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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第一部
22/194

シーズン後半戦、スタート






 紺色、白、黒の三色で染め上げられたフラッグがいくつも観客席に見える。サポーターも満員なこのスタジアムの名称はハンブルクシュタディオン。ドイツリーグ一部、ハンブルク・フェアアインのホームスタジアムだ。


「さすがに伝統があるチームだけに下位でもサポーター熱が熱いもんだ」


 ハンブルクFはドイツリーグ開幕以前から存在しておりその歴史は非常に長い。ドイツでも有数の歴史があるクラブとしても有名だ。

 しかしかつては優勝争いに幾度も絡んでいたクラブも栄枯盛衰の宿命からは逃れきれなかったのか移り変わる時代についていけなかったのか、今では下位中位が定位置となっている。そして今季は複数の事情で初めての一部降格の危機にさらされている。

 現在スタジアムのピッチではハンブルクFと、今日対戦するマインツ・モゴンティアが試合開始前のアップを行っている。マインツM。十数年前一部に昇格してのち下位に定着しつつも降格していないしぶといクラブだ。

 ちなみに順位は現在12位。ハンブルクFとの前半戦のゲームでは見事勝利している。とはいえスコアは1-0の接戦であり、決して勝てない相手というわけではない。


(降格を防ぐためにも、負けられない相手だな)


 時折スタジアムに視線を送り、また敵チームの要注意プレイヤーのことを考えていると、視界の隅にぎこちない動きをしている一人の少年の姿が映る。


「おーいガブリエル。少しは力を抜けって。緊張しすぎだぞ」

「えっ? べ、別に緊張なんてしてないよ」


 鷲介が声をかけ、振り返った赤毛の少年。口ではそう言いつつも表情が思い切りひきつっている。

 ガブリエル・マイヤー。今日のハンブルクFの右SBのスタメンでありドイツU-17代表。すなわち鷲介と同い年の少年だ。

 ユース時代では何度も対戦しており昨季はユースリーグとカップ戦で三回対戦。Rバイエルンが全勝しており、そのうち二試合は鷲介のハットトリックで見事粉砕している。


「鷲介、変なことを言わないでくれ。皆が心配するだろう」

「いやそんなガチガチの動きで言われても説得力がないぞ」


 先程から彼は普段の練習時に比べて動き出すタイミングが若干合遅れており、またボール捌きにミスがある。これで緊張していないと言ったらウソだろう。


(ま、しょうがないか。プロ契約したばかりな上、後半戦最初の試合でいきなりスタメン抜擢だもんな)


 聞いた話によると彼、ガブリエルがプロ契約をしたのは今季の前半戦が終わった直後とのことだ。本来スタメンだった右SBが負傷してしまったため層の薄いハンブルクFはU-17W杯で活躍したユース期待の新人を大抜擢したらしい。

 そして今のところ、彼はその期待に応えていると言ってもいいい。練習ではそれなりについけているしウインターブレイク中の練習試合でも問題ないように見えた。

 とはいえサブの右SBとはさほどの差は無く、経験という点を鑑みて彼はベンチに回ると鷲介は思っていた。それがいきなり後半戦最初の試合でのスタメン抜擢、しかも相手は順位が近いうえ、勝つ可能性すらあるマインツM。


「まぁそう心配するな。いつも通りやれればいい。ヤバいと思ったら俺がいる前方に得意のロングパスを出してくれ。あとは俺が何とかうまいようにするから」

「ず、ずいぶん余裕だね。今君がいるのはロート・バイエルンじゃないんだよ」

「わかってるっつーの。でもマインツMとは前半戦でゴールを決めてるしあっちの面子もほとんど変わってない。俺一人でも何とかできると思うぞ。……多分」


 最後の方を彼に聞こえないぐらいの小声でいい、軽く肩を叩く。ガブリエルはぐぬぬ……と睨みつけるような表情で鷲介を見ていたが大きく息をつくと「言ったことを忘れないでくれよ!」と言って背を向けて走り去っていった。

 少しは本調子になったかなーと鷲介が思っていると、今度は日本語で声を掛けられる。視線の右にいたのは濃いあごひげを生やした男性だ。彼は大文字直康だいもんじなおやす。ハンブルクFの左SBであり現役日本代表だ。


「ガブリエルくんは大丈夫か」

「多分。まぁあとは大文字さんたちでフォローしてあげてください」

「もちろんだ。ところで先程の会話が少し聞こえたが、柳くんは随分落ち着いているな」

「……緊張はしていますよ?」


 近くにより小さい声で鷲介は言う。正直なところ鷲介とて今日はレンタル移籍後初の公式戦だ。緊張していないように見えるのは半年とはいえプロとしてやってきた微かな自負心と、自分の実力への自信だ。リーグ上位相手ならばともかく中位、下位相手ならば通用すると言う。


「そうは見えんが……。まぁたった半年でさすが『黒鷲(シュヴァルツ・アドラー)』、『サムライソード』と二つの異名を得る神童ということはあるというわけか」

「言っておきますけど半年で付けられたのは『黒鷲』だけです。『サムライ・ソード』はユース時代で付けられましたから。というか愛称で呼ばないでくださいよ。

 ──と、そろそろアップも終わりですね」


 スタジアムの時計を見て鷲介は言う。そしてその数分後、言葉通りアップは終わり、両チームの選手たちはロッカールームへ引き上げていく。

 ユニフォームに着替え、改めてロッカールームのホワイトボードに張り出されたハンブルクFとマインツMのスタメンが目に入る。

 まずハンブルクF。システムは4-4-2のトリプルボランチ。注目選手は左SBの直康と左DMFのポルトガル代表ウーゴ・メレンデス。右DMFのスウェーデン代表ウルリク・レイヨン。そして左FWペルー代表でありチーム得点王のレネ・ガルシアだ。

 ちなみに鷲介は右FWのスタメン出場だ。もちろんこれに異論をはさむ者はいない。ウインターブレイク中の練習や試合で散々鷲介がその実力を見せつけて、獲得したものだ。


「では、作戦を説明する──」


 ホワイトボードを指差しながら落ち着いた、しかし強い口調で言う男性はウーゼ・エメルト。

 元々はユースチームの監督だったが昨季途中でトップチームの監督が解任され、その後任として引き上げられた人だ。


「さてお前たち、わかっているとは思うが今日の試合、負けはもちろん引き分けすらも許されねぇぞ」


 監督が説明を終えた後、そのすぐそばにいた男がどすの入った声で言う。ちぢれ毛で褐色の肌のその男性はセザル・パトリシオ。ハンブルクFの10番を背負い攻撃を牽引する大黒柱だ。


「今季の前半戦は俺の怪我を始め幾つもの問題が発生した結果、降格圏すれすれの順位となった。結果論だがそのせいでサポーターにはずいぶんがっくりされただろう」


 周りを見渡すセザル。強面の彼がそのようにするとやくざかそう言った系統の人間に因縁をつけられているような気持ちになる。

 ちらりと隣を見ればガブリエルはひきつった表情となっている。これは後でまたほぐす必要がありそうだと鷲介が思う中、セザルは言葉を続ける。


「だが今からでも十分挽回は可能だ。勝てる相手に確実に勝っていけば例年通り一部には残れる。気合を入れて行け!」

『おう!』

「声が小せぇ!!」

『おうっ!!』


 怒鳴りつけるようなセザルに鷲介を含めたメンバー全員が大声を発する。


「俺が戻るまであと一ヶ月弱、しっかり戦い勝ち点をもぎ取ってこい!」


 まるで指揮官のように振る舞うセザル。彼の発破を受けてハンブルクFのメンバーたちは一斉にロッカールームから飛び出した。






◆◆◆◆◆






「うおっ……?」


 目の前の光景を見て、思わず鷲介は表情が引きつる。前半十分を回ろうと言う今、いきなりハンブルクFのコールネットが揺らされたからだ。CKからの失点だ。

 ここまでの試合の状況は実に静かだった。どちらも後半戦最初と言う事もあってか互いの出方を探っているようなボール運びが続き、そしてマインツMに最初のCKが与えられる。──そしてそれをものの見事に決められてしまった。


(ハンブルクがセットプレーに弱いのは知っていたし、ウインターブレイク中もその対策や練習はやってきた。にもかかわらずこうもあっさりと失点するなんて……)


 いや、と鷲介は思い直す。ハンブルクFの守備は決して悪くなかった。決めた選手が凄かったのだ。

 ゴールを決めたマインツMの選手はFW、ジャマイカ代表のリカルド・ウィットモアだ。得点のシーン、彼は右コーナーから放たれ、しかしハンブルクFのDFに弾かれたボールにいち早く反応するとジャンピングボレーを放った。

 ペナルティエリアギリギリ外から放たれたそのシュートは一度地面に強くバウンドしては跳ね上がり、ゴールネット右に突き刺さった。その勢いの強さにハンブルクFのGKハンス・トイファーは全く動けなかった。


「さて、仕切り直しだ!」


 レネが触れたボールを後ろに回し、鷲介は前に行く。当然マインツMのDFたちが寄ってくる。

 マインツMのシステムは4-5-1のダブルボランチ。要注意選手はFWのリカルドと左SMFのフィンランド代表ロマン・コルッカ、オーストリア代表のGKオットー・サーラ。そして右CB、アイスランド代表のマティーアス・タケフサといったところだ。

 前節戦ったことと映像で確認した為、主な特徴は分かっている。リカルドは今見たとおり抜群の身体能力を武器にゴールを重ねており、ロマンは高いパスの精度を武器としている。オットーはポジショニングに優れ、マティーアスは鋭い読みによる飛びだしやインターセプトを得意としている。


「こっち!」


 マインツMの主力を警戒しつつ鷲介はDFラインから飛び出す機会をうかがっている。マインツMのDFラインと駆け引きを繰り返しつつ、ボールが来るのを待つ。これは監督の指示だ。

 鷲介のドリブルで突破ができないわけではないが、4-5-1という守備に重点を置く陣形ではかわしてもすぐさま他の味方がフォローに来るのは明白、90分フルに動けるだけの体力がない今、効率よく動いて点を取るためだ──。

 もちろんただ飛びだしだけをするわけでもない。現代サッカーでFWが前線からプレスをするのは常套。近くに下がってきたボールを奪うべく、プレスをかけてもいる。

 だがなかなかボールが来ない。先制点で勢いがついたマインツMが攻勢をかけハンブルグFが押されていることもあるが、前に出るボールが左サイド側が多いのだ。

 ハンブルクFの戦術は二つ。中盤、DFラインからの一本のロングボール供給か、サイドを突破するかだ。映像を見た限り前者は格上に、後者は同等か格下のチームに使用している。今は先制されたと言う事もあってかこれ以上の失点を防ぐため、前者の攻め方にしているようだ。

 しかしレネにはボールが入っているが鷲介にはなかなか来ない。ポジショニングが悪かったと思ったが、ガブリエルや直康からはロングボールが供給されてくる。──これは、あれか。


(まだ俺に対しての信頼がないってわけか)


 実力者が新規加入したチームで時々見られる光景だ。ウインターブレイク中の練習試合ではそうでもなかったが、やはり公式戦だと自然と慣れ親しんだ面子へボールを集めるのだろう。

 そして鷲介はこのような事態は過去Rバイエルンに入った時、トップチーム初練習の時などに経験済みだ。


(あんまり前半で体力は使いたくなかったが、仕方ないな!)


 ひとまず飛びだしをいったん封印すると、少し位置を下げてボールを要求する。声を出して手を振ってしつこくだ。

 そうしてようやくボールが足元に来る。ボールが来る前首振りをしていた鷲介は近くの敵の位置を覚えており、彼らからわずかでも距離が空いた方向で前を向く。

 ドリブルを始めようとした時、すぐさまチャージを仕掛けてくるマインツMの選手。しかし鷲介は余裕をもってそれをいなしてはかわす。前に進み二人目が来るが今度は急の速度──全速力でシザースをして惑わし、突破する。


(前半戦、散々俺にかわされまくっていたのに一人で突っ込んでくるとは。学習能力ねーのか? それとも止められるとでも思っていたのか)


 前半戦、鷲介が新人らしからぬ成績を残したのは相手が下位ばかりであったこと、また周りのチームメイトが世界クラスの実力者ばかりだったからと揶揄する意見もある。

 鷲介としてはそれはいくらかは正しいと思っている。実際ハンブルクFのような下位のチームでデビューすればあの成績は残せなかったとも。

 しかし残り半分は自分の実力という確信がある。世界クラスの相手ならばともかく普通にドイツリーグに所属している選手のほとんどと一対一になった時、負けるよりも勝った回数が多いのだ。それこそ圧倒された相手などレヴィアー・ドルトムントのポウルセンぐらいだ。

 気を抜けばすぐにボールを取られる予感はある。しかしそうでない限りドイツリーグの下位チームレベルでは自分を止められない。そう思っている。

 瞬く間に二人を抜いたことで湧き上がる歓声。慌てて寄ってくるマインツMの選手たちを心中で嘲笑し、鷲介はフォローに来た味方へボールを渡すと敵陣、ゴール前に向けて走っていく。

 ボールから離れ、しかしゴールに向かう鷲介にマインツMの何名かの選手が動く。それにより守備陣に歪みは生まれる。そこにパスを通そうとするウルリクだが、放ったボールは若干精度を欠き、また拾ったレネはキープこそするも、強引に一人で突破しようとして──鷲介がフォローに行くもその前に──ボールを奪われてしまう。


「ちっ!」


 ボールを奪ったマインツMのカウンター。ボールを受け取ったロマンがリカルドの前方へパスを送る。ハンブルクFのDFたちと追いかけっこをするリカルドはわずかながら一歩抜け出ているが、追いつこうと言うところで大文字がスラィディングでボールを蹴りだし、何とかボールがサイドラインを割る。


「おいレネ! なんで近くにいたヤンにパスを出さなかったんだよ。今のカウンター、お前の強引な突破ミスからだぞ!」

「正面は一人だけ、行けると思ったんだよ」

「相手はマティーアスだぞ。そう簡単にいく相手かよ……」


 詰め寄る鷲介にレネはふて腐れたような態度を取る。反省の欠片もないその態度に腹は立つがひとまず怒りを収め、「状況を考えて行けよ!」と言い、鷲介は自分の位置に戻る。

 そこからの試合展開は均衡状態に入った。マインツMの攻撃を防ぐハンブルクFはレネと、そして先程のドリブル突破が効いたのか鷲介にボールが集まりだす。

 しかし双方の状態は対照的だ。ドリブルで相手を抜きパスを的確にさばく、また遠距離からのミドルを放つ──キーパーやゴールポストに防がれはしたが──キレのある動きを見せる鷲介と、ポストプレイとキープをこなしながらも強引に行くことが多く、ボールロストも多いレネ。

 結果右サイドの攻撃は流動性をまし、左サイドはやや停滞し始めている。またレネが強引に一人で行くのを把握されたのかマインツMも彼に集中してボールを奪いに行っている。鷲介にもマティーアスがマンマークに付いており、いいところを邪魔してくる。

 そんな状態が続き前半も終盤に差し掛かったころ、ハンブルクF陣内でボールがタッチの外に出た時だ。鷲介の元にハンブルグFのDMF、ヤン・コルターマンが走ってくる。


「監督からだ。残り時間も少ない。行けると思ったらとことん行ってみろとのことだ」

「わかった」


 頷き、鷲介はピッチをぐるりと見渡す。先程よりもマインツMの守備陣形がやや左に寄っている。また鷲介の側には相変わらずマティーアスがいるが、他の面々はやや距離を置いている。


(今までの状況を見てマティーアス一人でも俺を押さえられると思ったのか。──本当、舐められたものだ)


 鷲介がため息をつくと同時にボールがピッチに入り、試合は再開される。激しいボールの奪いが再び始まることしばし、何度目かのボール奪取を自陣のセンターサークル近くでした大文字がこちらを見る。

 直後鷲介は手を上げて下がり、そこへ大文字からのボールが飛んで来る。マインツM陣内のど真ん中辺りにきたボールをトラップした直後、後ろからマティーアスが迫る気配を感じる。

 鷲介は首を振って彼と周囲の状況を確認すると右に体を傾け、しかしすぐに左に全速力で反転。ボールを奪おうと接近していたマインツMの選手をあっさりかわす。

 振り向いた鷲介にマティーアスが距離を詰めてくる。しかし鷲介が本気で繰り出すスピードとドリブル、フェイントにあっさりと突破を許してしまう。


(省エネ状態の俺ならともかく、本気の俺の動きにあんたじゃついてこれないんだよ!)


 このピッチの中だけで言えばマティーアスは優れたDFだ。だが鷲介は彼よりも優れたDFを幾人も知っており、それと何度も対峙してきた。彼らと比べれば力も技術も圧も全く及ばない。

 マティーアスを突破してトップスピードに移行。瞬く間に眼前に見えるてくるマインツMのペナルティアーク。動き出すGK、左右から迫るDF、背後から追ってくるマティーアスたち。

 それらすべての情報を数秒の内に把握して一拍後、ペナルティエリアギリギリ外で鷲介は迷うことなく右足を振りぬいた。確実な手ごたえを感じたシュートは狙い通り相手ゴール右に飛び、GKの伸ばした手の横を取りすぎてネットに突き刺さった。


「──よしっ」


 移籍後初ゴール。湧き上がるハンブルクFのサポーターたちに向かって、鷲介はお決まりのポーズをして見せた。






◆◆◆◆◆






 後半二十六分。ゴールネットにボールが突き刺さる。白と黒の球体がピッチに落ちると同時に背番号17──柳鷲介は右腕を振り上げる。


「やったぁ!」

「逆転だ!」


 逆転弾を叩き込んだ若き日本人をハンブルクFのチームメイトが取り囲む。特にアシストをしたガブリエルの喜びようは尋常ではなく、真っ先に彼に駆け寄って飛びついているのを見て、直康は微笑む。

 前半終了間際の同点弾からの後半。ホームと言う事もあってハンブルクFは開始から攻勢をかけた。また監督の修正や指示により前半以上に柳にボールが集まるようになり、また強引な突破に個人技に執着していたレネも監督とセザル二人からの叱責を受けて、無理矢理なプレイは鳴りを潜めた。

 しかしそれですんなりと逆転やさらなる追加点が入らないのが現実だ。マインツMは鷲介へのマークをきつくし、またこれ以上の失点を防ぐためなのか前半より激しく守備に奔走していた。

 結果ハンブルクFとしては攻めつつもあと一歩の所でゴールが奪えない状況が続き、そしてそんな時間が20分近くなった頃、攻め疲れたハンブルクFにマインツMはリカルドを核とした攻めを展開。押されていた状況を五分に戻していった。そんな矢先での柳の逆転弾だ。

 CKからのこぼれ球を拾ったガブリエルからのパスを、右サイドで受け取った柳は鋭い反転で後ろにいたDFをかわすと一気に加速。ペナルティエリアに侵入しもう一人をスピードの乗ったフェイントで左に交わすと同時に左足を振り切った。

 微塵の迷いのないインサイドシュートはさながら、空を自在に舞う猛禽の如く弧を描いてはゴール前の両チームの選手たちの間をかいくぐり、マインツMのゴールネットを揺らしたたのだ。


(まったく、本当に17歳なのかあいつは)


 チームメイトにもみくちゃにされている若者を見て直康はもう何十回思ったかしれないことを思う。そして改めて彼が”ゾディアック”と称されているのはメディアによる喧伝ではなく、単なる事実であると言う事を実感する。


(とはいえセザルさんがいれば、ここまで苦労しなかったんだろうけど)


 観客席にてガッツポーズをしているチームの大黒柱の姿を見て直康は思う。35歳というベテラン真っ盛りな年齢の彼だがパスやシュートの精度、視野の広さはチームで並ぶものはない。その正確無比なボールコントロールにチームは幾度も救われてきた。

 もしもだが、彼がいたのであれば早々逆転していた可能性は高い。相手ゴール前で柳は後半だけで三度倒されてFKのチャンスがあった。現在のCK、FKのキッカーを務める十代でポルトガル代表に選ばれた22歳、ウーゴ・メレンデスも優れたパスやシュート精度を持つが、セザルほどの精度は無くFKの二つは枠を超え、枠に行った一つは易々とGKにキャッチされてしまった。セザルならば三つの内二つは枠内に、そしてどちらか、もしくは両方際どい所へボールを蹴っていただろう。


「みんな、気を引き締めろ! 残り10分少々、何としても守り切り久方ぶりの勝ち星を挙げるぞ!」


 大声で呼びかけるのは右のCBであり現在のチームキャプテンである元アメリカ代表のトム・アーモンドだ。彼の言葉に直康はもちろん、他全員が力強く頷く。

 試合再開のホイッスルが鳴り響き、マインツMはシステムを4-3-3に変更し、また残っていた交代カード二枚を一気に切って、フレッシュなMF、FWを投入してくる。

 そしてその効果はあった。中盤、最終ラインから放たれるロングボールにリカルドや交代で入った選手は飛びつき、そのこぼれ球を交代したMFが馬車馬の如く動き回っては拾い、または奪おうとしてくる。


「ガブリエル右から来ているぞ!」

「ウーゴ、ロマンへの注意を怠るな!」

「ナオヤス、もっと絞れ!」


 ハンブルクFのDFたちが互いに声を飛ばしながら守る。一方新たに投入された選手と同じように果敢に前に出てくるマインツMのイレブン。それにハンブルクFは総力を持って守り、耐え凌ぐ。柳、レネ二人のFWも前線で後先考えず走り回っている。

 マインツMの豹変に監督が守りの選手を投入するが、それでもマインツMの勢いを多少削ぐにとどまる。さすがは一部昇格してから一度も二部に落ちたことがないチーム。異様な粘り強さとしつこさでハンブルクFのゴールへ迫る。


(もっともしぶとさではハンブルクF(俺たち)も負けていないがな!)


 こちらはリーク創設以来一度も一部から落ちたことがないのだ。たかが十数年残り続けている新参に負けるものか。そう思いながら直康は体にムチ打って走り続ける。


「ガブリエル! トムが明けたスペースを」


 埋めろと言う前に、ハンブルクFのペナルティアーク付近にボールが通り、それに向けてマークを外したリカルドが向かって行く。

 ガブリエルも必死の形相で走ってきてはいるがやはり17歳、それもプロとして初めての出場。疲労に加えプレッシャーのせいか動きに精彩は無く、見る限り限界ギリギリだ。

 必死のガブリエルの走りも空しくボールを足元に収めたリカルドはワントラップでボールをさらに前に転がして右足を振り上げる。それを見たハンブルクFのGKハンスが距離を詰める。

 放たれるシュート。ゴール右に向かって曲がるそれをハンスは左手のパンチングで防ぐ。それでもボールは横に転がり近くにいたマインツMの選手が押し込もうとする。──だが、それは直康が許さない。


「だらあっ!」


 ボールに真っ先に駆け寄ると、直康は大きくボールをキックする。クリアボールにしか見えないそれだが、直康はある期待を込めてボールを蹴り上げた。

 宙を舞うボールはセンターサークル付近の右サイド近くに落下していく。そしてそれを胸トラップで抑えたのは柳だ。


(やった!)


 期待通りボールを収めた柳にすかさずマインツMの選手がチャージを仕掛け、柳の体が大きくよろめく。

 無理もない。彼もガブリエルよりは若干ましだが表情には濃い疲労の色が見えている。前半ならばあっさりかわす、またはボールをさばけせたであろう彼のスピードに反応速度も後半終盤ともなれば激減している。

 しかしそれでも柳は踏ん張っては体勢を崩さず、ボールを味方に渡し反転してはすぐに敵陣に向かって走っていく。見事な根性だと直康は八つも年下な若者を賞賛する。

 守勢に回っていたハンブルクFの久しぶりのカウンターだ。攻勢に出ていたため人数が少ないマインツMのイレブンの間をハンブルクFの面々がボールを回し、前線へ走る。


「レネ! ヤナギに渡せ!」


 ドリブルで進み、しかしペナルティエリア目前で突破を阻まれたレネに直康がそう思ったのと同時、近くにいたウルリクが叫ぶ。彼は苛立った表情ながらもフォローに来ていた柳へボールを出す。

 やや雑なそれを柳は収め前を向く。しかしそこにはマティーアスが立ち塞がる。

 近くやいい位置に味方がいないことがわかっているのか勝負する柳。しかしその動きは前半に比べだいぶ遅くなっている。得意のシザースもマティーアスは惑わさず、どっしりと腰を構えて待ち受けている。


「柳! 無理をするな」


 思わず直康がそう叫んだその時だ、柳が右に動いたのと同時にマティーアスが前に出てボールを奪おうとする。

 絶妙なタイミングだ。奪われる。直康はそう確信する。しかしマティーアスの長い脚はボールに触れない。それよりほんの少し早く、柳が右足を動かしていたからだ。

 柳の右足が蹴ったボールはマティーアスの両足の間を通り過ぎる。そしてそのボールをにマーカーを引き連れながらもレネが駆け寄っていき、横からチャージを受けながらも右足を振り切る。

 結果、今季のハンブルクFの得点王はまた一つ、ゴールを得た。






◆◆◆◆◆






「ようやく試合終了かー」

「初めての移籍先の試合で2ゴール1アシスト。十分すぎる結果ですね」


 ブルーノの隣でニコリと笑うクルト。Rバイエルンの選手及び関係者行きつけの料理店兼酒場”シュテルン ”のカウンターに座る二人の視線の先には店に備え付けられた大型の液晶テレビがある。


「しっかしまぁ、フラストレーションがたまる試合だったな。どっちも最後の詰めが甘かったり変なところでミスしたり、下位に定着してるチーム、降格争いをしているチームらしい試合って言えばそうだけどよ」

「ええ、前途多難ですね。ハンブルクFはもちろん、鷲介も」


 クルトの言葉にブルーノは眉をひそめる。


「ハンブルクFはともかく鷲介の奴もか? 今日のあいつはプロデビューして一番の結果を出したと思うぞ」

「活躍した部分や結果だけを見ればそうでしょうね。でもところどころ甘い部分はありました。一歩間違えていれば失点になりかねないところが二つは確実にありましたね」


 笑顔のまま厳しいことを言うクルトにブルーノは軽く頬を引きつらせる。優しげな風貌で穏やかな性格のクルトだが、言う事は誰であっても怯まず臆さずずげずげと言う。しかもそのほとんどが反論を許さない、させないものばかりなのだ。

 それ故にブルーノはこの年下の若者のことを気に入っているものの、少し怖がっていたりもする。絶対に怒らせたら不味いタイプだと思っている。


「ハンブルクFも問題点である空中戦の弱さが改善されていないことを露呈しましたし、ガルシア選手の身勝手なプレーもありました。今日勝てたのは間違いなく鷲介のおかげでしょうが、彼一人ではあと数試合もすればハンブルクFは手詰まりになるでしょうね」


 画面に映っている3-2・・・のスコアを見てクルトは言う。

 鷲介のアシストが決まり、彼が交代した直後のことだ。マインツMが左サイドから上げたセンタリングに今日先制点を挙げたウィットモアが飛び込んでヘディングを決めたのだ。しかも十分な数のDFが残っていた状況にもかかわらず空いたスペースをつかれての失点だった。

 結果的に勝利はしたがもしも鷲介のアシストが無ければホームで2-2、引き分けという結果に終わっていただろう。


「あーでもよ、あと一ヶ月ぐらいでセザルさんが怪我から復帰するぜ。そうすれば鷲介頼みのサッカーになることもないんじゃねーのか?」

「それはどうでしょうか。あの人も年です。復帰してすぐにトップフォームを取り戻せるとは思えません。昨年も怪我をして少し離脱しましたが、元に戻るのに離脱した期間の倍以上の時間がかかっていましたよ。

 とにかく、このままではハンブルクFは後半戦も厳しい戦いを強いられるのは間違いないですね。鷲介も厳しい状況に晒されるでしょう。──ウーゴ選手が本調子を取り戻せばわかりませんけど」

「でもあいつはそれも覚悟で行ったわけだし、見守っていてやろうぜ」

「何を呑気なことを言っているんですか。僕たちも鷲介を見守るような余裕のある状況でもないでしょう」


 ぴしゃりと言われ、ブルーノは思わず姿勢を正す。こちらを見つめる後輩の顔は笑ってはいるが目は冷ややかなそれだ。

 しかし確かに彼の言う通りではある。現在Rバイエルンは2位。18戦15勝二分け1敗と言う成績でレヴィアー・ドルトムントにわずか勝ち点1ながらリードされている。

 しかも3位から5位との勝ち点差もほとんどない。もし少しでもミスをすれば最悪CLカンピオーネリーグ出場権を逃す可能性すらある。かつての一強時代と違い、今はRバイエルンに匹敵する戦力を持ったクラブがいくつもあるのだ。


「ハンブルクFはいいカモです。当然勝つ必要があります。鷲介はまぁ厄介ではありますが僕たちが本気で相手をすれば何もできはしないでしょう」

「まぁ俺もそれはそう思うけどなー。……”ゾディアックあいつら”は爆発的に成長するしわからんぞ」


 ハンブルクFとの試合は二か月後、第二十七節だ。鷲介がより強くなるには十分すぎる時間だ。


「それは僕たちも同じでしょう。年齢で言えば僕もまだ若手に部類に入りますしあなたは全盛期真っ盛り。

 まさかとは思いますが現状で満足しているなんてことはありませんよね」

「んなわけねーだろ」


 さすがにそこまで言われるとブルーノも腹が立ってくる。自分が目指すのは世界一のSBだ。現状で満足するはずもない。


「ですよね。──それじゃあハンブルクFとの試合、鷲介とマッチアップする回数が一番多くなると思いますけど、よろしくお願いしますね」

「当然だ。あいつには何もさせねぇ」


 観戦しているときは応援はするだろうがいざ戦うとなれば微塵の容赦もしない。それがプロだ。


(鷲介、確かにお前は凄い。でも今のままじゃ俺に、俺たちには勝てんぜ)


 サポーターに向かって挨拶をしている鷲介を見て、ブルーノは心中で呟くのだった。






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