日本人対決
「──よし。今日はここまでだな」
指定していた時計のアラーム音が鳴ると、鉄一は開いていたイタリア語の本と隣に置いていた辞書を閉じる。
そして机に置いていた勉強道具を片付け冷蔵庫からミネラルウォーターを取り抱いてはのどを潤し、軽く体を屈伸させて数分後、再び机に戻りPCの電源を入れ、チャットを起動させる。
ムラシ<テツの奴はまだかなー? そろそろ始まっちまうぞー>
ホソ<テツのことだ。特に何もない限りくるだろう>
テツ<今来たぞ>
チャットルームですでに待機していた彼らに短く打ち込む鉄一。すると即座にメッセージが画面に映る。
ムラシ<おお、来たなテツ。試合開始15分前ちょうどだ! 一週間ぶりだな~(^_^)>
真っ先にメッセージが出たのはやはりムラシ──志村だ。続いてホソこと細谷が挨拶のメッセージをくれる。
現在夜の十時半間近。このチャットルームにはU-17を始め、幾名かの若手サッカー選手及び関係者が集まっている。
そして彼らが集まった目的はただ一つ、今から行われるドイツリーグ第23節、ハンブルク・フェアアインとヴァイス・ツィーゲKとの試合をネットで観戦および、コメントするためだ。
集まったメンバーに適度にコメントを返しながら、テツはPCのTVモニターを起動させる。するとTVモニターに表示されるケルンシュタディオン。ヴァイス・ツィーゲKのホームスタジアムだ。
ミーヤ<こんにちは。何とか間に合ったか>
エンマメ<開始ギリギリ五分前。PCがなかなか動かなくて焦ったぜ>
ベルベル<よくわかるよエンマメ。先週僕もそうだったからねー>
エンマメ──遠藤にコメントをするベルベル──鈴村。ミーヤこと宮野も同じような慰めのコメントを打ち込んでいる。
ムラシ<これで全員──ってわけでもないか。カミーは来ないのかな?>
ベルベル<うーん、そんなことはないと思うんだけどなぁ。遅刻じゃないのかな>
ホソ<それも考えにくいな。なにせヴァイスTKには鹿島さんがいるんだ。柳と鹿島さんの初対決を見逃すとはとても考えられないぞ>
カミー<ごめん、遅くなった!>
細谷のコメントが撃ち込まれた直後、チャットに入ってきたカミー──中神。
ムラシ<遅いぞカミー。何かあったのか?>
カミー<うん。ちょっと予定外のことがあってね。でもまぁ間に合ったようで何よりだ。さて、柳も鹿神さんも予想されていたとおりスタメンだ>
TV画面に表示される両チームのフォーメーション。ハンブルクFはいつも通り柳が右FWに入っており、ヴァイスTKの鹿島選手は彼と対面する位置の左FWの位置だ。
ムラシ<なぁカミーよ。この試合、お前さんはどう見る?>
カミー<メンバー、そしてここ数試合の状況だけで言えばヴァイスTKの勝ちだね。引き分けの可能性もちょっとあるけど……>
ベルベル<ハンブルクFが勝つってことはないのかな?>
カミー<可能性としてはあるよ。でも最近の状況を見る限り好調なヴァイスTK相手にそれができるかな>
中神の言うとおりだ。後半戦が始まり五試合を消化した現在、両チームの状況は成績に見事現れている。ヴァイスTKは三勝二分けの負けなし。一方のハンブルクFは二勝一分け二敗だ。
ムラシ<ヤナが加入したハンブルクFは初戦と次戦ともに連勝して、このまま一気に例年通りの定位置につくかと思ったんだけどなぁ>
ホソ<その後は近い順位の相手に二連敗。前節はかろうじての引き分け。順位も16位と前半戦終了時よりも下がっているしな>
ベルベル<鷲介自体は悪くないんだよね。五試合で三ゴール二アシスト。ゴール、アシスト未遂もいくつもあったし>
ミーヤ<彼以上にチーム状況が悪いな。課題の空中戦の弱さは改善されていないし失点もミスから始まったものもある。さらに20節での怪我人>
エンマメ<元アメリカ代表のトム選手だな。一ヶ月程度の怪我だがあの人がいなくなったおかげでより空中戦が弱くなった。柳も奮戦してはいるがさすがに一人ではな>
柳のスピードとドリブルは十分通用している。だがハンブルクFが彼のドリブルが生きる位置までボールを運べないことに問題がある。
基本4-4-2のシステムであるハンブルクFだがボールを運べない、また正確なボールが前線へ中々来ないこともあってかボールをもらうため柳かレネ、どちらかが下がっている。
結果前線へボールが入ってもFWは一人で何とかしなければならなくなっている。もちろんFW二人はそう簡単にボールを奪われたりはしないが、それも限界はある。
柳も相手チームから常にマークされており、さすがにユースやU-17W杯の時のようなドリブル無双状態とはいかなくなっていはる。それでも一人、または二人を突破してはパスを出したりボールキープができているのは流石だが。
ムラシ<つーか! レネの奴が個人技に走りすぎてんだよなー。かといってこの人も結果を残しているし、チーム事情を考えれば外すわけにもいかないんだろうけど!>
ホソ<ドリブルにキープ、ポストプレー。あらゆるプレーをこなせる万能型のFWだしな。柳と共にチームのカウンターの起点にもなっているし、柳のゴールもこの人が絡むことがほとんどだ>
ハンブルクFの近況について皆がコメントする間、テツはヴァイスTKについて思う。
ヴァイスTK。初代ドイツリーグ王者でありハンブルクFと同じく古豪と言うべきチームだ。しかし十数年前一部に昇格した後は中位を定位置にし、そして近年では上位に届きつつある。
現在順位は7位だが前半戦一時的ではあるがCL出場権内の順位にいたこともある。
そしてそのチームにいる日本人選手、鹿島勇司。日本代表であり昨季ソルヴィアート鹿嶋にてリーグ得点王を獲得した彼が、チームの躍進に一躍買っているのは間違いない。
「さて、どんな試合になるのか」
書き込んだコメントを鉄一が口にすると同時、ヴァイスTKボールで試合が開始された。
◆◆◆◆◆
濃い鉛色の空の下、主審の笛が鳴り響き試合が開始される。ゆっくりとボールが白いユニフォームを着たヴァイスTKの面々の間を回るのを見ながら鷲介はぐるりとまわりを観察する。
まず自チーム、アウェーカラーである紫のユニフォームを着たハンブルクFはここ五試合の失点数の多さとアウェーを鑑みたのか、今日のシステムは4-5-1。レネをワントップに置き鷲介は右SMFの位置だ。また前節負傷したトムのポジションにはドミニクが入っており、彼のポジションにはサブのギルベルト・アスマンがいる。
パワーと運動量に優れたドミニクと違い、ギルベルトはやや小柄だがスピードや反応速度、インターセプトに長ける。もっとも読みは大したことは無くとにかく中盤を動き回ってカットするといったようなものだが。
ボールがGKまで渡り、前線へ送られる。ハンブルクF陣内中央に向かって行くボールの近くにいるのはドミニクと、ヴァイスTKの日本人選手、背番号11の鹿島勇司選手だ。
落下地点に到着した二人はボールを自分のものとするべく激しく体をぶつけ合う。190を超える長身のドミニクに180ちょっとの鹿島は押されているが、何度もポジショニングを修正しては譲らない。
数秒の激しい体のぶつけ合いの結果、ボールをものにしたのは鹿島だ。しかも彼は競っている状態にもかかわらずトラップしたボールを正確に味方へ渡す。
(なるほど。映像でも見たが確かに上手いポストプレーだ)
鹿島の体は普通で決して屈強ではない。しかし体幹がしっかりしているのか技術なのか相手の力をうまく逃がしており、体勢が崩れない。Jリーグ、日本人No1ポストプレイヤーと一部で言われているようだがそれも決して眉唾ではないようだ。
ボールを収め前に出ようとするヴァイスTKに対しハンブルクFは人数をかけ、また走っては攻撃を停滞させる。もちろん鷲介も得意の俊足を生かしてはインターセプトしようと試みる。
だがヴァイスTKは奪われるギリギリのところでボールを回し続け最後尾──CBにボールを渡す。ボールを足元に収めたのは鷲介と同じ17歳でガブリエルと同じドイツU-17代表のアレクサンドル・ハインツだ。
ユース時代、幾度も対戦したことがあるので彼のことはよく知っている。190を超える長身とそれに見合わない確かな技術を持つDFだ。ボールを奪いに来たレネ達に全く慌てることなくボールを回し味方にボールを渡す。
(……来た!)
アレクサンドルからボールを受け取った選手を見て鷲介の警戒レベルが一気に引き上がる。彼はエクトール・クライスラー。ドイツ代表でありヴァイスTKの攻守の要だ。
すぐ近くにいたウーゴがすかさずチェックに行くが彼は振り向きざまに右サイド──ハンブルク陣内の左サイドの裏へロングボールを放つ。
それを収めたのはヴァイスTKの右CMF、ヴェルツェン・ケールだ。ドイツの各年代代表に選出されており現在はU-23の主力の一人と評されている彼はチェックに来たヤンを味方とのワンツーでかわすと一気にハンブルクFの左サイドを駆けあがる。
「上空、注意しろ!」
相変わらずベンチから立ち上がり大声を上げるセザル。わかっているのかそれが聞こえたのかハンブルクFの守備陣はヴェルツェンを見つつも中に入ってきた鹿島たちへの警戒やチェックを怠らない。
外に追い込まれるヴェルツェン。しかし彼は小刻みなフェイントから相手マークを体半分ずらすとすぐにゴール前にボールを上げてくる。
左へ曲がるそのボールに真っ先に飛びついたのはヴァイスTKの背番号9番、ルーカス・ロッシだ。ペナルティエリア右、ゴールから遠い位置から放たれる彼のヘディングはゴールポストに当たりラインを割る。
大勢のヴァイスTKサポーターが落胆の声を上げるのを聞きながら、鷲介は安堵の息を漏らす。正直もうちょっとゴールに近ければ枠内に行っていたからだ。
(さすがの反応だ。神童と呼ばれ十代でイタリア代表にデビューしたのは伊達じゃないな)
イタリアの名門 NASミランのユースにて育ったルーカスは十代でトップチームデビュー。鋭いドリブルとシュートを武器にデビューの年で二桁得点を達成した彼はそのままの勢いで代表に選出され、目覚ましい活躍を見せた。
同世代のアレッサンドロ・バッジョと共にイタリアサッカー界を背負って立つと言われていた彼だったが前々回の欧州選手権直前に選手生命の危機に陥るほどの怪我を負い、復帰後も怪我の影響かかつてのようなプレイは見せられずクラブより放出。
放出後も目立った活躍はできず幾つかのクラブを転々としたのち二年前、ヴァイスTKにやってくる。──そして彼は再び光始める。
怪我の後遺症かドリブルで相手DFを斬り裂くようなプレイは見られなくなったが正確なシュートは健在。さらに今のような一瞬の飛込みやワンタッチプレーでゴールを量産し、昨季はリーグ、カップ戦合わせて17ゴールを挙げさらに今年はリーグ戦だけで16ゴール。得点王ランキング4位の位置にいる。
再びイタリア代表への復帰の噂が立っている油断ならないFWから鷲介は視線を外し、ハンスが蹴り上げたボールを視線で追う。センタサークル近くにいたレネとエクトールのボールの競り合いはエクトールが勝つがこぼれたボールをすぐそばにいたウーゴが拾い、こちらの動きが見えていたのか右サイドへロングパスを出す。
(いいボール!)
やや長くなったが許容範囲なボールを追い、収める。そして周りを見れば近くにはヴァイスTKの選手が、レネ達味方が幾名か上がってきている。
敵、味方の位置をおよそ把握して鷲介は動く。二人がかりでボールを奪いに来た敵に対し、鷲介はライン側へ後退。フォローに来た味方へパスを出すふりをしてそれに釣られた一人を突破、残ったもう一人は高速シザースでかわしてゴールに迫る。
相手サポーターの驚愕と悲鳴を聞きながら斜めにドリブルをする鷲介。中はがっちりと固められているためマイナスの方向へボールを蹴る。ペナルティエリアギリギリ外に向かった鷲介のグラウンダーパスに走りこむのは、今日CMFのポジションで出場している──本来はFW──イラン代表のサイード・カリミだ。
近くにDFがいるもののシュートコースは空いている。彼もそれは分かっていたのかダイレクトでミドルシュートを放つが、先程のルーカスのようにポスト右に直撃してはゴールラインを割った。
「惜しい。だがいいシュート」
だったなと呟こうとしたその時だ。肌に頭に、冷たい感触を覚える。嫌な予感がして空を見上げると、鼻の頭頂に水滴が当たり、そして濃い曇天からぽつりぽつりと降ってくる。
「……また、雨かよ」
苦虫をかみつぶしたような顔で、鷲介は言った。
◆◆◆◆◆
「ガブリエル、早く蹴りだぜっ!」
「わかってます!」
直康の怒声のような声にガブリエルも同じように返して近くのボールを蹴りだす。いつもならもっと高く勢いよく上がるはずのボールは予想よりも飛ばず、失速するがなんとかラインを割る。
弱いが絶え間なく雨が降る中、前半二十分が過ぎた現在、両チームのスコアは0-0。雨が降り出したことで両チームはいつも以上にロングボール主体の戦い方へ切り替えた。
しかしスコア上は互角に見えても内容はヴァイスTK優勢と言ったところだ。ヴァイスTKはツートップ二人が見事なキープやポストでボールをさばき攻撃を形作る一方、ハンブルクFはレネや鷲介たちが奮戦するも中々ゴール前までボールがいかない。
アウェー故中々前に出ないこと、パサーであるウーゴのパス精度が著しく落ちている、また雨によって鷲介の推進力が著しく落ちたのも要因の一つだ。ユースリーグの時ではこんな状態でも強引に前に出ることができていた鷲介だが、さすがにプロが相手ともなれば話は別のようだ。幾度かドリブルで強引に前に出ようとしていたが一人はかわせても二人目にはボールを奪われる、または外へ追い込まれるような結果となっていた。
(嫌な雰囲気だ。二連敗したときもこんな感じだった)
二連勝の後二連敗した試合。その二試合でもハンブルクFは天候が敵に回った。一つは今日のような雨ともう一つは雪だ。特に二連敗目となった試合は後半になって雨が強くなり、二点リードをひっくり返されたのだ。
そのことを思いだし、また雨による寒さからぶるりと体を震わせるガブリエル。何とかしなければと思いながらプレイをし続け前半三十分、ハンブルクFのゴールキックボールにレネとヴァイスTKの選手が競り合う。
勝ったレネは駆け寄ってきていたウーゴにボールを渡し、受け取ったウーゴは右を見てパスを出そうとするがそれはフェイントで逆に左の方を向いては上がってきた直康へパスを出す。
ラインを駆け上がる直康だがすぐにDFに囲まれるも距離を詰められる前に右へボールを出す。それに再びウーゴが走りこみ、ヴェルツェンもマークに行くがウーゴはそのボールをスルー。ボールを足元に収めたのは右サイドから走ってきていた鷲介だ。
(チャンス!)
ガブリエルは心中で喝采の声を上げる。現在ヴァイスTKの守備陣はやや左よりだ。そして鷲介の前にはGKを含めて三人しかいない。
鷲介がボールを受け取ったのはペナルティアークの右側だ。あそこは彼の得意エリアだ。ドリブル突破でペナルティエリアに侵入するか、もしくは一人かわしてミドルシュートを撃つか。どっちにしろ一点入る可能性は非常に高い。
「行け! 鷲介!」
ガブリエルがそう叫ぶと同時に鷲介は動く。前を塞ごうとした相手に対して左に動き、しかしすぐさまあの超スピードの切り返して右に動いてはペナルティエリアに侵入し、右足を振り上げる。
鷲介がシュートフォームに入った姿を見てガブリエルは決まったと確信した。先制したと。しかし彼が打ったボールはどういうことかゴールポスト上部にぶつかりペナルティエリアの外へ跳ね返る。
「嘘!?」
今まで何度も見てきた、見せられてきたゴールシーンが実現しなかったことにガブリエルは驚愕する。しかしそんな間にも試合の時間は流れていく。
飛びだしたボールを拾ったのはエクトールだ。彼はすぐさま味方へパスを出し、自身は前に走っていく。そしてセンターサークル付近で再びボールを受け取ると左サイドへゆっくり流れ、マークに来たウルリクからのチェックを受ける前にハンブルクFの左サイドへロングボールを放つ。
そのボールを収めたのはヴェルツェンで奪いに行くのは左サイドを守っている直康だ。ドリブルで前に進むヴェルツェンに直康が追いつきボールを奪おうとショルダーチャージをする。しかし彼は体勢を崩さずフォローに来た味方とのワンツーで直康を置き去りにするとゴール前へボールを上げる。
(ここで止める……!)
ペナルティエリア左側へ飛んできたボールに走りこむガブリエルとユウジ・カシマ。体をぶつけ合いボジショニングを争うがやはりそこは大人と子供の差と言うべきか、ヴァイスTKの日本人選手に押され負けてしまう。
(ゴールへは絶対いかせないっ!)
ボールは奪われたがチャージを続行するガブリエル。しかしユウジは姿勢を崩さず左足を振るい中にパスを出す。
そのボールへドミニク、今日スタメンのCBモハメドゥ・バナナ、そしてルーカスが走りこむ。ボールを収めたのはルーカスだが、その前を二人が塞いでいる。
(よし、これならシュートは撃てない!)
そうガブリエルが思ったその時だ。ルーカスは180度反転しては二人を置き去りにすると右足を振りぬく。
彼が蹴ったボールはゴールポストの右側に当たり、ゴールネットを揺らした。
「……嘘だろう?」
一瞬の出来事に思わず唖然としてしまう。だがヴァイスTKのサポーターの歓喜の声と主審のゴールを認める素振り、なにより眼前で喜ぶルーカスとユウジの姿を見てそれが現実だと思い知らされる。
(瞬発力なら、鷲介に近いレベルだ)
ユース時代や鷲介がレンタルされてきてから幾度もその動きを目の当たりにしているガブリエルは確信する。
彼のアジリティが優れていることは知っていた。だがまさか鷲介に迫るほどとは思っていなかった。そしてそれに加えて試合と経験で研磨された無駄のない流麗な動き。彼が飛びだしやワンタッチゴールで得点を量産できている理由を改めて実感する。
「まだ時間はある! 同点、逆転を狙っていくぞ!」
皆を鼓舞する今日の主将を務める直康。その声に皆がどこか投げやりのような声で答えピッチに散っていく。
しかし先制されたというショックに加え悪天候による失点は二連敗した時のことを皆に思い出させたのか、全員の動きが微妙にぎこちなくなり、また前に出なくなる。結果、再開後の試合は中途半端な位置にいるハンブルクFをヴァイスTKが一方的に押し込む展開となった。
「左行ったぞ! 直康!」
「ロッシがフリーになっているぞ! しっかり見ておけ!」
激しくなる雨の中、DF陣は怒声のような大声で互いにコーチングをするが、それでも反応のぎこちなさは解消されない。サイドチェンジにショートパスを何本を通され、あわや失点と言う場面を幾度か迎える。
しかしそれでも失点しなかったのは強くなった雨が相手チームの動きやプレー精度を著しく阻害していたからだ。もちろんハンブルクFも条件は同じだが二連敗した時の試合経験があったハンブルクFは彼らほどの影響はなかった。
もっともそれほどの余裕はなく精一杯やって首の皮一枚が繋がっているという状況ではあるのだが。
「鷲介!」
ヴァイスTKのミスからこぼれたボールをガブリエルは拾い、紫のユニフォームの背番号17に向かってボールを蹴る。雨を吸って重くなったボールを鷲介は見事に足元に収めると、接近していた相手選手を近くの味方とのワンツーでかわして前に出る。
しかしそこへ前がかりとなっていたヴァイスTKの選手二人が彼を囲み、プレスしてくる。当然近くの味方がフォローに行くが鷲介はそれに気が付いていないのか、彼らに向かって行く。
「鷲介! 無理せず周りを」
見ろと言ったその時だ。鷲介はボールを奪いに来た一人をまた抜きでかわし、直後来た相手をスピード任せの強引な突破で抜き去ってしまった。
雨と言う悪天候にもかかわらずいつものようなキレのある動きを見せられ、思わずガブリエルは笑みを浮かべる。だがドリブルを始めた直後、足を滑らせ体勢を崩した鷲介を見てその笑みが凍りつく。
(嘘だろー!?)
もちろん鷲介はすぐに立て直すが、その一瞬の隙に抜かされたDFが鷲介がこぼしたボールを奪うとすかさず前線へボールを送る。
ゴール前に飛んだボールに飛びつくユウジとドミニク。長身かつユウジより早く落下地点を予測していた彼は一瞬早く跳躍してはヘディングでボールをクリアーする。
だがそれを拾ったのはエクトール。彼はワントラップの直後すぐさまゴール前へ早く鋭いボールを出す。濡れたボールと芝の影響かボールはペナルティエリア近くで勢いが衰え、それをルーカスが足元に収める。
「させないっ!」
右足を振り切ったルーカスに直康が飛び込む。直康が出した足にボールが当たりシュートは防がれた。
だがボールは重い音を立ててペナルティエリア左に静止し、それをユウジが拾う。ハンスが動き、ガブリエル、モハメドゥがこぼれ球をクリアーしようと動くが、一瞬早く彼はボールを拾い左足を振り切る。
白の背番号11が放ったシュートは無情にもゴールネット左に突き刺さった。
◆◆◆◆◆
全員がタオルで体を拭きドリングで喉を潤す中、ロッカールームではウーゼの静かな指示が聞こえている。それを耳にしながら鷲介は運のなさと自分へのふがいない思いでいっぱいだった。
二失点したきっかけはどちらも鷲介が原因だ。一点目は鷲介がシュートを外したことによるカウンター、二点目はピッチで滑ったことによるボールロスト。
双方とも運がないと片づけることもできるがそう思えるほど楽観的な性格はしていない。まず一点目のシュートを外したこと、あれはシュートを撃つ直前雨に濡れていた髪から滴り落ちた滴が瞳に入り目測を誤ったことと、雨と言う状況なためいつもより力を入れてシュートを放ったという二つが重なったのが原因だ。
しかし良く考えれば最初はともかく二つ目は完全な鷲介の判断ミスだろう。誰かと競っていたならともかく、シュートを撃つとき鷲介は完全フリー状態でゴールとの距離も遠くはなかった。雨に濡れてボールが重くなっておりシュートスピードが落ちていたとしても普通に打てばゴールに入っただろう。
もっともそんなミスを犯したのも雨により視界が塞がれたからだ。一瞬とはいえ何も見えなくなった状態に驚いた鷲介の体が、自動的に最善手と思われる行動をとってしまったからだ。まぁ結局のところミスってしまったわけだが。
そして二点目の切っ掛けとなったドリブルは言い訳不可能だ。あの時近くに味方が来ていたのは知ってはいたが、あえてドリブルを選択したからだ。パスを出してもよかったのにそうしたのは雨が降っていることと攻められっぱなしの状況に鷲介が苛立っていたこと、いつものような動きを見せて味方やサポーターを鼓舞したかったと言う事もある。
(それも結局失敗したわけだが!)
心中で自身へ苛立ちの言葉をぶつけ、膝に置いた手を強く握りしめる。鷲介が自分へ憤怒の想いを抱いている中監督の指示は終わり、そしてセザルが声を出す。
「雨と言う悪天候に加えて二点差。厳しいが何とかならないと決まったわけじゃねぇ。──何故なら後半からは俺が出るからだ」
覇気のある彼の言葉にメンバーの表情が一気に明るくなる。あまりの変わり様に鷲介が呆気に取られている間も、セザルは続ける。
「今監督が言っていたがズルズルと下がるな。そしてボールを奪ったら俺とウーゴのどちらかを見てボールを出せ。後は俺たちで何とかする」
いいな、と言って彼はウーゴを見やる。見つめられた若きポルトガル人は一瞬怯んだような顔になるも、すぐに真剣な表情となって頷く。
「FW二人はとにかく前に居ろ。下がってくるな。ボールは必ず俺たちが供給する。お前たち二人ならヴァイスTKのDFからボールキープすることも、突破することもできるだろう。
前線からの適度なプレスと攻めだけに力を注げ。──特にヤナギは無駄なドリブルはよせ。また失点の原因を作りたくはねーだろ」
「わ、わかってる!」
改めて指摘され、思わず鷲介は大声を上げる。それを見てセザルをにやりと微笑むと右腕を振り上げて、言う。
「二点差、追いつき逆転するぞ!」
彼の声に全員が気合の入った声を上げる。薄々思ってはいたが、やはりこの男こそチームの要、エースなのだろう。
(ジークさんやフランツさんみたいな存在感を感じるな)
ロート・バイエルンの中核を担う二人を思い出しながら鷲介は真っ先に部屋を出たセザルの後に続き、ピッチに出る。
先程まで降り続いていた雨は止んではいる。しかし空色は試合開始時と変わってはおらず、いつまた振り出しても不思議ではない。
きょろきょろとピッチの周囲に目を向けているセザルを見ていると、やや遅れて戻ってきたヴァイスTKの選手たち。そしてほどなくして主審のホイッスルが吹かれ、後半が開始される。
(あちらのメンバーとシステム変更は無い。ハンブルクFだけか)
ハンブルクFのシステムはいつもの4-4-2になっており鷲介はイチモのように右FWの位置だ。しかし中盤の形がボックス型になっている。
ヤン、ウルリクはいつものようにDMFでウーゴが右SMF、交代したセザルは左SMFだ。
「焦らず、確実に返していくぞ!」
ピッチに響くセザルの大声。それを聞きながら鷲介は言われたとおり、前線でボールを待つ。
監督指示やセザルから言われたのもあるが、セザルが最近の練習や過去の映像通りのプレイができるなら今までの試合のように鷲介が下がっていく必要はないからだ。
後半が開始され試合展開は実にゆったりしたものだ。二点リードしているヴァイスTKは決して無理をしない攻めを見せ、そしてハンブルクFもチームが久々の出場であるセザルに気を使っているのかDFラインや中盤でボールを回しており、鷲介たちにボールが来てもセザルからキープ、またはフォローに来ている味方にパスを出すよう声が飛んでくる。鷲介もレネも──しぶしぶと言った感じではあるが──その声に従ってはいる。どういうわけか少しでもそうしない素振りを見せたらセザルの怒声が飛んでくるからだ。
しかしその様子はスタジアムにいる数少ないサポーターから怒りの声が上がる。まぁ当然だ。二点リードされている状況なのに積極的に攻めないのだから。
だがセザルをそれをどこ吹く風と言った様子で聞き流しながらボールを回している。そして後半十分を過ぎ、さすがに鷲介もいい加減チームの状態にじれてきたその時だ、いきなりセザルからパスがやってきた。
「おっ?」
驚きながらボールを何とか収める鷲介。というのもボールをもらった位置がペナルティエリア正面といういい、と言うより良すぎだ場所だったからだ。
しかも正面には一人しかいない。絶好のシュートチャンス。だが鷲介はあまりのいい位置にパスが来たことに驚いたため反応が遅れてしまう。結果、DFに前を塞がれGKにコースを消され、また周りにいる白のユニホームを着た選手たちも寄ってくる。
「何やってんだ馬鹿野郎! さっさと下げろ!」
「くっ……!」
セザルからの怒鳴り声に唇をかみつつ、何とかボールを味方へ渡す。憤怒の表情となっているセザルに頭を下げて再び鷲介は動く。
(それにしてもさっきのパス……)
ボールが来ることを期待はしていたが、まさかいきなり来るとは思っていなかった。フランツクラスの司令塔ならばともかく。
周囲を散策しながら鷲介は改めてセザルのプロフィールを思い出す。セザル・パトリシオ。35歳。元ポルトガル代表であり十代でプロ、代表デビューを果たしあの欧州最高峰のクラブであるバルセロナ・リベルタに在籍していたこともある選手。
素早い動きだしとドリブル、たぐいまれなパスセンスと精度、キレのあるFKを武器にバルセロナ・リベルタに所属していた全盛期ではCL二年連続ベスト4、そして代表では欧州選手権ベスト4とベスト8、三回出場したW杯の最高成績はベスト8という世界クラスの選手だ。
とはいえ彼はサッカーの歴史の中にいる怪我に泣かされた天才の一人でもあった。前十字靭帯断裂の怪我を二度負い、二度目の復帰後はかつてのような輝きをあまり見せられず中規模クラブを転々し、現在はデビューしたハンブルクFに所属している。
(過去や最近の映像を見た感じフランツさんには及んでいないと思っていたが……)
そう思っている鷲介の元へ再びセザルからのボールが届く。濡れたピッチに水を含んでいるであろうにも関わらず正確なパスに心中で驚きながらも収め、再びボールを散らす。
(がっしり守ってやがる。ドリブルで突破するのは難しいな)
パスを出した後改めてヴァイスTKのゴール前を見る。人員こそ変わってはいないが陣形が4-4-2から4-5-1に変更されているのだ。
もし普段ならば一人、または二人も突破してDFへダメージを与えるのだが人を揃え、尚且つ規律よく機敏に動く白いDF陣を見て、それは難しいと判断せざるを得ない。何よりセザルや監督からもそれは禁止されているので実行もできない(もちろん状況によっては破る気満々だが)。
セザルとウーゴを中心にボールを回し、攻めの圧力を増していくハンブルクFに対し、ヴァイスTKも守りを厚くしつつもカウンターのボールをエクトールや前線のルーカス、トップ下の位置にいる鹿島へ送っていく。時折ひやりとする場面もあるが監督やセザル、DFたちの互いへのコーチングで何とか危機は凌ぐ。
後半20分が過ぎたころ、自陣のセンターサークル近くでヴァイスTKのパスをインターセプトしたセザル。鷲介は彼の漆黒の瞳から突き刺さるような視線を感じ、思うよりも速く裏に抜け出す。
そしてセザルからくるロングボール。誰よりも速く動いていた鷲介はDFたちに追われながらもそれに追いつくとそのまま疾走。追いつきつつあるDFの気配を感じながらもペナルティエリア右を深く抉った鷲介はグラウンダーのセンタリングを上げる。
いつもより強く蹴ったマイナス方向へのボールに走ってくるレネ。ハインツが前を塞ぐが、彼は右から左にボールを持ちかえて彼をかわしシュートを放った。
だがそのシュートはもう一人のCBが体を張って止め転がったボールにハインツが駆け寄ろうとする。だが転がったボールは相手ゴール前に詰めていた鷲介の目の前に来て、しかも雨によってできていた小さい水たまりに止まる。
「ヤナギ!」
「撃て!」
響くハインツとレネの声。それを耳にしながら鷲介は左足を振りあげる。
(初めて俺に雨が味方してくれたな)
ボールの芯を蹴る確かな感触。ペナルティエリア内、ゴールから五メートルもない至近距離で放ったシュートはヴァイスTKのネットに突き刺さった。
◆◆◆◆◆
ムラシ<柳ゴールキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!>
顔文字で喜びを表す志村。他の面々も顔文字こそ使わないが同様に喜びのコメントを打っている。
テツ<ナイスゴールだな>
ベルベル<うん! シュートフェイントから切り返してのシュート。鷲介の得意な形だ!>
普段はおとなしい鈴村も親友のゴールが嬉しいのかコメントに浮つきが見られる。
そして試合中、ヴァイスTK寄りのコメントをしていた中神は、
カミー<いいゴールだったね。文句のつけようがないよ。うん、ホント>
とわずかだが悔しそうなそぶりを見せたコメントをしている。
天才のそれを見て志村たちも鉄一と同じように感じたのか茶化すようなコメントを入力している。それを目にしつつ、試合の方にも目を向ける。
ミーヤ<ハンブルクFに勢いが出てきたな>
宮野の言葉通り試合再開後、ハンブルクFの全体がより前がかりになっている。もちろんヴァイスTKもそれを受け止め反撃しているが一点返したという勢いがついたハンブルクFのDFたちの奮戦でチャンスが潰されている。
一方のハンブルクFの攻撃に当然のことながら勢いがついており、セザルとウーゴを中心としたボール回しにもより躍動感が見える。ロングパスにサイドチェンジ、そして濡れたピッチを利用したショートパスでヴァイスTKを翻弄している。
(凄い)
鉄一はセザルのパスに感心する。いや、正確に言えばセザルの眼にだ。
彼がボールを出しているところによくボールが走るのだ。そしてそれが偶然でないこともピッチ全体を見渡せるTV画面だから分かる。
降り続く雨のためピッチにはいくらか水が溜まっているが、彼の出すパスはそこを避けている。間違いなく卓越した空間認識能力──フィールド・アイを持っている。
しかし彼が凄いところはそれを相手に気づかせないところだ。時折水たまりの側にパスを出し相手ボールになることもあるが、その時はハンブルクFの守備陣形は最低限整っていたり、守る人数が足りてる。
つまり彼の目は敵味方、両方の陣内を把握していると言う事だ。そこから察するに間違いなくLV3相当はある。ヴァイスTKのエクトールも類似のパスを見せてはいるがセザルほどではない。
ベルベル<いけー! 鷲介ー!>
エンマメ<二点目か!?>
またしてもセザルからのパスを受けた柳がDFを一人かわしてゴールに迫る。ピッチ状況に慣れたのか一点目の勢いのためかそれともその相乗効果か、ドリブルで突き進む姿はいつもと変わりなく見える。
ペナルティエリア前でドイツU-17のアレクサンドルともう一人のCB、元イングランド代表のコンラッド・ラインが前を塞ぐ。柳は一瞬、仕掛けると見せて後ろに来たウーゴへパスを出す。
パスを受けたウーゴはダイレクトでボールを上げる。ペナルティエリア左に飛んだボールに飛びつくレネとヴァイスTKの右SB。競り勝ったレネはペナルティエリアに入り右足を振りかぶるがシュートではなくパスを出す。
ペナルティエリア中央に言ったボールに飛びついたのはセザルだ。彼はダイレクトでシュートを放つもGKに弾かれる。こぼれ球を拾うクリアーするコンラッドだが、鷲介が跳躍して突き出した右足にボールが当たる。
ヴァイスTKゴール前で両チームの選手が入り乱れての混戦状態が十数秒続き、 ボールが宙に浮く。そのボールにセザルが飛びつくやヘディングでペナルティエリア正面にいた柳の元へパスを出す。
ベルベル<行け──!>
完全に興奮した鈴村のコメントが打たれたと同時に柳は右に動く。そこへ足を出してくるアレクサンドル。
アレクサンドルの足に引っかかり転倒する柳。しかしすぐに起き上がりボールに向かおうとしたその時だ、主審が試合を止め、ペナルティスポットを指す。
ベルベル<PKキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!>
ムラシ<キタ━━━ヽ(゜∀゜)ノ━( ゜∀)ノ━( ゜)ノ━ヽ( )ノ━ヽ(゜ )━ヽ(∀゜ )ノ━ヽ(゜∀゜)ノ ━━━!!!!>
狂喜する鈴村と志村。それに圧倒されたのか他のメンバーのコメントは控えめだ。
獲得したPKを蹴るのはセザルだ。数カ月ぶりの実戦にも関わらず彼は躊躇なくボールを蹴ってネットを揺らした。
タニ<これで同点。残り時間は十分ちょっと、逆転するか?>
ミーヤ<っと、ここで両チームとも選手交代か。ヴァイスTKは中盤にスロベニア代表ペテル・ガリッチを、ハンブルクFはCB、確か冬に新加入したザンビディスを投入か>
カミー<攻撃陣を入れ替えるヴァイスTKと守備陣を入れ替えるハンブルクFか。これが両チームにとって吉と出るか凶と出るか>
結果的に言えばこの交代は吉となり凶ともなった。まずヴァイスTK。システムを4-4-2に戻したヴァイスTKはエクトールと投入されたペテルがハンブルクFゴール前へボールを送り、ルーカスと鹿島がチャンスを作っていく。
しかしハンブルクFの投入されたザンビディスは巨体の割にとにかくペナルティエリアのあちこちに動いてはヴァイスTKの邪魔をする。ヴァイスTKとしてはチャンスを作りだすもシュートまで行けないと言う展開となった。
だがヴァイスTKは攻撃面に力を置いたことにより今まで前に出ていた大文字たち両SBが上がれなくなったことで、ハンブルクFの攻撃、反撃を弱化に弱めてもいた。
そしてハンブルクF。二点目を取ったことにより前に出ようとするがヴァイスTKの攻撃力アップとそれに伴う両SBの上りが難しくなったことで、以前のようにボールを回せなくなっていた。
それでもセザルらは前線にボールを送るがボールを収める、キープするFW──というよりも柳に異変が起こっていた。先程に比べて反応が明らかに遅くなり、しかもたびたび左足を気にする素振りを見せ始めたのだ。ボールキープはするがあの凄まじい縦への推進力がすっかり鳴りをひそめてしまっている。
ベルベル<鷲介、もしかして足を怪我したのかな>
ムラシ<やっぱりPK獲得時のあれか>
タニ<それ以外考えられんな>
さらに柳にはアレクサンドルがぴったりとマークに付いている。二得点に絡んだからなのか、柳へのつきっぷりは背後霊を思わせる。
柳の異変に監督も気が付いたのだろう。ハンブルクFベンチ前ではサブの選手が監督より指示を受けている。
テツ<柳、交代か>
そう鉄一がコメントを打ったその時だ。柳へボールを出したセザルがペテルからチャージを受けて倒れる。
吹かれるホイッスルと提示されるイエローカード。しかしそれで終わりではなかった。
カミー<セザル選手、立ち上がらないな>
中神のコメントの通り、ハンブルクFを生き返らせたベテラン選手は右ひざを抱えた姿勢のまま、うずくまっていた。
◆◆◆◆◆
「セザルさん!」
蹲ったセザルに駆け寄ろうとする鷲介だが、左足に走った鈍い痛みに顔をしかめて足を止める。
しかし苦痛の声は出さず、ゆっくりと呼吸しながら近寄っていく。痛んでいるのを周囲に知られないようにするためだ。
(大丈夫なのか)
セザルが倒れてすぐにベンチからはチームドクターが飛び出してきていた。そしてチームメイトがセザルを守るように囲む中心で診察を行っている。
「セザルさんは大丈夫なんですか!?」
不安、困惑するメンバーの中でもひときわ動揺をあらわにするウーゴ。チームドクターはわずかに躊躇い、しかし首を横に振る。
試合続行不可能。それを知りチームメイトに一斉に動揺が走る。伝言のためガブリエルが監督の元へ走っていくのを見ながら、鷲介は歯軋りする。
(復帰戦、それもこれからって時に……!)
鷲介は思わずセザルを倒したペテルを睨みつける。
そして他のメンバーも憤懣しているのか主審に駆け寄ってはペテルを指差し何か言っている。レッドを提示しろとでも言っているのだろうか。
さすがにそれは不味いと思い、鷲介は一足先に抗議している味方と主審の間に入っている直康と共に彼らを制止しようとする。だが遅かった。入ろうと近づこうとしたその時、主審が一番近くで抗議していたウルリクへイエローカードを提示してしまう。
(何やってるんだー!)
心中で絶叫しながら直康と供に味方を宥める。さすがにウルリクへのイエローが効いたのか彼らは不満顔ながらも主審から離れていく。
タンカに乗り、運ばれていくセザル。そして最後の交代枠はもちろんセザルとの交代となった。
(最後まで隠し通せるか。いや、やるしかない)
痛みがある左足を見ながら鷲介は思う。唯でさえチームの大黒柱であり同点の立役者であるセザルを失ったのだ。これ以上の負担をチームにかけるわけにはいかない。
再開された試合は一転してホームのヴァイスTKのペースとなった。ウーゴを中心としたパスは殆どがカット、または水たまりに引っかかっては失速して敵に拾われ、カウンターの起点となってしまう。
GKやガブリエルたちからのロングボールも後半終盤と言う時間帯のためか精度を欠いており、鷲介たちに届く前にインターセプト、またはサイドラインを割ってしまう。
そんな展開が続きもはや勝ち越しゴールを奪うことが困難だと判断したのか、監督から鷲介は下がるよう指示が下る。システムも最初の時の4-5-1に戻し、右SMFの位置に入る。
(なんとか耐えるしかない……!)
左足の痛みを歯をくいしばって耐え鷲介はボールをクリアーする。ちらりと掲示板の時計を見ればちょうど45分あたりだ。
あともう少しでひとまず勝ち点1は手に入る。そうほんの少し安堵したその時だ、ラインを割ったボールだがすぐにピッチに入れられ、そのボールをハインツが足元に収める。
(不味い!)
俯瞰するような視線のハインツを見て鷲介はぞっと粟立つ。彼の武器は柔らかさと屈強さを持つフィジカルと、ミュラーに匹敵するロングパス精度だ。
ハインツが蹴ったボールは一気に中盤を超えてハンブルクFゴール前へ飛ぶ。それに跳躍するルーカスが落したボールに鹿島がシュートを放つが、ガブリエルが体を張ってそれを防ぐ。
だがボールを拾ったのはヴァイスTKの選手だ。彼らの押し込みを必死に守るハンブルクF。それを見ながら鷲介も必死にゴール前まで走る。
そして幾度かのクリアーされたボールが鷲介の元へ転がってきた。それを見て鷲介は駆け寄ろうとしたその時だ、またしても足を滑らせピッチに転倒してしまう。
「ふっっざけんなぁ!!」
激怒の声を上げて立ち上がる鷲介。だがその時、再び左足首が痛み、またしても倒れ込んでしまう。
「鷲介!?」
「守れ!」
心配するガブリエルに鷲介はそう怒鳴り返す。鷲介が拾えなかったボールはペテルが拾っており、右サイドへボールを回している。
ボールを収めたヴェルツェンは疲労をあらわにしながらも右サイドを突破、直康を振り切ってセンタリングを上げる。
それに真っ先に飛びついたルーカスはゴール左へ向かうヘディングを放つ。
(やられたー!!)
枠内に向かっているボールを見て鷲介は心中で絶叫する。だがそのボールにガブリエルが体で防ぎ、そのボールをハンスが抱え込む。
そして主審の試合終了の笛が鳴り響く。それを聞き、鷲介は心の底から安堵すると、ピッチに顔を突っ伏するのだった。