指摘
「やあやあ、みんなのキャプテンフランツ・ヴァレンシュタインが、今日からチーム練習に復帰するぞ!」
「見りゃあわかるってーの」
隣でぼそりと呟くエリック。子供のように溌剌とした表情のフランツを見て鷲介は苦笑する。
「最近チームの様子がよくないが俺が復帰するからにはもう大丈夫だ! チームをバシッと締めていくのでみんなよろしく頼むな!」
カップ戦を明日に控えた今日、バイエルンアカデミーのトップチーム練習場にフランツの明るい声が響く。
相も変わらず脳天気で無駄に自信があふれた態度のフランツ。しかし過去、幾度も彼にチームが救われたことを皆知っているためか、安堵の空気が選手の間に漂う。
ウォーミングアップを初めとする練習を普段通りにこなすフランツ。そしてそれは紅白戦でも変わらない。
「鷲介!」
復帰したばかりだと言うのにフランツから正確かつ受け取りやすいボールが来る。体の動きも軽快で味方へのコーチングも以前よりさらに正確になっている感じもする。
(この調子だと明日の試合にも出られるんじゃないのか?)
地元メディアではベンチ入りするか? などと言う記事も上がっていた──もちろん鷲介は信じていなかった──がほとんど万全の時と変わらない動きのフランツを見て、そう思う。
(ジャックさんはもうちょっとかかるとしてもジークさんも来週復帰する予定。うん、ようやく欠けていたチームのピースが埋まりそうだ)
万全となったロート・バイエルンを思い、鷲介はニマニマする。
そんな時、ドミニクを強引に突破したフランツから鋭いボールが鷲介の元へやってくる。収めドリブルを仕掛ける鷲介の前にルーベルトとジャックが立ち塞がる。
その二人を緩急のフェイントとまた抜きであっさりと突破する鷲介。その後も彼らを圧倒し続ける。
「ナイスゴールだ!」
ドリブル突破からゴールネットを揺らした鷲介にフランツがサムズアップする。
鷲介はそれに応えながらも、あまりにも自分に圧倒され続けているDF陣にイライラする。サブとはいえRバイエルンのトップチーム所属、アンダーや元代表ばかりだと言うのにあまりにも不甲斐なさ過ぎはしないか。
(最近の試合といい今日といい、やる気あるのか)
再びボールが鷲介に入る。アレックスとのワンツーでルーベルトをかわし、中途半端に飛びだしてきたジャックをスピードで振り切る。そして穴だらけのポジショニングを取っているエトウィンにループシュートを放ち、再びボールがネットに収まる。
「おお、鷲介にしては珍しいループシュート! この間の試合で感覚をつかんだか!」
「いえ、ただ単にDFが隙だらけだっただけです。──これじゃあ練習になりません」
漏れた本音にエトウィン達の表情が強張り、幾人かはこちらを睨んでくる。
だが鷲介も負けじと睨み返す。と、そこへフランツが鷲介の首に腕を回し頭をぐちゃぐちゃに撫で上げる。
「フ、フランツさん。髪が」
「おいおい鷲介、それは言い過ぎだぞ~?」
「い、言い過ぎ? これでも控えめに言っているんです。今日の紅白戦もですが最近の試合のDFの不甲斐なさは目に余りますよ。
この間のハンブルク・フェアアインとの試合後、DFの面々は酷評の嵐だったじゃないですか」
ハンブルクFに初敗北をもたらしたあの試合。大手、地元メディア共に鷲介たち攻撃陣は軒並み高評価だったのに比べ、クルトたちを含めたDF陣は低評価だった。
一昨年引退し、現チームメイトをよく知っているフィリップもツィッターで『DFの面々は全員セカンドチームに一度落ちるべきだ』などと痛烈なコメントをしたほどだ。
「ま、鷲介の言うとおりだな。俺としても最近手応えが無いと感じてはいる。
最近トップに上がった連中もだがベテランも同じぐらい不甲斐ない。もうちょっと真剣にやってもらわないとこっちまで調子が狂うぜ」
肩をすくめて言うのはエリックだ。鷲介同様、彼も幾分かいらついている様子がうかがえる。
FW陣とDF陣の間に漂う不穏な空気。しかし両者の間に割って入ったフランツを筆頭とする中盤のメンバーたちが何とか振り払う。
すっきりとしない気分のまま練習は終わり帰宅する鷲介。そして家事を手伝ったりリーザと遊ぶ合間、そして夜にクラブより借りてきた今季序盤と代表ウィーク後の後の試合の映像を見る。
「……やっぱり。守備の形がよくない」
サッカーにおける守備はまず何よりも形が重要視される。そしてその形だが今季序盤と最近の試合とでは試合中の形があまりにも違いすぎる。例えるなら警備が万全なホテルと、必要最低限の場所にしか警備員がおらず、ところどころに警備の穴があるようなホテルだ。
念のため昨季の試合──ルーベルトたちサブメンバーが出場していた試合もチェックする。予想通りフルメンバーほどではないが、現在に比べると大分ましだ。
「やっぱり要であるクルトさんの不調、ジェフリーさんがいないことが原因か……」
ジャックやビクトルたちが手を抜いていないのは見ていればわかる。しかしジェフリーや本調子のクルトと比べれば劣っていると言わざるを得ない。動き出しやコーチングする場所にずれがあるのだ。
「とはいえ明日の相手は二部。さすがに今までの試合ほど酷くはならないだろう」
ジェフリーたち不動のメンバーに比べても、ルーベルトたちベンチメンバーも個々の能力が決して低いわけではない。要はしっかりとした守備の形を作れればいいのだ。
明日の相手も油断さえしなければ勝てる相手。明日は快勝して最近の悪い流れを断ち切らなければ。そう思い、パソコンの動画ファイルを止める鷲介だった。
◆◆◆◆◆
「インタビューお疲れ!」
「……はい」
控室に戻ってきた鷲介を朗らかな笑顔でフランツが出迎える。しかし鷲介は仏頂面で応じ、足音を立ててビクトルたち今日のDF陣の前に歩いて行き、言う。
「ビクトルさん、クルトさん、ブルーノさん、アンドリーさん。何なんですか、今日の守備は。
相手は二部。それも中位に留まっているレベルの相手。そんな相手に三失点もするなんて何やっているんですか!」
つい先程終了したドイツ杯2回戦、Rバイエルンは勝ったものの結果は4-3の辛勝という散々なものだった。
そして今日の試合も内容も非常に悪かった。前半早々に先制しその後も圧倒するが相手のカウンターで守備の隙を突かれて何と前半で逆転されてしまう。今日はベンチで何かが起こらない限り出場予定はないと言われていた鷲介だが後半途中足を痛め、動きが悪くなっていたアレンと交代して試合に出場した。
後半十五分を過ぎた辺りでピッチに立った鷲介は十分のうちに1ゴール1アシストでチームを逆転させる。しかしその直後のセットプレーのこぼれ球を押し込まれ再び同点。最後は鷲介がペナルティエリアで倒されて得たPKを同じく途中出場のアントニオが決めて何とか逃げ切った。
「今日の今日まで我慢していましたけどもう限界です。もっとしっかりしてください。
いくら俺たちがゴールを決めても守備陣がお粗末な状態だったら意味がないんですよ!」
「そんなことはお前にわざわざ言われなくてもわかってるんだよ……!」
煮えたぎる苛立ちがある瞳を細めてブルーノは鷲介に言う。
他のメンバーも怒り、苛立ちの気配を滲ませるのを見て、今日も味方に散々言われたのだろうと鷲介は察する。
いつもならここで引き下がる鷲介だが、今日は違う。先程も言った通り我慢の限界なのだ。
「わかっている? それであのざまですか。わかっていようが行動できないのならわかっているとは言えないんですよ。
あなたたちならもっとやれるのはわかっている。でも今は全くできていない。その原因をDFラインメンバーで話し合ったりしているんですか、試合中もより細かくコーチングを飛ばしたり相手の動きを見たり工夫しているんですか。今日、ベンチから眺めている間も後半に入ってからもそんな光景は殆どなかったですよ」
改めて現状を口にする鷲介。そしてそれを思いだしますますイライラしてくる。
「俺たちがいるここはただのクラブじゃない。Rバイエルン。ドイツの絶対王者たるクラブです。
たとえ怪我人が、ベンチメンバーが多かろうが、二部や下位クラブ相手にここまでの苦戦なんて許されないんですよ」
「だからお前に言われるまでもなくわかっているって言ってるだろうが!」
「それを行動に示せって言ってるんだ俺は! こんな無様な状態が今日で四試合目だぞ、心の底から本気で改善する気があるのかよ!
今日の試合だって『どうせ二部相手だから楽勝』だって思っていたんだろう。その慢心と油断がこの結果になったんじゃないのか!」
「んだと!」
激怒するブルーノへ鷲介も怒鳴り返す。互いに肩を怒らせて近づくがアントニオにコーチ陣たちが慌てて間に入り体を押さえる。
「鷲介、ブルーノの言うとおり俺たちは常に全力で取り組んでいる。決して手を抜いてなどはいない」
「それで二部相手にリードを許したのか、三失点なのか。そんなの取り組んでいるうちに入らないんだよ!
練習中だってそうだ! 強風でぐらぐら揺らぐような欠陥住宅のような守備をしやがって。練習があのざまで本番でびしっとできるわけないだろ!」
冷静な、しかしどこか硬い声音で言うビクトルへ鷲介は感情のまま叫び返す。
「ドイツ王者として。何よりプロとして、これ以上クラブを落胆させるような、サポーターを苛立たせるような不甲斐ないプレイはするな!
これ以上がたがた言い訳する前にプロとして結果を出せ! Rバイエルンのサッカーをしろよ!」
「てめっ……! 言わせておけば!」
肩を押さえられているブルーノが目を向き、再び鷲介の方へ一歩踏み出す。そして鷲介も体を押さえているアントニオの手を強引に押しのけ前に出ようとする。
が、その両者の間に戻ってきたチームのキャプテンが割って入る。前に進めない。
「はいはーい、ここまでだ。二人とも落ち着こうな、な?」
ぎすぎすした控え室のロッカーに似合わないフランツのいつもの気楽そうな声。
しかし鷲介の胸に当てている手の押す力はとても強い。
「鷲介、言いたいことは十分に分かったがこれ以上はキャプテンとして看過できないぞ。もうやめておけ。
それとDF陣。先程監督と皆から言われたことにさらにスパイスをかけた刺激的な鷲介の言葉だったが、怒るよりも先にそれをよく反芻しろよ。
それと今のお前たちは俺はともかく結果を残している鷲介に何を言われても反論できる立場じゃないことを忘れるなよ。──俺が試合に出ていたら鷲介程度じゃすまなかったぞ」
笑顔から一転、フランツは刺す様な鋭い視線と低い声音をDF陣に向ける。
まるで鬼軍曹のような険しく迫力のあるそれにブルーノを初めとする面々は押し黙り、鷲介も大きく目を見開く。ここまで明確にフランツが怒りを見せたのは初めてだからだ。
しかしその怒りの表情は瞬く間に消える。そしていつもの朗らかな笑顔になるとフランツは鷲介に向き直り、言う。
「さて鷲介。いきなりだが今日はこれから何か予定はあるか? 彼女とのデートとか」
「いえ、別に何もありませんけど……」
「それはよかった。それじゃあ飯でも食いに行こう。何、今日は誘った俺の驕りだ。遠慮なく食べて飲んでいいぞ」
「フランツさん……?」
「さぁ行こうか。着替えて行こう。早速行こう」
そう言って強引に鷲介を誘うフランツ。やや強引だが悪意、敵意がないそれに鷲介は流され、気が付いたら見慣れた店の前に彼と二人で立っていた。
「ここって……」
「そう『呑気な豚』。知っての通りお前の親父さん──空也さんが働いている店だ。
今まで秘密にしていたがこの店は俺の良く来る店の一つでもある」
「そうなんですか? ……親父の奴、そんなことは一言も」
「ははは。俺が黙っておいてくれって頼んだのをしっかりと守ってくれたんだな。さ、とにかく入ろうか」
店内に入る二人。中には満員、というほどではないが結構な客の姿がある。
そして自分たちに気づいた幾人かが驚き、指を指す姿も見える。そんな彼らに対しフランツは慣れた様子で口元に人差し指を当て口チャックのジェスチャーをする。
「マスター、連絡の通り来たぜ」
「おおフランツ。……っておや! 鷲介くんじゃないか!」
「ど、どうも」
カウンターにいた店主が鷲介たちを見て驚く。髭を生やした品の良い四十代の男性だ。
なんでも父の修行時代の友人でありその縁で父を自分の店に招いたとのことだ。
「これは珍しい。おい、キッチンから空也を呼んで来い」
「あ、あの。別にかまわないでください」
「そうそう。あまり騒がしくしないでくれよマスター。さてと、いつもの席は空いてるよな?」
「もちろんだ。鷲介くんもゆっくりしていってくれ」
短い会話をかわし、店の奥にある相席に腰を下ろす鷲介たち。
他の客席より離れており、また周りを壁に囲まれたその一席。まさに内緒話をするのにうってつけという感じの席だ。
「さっきも言ったが今日は俺の驕りだ。遠慮せずガンガン食って飲め」
「いえ車で来ているのでさすがに酒は……」
「気にするな。親父さんと一緒に帰ればいい。店と全く無関係と言うわけでもないし車も一晩ぐらいは止めていてもオッケーだろ。な、マスター?」
「二人のサイン入り色紙でもくれれば全く問題は無いな!」
フランツの大声に負けない店主の声が返ってくる。見ればこちらに笑顔を向けてサムズアップまでしている。
それを見た鷲介の脳裏に『類は友を呼ぶ』と言う単語が浮かび上がる。
「と、いうことだ。なんでも遠慮なく頼め! ちなみにおススメは──」
メニュー表を開くフランツ。鷲介も同じようにメニュー表を手に取り目を通す。
フランツのおすすめ料理と鷲介が気になった料理を注文する。そして待つ間、メニュー表を持ってきたスタッフへ注文した地ビールを飲みながらとりとめのない話をする。
流石チームの主将でありムードメーカーであるフランツ。一見自分だけが愉しそうにしゃべっているように見えてその実、鷲介の話をしっかりと聞いている。またこちらが話しやすいよう話を適度に振ってきている。
(なるほど。Rバイエルンの、ドイツ代表のくせの強い面々が認めるわけだ)
クラブ、そして代表でも主将を務めるフランツ。ジーク達、他のクラブの面々からは強い、頼もしいと言った感じを受けるがフランツはそれに加えて大きい──さながら年季の入った大樹のような懐の深さを感じさせる。
子供のような明るさ、無邪気さを併せ持ちつつ大人としての包容力を持ち周囲をよく見て、纏めている。まさしく主将──天性のまとめ役というべき人だ。
注文したビールやワインを飲み料理を口に運ぶ二人。最初のとりとめのない話から自然と今日の出来事や最近のクラブの様子にお互いの代表のこと、そして個人的なことなどを話し始める。
「そうですか。カールの奴も代表では苦労しているんですね」
「まージークもいるが常連ではトルステンにオリバー、そしてイングランドリーグで好調のヴィルヘルムもいるからなー。
監督はU-20、U-23辺りからも予選では招集する気みたいだし、いくらあいつでもスタメン奪取はそう簡単じゃない──」
「スパイクをアクシスに変えるんですか。フランツさんは長年アディーのを使っていましたよね。何か問題でもあったんですか」
「いやそう言うのは無いけどな。ちょうど今季で契約も切れるし別の会社のスパイクも使ってみようかなーっと思って幾つかの会社のスパイクを試しに履いてみたんだ。
そしたらアクシスの新型が今まで以上にフィットしてな──」
「え!? フランツさんシーズン終了後、結婚されるんですか!?」
「おう! 式には呼ぶから絶対来いよ。
ちなみに出会ったのはジークがドイツリーグで初めて得点王となった年で、その祝いに二人でこの店に来た時だったな。酔った男に駆らわれていたのを助けたのがきっかけで──」
酒に酔ったこともあって鷲介の口も軽くなり会話も弾む。酒に慣れてきたこともあるのか店の地ビールが以前よりもうまく感じられ、次々と飲んでいく。
「ははは。顔が真っ赤だな鷲介。そろそろ限界か?」
「いいえ、まだいけます。飲めますとも。付き合ってくれますよね?」
「わかったわかった。だがその前に軽く水を飲め。ダウンしたら話すことも話せなくなるぞ?」
差し出されたグラスに入った水を一気に飲む鷲介。はぁっと息を吐きだし空のグラスに酒を注いでいると、苦笑まじりにフランツは言う。
「しかしまぁ、思った以上にお前も溜めこんでいたんだなぁ。今日の爆発振りは少し驚いたぞ」
「そうですか? でもしょうがありませんよ。あそこまで言わないとわからない風でしたから」
「そうだな。お前さんはいつもは大人しく文句もほとんど言わない。皆が揉めた時も仲裁に入っていたばかりだったからな。正直、今までトーマスさんから聞いていた話と大分違う奴だと思っていたが、今日ようやく合致したよ。
『基本大人しいが言うべきことははっきり言う』。──うん、監督の言うとおりだった」
何故か嬉しそうなフランツ。
「でだ、最近のDF陣の情けない姿を見て、さすがに失望したか?」
「いえ、さすがにそこまでは。でも……いくらかは幻滅しましたけど。
栄えあるRバイエルンのトップチームの選手が、自国の代表常連メンバーたちが、あんな醜態をさらしているわけですから」
「ははははっ、そうか、そうか! ──それはよかった。お前さんがちゃんとクラブのメンバーを見てくれるようになって一安心だ」
「……え?」
全く予想していなかった言葉に鷲介は一気に酔いがさめるのを感じる。
視線を向ければフランツは顔を赤くさせながらこちらを見る瞳はいつものそれだ。
「以前から薄々思っていたことだ。お前さんはどうも俺達Rバイエルンメンバーを過剰に評価している節があった。
だが今回のチームの不調でようやくしっかりと見るようになったのは個人的に喜ばしいな」
「過剰に評価って……どういうことですか」
「言葉通りの意味だ。お前さんは今まで自分とRバイエルンのメンバーを同列に見ていなかった。特にスタメンのメンバーに対しては明らかに自分より格上だと思っていた」
「それは当然でしょう。というかそれは今もそう思っていますよ」
メンバーのだれもが何年も代表の常連であり長年Rバイエルンと言う世界トップレベルのクラブに在籍しているのだ。そう思うのは当然──
「今季開始前ならそれでよかった。だが今ではそれは正しくは無い。今のお前さんは明らかにスタメンメンバーと遜色がない。
今のチームでお前さんより確実な格上と言えるのはジークを含めて数名だけだ」
真剣な表情となってフランツが言う。欠片の冗談も含まないその言葉に鷲介は面食らい、そして戸惑う。
「それはさすがに過剰な評価ではないでしょうか……」
「過剰でもなんでもない。これは俺のみならず他のチームメイトもそう感じていることだ。今シーズン見せたお前のプレイは幾度もチームを救い、勝利に導いてきた。
あれだけのものを魅せられてお前をベンチメンバー、またはトップチームより下に見る人はサッカーを見る目がない馬鹿だけだ。
そんなお前が今もなお自分を回りより低く見て、そして周囲を持ち上げているのは良くないことだ。それではいつか認識のズレで周りと衝突し、取り返しのつかないことになりかねない。俺はそうなりかけたからな」
苦い笑みを浮かべるフランツ。残っていたワインを飲み干した彼に鷲介は問う。
「そうなりかけたって、どういうことですか」
「ま、俺が今のお前よりちょっと年上だったときのことだ。今ほどじゃないがチームが不調の時があってだな、そのあまりの不甲斐なさにキレたことがあったんだ。
その時の俺は今のお前みたいにチームの過剰な評価と期待をしていてな。そんな俺が爆発して好き放題言ったうえ暴言をかましてしまってなぁ。
それが規律に厳しいあのクライネルト監督の耳に入ったからさぁ大変。それまでスタメンだったのが一転してベンチに格下げされた上、しばらくチームメイトの半数近くと練習以外で口を利かない日々を過ごす羽目となったよ。
とはいえフィリップさんやビクトルさんたちが仲裁に入ってくれたおかげで数ヶ月でスタメンに戻り、チームに再び迎え入れられたけどな」
あのころの俺は若かったなーと呟きながらフランツは料理を口に運び、空になったグラスにワインを注ぐ。
ちなみにフランツの口から出たクライネルトとはRバイエルンOBでありドイツ代表に上り詰めた人だ。選手としても監督としても有能だが規律に厳しく乱す者に対しては誰であろうと容赦なく罰を与える事が有名だ
昨季もそれを主張するような出来事を起こしている。イングランドリーグの強豪ライヴァー・バード・リヴァプールの監督である彼だが所属するエースが昨季三度目の遅刻に激怒し一月ほどベンチ外にすると言う罰を与えた。
エースを欠いたチームは、結果として勝ち点を取りこぼしCL圏外の順位となった。これにベンチ外となったエースからはもちろん選手からも非難の声が上がり、首脳陣からもやりすぎだと指摘された。
だが頑固な気質なのかクライネルト監督は自分の非は一切認めず『自分のやり方は間違っていない。文句があるのならいつでも出て行ってやる』とまで言い放つ始末。サポーターからも退陣が要求されその通りになるかと思ったが結局退陣は無かった。
監督に嫌気がさしたエースが移籍したものの、今季のチームは昨季以上の好調を維持しており現時点で首位と勝ち点差3しか離れていない三位を維持し続けている。
「お前の気持ちはよくわかるよ。Rバイエルンは俺の時も今も欧州でのトップクラスのクラブで自国代表メンバーも多くいる。誰であっても一流以上の手練ればかりだ。
でもいつまでも皆を上に見て頼り切っているわけにはいかない。お前はそれに匹敵する、負けないぐらいの実力があるからこそ彼らと同じ場所にいるのだから。──いいか? 彼らはお前と同じだ」
繰り返される同じという言葉を鷲介は飲み込めない。言葉で言われてはいそうですかと呑み込めるような簡単なものではないからだ。
そんな鷲介の心中を悟ったのか、フランツは乱暴に鷲介の頭を撫でて、言う。
「ま、明日からはそう言う目線で皆を見て行け。そうすれば俺の言っていることもわかってくる。
──ところでだ、今お前さんが絶好調であるように今の彼らは絶不調と言うべき状態だ。特にクルトの奴はな。
さて、ここで一つ問題だ。そんなチームの状態の時、お前さんがチームを助けるにはどうしたらいいと思う?」
「ゴールを決めること、です」
「そうだ。ゴールを、そしてアシストをやってやってやりまくれ。これは極論だがいくら失点しようがそれ以上の得点を取ればどんな試合にも勝てるわけだしな。──あいつらにたっぷりと貸しを作ってやれ」
はははと笑うフランツ。そして彼は真剣な、しかし優しい瞳となって、言う。
「いつか必ずお前さんにも不調の時が来る。その時はきっと他のメンバーがその分頑張ってくれるだろうさ。
だから今はお前さんが頑張れ。もちろん俺も同じように頑張るからな」
そう言って微笑むフランツ。いつもの陽気な、しかし包容力溢れる温かい笑みだ。
「……次の練習時、皆さんに謝らないといけないですね」
「いや、それはやめておけ。あいつらはお前を一人前として認めてはいるが、そういうことをされるとプライドに傷がつく」
「? どういうことですか?」
自分と彼らは同等という先程の言葉と矛盾しているではないか。そう思いながら聞き返すとフランツは少し困ったような表情となり、
「まぁ要するにだ、先輩として年上としての面子の問題ってことだ。選手としてお前さんが自分たちと同等と言うことは理解できても、年の離れた相手に気遣われるっていうのは受け入れがたいもんだ。
仮にお前がジュニアユースの子供たちに心配されたり気遣われたとき、素直にそれに応じるか? 弱みを見せたりするか? しないだろう? つまりはそういうことだ」
彼の言葉に鷲介は素直に頷く。確かに、自分が困っていたり悩み事があったとしても年の離れた年下に話すと言うのは考えにくい。
「まぁ謝罪するにしても『この間は言い過ぎました』程度にしておけ。ああいうぶつかり合いは時折起こるからな。皆もそこまでは引きずらないさ。
──さ、難しい話はこの辺にして、飲み直すとするか!」
◆◆◆◆◆
「すみませんフランツさん。バカ息子がご迷惑を」
完全に酔っ払い、足元もおぼつかない鷲介を肩に担いだ空也がフランツに向けて謝罪する。時間はすでに八時に差し掛かろうと言う閉店直前だ。
「いえいえとんでもない。実に楽しい時間でしたよ。また二人でここに来ますね」
「ええ。その時までにもう少し酒を強くなるよう鍛えておきますよ。──鷲介、帰るぞ」
「おう~~~~……。フランツ、さんも、失礼、します……」
「ああ。またアカデミーでな」
別れの挨拶をして父親と共に去っていく可愛い後輩。それを見送りフランツも店を出て待つこと十分、店の前に一台の車が止まる。
「すみませんビクトルさん。わざわざ迎えに来てもらって」
車から出てきた先輩へフランツは感謝の言葉を述べる。
数時間前鷲介とぶつかり合った元スペイン代表のベテランは特に気にした風もなく言う。
「何、家も近いし気にするな。──で、どうだった?」
「まぁ何かしらの成果はあったでしょう。鷲介は子供ですが馬鹿じゃない。俺のようなへまはしないでしょうね」
そう言うと苦笑するビクトル。あの時のことを思い出したのだろう。
「あいつの今日の言葉、ガツンと来たな。わかっていたつもりだったがいつの間にか理解できていなかったようだ。──長くベンチにいた弊害だろうか」
技術こそスタメンであるクルト、ジェフリーと大差ない彼だがはやはりベテランと言う年齢のためか、フィジカル面では明らかに二人より劣っている。
「引退するならRバイエルンと決めていたが、故郷のバレンシアで最後に目一杯プレーするのも悪くないかもな。
ちょうど今年で契約も切れる。逆オファーでも出してみようか」
「そう思うのは早すぎるのではないですか? ビクトルさんはまだ32歳。衰えはありますが引退するほどでは──」
「”もう”32歳だフランツ。サッカー選手の命は短い。年齢的にいつスパイクを脱いでもおかしくはない」
よどみなく言うビクトル。おそらくはもう引退する時期、そして引退した後のことを大まかに決めているのだろう。
それを聞きフランツは無理矢理笑みを作り「そうかもしれませんね」と応じる。寂しいと思っている心中を悟られないように。
「だが今は脱ぐわけにはいかないのはわかっている。
頑張っている若手もいれば悩み、苦しんでいる若手もいるからな。
せめてあいつらにクラブを安心して任せられるぐらいまでは頑張らなくてはな」
「ええ、お願いします。それと次の試合はドイツダービー。しかも現在首位で今季絶好調のレヴィアー・ドルトムント。DF陣の奮起を期待しますよ」