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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第二部
63/196

衝撃の日

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「さて、今からW杯最終予選。日本対イラクの試合が行われるわけだが、フランツ君はこの試合、どう見るかな?」

「やっぱりイラクのツートップを押さえられるかが鍵となるでしょーね。どちらも欧州五大リーグ所属、それもレギュラークラスの選手。

 同じFWとしてジークはどう思う?」

「イングランドリーグのウルヴァーハンプトンFCに所属するアリー・イスマエル選手はパワー型FWで競り合いやヘディングに強くキープ力がある。相方のドゥルガム・カラフ選手はイタリアリーグ、カリアリCCに所属。鷲介と同じスピードとドリブルを武器としている。

 そしてどちらも個人技に長けており一人で打開できるプレイヤー。精度のあるロングシュートも撃ってくる。人数と組織で守っている日本にとってはどちらも厄介極まりないですね」

「なるほどー。さて鷲介、そんなイラクを迎え撃つ日本代表の顔ぶれはどうよ」

「その前に父よ、一ついいかな。──何でフランツさんとジークさんが家にいる上、すでに片手にビールジョッキを握って出来上がっているんだ……?」


 上機嫌な父親に半目で突っ込む鷲介。そして同僚二人は空也が手際よく調理したウインナーなどつまめる料理を口に運びながらジョッキを片手にしている。


「お前も知っているだろう。二人は復帰直後ということもあって今回のW杯欧州予選のメンバーには選ばれなかった。

 だから『暇があるなら日本戦を家で観戦しませんか?』と誘った。今日は俺も休みだったしな。ただそれだけだが?」

「何故ビールを片手にしているのかが疑問なんだが?」

「馬鹿だなー息子よ。ビール片手にサッカー観戦は常識だぞ? Jリーグの試合会場でもよくある光景だろう。ビールの本場ドイツでそれがないとか天地がひっくり返ってもあり得ないぞ?」

「…………。もういい」

「うむ、納得したようで何よりだ。さぁ、お前もビールを片手に試合を見よう」

「誰が飲むか!」


 思わず声を荒げる鷲介。今日行われる試合は呑気にビールを飲んで観戦と言う軽いものではない。

 W杯アジア最終予選第五戦、日本対イラク。勝ち点七で三位と言う日本に対しイラクは韓国以外には勝っており勝ち点九で二位。

 この試合と他会場の結果次第では四位転落すらもあり得る。W杯に行くために、絶対に負けられない試合なのだ。


「まぁまぁ鷲介、落ち着けよ。イラクは難敵だが日本が本来の実力を出せれば負ける相手でもないだろ」

「日本のスターティングイレブンはほぼベストメンバー。新しい顔ぶれは負傷し呼ばれなかった小野の代わりに出場している鷲介と同じ年の中神ぐらいか」

「最近バルセロナ・リベルタのセカンドチームで活躍している彼か! ちょっと調べたが結構いい選手だ。順調に成長すれば数年後にはバルセロナ・リベルタのトップチームに上がれるんじゃないか?」


 和気藹々とした様子で話す先輩二人に鷲介は無言で半目を向ける。酒だけではない。この上機嫌振りは先日のW杯欧州予選でドイツが勝ったことも一因なのだろう。

 鷲介は改めて日本代表のスタメンを確認する。システムはいつもと同じ4-4-2。GK川上、DFは右から田仲、秋葉、井口、直康といういつもの顔ぶれ。

 中盤ダブルボランチはDFと同じく常連の瀬川、高城。前二枚は右に柿崎と左にジークが言った通り中神だ。

 そしてツートップは堂本、そして鷲介と同じく今季ドイツリーグで好調を維持している鹿島だ。今季ドイツリーグにて全試合スタメン出場しており3ゴール3アシストという結果を残している。


(それに比べて堂本さんは……)


 所属するバエティーカFCに出場はしているが、おおむね評価は良くない。終盤や途中出場も多い。リーグ開始前の親善試合やカップ戦でゴールは決めているがリーグでは未だノーゴールだ。

 試合映像を見た鷲介としては動きやコンディションは良いように思える。だがプレイの選択の多くが失敗しているように見える。パスするべきところでドリブルしたりシュートが撃てないところで強引にシュートに行ったりなど。

 堂本のスタメン起用にさすがに日本メディアやサポーターからも疑問の声が上がっている。Jリーグで好調な沢村や九条、鹿島などを鷲介と組ませるべきではないかと。

 だがメディアからそのような問いをされるたび、監督は堂本を庇うような発言をする。調子は悪くない。結果が出ないだけ。ここぞと言うときはやってくれると言ったようなことも付け加えて。


(本調子の堂本さんならともかく、なぁ)


 前回のW杯最終予選、そして本戦の時の堂本ならばなんとか納得できた言葉ではある。だが今の彼を見て頷く人間が一体どれだけいるのか。


「さぁ、絶対に負けられない試合の始まりだー」


 呑気に父親が言うのと同時、テレビから試合開始の笛の音が聞こえてくる。

 ホームでありチーム力では上な日本が攻め、イラクが守りながらカウンターを仕掛けると鷲介が試合内容を予想していた矢先だ。開始三分、いきなり日本が先制する。

 川上まで下がったボールが大きく前に蹴りだされ、それを堂本が競り勝ち中神に渡る。スペイン二部で活躍している天才はワントラップした次の瞬間、即座にボールを前に蹴りだす。

 DFの頭上を越えるボールに反応したのは中神の先輩である鹿島だ。ギリギリ裏に抜け出した彼はボールに追いつくとループシュートを放つ。それは飛びだしてきていたGKの上を見事に超えてゴールネットを優しく揺らした。


「おお、元鹿嶋二人のホットラインによるいきなりのゴールだ」

「動き出しも良かったが今のループ、GKの位置をしっかり把握した上でのものだろう。やるな」

「中神のパスも絶妙だったな! 速すぎず遅すぎず、そして精度が高くFWが受けやすいボール。”天才”と言う呼称も納得のパスだ」


 抱き合う中神と鹿島がテレビに映る中、コメントする大人三人。

 先取、そしてホームと言うこともあり予想した通り、日本は勢いに乗る。前に出てはボールを左右に散らしイラクの面々を翻弄する。

 そしてその中心となっているのはもちろん中神だ。彼独特のリズムによるドリブルやパスで日本の攻撃を巧みに指揮している。

 本来彼のポジションには日本代表のエースであり彼の従兄でもある小野がいるはずだが、その小野は数週間前のイングランドリーグで負傷してしまっていた。軽度の捻挫だとメディアから報道されていたがその後リーグ、カップ戦、CLどの試合にもベンチ外となっていた。


(小野さんを壊されないよう、所属クラブが守ったのかね)


 鷲介がそう思うのには理由がある。前回のアジアカップのことだ。大会直前のリーグ戦で小野は負傷した。だが軽度であり代表合流後の練習でも軽快な動きを見せていたためさして問題視はされなかった。

 だが世界一過酷と言われるイングランドリーグで何年も戦っていた小野。日本代表の試合にも必ずと言っていいほど召集されていたエースの体に少しずつ蓄積されていた──普段の休養では回復しない小さな、しかし重くヘドロのように粘っこい──疲労がとうとう爆発したのか大会中に負傷していた傷が悪化、さらに大会後クラブに戻った小野は負傷を含めた複数の問題点が見つかり、なんと二ヶ月あまりクラブから離れる事態となってしまった。

 小野の帰還状態を知ったウーリッジは当然のことながら大激怒。日本サッカー協会はクラブへの謝罪と交渉で当分の間、親善試合に小野を招集しないと言うことで話は終結した。そしてそれ以降日本代表のメディカルスタッフの人員が以前よりも増えたのだと言う。

 ちなみに鷲介は負傷した後から今まで小野と幾度か連絡を取り合っている。彼曰く代表ウィーク後は無事練習復帰できるとのことだそうだ。


「おっ、チャンスだ!」


 そう言って空也が体を揺らす。彼の言うとおり前半二十分近く、ドリブルでイラク代表を一枚はがした中神がスペースのある左サイドへパスを出し、それをオーバーラップしていた直康が足元に収める。


「ハンブルク・フェアアインの大文字か! 彼のクロスは中々だぞ!」


 機嫌よく言うフランツ。ボールを収めた直康はそのまま中へ向かっていく。ペナルティエリア近くまで上がってきた直康へイラクDFたちが寄っていくが、直康はフェイントでDFを翻弄、マークをずらして隙を作るとセンタリングを上げる。

 イラクゴール前に上がったボールに飛びつくのは先制点を挙げた鹿島だ。放たれるヘディングシュートはゴール左に向かうとポストに当たり跳ね返る。

 その跳ね返ったボールに真っ先に反応したのは堂本だ。前にDFがいるにもかかわらず強引にシュートを放つ。彼のグラウンダーシュートはDFの右足の横を通り過ぎゴール左へ向かう。二点目かと鷲介は思ったがそのボールはGKが伸ばした足が防いでしまう。


「あー凌がれたか―」


 ボールをイラクの選手が拾ったのを見て空也は残念そうな声を上げる。しかしそのイラク選手の所へ高城が猛ダッシュし、前に蹴りだされたボールに背中を向けて跳ね返す。

 高城の背中に当たりこぼれたボールを拾うのは上がっていた瀬川だ。そして瀬川は間をおかずミドルシュートを撃つ。ペナルティエリア外、二十四、五メートルはあろうかと言う距離から放たれたシュートは弾丸のような勢いでゴール上部に突き刺さった。


「入った!」

「よしっ!」


 歓声を上げる父と同時、鷲介もガッツポーズをしてソファーから腰を上げる。

 強襲するような瀬川のミドルシュート。基本頭脳的プレーで守備的なプレーをすることが多い瀬川だがこのような武器も持っている。ちなみに今季のリーグ開幕戦、これに似たミドルシュートでゴールを決めていたりもする。

 追加点が入りさらに勢いづく日本。面白いようにボールを回してはシュートを撃ちまくる。イラクを圧倒しアジア最高のツートップと呼ばれる二人も前線でボールを持てず、ボールを持ったとしても守備に追われフォローが遅い味方のため、ボールを前に運べない。

 そしてそんな時間が続き前半が終了する。


「ホームとはいえ思った以上の一方的な展開になったな。まぁあれだけ攻めておいて二点しか取れなかったのが気にはなるが……」

「だがジークよ、この状況はイラクが一点返すぐらいのことが起こらないと変わりそうにないぞ。

 そして今日の日本の守りは硬い。そう簡単に点は取れないだろう」

「そのイラクのツートップも前半はいいところがほとんどなかったですからね。この試合は流石に負けは無いだろうな!」


 そう言って立ち上がり、キッチンに向かう空也。どうやらハーフタイムの間につまみを用意するようだ。

 鷲介が前半のハイライトを見ている最中戻ってきた空也。予想通り大きな皿に新たなソーセージや何やらが並べられている。

 そしてもう片方の手にはビールが注がれたジョッキがあり、それを鷲介の目の前に置く。


「この状況なら気を抜いて試合を見れるだろう。と言うわけでお前も飲め! 食え!」


 そう言う父に鷲介は半目を向けるも小さく息をついてキンキンに冷えたビールを喉に流し込む。

 相変わらずの苦みを感じるビールだが、それ以上にその冷たさに心地よさを覚える。どうやら思った以上に緊張していたらしく、喉がからからに乾いていたようだ。

 瞬く間にジョッキを空にする鷲介。つまみも数点口にしジーク達とのんびり話しているうちに後半はスタートする。

 両チームとも選手交代は無く試合状況も変わらない。攻めて圧倒する日本にカウンターもままならないほど守備に奔走するイラクと言う構図だ。


「ああ惜しい。もうちょっと左に寄っていれば入ったのに」

「今のシュートで後半何本目のシュートでしたっけ?」

「確か八、九本目ぐらいだったような……」


 試合観戦、と言うよりももはや宴会に近い、まったりとした空気になるリビング。中神がピッチから下がり、後半二十五分と言う時間を確認した鷲介もビールを飲み過ぎたのか尿意を感じたため席を立つ。


(とりあえずこの試合は勝って二位浮上か。韓国もシンガポール相手に負けるのは考えられないし一位通過するためには日本が残り試合勝ち続けるしかないか……)


 そんなことを思いながらトイレから出てリビングに戻っていた時だ。大人三人の驚きと悲鳴が入り混じった声が聞こえてくる。

 何事かと思い戻ると試合状況に変化があった。スコアが2-1となっていたのだ。


「おお、鷲介戻ったか! 見ての通り一点返されたぞ」

「何があったんですか」


 鷲介が問うとフランツは言う。鷲介がトイレに向かってすぐのことだ、イラクのカウンターが炸裂、前に出ていた日本DFの裏にボールが出てカラフが自慢のスピードでそれに追いついて日本ゴールに強襲。残っていた井口と秋葉を強引にかわしてシュートを放ち一点返したのだと言う。


「ちなみにこれがイラクの後半始まってからの最初のシュートだ!」


 フランツの言葉を聞きながら鷲介は今のリプレイを見る。カラフのゴールは鷲介も良くやるスピードを生かした個人技による突破。自分よりも荒削りでありスピードもない。だがその姿からは執念のようなものが感じられた。

 一点返したことでイラクの雰囲気が一変する。一気に二枚交代しては攻撃に長けた選手を投入、前に出てくる。

 そしてそのあまりにもはっきりとした変わりようにピッチに立つ日本イレブンは大いに戸惑い、動きに乱れが生じる。


「おいおい、もしかしてこれはここから二点入れられて逆転負けなんて落ちにはならないよな」

「さすがにそんなことはあり得ませんよ。どんなドラマですか」


 フランツの冗談めかした言葉に鷲介は鼻息荒く言い返す。さすがにそこまで脆いとは思っていない。

 そして鷲介の予期した通り日本代表はイラクに追加点を許さない。豹変したイラクに最初こそ戸惑っていたが時間が経過するとともに徐々に落ち着きを取り戻す。後半終盤と言う時間帯と言うこともあって以前のような圧倒した攻めは見られないがそれでも再びイラクゴールを脅かし始める。

 だがイラクも以前のように守りに入らず積極的に前に出ては攻撃へ転じてくる。特にイラクのツートップ二人は今まで大人しくさせられ溜まった鬱憤を晴らすかのようにピッチを走り回る。

 だがそれもゴールと言う結果に結びつかないまま時間は後半四十分となる。監督も逃げ切ることにしたのか疲労が見えていた瀬川に代わり稲垣、柿崎に代わって吉野という守備的選手二枚を投入する。


(何とかこのまま終わりそうだな)


 鷲介がそう心中で安堵したその時だ、交代直後のスローインのボールを収めたイラクの選手が縦パスを放つ。田仲の後ろ──日本の右サイドに飛んだボールへカラフが持ち前のスピードで疾走し収めるが、すぐさま戻った田仲がチェックに行く。

 しかしカラフは振り返りもせず踵でバックパス。そのボールを先程交代で入った選手が駆け寄るとダイレクトで一気に日本ゴール前にセンタリングを上げてきた。

 弧を描いて曲がるボールに反応しているのは井口、そしてイスマエルだ。


(マークが外れている。だが……!)


 ゴールは無いと鷲介は思う。井口のマークを外したイスマイルだが彼はゴールへ背中を向けている。また後ろに井口、右には秋葉がいる上、ゴール前では川上が待ち構えている。

 この場面、考えられる選択肢はボールを収めてからの反転してのシュートか、上がってきた味方へのパスだろう。だが前者は井口たちが近くにいる上今の時間帯のイスマイルのキレの無い動きでは不可能だ。後者、上がってきている味方はいるが先程交代したばかりの稲垣をはじめ中盤の面々が前に来たイラク選手たちをしっかりとチェックしている。

 となればシュート圏内にいない味方へのパスだろう。そう思ったその時だ、飛んできたボールに対し、イスマイルは少し身をかがめる。


(ん?)


 そして鷲介が眉をひそめたその時だ、何とイスマイルはバックヘッドシュートを放った。秋葉の頭を超えて飛んだボールはゴールに向かい、サイドネットに収まってしまった。


「嘘だろ!?」


 絶叫する鷲介。だがTV画面の向こうでは主審がゴールを認めており、イスマイルを囲み狂喜するイラクイレブンと同点弾に項垂れる日本代表の姿が映っている。


「おいおい、追いつかれちまったぞ」

「ええ……」


 驚き、そして少し遠慮するような様子のドイツ代表二人。画面の向こうで試合が再開されるが、鷲介は腰を下ろすことなく画面を凝視する。


(何だこの流れ。凄く、いやな感じだ)


 なんとなく鷲介は思う。そして思い浮かぶのは試合を見ていて幾度か見た終了間近、ロスタイムでの逆転劇だ。

 どうやら引き分けで済ませるべきだと指示が降ったのか、前に出ず消極的にボールを回す日本。そして同点に追いついたイラクイレブンはその勢いのまま全員が走りボールを追いかける。

 そしてそれが功を奏したのか、堂本がトラップミスをしたボールを拾ってしまう。そして前に出るイラクイレブン。

 メソポタミアのライオンというニックネームを持つイラク代表。その名前のように日本代表へ襲いかかってくる。

 未だ同点弾の衝撃が残っているためか、またイラクのこの試合の初めての全員攻撃に戸惑ったのか反応が遅れる日本代表。そしてイラクは速く、そしてシンプルにパスを繋ぎあっという間にボールは最前線、日本のペナルティエリア直前にいるイスマイルへと渡る。


「守りきれっ!」


 鷲介がそう言うのと同時、イスマエルは左にパスを出し反転して前を向く。

 そのパスに走ってきたのはサラムだ。彼はダイレクトで前を塞いでいた秋葉の裏にボールを蹴る。ゴール右に流れたボールにイスマエルが走りこむ。

 だがその動きに井口もすぐさま反応して前を塞ぐ。川上もゴールへ体を寄せる。しかしイスマエルはサラムのパスをダイレクトでシュートした。

 少しの迷いも躊躇もない、ゴールが見えたら撃つと言った感じのイスマエルのシュートはゴール右上部へ飛び、井口の顔面の横を通り過ぎる。川上が左手を伸ばすがシュートの勢いは強く、川上のキーパーグローブを弾いて白と黒の球体は日本のゴールに叩き込まれた。入ってしまった。


「──」


 TVの向こうで見た光景に鷲介も誰も声を発しない。ロスタイム、そしてあと数十秒で試合終了という場面での悪夢のような逆転弾にリビングにいる全ての人間は凍りつく。

 2-3という逆転のスコアが表示され、コメンテーターが何やら言っている中、試合終了の笛が吹かれる。W杯アジア最終予選第五戦は2-3、しかも二点リードからの大逆転負けという、これ以上ない最悪の結果となってしまった。






◆◆◆◆◆







「…………。はぁ……」


 橋の上で大きくため息をつく鷲介。気がつけばここにいた。冷たい風が吹き、思わず体を震わせる。

 今気が付いたが11月と言う季節に似合わない薄着だ。どうやら着のみ着のままでここまで来てしまったようだ。脳裏には少し出かけてくると言った自分と、躊躇いがちながらも遠出はするなと忠告してくれたジークとフランツの声が残っている。


(最悪の結果になったな……)


 口に出すのも嫌なので心の中で鷲介は呟く。同時に行われたアジア最終予選グループAの他の試合。韓国対シンガポールは想定通り韓国の完勝で終わり、オマーン対ウズベキスタンは引き分け。

 この結果で日本は何とか三位のままだが喜べることではない。五試合終了時点で全勝の韓国とは勝ち点八、そして負けたイラクとの勝ち点は五も離されてしまったからだ。


(絶望的過ぎる……)


 残り五試合残ってはいるが仮に全勝したとしても最終勝ち点は19。仮に韓国、イラクが日本以外に全勝した場合、韓国は27、イラクは24。順位は変わらないのだ。

 三位でもW杯に出れないと言うわけでもない。しかし道のりは非常に厳しい。まずアジア最終予選Bグループの三位との戦いを潜り抜け、さらに中北米カリブ海予選を潜り抜けたチームと戦わなければならないのだ。


(俺がいればあんな結果にはなっていなかった……)


 鷲介のいない日本代表の攻撃に押されていたイラクだ。仮に今日の試合と同じ失点をしていても鷲介がいたのであればそれ以上のゴールをとれていただろう。

 フランスW杯より続いた日本代表の連続出場記録。まさか自分が初参加した最終予選で途切れるかもしれないとは──


「肩を落して、どうしたのかね」


 いきなり日本語で言われ、鷲介は顔を上げる。するとすぐ隣に厳めしい顔をした初老の男性が立っていた。

 皺だらけの顔に白髪だが姿勢はピシッとしており視線にも力がある。顔立ちから見て日本人のようだが──


「あ、いえ。その。……さっき見たサッカーの代表戦で日本が負けたのを見て、落ち込んでいたところです」

「ああ。そういえば今日だったな。負けたのか。これで確かに二勝一分け二敗だった……かな」


 特に興味のないそぶりを見せる男性。サッカーに疎いのか鷲介のことも知らないようだ。


「しかしだからと言ってそこまで落ち込むこともあるまいて。確か残り試合すべてに勝てば、W杯に出場できるのだろう?」

「残念ですが韓国、イラクが日本以外に勝てば三位で四次予選に挑むことになります」

「だがそれも勝ち続ければW杯へ行けるのだろう? ならばそこまで落ち込む必要はないと思うがね。それにその二か国とて全勝すると決まったわけでもないのだから」


 淡々と事実のみを言う男性に鷲介は苛立ち、睨みつける。


「簡単に言いますけどね、それができれば日本代表は今こうして苦労していませんよ」

「だがそうするしかないのであれば、そうするべきだろう。──それとも応援をやめ、白旗を上げるかね。試合放棄するかね」

「そんなことは誰も言っていない!」


 揶揄するように言う老人にかっとなって叫ぶ鷲介。

 八つ当たりのような物言いに気づき謝罪しようとするが、鷲介はハッとする。眼前の老人はどういうことか、なぜか満足げに微笑んでいたからだ。


「ならばそうするといい。茨の道だろうが可能性が残っているならばそれにかけて走り続けるべきだろう。──後悔は全てが終わった後、すればいいのだから」


 何故か妙に実感のこもったことを言う老人。そう言って立ち去っていくのを鷲介は唖然として見送り、彼の背が人ごみに紛れたところで、ふと呟く。


「あの爺さん。なんだったんだ……?」


 良く考えれば奇妙な老人だ。年齢にそぐわない冷静さと凄みを持っていた。というか彼の雰囲気は監督やコーチなど、元サッカー経験者──それも代表や欧州のビッククラブに所属していた往年の選手に近いものだった。

 本当、何者だったのか──。そう思う鷲介だが強く冷たい風が吹いてきて、体を震わせる。


「と、とにかく家に帰ろう……」


 怪我に加えて風邪をひくなどしたらシャレにならない。寒さに震えながらも足に負担を駆けないようゆっくり歩きながら家に帰る。

 そして帰宅しリビングに入ったその時だ、こちらに気づいたフランツとジークが振り向き、二人同時に駆け寄ってくる。


「どこ行っていたんだ鷲介! 携帯も持っていかないから連絡がつかなかっただろうが!」

「足の痛みは大丈夫か! そんな薄着で出て風邪は引いていないだろうな!」

「す、すみません。うっかりしていました。足の方は大丈夫です。

 ところでそんなに興奮して、一体どうしたんですか」


 興奮した様子で詰め寄ってくる二人に押されながら鷲介は言う。

 するとフランツは自宅にあるタブレットを手で叩き、言う。


「ああ、そうだった! 大ニュースだ! つい先ほど日本代表の監督が解任された」

「しかもその後任があのヨアヒム・マイヤーさんと言う話だ」

「は、はぁ。ヨアヒム・マイヤー……ですか」


 聞き覚えのない名前に鷲介がそう言うと、どうしたことか二人はなぜか眉をつり上げてこちらに詰め寄ってくる。


「ヨアヒム監督を知らんのか鷲介ー!」

「サッカー選手、監督としてもドイツ代表、そしてRバイエルンのレジェンドと言うべき人だぞ……!」

「ああもう、少しは落ち着いてくださいよ!」


 胸ぐらをつかみ上げんばかりの二人へ鷲介もたまらず言い返す。そこへ今までどこにいたのか父親が割って入り、鷲介たちをリビングのソファーに促す。

 そしてキッチンから持ってきた水──興奮を冷やすためだろうか──の入ったコップを三者の手元に置く。

 三人同時に、コップに入った冷たい水を一気に飲み干す。渇いた喉が冷たい水で癒され潤う。


「全く不勉強だぞ鷲介。仕方ない、教えてやろう」


 同じく冷水で幾分か落ち着いたのかフランツが言う。そしてジークと二人で語る新たな日本代表監督の経歴。それを聞き終えた鷲介は一言、言う。


「そんなドイツどころかサッカー界のレジェンドと言うべき人がなぜ日本代表監督になるんでしょうか……?」

「それは俺たちが何よりも知りたいことだ! ドイツメディアでも大騒ぎになっているぞ!」


 タブレットを再び叩くフランツ。空也が壊したら弁償してくださいねと小さく突っ込むのを見ながら鷲介は今聞いたヨアヒムの経歴を反芻する。

 ヨアヒム・マイヤー。元プロサッカー選手でプロデビューしたのはRバイエルン。それも鷲介、ジークと同じ17歳でもトップチームデビューだ。

 当時のプロ選手としては非常に珍しく他国を渡り歩いた人でありイングランドのマンチェスターFC、スペインのバルセロナ・リベルタ、イタリアのローマ・ルーポFCに移籍してはそのチームに一度はリーグ優勝をもたらしている。そしてCL制覇も三回経験している。そしてもちろんだがドイツ代表にも選出されておりドイツの三回目のW杯優勝メンバーの主要メンバーでもあった。

 だが彼の驚くべき経緯はそれだけにとどまらない。引退後ヨアヒムは驚くべき速さで監督ライセンスを獲得すると育ったRバイエルンの監督に就任、リーグ四連覇と監督としてもCL制覇と言う偉業を成し遂げた。そしてその後自国ドイツ代表監督にも選ばれEURO優勝、そしてドイツの四度目の世界制覇監督にもなったのだ。

 

(選手、監督としてもあらゆる栄光をつかんだ人……。ますます日本代表監督に就任する意味が分からないな)


 ヨアヒムと日本が全くの無関係とは言わない。彼が引退時、所属していたクラブはなんとJリーグ、それもテツが所属している東京エストレヤなのだ。当時弱小だったエストレヤの強豪にいたる礎を築いた人物とされており、今現在も時折エストレヤを訪れているという。

 またもう一つ、初めてW杯に出場した日本代表、その当時のエースであった奥倉邦夫が所属していたローマ・ルーポFCでは同時期に移籍してきており、仲が良かったのだと言う。

 だとしてもだ、やはりいきなり監督業に復帰した──それも日本代表に──理由はわからない。一体どういうことなのか──


(なんというか、大変な一日だな。今日は……)


 敗北によりW杯本戦への道が非常に厳しくなったかと思えば時をおかずしてサッカー界のレジェンドと言うべき人物が新日本代表監督に就任。

 遠く離れている自分でさえ混乱しているのだ。現場や敗戦直後の代表イレブンは一体どうなっているのやら。


「就任会見は明日の早朝八時か! 何としても見なければ!」


 フランツの叫ぶような声を聞きながら鷲介は改めてタブレットに映っている新たな代表監督の顔を見る。

 そしてふと思う、どこかで見た顔だと。だがすぐに気のせいだと思う。このような顔つきのドイツ人は周りに幾らでもいる。


「最終予選中の監督交代……。一体どうなるんだろう」


 楽勝だと思っていたアジア最終予選。それが半分終わってまさか敗退の危機にさらされるとは。

 アジア最終予選は楽じゃない。いつか直康か誰かが言っていた言葉が鷲介の脳裏に響くのだった。






◆◆◆◆◆







「いきのいい若者だったな。かつての自分を思い出す。……いや、昔の自分はもう少し冷静だったかね」


 カフェのテーブルに腰をおろし、つい先ほど別れた柳鷲介の表情を思いだして奥倉邦夫おくくらくにおは笑みを浮かべる。あれだけの覇気があるのなら監督──ヨアヒムがしっかりと導いてやれば十分な実力をピッチで発揮するだろう。

 注文を済ませた後、邦夫はスマホを取り出すと電話を掛ける。だが先程の敗戦と新たな監督就任で忙しいのか相手は出ない。已むを得ずLINEでメッセージを送っておく。


「あの時──俺のいた日本代表が初めてW杯に出場した時のアジア最終予選も似たような状況だったな。さて、当代の代表はどうなるか……」


 柳鷲介と言う日本史上最高の選手を擁しながらも予選で消えるのか。それともあの夢の舞台へ駆けあがっていくのか。

 久方ぶりにW杯最終予選が楽しみでしょうがない邦夫だった。






リーグ戦 9試合 9ゴール3アシスト

カップ戦 1試合 1ゴール1アシスト

CL 3試合 4ゴール0アシスト

代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト

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