代表合同合宿1
「さて、お前たち。準備はいいな」
「はい直康さん」
「問題ないです」
空港ロビーのすぐ近くのトイレにて言葉を交わし合う三人の男たち。鷲介と直康、そして鹿島の三人だ。鷲介は今回の代表招集も前回同様、彼らと共に帰国したのだ。
「荷物は持ったな。忘れ物は無いな」
「大丈夫です」
「いつでもいけます」
「……よし、それじゃあ行くぞ。ロビーに出たら安全に、しかし速く歩いていくぞ。決して捕まるなよ」
直康の言葉に鷲介と鹿島は頷き、自分たちのキャリアケースを掴む。そしてゆっくり、慎重にロビーの方へ歩いていきロビー直前でいったん停止。一度互いの顔を見合わせると無言で頷き、同時にロビーへ出る。
(……うお! 前よりギャラリーが増えてる!)
ロビーに出たと同時炊かれるカメラやスマホのフラッシュ音に聞こえる無数の歓声。三月よりも明らかに増えている。
「あれが柳鷲介か! 写真とはだいぶ雰囲気が違うな」
「だが実力は本物だろ。17歳でデビューした上、プロ一年目で16ゴール9アシストなんて日本人の中じゃ化け物じみた結果だぞ」
「結構可愛い顔してるわね。彼女とかいるのかしら」
「アルゼンチン戦では同じ”ゾディアック”との対決が待ち遠しいな!」
聞こえているギャラリーの声を右に左に聞き流して鷲介たちは決めてあったルートを素早く移動。空港を出て待っていた車に乗り込んだところで、三人同時に大きく息を吐く。
「やれやれ、予想はしていたが前回以上の人がいたな」
「そしてお目当ては柳くんが大半。人気者はつらいね」
「ははは、どうもすいません人気者で」
雑談しているうちに車はあっという間に『フットボールセンター』へ到着する。車を降りホテルの入り口で受付を済ませ、用意された部屋に荷物を置いて鷲介は一人ホテルの入り口に出る。
「さーてと、どうするかね」
動きやすい格好に着替えた鷲介は潮風を浴びながら体を伸ばす。今回鹿島とは別の部屋であり──同室の人間はまだ到着していない──またホテル内にあるマッサージサロンに直康と一緒に行くと言うので一人になってしまったというわけだ。
(オリンピックメンバーもいるってわりにあんまり来ていないしなぁ)
そう、今回の代表招集とオオトリ杯は今までのようなA代表の親善試合だけではない。8月に行われるロサンゼルスオリンピックに出場するオリンピックサッカー日本代表の選考も兼ねているのだ。
つまり『フットボールセンター』にやってくるのはA代表+U-23という大勢。両チームの監督やスタッフを含めれば五十を超える大所帯だ。
しかし鷲介たちが早めについたせいか、施設にいるA代表とU-23代表候補の選手の数は十数名程度と多くない。会いに行こう、探そうと思うような人もいない。
「先に土産でも買っておくかね」
鷲介はそう呟いてホテルの隣にある──中に土産物屋もある──喫茶店に向かおうとしたその時だ、駐車場の方から見知った顔が見える。
「海原さんに……テツじゃないか! おーい、おーい!」
手を振り彼らの名を呼ぶ鷲介。うげっと顔をしかめるテツへ笑顔で近づく。
「久しぶりだなテツ! U-17杯以来だな」
「そうだな」
棒読みの返事を返すテツ。しかしその反応が以前と変わりなく感じ嬉しく思う。
「海原さんもお久しぶりです」
「ああ、三月ぶりだ。君も元気そうで何よりだ」
礼儀正しい──硬い口調で言う海原も前と同じ様子だ。
「なぁテツ。もしよかったら俺が『フットボールセンター』の案内をしてやろうか」
鷲介はロビーにて受付を済ませたテツにそう言うが、彼はそっけなく断る。
「いらん。案内図もあるし必要ない。それにそんなことをしている余裕、今の俺にはない」
「なんだよ、相変わらず固いなー。少しは気を休めないと大変だぞ」
「貴様はともかく俺としてはこの合宿に呼ばれたこと自体不思議でしょうがない。U-23にA代表、俺には早すぎる」
嘆息するテツ。いつにない彼のしかめ面はどうやらそう思っているのが原因のようだ。
まぁ一部の日本メディアでは彼の招集にそう言った記事が出ているのは知っている。だが他に呼ばれた代表候補の面々と彼を比べてもほとんどが大差はないと鷲介は思っている。
U-17の後、所属する東京エストレヤにて活躍しほぼスタメンを奪取した彼は鷲介と同じくぐんぐんと実力を伸ばしていた。元々優れていたフィジカルや守備面はもちろんのこと、特にU-17の時に不足していた攻撃面とポジショニング──位置取り──は格段な成長を遂げている。
「やれやれ、まだそんなことを言っているのか。年齢はともかく呼ばれてもおかしくない実力ではあると俺も監督も言っていただろうに」
「俺程度ならJにもいくらでもいるでしょう。いったいどうして呼ばれたんだが、不可解だ。……お前のような話題性作りのためか」
吐き捨てるように言うテツ。どうやら日本メディアが作った記事の一つ、『日本の新星たち』と言ったあれを呼んだようだ。
そこ書かれているのは簡単に言うと、鷲介とテツなど若く有望な選手たちの名前を上げて、日本サッカーの未来は明るいと評した文面だ。正直サッカーのことをよく知らないライターが書いたのが丸わかりな三文記事だ
「ほほう。ならテツは合宿を始める前から敗北宣言するのか」
「そんなわけあるか。参加する以上は全力を尽くしてメンバー入りを目指すだけだ」
「U-23のか?」
「A代表に決まっているだろう。目指すなら最高のものとなるのは当然だ」
はっきりと言い切るテツに鷲介は微笑む。そう来なくては彼ではない。
「なーんだ、口では謙虚なこと言いつつやっぱりそれが目的か。君らしいな」
入り口の自動ドアが開く音がした直後、明るい声が一階のロビーに響く。
声のした方へ鷲介が視線を向けるとそこには大きいスポーツバックを背負った少年の姿があり、同じクラブで今回招集を受けた沢村たちとともにこちらへ歩いてくる。
170前半と言う小柄な体格にオールバックの髪型。彼を鷲介はよく知っている。昨年最後の日本での公式戦、皇杯にてテツたち東京エストレヤを翻弄した日本の誇る”天才”──
「お前……!」
「久しぶりだね藤中に海原さん。──そして柳、君とは初めましてだね。中神久司だ。よろしく」
笑みを浮かべて握手を差し出してくる中神だった。
◆◆◆◆◆
「まったく、どうしてこうなったんだ」
「まぁまぁ直康さん、ここは先輩として俺たち若造の我儘に付き合って下さいよ」
ピッチで嘆息する直康に鷲介は宥めるように言う。そこへ半目のテツが突っ込んでくる。
「勝手に俺をお前たちと一緒にするな。中神のゲームをやろうという提案に乗ったのはお前だろう」
そう言ってピッチを見渡すテツ。彼の言うとおり中神の提案に乗った面々が今、周囲にいる。
A代表、U-23の混合メンバーで16名。8対8のミニゲームだ。
「ま、まぁそう言うなよテツ。やっぱり俺たちはサッカー選手なわけで。お互いにプレイした方が色々とわかることも多いだろう?」
「中神とお前を知っている俺としては参加する意味はあまりないな。ここにいるメンバーもJリーグで顔を合わせたのがほとんどだしな」
「でも九条さんとは初対面なわけだし俺と同じ海外組、早めに実力を知っておくのは悪くないんじゃないか」
そう言って鷲介は視線を相手陣地のセンターサークルに立っている男に目を向ける。派手な金髪が潮風になびいている彼はベルギーリーグ、ヘントFCに所属する九条智久。3月のW杯アジア二次予選には招集されなかったが、さすがにシーズンオフであり目に見えた結果を残した彼も今回は呼ばれたようだ。
「……それもそうだな。まぁ今回はそれで納得しておくか」
「そうそう! さて改めてうちのチームはどんなもんかな」
メンバーの組み合わせはアミダくじで決めたので完全なランダムだ。鷲介は改めて双方のチームメイトの顔を見渡す。
U-23も混じったこともあり見知らぬ顔はいくつかある。分かるのはテツに海原、A代表の直康ぐらいだ。
敵チームは中神にA代表の沢村、九条、田仲。そして残りはU-23メンバーでGKはU-23、A代表でも初選出のGK兵藤賢一が顔見知りだ。
「さて兵藤の奴、どんな感じになってるかな」
「あのGK、知っているのか」
「知り合いってほどじゃないな。ユース時代に一度、対戦したことがあるだけだ」
およそ二年前の話だ。現在彼はイタリアリーグ、ペルージャFC在籍しているが当時はフランクフルトKに所属しユースリーグ序盤に対戦。試合はRバイエルンユースの勝利に終わったものの、的確なポジショニングとコーチング、そして躊躇なくペナルティエリア外へ飛びだしてはRバイエルンの攻撃を幾度も防いでいた。
次アウェーで対戦した時はすでにおらず風の噂ではオランダリーグのとあるチームに移籍し、トップチームデビューしたと言う話を聞いたきりだ。話を聞いた後、一度だけそのチームを調べては見たがトップチームには名前が無く消息も知れなかった。
「それじゃあ始めますよー」
どこからか話を聞きつけたミシェル・木崎が脳天気な声とともに笛を吹き、相手ボールで試合が始まる。
システムは共に3-2-2。沢村が下げたボールを収めた中神は、いきなりドリブルを始める。味方チームの選手がチェックに行くが、彼はあっさりとかわしてパスを出す。
(相変わらず体の使い方、フェイントの仕方が上手いな)
以前見た時も思ったが、中神の重心移動に体を動かすリズムは日本人のそれとは明らかに違う。南米のテクニック系ドリブラーに酷似したそれは、皇杯で見た時よりもさらに精錬されている。
中神が出したボールが沢村たちに回るが直康たちの動きやチェックでシュートまではいかない。横に出たボールをテツがインターセプトする。
(こっちも上手い)
テツの的確なポジショニングと動きだしからの綺麗なインターセプトに鷲介は感心する。U-17W杯の時にはあまり見られなかった動きだ。
|中神とテツ(同年代)の着実な成長が垣間見えて感心していると、テツからのボールを受け取った海原から鷲介にボールが来る。振り向いた鷲介の正面に寄ってきたのは田仲だ。
いつものようにかわそうと鷲介がゆっくりと移動したその時だ、田仲はこちらが動くであろう距離のギリギリ外で止まるやこちらの動きに合わせて下がる。
(以前と同じ、ポジショニングが抜群だ)
初めて会った3月の練習時にも思ったことだ。体の当て方に綺麗なトラップ、正確なロングシュート等いくつもの長所を持つ田仲だが、中でも一番優れているのはポジショニングだ。今この状況でどこにいるのが一番いいのかを的確に判断しては周囲と連動して距離を作ってくる。
また長年イタリアリーグに在籍し、現在は名門NASミランのレギュラーである彼はさすがに世界レベルのドリブラーの対処の仕方を心得ている。あとちょっと近づけば一気に加速していつもの高速シザースで揺さぶり突破したのだが。
(まぁ、いいさ)
心中で呟き鷲介は加速する。それに合わせて田仲は一気に距離を詰めてくる。このままドリブルをするならボールを奪われないが遅らされ、他の人がフォローに来るだろう。
それがわかっている鷲介はシザースで彼を惑わすと後方へヒールパス。「柳!」と言うテツの声と同時に田仲の後ろへ飛びだす。
思った通りテツからやってきたフライパス。オフサイドギリギリ飛びだしたこちらを田仲が追ってくるが彼がそうであるように、鷲介とてDFの対処方法など幾つも知っている。飛びだしボールを受け取ると同時に田仲から体を入れられないよう両手を広げ、ブロックする。そして田仲が体を当てたと同時、その勢いを利用して一瞬で加速、ゴールに向かう。
(よし、まずは一点──)
そう鷲介が思ったその時だ、加速した際わずかに足元から離れたボールへいつの間にか目の前まで来ていた兵藤がスラィディングで蹴りだしボールはラインを割る。
「……相変わらず飛びだすなぁ」
声をかける鷲介。兵藤はそれに答えず自分が守るゴールへ戻っていく。
兵藤のプレイスタイルは知っていたから飛びだしも警戒してはいたが、思った以上に早かった。次はゴールを決めるべくイメージを修正する。
テツからのスローインを収める鷲介。田仲に背を向け寄ってきたテツたち近くの味方にパスを出そうとするふりをして、逆の左サイドに上がってきた直康にパスを出す。だがそれを下がってきた九条がインターセプトする。
(おお)
抜ければチャンスなボールをカットした九条はすぐさま近くの味方にボールを渡すと前線へ走っていく。中神、沢村とボールが繋がり再び足元にボールを収めた九条は前を塞ぐDFをフェイントで揺さぶっては左足を大きく振りぬく。低い弾道のミドルシュートはGKの手をかわしゴールネット左に突き刺さる。
「おー……」
仲間とハイタッチをかわす九条を見て鷲介は小さく声を上げる。FWでありながら中盤、またはDFライン間近まで戻る運動量とエリア外からの強烈なミドルシュート。動画で幾度か目にはしていたが中々の物だ。
一点先行したことで勢いに乗ったのか、相手チームはどんどん動いてパスを回してくる。特に目立つ二人──九条は豊富な運動量で中盤、前線を動き回っては味方チームの流れを阻害、停滞させ、中神はあの日本人離れした動きとリズムに加え、ドリブルとパスを状況に応じて見事に使い分けており、味方も中々ボールを奪えない。
とはいえ味方チームもやられ放題というわけでもない。九条にかき回されつつも直康は味方へコーチングして決定的なシーンを幾度も防いでいる。テツも以前からあったフィジカルによるDFと運動量、そして先程見た相手の動きを把握した無駄のないインターセプトやカウンターのパスで攻防共に効いている。
そして鷲介もしっかりとリベンジを果たす。テツからのカウンターボールを受け取った鷲介はチェックに来た田仲たち二人をかわし、兵藤が守るゴールネットを揺らす。またこちらにマークが偏ったのを見てはラストパスを放ち味方チームの逆転弾をアシストする。
「まだまだ! 取り返しましょう!」
逆転弾を叩き込まれた直後、中神が大きな声で言う。まったく気落ちしていないそれを聞いて鷲介が微笑んだその時だ、突然フィールドに笛の音が三度鳴り響く。
「はい、ここまで」
鷲介はもちろん全員がパンパン手を叩くミシェルに視線を向ける。そして中神が元U-17の監督に詰め寄る。
「ミシェルさん、なんでここで終わりにするんですか。これからじゃないですか」
「うん。私も続けさせてあげたいんだけどね。周りを見てみようか」
彼の言葉に鷲介はもちろん、全員が視線を周囲に向ける。
そして気が付く。いつの間にか周りには大勢の人たち──監督やスタッフ、そして遅れてやってきたオリンピック、A代表候補者たちの姿があることに。
「……!」
そして鷲介はその中にいる”彼”を見つける。イングランドリーグの強豪ウーリッジFC不動のスタメン。自分と同じワールドクラスである日本代表のエース、小野勝の姿を。
こちらの視線に気が付いたのか、小野は小さく微笑む。温和なそれを見て鷲介は思わず軽く頭を下げてしまう。
「候補者たちもそろいつつあるしミーティングの時間も近い。それにこれ以上白熱したら軽い”遊び”じゃなくなるからね。
続きは合宿中の練習やゲームで存分にやってくれたまえ。それが何よりのアピールになるしね」
ぐうの音も出ないミシェルの正論に全員黙り込むのだった。
◆◆◆◆◆
「正面、いいかな?」
監督によるミーティングが終わったあとの夕食時、直康と土本と共に夕食を取っていた鷲介は声のした方へ視線を向ける。そこには夕食を膳に乗せた中神とテツの姿がある。
「別にかまわないけど……ところで何でテツはそんな顔をしているんだ」
「さぁ? ま、彼が機嫌が悪いのは珍しい事でも得ないし、あまり気にしなくていいんじゃないかな」
「元凶であるお前が言うな。大体柳との橋渡しをしてくれっていうから仕方なく付き合ってやっているのに、お前が声をかけるのであれば俺がいる必要はなかっただろう」
苦虫をかみつぶしたような表情でテツが言う。しかし中神は「まぁまぁ」と適当に宥めるだけだ。
「あー、まぁなんだ。とにかく二人とも座れよ」
「そうそう。俺たちも色々と話したいことがあるからな」
眉間のしわをより深くしたテツを見て鷲介の隣に座る直康と土本が声をかける。
さすがに先輩、それもフル代表常連からの前でキレるわけにはいかないと思ったのだろうか、ため息をついてテツは中神と共に鷲介たちの正面に腰を下ろす。
「さっきのゲーム見てたけど中神、噂通りやるじゃないか。テクニックだけなら代表でも上の方じゃないか?」
「ありがとうございます。ま、本番ならもうちょっとやれると思いますけど」
「藤中君もポジショニングやインターセプトが上手かったね。ボディコンタクトと運動量が優れたボランチと聞いていたけど、それに加えてあれならオリンピック代表には残れるんじゃないかな」
「自分としてはA代表に残るつもりではいます。厳しいとは思いますけど」
ドリブルとテクニックに長けた土本と中神、守備に専念することが多い直康とテツ。互いに同類と会って息が合ったのか、鷲介を一人置いて会話を進めていく。
(やれやれ。もうちょっとスポンサー関連の話を聞きたかったんだけどな)
とはいえ楽しそうに会話をしている──特にテツ──彼らの邪魔をしようとは思わない。代表初選出の彼らにとってはこれも貴重な経験だからだ。
「そういえば一つ気になるニュースを見たんだが。中神、お前スペインリーグに移籍するっていうのは本当なのか」
「本当ですよ。記事にあった通り二部のチーム、バルセロナ・リベルタ2ですけど」
土本の問いに中神は頷く。彼の言葉を聞いて直康とテツ、そして鷲介も大きく目を見開く。スペインリーグに移籍の話があるのは知っていたが、まさかバルセロナR2とは。
バルセロナ・リベルタ2とは名前の通りバルセロナRのセカンドチームだ。Rバイエルン2のようにユースから上がった若手、または他チームから獲得した将来有望株が所属している。
現在スペインリーグ二部に所属しておりここで認められればトップチーム、バルセロナRへ昇格される。だがここ十年、Bからトップに上がったのは片手で数えられるほどしかいないと言う非常に狭き門だ。
「その年齢でバルセロナR2か。凄いな」
『お前が言うな』
思わずつぶやいた鷲介に彼以外のメンバーからツッコミが入る。まぁ確かに彼らの言う通りなのだが全員の声の揃ったツッコミに思わず鷲介は身を引いてしまう。
「実のところそう凄いことでもないんですよね。元々そう言う契約をバルセロナRとソルヴィアートはかわしていましたから」
「契約? ってお前まさか」
「はい。俺は日本に来る前にはスペインのバルセロナにいてバルセロナRのカンテラにいたんです」
カンテラとはスペインリーグに所属するチームの若手育成部門の総称だ。
「日本にやってきたのはちょうど中学に上がる直前の12歳の時です。両親のちょっとした事情で十年ぶりに帰国したんです」
「クラブから引き止められなかったのか」
「もちろんありましたけど両親──母さんがどうしてもって言って半ば強引に帰国させられたんです。まぁその際もしJのどこかのクラブに入る様なら必ず教えてくれって言われてまして。
それで帰国直後、地元だったソルヴィアート鹿嶋のジュニアユースチームに入る時連絡すると、バルセロナRとソルヴィアートが俺のことで色々と契約を交わしたんです。その一つが将来、もし俺がプロになって欧州へ移籍するなら真っ先にバルセロナRに戻ってきてくれと言うものでした。だから俺にとっては移籍というより凱旋に近いんですよね」
何事もないように言う中神だが、鷲介は心中で唸る。バルセロナRにそれほどまでに将来性を買われ、しかもその契約通り戻ることができるとは。
「なるほど。中神の日本人離れした動きやボールタッチはそこで培われたものだったのか。と言う事は十年もスペインにいたのか」
納得する鷲介の言葉に中神は首を横に振って言う。
「それは半分正解で半分間違いだよ。俺のサッカーの始まりはブラジルさ。
赤ん坊のころブラジルに引っ越して7歳のときスペインに移住。そして五年間バルセロナにいてさっき言ったように日本に帰国して現在に至るってわけ」
「つまりブラジル、スペイン共に五年もいたのか……。ずいぶんとサッカー歴の濃い帰国子女だな」
「よく言われます」
ちいさく笑う中神。
しかし直康の言うとおりサッカー歴の濃厚な人生だ。人生の三分の二近くで南米、欧州のサッカー大国で生活し、サッカーをしていたとは。
鷲介とて物心つく前から両親がくれたサッカーボールで遊んではいたが、本格的にサッカーを始めたのは小学三年の時からだ。
「俺が日本にいたとき顔を合せなかったのはそういう経緯だったのか。てっきり巡り合わせで会わなかったとばかり思っていたけど……」
「そういうこと。君とはすれ違いで俺は日本に帰国したわけさ。
この際だからいうけどね。今回の移籍の切っ掛けとなったのは柳、君なんだ」
「俺?」
グラタンをすくっていたスプーンを置いて、中神は言う。
「俺がいなかったU-17W杯、そしてドイツリーグでの君の試合を見たよ。
君のことを知るまで育成年代の日本人の中では俺が一番だと思っていた。──そんな自負は君を見て木っ端みじんに砕かれたよ」
そう言ってコップの茶を飲み欲し、彼は視線を鋭くして鷲介を見つめる。
「スペインリーグかCLで君をぶっ倒す。俺の持っている目標の一つだよ」
「へぇ……」
つい最近ロナウドからも感じた同年代からの敵意と挑戦が混じった瞳を見て、鷲介は小さく微笑み受け止める。
上等だ。挑んでくるなら正々堂々受け止め、そして叩き潰してやるだけだ。
「中神、それを望んでいるのはお前だけじゃないぞ。
お前たちより遅れはするだろうが、いずれ俺も欧州へ行く。そしてお前たちに追いつき、追い越すのが俺の目標の一つだ」
「藤中、人の真似か~?」
「真似と言うほどのものでもないだろう。──柳は俺たちの世代の憧れであり目標、そして超えるべき壁なのだから」
中神と同じく負けん気いっぱいの表情となるテツ。U-17W杯のイタリア戦後のことを思いだし、鷲介は唇の端を小さく曲げる。
「さっきといい今といい、ずいぶん楽しそうだな」
唐突に呼び掛けられ視線を向ければ、そこには堂本と柿崎、高城という堂本と親交が深い面々が数名いる。食事を終えたのか手に持っている膳の皿は空っぽだ。
「初めての代表合宿なのに気負いがない。最近の若い連中は肝が太いな」
「別に、普通じゃないですか。年代別代表には何度も選出されていますし」
堂本たちに向けてにこりと微笑む中神。しかし少し冷たい感じがする笑みだ。
「話しているのが聞こえたが、本当にスペインリーグに移籍するんやな。
どや、後で堂本さんの部屋に来へんか。色々とスペインでの話が聞けると思うねんけど」
そう言って軽く二、三度、中神の肩を叩く柿崎。中神の顔から笑みが消えたのを見た鷲介は何か嫌な予感がする。
「柿崎、中神の奴は──」
直康が中神の事情について話そうとしたその時だ。”天才”は冷笑を浮かべ、柿崎に言う。
「残念ですが遠慮します。あなたたちからの話を聞いても実りあるものが聞けるとは到底思えませんから。
……あ、常にベンチやベンチ外の状態の時、どんな気持ちなのかぐらいですかね。興味があるのは」
中神の発言に鷲介たちはもちろん、堂本たちも絶句する。
そして次の瞬間、眉を吊り上げた堂本が彼に詰めよる。
「ずいぶん舐めた口を叩くじゃねぇか。J如きでいきがっているガキか、あの世界最高峰リーグで同じように振る舞えるとでも思ってるのか」
「少なくともスペインの、バルセロナRのサッカーを知っている俺はあなたたちよりはましだと思いますね。──それと堂本、今なんて言った?」
がたっと荒々しい音を立てて席を立つ中神。堂本との距離を瞬く間に詰めては刃物のように鋭くなった視線を向ける。
「”J如き”だと? そのJで育ち海外に飛びだしておいてその言いぐさはなんだよ。あんたも柿崎も海外で”如き”と言えるような活躍、してないだろう。
せめて柳か小野さんぐらいの活躍してから一丁前の口、叩けよ。雑魚のビックマウスほど不快なものは無い」
悪意がたっぷりとこめられた中神のタメ口に鷲介とテツが血相を変えて立ち上がる。直後、柿崎と高城が両手に持っていた膳から手を話し、彼に詰め寄る。
「なんやと! このガキか!」
「調子に乗っているんじゃねぇぞ!」
中神に掴みかかろうとする柿崎と高城。しかしその直前に鷲介とテツが割って入る。
「柿崎さんストップ! ストーップ!」
「すいませんこの馬鹿に後できつく言っておきますので……!」
謝罪する少年たち。しかし当人は微塵も反省の気配は無く、またしても濃厚な侮蔑の言葉を口にする。
「謝る必要はないよ藤中。こうして怒っているのが俺の言ったことを自分たちで肯定しているんだから。
しっかしまぁ自分のことでもないのによくここまで怒れるもんだ。ま、コバンザメらしいといえばらしいのかな」
「おまっ……!」
表情を引きつらせる鷲介。いくらなんでも暴言が過ぎる。
直後さらに柿崎たちが激昂して中神に詰め寄ろうとするが、
「柿崎、高城、落ち着け!」
「まったく、何やってるんだこの|ガキ(中神)は!」
直康と土本が割って入り、なんとか両者の間にスペースができる。しかし険悪な空気は変わらず。周りの皆も一様に見守るだけだ。
(ああもう、どうするんだこれ。監督でもミシェルさんでもいいから誰か何とかしてくれ──)
そう鷲介が思ったその時だ、静かな声が食堂に響く。
「何を騒いでいるんだい久司。それに堂本たちさんも」
声のした食堂入口を見れば小野と鹿島、沢村と言ったソルヴィアート出身の三人が姿を見せている。
彼ら三人は視線を見合わせて小さく頷くと、すぐに動く。沢村と鹿島の二人が中神を捕まえては堂本の前に引っ張りだし、強引に頭を下げさせる。また小野たちも怒っている柿崎たちに向けて頭を下げ謝罪する。
「すまみせん堂本さん。中神が失礼なことを言ったようで」
「しっかりと教育しておくんで、この辺で勘弁してください。──ホラ、謝れ!」
「本当に、申し訳ありませんでした」
三人そろっての謝罪に鷲介たちはもちろん、柿崎たちも堂本も呆気に取られたような顔となる。
「……まぁ初めての代表合宿で気が昂っているのかもしれないが、しっかり礼儀は叩き込んでおけ」
眉を吊り上げ──しかし怒りがくすぶったような表情で堂本が言う。これ以上ことを大きくする意思がない彼を見て柿崎たちも鹿島たちに一言文句を言っては堂本と共に立ち去っていく。
「悪かったね柳くんに藤中くん。それに大文字さんと土本も。久司の奴が騒ぎを起こして」
堂本たちが料理をもらいに行ったのを見た小野はこちらに振り向き、軽く頭を下げる。
「いや、まぁ……はい」
「中神の奴が突拍子もない性格なのは知っていましたが、さすがに今回のような反応は驚きました」
「鹿島出身の選手は皆、一様に礼儀正しいのが有名だから特にな」
「そうだな。正直俺も引いたわ」
言葉を濁しながらも否定しない鷲介に半目のテツ。肩を竦めため息をつく直康に咎めるような声を出す土本。
四者の視線が向けられている中神は頭を押さえている沢村の手をゆっくり外し、鷲介たちに向かって謝罪する。
「騒ぎに巻き込んですみません。でも発言を撤回する気はありませんよ。本当のことしか言っていませんし。
それに実力がないくせにデカい態度や馴れ馴れしくしてくるって人間は俺が最も嫌うタイプの人間です」
反省の色が微塵もない中神の発言。さすがに鷲介は憮然とし、テツは天を仰ぐ。
鷲介とてそう言う類の人間は好きではないが、さすがに初対面であんな態度はとらない。──心中で罵倒ぐらいはするだろうが。
「気持ちはわからんでもないが、少しは抑えた方がいいぞ。いくら実力があろうともこういう事を何回も起こせば、選手としての評価にもつながる」
「嫌悪するなとは言わんがチームの輪を崩さない程度に留めろ。まぁ海外暮らしが長いお前さんはよくわかってはいるだろうが、一応忠告しとく」
頭の痛い顔となる直康たち。すでに食事を終えていた彼らはこれ以上|問題児(中神)に関わっていたくないのか、膳を持って膳置場へ向かう。
「やれやれ。こうなることを予想はしていたが、早すぎるだろお前」
「まさか初日から騒ぎを起こすとは。監督にも伝わるだろうし、久司の代表入りはますます厳しくなったよ」
呆れた──しかし慣れているような表情の沢村と小野。
「あのー、その言い方から中神の奴、過去にも似たようなことをしでかしたんですか」
「まぁね」
鷲介の問いに苦笑して鹿島は語る。それは中神がユースからトップチームに合流した初日のことだ、練習中のミニゲームで中神はいきなりチームメイトに容赦のない注意をしたのだと言う。
いきなりユースからやってきた子供にずけずけとものを言われたトップチームの面々──特に中盤のひとたち──は当然激怒、中神への態度も辛辣となったがそれは時間がたつにつれて軟化していったのだと言う。
もちろん鹿島たち年齢の近い面々が先輩方をとりなしたと言うのもあるが、それ以上に中神の実力は先輩たちにそのことを長い間、気にさせなかったそうだ。──子供と思って油断していればポジションを奪われかねない。皆、そう思ったらしい。
「まぁ口だけの若造じゃないってレアンドロさんやダミアンさんに気に入られたのもあったんだろうけどね」
「南米出身のあの人たちは、中神のよう若造は見慣れているらしいからなぁ」
「ふふふ。どうだい二人とも。俺の武勇伝は」
『えばるな馬鹿!』
ドヤ顔となった中神に同時に突っ込む鹿島と沢村。その様子から相当に苦労したことが窺える。
「まぁ懐かしのバルセロナとはいえさすがに注意するんだよ。世界有数のメガクラブで余計なことを起こしてはいきなり放出されかねないからね」
「それはさすがに心得ていますし心配いりませんよ。──バルセロナRであんな馬鹿はいませんから」
そう言って蔑んだ視線を堂本たちが立ち去った食堂の入口へ向ける。あんな馬鹿とは明らかに堂本たちのことだろう。
「それに代表に選ばれるのはさして重要じゃありません。俺の今回の一番の目的は代表に選ばれることじゃありませんしね」
「じゃあ何が一番の目的なんだよ」
「将来、俺が中核になるフル代表がどんなものか、感じることだ」
大きく胸を張る中神。自身に満ちた──いや傲岸不遜と言うような態度にソロヴィアートトリオは生暖かい視線を向けている。
鷲介は視線を逸らし、中神に半眼を向けているテツを見る。こちらの視線に気づいたテツと視線が交わり、二人は同時に大きいため息を吐くのだった。