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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第二部
45/191

開幕前






「負けたかー……」


 日和田家のリビングにある大きなTVの画面から聞こえる試合終了のホイッスルを聞き、鷲介はため息をつく。映し出されている試合はイタリアのローマ行われているローマオリンピックのサッカーの試合だ。

 準々決勝、日本対ブラジル。表示されているスコアは1-3で日本の敗戦となっている。


「試合自体は押され気味だったけど戦えてはいたよね。決定機に決めていれば勝てた試合だったように思うよ」

「私もそう思う。ま、それが両チームの差でありスコアに反映されたんだろうけど」


 そう言うのはイザベラだ。父親の祖国ブラジルが勝ったことが嬉しいのか上機嫌だ。

 イザベラが鼻歌を歌いながらリビングから出て行った後、二人は活躍したテツについて話す。


「でも藤中くん、活躍していたね。今日の先制点もそうだけど、グループリーグでも二得点してるしチーム得点王になるなんて」

「グループリーグの二点はセットプレーからのヘディングっていういつものパターンだったけど、今日の得点は確かに凄かった」


 前半二十分過ぎのことだ。中盤でボールを奪取したU-23日本代表のショートカウンターが炸裂。ボランチの位置から一気に前に駆け上がったテツは味方からのパスをゴール正面、二十数メートルの距離からダイレクトシュート。ブラジルゴール左隅にボールを叩き込んだのだ。


(言った通り、頑張ったなテツ)


 先日の代表合宿の別れ際のことだ。彼はフル代表から落ちたことを一切気にする様子を見せず、鷲介と中神に向かって「オリンピックで活躍して追いつくから待っていろ」と言い放ったのである。

 そして言葉通り彼は結果を出した。オリンピックメンバーの中でも目立っていたし、もしかしたら最終予選に招集されるかもしれない。


「あのシュートがあったからそれまで押され気味だった日本に勢いがつき、最後の最後までブラジルと渡り合えたと言っても過言じゃない。

 もしかしたらあいつ、来るかもな」

「来るって……もしかして欧州に移籍するってこと?」

「あり得なくはない話だ。グループリーグの活躍で欧州のクラブが注目しているっていう記事を見たことはあるし、中神っていう事例もある」

「中神選手も頑張っているもんね」


 先日バルセロナ・リベルタのセカンドチーム、バルセロナR2に移籍した中神だが、プレシーズンマッチではゴールやアシスト等結果を残しており、開幕スタメンが有力と現地紙や日本の記事でも書かれている。


「もし藤中くんが移籍するとしたらどこの国かな。やっぱりドイツリーグに来るのかな」


 由綺が最初にドイツリーグを上げた理由は簡単だ。現在の日本人選手の海外移籍の主流となっているのがドイツリーグだからだ。

 代理人のマルクスから聞いて話だが日本人選手がドイツに集まるのは、日本人のテクニックが好まれている、生真面目なドイツ人と日本人の気質が合っているなど理由はいくつもあるが、単純に戦力として認められている点が一番大きいらしい。

 他の国──特に日本人に人気のあるスペイン、イングランド、イタリアリーグももちろん実力を評価していないわけではない。だがそれと同じぐらい彼らは日本人選手のマネジメントの価値も重要視している。はっきり言えば実力+裕福な日本人観光客を呼び寄せる客寄せパンダ的な役割を求めているのだ。

 ただドイツは昔からそう言う傾向は少なく純粋に戦力として日本人選手を扱っており、また自国選手を規定数揃えれば、いくらでも外国人を揃えても問題視されないドイツリーグ故の、徹底した実力による選手評価は日本人に好まれ、移籍する選手の数も増加。そして現在の日本人に人気だった他リーグではなくドイツリーグに移籍する流れができたのだと言う。


「たしかU-17フランスW杯の時、テツの奴将来はイタリアリーグに行きたいとか言っていたな」

「じゃあイタリア?」

「それはどうかな。将来的とも言っていたしテツの真面目かつ頑固な性格から考えてまずドイツや他の日本人がいるリーグに来て、そこからイタリアに行くかもしれないし」

「もしくはオランダ、ベルギーを経由する可能性もあるかもね。近年日本人選手の出入りが結構多いし」


 戻ってきたイザベラを含め歓談する鷲介たち。しばらくすると玄関の扉が開く音が聞こえる。


「賑わってるなー。何を楽しそうに話しているんだ?」


 ひょいとリビングに姿を見せた光昭。モデルの仕事だったのか妙に髪が整っており肌艶もいい。


「なるほど移籍についてだったか。まぁこの時期の楽しみではあるな。

 Rバイエルンもファン・ニステローイ選手やトゥドール選手、ハイデンライヒと言った名選手が来たわけだし、他のクラブも少なからず人の出入りはあるからなー」


 手荷物を部屋に置いてソファーに腰掛ける光昭。妹が用意したコーヒーを一口飲んだ彼は鷲介を見て、にやりと意味深な笑みを浮かべる。


「お前も今季の移籍シーズンは驚いたんじゃないのか?」

「そうですね。──本当、驚きましたよ」


 光昭へ半目を向ける鷲介。あの・・移籍情報は決して大きいものではなかったが鷲介にクルト、その同期を驚かせるには十分だった。

 特に昨シーズン、半年だけとはいえ所属していた鷲介にとっては二重の驚きだったと言ってもいい。そしてこの様子、やはり彼は知っていたのだろう。


「しかしまだ移籍市場が閉じるまで時間はある。スレイマニ選手を始め、色々と噂のあるビックネームはどうするのか」

「いやスレイマニさんは無いでしょう。ゴシップ記事が飛ばした奴ですし。まぁ他の面子については分かりませんが」

「さーてどうかね。時折そう言った記事が大当たりってこともあるからな。

 近々始まるアジアと欧州のW杯予選も含めて、今年もサッカーを楽しめそうで何よりだ」


 そう言ってコーヒーを飲み干す光昭だった。






◆◆◆◆◆






「アジアとヨーロッパも来月には予選開始かー」


 練習が終わった後のロッカールームで着替えながら、ブルーノは呟く。すでに着替えを終え、鷲介たちを待つクルトが頷く。

 最近行っている鷲介の居残り練習に付き合ってくれたのだ。


「南米の方はもう始まっているんでしたよね」

「ああ。一年ほど前にな。アジア最終予選やヨーロッパと違ってグループに分かれることもないから試合数が多いんだよなー」


 南米サッカー協会に所属している十か国のナショナルチームの総当たり戦だ。ヨーロッパやアジア最終予選の倍もあるのなら時間がかかるのはしょうがないと言ったところだろう。

 南米予選では上位四チームがW杯本戦に自動的に出場。五位のチームは大陸間プレーオフに周りその結果次第で出場権を得る。


「ドイツはまぁ特に強豪もいない平穏なグループだったな。予選突破おめでとう」

「まだ決まったわけじゃありませんよ。それにルーマニア、アイスランドっていう曲者がいるし油断はできません」


 クルトの言うとおり、ドイツと同組のその二チームは曲者だ。ルーマニアは前回W杯出場国であり、アイスランドは先のEUROのグループリーグでポルトガルを破っている。万全のドイツなら負けはしないだろうが、油断すればわからない。


ウルグアイそっちはそっちで苦戦しているみたいですね」

「まーな。アルベルトの奴を招集したがブラジルやアルゼンチンも同様に”ゾディアック”を呼びやがった。おかげでこの間の試合は大変だったぜ」


 昨年十一月にブラジル、今年三月にアルゼンチンと戦ったウルグアイ。ブラジル戦はホームながらも途中出場したロナウドが獲得したPKによるゴールで敗戦し、アウェーのアルゼンチン戦ではミカエルの先制弾を含めたアルゼンチンの三ゴールの前に逆転負けを喫している。

 それらの結果から現在ウルグアイは予選四位。ただし五位のパラグアイ、六位のチリとは勝ち点差がほぼない団子状態だ。


「それに引き替えお前たちは楽そうでいいな。ドイツもそうだが日本も予選突破は確実だろ。

 まぁ韓国っていう日本の永遠の宿敵がいるけどな」


 にやにやといやらしい笑みを浮かべるブルーノ。だが鷲介は韓国と聞き、そしてそのチームにいるであろうある人物のことを思い浮かべ反応しない。


「……おい、どうした。いきなりマジ顔になって黙り込んで」

「いえ別に。まぁ確かに韓国は厄介な相手ではありますね」


 アジア最強FW、イングランドリーグのマンチェスター・アーディック所属のアン・ソンユンを筆頭とするイングランド三銃士。そして日本同様、欧州のクラブに所属する選手を多く揃えている韓国。

 認めるのは癪だが、確かに強敵かつ厄介極まりない相手だ。──特に日本と戦うときは・・・・・・・・あらゆる意味で・・・・・・・


「まぁアジア最終予選は上位二チームが本戦出場できるわけですから、仮に負けたとしても他のチームに全勝すればいいだけです」


 日本と韓国のグループにはウズベキスタン、オマーン、イラク、シンガポールが所属している。最優予選まで残ったチームゆえ油断はできないだろうが、それさえなければ日本の戦力なら全勝できると鷲介は思っている。


「そう簡単にいくと思わない方がいいぞ鷲介」


 そんな鷲介の心中にくぎを刺すようにブルーノが言う。着替え終えた彼はこちらを向き、真剣なまなざしを鷲介に向ける。


「本戦もそうだがW杯予選の試合には国の威信がかかっている。どんなチームも簡単に諦めないししぶとい。

 初出場してから日本は連続でW杯に出場しているが、予選で楽だったことがあったか?」

「……言われてみれば、無いですね」


 過去にも予選突破は確実と言われたことが何度かあったそうだが、その時も予選敗退の危機に陥ったり、最後の最後までわからない状況だった。

 W杯出場の常連、アジア屈指の強豪国になった日本だが、現在まで最終予選では苦しんでいるのだ。戦力的には確実に上回っていると言うのに──


「ここドイツにもアジア最終予選の厳しさは伝わってきている。日本よりもW杯に出場している韓国やイランなどの強豪も苦戦を強いられている。

 また主審の質やアウェー先の対応などで問題や不備が発生することも珍しくないからね」

「”中東の笛”とかが有名ですね」


 鷲介の言葉に頷くクルト。


「決して油断をしねーことだ。常に万全の状態で挑めるわけじゃないし、挑めると思わない方がいい。お前が経験した親善試合やアンダー世代の大会とは全く別物だからな、W杯予選は。

 雰囲気も応援もクラブとは全く違う。ダービーやライバル同士のクラブの試合に似ているが、雰囲気やサポータの応援はあれとは比較にならない熱とヤバさがあるからな」

「ヤバいって……そんなにですか」


 鷲介が問い返すとブルーノは二回ほど強く頷き、何かを思い出したのか少し顔を青ざめさせる。


「ああ。そんなにだ。特に終盤になるにつれてヤバさが跳ね上がる。

 特に近い順位との相手とはぶっちゃけて言うと暴動、または乱闘一歩手前の雰囲気そのものだからなー。それに影響されて相手チームが普段の二割増し強くなるなんて、ざらだぞ」


 荒いサポーターで有名な南米出身のブルーノの言葉から異様な説得力を感じ、思わず鷲介は押し黙る。


「ま、とにかくだ。油断せず全力を尽くすのは当然として、スタッフとチーム、サポーターが本当の意味で一丸となって戦うのが予選でありW杯本戦だ。もし困ったら遠慮なく代表の先輩たちに頼るんだな」


 そう言ったブルーノへ鷲介が頷いた時だ。彼は真面目な顔から一転、いつものからかうような笑みを浮かべる。


「でもお前やナカガミはあんまり代表の先輩たちと仲良くはないらしいなー。ドウモトからは嫌われているとか敬遠されているらしいじゃないか」

「なんで知ってるんですか!?」


 思わず声を荒げる鷲介。ブルーノはそっぽを向いて「ネットって便利だよなー」と嘯き、


「嫌われる理由もわからんでもないけどな。お前お大人しい振りして結構ずけずけと物言うし、特に日本人ってのは年功序列を重んじてるってセルヒオが言ってたしなぁ」

「情報の出所はそこですか……」


 ソルヴィアート鹿嶋所属のウルグアイ代表FWの名前を聞き、げんなりとなる鷲介。

 そんな鷲介の肩を慰めるように叩き、ブルーノは言う。


「ま、仲が悪いことはあまり気にするな。本当にヤバくなったら個人のちんけなプライドを捨てて協力するのが本当のプロであり、W杯に出場するサッカー選手だ。

 ──できなければ、それまでだけどな」


 にやりと人の悪い笑みを浮かべるブルーノ。上げた直後にすぐ落す心底意地の悪い同僚へ鷲介は半目を向けるのだった。





◆◆◆◆◆






「ただいまー」

「おかえりー!」

「おかえりなさい」


 クラブハウスから帰ってきた鷲介の耳に、バタバタと騒がしい足音と玄関まで走ってきたリーザとヴィンフリートの元気な声が聞こえる。

 腹部に体当たりし抱き着いてくる可愛いリーザと手を繋いでくるヴィンフリートと一緒にリビングに行くと、そこにはサーシャとセレスティーヌの二人が出迎えてくれる。


「おかえりなさい」

「あら、ちょうどいいタイミングね」

「ただいまです。ちょうどいいとはなんですか?」


 鷲介がテレビの前に座っている金髪美女二人へ問うと、セレスティーヌがテレビ画面を指差す。


「ああ、ミュンヘン・フットボールですか」


 地元ミュンヘンのローカルテレビが週に一度やっているサッカー番組だ。Rバイエルンの直近の試合結果や情報はもちろん、他クラブに所属する地元の選手の紹介や面だって放送されないジュニアユース、ユースの試合結果なども配信される。

 荷物を部屋に置き手洗いを済ませてリビングに来ると、画面を見ると先日行われていたインターナショナルカップやその後のプレシーズンマッチについての結果が映っている。

 ソファーに腰を下ろした鷲介の両隣をリーザたちが座り、サーシャが持ってきたお菓子を一緒に食べていると、セレスティーヌが訊ねてくる。


「ところでチームの様子はどう? 今季はCLカンピオーネリーグを制することはできそうかしら?」

「まだ何とも言えませんよ。ジークさんは?」

「鷲介くんと同じ答え。テレビではファン・ニステローイ選手が加入し、スレイマニさんが調子を取り戻した状態なら制するだろうって言う声もあるけど」

「まぁそうですね。ジークさんを含めたそのスリートップは欧州でも屈指ですから」


 しかしそのベストメンバーと言うべき三人の真価は発揮できてはいない。

 というのもスレイマニは昨シーズンのCL決勝トーナメントにて負傷し、怪我が治ることなくシーズンを終えた。その怪我もインターナショナルカップでRバイエルンが敗退した直後直ってはいるものの、プレシーズンマッチではファンや解説者が期待するほどのものは見せていない。

 また今回スレイマニはどうもコンディションが上がっていない。体のキレは悪くないのだが集中力が散漫なように思える。


(やっぱりお母さんの事が気になっているんだろうか)


 スレイマニの母親が倒れたと聞いたのはインターナショナルカップにて敗退した直後だ。スレイマニはすぐさま故郷に帰り、母を見舞ったのだと言う。

 しばらく床に臥せっていた母親だが現在は元気になっているそうだ。しかし戻ってきてからのスレイマニはどこか思い悩むような姿を見せることが多くなった。

 一部のメディアでは母親のために故国セルビアのリーグに移籍すると言う話も上がっているが当人は何も言わず真偽は定かではない。


「アレン選手もいるし、今期も鷲介くんは厳しい戦いを強いられそうね」

「スレイマニさんにもアレンさんにも負ける気はありませんよ。──当然ジークさんにも、です」

「まぁ不敵なセリフね!」


 からからと笑うセレスティーヌ。

 先程まで今季のドイツリーグやカップ戦について話していたテレビはCLへの話題に移っている。


「ギリシャのオリンピアFCにスコットランドのセルティック・グラスゴー」

「そしてスペインのアシオン・マドリーですか」


 画面に表示された三チームはCLグループリーグで戦うチームだ。オリンピアFCにセルティックGは戦力的にRバイエルンに劣って入るものの、近年CLの常連チームであり侮ることはできない。


「それにしてもグループリーグでスペイン三強と当たるとはねー」

「昨季のCLではベスト16。可能性としてはありましたけど……」

「まー正直当たりたくはない相手でしたね」


 昨季のCLベスト16で敗退したAマドリーだが、負けた相手は準優勝チームであり同じスペイン三強、そして共に首都マドリードをホームタウンとするレイ・マドリーだ。

 彼らと最後まで接戦を演じたAマドリーは戦力、格と共にRバイエルンと同等と言ってもいいまごうことなき強敵だ。


(まさかこんなに早く再会するなんてな)


 液晶画面に表示されるAマドリーの要注意人物の中にいるミカエルとペドロを見て鷲介は思う。つい先日のオオトリ杯に戦い、再戦を誓った二人との速すぎる邂逅。


(……上等だ)


 こんなに早くCLで”ゾディアック”と会いまみえることに自然と鷲介の唇が笑む。代表チームならともかくクラブ同士の戦いなら十分勝機はある。面子でも負けてはいない。

 番組を見ながら鷲介がAマドリーに思いを馳せていたその時だ、胸元に入れていたスマホがメールの受信音を鳴らす。誰かと思いチェックしてみれば、文面の内容に大きく目を見開く。


「にぃにぃ、どうしたのー?」


 突然立ち上がった鷲介にリーザが首をかしげるが、鷲介は応えずスマホのメールを改めて見て、それを呟く。


「スレイマニさんが移籍する……?」





◆◆◆◆◆






「それじゃあ、スレイマニの新天地での活躍を願って、乾杯!」


 音頭を取ったフランツとスレイマニの隣にいるルディ、二人の間にいるスレイマニがビールがなみなみ注がれたジョッキを派手にぶつける。

 ドラガン・スレイマニ、セルビアの強豪ツルヴェナ・ズヴェズタFCへの電撃移籍──。移籍期間ギリギリ、シーズン開始直前で起こった翌日、最後の練習を終えたスレイマニとその友人知人たち、そしてRバイエルンのチームメイトは”シュテルン”を貸切り、送別会を開いていた。


「ぬおおー! まさかルディさんに続いてスレイマニさん、あなたまでいなくなるとは! 寂しいぞー!」


 さっそくジョッキを空にしたフランツが吼える。

 そう、チームを去るのはスレイマニだけではない。ルディも──いや、正確に言えばルディはすでにチームを去っている。

 昨シーズンでちょうど契約が切れたルディはインターナショナルカップ前に古巣のレーベ・ミュンヘンに移籍していた。そしてプレシーズンマッチでは好調を維持、古巣のスタメンを獲得しているそうだ。


「話すのは、しばらく後だな」

「あれだけ人がいれば、近づくのは難しそうだしな」


 鷲介の横でそう言うのはレヴィアー・ドルトムントの若きエース、カールだ。ポウルセンたちにともにやってきたのだ。


「それにしてもお前が来るとは思わなかったな。スレイマニさんと接点あったのか?」

「幾度か対戦していたし、以前病院で会ったこともある。まぁ少し話をしてみたいと思ってポウルセンさんやヴラディミルさんと共に来たわけだが」

「後輩そっちのけで楽しそうに歓談しとるなー」


 そう言って鷲介は視線をスレイマニとそのすぐ近くにいる男に向ける。長髪の彼はヴラディミル・オシム。今季Rドルトムントに移籍してきた選手でセルビア代表不動のCBだ。


「移籍の理由は知っている。故郷の、育ったクラブで活躍するところを親に見せたいだったか」

「ああ」


 まだチームと契約を一年残しているスレイマニが移籍する理由はゴシップ誌が飛ばした情報の通りだった。

 詳しい話を聞くと倒れた母親は元気になったものの、元々体が強くなく病気の完治も通常以上の時間をかけて治療しているのだと言う。また数年前夫が病で亡くなったとすっかり老け込んでしまっていたのだという。


「亡くなった親父さんも所属していたツルヴェナ・ズヴェズタFCか。今季もCLに出場するんだよな」

「ああ。CLの予選を勝ち抜いての出場だ。とはいえ一昨年から金満のスポンサーがついたらしく有力選手を買いあさっているそうだな」

「なるほど。その莫大なバックボーンのおかげで契約を残した、年齢的に絶頂期のスレイマニさんを獲得したわけか」


 ツルヴェナ・ズヴェズタFC。セルビアを代表するクラブであり旧ユーゴ圏の過去の名選手に、セルビアを初めとする東欧の代表たちが数多く所属しているクラブだ。

 CL、ELに度々出場している欧州でも強豪チームであり、過去、CLの前身ともいえる大会では優勝も果たしている。

 

「しかも俺たちと同組だ。難敵はブルーライオンCFCだけかと思ったが、あの人が加入すればそれに匹敵するチームになるな」


 眉根をひそめるカール。Rドルトムントのグループステージの相手は昨季イングランドリーグの三位、CLベスト16のブルーライオンCFCにポルトガルリーグ、カップ二年連続王者のポルトSC。そしてツルヴェナ・ズヴェズタFCだ。


「確か死のグループって言われているんだっけかお前のグループは。大変だなー」

「全くだ。──しかし考えようによってはこれらの強敵を完膚なきまでに打ち倒せばチームにこれ以上ない勢いがつく」


 不敵に微笑むカール。それを見て鷲介がらしいなーと思った時だ、誰かから声がかかる。


「さすが我がチームのエース。素晴らしい意気込みだ。

 初めましてだなシュウスケ・ヤナギくん。ヴラディミル・オシムだ。カールやポウルセンから話は聞いている」


 視線を向ければいつの間にかすぐ近くにヴラディミルの姿があった。間近で見ると、歳という年齢の割にはやや老けて見える。


「しかしまさか俺と入れ替わりでスレイマニさんがセルビアに戻るとはな。久しぶりに同じリーグでやり合えると思っていた俺としては残念だ」

「確かCLに一度とジュニアユース時代に一度やり合ったきりなんでしたよね」

「ああ。その直後にスレイマニさんはレーベ・ミュンヘンのユースにスカウトされてしまったからな。代表では共に戦うことは多かったが敵として相対したことはほとんどないんだよな」


 スレイマニから聞いた話を鷲介が言うと、隣に座ったヴラディミルは手にしたグラスに口をつける。先程飲んでいたビールではない透明な酒を見て、思わず鷲介は訊ねる。


「なんですそれ?」

「ラキア、セルビアの国民酒というべきものかな。そう言えばお前たちは18歳になったんだったな。飲んでみるか?」


 誕生日後、両親と定期的に酒盛りをしている鷲介は興味をひかれるが、カールは即座に断る。


「いえ遠慮します。スレイマニさんと話す前に酔っぱらってしまっては来た意味がないので」

「酔っぱらうって、度数高いのか」

「最低40、ものによっては50~60らしい。俺は一口飲んですぐにぶっ倒れた」

「……も、もうちょっと酒の経験を積んでからにしますね」


 さすがに先輩の歓迎会でぶっ倒れるという醜態をさらすわけにはいかない。そう思い鷲介が断るとヴラディミルは残念そうな顔をして空になったグラスにラキアを注ぐ。


「しかしRバイエルンとの対戦は楽しみではある。あの人の後継者と言うべきクロアチアのアレンにヤナギ、君がいるからな。

 知っているとは思うが、俺は強いぜ?」

「わかっていますよ。インターナショナルカップの試合、見ましたから」


 Rバイエルンが決勝トーナメント一回戦で敗退したインターナショナルカップ。Rドルトムントはベスト8まで勝ち上がったがバルセロナ・リベルタに屈した。

 他の強豪クラブ同様トップ昇格や新戦力を多く運用してたRドルトムント。その中でヴラディミルはポウルセン達レギュラーメンバーとほぼ遜色がない動きをしていた。決して侮ることはできない相手だ。


「でもまったく敵わないとは思いませんでしたけどね。少なくともポウルセンさんやバレージさんに比べたら」

「はっきり言うな! でも世界最高峰と言われるCB二人に比べたらそうだろうさ!」


 はははと笑い背中を叩くヴラディミル。それからしばらくとりとめのない話をした後、ヴラディミルが別の場所へ行き、またスレイマニの周りの人の数が少なくなってきたのを見て、カールと共に宴の主役の元へ向かう。


「鷲介。それにカール君。どうした?」

「いえ、ようやく人も捌けてきたので挨拶をしておこうと思って。あとカールは何か話があるんだったか」

「そういえばそんなことを言っていたなー」


 酔っているのか、陽気な様子のポウルセン。カールは一瞬、そちらに半目を向けるもすぐスレイマニの方を見て口を開く。


「母親の側にいるためツルヴェナ・ズヴェズタFCに移籍すると聞いています。その、失礼でなければ教えてほしいのです。

 それだけが移籍の理由ですか。母親の体が弱いのなら医療が整ったドイツへ呼び寄せて共に暮らすと言うこともできたのではないかと」


 カールの言葉に酔っていたスレイマニの目が正気に返る。彼はグラスに注ごうとしていたラキアの瓶を置き、言う。


「それは父さんが亡くなった時に提案したんだ。でも母さんは故郷から離れたがらなくてね。

 両親はあの独立紛争の直撃世代。故国に対する思い入れはきっと私たちが思っている以上に強いのだと思う」


 彼の言葉を聞き、カールは「すみません。軽率でした」と謝罪する。

 『東欧のブラジル』とまで言われた旧ユーゴスラビアに起きた独立戦争。クロアチアやセルビアが誕生したそれは──授業で習った程度しか知らないが──相当なものだ。

 スレイマニの母親の故国への思い。おそらくそれは体験しない限りわからないものだろう。


「それとツルヴェナ・ズヴェズタFCに戻りサッカーをするのは私の夢の一つではあったからね。

 あのクラブで私のサッカー選手としての人生は始まった。今回の件が無くても数年後には戻っていたと思う。生まれ育った場所で最後の一花を咲かせる。そう言った選手は珍しくはない」


 スレイマニの言うとおりだ。近年給料のいい中国や中東に移籍する選手もいるが、スレイマニのような異国でサッカーをしていた選手が故国に戻りサッカー人生を終えるのはよく聞く話だ。


「カール君は確か最初はRバイエルンのジュニアにいたんだったな」

「いえスレイマニさん。カールはフランベルクですよ」


 鷲介が訂正するがスレイマニの言をカールが肯定する。


「スレイマニさんの言うとおりだ。俺のサッカー人生の始まりはRバイエルンのジュニアだ。もっともいろんな事情ですぐにフランベルクに移ったがな」


 その辺りは話したくないのか、カールは口をつぐむ。


「カール君はいつか将来、フランベルクかRバイエルンに戻る気はあるのかな?」

「どうでしょう。正直想像したこともありません」

「鷲介はどうだい? いつか日本に戻ってサッカーをする気はあるのかな」

「今のところないですね。俺がプロになり、なるために育ったのはRバイエルンです。

 始まりは確かに日本でいろんな思いはありますけど、サッカーをしたいと思うほどのものはありませんね」


 故国日本でサッカーを本格的に始めて約9年。しかし日本での時間よりもドイツにいる時間の方が圧倒的に長いのだ。サッカー選手としての思い入れは後者の方が強い。


「国への思い入れは薄い、か。なら鷲介、何故君は日本代表を選択した? あと数年もすれば国籍をドイツに移し、代表を目指すこともできただろう?」

「それは……」


 スレイマニの問いに鷲介は目を瞬かせる。

 そしてしばし沈黙し、応えられない事に気づく。理由はわからないからだ。

 彼の言う通りあと数年待ちドイツ国籍を取得すればドイツ代表を選択することもできた。だがもし代表となるのなら脳裏には日本代表しか浮かばなかった。

 生まれた国だからか。それとも他の理由があるのか──


「わからないか。まぁいいさ。私も明確な理由があるわけではないし」

「そうなんですか?」

「ああ。故国の両親や友人知人を喜ばせたかったのは間違いはないがね。それ一つだけではないよ。

 代表のレジェント達に憧れたとか、代表のユニフォームを着てみたかったとか。まぁ色々だ」


 そう言ってつまみを口に放り込むスレイマニ。


「まぁ君たちはまだ二十歳にもなっていない若者だ。五年後、十年後には私のような気持ちになっているかもしれないし、今と変わっていないかもしれない。

 ただ一つ言えることは、私は今回の移籍について後悔はしてはいない。君たちがどういったサッカー選手としての人生を歩むかわからないが、悔いのないように頑張るといい」

「……はい」


 一回り以上の年齢差の大先輩の言葉に神童二人は素直に頷く。

 スレイマニは微笑み、そして流れるような動きで二つのグラスにラキアを注ぎ、二人の前に出す。


「……」

「……まぁ、一杯なら」


 互いに顔を見合わせて、グラスを手に取る。さすがに主賓から注がれた酒を飲まないと言うマナー違反をする気は鷲介たちにはない。


「あ、なんだ。甘くて飲みやすいな──!?」


 隣を振り向きぎょっとする。何故なら飲み干したカールの目が空ろになっていたからだ。


「おいおい、もう酔ったのか。さすがに弱すぎない、か……?」


 そう鷲介が言った直後だ、ぐらりと周囲が揺れ、膝が落ちる。

 このお酒ラキア、どうやら飲みやすいが酔いやすいようだ。そう鷲介が思ったその時だ、誰かが声を上げる。


「お、なんだ。若者二人がラキアを飲んでるぞー」

「俺の酒は断ったのにかー?」


 酔っぱらった様子の皆がこちらを囲もうとしているのを見て、鷲介は表情を引きつらせる。

 非常に不味い予感が背中を駆け抜け、慌ててカールの体を揺らす。


「お、おいカール。しっかりしろ。離脱するぞ」

「ああ。そうだな」


 しかしRドルトムントの神童は力無い返事をするだけで動く気配がない。どうやら完全に酔いが回ってしまったようだ。

 そしてそんなカールの前に新たなラキアが置かれる。グラスの前を見ればにやりと笑ったヴラディミルの姿がある。


「ちょ……」

「鷲介も」


 鷲介の前に置かれる新たなグラスにはラキアが注がれている。視線を向ければいつも通りの──しかしどこか酔った雰囲気のルディがいた。

 そしてカールは先輩ヴラディミルに勧められるまま新たなラキアを飲み干す。おーっと先輩たちから歓声が上がり、そしてその視線が鷲介に注がれる。

 思わず鷲介はジークに救いの目を向ける。しかしピッチでは絶対的に頼れるエースも酒に呑まれており、周囲と同じ飲め飲め光線を目から発していた。


「……で、ではいただきます……」


 二日酔いとなった父の無様な姿を脳裏に浮かびながらも、覚悟を決めて鷲介はグラスを手に取った。






◆◆◆◆◆






「なんだもうダウンしたのか」

「最近の若者は酒が弱いんだなー」

「これは鍛えなければいけませんね」


 ラキア数杯で机に突っ伏したRバイエルンとRドルトムントの若者二人にコメントするスレイマニとポウルセンにジークフリートも同意する。

 ジークフリートのグラスにスレイマニがラキアを注ぐ。それを一気に飲み欲し、ジークフリートは彼に向き直る。

 

「──スレイマニさん、今までお世話になりました」

「お互いにな」


 ジークフリートの感謝の言葉に、笑みを作るスレイマニ。今まで試合の時、またプライベートで相談に乗ってくれたときに彼が浮かべた、先輩の頼りがいを感じさせる微笑み。

 だが、今後はそれを見ることは当分敵わなくなる。寂しくなる。


「お前もお前でこれからが大変だぞ。私とルディがいなくなりお前より若い二人のアタッカーが入ってきた。FW陣のリーダーにならなくてはいけない」


 頷くジークフリート。スレイマニの言うとおりトップチーム──スタメン、ベンチメンバー──のFW陣の中では自分が最年長となる。今までスレイマニがまとめていた彼らを自分がまとめなければならない。


「短い時間だが彼らを見ていて少し気にはなるのはエリックだな。噂通り我が強い」

「前所属先でもちょっと揉めたと言う話は俺も聞いたことはある。同僚や監督にも噛みついたとかなんとか」


 スレイマニの言葉を細くするポウルセン。ジークリートもネットの記事やサッカー専門のニュースなどで耳にしたことはある。

 しかしそれでもスレイマニがいれば何とかなると思っていたが、それも自分が対処しなければならなくなる。

 だができない、やれないと言う弱音は吐けないし言えない。スレイマニやルディがそうだったように自分も先輩として、Rバイエルンのエースとして、彼らのようにチームメイトを引っ張っていかなければいけないのだから。


「まぁでも上手くやればRバイエルンとしては最高の味方に、Rドルトムントとしては最悪の敵になるだろうがな」


 微苦笑を浮かべ、ポウルセンはグラスに残っていたラキアを飲み干す。そして席を立ち上がり机に突っ伏しているカールの元に向かう。


「リーグにカップ戦、CL。そして今年はW杯予選もありますね」

「ああ。特にW杯予選。あの激闘が再び行われる」


 今まで経験した予選の数々を思い出しているのか、鋭い眼差しとなるスレイマニ。

 激闘。確かにその通りだ。前回のW杯予選はもちろん、今までもサッカー強国ドイツとて苦戦しなかったわけではない。──前回のドイツ、初参加のジークフリートも苦しめられた。


「ま、お互い頑張るとしよう」

「はい。──当然ですけど、本戦で当たった時は、容赦しませんよ」

「もちろんだ」


 お互い不敵な笑みを浮かべ、空になったグラスに新しい酒を注ごうとした時だ、


「鷲介、大丈夫かー。吐くかー?」

「カール、起きてるか?」


 いつの間にか若手二人の周りをポウルセン達が囲んでいる。ジークフリートはきょとんとし、そして同じ顔をしていたスレイマニと目が合う。

 なんとなく二人は苦笑し、手に持っていた酒瓶をテーブルに置く。


「あそこでダウンしている二人も、W杯予選には参加するんだったな」

「ええ。そうですね」


 鷲介とカール。まだ十代でありながらワールドクラスの領域にいる両者。何事も無ければ間違いなく招集されるだろう。

 W杯予選。ある意味W本戦と同等かそれ以上に厳しい戦いに、身を投じることとなるのだ。


「昨年も業界を沸かせてくれた彼ら”ゾディアック”。さて、今年はどんな面白いことを起こしてくれるのか──」


 そう言ってスレイマニは新しいグラス二つにミネラルウォーターを注ぐ。

 そして片方手渡されたジークは彼と共に酔いつぶれた後輩二人の元へ向かうのだった。






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