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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第二部
59/191

ドイツリーグ9節、ハンブルクF対Rバイエルン2






「何やってんだDF陣! よりにもよって前半終了間近っていうタイミングで同点にされやがって! やる気あんのか!?」


 ハーフタイムの控室にスタメンが入ったのと同時、エリックが声を張り上げる。


「そっちこそやる気あるのかよ。あれだけ攻めておいてハンブルクF相手にたった二得点。どうせ勝てる相手だと思って手を抜いているんじゃねぇのか」


 即座にエリックへ反論したのはブルーノだ。瞳を刃物のように鋭くしてエリックを睨みつける。

 そんな二人の間に鷲介は割って入ると、ブルーノに向けて言う。


「”どうせ勝てる相手だと思って手を抜いている”。その言葉、そっくりそのままお返ししますよブルーノさん」

「何だと!?」

「ハンブルクFの強さが昨季以上なのはわかっていました。そしてそれが俺達の想定していたものよりも上だと言うことも実際に戦って分かったはずです。

 にもかかわらずろくに修正もしないで英彦さん──鷹野にいいようにボールを回されている。DF──特に両CBは前に出ず中盤との距離も剥離し、プレスが不十分。その結果が鷹野のロングループシュートですよ」

「エリックさん、鷲介の言うとおりですね。今日のDF陣の修正力の無さは流石に驚いていますよ。

 クルト、君は一体何をやっているんだい。ブルーノさんやフリオさんはその辺のバランスを時折無視することがあるのだから君がしっかりとコントロールしなければいけないのは分かっているんじゃないのかい」


 鷲介、アレックスの言葉に眉をつり上げるブルーノとクルト。険悪な空気がロッカールームに漂う。

 こんな状態になった場合、いつもならここで鷲介、アレックスたちが仲裁に入るのだが今日は別だ。

 だがそこへフリオの冷静な、しかし刺々しい言葉がFW陣に向けて放たれた。


「好き放題言うね。君たちFW陣だって今日は良くないよ。

 二点決めはしたもののその後は得点を取れていない。三人ともあと一歩のところで凌がれている。──もしジークフリートやスレイマニさんだったら確実にあと一点は取れていたはずだよ」


 チームの絶対的エースに長年チームの危機を救ってきたベテラン。今ここにいない二人名前を出され鷲介たち三人の表情が険しくなる。


「それに二失点は俺達DF陣の責任だけじゃない。FW陣は全体的にプレッシングの動きが弱い。だから後ろである程度ボールを向こうにもたれ、失点につながったともいえる」

「責任転嫁かよ!」

「俺はただ失点の一因が前線のメンバーにあると指摘しただけ。Rバイエルンのサッカーは攻守一体のポゼッションとプレッシング。さすがにそれはわかっているだろ?

 でもそれが今日は不十分だと言っているんだよ。攻撃ばかりに注力して本来やるべき仕事をしっかりとこなしていない。──やる気あるの?」


 完全に対立してしまうDF陣とFW陣。

 再び言い合いが始まりそうだったその時、強い拍手音が控室に鳴り響き、イレブンの視線を集める。


「そこまでだ。今から後半に向けてのゲームプランや修正点を言う。

 時間がないため一度しか言わないからよく聞くように」


 手を叩き言ったのは険しい表情のトーマスだ。いつになく厳しい表情をした彼はこちらの口をはさむ暇を与えないような勢いで一方的に話す。

 先程DF陣とFW陣がお互いに指摘したのにいくつかの細かい部分を加えた注意と修正、後半のゲームプランを告げた後トーマスは小さく息をつき、そして色素の薄い緑の瞳をさらに細めてメンバーを見渡す。


「ハンブルクFは前回とは全く別のチーム。今のチーム力はドイツリーグの上位クラスに匹敵する。

 しかし君たちが指摘していた部分を修正し私のプラン通りに動けば勝てる相手だ。油断せず奢らず、いつものようにやれば勝てる相手だ。よろしく頼む」


 トーマスはそう言うと、メディアへの対応をするために控室から出て行ってしまう。

 静まり返る控え室。未だ怒りや不満の気配は漂っているが口に出すほどではない。そんな微妙な空気に選手はどこか居心地が悪そうにしている。


(トーマスさん、当然だが怒っていたな……)


 トーマスが起こったときは基本、いつもの微笑を浮かべて率直にものをいうことが多い。だがそれはあくまで怒りのレベルが低い場合であり、高いレベルの時は今日のように怒りの感情をあらわにしたうえで冷静に、しかし一方的に話すのだ。


「前半、ハンブルクFが予想外に強かったのもあったが、俺たちの不甲斐なさもあってこの結果だ。

 後半、監督の言った部分を修正し、いつものようにやって勝ち点三を取るぞ!」


 本日の主将であるカミロがぎこちない様子で大声を出し皆に呼びかける。それに全員がまばらに返事を返す。

 完全な一体化がされているようには見えないチームに不安を抱く鷲介だが、さすがにこれ以上のもめ事を起こす気は無く沈黙してしまう。

 そんな様子でピッチに戻るRバイエルン。そしてやや遅れて戻ってきたハンブルクFはどこか充実した感じと前半以上の一体感を漂わせている。


ハンブルクFあんたたちは強くなったよ。でも俺たちだって素直に負けてやるわけにはいかないんだ!)


 鷲介がそう思ったその時、肩を叩く者がいる。振り返れば後ろにいたのはビクトルだ。


「体に力が入りすぎている。”油断せず奢らず、いつものようにやれば勝てる”という監督の言葉を忘れるな」

「は、はい」

「それとよく相手と自チームを見ておけ。両チームに在籍し昨シーズンハンブルクFのメンバーとして戦ったことがあるお前なら監督の言葉がよりそれがわかるはずだ」

「……?」


 意味深なビクトルの言葉に鷲介は首を傾げ問い返そうとするが、ビクトルは背を向けて自分のポジションに向かってしまう。そして後半開始の笛が鳴り響く。

 ここ数十年、圧倒されていた王者にホームとはいえ前半終了間際に同点に追いついたことが自信となったのか、ハンブルクFは前半よりさらに積極的に動く。一方のRバイエルンはそれを真っ向から受け止めつつもやや押し込まれるような感じだ。

 後半十五分までにハンブルクFに訪れる二度のビックチャンス。それをなんとか防ぎ凌ぐRバイエルンメンバーを見て、鷲介は先程の監督の言葉、そしてビクトルが何を言いたかったのか、おぼろげながら察する。


「ふっ!」


 ハンブルクF陣内中央でボールを受けた鷲介は左足でダイレクトにボールを蹴る。DFの頭を超えるボールに反応し飛びだすエリックへザンビディスが追尾する。

 いつもならボールを収めたあと一人で突破しようと中に入る場合が多いエリックだがサイドに流れる。そして上がってきたブルーノにパスを出すふりをして左に鋭く動いてはエリア内にセンタリングを入れる。

 そのボールに飛び込むのはペアからのマークを一瞬だけ外し完全フリーとなったアレックスだ。しかし彼のボレーシュートはハンスが反射的に動かした手に当たり、ボールはラインを割る。


「ナイスですアレックスさん! この調子で行きましょう!」


 悔しがるアレックスに声をかける鷲介。そしてコーナーキックでハンブルクFゴール前に両チームのメンバーが集まる。

 コーナーから直接蹴ったカミロのボールはほとんど変化は無くハンブルクFゴール前に上がる。そしてそれにビクトルと側にいたペアが動いている。

 ジャンプし頭で弾き返そうとするペアだが、それより速くビクトルが跳躍。ペアとの競り合いを制し強烈なヘディングをハンブルクFゴールに叩き込んだ。

 勝ち越し弾に沸くRバイエルン。サポーターの前にいたビクトルへカミロ達が駆け寄るのを見る中、鷲介は今見た光景を反芻し、先ほど感じたものが確信へと変わる。


(なるほど……。前回の試合、ハンブルクFが勝てなかったのはそう言うわけだったのか。

 ジークさんたちの投入が原因だと思っていたが、それだけじゃなかった──)


 勝ちこされたハンブルクFは一点差ということ、そしてホームスタジアムの大勢のサポーターの声援を受けて前に出てくる。

 しかしRバイエルンイレブンはそれを正面から受け止め跳ね返しては防ぎ、そして攻撃を仕掛ける。


「鷲介!」


 Rバイエルンゴール前でビクトルが奪ったボールが即座に鷲介の元へやってくる。センターライン近くでそれを収めて反転、敵陣へ侵入する鷲介。ハンブルクF陣内にいるのはペアたちDFラインメンバーだけだ。


(DFの形も前半に比べて大分崩れている。これなら、行ける)


 鷲介はそう思うと同時、アタックしてきた直康をまた抜きで突破。続いてきたペアも中に行くと見せかけたフェイントをして惑わすと、外に全力加速して強引に振り切る。そして右サイドに流れ、トップスピードでボールを運ぶ。

 瞬く間にハンブルクFの左サイド深くに到達する鷲介。ハンブルクFゴール前にはザンビディスとガブリエルが守りを固め、先程抜いたペアたちが戻りつつある。

 だがゴールへの道筋が見えている鷲介は迷わずゴールへ向かう。ペナルティエリアからあと一メートルという距離でザンビディスがチェックに来るが、想定していた通りワンテンポ遅い。


「ふっ」


 ドリブル突破すると見せかけての鷲介のパス。それをザンビディスのポジションにいたペアがクリアーしようとするが、それより早くエリア外からアレックスが突撃してくる。

 誰よりも速くボールに駆け寄った若きスウェーデン代表FWはダイレクトシュートを放ち、ハンブルクFゴールネットにボールを突き刺した。


「ナイスパス!」

「ナイスシュート!」


 抱き合う鷲介とアレックス。ジーク、エリックと言う実力者たちに阻まれスタメンとなることがなかなかない彼だが、やはりその実力は確かなものだ。

 自陣に戻る中鷲介はハンブルクFイレブンを見る。連続失点を受けて殆どのメンバーの顔色が悪くなっている。

 強くなったハンブルクF。だが当然ながら無敵となったわけではない。Rバイエルン陣の問題点が概ね改善され、それと真っ向勝負した結果がこれだ。

 ハンブルクFは強くなった。勢いもあるだろうが一時は不調の王者と互角に戦えるほどに。だが、彼らは今の核たる選手がいないRバイエルンと比べても劣っているものと、足りないものがある。


(ギリギリの場面での技量、そして強者ゆえの弱者に対する対応力──)


 前者は三点目のシーンでわかった。カミロのコーナキックにビクトルとペアが競り合ったが、ほんのわずかだがビクトルの方が有利なポジションを取っていたのだ。

 また動き出すタイミングもビクトルの方が早かった。カミロのボールの勢い、軌道を読んだ上での反応。それらの差は少しだが確実にあり、どうしようもなかった。

 そしてそのようなギリギリの場面でRバイエルンメンバーが競り勝つシーンは後半でよく見られ始めていた。その理由がハンブルクFイレブンの過剰な動きだと言う事にも昨季ハンブルクFの一員としてRバイエルンと戦った経験者である・・・・・・鷲介はすぐに思い至った。

 技量の足りないチームが体力面、フィジカルで物を言わせて格上と競り合う。英彦の存在があったものの、今日の試合も前回とさほど変わってはいなかったのだ。

 そしてハンブルクFというチームにいては殆ど体験できないであろう、強者ゆえの弱者に対する対応力。これを十分すぎるほど持っていた──本調子に近い状態となった──Rバイエルンイレブンは、ハンブルクFの攻撃に対してもどこか落ち着きがあった。不調であるクルトもだ。そしてそれはギリギリの場面での競り合いをさらに強くしチーム全体に安定感をもたらす。


「っとぉ!」

「くっ!」


 ドミニクと挟み込んで英彦からボールを奪取した鷲介。前にいるカミロへパスを出し前線へ駆けあがる。


(英彦さん、あなたは想像以上に凄かった。でも──)


 後ろから追尾する英彦をちらりと見て、鷲介は思う。それでも自分が対峙してきた幾多のワールドクラスの選手や”ゾディアック”に比べれば見劣りしてしまうと。

 前半ゴールを挙げ、ハンブルクFの攻撃の起点となり活躍していた英彦だが、後半は監督の修正を聞いたドミニクたちに押さえられ、パスは回せどこれといった活躍は出来ないでいた。

 ゴール前まで運ばれたボール。収めたエリックは外から中に一気に切れ込みザンビディスのわずかな隙を突いてミドルシュートを放つ。しかしこれはハンスのパンチングで弾かれ、それを拾った直康が大きくクリアーする。

 ラインを割るボール。それに思わず視線がつられたその時だ。スタジアムから歓声が沸き上がる。


「……!」


 何事かと思い周りを見て、鷲介は大きく見開く。後半二十分も終わろうかという時間帯、ハンブルクFベンチ近くのサイドラインに紺、白、黒のユニフォームを着たちぢれ毛の髪をなびかせる褐色の男性がいたからだ


「セザルさん……」


 こちらの視線に気づいたハンブルクFの大ベテラン、背番号10を背負う元ポルトガル代表は、勇ましい笑みを向けてくるのだった。






◆◆◆◆◆






 ヤンと抱擁を交わしてキャプテンマークを受け取ってピッチに入るセザル。

 それと同時、スタジアム中から歓声が沸き上がる。そして敗戦を受け入れようとしていたハンブルクFイレブンの顔に一気に力が戻ってくる。


(昨季もだけど、あの人何気にRバイエルンキラーでもあるんだよな……)


 昨季の試合の前、知ったことだ。ドイツリーグ、そしてCLカンピオーネリーグにおいても、セザルがRバイエルンと対戦した試合の大半でゴールを決めている。以前の試合でFKを決める前ももしかしたらと思っていたことを見事、彼は現実のものとして見せた。

 今季引退が決まっているハンブルクFの大ベテランは、今季は途中出場が大半だ。しかしそれでも攻撃の起点としてチャンスメイクをしておりゴールやアシストも上げている。短い時間で培った技術と経験を活用してはチームに貢献する、まさしくベテランのスーパーサブのお手本のような存在となっているのだ。

 アンドリーのスローインでピッチにボールが入るり、幾人かを経由したボールは鷲介の元へやってくる。しかし前を向けば入ってきたばかりのセザルがいきなり突っ込んできていた。


(ヤンさんのポジションに入ったのか?)


 そう思いつつも鷲介はセザルの突進をかわして前に出る。しかしすぐに今度は英彦が迫ってきている。

 それを見た鷲介は一度ドリブル突破すると見せかけて右後ろからやってきたアンドリーにパスを出す。だがそれを英彦の後ろから飛び出してきた直康がインターセプトしてしまう。


「!」


 すぐにアンドリーがチェックに行くがそれより早く直康は前線にパス、ボールは上がっていたセザルに収まる。

 そこへドミニクが近づくがセザルは前を向きつつもどうしたことかパスを出さない。フォローに来た味方を無視してのろのろとボールキープするだけだ。


(らしくないな。だがチャンス!)


 ボールを奪い返そうと後ろから鷲介がセザルに迫る。そしてやや遅れてドミニクもそれに続いたその時だ、セザルは左から右に急転換すると前線へパスを出す。


(なっ!?)


 ボールが向かう先を見て鷲介は驚愕した。何故ならボールの先にはペナルティエリアの前にいるヴァレンティーンがおり、しかもその前には誰もいなかったからだ。

 フリーのヴァレンティーンはボールをトラップすると同時に前を向き、進む。それに慌ててサイドに動いたレネのマークに付いていたブルーノが距離をつめ、スラィディングを放つ。

 かわそうとしていたヴァレンティーンだがブルーノのスラィディングに引っかかりボールを奪われ転ぶ。ほっとする鷲介だが次の瞬間、主審の笛が鳴り響くのを聞いてしまう。


(ゴール前でFKか……!)


 主審に抗議するブルーノたちを見ながら鷲介は歯噛みする。昨季のセザルのゴールも似たような距離だったからだ。

 クルトたちが作る壁の中に鷲介も混ざる。セットされたボールの前に来るのはセザルと英彦だ。


(どっちが来るんだ……?)


 ちなみにこの二人、どちらも今季FKから得点を挙げていたりする。ペナルティエリア正面からやや右側という位置から、効き足が右の英彦が蹴りそうだがトリックプレーを用いてセザルが来るかもしれない。

 主審の笛が鳴り動き出したのは英彦だ。しかしスルーし、その後にボールに駆け寄るのはセザル。

 やはりセザルが来るかと思い身構える鷲介。だがセザルの左足が蹴ったボールは予測とは全く違う、Rバイエルン陣内の右サイドへ転がっていく。誰もいないそのスペースに転がったボールに向かっていくのはセザルの後ろから飛び出してきたガブリエルだ。


(やばい!)


 鷲介は血の気が引く。ガブリエルのキックの精度は高いのはよくよく知っている。

 すぐさま周りを見渡しターゲットを探そうとするが、ペア達もゴール前に一気に流れ込んできており誰がターゲットなのかわからない。

 ボールを収めたガブリエルは余裕をもってセンタリングを上げる。──そして、これもまた鷲介の予想しない場所へ。


(え?)


 マイナス気味に折り返されたグラウンダーのセンタリング。そしてそれを待ち構えているのはペナルティエリアラインにいるセザルだ。

 一瞬で青くなった鷲介はすぐさまコースを潰そうと方向転換し、走る。だが僅かに遅かった。スラィディングでコースを防ぐ直前、セザルの左足が唸りを上げてボールを叩いた。

 倒れ込んですぐに後ろを振り向く鷲介。そして大きく目を見開く。ハンブルクFの大エースが放ったシュートは見事、Rバイエルンのゴール左隅に転がっていたからだ。


(何ーー!??)


 今日一番の歓声が沸き上がるハンブルク・シュタディオン。ファーストシュートで見事一点を返したセザルの名前をサポーターが連呼する。

 チームメイトに囲まれながら手を振ってサポーターに応えるセザル。だがすぐに皆を自陣へ促し、自分はRバイエルンゴールへ赴き、ボールを拾っては自陣へ向かっていく。


「まだ一点ある! 残り時間も少ない。なんとしてもこのまま勝ちきるぞ!」

「そうだ! 俺にボールを渡せ。再び二点差にしてやる!」


 ビクトル、エリックが声を張り上げる。だがRバイエルンイレブンはまばらな返事を返すだけだ。

 二人の言うとおり勝ってはいる。だが時間はまだ十分すぎるほど残っている。そして自陣に戻ったハンブルクFの瞳には完全に力が戻っている。そして勝っているであろうRバイエルンからは追い詰められた雰囲気が漂っている。

 鷲介がボールを後ろに返すと同時、ハンブルクFイレブンは一気に敵陣へなだれ込んできては動く。その勢いに慌てる味方たちはボールを回すも後半終盤と言うこともあってか精度を欠きなんと自陣、それもアタッキングサード近くでインターセプトされてしまう。


「何やってんだ!」


 先程疲れていたブルーノと交代したばかりにもかかわらず早速ミスをした左SB、元ドイツ代表のルーベルト・ハーンに向けて鷲介は思わず罵声を発してしまう。

 ボールを奪取したレネは中に切れ込む。そこへクルト、ルーベルトが挟み込もうとするがレネは反転してバックパス。そのボールをセザルが収め、ダイレクトでRバイエルンの右サイドにオーバーラップしていたガブリエルへパスを出す。

 駆け上がるガブリエルの前をルーベルトが塞ぐ。だがガブリエルはフォローに来たヴァレンティーンとのワンツーでさらに前に出てはRバイエルンのサイドをえぐりに行く。体を寄せるルーベルトだがチャージを受けて倒れそうになるガブリエルはマイナス方向へボールを蹴り、それを先程ワンツーでボール交換したヴァレンティーンが収める。

 ボールを止めるヴァレンティーン。そこへドミニクが迫るがチェックを受けるより早くハンブルクFの若きFWは左へボールを送る。──そこに走りこむのはセザルだ。


「やらせるかっ!」


 セザルの後ろ、数メートル先まで近づいていた鷲介はポルトガル語で大声で叫ぶ。

 鷲介の声にセザルはかすかだが肩を震わせる。そこへフリオがチェックに行くがセザルは慌てたのか右足でパスを出す。だがそのボールが飛んだ先にクルトがいるのを見て鷲介は笑う。


(ここ一番でミスってくれた──)


 だが次の瞬間、鷲介の笑みが凍りついた。何故ならクルトに向かったボールに英彦が斜めから突っ込んできてはスラィディングして伸ばした足でボールの方向を変えてしまったからだ。

 クルトの横を通り過ぎるボール。それに反応したのはビクトルを振り切ったサイードだ。現イラン代表のエースストレイカーはアンドレアスが前を塞いでいるにもかかわらずダイレクトでシュートを放つ。そしてそのボールはアンドレアスの体の下を通過し、ネットに収まった。


「──!」


 恐れていた光景を目の当たりにした鷲介。スタジアムに響く歓声がどこか遠くに聞こえる。

 残りわずかと言う時間で、とうとう同点にされてしまった。それに絶望する鷲介だが、主審がセンターサークルを指さずゴール前で笛を吹いたのを見て、ハッとする。Rバイエルンゴール前を見ると倒れたビクトルとサイードにイエローを出している審判の姿があった。


(く、首の皮一枚繋がった……)


 小さく安堵する鷲介だが、すぐに気を取り直す。そして周りを見て駆け上がり、ボールを要求する。

 それに応じたのはボールに寄ったクルトだ。彼のロングボールはセンターラインを超えてハンブルクF陣内へ落ち、そこへ鷲介は走っていく。

 絶好のカウンター。だが試合終了と言うこともあって流石に鷲介の速度も落ちており、クルトのいつもの正確なパスも精度を欠いている。

 ラインを割るギリギリで収めはしたがその間にハンブルクFイレブンは自陣に戻りつつある。そして収めた鷲介の方へ直康が後ろから走ってきている。


「代表戦の時のようにカウンターの起点になるのか!?」


 直康の言葉を聞き、鷲介の脳裏に浮かんだのは韓国戦での同点弾直前のことだ。あの時も単独で行った結果ボールを奪われ、失点につながった──


「行け、鷲介! フォローはする!」


 誰かにパスを出すべきか。そう思った鷲介に直康と並行して走るアレックスが言う。彼の言葉に心中で発生した恐れを振り切り、鷲介は前に進む。


「悪いがここで止めさせてもらうぜ!」


 ハンブルクFゴールに迫る鷲介の前にセザル、そしてその後ろにザンビディス、ハンスが待ち受ける。

 しかし鷲介は構わず突撃する。そしてセザルを強引にスピードで突破し、直後距離をつめてきたザンビディスの伸ばした足がボールに触れる前、さっき言った通りフォローにやってきたアレックスにパスを出し、彼とのワンツーで裏に抜け出す。

 ペナルティエリアすぐ右へ駆けあがる鷲介。だがそこへペアが近づき、ゴール前にはガブリエル、戻ってきた直康の姿も視界の隅に映る。


(直康さん──)


 鷲介の脳裏にあったのは切り返して上がってきた味方──アレックス、またはほかの選手へのパスだったが、彼の姿を見て瞬間的に別の手段をとる。

 緩急のフェイントでペアのマークをずらし左に切れ込む。当然ハンスやガブリエルたちはゴール前を塞ぐが、それがわかっていながら鷲介はシュートを放つ。

 といってもいつものシュートではない。ふわりとしたループ気味のシュートだ。ループシュートは滅多にしない鷲介が今それを選択したのはオオトリ杯の前の代表合宿の時のことを思い出したからだ。


(格下の時に試そうと思っていたけど、すっかり忘れていたな──)


 懐かしきハンブルクFとの対戦、そして代表合宿と今日の試合で幾度も直康とマッチアップしたことで思い出したのだろう。先程の直康の挑発も多少関与しているとも思う。

 鷲介はボールの軌道を目で追う。左足で蹴ったループシュートは左から右へ、緩やかな曲線を描いてゴールに向かう。


(入れー!)


 シュート軌道を見てポストに当たりそうだと思った鷲介は全力で念じる。そしてそれが通じたのかボールはゴールポスト左に当たりつつも、ゴール内側に入った。

 悲哀の声が観客席から響くのを聞きながら、鷲介は大きく安堵の息を吐きだし、ゆっくりと右腕を上げるのだった。






◆◆◆◆◆






「見事なゴールだったよ」


 疲労の滲む笑みを浮かべたトーマス。彼と握手を交わして鷲介はベンチに座り、渡された給水ボトルを一気に飲み干す。

 鷲介の五点目が決まった直後の後半42分の交代だ。トーマスは守りきる為なのかDMF、CBをこなせるドイツ人選手ウーヴェ・バシュを投入する。

 各年代のドイツ代表に選ばれていた選手だがフル代表経験は無く候補止まりな彼。しかしチーム内でもよく走りポジショニングにも長けてはいる。

 そして彼はドミニクと並んでボランチの位置に入り、システムは4-4-2の中盤ボックス型へ変わる。そして投入されたばかりのウーヴェは最初からノンストップ、全力で走りボールを追ってはハンブルクFのパス回しを阻害する。


(二点、三転した試合だったけど、このまま終わりそうだな)


 ウーヴェに追われボールを後方に戻すハンブルクFを見て鷲介は思う。時間も今ロスタイムに入った。

 先程ピッチの横で掲げられたロスタイムの時間は3分。ウーヴェの全力守備に引っ張られるようにチーム一丸となって攻守にわたり動いている。

 これなら失点することは流石にないだろう。そう鷲介が思い勝ちを確信したその時だ、ボールはRバイエルン陣内中央にいるセザルに渡る。そして彼は前を向き、ロングボールを蹴る。


「!」


 ちょうどペナルティエリア近くに飛んだボールにクルト、ルーベルトの二人、そして英彦が寄っていく。

 しかし鷲介は小さく息をついた。先にボールに触れるのは英彦だがその直後に二人が挟み込みに行くのは予想できたからだ。そして英彦は飛んでくるボールに背中を向けている。


(せいぜい味方に落すのが精一杯といったところか)


 英彦は一歩前に出る。明らかにボールの落下地点よりずれているそれに鷲介が眉をひそめたその時だ、何と英彦は右足を上げると、側面でトラップした。


「なっ!?」


 英彦の右足でトラップしたボールはルーベルトの頭上を越える。そして英彦もクルトとルーベルトの間にあった僅かな隙間を通り抜け、そのボールを追った。


(後ろからのロングボールを足の側面でトラップすると同時に二人の裏にボールを出してDF二人の間を通過した!? 漫画かよ!)


 英彦のトンデモプレーを見て、世界中ではやった天才サッカー少年漫画のことを思い出す鷲介。 

 エリアに侵入した英彦へアンドレアスが距離をつめる。だがアンドレアスがボールに触れるより早く、英彦は右にパスを出す。

 そのボールへ走りこむサイード。だが彼よりボールに近かったビクトルがロングキックでボールを蹴りだした。


「あ、危ねー……」


 安堵するチームメイトたちと一緒にほっとする鷲介。まさかこの時間帯で、あんな奇想天外プレーをしてくるとは。


(本当、ファンタジスタっていう人種は予測がつかない……)


 とはいえそれがハンブルクFの最後のチャンスだった。守りに入ったRバイエルンの壁を崩せず試合終了の笛がピッチに鳴り響く。

 5-3。いろいろあったもののRバイエルンの勝利だ。


「やーれやれ。この試合は行けると思ったんだがな」

「やはり王者の牙城はそう簡単には崩れないってことでしょうか」


 数少ないサポーターに挨拶を済ませて戻ってきた鷲介の前にセザルに直康など、ハンブルクFでも仲の良かった面々がやってくる。

 そして一番前にいるセザルは無言でユニフォームを脱ぐとこちらのユニフォームを指差す。いきなりだがらしいその行為に鷲介は苦笑し、同じようにユニフォームを脱いで交換する。


「そう簡単にはやられてはあげませんよ。──特に人のメンタルにダメージを与えてくるような人には、負けたくありません」

「相手の弱点を突くのは勝負の鉄則だ」


 臆面もなく言う直康の言葉にガブリエルも頷き、ヴァレンティーンは肩をすくめながらも否定しない。


「でもハンブルクFは強かったです。俺の想像以上に」

「そうだろ。ま、チーム全体がいい状態なのもあるが俺に代わる選手も今季加入したしな。──英彦!」


 後ろを振り向き叫ぶセザル。すると控室に向かっていた英彦がこちらに向かってくる。


「強くなったね鷲介。僕の見通しもまだまだだ」

「英彦さんもですよ。怪我をして長期離脱していた人とはとても思えません。

 ロスタイムのあのプレーやら何やら、怪我前より上手くなっていませんか」

「体は動かせなかったけど想像することはいつでもできたし、今ではネットに世界中の名選手のスーパープレイ集の動画が腐るほどある。ネタはまだまだあるよ」


 人差し指で頭を指差す英彦。それを見て思わず鷲介は頬を引きつらせ、次はどんな奇想天外なプレーをするのかと思ってしまう。


「次はアウェーだけど、負ける気はないよ。もちろん引き分けるつもりもね」

「それはこちらも同じです。ホームでコテンパンにしてやりますよ」


 互いに笑みを浮かべ、握手を交わす二人。

 ヴァレンティーン達とも握手や抱擁を交わした後、英彦は言う。


「そう言えば鷲介。クルトのことだけど」

「はい」

「……。思っていた以上に重傷だね」


 そう言って背を向けて去っていく英彦。

 彼の意味不明な会話の切り方や言った時の悩ましそうな表情の意味が分からず鷲介が首をかしげていると、セザルが言う。


「もどかしいねぇ。はっきり言えないってのは」

「何がです?」

「二人は親友なんだろ? でも今は敵と味方同士。相手に利することは言えないってわけだ」


 彼の言葉に英彦があの後どう言いたかったのか鷲介も察する。話を聞いてみたらどうかな。相談に乗ってあげた方がいいんじゃないか。そんな類のことなのだろう。

 しかし生真面目な英彦のことだ。友人でありながら今は敵と味方に別れた状態。故にそこまで言えなかったのだろう。


「セザルさんはいいんですか」


 英彦が言おうとしていたことを鷲介に気づかせたことについてそう言うと、彼はなぜか胸を張り、言う。


「俺はいいんだよ。ベテランだし。悩める若人は先輩が叱咤しないとな」

「俺としてはやってほしくないんですけどね」

「セザルさんは優しいですからね」


 ぼやく直康と苦笑するヴァレンティーン。セザルは彼らに「年長者に逆らうのかー?」とからかい混じりに言いながらヘッドロックを仕掛ける。

 それを見て慌てたガブリエルに引きはがされ、セザルは言う。


「ま、個人的に若手が悩み、苦しむって言う姿はあまり見たくねぇ。それが敵であってもな」


 苦い笑みを浮かべるセザル。それはかつて鷲介にウーゴのことを相談した時に見せたそれだ。


「それに俺は今季で引退する。来季は無い。だからこそ次に戦うときにまであのままだと少し困るんだよ。

 どうせなら万全のRバイエルンをぶっ倒したいからな」


 そう言って鷲介の肩に手を置き、セザルは去っていく。直康たちも別れの言葉を行ってそれに続く。

 去っていくセザルたちを見送り鷲介はクルトを見る。勝ちはしたものの表情は暗い。まるで負けた時のようなそれだ。

 今日の三失点や数々のミスを思い返して落ち込んでいるのだろうが、そんなクルトを見て鷲介は眉をひそめる。


「もう少し、しっかりしてほしいよなー……」


 不調の原因であろうRゲルセンキルヒェン戦からもう一ヶ月は経過している。プロとして、ドイツリーグの絶対王者のクラブの一員として、いい加減そろそろ本調子に戻ってほしいものだ。

 晴れたハンブルクの空を見上げながら、鷲介はため息をつくのだった。






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