最終予選、開始
「雲の多い夜空の下、満員となったグランマールスタジアムの今日、とうとうイタリアW杯への最後の道のりであるアジア最終予選が始まります。
日本対ウズベキスタン。解説は元日本代表監督岡本吉史さんと前々回スウェーデンW杯日本代表のキャプテンを務めた黒部博さん。実況は西倉、リポートは生島正治さんでお送りします。
さて岡本さん、改めましてアジア最終予選について解説をいただけないでしょうか」
「はい。このアジア最終予選は二次予選を勝ち抜いてきたアジアの強豪十チームが二つのグループに分かれて戦います。結果各グループの上位二チームと両グループの三位がプレーオフの結果次第で、再来年のイタリアW杯への切符を手にすることとなります。
そして日本が所属するグループAはウズベキスタン、オマーン、シンガポール、イラク、そして韓国がいます」
「やはり最大の難敵はアジアの虎、日本にとって永遠のライバルと言ってもいい韓国でしょうか黒部さん」
「それは間違いないでしょう。アジア最終予選を始め、かの国とは幾多の激闘を繰り広げてきました。かくいう自分もスウェーデンW杯の最終予選にて戦いましたからね。
もっとも今日対戦するウズベキスタンや他のチームも侮れません。イラク、シンガポール、オマーン、この三チームは近年のW杯最終予選に名を連ねていますし、特にイラクは先日のアジアカップグループリーグで日本を破っています。オマーンも決勝トーナメントでサウジアラビアを破りベスト8に入った強いチームです」
「そして最大のライバルである韓国は日本と同じく海外組を多く要しています。特に有名なのがイングランドリーグに所属するキム・ヒョンス、ファン・ジョンス。そしてアジアNo1ストライカーと言われるマンチェスター・アーディック所属のアン・ソンユン。
彼らは間違いなく日本のW杯への道を阻む強敵となるでしょう」
「ですが、我らが日本も負けてはいません。小野選手や堂本選手たちビック3を筆頭に多くの海外組がいます。
そして何より”ゾディアック”と呼称されるワールドクラスの新星、柳鷲介選手が今日はスタメンで出場するのです!」
「小野選手や堂本選手たちも今シーズンはコンスタンスに出場していますが、結果と言う意味では柳選手が一番ですね。ドイツリーグ四節まで終了しましたが途中、スタメンを含めて全ての試合に出場しており三ゴールと絶好調です。
戦った相手が下位、中位ばかりではありますが動きはとてもいいです。あの調子が保てるなら最終予選でも活躍してくれるでしょう」
「ええ、日本の超新星柳選手のゴールに日本全体が期待しています! さてリポーターの生島さんにピッチの様子を窺いましょう──」
◆◆◆◆◆
「では、前半のゲームプランは以上だ」
重苦しい空気のグランマールスタジアムの控室の中、そう言って監督は話を締めくくる。いつになく表情が硬い。
しかしそれは監督に限った話ではない。スタッフもそうであり代表選手たちも──W杯予選経験者たちもだ。今まで通りに見えるのは鷲介たちのような未経験者だけだ。
プレッシャーがかかるのはわからないでもない。何せメディアからは史上最強の日本代表と言われており予選突破は確実といわれている。またごく一部のメディアからは本戦でどこまでいるかなど気の早い話をしている始末だ。
(いくらなんでも緊張しすぎじゃないか?)
初戦が大事だと言うのはわかるが緊張していては出せる力も出せないだろうに。そう鷲介が思っていると井口が手を上げる。
「監督、少しいいですか」
「ああ」
許可を得たキャプテンの井口は皆の前に出ると、より一層表情を引き締めて口を開く。
「みんな、とうとうW杯最終予選が始まる。あの国と国との威信をかけた死闘が再び繰り広げられるわけだ」
「死闘って、さすがに大袈裟すぎじゃね」
鷲介の隣にいる中神がボソッと言う。場の雰囲気を察してか鷲介にだけ聞こえるはずの声だったが、彼の隣にいた小野は聞こえたのか、剣呑な視線を”天才”に向ける。
「わかりきっていることだが一戦一戦、いや一分一秒の油断がチームの進退に大きく影響を及ぼす。ホームであれアウェーであれだ。それがW杯アジア最終予選だ」
小野に睨まれ中神が慌てて表情を取り繕っている中、井口の話は続く。
「今日はホームでの試合。相手は単純な戦力で言えば俺たち日本が上回っている。だが」
そこで話をいったん切ると、井口は周囲に視線を向ける。
いや、正確には鷲介たち最終予選未経験者たちにだ。
「だが、だからと言って勝てるなどとゴシップ誌や一般大衆のように思わないことだ。相手も全力で向かってくるだろうし、そしてこちらを倒すために何ヶ月も研究しているはずだ」
それに頷く直康たち最終予選経験者。幾人かは何かに苦い思いがあるのか、眉根をひそめている。
「俺も油断しないしお前たちも油断しない。だから味方と監督、スタッフを信じ、応援してくれるサポーターのためにも、何としてもW杯に行くぞ!」
『おう!!』
井口の呼び掛けて予選経験者たちが一斉に応える。反応が遅れ応え損ねた鷲介は思わず彼らの声に篭っている熱と控室を振るわせるかのような声量に思わず目を白黒させる。
「では行くとしよう。イタリアW杯への道、切り開いてくれサムライブルー!」
監督の一声に再び全員が声を揃えて応える。そして堂本が控室から静かに、しかし勢いよく飛び出したのをきっかけに他の面々も彼に遅れまいと続く。その勢いに鷲介たち未経験者は自然と遅れ、慌てて後を追う。
「な、なんか試合に行くっていうより殴り込みに行くって感じだな!」
「そうだな!」
そんなことを言いながら中神と共に入場口に向かう鷲介。そして待っていたエスコートキッズと手を繋ぎ、出場するのを待つ。
(……見られているな。でもなんだこの視線は……!)
鷲介は隣に並ぶ対戦相手のウズベキスタンからの視線を訝しく思い、そして眉をひそめる。先程ちらりと見たがあからさまにこちらを見ているものが数名おり、その視線が非常に剣呑なのだ。
それをエスコートキッズも感じ取っているのか、少し怯えた顔で鷲介を見上げてくる。それを見て鷲介は握った手に少しだけ力を入れ、安心させるように優しく微笑む。
(上等だ……!)
どういうつもりか知らないが喧嘩を売ってくるなら買ってやる。そう思い鷲介も強い敵意を込めた視線をウズベキスタンイレブンに向ける。
そして時間となり、選手が前に進む。WFUAの公式テーマソングと共に丁寧に整備されたピッチに入る。
サポーターの雰囲気も今までの代表戦とは明らかに違う。ピッチに入る中、いつものように声援で迎えるが、その声もどこか緊張に満ちている。
緊張に満ちるフィールドに両国の選手が並び国歌斉唱が始まる。これもいつもとは違い選手たちの強い決意が現れたかのように声質が濃く、高い。
「鷲介、円陣だ」
ウズベキスタンイレブンと握手をかわした手を──何人かが意図的に強く握ってきた──幾度か閉じたり開いたりしながら自分のポジションに行こうとする鷲介に直康が声をかける。
自陣中央で肩を組む青のイレブン。キャプテンの井口は静かながらもぎらついた視線で皆を見渡し、一言。
「──イタリアへの道、最後まで突き進むぞ!」
『応!』
W杯に何としても行くと言う断固たる決意が篭った井口の言葉に全員が答え、ピッチに散っていく。
両チームの選手がポジションにつき、コイントスでボールを選択したウズベキスタンのFWがセンターサークルに入るのを見て鷲介は主審に目を向ける。
緊張と戦意が混じり合った空気の中、主審は試合開始のホイッスルを鳴らし、観客から地震を思わせる大声援が上がる。イタリアW杯アジア最終予選が、今始まったのだ。
(さてと、ウズベキスタンは──)
ボールを下げていく敵陣を見る鷲介。システムは3-5-2。監督から聞いていた要注意選手は三人だが情報通り一人は怪我で欠場、二人だけが出場している。
左FWのアレクサンドル・バシニン。ポルトガルリーグで活躍する22歳の若きストライカーと十年間、ロシアリーグでプレーするCB、守りの要であるサムヴェル・カシモフだ。
彼らが噂通り侮れないのは立ち振る舞いや動きでわかる。鷲介や小野ほどではないが堂本や井口といった日本の主力と遜色ないプレイヤーだろう。
監督の予想通りウズベキスタンはボールを下げ、また陣形も全体的に下がっている。明らかな守備重視&カウンター狙いだ。
マーカーからの視線を感じながら鷲介は自陣を振り返る。今日の日本代表はいつも通りの4-4-2。GKは不動だった川上が怪我のため、変わりに牧がゴールマウスを守っている。
DFラインは変わらず右から田仲、井口、秋葉、直康。中盤ボランチ二人は瀬川と高城、前二人は小野と先日の代表選では怪我のため外れていた土本が入っている。ツートップは鷲介、堂本だ。
「柳!」
左サイドの土本からボールがやってくる。それを収め前を向いた鷲介だが、ぎょっとする。なぜなら先程引きはがして十分な距離を開けていたはずのマーカーが迫っていたからだ。
とはいえ動きに影響するほどの驚きではない。ボールを奪いに来たマーカーを鷲介はダブルタッチでかわして前に出る。
(思った以上に距離をつめるのが速かったな。微調整がまだ必要か)
そう思いながら二人目をまた抜きで突破する鷲介。日本サポーターが歓声を上げる中、敵陣中央を鷲介に突破されウズベキスタンイレブンは中に動こうとする。
それを見た鷲介はさらに敵陣億深くまで攻め込み相手選手たちを引き付けると、ノールックで右にパスを出す。そのボールをオーバーラップしてきた田仲が拾い、鷲介の方にDFが寄ったためスペースができた右サイドをスピードに乗って駆けあがる。
当然鷲介もゴール前に向かいながら手を上げる。そしてペナルティエリアに入ったと同時に田仲がセンタリングを上げてきた。
グラウンダーのボールにDFを振り切って飛びつく鷲介。当然DFが前を塞ぎに来るが鷲介はそれを意に介さず、ペナルティエリア中央へダイレクトパス。
勢いのあったセンタリングボールに少し力を加え向きを変えたダイレクトボールは予想通り、適度な速さと予測した通りの軌道でピッチを跳ね、ペナルティエリアに走ってきた堂本の所へ向かう。
(よし、まずは先制だ)
飛び込んだ堂本の動きは悪くない。DFも少し遅れている。先制点は確実だと思う鷲介の眼前で飛び込んできた日本のストライカーはゴール右にダイレクトシュートを放つ。
しかしそこでウズベキスタンGKが横っ飛びし伸ばした手をボールに当てる。ややコースの甘かったシュートは横に弾かれポストに当たり跳ね返る。
それを見てすぐさま鷲介が動くが、相手DFに先に拾われ、大きくクリアーされる。
「ナイスシュートです堂本さん!」
心中で舌打ちしながらも鷲介はことさらな大声を上げて堂本に声をかける。そしてぐるりと周りを見渡す。
試合開始直後だと言うのにあからさまに動揺しているウズベキスタンイレブンを見て、鷲介は小さく笑う。挨拶代りの一撃は思った通りの効果を発揮してくれたようだ。
(これなら先制点が入るのは時間の問題だな)
そう思う鷲介。しかし試合展開はその予想とは大きく違う内容となる。
攻め込む日本はどこか動きに硬さが見られラストパスやシュートの精度を大きく欠く。もちろん小野や一部の選手はちがうのだが、全体的にそのようなところが見られる。
一方のウズベキスタンはそんな日本の時間帯の間に最初の奇襲で動揺していた気持ちを落ち着かせてしまう。
ぎこちない味方の動きに業を煮やした鷲介は個人技でウズベキスタンの守備を斬り裂いてはパスを、そしてミドルシュートを放つが得点は入らない。パスは味方の反応が遅れ、また追いつかず、シュートは必死の形相のウズベキスタンイレブンの体を張った守りで弾かれ、防がれてしまっていた。
「ちっ!」
突っ込んできたDFをシザースで惑わし右に突破する。しかし次の瞬間、かわしたウズベキスタンの選手が腕を伸ばしては鷲介のユニフォームを強くつかむ。
ファウルだと思う鷲介。しかし笛は鳴らず、足元からこぼれたボールは相手チームに拾われてしまう。
(こいつら、また……!)
ユニフォームを掴んだ選手を鷲介は睨みつける。しかしその選手はこちらから視線を外し自分のポジションに戻って行ってしまっていた。
試合が始まり二十分近くが経過しているが、幾度か今のようなファウルまがいのプレーがあった。しかし審判の死角になっているのかそれともファウルと判断しなかったのか、反則のホイッスルはピッチに鳴り響かない。
味方のふがいない動きとそれに鷲介は少しずつ苛立ちを募らせる。何より相手のからの反則まがいのプレーは欧州ではほとんどが笛を吹かれていたものだからだ。
(確か今日の主審はタイ人だったか。アジアの笛の技術が未熟ってのはこういうわけか)
過去日本代表の試合を見てわかっていたことだが、実際に自分がされると怒りや苛立ちが見ていた時の比ではない。
しかしそれを爆発させるわけにもいかない。深く深呼吸をして苛立ちを宥めながら鷲介はピッチを走る。そして二十六分、小野のスルーパスがウズベキスタンDFの間を奔る。
(よし!)
右サイド深くに飛び出した小野のスルーパスに鷲介は全速力で走り、敵陣のペナルティエリア近くでボールを収める。
当然ボールを奪取すべく迫るウズベキスタンイレブンだが、鷲介から見たら彼らの反応や動きは明らかに一歩遅れている。
一呼吸整え、相手ゴールに向かう鷲介。向かってきたDFを緩急をつけたフェイントで揺さぶり右──ゴール方向へ向かう。
それは予期していたのかCBとゴールマウスに立ちふさがるGKが移動してくる。しかし鷲介は構わずさらに一歩前に出てはノールックで左にパスを出す。
(今度こそ、先制だ!)
最初の時と同じくペナルティエリアを転がるボールに堂本が走ってくる。今度こそ間違いなくゴールネットは揺れる──
そう確信すると同時に堂本がダイレクトシュートを放つ。──そして、彼の蹴ったボールは大きく飛び上がり、ゴールバーの上に飛んで行ってしまった。
「──」
驚愕と悲痛の二重奏がスタジアム中から響き渡る。そしてすぐ近くでそれを見た鷲介はたまらず叫ぶ。
「何やってんだ!!」
鷲介の口から飛び出した、腹の底からの叫び。あれはない。あり得ない。何をどうしたらあのボールを外すことができるのか──
「落ち着け柳!」
土本に強く肩を掴まれ、鷲介はハッとし、気づく。いつの間にか自分が足元の芝を踏み荒らしてることに。
「時間はまだある。焦る時間じゃない。
地団太を踏む気持ちはよーくわかるが、落ち着くんだ」
土本の宥めるような口調に鷲介は自分が相当熱くなっていたこと、そして体にいつも以上の、余計な力みがあることを自覚する。
(いつも通りだと思っていたけど、緊張していたのか……)
慣れたと思っていたスタジアムの雰囲気に知らず知らず呑まれていた自分の未熟さを恥じながら、鷲介は大きく深呼吸をして土本に謝罪する。
そしてこちらを見ていた堂本を一瞬、鋭く睨みつけて敵陣を見る。
(調整、するか)
未だ緊張している自分を元に戻すため、鷲介は思う。
再開される試合。ウズベキスタンのゴールキックがピッチ上空を飛び、日本陣内で両チームの選手が激しく動く。
そしてボールを奪った日本は小野から堂本。その堂本のポストプレーのパスを受け取った直康が左サイドを走る。
その彼に向けて手を上げてボールを要求しながら鷲介は敵陣中央に寄っていく。そして要求通り、直康からのボールがやってくるとすぐさま相手ゴール方向へ振り向く。
「来てるぞ!」
堂本の叫びと同時、ウズベキスタンの選手が迫ってきていた。しかし鷲介は慌てずスピードで振り切る。
そこへまたすぐ別のウべキスタンイレブンがやってくる。ゴール前まで二十数メートルの距離。周囲は敵だらけで味方はいない。いつもの鷲介なら反転してボールを戻すところだが、今は調子を取り戻すため、それはしない。
「ふっ!」
ボールを奪うべく足を伸ばしてきたウズベキスタンの選手の間にボールを通し、鷲介もその横をすり抜ける。そしてゴールが見えると右足を振りぬく。
ゴールが見えたと同時に打ったシュート。ゴール右に向かったボールだがまだ力みがあったのか、思った以上に曲がってしまいゴールラインを割ってしまう。
「うーん。残念」
そう言いつつも鷲介はさほど残念がっていない。とにかく今の目的は試合に勝つことでもゴールをすることでもなく、鷲介が本調子になることだ。
それから試合はやはり日本ペースで進むが得点は奪えない。日本イレブンも時間が経つにつれて硬さは無くなってきてはいるが、やはりフィニッシュの精度はまだ本調子ではない。
そして鷲介も体から緊張を排除するためとにかく動く。ボールをもらってはドリブルで突破をはかり、裏に飛び出そうとしたり、パスを出すふりをしてミドルシュートを放つ。
そんな試合展開が続き、前半ロスタイムに入った時だ。日本のCKがクリアーされ、それを直康が拾う。
それを見てペナルティエリアの右にいた鷲介は手を上げて、少し後ろに下がる。こちらのボール要求が見えたのか直康は速いボールを鷲介の所へ送ってくる。
(あ、いいボールだ)
そう思いながら鷲介は自然と体が動く。そしてその動きには無駄な力みがない。いつも通りの体の動きだ。
ボールが来るまでのほんのわずかな時間、鷲介の視線はゴール前に移り、そして狙いを決めた。直後足元に来たボールを、右足でダイレクトに蹴る。
浮かび上がり、しかしすぐさま弧を描いた軌道のシュートはウズベキスタンゴール左隅に向かい、ネットに突き刺さった。
「──よし、いいシュートだ」
得点を決めたことよりもいつも通りの手応えのシュートができたことが嬉しく、鷲介は微笑む。
スタジアム中から爆発したようなサポーターの歓喜の声が響く中、鷲介はゆっくりと右腕を振り上げた。
◆◆◆◆◆
堂本が相手DFをかわしてミドルシュートを放つ。しかし別のDFが伸ばした足にボールは当たり、跳ね返る。
こぼれ球に駆け寄っていく両イレブン。しかし誰よりも速くそれに駆け寄ったのは日本の13番、柳だ。ペナルティエリア外の正面に転がったボールに走りこみボールを収め、そして突撃してきたDFを右に切り替えしてエリアに侵入、シュートを放つ。無駄な力みがない、流麗と言ってもいい一連の動作から放たれたシュートは見事、日本の二点目となる。
(やれやれ。前半爆発した時はどうなるかとひやひやしたが、これなら大丈夫そうだ)
味方に群がられ、笑顔を見せる日本の若き天才を見て、勝は小さく安堵する。
前半、堂本が決定的シーンを外した直後、彼が怒声を上げ地団駄を踏み始めたのを見て勝は正直大いに驚き、焦った。最終予選の初戦、全員がこの場の空気に呑まれ緊張する中、彼が一番キレのある動きを見せていたからだ。もし彼が退場でもしようものならスコアレス、最悪カウンターの一撃でやられている可能性すらあったのだ。
初戦、アウェーと言うこともあって守りとカウンターを徹底しているウズベキスタン。そしてその守備はかなり厄介だ。近年のウズベキスタンの守備力はアジアでも上位に入り、オオトリ杯と同時期に行われた親善試合でも見事な守りを見せていた。
またカウンターによる反撃も結構危険なレベルにある。特に若きストライカーアレクサンドルはスピードに加え技術もある。もちろん柳ほどではないが、単独で日本守備陣を突破する実力を持った危険なプレイヤーだ。現に今日も危険なシーンのほとんどに彼が絡んでいるからだ。
二点目を奪われたウズべキスタンだが、やはり前に出ない。いや、出てこれないと言った方が正しい。元々自力では日本が上回っているせいもあるだろうが、ゴール前では柳がちょこまかと動いては相手の守備を翻弄し続けているからだ。
一見無軌道に見えて、しかし的確に相手の嫌な場所へ動く柳。敵陣中央で土本からボールを受け取り前を向いた勝は、ループ気味のパスを出す。
DFラインを超えてペナルティラインに落ちようかというボールの落下地点に走っていく柳。オフサイドは無い。しかしウズベキスタンのGKも必死の形相で走ってきている。
(さすがにこれは無理か?)
柳とGKとの距離は近い。トラップすればおそらく前を塞がれ、後ろから追っているDFにも追いつかれる。ダイレクトで撃てば入るだろうがそれもギリギリだ。
そう思う勝の目の前で、柳は後者を選択する。背中を右サイド側に向け、伸ばした左足で勝からのボールを小さく浮かせる。浮かび上がった柳のループシュートはジャンプしたGKの手をかわしピッチを一回跳ねてゴールネットを優しく揺らした。
「……!」
らしくないテクニカルなシュートとゴールに勝は大きく目を見開く。しかしこちらへ年相応の無邪気な笑顔を向けサムズアップをしてきた柳に苦笑する。
(まったく、本当に大した奴だ)
先日のインターナショナルカップで対戦した時も感じたが、改めて世界基準のプレイヤーだと勝は思う。今の代表FWの中ではとびぬけている。
柳にハットトリックを決められたウズベキスタンは明らかに士気が激変し、逆に日本は熱狂するサポーターの声援に押され、相手を圧倒する。
土本のセンタリングからの堂本のヘディングをGKが防ぎDFが必死に遠くへ遠ざける。日本陣内まで飛んだボールの行方を追う最中、ライン上に勝の視界に両チームの交代選手がいるのを見る。
井口がボールを収めたのを見て視線をライン上に向けた勝は眉をひそめる。交代で入るの鹿島で、ピッチから出るのは柳だからだ。
(堂本さんとの交代じゃないのか)
前半やらかした堂本は後半、いいプレイは見せてはいるものの決定的シーンはほぼない。今日の出来は明らかによくない。
とはいえ交代する意味もわからなくもない。最終予選空気に慣れたとはいえ現在の柳の動きは明らかに前半より落ちている。次戦も出場させるならほぼ勝ち試合となったこの試合、これ以上出場させる理由もない。
そう思いながらボールは日本イレブンを巡り敵陣中央にいる小野の元へ。すぐさま近くのウズベキスタン選手が寄ってくるがフォローに来た高城とのワンツーでかわし前に出る。
(これはどうするかな?)
ペナルティエリア前にいる柳に勝はボールを送る。今日の活躍で──当然と言えば当然だが──警戒されてる柳にサムヴェルたち二人の選手が即座に距離をつめてくる。
収める柳だがサムヴェルのディフェンスに前を向けない。そしてもう一人からボールを奪われまいとキープするだけで精一杯のようだ。
疲労している現在、さすがに前を向いて突破するのは無理だったかと思いすぐさま勝がフォローに入る。堂本も勝と同じように手を上げてボールを要求したその時だ、柳はあの爆発的な加速を見せて反転、サムヴェルたちの間を抜抜けてしまう。
(ラーボ・デ・バッカ!)
ポルトガル語で”牛のしっぽ”という意味のドリブルフェイント。テクニックではなくスピードに偏った動きだが、彼のスピードも相まって恐ろしく速い。サムヴェルたちが完全に置き去りにされた。
慌てた様子で飛び出すGKだが、柳は見事な冷静さを見せてはGKが動いたのをは逆方向にシュート。四点目を叩き込んだ。
◆◆◆◆◆
ウズベキスタンが日本ゴール前に放ったボールが大きく跳ね返されラインを割る。そして次の瞬間、ピッチに試合終了の笛の音が鳴り響く。
「よおおおしっ!」
勝利したことに監督が大仰なガッツポーズをとり、スタッフたち他の面々も喜びをあらわにする。
「よっし! 勝った!」
「お前のゴールのおかげだ!」
「あ、ありがとうございます」
鷲介も隣に座る九条と牧に賞賛され同時に体や肩を叩かれる。ベンチメンバーもスタッフや監督に引けを取らないぐらい大仰に喜んでいる。
(まだ初戦勝っただけなのに、喜び過ぎな気もするが……)
とはいえ鷲介にも少なからず安堵の気持ちはある。ベンチに下がった後のウズベキスタンは負け確定と言ってもいい点差にも関わらず最後まで諦めなかったからだ。
そして終盤、その執念が実ったのかロングボールからのヘディングが一度、日本ゴールに突き刺さった。そしてそれ以降も積極的に攻めては守っていた。ユースやトップリーグで同様の状況になった対戦チームは時折、疲労や次節を考えて無理をしなかったり、ラフプレーに走ったりすることもあったが、そんな雰囲気や行為は全くなかった。
(アウェーではなかなか苦戦しそうだな)
怪我で欠場しているウズベキスタンのエースも──何事も無ければ──出場するであろう次戦のことを思いながら、鷲介は戻ってきた選手たちと抱擁をかわす。
そして応援してくれたサポーターの元へ挨拶に行こうとしたところでスタッフからインタビューがあると声がかかり、急かされてメディアの前に出る。
「初戦いきなりの四ゴール、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。最初は思っていた以上に体が動かなかったんですけど、最初のゴールで一気に緊張が解けました。それが結果に結びついたのだと思います」
絶え間なく炊かれるカメラのフラッシュに目を細めながら鷲介はインタビューに応じる。
「ドイツリーグでも代表でも絶好調。この様子でしたら最終予選全勝に得点王、MVPも獲得できるのではないでしょうか!」
「そんな最高の結果が得られればいいと自分も思っています。やはりFWですから得点にはこだわりたいですし」
笑顔で言う鷲介。しかし心中では嘆息している。先程からこのインタビュアーの発言は妙に軽く楽観的だ。サッカーについてそこまで詳しくは無いのだろう。
(リーグのインタビュアーならこんな気持ちになることもないんだけどな)
とはいえ喜んでいる彼に無粋に突っ込む気はない。それからいくつかの応答を終えて試合後インタビューは終了。次にキャプテンである井口が受けているのを見ながら鷲介はサポーターの方に歩いて行っているメンバーと合流する。
「インタビューお疲れさん」
「そっちもな。短い時間とはいえいいプレイをしていたぞ」
「4ゴールも決めた奴から言われても嫌味にしか感じないぜー」
笑いながら鷲介の肩を叩く中神。鷲介も「本当だって」と言いながら彼と連れ立って歩く。
オオトリ杯のすぐ後にバルセロナ・リベルタ2に移籍した中神。海外移籍して間もない日本への帰還にコンディションを不安視する声もあったが、鷲介のすぐ後にピッチに出た彼のパフォーマンスはその不安を払しょくするには十分だった。
何より目を引いたのが反応の鋭さと体の動きだ。それはよく見て気付くが気づかないかの微細な差だが、Rバイエルンと言う幾人もの名手が集うチームにおり、また彼らに劣るとも勝らないプレイヤーを幾人も見てきた鷲介の目はそれを捉えていた。
数ヶ月も経っていない短い時間だが、母国の一つともいえるスペインとバルセロナRの環境は確実に中神をレベルアップさせていたようだ。
「ま、前半ガチガチのメンバーやピッチを地団駄した柳を見てちょっと心配したが」
「前半の醜態は忘れろ……」
「ははは、無理だって。──何はともあれ初戦勝利で少しは弾みがつくだろうから、次からは今日のようにはならないだろうな」
「そうだな」
もし引き分け、または負けだったら次戦は今日のような、またはそれ以上の酷い状態になっていただろうが。
「なにはともあれ最終予選は始まったばかり。残り九節、全部勝ってW杯へ乗り込もうぜ」
「ああ、そうだな」
堂々とした口調で言う中神へ、鷲介は自然と頷くのだった。
◆◆◆◆◆
「すまない。待たせたなキム」
駐車場の車に背を預けている同僚にして同胞へ謝罪するファン・ジョンス。しかし謝罪された彼はこちらに顔を向けず、手に持っているタブレットを食い入るような眼差しで見つめている。
いや、見つめていると言う生易しい視線ではない。睨みつけている、もしくは突き刺さんばかりと言った方が正解な剣呑な眼差しだ。
「どうしたんだ、キム」
「……ああ、ファンさん。すいません。ちょっとこれを見ていまして」
声を低くして問うたファンに気が付いたのか、彼はタブレットから視線を外し、余裕と斜が入り混じった笑みを浮かべる。
彼はキム・ヒョンス。まだ21歳という若さでありながらファンと同じイングランドリーグ一部のニューカッスルFCに所属する選手でありクラブ、代表とも不動のスタメンを掴んでいる期待の若手だ。順調に成長すれば間違いなく韓国、いやアジアを代表するDFになり、ビッククラブへの移籍すら可能と目されている。
「この間の日本の試合です」
「ああ、二連勝したんだったな」
W杯アジア最終予選が始まってすでに二戦終了している。韓国は順当に二勝しており、グループ最大のライバルたる日本も同じく二勝だ。
4-1でウズベキスタンを下した日本は二戦目、アウェーでシンガポールと対戦。初戦と違い最初から攻撃陣が躍動した日本はこの試合も4-2と快勝していた。
「この調子なら互いに三勝して戦えそうですね」
「そうだな。しかしシュウスケ・ヤナギ──”サムライソード”という字を持っているそうだが、それにふさわしいキレを持っているな」
シュートにドリブル、動きだしなどの反応も凄まじい。明らかにアジアのレベルを逸脱している。初戦でも四ゴールと爆発した彼はシンガポールのホームスタジアムでも1ゴール2アシストと大活躍だった。
(やはり日本の最重要プレイヤーはシュウスケ・ヤナギだな)
そう思った直後、ファンはぎょっとする。キムが先程よりもさらに物騒な眼差しをタブレット──画面に表示されているヤナギに向けていたからだ。
「……どうした。妙におっかない顔をしているな」
「そうですか?」
「ああ。まるで敵を見るような目付きだったぞ」
「……そうですね。ヤナギとはちょっと因縁がありますからね」
そう言ってキムはタブレットをこちらへ向ける。そこに映っていたのは日本の新星の昨季のドイツリーグにおけるゴールシーンだ。
「そう言えばお前はドイツのクラブにいたことがあったんだったな」
「ええ。と言ってもプロになったのは英国ですけどね」
「ということはマッチアップしたのはユース時代か」
詳しくは知らないがキムのプレイに当時のニューカッスル監督がいたく気に入り、プロになることを確約して彼がいたドイツのクラブから引き抜いたいのだと言う。
「因縁と言ったが、ユース時代何かあったのか」
「はい。まぁ色々です。……俺が潰そうして潰し損ねた奴ですから」
最後の方、何か言ったようでファンはそれを問い返そうとするが、それを遮るようにキムは大きな声を出して肩をすくめる。
「しかし最終予選、日本と同組になるなんて、ずいぶん久しぶりじゃないですか」
「あ、ああ。そうだな。数十年ぶりということもあって母国のサッカー雑誌やニュースでも賑わっているようだ」
「ファンさんも、やる気が湧いてくるでしょう?」
「まぁ、そうだな。やはり俺たち韓国にとってはライバルと言うべき国だからな」
「ライバルなんて温いなぁ……。敵だろ敵」
「キム?」
「いえ何も。ま、何にしても会うのが楽しみです。
本当に、楽しみですよ」
そう言って笑みを浮かべるキムに思わずファンはゾッとする。それはずっと探していた獲物を目の前にした肉食獣のごとき狂相だったからだ。
(日韓戦。どうなるにしろ、ただでは済みそうにないな)
同僚の様子と賑わい過ぎている母国のメディアの様子を思い、ファンは小さく息をつくのだった。