予期せぬ再会
「……オレンジジュース飲まないの?」
「いただきます!」
かすみが目の前に置かれたオレンジジュースの入ったグラスを睨んでいる裕子に声をかけると、彼女は鼻息荒い口調でそう言い、一気に飲み干す。
「はーおいしい。……一息ついたらまた腹が立ってきました! 全く、たかだが一度の退場や負けたぐらいで鷲介くんをよくまぁボロクソ言えたものですね!」
「いい加減機嫌直しなさい。それと静かになさい。周りに迷惑でしょう」
喫茶店で声を荒げ、周囲からの注目を浴びる後輩の頭をかすみは軽くはたく。すると裕子はむくれた顔をこちらへ向けてくる。
「かすみ先輩は腹が立たないんですか!?」
「全くってことはないけどあの人たちの言い分もいくらかは正しいでしょう」
裕子がなぜ怒っているのか。それはつい先程大学の構内で先日行われたW杯最終予選の試合の話をしていた学生が鷲介のことを貶していたのを聞いたからだという。
「でも! 鷲介くんはまだ18歳で私たちよりも年下なんですよ。それにゴールだって決めましたし非難されるほどとは思えません」
「そういう言い訳が通用しないのがプロの世界でしょう。それに試合終了直前の退場処分は非難されてしかるべきよ」
あの試合の鷲介の評価は好意的なものもあるがそれ以上に辛口なものの方が多い。同点に追いつかれたときの逆起点となったこともあるが、やはり試合終了間近の退場処分についてのことに言及している。
新聞やネットのコメント、元選手や記者たちからの評価も試合前は殆どが鷲介を日本代表のエースとして認めるものばかりだったが、試合後はそれらの数は半数以下になっており、総合的な評価としては『実力は確かだが精神的に未熟であり日本代表のエースと認めるにはまだ不十分である』というものだ。
そして裕子曰く、鷲介を非難していた学生は堂本のファンらしく、とにかくボロクソに彼を罵っていたと言う。
「メディアもメディアですよ! 特にこの人、青井広助氏の記事なんかいつにも増して厳しすぎます!
『韓国戦は柳選手はいいところ以上に、自信過剰なところやかっとなりやすい悪癖が目立った試合だった。今後サムライブルーのエースになるためにはメンタルを鍛え上げる必要がある』ですって!」
「……そうね」
かすみとしてはその記者の記事におおむね賛成だったが、これ以上後輩の頭を沸騰させないよう彼女の意見に同意する。
「次のイラク戦は出場停止ですかー。小野選手は何とか間に合いそうですけどうーん、厳しい戦いになりそうです」
「ホームで戦うのだからそこまで心配する必要はないんじゃないの?」
「甘い! 甘いですよ先輩! 現イラク代表のツートップはアジア最高のツートップと言われているんです。
どちらもヨーロッパ、それもイングランドにイタリアリーグの一部に所属してレギュラーを獲得しているんですからね。
イラクは最終予選でも韓国以外には完勝していますし、韓国戦だって二人揃って韓国のゴールネットは揺らしましたよ。まぁオフサイドやシュート直前のファウルでゴールこそ認められませんでしたけど」
鼻息荒く言う裕子。それを見てかすみはウェイターに再びオレンジジュースを注文する。
「最初こそ韓国以外楽勝なんてメディアは呑気に言っていましたけど、日本の所属するグループは優秀なストライカーを保有する国々ばかりなんです。
ウズベキスタンのアレクサンドル・バニシンにオマーンのアブドゥルアジーズや韓国のアン・ソンユン。そしてイラクのツートップ。彼らは単独で日本の守備を突破できるだけの力を持っているんですから」
「でもイラクは守備がそうでもないよね。韓国戦以外勝ってはいるけど失点も多いし」
「ま、取られたら取り返すっていう感じのチームですからねイラクは。鷲介くんがいない日本でも点は取れるとは思います。
──でもそれ以上にあのツートップにやられる可能性もあるんですよねー……。ドイツに戻ってからも好調な鷲介くんが出れないなんて本当に痛いですよ」
韓国戦から二週間たった現在、ドイツに戻った鷲介は代表招集前と変わらず好調を維持してはいる。韓国戦後のドイツリーグ戦、ドイツカップ戦は疲労を考慮されたのか共にベンチ外だったがその合間に行われたCLのグループリーグ第三節、セルティック・グラスゴー戦に出場、ゴールを決めてチームの勝利に貢献していた。
「でもロート・バイエルンとしては、いろいろ大変のようだけどね。けが人続出で」
「そうなんですよね。CLを戦うチームにこういうことはつきものですけどねー……」
大きくため息をつき、裕子はウェイターが置いた二杯目のオレンジジュースを一気飲みするのだった。
◆◆◆◆◆
柔らかく、しかし少し冷たい風が鷲介の頬を撫でる。それで閉じていた眼をゆっくり開けると、視界には柔らかい笑みを浮かべた由綺の顔が見える。
「おはよう。よく眠っていたね」
「あー、す、すまん。せっかくのデートなのに」
彼女の太ももの感触を後頭部に感じ、膝枕されていることに鷲介は気付く。先程まで彼女の隣で由綺手製の弁当を食っていたのだが、いつの間にか眠り、彼女の方へ倒れ込んでいたらしい。
慌てて起き上がろうとする鷲介だが由綺はそれを手で制止する。そして優しく鷲介の髪と頭を撫でる。
「気にしないで。鷲くんはここ最近中東やら日本に行って疲れていたしチームのこともあって疲れていたんだから。今日は休日、休めるときには休まないとね」
微笑みながら言う由綺に鷲介は少しの罪悪感と強い感謝の念を覚える。
そう、彼女の言うとおり鷲介は最近疲れていた。その理由は韓国戦後のゴタゴタとその理由は代表ウィークから戻ってきた我がチームにある。
(自業自得とはいえ、堪えたなー……)
韓国戦後の後、監督やチームに謝罪した鷲介だが全員が全員慰めの言葉をかけるはずはなかった。ベテランたちや堂本、そして堂本の味方の柿崎や高城たちはここぞとばかりにずけずけと物を言ってきた。
それは予測していたので何とかこらえることはできたのだが、予想外だったのは中神からの注意だ。
『何があったのか知らないけど感情出し過ぎ。プロとしてもどうかと思う。次の試合まで頭を冷やせ』
短い言葉だったがそれだけにストレートに胸に刺さった。彼の呆れた表情も鷲介のメンタルに大きいダメージを与えた。
その後慰めの言葉をかけてくれた本村が言っていたのだが不遜な性格に反し中神は試合中はとても冷静で滅多に感情を乱さないと言う。Jの試合はもちろんアンダー世代の代表戦でもほぼカードをもらったことがないと言うクリーンな選手とのことだ。
(マスコミの反応は概ね予想できていたからそこまで驚かなかったが……)
中神の一件以外で驚いたことはもう一つあった。なんと祖父の店や家に日本一のゴシップ誌を出版しているというディープマガジン社の記者が押し掛けたということだ。
最初こそ毅然と対応していた祖父だったがしつこくねちっこく問われて激怒。店の従業員たちが割って入らなければヤバいことになっていたかもしれないとのことだ。
それを知った鷲介はもちろん日本サッカー協会に通達し、そちらから厳重注意をしてもらうよう伝えた。とはいえ日本一と言われるゴシップ誌を出している出版社だ。注意なんても後に聞くかどうかすら怪しい。
(そして我がRバイエルンだが、どうも雰囲気が良くないんだよなー)
代表ウィークから戻ってきた後、練習でもどこかピリピリしており言い合いに発展しかけることもあった。そしてそれは主にエリックとロビン、アントニオとブルーノの四人だ。その理由はチームでエリック大きな顔をし始めたことにある。
代表でもリーグ再開後も好調なエリックはここ三試合で四ゴール一アシストと大活躍だ。しかしチームのエースストライカーだったジークを怪我で欠いている現在、まるで自分がチームのエースストライカーであるように振る舞っている。
そしてそれがブルーノとアントニオは面白くないようだ。他の面々も思う所はあるようだが、公然とエリックに対して文句をつけているのはこの二人が筆頭だ。
そしてロビンは同じオランダ代表のチームメイトでありそれなりの付き合いがあるエリックの味方に回ることがほとんどだ。結果、チーム内は彼ら四人が放つ殺伐とした空気が漂う事となっていた。もちろん鷲介やトーマスたちが仲裁に入ればひとまず収まりはするのだが、悪い空気を消し飛ばすほどの効果は無い。
(まーここ最近の試合結果に内容が見合っていないのも一因だろうけど)
リーグ再開後、Rバイエルンはリーグ、カップ戦、CLを含めた三戦全勝だ。しかしその内容は昨季のドイツ王者に相応しいとは到底言えない。
まずリーグ八節は今季二部から昇格しチーム 。ジークにフランツ。ジャックとクルトという攻守の要を欠いていても油断さえしなければ勝てる相手なのだが結果は2-1の辛勝だ。
試合全体としては予想通り押してはいたがゴールが決まらず、前半攻めあぐねているところをカウンターで先制されてしまう。それでも後半開始早々エリックのゴールで同点に追いつき、後半三十分近くに得たPKでようやく逆転したと言う有様だった。ちなみにこのPKでもエリックとアントニオとの間で少し一悶着があった。
ドイツカップ二回戦は二部のチームとの試合だった。この試合は前半に三点先制し楽勝かと思われたが相手が予想外の粘りを見せ、またこちらのターンオーバーで使用した面々の連携の隙を突きなんと後半三十分で三失点を許してしまった。
しかし後半早々に四点目を決めていたこともあり結果は4-3で勝ち上がりました。だが当然その試合に出場した選手の評価は軒並み低かった。特にDFリーダであるクルトや三失点全てに絡んだジャックはボロクソに叩かれていた。
そして鷲介が唯一出場したCL第三節、スコットランドリーグ王者セルティック・グラスゴーをホームに迎えての一戦。これも予想以上に苦戦した。
アウェーに来たにも拘らずこちらのメンバーが揃っていないためかそれとも単に不意を突くためか、セルティックGは積極的に攻めてきた。そしてお互いが一進一退の攻防を続け前半終了間際、セルティックG主将の見事なFKが決まってしまう。
後半は一転して亀のように守りに入るセルティックGにRバイエルンは中々ゴールを奪えない。だが後半から出場した鷲介がドリブルで切り崩しフリオ、アントニオとのトライアングルで何とか同点に追いつくと後半三十三分、エリックのシュートのこぼれ球を拾った鷲介が押し込み二点目のゴールで逆転、そして後半ロスタイムには鷲介がゴール前で倒され得たFKをアントニオがしっかりと決めて3-1と快勝した。
とはいえこの試合も内容はよくはなかった。DFラインは不安定であり前線でボールを最も保持したエリックも代表戦からずっと出場し続けて疲労が蓄積しているせいか動きが悪くボールロストも多かった。鷲介と交代したアレンも同様だった。
(ジークさんもフランツさんも予想外に長引いているし……)
代表ウィークで直るとみられていたジークだが医師は蓄積した疲労なども考慮し一月近く休むことを進言。トーマスやチームとの話し合いの結果、それに従うこととなった。
そして本当なら復帰のはずのフランツも快復に時間がかかっているようで、万全の状態になり試合に出場するのは来月からと言う話だ。つまり攻撃の核たる二人が戻ってくるのは共に11月からということになる。
「しかも次節は相手はハンブルク・フェアアインか」
「鷲くんが半年お世話になったクラブだね。そして今は英彦さんがいる」
「ああ。しかもここチームは数年稀に見る好調さを維持している。ここまで無敗だ」
下位、中位がここ数年の定位置だったハンブルクFだが今季八節終了時点でなんと四勝四分けで六位。五位とは得失点の差で並んでおり勝ち点では七勝一敗のRバイエルンとたった1しか差がない。
要因はいくつもあるが、その一つが今季より加入した英彦の存在だ。彼がハンブルクFに加入したのを知ったのはちょうどインターナショナルカップで敗退し戻ってきた直後のことだった。
プレシーズンマッチでは戦績も良く英彦も活躍しており、そしてその流れをそのままリーグに持ってきている。先日のドイツ杯でも見事に勝利し三回戦へ進出しているのだ。
「英彦さん、元気そうだったね」
「ああ。かつてと遜色ない動きだった」
選手生命を失うかもしれないと言う大怪我からの復帰。非常に嬉しく思う一方かつてからどのぐらい変わったのか不安だった鷲介だが、彼の試合映像や試合を見てそれが杞憂だとわかった。
かつてクルトと共に”Rバイエルンの至宝”と言われ未来を担うとされていた彼。それが数日後、敵として会いまみえる──
「それにしてもマルクスさんたちも酷いよね。英彦さんの所在を知っているなら教えてくれてもよかったのに」
「まぁそうだけど、英彦さんに頼まれていたわけだし守秘義務ってのがあるからな」
この二年余り、消えた英彦について鷲介はもちろんクルトや当時のチームメイトたちも調べなかったわけではない。だがいくつか入手したそれらはどれも確たるものではなかった。
そしてその原因は鷲介、そして英彦と契約しているマルクスと彼と親交があり同じく日本人選手と契約を交わしている複数の代理人たちだ。彼らは協力して嘘と真実が入り混じった情報を流していたのだと言う。
「よっと」
「そろそろ帰る?」
「いや、ちょっと行きたいところがある。時間は大丈夫か?」
起き上がって鷲介が言うと、由綺は笑顔で頷く。
そして彼女と二人で公園を離れ公共機関を使いとある喫茶店にやってくる。
「お、鷲介に由綺じゃないか。いらっしゃい」
店内に入り声をかけてきたのはカウンターにいる鷲介たちと同年代の青年だ。
彼はグスタフ・ヒュフナー。この喫茶店のオーナーの息子であり次期オーナー、そして鷲介とはRバイエルンジュニアユース時代の仲間だ。残念ながらユースには昇格できなかった彼だが、今現在は実家を手伝っており将来は家を継ぐつもりらしい。
ここの喫茶店はジュニアユース、ユースの選手たちのたまり場の一つでありグスタフがジュニアユースにいた時はよくよく世話になった。
「とうとう土曜日は鷹野さんがいるハンブルクFとの試合だね。勝てそうかい?」
鷲介たちが注文したコーヒーと軽食を置くとグスタフは訊ねてくる。
「そう言うってことは引き分けか負ける可能性もあるって見ているわけだ」
「まぁそうだね。今のRバイエルンは試合に勝ってこそはいるけど、ここ数年でもっともよくない状態に見えるからね。ここに来るファンはもちろん、同期やここに来るユース、ジュニアユースの子たちからもそう言う声は少なからずあるよ。僕もそう思っているし」
グスタフの言葉に鷲介が口を開いたその時だ、再びドアベルが鳴り新たな客が入店してくる。
「いらっしゃいま、せー……」
突然言葉尻が悪くなったグスタフの声を聞き、鷲介は後ろを振り向く。そして少しだけ目を見開く。入店してきたのはクルトだったからだ。
どこか元気がないような表情のクルトはカウンターには座らず、ソファーの方に向かう。が、鷲介が見ていることに気づくと足を止める。
「……。ど、どうも」
「……ああ」
数秒の間の後、鷲介は頬が引きつるのを感じながら挨拶し、クルトもまた気まずそうな表情で返す。
「クルトさん。せっかくなのでこちらに座りませんか? 久々の来店ですので何かサービスしますよ」
営業スマイルを浮かべてグスタフがカウンター席にクルトを誘う。それを聞き鷲介は思わずぎょっとする。今のクルトはいつにもまして話しかけづらい空気を醸し出しているからだ。
とはいえさすがに面と向かってそう言えるはずもない。そして何を思ったのかクルトはカウンター席にやってくると、グスタフと話し始める。
「今日は何していたんですか?」
「特に用事もなかったからね、店番をしていたよ。
ただ母さんが辛気臭い顔をしていると店に客が寄り付かなくなるととか言って追い出されたけどね。全く、自分から頼んでおいて勝手な話だよ」
「そうですかーナターリエさんは元気そうですね。ところで最近、何か面白い本は入りました?」
クルトの実家は古本書店を営んでおり、ここからも近い。かくいう鷲介もたまに来店しては何か面白い本がないか物色している。
何か面白い童話の絵本は無いかなどと言って、途中から由綺も話に加わる。鷲介も相槌をうったり障りのない質問をしたりする。
コーヒーや軽食を口にしながら静かで平穏な時間が流れる。それに鷲介が安堵していた時だ、クルトが視線をわずかに細め、鷲介の方を見る。
「そう言えば鷲介、韓国戦を見たよ。やらかしたね」
「うっ……」
顔を引きつらせる鷲介。クルトは退場のことを始め、試合中で不味かった点を的確についてくる。
最初は大人しく聞いていた鷲介だが、長く少しねちっこい彼の言葉にかちんときて、思わずは反論してしまう。
「そ、そう言うクルトさんも人のことは言えませんよね。二戦とも出場しましたが評価は芳しくなかったようですし」
アジア最終予選と並行して行われたヨーロッパのW杯予選。ドイツは二試合とも勝利したが出場したクルトの評価は正直低かった。特にフル出場したアゼルバイジャン戦は二試合唯一の失点に絡んでいた。
「ここ最近も調子が上がっていないようですし。もしかしてレヴィアー・ゲルセンキルヒェン戦の退場を引きずってるんじゃないでしょうね」
「鷲くん!」
慌てた様子の由綺に肩を叩かれ鷲介はハッとする。
クルトを見ると、彼は笑みを浮かべている。しかし一切の感情がないアルカイックスマイル。これはクルトが怒っている時に見せるそれだ。
(地雷を踏み抜いてしまった……!)
後の祭りという言葉が鷲介の脳裏に浮かぶのと同時、クルトが口を開く。
「Rゲルセンキルヒェンのことを引きずっている? そんなわけないだろう。君のようにプロなり立てと言うわけじゃないんだよ。
大体そんな話はマスコミが勝手にねつ造したほら話のようなもの。そんなものを真に受けるなんてまるで素人だね。
そんなことだから韓国相手にあんな無様をさらすんだよ。やっぱり君がトップチームに戻ってくるのは早かったんじゃないかな」
氷塊のような冷たく硬い言葉。しかし鷲介はそれを聞き心中にあった苛立ちと怒りが爆発的に膨れ上がっては、瞬く間に臨界を超える。
「醜態をさらしたのはクルトさんじゃないですかね。アゼルバイジャンごときにラインコントロールを躊躇しての失点。ここ三試合でも失点を恐れているのか以前のように前線に出ようとしない。
結果こちらの攻撃頻度が減って得点数が減っていることを自覚しているんですか」
「僕の本職はDFだ。攻撃参加はあくまで補助に過ぎない。DFが攻撃に参加する前提で攻撃力の減少を語るだなんで、自分からFW失格と言っているようなものだよ」
「あんたの攻撃参加は攻撃だけじゃなく防御の方にも貢献しているだろ。中盤や時にはトップ下まで上がってくることで相手の中盤の攻撃を押さえこんでいた。
でも最近はそれがない。そんな姿を見れば上がるのが怖がっていると思われてもしょうがないだろうが」
「つくづく状況を理解していないね。僕が上がっていたのは守備に問題がない時や他の選手が僕のフォローをしてくれていた時だけだ。
そして今Rバイエルンは多数の怪我人を抱えており、出場しているサブのメンバーも僕が攻撃参加するに十分な対応ができていない。だから守りの安定のために上がらないだけだ」
「Rゲルセンキルヒェン戦やそれ以前の試合では構わず上がっていただろう―が!」
「それは上がれる状況だったからだ!」
白熱する会話。二人は同時に席を立ち額をぶつけ合って睨みあう。
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてください!」
「鷲くん!」
激昂した二人へ慌てたグスタフがカウンターから回り込み近づく。由綺も席を立ち鷲介の肩を掴む。
しかし鷲介は少しも引かない。自分は非難されてしかるべきしたことは事実だが、それに負けず劣らずの評価をされしかも調子が悪い張本人にあれこれずけずけと言われたのだ。怒りが収まるはずもない。
クルトの緑の瞳がさらに鋭くなる。鷲介もクルトの口撃を迎撃するべく口を開こうとしたその時だ、店の入り口のドアベルが軽快な音を鳴らす。
「やれやれ。久しぶりに来店したと言うのに、いきなり昔見られた光景に出くわすとは」
「え!」
「あっ!」
来店した客が呆れたような声を上げる。それを聞き何故かグスタフと由綺が驚きの声を発する。
明らかに鷲介たちに向けられたそれに鷲介とクルトは同時に入り口に振り向き、愕然とする。
「君たちの仲の悪さは変わらないなぁ」
「英彦……」
「英彦さん……」
店の入り口が閉まり再びドアベルが音を鳴らすのと同時、入店した英彦は苦笑していた。
◆◆◆◆◆
「うーん、おいしい。マスター、グスタフ君のお父さんとは違った味だけど、僕的にはこちらの方が好みかな」
「あ、ありがとうございます」
にこやかな笑顔で英彦は手に持つカップに入っているコーヒの感想を述べる。
クルトの隣に座った彼はかつてのようにリラックスした表情だ。
「と、ところで英彦さん。どうしてここに?」
「そうだね。久しぶりにここのコーヒーが飲みたくなったのと鷲介とクルトに会いたいと思ってね。
ま、目的は主に前者で後者は会えればいいなー程度の気持ちしかなかったよ。今日こうして二人と会ったのは偶然だね。
でもなんとなく二人がここにいる気はしていたんだ。この店は若手の溜まり場。そして二人が何かあった時、ここに来ることが多かったしね」
そう言ってコーヒーと共に注文したザッハトルテにフォークを入れ、口に運ぶ英彦。そして「やっぱりこの店のザッハトルテは最高だ」とご機嫌な様子でいい、グスタフへテイクアウトする分を注文する。
「試合見たよ鷲介。韓国戦の退場だけは残念だったけど、それ以外は総じて良かった。
僕が思った通り、いやそれ以上に成長しているね」
「あ、ありがとうございます」
「クルトもチーム状況が悪く本調子でない状態で頑張っているね。代表戦で唯一失点に絡んだけど試合全体で見たら代表のDFラインを見事に統率しているし、前にもまして厄介になったなぁ」
「……まぁ当然だね」
「──でも今のハンブルクFなら君たちがいるチームに負ける気はしないかな」
微笑を浮かべて言い切る英彦。それにクルトが視線を鋭くし、鷲介も頬を強張らせる。
「ハンブルクFは今季絶好調だ。フランツさんジークさんもいない今のRバイエルン相手なら勝つ可能性さえ計算できる」
「それは流石に自惚れが過ぎるんじゃないですか英彦さん」
「それは君たちの方じゃないかな。今のハンブルクFは鷲介、君のいた時とは全くの別のチームと言ってもいいぐらい強くなっているよ。試合映像を見てそれがわからなかったかな?」
「だとしても勝つとまで言い切るとは、君らしからぬ妄言だな英彦」
「僕としてはそう思っていないよ。──僕のチームメイトもね。
ガブリエルにペア、ヴァレンティーン達は試合を楽しみにしていると言っていたよ。大文字さんやセザルさんは今までクラブが味わってきた敗北の屈辱を、まとめて返せる千載一遇のチャンスだともね」
そう言った後英彦は視線を細め、どこか非難するような口調で言う。
「そして君たちが仲違いするような状況を見て僕はその思いを強くしたよ。主力たる君たちがこの有様では僕が思っていたものよりもずっとつまらない試合になるかもしれないともね」
英彦の言葉にクルト、そして鷲介は同時に席を立つ。
そして怒りに燃える瞳で彼を見下ろし、言う。
「英彦。その大言、後悔させてあげるよ」
「ガブリエルたちに言っておいてください。俺の、Rバイエルンの恐ろしさを思い出させてやるって。──由綺、行くぞ」
「え? ……う、うん。それじゃ英彦さん、失礼しますね」
「ああ。またね」
笑顔で由綺に手を振る英彦から背を向け、鷲介たちはグスタフに飲食した分の金を払い、店を後にする。
「試合の時、守備はしっかり締めてくださいよ」
「君こそ、世話になったところとはいえ妙な仏心は出さないようにするんだね」
そう言ってクルトは鷲介たちとは真逆──彼の実家の方へ歩いて行く。静かな足取りだがその背中からは確かな怒りが感じられる。
「しゅ、鷲くん。よかったの?」
「すぐに会えるしこれからも何度も顔を合わせるだろうさ。──それにあそこまで言われて仲良くお喋りなんてできるわけないだろ」
今も尊敬する先輩であることは確かだ。そして半年とはいえ苦楽を共にしたチームメイトたちにも情はある。だが、あそこまで言われて腹が立たないはずもない。
(たとえあなたでもピッチの上では容赦しない。全力で叩き潰させてもらう)