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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第一部
30/191

A代表招集3






「では今日の練習の締めくくりとしてミニゲームを行う。まずAチーム──」


 合宿三日目の最後、ピッチに立つ監督が選手の名前を読み上げる。二日目は初日のようなサーキットやフィジカルトレーニングに加えパス回しや3対3などの練習を繰り返し行っていた。

 三日目は二日目の練習からサーキットやフィジカルトレーニングを取り除き──もちろん必要最低限は行った──戦術練習に時間を取っていた。

 ちなみに今日はメディアもサポーターもいない非公開での練習だ。


(そろそろ俺たち新顔がどれぐらいチームでできるか知りたいってわけか)


 そう思いながら鷲介は指定されたチームへ移動する。ミニゲームは8対8のため選手たちは三チームに分かれてる。

 まずビブスを着ておらずピッチに立っている鷲介たちメンバーはBチーム。ほぼ全員が代表ではサブのメンバーだ。メンバーGKは曽根崎、DFは海原、佐々木、MFは土本、伊藤、本村、FWは鹿島と鷲介だ。

 一方ビブスを着ているAチームはここ最近代表でスタメンのレギュラーメンバーだ。GK川上、DF井口に大文字、MF南郷と高城、吉野、FWは堂本と柿崎。

 最後のCチームは二つのチームからあぶれたレギュラー、サブ、新顔の混成チームだ。GK牧、DF田仲と秋葉、大島、MFは瀬川、稲垣、FWは桑野、沢村だ。鷲介たちと同じくビブスを着ておらず、ピッチの外に出て腰を下ろしてる。


(そういえばU-17の時も最初はサブだったっけ)


「それでは8対8のミニゲームを今から行う。まずはAチームとBチームから始める」


 監督が笛を鳴り響かせ、Aチームボールからミニゲームはスタートする。流石に欧州で活躍している選手が多いためかパスや動き、判断の速さは中々の物だ。

 一方Bチームは鷲介と鹿島以外は全員国内組。Aのプレースピードについていけてはいるが、要所要所で半歩遅れてる。U-17の時と鷲介が同じくチームに馴染むことを優先としている間、Aチームは堂本たちツートップがゴールを決める。

 先制点は堂本だ。右サイドをえぐった南郷からのセンタリングに頭で合わせネットを揺らす。二点目の柿崎は直康からのロングボールをペナルティエリア左でトラップ、吉野とのワンツーでエリアに侵入し右足のシュートがゴールに突き刺さった。


(いい動きだな。でも驚くほどでもないが)


 ゴールを決めて手を合わせるAチームのFWを見て、鷲介は思う。上手いことは上手いがドイツリーグにはごろごろいるレベルだ。

 FW二人から視線を外し他の面々に目を向ける。全員がそこそこ上手いが中でも抜きんでているのはやはり海外組の土本と南郷だ。

 オランダで活躍する土本はとにかくまずドリブルで突破しようと動く。そしてその技術レベルは結構なものだ。速さは無いが上手さと緩急で相手を惑わしては抜く。そして周りをよく見ているのか無謀なドリブルはあまりせず、ここぞというときに仕掛けている。

 同じドイツリーグにいる南郷は一言でいえばパサーだ。しかし運動量も豊富で常にボールを追いかけまわしてもいる。フランツに似たプレースタイルだ。


(そろそろ行くか。アピールもしたいし)


 ゲーム時間は三十分。その半分を経過したところで鷲介は下唇をなめ、ボールを要求する。

 そしてインターセプトした本村からボールが入るとワンタッチで収め前を向く。ボールを奪いに来ていた南郷の姿があるが鷲介は彼をワンフェイントで抜き去る。


「な……!」

「いっ!?」


 南郷とフォローに来ていた伊藤の驚く声を聞きながら鷲介は進む。八人と言う事もあって加速したドリブルへの邪魔者はおらずあっという間にゴール前に迫り、ペナルティエリア前で待ち受ける井口と直康の姿が見えてくる。


「悪いが柳、そう簡単には──」


 直康の言葉を最後まで聞かず、鷲介は右足を振りぬいた。

 距離はおよそ25メートルほど。体重が乗ったボールは手応えの通り両者の間をすり抜け、ポジショニングにつく前の川上の右を通過しゴールに突き刺さった。


「……!」


 近くで誰かが息を呑む声が聞こえるが鷲介は気にせず自陣へ戻る。別段驚くようなことでもない。川上が中途半端な位置にいたのと井口たちがシュートコースを開けていてくれたので打った。ただそれだけだ。


(というか直康さん、ちょっと油断しすぎじゃないかな。俺があの距離から撃つってことぐらい知ってるだろうに。反応が遅いよ)


 鷲介が現在のチームメイトへの不満を心中でこぼす中、試合が再開される。そしてAチームからカットしたボールがすぐさま鷲介に来る。

 センターサークル付近で受け取った鷲介に南郷と吉野が一気に来る。しかし首振りでそれを把握していた鷲介はフォローに来ていた鹿島とのワンツーで二人を置き去りにすると加速する。


「あんまり調子の乗るなよ!」


 そう言って前を塞ぐのは高城だ。鷲介はそれに返答せず緩急のフェイントを繰り出して彼の体勢を乱すと、一気に突破しては再びゴール前へ向かう。


(もう少し期待してはいたんだけど、こんなものか)


 今の自分ならこうできることは薄々予想していたことではあった。しかし予想以上だ。自分が思った以上に成長しているのか、初対決故彼らが対処しきれていないのか。


(ま、両方か)


 再びゴール前で待ち受ける井口と直康。ミドルを警戒しているせいか川上もポジショニングを修正している。


(井口弘樹。日本代表不動のCBか)


 現在29歳の井口はテツや海原と同じく東京エストレヤ出身の選手だ。二十歳で代表デビュー、そのままレギュラーに定着しイングランドリーグに移籍。中堅、下位チームをいくつか渡り歩くがどのチームでも準レギュラー、レギュラーの座を獲得している日本No1というべきDF。

 前に出てきた彼に鷲介は正面から挑む。いつもの高速シザースで惑わし左に突破しようとするが、さすがにそれにはついてくる。

 しかし鷲介はやはり慌てない。遅くはないが速くもない。ブルーノやクルトに比べれば反応、動き出しが明らかに遅いし遅れている。

 スピードを落とした鷲介に踏み込み足を伸ばしてきた井口の股間にボールを通して右に突破、さらにそこへ突っ込んできた直康をルーレットでかわし、距離を詰めてきた川上の頭上を越すループシュートを放つ。


「これで同点っと」


 飛びだしてきた川上をジャンプして避け、着地すると同時に鷲介のループシュートは優しくゴールネットを揺らした。






◆◆◆◆◆






「直康。おい直康!」

「あ、ああ。井口さん。なんですか」


 唖然としている直康の肩を乱暴に叩く井口。彼は直康に詰め寄ると、まるでこちらに責任があるかのように言う。


「何なんだ彼。動きのキレが尋常じゃないぞ。本当に17歳なのか」

「その気持ちよーくわかります。と言うか俺も驚いています」


 鹿島とハイタッチをかわす柳を見て直康は言う。井口の言うとおり動きのキレがとんでもないことになっている。

 今年初めハンブルクFにやってきて幾度もマッチアップした直康だから、今の柳の動きが尋常じゃないことがよくわかる。間違いなく先週──Rバイエルン戦以前よりもさらに一段と動きの質が良くなっている。


(もしかして……いや、もしかしなくてもRバイエルン戦が原因か)


 ブルーノ・レブロンにクルト・フリードリヒ。自分達よりも格上な世界レベルのDFとやり合ったことで成長したとしか考えられない。

 直康としては彼がゴールを決められたのは向こうのちょっとした油断だと思っていたが、どうやら今の動きから柳の実力だと判断せざるを得ない。


「あんな速いドリブルと動きをする選手、イングランドリーグでもなかなかいないぞ。ブルーライオンCFCのマイケル・ライト、ウーリッジFCのヌワンコ・ムサらに近いレベルじゃないのか」


 直康は大きく目を見開く。イングランド代表の快速FW、『マクラーレン』の異名を持つマイケル・ライト。アフリカ最速の男、ナイジェリア代表の『クレートイーグル』の愛称を持つヌワンコ・メサ。どちらもイングランドリーグの中でも上位に位置する高速ドリブラーだ。

 鷲介はそれらと比較されるほどなのか。そう思い、しかしすぐに納得する。よくよく考えれば鷲介はあのRバイエルンの守備陣──ワールドクラスのDFたちと対等にやり合っていたのだ。マイケルたちワールドクラスに匹敵するとしても不思議ではない。

 四度目の試合再開のホイッスルがピッチに鳴り響く。あっという間の同点劇にAチーム──というよりも堂本たちツートップがムキになり前に出てはボールを要求する。


「何でロングで来る! 足元にくれ!」

「そんなボールじゃ点取れませんよ! もっと速く正確に!」


 堂本に続いて柿崎も不満の声を上げるが、南郷たちもそれに言い返している。


「絶好のボールだったでしょうが! 決めれなかったからって人のせいにしないでください!」

「お前のポジショニングが悪いからだろ。しっかりマークを振り切れよ!」


 険悪な雰囲気となるAチーム。一方Bチームは落ち着いてしっかりと守っており、ボールを収めたら確実に前線の二人へ繫いでいる。

 鹿島は堅実なポストとパスでボールを失わず、鷲介は楽々と言った感じでドリブルやパスなどことごとく成功させ、代表のレギュラーたちを圧倒している。


「鹿島さん!」

「はいよワンツー──と見せかけて土本!」


 鹿島のパスフェイントに井口と直康は引っ掛かり、彼らの裏に鹿島が出したボールへ土本が走りこむ。近くにいた吉野が止めようとするが、土本を止めることはできず突破を許してしまう。


「フリーです! そのまま行ってください!」


 鷲介の言葉通り単独フリーとなった土本はゴール前まで直進し、飛びだしてきた川上の横をすり抜けるシュートで逆転弾を奪った。


「ナイスシュートです土本さん!」

「いや柳、お前のデコイランも効いていたからな。鹿島のパスも良かったぜ」

「パスには結構自信がありますからねー」


 ゴールに絡んだ三人が和気藹々としながらピッチを歩いている。するとそこへいきなり怒鳴り声が響く。


「ちんたら歩いてないでさっさと戻りやがれ! まだ試合は終わってねぇんだぞ!」


 苛立ちを多分に含んだ声を上げたのは肩を怒らせている堂本だ。

 そんな彼を柳たちは驚き──すぐに白けた視線を向ける。また同じチームである南郷と吉野も半眼だ。

 彼の様子を見て流石に不味いと感じたのか、慌てて井口が彼に寄っていく。同時期に代表に選ばれ、これまで選出され続けてきた戦友でありキャプテンの言葉に堂本の怒りの気配が弱まっていく。


(さすが井口さん。しかしキャプテンってのも大変だな)


 そう心中で呟きながらも直康は堂本の反応をやや心苦しく思う。あっという間に同点、逆転され苛立っているのは分かるが反応が過剰すぎる。異様な負けず嫌いなのは知っているがチームの中核である彼がピッチの空気を悪くしてどうすると言うのか。


「直康行ったぞ!」

「止めろ!」


 井口と、そして堂本の大声が響くと同時、ボールを持った鷲介が近づいてくる。

 鷲介が繰り出すいつもの高速フェイントを見て改めて気づく。やはり動く際体のブレなさが少なくなっており、また動きがより速く、なめらかになっている。Rバイエルン戦以前とは確実に違っている。

 左に動く鷲介に直康も反応する。体を鷲介とボールの間に入れようとし、またボールへ足を伸ばす。

 しかし奪えると思った時で鷲介の動きが止まり逆──飛びだした直康の背中へ抜け出す。慌てて振り向くがその時すでに鷲介は右足を振りかぶっている。

 止める間もなく放たれたシュートは川上の伸ばした手をかわし、ゴールネット左に突き刺さった。

 もはや言葉もない。直康は顔を俯かせ、小さく微苦笑する。するしかない。文句なしに日本代表FWの中で断トツのNo1プレイヤーだ。


(あとでねちねち嫌味を言われるなこりゃ)


 遠くから聞こえてくる堂本の罵声を聞き、直康は大きくため息をつくのだった。






◆◆◆◆◆






『ニッポン! ニッポン!』


 試合前だと言うのに鳴り響く歓声。ぐるりと周囲を見渡せば観客席は満員で猫の子一匹入る隙間すらないように感じる。


「柳、お前の番だぞ。何ボーっとしてるんだ」

「あ、はいっ」


 背中から聞こえる土本の声にハッとし、鷲介は慌てて動き出す。正面に立つコーチにボールをパスし、彼らがポストとなって返したボールをゴールへ蹴り込む。

 夜七時前の現在、今鷲介がいるのはエストレヤスタジアム。Jリーグ東京エストレヤのホームスタジアムであり国内有数の巨大さと収容人数を誇るスタジアムだ。

 そして今日行われるアジア二次予選の試合、日本対タイの試合が行われる場所でもある。


「時間だ、全員ロッカールームに戻れ!」


 コーチの声で鷲介たちは練習を辞め、選手入場口へ引き返していく。そしてロッカールームに入り監督が改めて今日のゲームプランを説明する。


「初スタメン、残念だったな」


 小さい声で言ってくるのは隣に座る土本だ。


「それは土本さんもでしょう」

「俺はいーんだよ初選出じゃないから。──しっかしまぁいない小野以外は特に代わり映えしないスタメンだな」


 本日の日本代表のスターティングイレブンは彼の言うとおり最近出場してる選手と使用しているシステムで固めている。4-4-2のダブルボランチ型。GK川上、右から田仲、秋葉、井口、直康。中盤ボランチ二人は瀬川と高城、前二人は南郷と伊藤。FW二人は堂本と柿崎だ。


「ま、この試合に勝ては最終予選進出が確定するわけですし確実に勝てるメンバーをスタメンに選ぶのは当然でしょう」

「ほほう。つまりお前はその自信がないと?」

「俺ではなく監督視線からって意味です。まぁ俺が投入するとしたらリードした後半か、もしくは相手にリードされたときぐらいじゃないですか。

 ま、今日は半分見学するつもりで代表の試合ぶりを見ておきますよ。生で見たほうがイメージトレーニングのいい材料になりますからね」

「そう簡単にいくと思わない方がいいぞ。何せ今日の相手は東南アジア最強のタイだ。彼らの近年の成績は知っているだろう」


 Jリーグにも選手を輩出しており急激に実力を高めた東南アジア最強と言われているタイ。前回の最終予選にも参加し、アジアカップではなんとベスト4にまで残っていた。

 現在の二次予選に置いては日本同様他のチームに勝ち続けて二位をキープしており、また日本を迎えたホームの試合ではなんと引き分けてもいる。現在6試合終わった時点で五勝一分け勝ち点16の日本に対し、タイは四勝二分けの勝ち点14。その好成績からもしかしたら日本を上回って一位で最終予選に行き、初めてのW杯の出場権を獲得するのではないかとさえ言われている。


「でもまぁ日本が本来の実力を出せば大丈夫でしょう。前回引き分けたのはアウェーな上小野さんに堂本さん達主力がいなかったわけですし。普通にサッカーをすれば勝てますよ」

「だといいんだがな」


 監督のゲームプラン説明が終わり、キャプテンである井口が全員に円陣を組むよう呼びかける。


「今日はアウェーで引き分けたタイ。決して侮ることはできない相手だが俺たち本来の実力が出せれば勝てる相手だ。今日勝って、最終予選進出を確定させよう!」

『おう!!』


 強い井口の言葉に全員が声をそろえた覇気のある返事を返す。そして真っ先に堂本がロッカールームから出ていくスタメン選手たちがそれに続く。

 スタメン選手が入場口でエスコートキッズと一緒になる横を鷲介たちは通り過ぎ、カメラのフラッシュを浴びながらベンチに腰を下ろす。そして時間となりWFUA公式のテーマソングが流れだし、両チームの選手が入場する。


(これが日本のホームおける代表試合の雰囲気なのか)


 記念撮影や両チームの選手が握手を交わすのを見ながら、鷲介は周りに視線を送る。絶え間なく聞こえる声援とニッポンコール。選手への拍手や呼び声。

 思わずRバイエルンやハンブルクFと比べる。あれらに比べなんというか少し暖かい。生ぬるくさえ感じる。


「さて、試合開始だ」


 隣に座る鹿島が言うと同時、ホームの日本ボールで試合が開始される。U-17代表と同じくポゼッションサッカーを展開する日本はホームと言う事もあって、開始から積極的にタイゴール前に仕掛けていく。

 一方のタイのシステムは4-5-1。ホームの雰囲気に圧倒されつつも人数と走力を行使して日本の攻撃を防ぎ、またカウンターを仕掛けてくる。

 そしてこのカウンターが中々厄介だったりするのだ。日本が引き分けたウェーでの試合は2-2。そしてその二点とも日本が攻めた隙をつかれてのカウンターから失点したのだから。今日の試合も開始十分のうち一度だけだが、こぼれ球を拾ったタイは正確なショートパスを多用しては日本ゴールに迫り、背番号10を背負う昨季Jリーグ得点王ランキング5位であるティーラコーンが危険なシュートを放った。

 とはいえ開始から十五分、圧倒的に日本ペースではある。すでに四本のシュートを放ち、それが全て枠内に向かっている。


「ああ、おしい!」

「ええ、もうちょっとでしたね」


 堂本が放ったペナルティエリアギリギリ外からのミドルシュートがポストに当たって弾かれたのを見て、鹿島たちが残念がる。

 選手たちの動きも悪くはない。やはり地力の差は相当ある。得点するのは時間の問題だ。そう思う鷲介だが、心中には少しずつ苛立ちが積もっている。


(なんでこの程度の相手にさっさとゴールを決められないんだ?)


 タイが頑張っているのはよくわかるが日本の自力ならばそれを凌駕することも難しくはない。ましてここはホーム。15分の間に二度も決定的なチャンスがあったにもかかわらずネットを揺らせていない。

 その現実に鷲介の眉間に皺がよる。そして二十分を過ぎた辺り、ようやく待望の先制点が日本に入る。

 タイの右サイドを深く抉った直康が上げたセンタリングに堂本が頭で合わせる。マークを引き離したうえでのジャストミートなヘディングシュートだが狙いすぎたのか、ポストに弾かれる。

 だがそのこぼれ球をタイDFが処理するより早く柿崎が詰め寄ってはタイゴールに押し込んだ。前半二十三分、ようやく先制した日本。観客席から歓声が沸き、電光掲示板にでかでかとゴール表示がされる。

 その数分後、またしても日本がネットを揺らす。南郷のスルーパスに反応し、タイDFの裏に抜け出した柿崎がダイレクトでグラウンダーセンタリング。柿崎の速いボールはDFの間をすり抜け、そのボールへ駆け寄ってきたに堂本が強烈なダイレクトシュートを放ち、ボールをネットに突き刺した。

 十分と経たずの連続得点にスタジアムは沸き、指示を送っていた監督もガッツポーズをとる。鷲介も微笑を浮かべ、ピッチの選手たちへ拍手を送る。


「この調子なら今日は大量得点で勝ちそうですね」

「そうだな。俺たちの出番はなさそうだけどな」


 そう言って肩をすくめ、しかし笑顔の土本に鷲介も頷こうとしたその時だ、観客席からワッと歓声が上がる。


「あー、入っちまったのかー」


 あちゃーとしたような声を上げる本村。フィールドを見れば喜ぶタイの選手たちの姿があり、電光掲示板にはタイのゴール表示が合見える。


「何があったんですか?」

「ついさっきタイのCKだっただろう? ゴール前にボールが上がった時選手が入り乱れてな、クリアーしたのはいいんだがそのボールが近くにいた大文字さんに当たってそのままゴールに入ったんだ」

「オウンゴールですか……」

「まーあれはしょうがない。大文字を責められない。それに今日のチームの調子ならすぐに追加点を入れて突き放せるだろうさ」


 気楽そうに言う本村。そして日本ボールで再開される試合はタイのゴール前と変わりない展開だ。日本が圧倒的ポゼッションでボールを支配し、タイがそれに耐え続ける。

 だがタイの日本への対応も少しずつ慣れ始めてきたように見える。そして日本の動きも攻め疲れのためか、さすがに少し鈍ってきている。

 しかしそれでも日本優勢は変わりない。ロスタイムに入るまで堂本たちが危険なシュートを数本放ち、追加点の強い匂いを感じさせる。

 だがロスタイム一分が経過し主審が時計を見たその時だ、こぼれ球を拾ったタイの選手が大きくボールを日本陣内に蹴りだす。田仲が上がっていた裏のスペースに飛んでいったボールに追いついたのは日本のDFラインから飛び出したタイの10番ティーラコーンだ。

 

「!」


 単独フリー状態の彼はそのままゴールへ突き進む。しかしゴール前秋葉がマークに付き井口も彼のカバーに入った。

 これは無理か。そう鷲介が思った時だ、ティーラコーンはフェイントとスピードで秋葉をかわしペナルティエリアへ侵入、井口が慌ててカバーに行くがそれより一瞬早く彼はきき足の左足でシュートを放つ。

 井口の後ろには川上がおり、シュートコースを塞いでいた。だがティーラコーンの放ったシュートは川上の頭上を越え、彼の伸ばした手の横を通り抜けるとボクシングのアッパーカットのような軌道で日本ゴールに突き刺さった。


「んなっ!?」

「嘘だろ!」


 前半終了間際の劇的と言えるタイの同点ゴールに日本ベンチは騒然となり、観客席にいるサポーターからは悲鳴が上がる。鷲介も驚きを隠さずベンチから腰を上げてしまう。

 タイの10番ティーラコーン。今日の試合タイの中でいい動きをしてはいたがまさかあんなプレーを見せるとは。

 鳴り響く前半終了のホイッスル。それを聞き、鷲介は小さく呟く。


「これは後半、どうなるかわからなくなってきましたね」






◆◆◆◆◆






「何やってんだDF陣!」


 ロッカールームに響く怒鳴り声は堂本のものだ。彼は飲み干したボトルを叩きつけるよう椅子に置き、井口や直康たちを睨みつける。


「前回のアウェーじゃあるまいしホームで、それも前半の内に二失点なんて寝ぼけてんのか! 相手はタイだぞ!」


 カチンとくるが直康は何も言い返さない。一点目のことがあるからだ。


「堂本落ち着こう。一点目は仕方がないし、二点目はティーラコーン選手が見事だった」


 瀬川が慌てて堂本を制する。彼は気が付いていないようだが周りの選手たちの視線がきつくなっている。

 そしてその一人、南郷が低い声で言う。


「少し黙ってくれないですか堂本さん。監督からの指示が聞こえません」

「ああ!?」

「それとあなたが偉そうに説教しないでください。今日何本シュート外したと思っているんですか。確実に入るのがあと二本はありましたよ。

 ゴールしたとはいえ相変わらず動きも反応も鈍い、僕たちのパス何本無駄にしたんでしょうねぇ」


 仰々しく肩をすくめ、蔑みの視線を堂本に向ける南郷。年下に真正面から罵倒され眉を吊り上げた堂本が瀬川の制止を振り切って南郷に詰め寄ろうとした時だ、部屋の中にかん高い音が響く。


「二人とも落ち着こう。後半のために今は体を休めよう。──さ、監督、後半どうしますか」


 音の発生源は両手を合わせたミシェルだ。彼はいつもの笑顔を浮かべ二人の間に割って入り、監督へ向き直る。

 いきなり話を振られ少し戸惑う監督だが、すぐに前半の修正点や後半のゲームプランを説明し始める。


(しっかし南郷、思った以上に堂本が嫌いなんだな)


 代表の中で堂本の最近の偉そうな態度をうっとおしく思っているものはいる──直康もそうだ──が、こうもはっきりと面に出したのは南郷が初めてだ。試合中はそんな感じを微塵も見せずパスを供給しているのだが。

 監督の説明が続く中、堂本は話を聞きながらも南郷を射殺すような視線を送っているが、南郷はそれを全く意に反す様子もなく話を聞いている。あからさまな無視だ。


「監督、柳君はどうしますか?」


 後半のゲームプランの説明が終わった後、ミシェルが嶋田に問う。彼の言葉に堂本と柿崎二人が体を揺らす。


「彼ならばこの状況を容易に打破できるでしょう。確実に勝つためならば投入した方がいいと提案しますが」


 彼の言葉を聞いて直康はぎょっとする。ミシェルは暗に堂本たちよりも柳の方が優れている──まぁ事実だが──と言っている。

 堂本の険悪な視線が今度はミシェルに突き刺さる。しかし彼はそちらの方を全く向かず、監督の方に顔を向けている。そして名前を呼ばれた当人は困惑の表情だ。


「……その必要はない。ここにいるメンバーでも十分タイは倒せるし、さすがにこのような状況で若い彼を出したくはない」

「それもそうですね」


 監督の言葉にあっさりとミシェルは引き下がる。相変わらずよくわからない人だ。


「後半、勝ちに行くぞ!」

『おう!!』


 試合開始前と同じく円陣を組む直康たち。井口の声に全員が声を揃えて答える。

 定刻となりピッチに戻る両チームのイレブン。後半開始のホイッスルが夜のスタジアムに鳴り響く。


(さて、どうなるか)


 監督から提示された後半のゲームプランは前半とあまり変わっていない。日本のポゼッションサッカーで攻守ともに圧倒するといったものだ。もっともスタミナのこともあるので要所要所で緩めるなど、緩急をつけるよう言われているが。

 さてタイも全体的に前半とさほど変化はない。しかし後半開始と同時に左SMFが交代している。ティーラコーンと同じくJリーグで活躍する要注意プレイヤー、ピヤテープだ。

 快速かつテクニックもある彼はティーラコーンと共にカウンター要因として高い位置でボールを待っている。そして数少ないカウンターの時、ティーラコーンと共に日本ゴールに迫る。

 だがさすがに井口たち日本の守備を二人で崩すような場面は無い。ロング、ミドルシュートを放つこともあるが直康や井口が体を張ってボールを弾き返す。

 後半開始から日本は前半同様ペースを若干落としつつも攻めている。しかしタイも守備に奔走しながらもティーラコーンたちがカウンターの時、がむしゃらに日本ゴールへ迫ってきている。


「ああ、また外しやがった!」


 堂本の放ったシュートが相手DFに当たりラインを割ったのを見て、思わず直康は声を上げる。後半十五分を過ぎた現在、攻めている日本はすでに四本のシュートを放っている。

 しかしそれら全てがことごとくゴールネットを揺らさない。理由は後ろから見ている直康にはよくわかる。フィニッシュが慎重になりすぎているのだ。


(何やってんだ堂本たちは……!)


 昔からの伝統──と言いたくはないのだが──なのか、日本代表と言うか日本人は焦ったりしているとどうにもゴール前でにプレーに確実性や正確さを求めようとする傾向がある。

 今堂本が外した場面だが、いつもの彼ならばダイレクトでシュートしていたはずだ。しかし今はトラップしてシュートを撃っていた。そのためタイのDFが前を塞ぎシュートを防がれてしまったのだ。


「焦るな! いつものプレーをするんだ!」


 エリアで声を出し、指示を送る監督。しかし状況に変化は無くどうしてもあと一歩のところで点が入らない。

 そしてさらに悪いことに前線のそれが中盤の皆にも伝播していっている。結果、動きや判断速度もわずかだが遅くなりタイの守備陣を前半のように簡単に崩せなくなっている。

 また守りが安定したと思ったのか、タイは少しずつ前に出始めカウンターの回数も増えていく。ティーラコーン、ピヤテープらが日本ゴールに迫り、脅かす。


(こんなとき、柳の奴がいれば……!)


 あの世界クラスの突破力と得点能力があればあっという間にゴールを奪えるはず。そう直康が思う中、ボールがサイドラインを割る。南郷がボールを速くピッチに入れようとするが主審がそれを止める。

 なんだ? と直康が眉根をひそめたその時だ、観客席が突然沸き、ピッチにアナウンスが響く。


「選手の交代をお知らせします。日本代表柿崎選手に代わって鹿島選手、伊藤選手に代わって柳選手が入ります」

「よっしっ!」


 待ち人来たりで直康は思わずガッツポーズをとる。サポーターの大歓声の中フィールドに入ってきた二人は交代した二人と同じポジションにつく。

 右SMFの位置にいる鷲介だが問題はない。むしろあの場所ならばマークもそこまで集中せず好きにドリブルができるはずだ。


「ボールを!」


 南郷が入れたボールを収めた高城へ寄っていくと同時に直康は声を張り上げながらボールを要求する。

 タイの選手を背負いながらこちらにボールを出す高城。ボールを収めた直康はすぐさま逆サイド──鷲介の方へボールを蹴った。






◆◆◆◆◆






「おいおい、いきなりかよ直康さん!」


 直康が自陣センターライン付近から出したロングボールの落下地点に鷲介は慌てて走っていく。代表のピッチ状態を確認、空気を堪能する間もなくいきなりのボールだ。

 ともあれボールが来た以上、全力で走り落下地点に到着。胸でボールを収め前を向くとタイの選手が迫っているが、鷲介は軽く体を降らしてフェイントをかけると、それにまんまと引っかかった選手をスピードに任せて突破、サイドを駆けあがる。


(さてと、前の二人はどう動いているかな)


 監督より鷲介が指示されたことは一つ、とにかくボールを持ったらドリブルやスピードを生かした突破でゴールまで近づき、堂本たちへパスを出すことだ。

 そのまま切れ込んでシュートを撃てますよと言ったが、とにかく堂本にパスを出すことを念を押された。日本代表のエースストライカーが勝ち越し点を決めればピッチの仲間たちもサポーターも一安心するからだそうだ。


(俺がゴールした方が盛り上がると思うんだが、まぁいいか)


 ボールをもらおうとしている鹿島たちを見ながら二人目を抜き、ペナルティエリアまで到達する鷲介。エリア内にいたDFがこちらへ動いた瞬間、パスを出す。


(はい、これで一点)


 出したボールはマークを振り切った堂本の足元へ。しかしただ押し込むだけのその絶好球を何と堂本はワントラップしてからシュートを撃った。


(ええっ!?)


 驚く鷲介。そこはダイレクトで行くべきだろうと思った直後、堂本の放ったシュートをタイのGKが体で防ぐ。

 思わず鷲介は彼に詰め寄る。


「何やってるんですか!」

「お前のボールの精度が悪かったからトラップしただけだ。もうちょっと正確なボールを出せ」


 堂本の微塵も悪びれない態度からの反論に鷲介は言葉を失い、むかっと苛立つ。しかしそれを押さえて頷き、彼から離れる。

 タイのGKのゴールキックを見送り、ボールが日本陣地に飛ぶのを見ながら鷲介は初めての代表の試合の雰囲気、状況を確認する。

 スタジアムを埋め尽くす大観衆からの声援とそこから発せられる空気。声援の大きさは負けてはいないがドイツリーグに比べると声の熱量や感じられる重さはドイツリーグに比べ、緩く軽い。これはサッカーという競技に対する両国の歴史や思い入れの差のためだろうか。

 そんなことを鷲介が考えている間にタイの攻撃を日本が守りきる。そしてボール奪取したDFから出たボールが瀬川、南郷を経由して再び右サイドにいる鷲介に来る。

 迫る二人のタイの選手。鷲介は抜く素振りを見せ、しかし後ろからフォローに来ている田仲にバックパス。直後に全力で裏に走りボールを要求し右サイド深く飛んできたボールを収める。

 しかしすぐに鷲介に別のタイの選手が寄ってくる。だが鷲介から見れば動きはもちろん反応、対応が遅すぎる。


(そんなもんで俺が止められるかよ)


 距離を詰めてきたタイのDFを鷲介は緩急のシザースであっさり左に突破するとセンタリングを上げる。やや遅い、緩やかなボールが堂本の頭へ飛んでいく。

 これなら流石に文句は無く、外しもしないだろう。そう思う鷲介の眼前できっちりとミートした堂本のヘディングはまたしてもGKが伸ばした手で弾いてしまう。

 それを見て思わず鷲介は大口を開けてしまう。


(……。あれが入らないのか。てか堂本さん、ヘディング上手くないな)


 ヘディングの威力はあったが精度がない。合わせたボールはGKの守備範囲だった。鷲介なら地面に叩きつけているところだ。

 ボールがラインを割るのを見ながらそう思っていると、ヘディングをした堂本がやってくる。


「悪くなかったがもっと強くて速いパスを出せ。今日絶好調のあのGKからゴールを奪うにはあんなボールじゃ駄目だ」


 はぁ? 何言ってんのお前。お前のヘディングがへたくそなだけだろ。鷲介は思わずそう口にしそうになるのを堪え、頷く。

 南郷がコーナーに走っていくのを見ながら鷲介も移動する。堂本たちがゴール前にいる一方、鷲介は右コーナーのニアサイドで待ち受ける。

 さて、どんなボールがゴール前に飛ぶのか。そう思っているとコーナーの南郷から強い視線を感じる。もしかして来るのか。そう構えたのと同時に、予想したとおり彼からボールがやってくる。


(──行くか)

 ペナルティエリア右の外側ギリギリでボールを受け取った鷲介はゴール前の混戦状況からそちらの方が効果的だと判断、ボールを要求する堂本を無視して緩やかに左へ移動。そして距離を詰めてきたタイの選手を最高速で右にかわすと同時にエリアへ侵入する。

 鷲介の動きにタイの選手が慌てて前を塞ごうとしてくるが、やはりその動きは遅れている。躊躇することなく鷲介は右足を振るう。

 確実な手ごたえを感じると同時、蹴ったボールは勢いよくタイゴールの右上部に突き刺さった。


「──ひとまず勝ちこしっと」


 呟き、鷲介は右腕を振り上げる。そして次の瞬間、サポーターが大歓声を上げ、鹿島や南郷たちが鷲介に押し寄せる。


「ナイスゴールだ!」

「よくやった!」

「これこれ! このスパッとしたゴールだよコイツのは!」


 鹿島が肩を、南郷が頭を叩き、そしてサイドから駆け寄ってきた直康が乱暴に髪を撫でる。

 他の選手たちも彼らに遅れてやってきては祝福の言葉をかけ、似たようなスキンシップをしてくる。


(す、すごい喜びようだなぁ。でもしょうがないのかも。……痛)


 あれだけ押していたにも関わらず、点が入らない状況が続いた中での得点だ。そう思い鷲介は過剰ともいえる先輩たちのスキンシップに笑顔を作って耐える。

 そして最後に堂本がやってきて、言う。


「いいシュートだったぞ」


 無表情で言い、戻っていく堂本。その顔からは次はしっかりパスをよこせと書いてあった。

 さてようやくの勝ち越しゴールに観客席のサポーターからの声援に力がこもる。まるで試合開始前の時のような元気さだ。


(ま、サポーターからすればようやく一安心ってところだろうからなー)


 その安心をより確実なものにしよう。そう決意する鷲介に、ボールを奪った田仲がパスを出す。

 それを収め振り向いた鷲介は寄ってきた相手選手を近くにいた南郷とのワンツーでかわし中に切れ込んでいく。タイとしてはこれ以上の失点は防ぎたいのか今まで以上に自陣に人が集中しており、ドリブルする鷲介に二人で向かってきている。


(──それじゃあ駄目だな)


 そう心の中で呟いて鷲介は二人へ向かう。そして二人を緩急の動きで苦も無くかわす。

 二人で来るはわかる。しかし二人のポジショニングが悪すぎる。三人ならばともかく二人程度なら鷲介を止められない。マリオたちU-17イタリアのポジショニングの方が数段も上だ。

 愕然とした表情の三人目がやってくるが、鷲介はその前に動いていた。三人目が前に出てできたスペースへ動いていた鹿島へのスルーパスだ。

 ペナルティエリア前から斜めにゴール前に飛び込んだ鹿島はそれをダイレクトでシュート。ゴール右にボールを突き刺した。


(よし、これでほぼ勝ちは確定だな)


 二点差となり再び観客席より沸き上がる声援を聞きながら、鷲介はこちらに走ってくる鹿島に対し両手を上げるのだった。






◆◆◆◆◆






 ピッチに響く試合終了のホイッスル。勝利し、最終予選進出を確定とした日本代表の面々は喜び、負けたタイ代表のイレブンはがっくりとピッチに膝を落とす。

 5-2。最終予選進出を確定とした勝利。間違いなく喜ぶべきことだ。だが慶二郎の心中は驚きと、恐怖しかない。


(何なんだ、あいつは……)


 視線の先にいるのは鹿島や大文字、南郷たちにもみくちゃにされている柳だ。そして慶二郎の脳裏にあるのはつい先ほどの五点目──その直前の柳のプレイだ。

 四点目を奪われたタイのイレブンにはもう戦う気力は殆どなかった。だがそれでも一国の代表と言う意地で彼らは動き、日本イレブンと自身の敗北感に必死に抵抗していた。

 だが柳はタイの抵抗をあっさりと蹴散らしてしまった。後半ロスタイムが終わろうと言う時間、ゴール前で南郷からの横パスを受けた柳はゴールに向かってドリブルを開始すると、タイの抵抗を嘲笑うかのようにDF三人をあっさりかわしGKと一対一となる。

 彼の左側にいた慶二郎はこれも決まるかと思ったその時だ、何といきなり彼からパスが来た。予想もしないパスに驚き一瞬固まった慶二郎だが、流石に無人のゴールに入れられないほど耄碌はしていない。右足を合わせてタイのゴールネットにボールを叩き込んだ。


(相手がタイ、それも気力が萎えかけているとはいえその三人を抜いたうえでGKを欺くだと……。そんな真似、小野だってできるかどうか)


 慶二郎が技術ならば自分より上、日本人の中で唯一自分と同格と認めた小野さえも至難と言うべきモノ(プレイ)。それをあの十七歳の若造はやってのけた。

 しかし実のところ、このような恐怖感は初めてではない。過去に二度、リーグで対戦している”ゾディアック”から感じたことはある。だが驚きと恐怖の大きさは今日が一番だ。


「……邪魔だ、あいつ」


 いつか、代表から引退するときは来る。だがそれはまだ先のこと、少なくともあと数年は代表は自分を中心としたチームだと思っていた。

 だが彼の存在はそれを脅かしかねない。いや、確実に脅かす。それも遠くない未来に。それが可能な実力を彼は今の時点ですでに持っている。

 サポーターの歓声が響く中、慶二郎はその未来に恐怖していた。






◆◆◆◆◆






「ふぅー、ようやくドイツに帰れますな」


 タクシーの座席に深く身を沈め、大きく息をつく鷲介。そんな彼に隣と助手席に座る南郷、土本が笑いを含んだ声をかけてくる。

 代表戦が終わりドイツへ戻る今日、直康と鹿島がいないのはそれぞれ所用がある為だ。そして代わりと言うわけではないが同じ海外組である土本と南郷に誘われ、一緒に帰ることとなったのだ。


「ずいぶん嬉しそうだね。せっかくだから少しおじいさんの家にでも帰省したらどうだい?」

「そうそう。もう少し日本でのんびりしたらどうよ。リーグ再開までまだ日もあるし、一日ぐらい平気だろ」

「馬鹿言わないでくださいよ。んなことしたら間違いなくあちこちで騒ぎになって迷惑がかかりますって。……現在でさえ、えらいことになっているんですから」


 代表戦の活躍が知れ渡ったためか、祖父の和菓子屋はここ数日客足が凄いことになっているらしい。商品が売れまくりで毎日ほぼ品切れ状態、工場はフル稼働しているとか。

 また祖父の家の方にはマスコミもいくらか押しかけたらしい。まぁさすがにそれはすぐさま協会が対処したそうだが、とにかく鎮静化した状況を煽るような真似を張本人がするなどとんでもない。


「叔父さんや祖父さん達、働きすぎて倒れなきゃいいけどな。心配だ……」

「しっかし監督も何考えてるのかね。最終予選進出を確定させたスーパースターを二戦目では出場させないなんてな」


 怒ったように言う土本。彼の言うとおり鷲介は二戦目のインド戦──結果は4-0と快勝──は不出場。


「俺としては別によかったですけどね。怪我もしなかったし一試合だけ、それも途中出場とはいえ目標だったA代表のピッチに立てたわけですし」

「なーに余裕のコメント出してんだ。生意気だぞ」

「ぐええっ、タップ、タップです土本さん」


 首を極められ彼の腕を叩く鷲介。

 土本とは同じ海外組でありドリブルを武器とするといった共通点のためか、合宿中にはよく話し合うことが多かった。結果としてこういったじゃれ合いができる程度には仲良くなっていた。


「ははは。でも柳の実力なら怪我さえなければ六月のオオトリカップや最終予選には選ばれるのは間違いないよ。──僕たちもうかうかしてられないな」

「まぁそうだけどよ、一番うかうかしてられないのは間違いなく堂本たち他のFWだよな。一枠はほぼ確定しちまったわけだし」


 鷲介の首から腕を外した土本が愉しげに言う。南郷も「そうだね」と同意し、続ける。


「インド戦で2ゴールの鹿島に、今期リーグでは好調の沢村さんに九条さんもいる。柿崎や堂本さんは気が気じゃないだろうね」

「インド戦でもスタメンだったけど相変わらずパッとしなかったからなあの二人。落選の可能性もあるぜー」


 二人の駄目っぷりを楽しげに話す土本達。それを聞き相槌を打ちながら鷲介はタイ戦の後の二人のことを思い出す。

 柿崎はあからさまによそよそしくなっており、堂本は表面上はいつも通りに見えたが鷲介への態度の端々に冷たいものが混じるようになっていた。

 そしてそれが何なのか、鷲介は漠然と察していた。多分、恐怖だ。自分が鷲介に追いやられるのではないかという思いが、態度を冷淡なものにしているのだ。


(Rバイエルンユースでも似たようなことがあったなからな。しかし思っていた以上に上手くなかったな堂本さんは)


 鷲介は改めて堂本について思う。十年近く日本代表の第一ストライカーとして有名だった堂本だが動き出しやポジショニングが大分甘い。ジーク達超一流とは雲泥の差だ。

 長所もないわけではない。彼は他の選手に比べでフィジカルが強くポストプレーやキープ力もある。だがそれでも鷲介が凄いと評価できるほどではない。

 日本では世界クラスと評されている彼だがおそらくそれより一つ下の欧州クラスの並みといったところか。それでは現在世界最高峰リーグと言われているスペインリーグで出場機会が少ないもの納得だ。


(でも前回のW杯ではもうちょっとうまかったと思ったんだけどな)


 試合に満足に出場していないためコンディションが落ちているからか、それともただ単に衰えただけか。とにかく現状の彼ならばポジション争いのライバルにすらならない。むしろそうなりそうな最有力は鹿島だ。

 ちなみに柿崎は論外だ。技術はあるがそれだけで、ピッチにおけるそれの生かし方が下手すぎる。世界相手には到底戦えないだろう。Jリーグの沢村選手たちのほうがまだよかったように思えるほどだ。


「ところで最終予選のグループ分けっていつごろでしたっけ」

「例年通りだとすれば確か二週間後ぐらいだよ。どこがくるかなぁ」

「イランと同組になるのは勘弁してほしいな。現時点で中東最強だし去年のアジアカップの覇者でもある。ヨーロッパにいる選手も多い」

「韓国も嫌だね。イラン同様に欧州で活躍する選手も多いし特にイングランドリーグ屈指の強豪、マンチェスター・アーディックの中核であるアン・ソンユンは凄い選手だよ。小野さんと同等かそれ以上とも言われてるしね」

「他にもオーストラリアにウズベキスタン、アジアカップ準決勝で負けたイランとグループリーグで不覚を取ったイラクも嫌な相手だ。他の中東勢もいろんな意味で厄介だし、ああ、毎回の通りに苦戦しそうだな」

「んーそう悲観することもないでしょ。何とかなると思いますよ多分」


 そう鷲介が言うと土本はチンピラ顔に豹変し、すっと両手を鷲介の首に伸ばしてくる。


「ずいぶん余裕なセリフだな、もしかしてもう代表確定したから浮かれてんのか、あーん?」

「違いますって! 小野さんもいるんですし他の選手もいるからって意味で! 首を、首を絞めないでください本気で!」

「まぁまぁ土本、その辺にしておこう」


 鷲介の必死の引きはがしと南郷の説得で首から手を離す土本。


「大体アジア如きの相手に気にしすぎですよ。南米やアフリカ、ヨーロッパが相手じゃあるまいし。そんな状態じゃ本戦に出場しても前回と同様の結果になるだけですよ。

 全勝で予選突破し、本戦ではベスト8を目指すってぐらいの気概は持っていてくださいよ」

「如きとはさすがにアジアをなめすぎじゃないなか。敵は相手チームの選手だけじゃない。サポーターはもちろん、環境だってそうだ」

「だから何ですか。それぐらい乗り越えて当たり前でしょう。アジアに関わらず他の大陸だってそう言う条件を超えて本戦に出場してきているんですから。

 それにアジアのサッカーのレベルが上がっているとしても相対的に他の大陸だって上がっています。アジア如きに苦戦していたらW杯本戦で勝ち進むなんで夢のまた夢ですよ」


 予選の中、中東の笛や熱さ、高地などなど予選のたび不利な条件がメディアで騒がれている。日本にいた時はともかく欧州に渡り、類似の体験をした鷲介にとってすればそれがどうしたという感想しか思い浮かばない。

 そんなものはあって当たり前だし、それらすべてを乗り越えるからこそW杯へ大陸の強者として出場する価値があるのだから。


「剛毅なセリフだ。でもまぁ確かにそうだね。そのために一人一人クラブで頑張らないとね」

「クラブと言えばよ南郷、お前のベアリーンFCは確か来季のELに出場できるかもしれないんだよな。アルメロFCうちもその可能性はあるがどうなるかねぇ」

「オランダリーグは確かに3~7位に入ってその中で出場権プレーオフがあるんでしたっけ? 確かアルメロは現在6位──」


 南郷の一言で話題が代表からクラブへ移っていく。三人のチーム状況などを話し合っているうちに車は空港に到着。そして三人は顔を隠し、さっさと出国手続きを済ませる。


「さてと、時間も来たし俺は一足先に行くわ。──六月、また会おうぜ」

「うん」

「はい。必ず」


 一足先に出発時刻となり席を立った土本と別れの握手を交わし、彼を見送る。

 それからしばらくして鷲介たちも定刻となり、機内に入る。到着まで眠いと言ってアイマスクをつけ眠りに入った南郷の横で、鷲介は代表について思う。

 ホームで相手がタイとはいえなかなかいい動きや連動を見せていた。だがそれは中核たるメンバーは固定された上での動きだ。前回のW杯の時の主力、堂本たちはほぼ残っており、彼らを基準としてチームが構成されている。

 それが悪いとは言わないが、どうにもチーム内の空気が澱んでいるように感じだ。いや生ぬるい、なれ合いと言った空気と言った方が正しいか。


(南郷さんの言うとおり、少しおかしい感じはしたな。なんというか、ピリピリしていない)


 そこがRバイエルンやハンブルクFとは明らかに違っていたのがそこだ。二つのクラブチームでは仲良くしつつも練習では確かな緊張感が感じられていた。

 しかし代表での練習においてそれが感じられたのはあまりない。特に堂本たち一部の主力からは自分たちはいて当たり前のような空気があった。

 とはいえ今は二次予選。最終予選や本戦になれば空気は違ってくると思うが──


(ま、これ以上考えてもしょうがないか。次、もし選ばれれば六月か)


 選ばれるためにもしっかりとハンブルクFを残留させて、Rバイエルンに戻る。改めてそう決意する鷲介だった。






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