代表合同合宿2
「ここ座るなー」
そう言って鷲介の目の前に膳を置く中神。鷲介は隣にいるテツ、海原と共に半眼を向けるが、三者とも何も言わず小さく息をつくだけだ。
合同合宿が始まりすでに今日はその最終日。午前中の練習はつい先ほど終え、残るは午後に行われるU-23、フル代表メンバーの選抜をする紅白戦だけだ。
「ずいぶん山盛りだな。昼の紅白戦に差し支えないのか」
海原がフォークで指差す方向──鷲介の正面──にある中神の膳には山盛りの料理が並んでいる。
初めての代表でもそうだったが代表での食事はビッフェ形式だ。故に個人個人で料理の量が違う。そして中神の膳には鷲介たちよりも明らかに多い。
「大丈夫です。むしろだから腹いっぱい食べてパワーを充填しておくんです!」
呆れたような海原の言葉に胸を張る中神。そして食事にとりかかる。
「中神の奴、変わらないな」
「まったくです」
「図太いだけです」
無言で手と口を動かす中神を見て海原と鷲介は苦笑し、テツはため息をつく。
合宿の間、中神への周りの風当たりは──初日の騒ぎのこともあったため──強かった。しかし彼はそれを平然と受け止めながら、また鹿島が言っていたように練習を行ったメンバーに対して一切遠慮のない発言をしまくった。
結果元々良くなかった彼への好感度はますます下がり、また監督からも輪を乱すと思われたのか二日目からはU-23チームの練習の方へ行かされた。ちなみにテツも同じくU-23の方へ行き、鷲介はもちろんA代表の練習に参加していた。
しかし彼がは合宿の間でいかんなく実力を発揮したらしく──海原から聞いた──U-23という本来格上のカテゴリーの中で年齢、経験が上のはずな先輩たちを圧倒。合宿三日目の昨日、午後からフル代表の練習に参加したのだ。
そしてテツも中神ほどではないがU-23の面々の中で相応の実力を見せたらしく海原と同じで最終日の今日からA代表の練習に合流、中神と同じくメニューを問題ないレベルにはこなせてはいた。
「しかしこのままだと本当に俺たち三人がA代表に残れるかもしれないな」
「それはどうかな。俺のポジションには瀬川さんたちがいるし、中神も小野さんが近くにいる。安泰なのはお前だけだと思うが」
眉根をひそめ、やや暗い表情となるテツ。そんなことはないと鷲介が言おうとしたとき、ハンバーグを突き刺したフォークをこちらに向けて中神が言う。
「相変わらずネガティブ思考だな藤中はー。A代表の練習に参加しているってことは相応しい実力があるってことなんだからもっと自信を持てよ。
それに今日は合宿最終日、そんな弱音を吐いていると残れないぞ」
「お前のような自信過剰ではないだけだ。……だが確か、非常に悔しく腹立たしいが、お前の言うことも一理はあるな。
弱音を吐いているような余裕は今の俺にはない。A代表に選ばれるため、全力で挑むだけだ」
「そうそう。その意気だ! よし、ご褒美として俺のハンバーグを一つあげよう。はい、口を開けて!」
「いらん!」
ぎゃいぎゃい騒ぐJ有数の若手二人。それを見て隣の海原が小さい声で言う。
「彼らは仲がいいのか悪いのか、どっちなんだ?」
「多分、両方かと」
彼らを見て鷲介はロート・バイエルンユース時代のフェルナンドとヴィエリのやり取りを思い出す。
自信過剰で無鉄砲気質な中神に臆病ともいえる慎重さを持つテツ。あの二人と同じく凸凹なこの二人もはまれば凄そうだ。
「おい、騒がしいぞ。周りの人の迷惑だろうが」
騒ぐ中神たちに尖った声が届く。視線を向ければ今食事にやってきた様子の高城と柿崎の姿がある。
「これはすいません。午後の紅白戦が待ち遠しくて興奮してしまって」
中神は笑みを浮かべると席から立ち上がり、二人に向けて頭を下げる。
しかし口では敬語を使いつつも態度や目線には敬意の欠片もない慇懃なものだ。高城たちもそれを感じ取ってるのか眉間にしわを寄せる。
初日の一件以降、他の選手から距離を置かれている中神だが、特にこの二人は顕著だった。顔を合わせても無視は当たり前で挨拶もしない。昨日の練習でも組むことはあったが必要最低限のやり取りしか行っていなかった。
「何せA代表のほぼスタメンメンバーとの試合です。わくわくしないわけがない」
そう、午後から行われる紅白戦だが、すでにチーム分けは発表されている。
まず白は中神が言った通り代表常連組で固められている。堂本や柿崎、直康、土本、田仲。そして小野といった面々だ。
一方赤は中神にテツ、兵藤や海原、南郷と言った新参、若手で固められている。鷲介もこちらのチームだ。
「わくわくね。ワイらにボコにされてもそう言えるのか、楽しみや」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。──この間のフォルツァ大阪戦みたいなゲームにならないことを祈ったらどうです」
見下すような笑みを浮かべる柿崎に中神は嘲笑を返す。中神の言葉に海原とテツがぎょっとし、高城が眉を吊り上げる。
激怒した高城が一歩足を踏み出したその時だ、
「はい、そこまで」
パンパンとかん高い拍手音が響き、皆の注目がそちらに集まる。手を叩いたのは食堂入口に入ってきた小野だ。
「合宿も今日で最後、明日にはメンバー発表も行われる。お互いつまらない諍いをこして代表から外れたくはないだろう?」
そう言う小野の横から堂本が姿を見せると、高城に駆け寄り彼の肩に手を置く。先輩に何か言われたのか、高城は怒気を押さえ、下がる。
その様子を見て小野は頷き、そして目を細めて”天才”を見る。
「久司。しばらく見ないうちにいろんな面がずいぶん成長したようだね。しかしサッカー選手である以上ゲームでそれを見せてもらおうか。
君一人にどうかされるほど、僕たちは弱くはないと思うよ。君たちこそS鹿島に大敗したF大阪のようにならないよう、気を引き締めた方がいい」
そう小野が言った直後、彼の後ろから田仲と直康、そして最後のビック3である瀬川が姿を見せる。
日本トップクラスの実力者からの視線──圧を浴びてさすがに中神も少し表情が引きつり、テツも表情を曇らせる。一方、小野の発言にカチンときた鷲介は立ち上がり、言う。
「小野さん、俺やテツたちを忘れてもらっては困りますよ」
「柳!?」
仰天した声をテツが上げる。まさか鷲介が何か言うとは思っていなかったのだろう。
「別に忘れていたわけじゃないさ。ただ──」
「俺たちがいても勝ち目がないと? ははっ、それは流石に自惚れがすぎるというものです。
今の日本代表で俺を止められる人がいると、俺を完封できると、本気で思っているんですか」
揶揄するように鷲介が言うと笑みを浮かべていた小野の表情が固まり、瀬川たちの圧に敵意が混じり始める。
しかし鷲介はそれを平然と受け止める。ドイツリーグの強豪チーム、そして世界トップレベルのチームの圧を知っている鷲介からすれば怯むようなものではない。
鷲介は中神と違って率直に喧嘩を売る気はない。小野の言葉が中神を嗜めるというものもわかっている。
だが彼と共に一括りに言われるのは我慢ならないし、何より昨季、ドイツリーグで日本代表以上のDFと対等以上にやり合ってきた身としては負けるんじゃないかと挑発されるのは、はっきり言って腹が立つ。
「確かに。柳一人いれば日本の守備陣は容易に崩せるし勝つことはできるだろう」
鷲介に味方するような発言をしたのは南郷と共に食事をとっていた兵藤だ。彼は視線をこちらに向けて、言う。
「それにサッカーは11人で行うスポーツ。中神が駄目だとしても俺たちがその分活躍すればいいだけです。
俺たちのチームは若手で固められていますが実力者はそろっていますし、決して一方的な展開にはならないでしょう。──いえ、そちらが侮ってくれるならこちらが大勝ちするかもしれませんが」
そう言って彼は再び食事に戻る。言いたいことだけ言って我関せずといった態度を取る兵藤に小野は不快な表情を見せ、後ろにいる直康たちは表情をひくつかせる。
だが日本代表のエースはこれ以上揉め事を起きくしたくないのか、大きく息をついて微苦笑を浮かべる。
「そうかい。なら紅白戦、楽しみにしておくとするよ」
そう言って小野は配膳台の所で足を運ぶ。
それを見て鷲介は腰を降ろし、それと同時にテツと中神に絡まれる。
「俺の味方をしてくれるんなんて、嬉しいよ柳!」
「何やってるんだお前は……!」
「別にお前の味方をしたわけじゃないって。テツ苦しい苦しいって」
きらきらと目を輝かせる中神に鷲介は半目でいい、胸ぐらを掴んでくるテツの両腕をタップする。
「俺はただA代表フルメンバーが揃っていたら容易にこちらに勝てるっていう物言いが気に入らなかっただけだ。ま、小野さんがそう言う言い方をした理由が中神にあるのはわかっているが」
「だったら自重しろ! 代表で唯一、お前と同格と言っていいあの人を押さえるのは俺たちなんだぞ!」
「だが、それができればお前の代表選出は濃厚だろうな」
声のした方に視線を向けると、空の食器が乗った膳を持っている兵藤と南郷の姿がある。
「あの人は確かに凄いが無敵と言うほどではない。源たちと一緒に押さえこめばいい。な?」
「まぁそうだね。難しいけどやりがいはある」
兵藤の言葉に肩を竦めつつ南郷は言う。合宿中共にいることが多かったこの二人、いつの間にか仲良くなっていたようだ。
「小野選手はもちろん今のフル代表の面々は俺たちよりも年上だ。──ならばいずれは誰かが越えなければならない。
そしてそれが俺たちでいけない理由もない。ならそうなるよう全力を尽くすだけだ。そうだろう?」
兵藤のもっともな言葉に鷲介と中神は即座に頷き、やや遅れてテツも首を縦に振る。
「中神、柳、攻撃の要はお前だ。中神は練習のようなパスを出して、柳が字のごとく守備陣をズダズダに切り裂く手伝いをしろ。
藤中、海原、試合中は遠慮なく指示を出す。お前たちも俺にそうしろ。GKとDFが互いにフォローしあって初めて堅い守備は生まれるものだからな」
そう言ってすたすたと去っていく兵藤。南郷がこちらに苦笑を浮かべ、彼の後を追うのを見ながら中神が言う。
「合宿中何度か話して真面目で寡黙な人だと思っていたけど、思った以上に負けん気が強い人だったんだなぁ」
「そうでなければ海外でプロにはなれないだろう。──いずれ誰かが越えなければならない、か」
兵藤の言葉に何か感じるものがあったのか、海原がしんみりとした様子で呟く。
「さて、と。あそこまで言って、言われたんじゃのんびりもしてられないな。
さっさと食って、ミーティングルームに行くとするか。な、テツ」
「そうだな」
テツに視線を向けて鷲介が言い、微かに頬笑む。それは覚悟完了した友人の姿を目にしたからだ。
◆◆◆◆◆
「さて皆さん、とうとう合宿の最終練習、紅白戦です。頑張りましょう」
ホテルの上層階にあるミーティングルームでミシェルが言う。この部屋には紅白戦の赤チームの面々とその指揮を執る彼がいるだけだ。
当然代表の主力が大半である白チームは別室におり、監督がこの部屋で行われているように主力の面々へ指示を出しているだろう。
「そういえば先程聞きましたけど、食堂でまた少し揉めたそうですね」
にこりと微笑んでいうミシェルに中神とテツ、そして鷲介はぎくりと肩を震わせる。
微笑みながらの説教が来るかと思ったのか、焦った表情で中神が一歩前に出て言う。
「あー、ミシェルさん。それは」
「いえいえ、別に責めているわけではありません。ま、指導者としての立場からすればちょっとは怒ってしかるべきなのでしょうが、君たちの態度はとてもいい」
「いいって、喧嘩することがですか」
「いいえ、フル代表の面々に全く怯まない負けん気がです。君たちが口だけではないことは合宿中で誰もが知っています。
そして君たちなら固定化されている代表のスタメンを大きく揺るがすことができると私は思っています」
ミシェルの言葉に部屋にいる面々のほとんどが驚く。嶋田監督は小野や堂本と言った前回のW杯の主力でありサッカー選手として最盛期の年齢である彼らをベースにしたチーム作りをしている。つまり今の彼の言葉は暗に監督の方針に異を唱えているに等しいからだ。
しかし皆の反応にミシェルは周りの様子に気を止めることなく、言葉を続ける。
「このチームではフル代表の面々に足りないところはあります。がもちろん優れているところもあります。
そしてチーム力の差はほぼないと言うのが私の見解です。──つまり今の君たちがスタメンとなっても不思議ではないと言う事です」
そう締めくくり、彼は紅白戦の作戦を説明する。
「それでは行くとしましょうか。──目指せ下剋上、です!」
『おう!』
天井に向かって腕を突き上げるミシェルと同時、鷲介たちは声をそろえる。そして練習場に向かうとすでに白のビブスを着た小野たちの姿がある。
鷲介たちが来るまで和気藹々としていた彼らだが、赤組の姿を確認するや、雰囲気が一片。ピリピリとした空気がピッチに充満する。
(やれやれ。さっきの食堂の一件はしっかりと知れ渡っているみたいだな)
ビブスを着てピッチに入り、周囲を見渡しながら鷲介は思う。白のビブスを着た面々は真剣な表情なのは当然だが、そこに幾分かの厳めしさと怒りも混じっている。
そして彼らの視線は主に中神と鷲介、テツ、海原、兵藤、南郷に向けられている。それを見て巻き込まれた形となった中神と兵藤以外の面々にちょっと罪悪感を感じながら、紅白戦開始のホィッスルが鳴り響く。
白組ボールで始まった紅白戦。システムはどちらも4-4-2。そしてまず白組のメンバーはGK川上。DFは右から田仲、秋葉、井口、直康。中盤ボランチは右から瀬川と高城、前は小野と柿崎。そしてツートップは堂本と九条といったメンバーだ。
そして紅組。GKは兵藤。DFは右から馬場、海原、今回初召集、U-20日本代表でもあるルーパ大阪所属の松岡蓮二、大島。中盤ボランチはテツに南郷、前は本村と中神。ツートップは鹿島と鷲介だ。
警戒にパスを回す白組。横、後ろへ行ききし最後尾まで下がったボールは再び前に行くと小野の足元へ収まる。
紅組のゴールの方へ向いた彼を見て、さてどうくるかと鷲介が思ったその時だ、小野はいきなりロングボールをゴール前に蹴り込み、ペナルティエリア目前まで飛んだそれに一番近くにいる堂本と海原が走っていく。
僅かにボール落下地点へ動きだすのが早かった堂本がボールを頭に当てて落す。そのボールへ九条が駆け寄っており、松岡が前を塞ぐ前にエリア外からミドルシュートを放つ。
低空でそこそこ勢いのあるシュートがゴール左下に向かっている。だがコースを読んでいたのか兵藤が横っ飛びで抑えるとすぐさま立ち上がり、ボールを蹴る。
青空を鳥のように飛ぶボールは一気に白組陣内深くへ。そしてそのボールを田仲と鹿島が競り合う。田仲はボールを奪うべくいい位置へ移動しようとするが鹿島が体でそれを阻害し、しかも田仲のボディコンタクトに全く微動だにせず、鷲介の方へボールを落とす。
(さすが日本屈指のポストプレイヤー。以前よりもさらに強く、上手くなっているな)
相方へ賞賛の言葉を送り、ボールを収める鷲介。そして後ろに来ている中神へパスを出すと右サイドを斜めに走っていく。
マークに来た直康と井口の間へ向かいながら、後ろへ視線を向ける。センターサークル付近でボールを収めた中神へさっそく高城が突っ込んでいくが、彼は南米ドリブラー特有の動きでいなすとフォローに来た南郷とのワンツーで前に出る。
そして南郷からのボールを収めようとしたその時、わずかにこちらへ視線を向けてくる。”天才”の視線を感じた鷲介は彼の右足が大きく振りかぶるのを見て、体を低くする。
直後、中神のダイレクトパスが放たれ、ボールが鷲介の前方──右サイドへやってくる。それを予期していた鷲介は当然飛びだしており、オフサイドを警戒していたため、笛もならない。
(いいボールだ!)
足元に収め加速しながら鷲介は思う。合宿の練習にてこちらの動きなどを把握したのか、それらにある程度合ったボールだ。
右サイドからドリブルでゴールに向かう鷲介。左から直康、前から井口が迫ってくる。さらに井口の近くに秋葉も控えている。
しかしそのまま突き進む鷲介。近くにいる味方──鹿島、中神たちにマークがいるからだ。
距離を詰めてきた井口にいつものシザースをする鷲介。警戒しているのか腰を低くして彼は動かない。しかしこちらの動きに注視しているのは、妙にぎらぎらした視線でわかる。
(ちょっとやってみるか)
そう思ったのと同時、鷲介は少しスピードを落として右へ動く。直後やや遅れて井口がそちらに動くが、鷲介は全力で左に動きボール半個ぶん、彼のマークから逃れる。
「やらせねぇぞ!」
直康のスラィディングがシュートブロックをするよりほんのわずか早く、鷲介は左足を振るった。ボールはシュートコースを塞ごうと前に出てきた秋葉、川上の頭上を越えたループシュートで、正確にゴール左へ向かっている。
(スレイマニさんたちが時折やる形だが結構うまくいったな)
高速ドリブルからのループシュートはあまり得意ではなかったが今の自分、日本代表レベルが相手なら問題なく使えるようだ。新しい攻撃パターンにしてみるもいいかもしれない。
ゴールにゆっくり入ろうとしているボールを見ながら鷲介がそう思ったその時だ、そのボールへ田仲が必死と言うべき形相で走ってくる。そしてボールがゴールラインを割る寸前で、なんとオーバーヘッドでクリアーしてしまった。
「おいおい……」
背中からピッチに落ちた田仲を見て、思わず鷲介は言葉を漏らす。紅白戦にしては気合が入りすぎではないだろうか。
確かにこの合宿──紅白戦でオオトリ杯、そして9月に行われるであろうW杯最終予選のメンバーが決まると言われているが、それは完全と言うわけではない。過去、同様の例はあったが当時の代表監督は合宿に呼ばなかったメンバーをメンバー入りさせた例もある。
ましてや田仲の合宿中の動きを見た鷲介としては怪我か、よほどの不調でない限り田仲は選ばれるだろう。にもかかわらず本番のようなプレー。
「なんであんなに気合が入っているんだ……?」
「お前が挑発したんだろうが」
近くで聞こえた直康の声に振り向き、鷲介は思わず一歩下がる。いつもは明るく接してくれている先輩の表情が、鋭く硬いものだったからだ。
「小野の奴に言ったそうだな。今の代表で自分を止められる人は存在しないって。
確かに、非常に悔しいが、その通りだ。──だとしても、それを率直に認めるほど、受け入れるほど、俺たちは寛容じゃねーのよ」
「君といい中神といい実力はあるが礼儀がなっていない。先輩としてそれを嗜めるためにもこの試合だけは皆、本気だ」
直康と同じく、殺気すら感じさせる表情で井口が言う。
「全力、死力を尽くして君を押さえこむ。アシストも得点も許さない」
「日本代表という、最高峰のカテゴリーにいる俺たちの底力を見せてやるぜ」
◆◆◆◆◆
「来るぞ!」
「はい!」
ゴール前で鹿島から中神へのボールをカットした白組。南郷の声に鉄一が応じると同時、ボールをもらった井口が縦パスを放つ。
強く勢いのあるそれを赤組のセンターサークル外でトラップする小野。そしてするりと軽快な動きで前を向く。
(相変わらず簡単な動きに無駄がない……!)
合宿中の練習でも見ていて何度も思ったことだ。中神などテクニックに長けた選手や海外組は皆そうなのだが、中でも特に小野のは抜きんでている。
トラップやパス、ボールの受け取り方ドリブルの仕方などととにかくあらゆる動きに無駄がない。まさに洗練という言葉そのものだ。
小野のパスで右サイドに流れるボール。斜めに飛んだボールを九条が収め前に行こうとするが、DFリーダーの海原のコーチングで動く味方の守りでそれを許さない。
下げられるボール。南郷たちが向かうが高城、柿崎とフォルァ大阪で育ったコンビが器用にボールを回し、ピッチ中央にいる小野がボールを受け取る。
「藤中!」
「わかってます!」
海原の声に短く返し、鉄一はボールを収めた小野へ迫る。彼は流麗な動きでこちらをかわそうとするがそれに惑わされず、一定の距離を保ちながら味方がフォローに来るまで待つ。
すると小野が一気に前に出てきた。どこか中神や本村に似たフェイントでこちらを抜き去ろうとする。だが中神たちの動きを幾度も見ており、また鷲介と言う日本一といっても過言ではない高速ドリブラーと──練習とはいえ──いくどもマッチアップした鉄一の経験と視力は小野の動きを何とかとらえている。
(抜かせない!)
右へ突破を図ろうとする小野へ体をぶつける鉄一。元々鉄一がこの若さでプロになれたのはこのフィジカル──強靭な体だ。
U-17杯の時でもJでも一目置かれていたその体躯は半年以上の時間、そして成長期によりも伸びた身長と増えた体重から繰り出される当たりは、今ではJ屈指──自分ではそこまでとは思っていないが──と言われている。
「……!」
驚き姿勢を崩す小野。当然鉄一はその隙を見逃さずさらに体重をかけ、また小野の足元へ足を伸ばす。
奪った。そう確信したその時だ。小野の腕が鉄一の動きの邪魔をする。しかしそれにかまうことなく鉄一は体を押し出し足を伸ばし──
「……!?」
鉄一は大きく目を見開く。何故ならほんの一瞬前まで目の前にいた小野が鉄一の横──否、後ろにいるのだから。
(な……!)
前につんめのった体勢を戻すと同時、後ろへ移動した小野の方へ振り返る鉄一。ボールに足を伸ばそうとするがそれより早く小野は右足を振るった。
放たれた強いパスは弾丸のような勢いでピッチを走りDFの間にいた堂本のところへ向かう。DFの間を通過したボールと堂本は同時にペナルティエリアに侵入、ダイレクトシュートを撃つ。しかしコースの甘かったそれは兵藤がパンチングで弾く。
だがそこまでだった。そのこぼれ球の近くにいた九条がに真っ先に反応し、ボールをゴールに押し込んだのだ。
ピッチに鳴り響くコーチの笛を聞きながら鉄一は歯噛みする。この失点は自分のミスだ。あの時小野からボールを奪えていたら今の失点はなかった──
「あまり気にするな。相手はイングランドリーグでレギュラーを張っている代表のエースだ」
「藤中のチャージは悪くなかった。小野さんがそれを上回っただけの話だよ。今度は一緒に止めよう」
「……はい!」
鉄一の肩を軽く叩き本村と南郷が言う。先輩の励ましにて鉄一は小さく頷き自分の位置に戻る。
赤組ボールで再開する試合。当然失点した赤組メンバーは同点にするべく前に出るが、先制したことにより白組も積極的にボールを奪いに来る。
「カットや!」
「げっ!」
瀬川からの激しいディフェンスに何とかボールキープをして、味方にパスを送った中神のボールを高城がカットする。瀬川がディフェンスをしながらパスを出す方向を誘導し、それに高城が詰めていると言う見事な連携の守りだ。
激しく動く両チーム。そしてそれは連携の練度と言う形によって現れる。即席チームと言うべき赤組と違いここ数年代表の常連と中核メンバーで固められた白組の連携はやはり赤組のそれよりも上だ。白組は先程から似たような形で幾度も赤組の攻撃を防いでいる。
そしてそれは攻撃でも同様で、ゲームが始まる十五分ほど経過した現在、シュート数は白組は三本、紅組は柳の決定的なシュートの一本だけだ。瀬川たちと井口たちの組織的守りによって中神たちの攻撃は防がれ封じられ、小野のボールさばきで幾度も危険なシーンかそれ未満を作られている。
もちろん赤組とて危険なシーンがないわけではない。井口に密着マークされている柳は二度ほどそれを振り切り、あの高速の動き出しとドリブルでDFたちを突破しラストパスを一本、またシュートを撃とうとした。だが鹿島に渡ろうとしたラストパスはDFたちがかろうじてクリアーし、井口をかわしてシュートを撃とうとしたときは瀬川と高城、大文字の三人がかりでそれを阻止した。
日本No1DFに密着されているというのに柳の相変わらずの姿を頼もしく思う一方、押さえこまれている中神を見て鉄一は眉をひそめる。いつものように独特のリズムでドリブルを仕掛けパスを出す中神だが、ビック3の瀬川にはほとんど対処されており、またリーグ戦においては互角以上やり合えていた高城も諍いブーストがかかっているためか、やや押され気味だ。本村や鹿島も随所でいいプレーを見せてはいるが、決定的というほどのものは無い。
(原因は両チームの連携の練度。そしてパサーの自由度か……!)
奥歯を強く噛む鉄一。ここまで攻守に差が出ているのは白組の要となっている小野を自分たちが封じ切れていないせいだ。
小野にボールが入り南郷が、そしてやや遅れて鉄一がマークに行く。
フォローに来た柿崎へパスを出すふりをして、南郷がそれに釣られた一瞬の隙を突き突破する小野。姿勢を低くし加速した彼へ鉄一は突っ込む。
(これ以上自由にさせない……!)
鉄一がチェックをかけようとして動いたその時、小野は左へ動く。当然鉄一も左へ移動したその時だ、小野の体とボールが逆方向にいく。
(これは……マシューズフェイント!)
上半身のバネを使用したドリブルフェイントだ。柳もたまに使用しているがスピードに任せたそれとは違い、小野の動きは非常に滑らかだ。
マシューズフェイントには上半身の横のバネ、縦のバネを用いる二種類あると言われている。柳が使用するのは前者、小野は後者である。
(小野さんが得意なのは知っていたが、これほどか!)
突破され、すぐさま白いビブスの10番を追う鉄一。だが鉄一が駆けつける直前で、小野は前線へパスを送る。
赤組ゴール前にはGKを含め味方が四人、白組は堂本たち二人だけで、彼らの周りには海原たちがマークに付いている。
しかし小野のパスはなぜかカットしようと動いている味方に当たらず、そしてボールをもらおうと動いでいる堂本の足元へどんぴしゃりのタイミングで届く。速く、正確な、まさしく完璧なスルーパスだ。
「うおおっ!」
ペナルティエリア左でボールを受けると堂本。同時にゴール方向へ振り向き左足を振るう。
兵藤もボールに反応していたが、気合の入った叫びと共に放たれたシュートは彼の伸ばした手を弾き、赤組のゴール右へ突き刺さった。
「ナイスパスだ勝!」
ぐっと拳を天に掲げる堂本が笑顔で言う。小野も同様の仕草を見せて自陣の戻る最中、鉄一の横に止まり、言う。
「君のフィジカルを生かしたディフェンスは悪くない。だがドリブラーを止める技術はまだまだだ。
ボールの動きだけではなく相手の挙動に周囲の状況への観察にもっと注力した方がいい」
「……! ありがとうございます」
的確なアドバイスに鉄一は苦いものを感じつつも、礼を言う。U-17大会中の練習時に柳から同じことを言われたことがあり、あれから研鑽を詰んでJでも有名なドリブラー数名の動きを止めることはできていたのだが──
(小野さん相手にはまだまだ不足ってことか。わかってはいたが……!)
鉄一が屈辱を覚える中、紅白戦は続く。中核たる二人の活躍で奪った二点目でさらに勢いが増す白組。リズムよくボールを回し、積極的に前に出る。
そして再びボールが小野の元へ来る。赤組陣内中央にいた小野へ正面から南郷、少し離れた斜め左から鉄一。さらには後ろから本村が一気に距離を詰める。
三方向からのチェック。これはさすがの小野とてパスをするだろうと思った鉄一だが、小野は躊躇なく赤組ゴールの方へ振り向き向かってくる。
「今度は止まってもらいますよ!」
そう言いながら突っ込む南郷を小野は中神にどこか似た動きとフェイントで右にかわすが、そこへ本村が体ごとぶつけるような激しいショルダーチャージをする。
よろめきながらもボールをまだキープしている小野へさらに突っかかる本村。またかわされた南郷も再び小野へ迫っており鉄一は小野の前へ移動しパスコースを消す。
(今度こそボールを奪ったぞ!)
本村と南郷に挟まれた小野を見て鉄一が確信したその時だ、小野の双眸が刃のように鋭くなる。そして二人に挟まれようとした直前で、彼からパスが放たれる。
「──!」
二人の代表選手からチャージを受けながらも先程よりも強く速い、勢いのあるボールがピッチを奔る。そしてそのボールはなんと、鉄一の空いた股の下を通過する。
とっさに振り向き後ろを見るとそのボールへペナルティエリアのギリギリ外にいた九条が寄っている。松岡がチェックに向かっているがそれより早く九条はボールによりダイレクトシュートを放つ。
弧を描いたシュートはゴール左へ向かうがポストに当たり跳ね返る。それを堂本が拾おうとするが先に触れた海原が体勢を崩した格好ながらクリアーする。
こぼれたボールへ寄っていく鉄一。近くに白のビブスを着た選手は見えず、少し安堵したその時だ。視界の左隅から白色が迫っているのが見えた。
「な……っ!」
慌ててそちらを振り向き、驚愕する。ボールに駆け寄っていた白色──白組の選手は小野だったからだ。
そして鉄一が驚く中ボールを収めた小野は、追ってきていた南郷たちのチェックよりわずかに早く、右足を振るう。
二十メートル以上の遠距離から放たれた弾丸のような小野のミドルシュートへ兵藤は反応しているが、彼が伸ばした手がコースを塞ぐ前にゴールに突き刺さった。
「く……うぅ!」
まざまざと小野の実力を見せつけられ、そして自分の未熟さを痛感した鉄一はもはや言葉もない。これが小野勝。日本代表の中盤を支配する王であり、世界の第一線で活躍するワールドクラスの選手──
悔しさで表情をわずかに歪めたその時だ。鉄一の正面でいきなり音が鳴り、反射的にそちらへ視線を送る。
「藤中、顔が暗いぞ。しっかりしろよー」
鉄一の正面、手を叩いた格好の中神がいる。
「別に暗くはない。いつも通りだ」
「ちっちっち。お前さんとは年代代表の頃からの付き合いだぜ。ごまかしても無駄無駄~」
軽く肩を叩いてくる中神。いつもならそれを跳ねのける鉄一だが、そんな気分にもなれない。
「いやー、しっかし流石勝さんだな。お前さんと南郷さんの二人がかりでも抑えきれないか。
いや最後は本村さんも援護したけど、それでもあれかー」
「……すまん」
「謝るなって。こっちも情けない姿ばっかり見せてるしなー。でもまぁそろそろ反撃開始といくけどな。な、柳?」
「ああ」
ニシシと笑みを浮かべる中神に頷く柳。
「テツ、強敵と当たって思うことは色々あるだろうがとにかく諦めず挑み続けろ。あの人は紛れもなくワールドクラスのプレイヤー。そんな人と正面から戦えるってことは世界のスピードや動きを経験できるチャンスでもある」
「そうそう。将来海外に行くのなら、今海外でバリバリ活躍している人の動きに慣れておくのは悪いことじゃないぜー」
連続三失点という現実を全く意に介した様子がない二人を見て、思わず鉄一は目を丸くする。
そしてそんな鉄一の目の前で、二人の若き天才は会話を続ける。
「なぁ柳、井口さんたちはどうだ? いけそうか」
「当然だろ。そっちこそどうなんだ。やれるのか」
「まーな。まぁムキになった大人たちの動きに戸惑ったけど、そろそろ慣れてきた。
どんどんパスを送るから、ゴールに叩き込んでくれよ”黒鷲”」
「普通に名前で呼べよ。まぁわかったけどさ」
頷く柳。そして彼は鉄一を見ると小さく微笑み、言う。
「テツ、点は取り返すからとにかく全力でプレーしろ。
小野さんにビビって情けないプレーしていたらU-23にも残れないぞ」
「そうそう。いつものパワーと運動量あふれるプレー、期待してるぜー」
こちらの返事を待たず戻っていく二人を、鉄一は唖然として見送り、思う。あの二人の余裕は一体なんなのだろうか、と。
「さぁ皆さん。そろそろ反撃といきましょー!」
四度目の赤組のキックオフと同時、中神がピッチ全体に響くような大声を上げる。そしてそれを聞き白組の雰囲気がさらに剣呑なものとなる。
「柳、頼むぜー!」
パスでピッチを巡っていたボールをセンターサークル中央で受け取った中神がそう言うと同時、彼はパスを出す。
高く空に舞い上がったパスは右サイドへ。そしてそのパスに柳が動き出している。オフサイドギリギリに飛びだした彼は収めようとするがミスったのか、右足で収めるボールが左へこぼれてしまう。
だがそれが鉄一の勘違いであることはすぐに分かった。柳は慌てることなくすぐさまボールへ駆け寄り、右サイドを爆走しはじめたからだ。ドリブルを始めやすいよう、わざとボールを落したのだろう。
スピードに乗った柳へ井口、そして後ろから大文字が迫る。そして柳がペナルティエリアへ来たとき大文字が体を寄せる。
それをするりと左にかわす柳。しかしそこへ井口、さらには左から秋葉が距離を詰めてくる。
(奪われる!)
心中で叫ぶ鉄一。柳のスピードに味方はついていけておらず、また一番近くに来ている鹿島も田仲からマークを受けている。
それを見てカウンターに備えるべく上がっていた鉄一が下がろうとしたその時だ、柳は速く鋭く右へ移動する。だが井口がそれについて言っておりシュートコースも塞いでいる。
取られる。そう確信した鉄一だが次の瞬間、大きく目を見開く。右に動いた柳の足元に会ったボールが左に動いている。そして振り子のように右に動いた柳の体が左へと動く。
マシューズフェイント。鉄一が思ったのと同時に柳はフェイントに完全に振られた井口が作ったスペースへ侵入。川上が飛び出してくるがほんのわずか柳の方が動くのが速かった。短い振りで放たれたシュート──おそらくトゥーキック──は川上の伸ばした手の横を通り過ぎ、白組ゴール左隅に吸い込まれた。
「ナイスシュート! さぁ、これからですよー!」
柳に駆け寄ってハイタッチをし、中神が周囲に向かって叫んだ。




