれに費やし、就寝時間となったところでPCを閉じ、呟く。
「──うん、わからん」
椅子にもたれかかり、天を仰ぐ。三チームが憎らしいぐらい強いことはわかったが監督が言いたかったのは間違いなくそれではない。
システムや戦術など、三チームの共通点らしきものも見つからなかった。これはやはり鷲介の戦術眼がまだ未熟と言う事なのだろうか。
そう思い反骨心がもたげてきて、再びPCの電源をつけようとするが、明日が復帰試合と言うこともあって手を止め、大人しくベットに入る。
「答え合わせは三月かなぁ……」
次の代表取集──W杯最終予選の時期を呟き、鷲介は目を閉じるのだった。
リーグ戦 9試合 9ゴール3アシスト
カップ戦 1試合 1ゴール1アシスト
CL 3試合 4ゴール0アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト