イタリアW杯、グループリーグ第一戦。日本対カメルーン(6)
「馬鹿な……」
主審のゴールインを認める笛の音と、同点弾に反応するサポーターの大声援を耳にしながら、ミラは唖然とした声で呟く。
完璧な対応だった。ヤナギがこぼれ球に反応するところも、シュートを撃つのも、全てイメージ通りだった。
そしてイメージでは彼の放ったシュートをミラたちが防ぎ、しっかりとクリアーできていたのに──
「ミラ、何ボーっとしている。さっさと自分のポジションに戻れ」
後ろからの声にハッとしてふり向く。そこには苦虫を噛み潰したようなジャックの姿がある。
「ジャック……。なぁ、何故俺たちはゴールを割られたんだ」
「何故って……。まぁいい。鷲介の放ったシュートがお前の開いた股を通ってゴール左隅に向かったんだ。
俺も咄嗟に右足を伸ばしたが弾けなくてな」
「おかしいだろう。あのスピードでボールを拾いさらに前を塞がれ角度も際どかった。
あれでシュートを撃てばボールは浮いてほぼ間違いなく俺かお前に体に当たるはずだ。
なのに俺の股下と言う、唯一と言ってもいいコースにシュートを放てるなんて。……おかしいだろう」
転がってきたボールもわずかに宙に浮いていたし、走ってきた鷲介がそれをミートすれば十中八九ボールは浮く。
それがわかっていたからこそミラもジャックも体を大きく広げていたというのに──
「その気持ちはわかるが現実、鷲介はグラウンダーのシュートを撃ってゴールを奪った。それだけだ。
さぁさっきも言ったがさっさと自分のポジションに戻れ。
──皆さんも! 唖然としてないでさっさと動いてください。まだロスタイムが残っていますよ!」
ミラの背中を強引に押し、ジャックは周囲に向かって声を上げる。
のろのろと歩きながらミラは周りを見て、愕然とした。皆、今の自分のような顔をしていたからだ。ジェイソンもマイクもサロモンも。
アルベールからキャプテンマークを引き継いだサミュエルは皆に比べればマシな顔つきだが、それでも表情から動揺を消すことができていない。
「皆さん、日本は総攻撃できますよ! 残り時間しっかり守り切って、止めのカウンターを放ってください!」
背後から響くジャックの声。だがそれにミラは頷くことができない。
その理由は視界に映った鷲介の顔を見たからだ。
疲弊した表情ながらも眼はギラギラと輝いている。獲物を捕獲することを微塵も諦めていない猛禽を思わせる瞳だ。
「……っ」
思わず軽くミラが身を引いたのと同時、主審が試合再開の笛を吹く。
センターサークル内にいたサミュエル達が反転してボールを返し、それがミラの所まで来た時だ、
「!?」
ボールを受ける前に周囲を見回していたミラは愕然とした。自分の元へまっすぐ鷲介が走ってきていたからだ。
食い入るような彼の眼差し。決死に逃がさないというそれを見てミラは背筋が凍る。
そして直後に気付く。試合再開と同時に、彼と似たような眼差しの日本代表イレブンのほぼ全員が自陣に雪崩れ込んできているのを。
(最後尾に残っているのはCB一枚。カウンターのチャンス……!)
そう思いミラはサミュエル目がけてボールを蹴ろうとする。
だが一メートルまで迫った鷲介の、殺意すら感じさせる瞳を見て、動揺した。
いつもなら問題なく届くパス。しかしミラが蹴ったボールは中途半端なクリアーのようになり、サミュエルの前を塞いだ日本の選手に拾われてしまった。
(しまった……!)
ミラが後悔すると同時、始まる日本イレブンの津波のような進撃。
日本の選手たちの走る姿が、彼らが回す早く正確なパスワークが、自分と同じく未だ同点ゴールの衝撃にショックを受けているカメルーンイレブンの間を通過する。
ジャックの必死の叫び声のような指示が聞こえるが、ミラと同じく皆、そのまま受け取り動くだけだ。
「ミラ! 鷲介だ!」
悲鳴のようなサロモンの声を聞き、ペナルティアークのすぐ横にいたミラは走り込み味方からのパスを受けた鷲介に気付く。
そして彼を見て、小さく悲鳴を零す。
「ひっ……」
先程と変わらぬ、いやさらに迫力を増した鷲介の眼。
それを見てミラは恐れおののく。そしてどうしてここまで怖いのか、恐れるのかを、思い出した。
彼の眼差しは幼い時、故郷のカメルーンの空で見たコシジロイヌワシのそれによく似ていたからだ。
(シュウスケ・ヤナギ……!)
初めて。初めてミラは鷲介に対し、恐怖を覚えた。
パトリック・ミラにとってシュウスケ・ヤナギと言う選手は同じ”ゾディアック”であり強敵、難敵だ。
しかしそれだけだ。少なくとも恐怖を感じたり、ましてや勝てないと思ったことは一度たりともない。
何より今日の彼を見て、ミラは彼に負けるイメージは微塵もなかった。
W杯。国同士の対決、戦争とも揶揄されるそれに挑む選手たちは、普段とは纏う空気が違う。
特にベテランやごく一部の選手は己の存在全てがかかっているような、凄絶な雰囲気を感じさせている。
しかしその中でヤナギやナカガミなどはクラブで見ている、いつも通りの雰囲気。
W杯のプレッシャーを感じていないと見えるが、それは逆にW杯に対して必死になることがないように思えた。
そしてミラの勘は当たっていた。こちらの執念じみたゴールやプレーにヤナギ達はいちいち目を丸くし、驚いていた。
カメルーンの3失点目。カメルーンの反撃、同点弾のきっかけとなったジャックとサミュエルの捨て身ともいえるヤナギを誘導してのボール奪取。
あれは少しでもタイミングを間違えれば日本の3点目のようにゴールに直結するハイリスクなプレー。だがW杯と言う舞台での勝利への執念がそれを実行させ、成功させた。
そして同じく、捨て身と紙一重な小規模なストーミング。あれも日本がひたすら回避に徹していれば成功せず、カメルーンはスタミナ切れで自滅していた。
しかしミラや仲間たちのW杯に対する思い、それを感じて逃げなかった日本代表の結果、逆転することとなった。
ヤナギとてカメルーンの戦術に最後まで気付かなかったはずはない。もしも彼が回避に徹するよう指示を出せば同点に追いつくのも難しかった。
だが、そうはならなかった。それはひとえに彼らが突き放せる、また逆転されても再逆転できるという自信があったからだ。
そしてそう思わせたのはひとえに、ヤナギの存在だ。
ヤナギも、他の日本代表イレブンも気づいていないが、ヤナギはあらゆる意味で日本の中核となっている。
攻撃も防御も、そして精神面でも。あらゆるものに彼が大きく関与している。
おそらく自然とそうなったのだろうが、ミラとしてはそれを責める気にはなれない。
気づかないうちに、自然に、皆の中心となるヤナギ。それだけのプレーを彼は仲間たちに魅せ続けてきたのだから。
だからこそ、そんなヤナギが、W杯の重圧を感じていないこと、背負っていないことにミラは喜んだ。
過去のW杯で各国の選手がプレッシャー故に魅せたスーパープレーを、彼がすることはないと思っていたからだ。
しかし、しかし、しかし。ミラは彼に関して、思い違いをしていることに、今ようやく気が付いた。
(ヤナギはW杯の重圧を感じていないこと、背負っていない。ヤツにとってそれは──)
心中で結論を出す前に、ヤナギが一気に距離を詰めてきた。
今気が付いたが自分とヤナギがいる左サイド──日本からしたら右サイド──にはほとんど人がいない。周囲を見渡すと左サイドに集まっており、自分と右斜め後ろにいるジャックが実質の最終ラインだ。
(何としてしてでも止める……! たとえ何をしてでも──!)
凄絶な決意を胸にミラは鷲介を迎え撃つ。
そしてミラがボールを奪える距離まで来たところで、鷲介は試合終了間際とは思えない動きで中──右へ切り返す。
当然ミラもそれに反応。彼を止めるべくボールを奪うべき接近した。
今の自分ができる最高の動き出し。ボールを奪える、またはヤナギの動きを阻害でき、ジャックと挟み込める。
そう思いうすら笑いを浮かべたミラだが、微塵もゴールすることを諦めていないヤナギの顔を見て、背筋が凍った。
ミラが伸ばした足に当たるはずのボール。それがヤナギの左足の内側に当たり右に跳ねている。
そしてそれに連動するかのようにヤナギもミラの左側に動く。
(超高速のダブルタッチ。嵌めたつもりが、嵌められた……!)
心中で絶叫するミラの左を通り過ぎるヤナギ。振り返り見える青いユニフォームの背番号10がペナルティエリアに侵入寸前だ。
抜かれた。ゴールされる。負ける。カメルーンが。俺のせいで。またヤナギに。
ミラの脳内を埋め尽くす、いくつもの悔恨の言葉、想い。
(いやだ)
そして最後に、子供じみた言葉を発し、ミラは動いた。
「あああああああああああああああっっ!!」
駄々をこねる子供のような声を上げてミラは手を伸ばしてヤナギのユニフォームを掴む。
当然ヤナギはバランスを崩し、ペナルティエリアへ侵入できない。こぼれたボールを飛び出していたサロモンがクリアーする。
安堵するミラ。だが次の瞬間、頬を叩くような笛の音がミラの耳を打つ。
険しい顔で駆け寄ってきた主審は迷うことなく胸ポケットに手を入れ、レッドカードをミラに突き付けた。
◆
空にかざされるレッドカードを見てジャックは大きく目を見開く。
ミラへのレッドカード提示は仕方がない。完全に彼をかわしていた鷲介のユニフォームを掴み止めてしまった。いわゆる決定機阻止なのだから。
だとしても残り僅かな時間でやらなくても。そう思うがすぐにジャックはその考えを撤回する。
(ミラは間違っていない。鷲介を止めなければ失点していた。あれが彼にできる最善のプレーだった)
ジャックとて責任がないわけではない。試合を再開した後の日本は先程のカメルーン宜しく、右サイドに人を集めて攻め込んできた。
自分たちと同様に勝利を目指し必死な顔つきの彼らのパスワーク。鷲介の同点弾にショックを受けているカメルーンが止めるには右サイドに人を集めさせハイプレスを仕掛けるしか手はなかった。
ジャックも皆にコーチングしながら傍にいる獰猛にゴールを狙う堂本へ気を配っていた。もちろん鷲介も気にはしていたが彼はゴールから離れていたこともあって、仲間や堂本よりも注意度合いは低かった。
そんな自分の隙を狙ったのか、それとも右サイドに選手が集中した、カオスな状況を狙っていたのかはわからないが、目を離したすきにセンターレーンにいた鷲介はいつの間にか左ハーフレーンへ移動しており、そこで味方のパスを受けカメルーンゴールに迫り、今のようになったのだ。
「ミラ! お前なんてことを──!」
「やめろ!!」
怒鳴り声をあげるオーレリアンをジャックは怒鳴り返し、ミラに駆け寄る。
先程唖然とした顔でレッドカードを見上げていたミラは、今は項垂れている。顔は血の気が全くなく、死人のようだ。
「ミラ、ありがとう。君のおかげで首の皮一枚繋がった」
ジャックの言葉にミラはかすかに肩を震わせる。
顔は上げない。だがジャックはそれにかまわず彼の肩を掴み、一緒にベンチまで歩いていく。
カメルーンサポーターからぶつけられるブーイング。だがジャックはそれを真顔で受け止める。
ミラのレッドカードは彼だけの責任ではない。自分の責任でもある。責めは甘んじて受け入れる。そう思いながら。
そしてベンチとそこにいる難しい顔をした監督や悲しそうなスタッフ、怒ったような同情するかのような様々な表情を浮かべたベンチメンバーが視界に入ったとき、ミラはジャックが肩に回していた手を右手で優しく押しのける。
「……後は、頼む」
俯き、絞り出すようなミラの声。
それにジャックは胸を張って答える。
「ああ。あとは任せてくれ。残り時間、絶対に守り切って見せる」
ジャックの言葉にミラは小さく右手を上げてピッチを去っていく。
そして監督に抱擁されスタッフに囲まれたのを見てすぐに身を翻す。
何としても守り切らなければ。かつてない熱い思いを抱き戻ると、ジャックは目を丸くした。
先程まで追い詰められた顔をしていた仲間たちの表情に、覇気が戻っていたからだ。
「すまんジャック。お前に甘え過ぎていた。
こんな状況は年長者である俺がしっかりしないといけないのにな」
「ロスタイムは残りあと僅か。日本は今まで以上に捨て身の攻撃を仕掛けてくる。
ジェイソン、ジャック。指示を頼む」
「もちろんだ。ミラが退場と引き換えに負けを回避したんだ。
残り時間全力で走り、守り切ろう」
皆の変わりように唖然とするジャックだが、首を縦に振る。
ミラの行為はサッカー選手としては最低の行為。だがチームを、国を負けさせないための愚かな行動は、屈服寸前だった仲間たちを奮い立たせる起爆剤となったようだ。
ミラが鷲介を倒したのはカメルーンゴール前、ペナルティライン上。ジャックはジェイソンの指示を受けて壁の一枚に入り、同時に周囲と鷲介へ目を向ける。
(ボールの近くにいるのは中神と小野。直接の可能性もあるが……)
ジャックは思う。どのような形になっても必ず鷲介が絡んでくると。決して彼から目を離さないと。
主審の笛の音が響き、ボールに接近する中神。
左足の彼が来たと言うことは直接ねらうのか。そう思うのと同時、中神がボールに接近。左足を振るった。
「!」
カーブのかかったボールが飛んでくると身構えていたジャックだが、中神はボールを蹴らず斜めに走り込む。
そして走り込んだ彼の背中から飛び出す、小野が蹴ったボール。それはマイナス気味な軌道で右ハーフレーンへ飛び、そこへ中山が走り込んでくる。
「ミドルが来る! 前を塞げ!」
中山のチームメイトであるサロモンが叫びすぐさまペナルティエリアにいたエヨングが立ちはだかる。
が、中山はシュートを撃つふりをしてサイドにパス。そのボールに駆け寄るのはペナルティエリアから飛び出したフリーの柿崎だ。
(フリーだと!? 一体どうして)
現在のカメルーンは全員が自陣に引いており、ゴール付近にいる日本人選手たちには必ず誰かがマンマークのように張り付いている。
フリーになれるはずがないとジャックは思い柿崎に目を向け、その理由を知った。
(鷲介……!)
FKが蹴られる前、ちょうどセンターレーンにいてサミュエルに張り付かれていた鷲介。
その彼がいつの間にか右ハーフレーンへ移動しており、柿崎のマークに付いていたコリンズがサミュエルを連れた彼を注視している。
しかも中山に対して手を振るってボール要求までしている。あれでは気にするなという方が無理だ。
「ヘイ!」
フリーとなった柿崎に対し、鷲介は近づきながらボール要求。それにサミュエルはもちろんコリンズ、他の選手たちも釣られるが、
「駄目だ! サミュエルさん以外ついていくな! スペースを作られる!」
自分を餌とすることでカメルーンイレブンを引き連れ、ペナルティエリア内に日本代表が飛び込む穴を作るという鷲介の狙いを看破したジャックは味方に叫ぶ。
それが聞こえたのか制止する仲間たち。だが直後、柿崎はセンタリングを上げてきた。
(何だと!?)
ジャックが声をかけたことでカメルーン守備陣には日本人選手が飛び込めるような穴は開いていない。
彼の上げたボールは鷲介の頭上を越えた高いボールだ。そしてペナルティエリア中央にはサロモンにジャン、ジャックもいる。
皆身長が190センチを超えている長身選手だ。クリアーできる──
「おおおおっ!!」
が、そんなジャックの想いを嘲笑うかのように日本の11番、堂本が誰よりも速く跳躍。
ジャックより10センチも低い彼が見せた、信じられないジャンプ。ジャック達よりわずかに早くボールに近づき、飛んできたボールに見事、合わせた。
「!!」
放たれたヘディングシュートは一瞬遅れて壁となったジャック達をすり抜けてゴールへ。
次の瞬間、スタジアムから歓声が響き、ジャックはぞっとする。
が、ジャックが着地したのと同時、ボールがジャックの横のピッチに叩きつけられて宙に浮いた。そして一拍遅れて誰からがピッチに倒れる音とサロモンの必死の叫び声。
「クリアーしろ!」
何があったのかはわからないが──おそらくサロモンがシュートを防いだ──ジャックは反射的に動き、宙に浮いたボールに迫る。
そしてジャンプしてヘディングでクリアーしようとしたその時だった。ジャックの目に猛禽が映った。
(……黒鷲? いやこれは──!)
一瞬見えた幻覚は、ボールに対してオーバーヘッド態勢に入った鷲介だった。
迷いの無い彼の動きを見てジャックは刹那の時間でシュートを止められないと判断。シュートを防ぐべく動く。
「やらせるかあぁぁっ!」
ジャック・マティプにとって柳鷲介は生意気な年下の同期であり、頼れるストライカーであり、自分たちの世代の中で最も強く嫉妬した男だ。
ロート・バイエルンユースの黄金世代と称されるジャックたちの世代だが、それを真の黄金にしたのは鷲介だ。
ユースからトップチームに直接行き、半年のレンタルを挟んだとはいえ、主力と言うべき活躍と結果を残しているのは鷲介だけだ。
他のメンバー──自分やミュラー、エトウィン。Rバイエルンから離れて他のクラブでプロになったアドリアーノにフェルナンド、セカンドチームで活躍している皆。
彼らも見事だ。だが鷲介には及ばない。”ゾディアック”と称される彼ほどの輝きを放ち続けてはいない。
ずっと、そのことが心の中にしこりとして残っていた。いや、今も残っている。
そして多分、それは一生消えることはないとジャックは思う。例え今後自分がRバイエルンの、カメルーン代表のレギュラーになったとしてもだ。
だがジャックは、そんなことを気にしていた自分を、今日の試合で放り捨てた。
前半、鷲介に圧倒され心折れかけていた自分をサロモンを始め、皆信じてくれた。そして消沈する自分に対しカメルーンサポーターは絶えず声援を送り続けてくれた。
今までの試合で彼を見ていて、そして今日対戦して、改めてわかる。彼は世界の頂点に到達することができる、一握りの天才だと。そして自分はそうではないと。
だが──それでいいとジャックは思った。自分は鷲介に敵わない。しかし、そこからどうするかを考えるべきだと。
(鷲介に負けるのは良い。だが俺たちが、カメルーン代表が負けるのは、我慢ならない……!)
鷲介は強い。現時点で世界トップクラスのドリブラーでありゴールゲッターだ。
だが無敵ではないし長所と同じく短所や弱点もある。戦い方次第では彼には勝てなくても、自分のチームが彼のチームに勝つことは可能だ。
Rバイエルンで長い時間を共に過ごしたジャックがその事実を今日の試合で再認識し、ジャックは吹っ切れたのだ。
放たれる鷲介のオーバーヘッドシュート。しかしジャックが彼のそんなプレーを見たのは初めてではないし、その動きから彼のシュートコースの予測はできていた。
跳躍して足を伸ばし、ボールの軌道を塞ぐ。そして予測通り、ジャックの右足が鷲介のオーバーヘッドシュートを見事、はじき返した。
「……!」
鷲介が息を呑んだような声が聞こえたと思ったのと同時、ジャックは地面に着地。ボールの行く先に目を向ける。
跳ね返ったボールに再び中山が接近していた。だが彼より早く駆けよったサミュエルがボールを大きく蹴りだした。
鳥のように空高く舞うボール。それが日本陣内に落ちると同時、主審の笛の音がピッチに響く。
三度鳴る、軽快な笛の音。試合終了のホイッスル音。
イタリアW杯グループAの初戦、日本対カメルーンの試合は4対4の引き分けで幕を下ろしたのだった。
◆
三度吹かれた主審の笛の音。試合終了のホイッスル。それを聞きピッチに立っている両チームの選手たちは次々とピッチに腰を下ろす。
皆、肩で大きく息をし疲労の極みと言ったところだ。たった一試合でこの疲れよう。次戦は大丈夫なのか。
そう鷲介が思ったその時、ぐらりと体が崩れる。倒れると思った鷲介は慌てて体勢を立て直すが、踏みしめた足がかすかに震えているのを見て、自身も限界ギリギリだったと気づく。
鷲介は周りと同じようにピッチに腰を下ろし、空を見上げて大きく息を吐き出す。
「勝てなかったか……」
スタジアムの歓声をぼんやりとした顔で聞きながら呟く。
思っていた通り楽な試合にはならなかった。ハーフタイム時の控室でもこのままカメルーンが終わるはずはないと思っていたが、それでも勝てるという思いがあった。
しかし結果は引き分け。これが直康やサミュエルが言っていた各国のW杯にかける執念によるものなのだろうか。
(最後のオーバーヘッドも、防がれるとは思ってなかったなぁ)
しかもよりにもよってジャックにである。鷲介が知る彼なら止められなかっただろう。
だが彼の伸ばした足は見事、オーバーヘッドシュートのコースを塞いでいた。同じクラブにいるが故の読みだろうか。
(いや、それだけじゃないな)
鷲介は顔を上げてカメルーンゴール前を見る。そこではいち早く立ち上がったジャックが仲間たちに声をかけたり手を差し伸べたりして立ち上がらせている。
今日の試合でジャックは選手として大きく成長した。終盤、カメルーンの守備を統率していたのは彼だ。
今のジャックなら、ジェフリーからポジションを奪ってもおかしくない。そう思わせるだけの動きを見せていた。
一試合でこれだ。W杯が終われば一体どれだけ成長しているのだろう。そう鷲介が思っていると、
「鷲介、立てるか」
声を駆けられ上を見ると、いつの間にかジャックが近くにいた。
何も言わなければ手を差し伸べそうな彼を見て鷲介はゆっくりと立ち上がる。クラブでならともかく今死闘を繰り広げた相手だ。試合が終わったとはいえ弱みは見せたくない。
「大丈夫だ。少し疲れただけだからな。あと十分は走れるぞ」
「疲れ切った顔をしているのに説得力がないな」
「それはお前もだろ。すっかり痩せこけて、試合前とは別人だ」
「その原因のお前に言われたくない」
お互い軽口を叩き、同時に苦笑する。
そしてジャックは真顔となり、軽く頭を下げる。
「ミラの奴がすまなかったな」
「気にしてないとは言わない。ただあのシーンであのファウルをするのは理解できる。あれがなければ俺たちが勝っていたからな」
そう言って鷲介はカメルーンベンチに目を向ける。
ベンチ前にいるミラは号泣しながらサブメンバーに肩を抱かれている。
しかし不思議と恥ずかしいという思いは沸いてこない。それは彼が今日の試合、死力を尽くしてプレーしたことを鷲介も理解しているからだろう。
ジャックほどではないがミラも今日の試合では散々邪魔をしてくれた。前半の密着マークはもちろん、局所的ストーミングでも逆転した後の守備でもあらゆる場所に顔を出してこちらの邪魔をしてくれた。今日の試合の結果が引き分けとなった要因の一人と言ってもいいだろう。
「この借りは次、対戦した時に返してやるさ」
「それは向こうも同じだと思うぞ。多分今日以上に動き回って邪魔をしてくるだろうな。
それが代表戦ならいいんだけどな」
肩をすくめるジャックに鷲介は小さく笑う。
そして二人は何も言わず自然とユニフォームを抜いて交換した。
「こういうことは代表戦じゃないとできないからな」
「同じクラブ所属だもんな。移籍すればそうじゃないが俺は当分その気はないからな」
「俺もだ。今ならジェフリーさんにも負けない気がする」
胸を張って言うジャックの言葉を鷲介は否定しない。鷲介もその通りだと思っているからだ。
「ジャック、来季のRバイエルンのレギュラーになるためにも、この大会でもっともっと成長しろよ」
「それはお前もだろ。来季のレギュラーが確約されたわけじゃないんだからな。
お互いこの大会でもっともっと成長し、怪我無く終えて、ミュンヘンで再会しような」
「そうだな」
拳を軽く合わせ、一瞬名残惜しそうな顔を見せてジャックを立ち去っていく。
話したいことはたくさんあるような彼の表情。それは鷲介も同じだ。
だが今はお互い敵同士。笑いあって話すのはジャックが言った通り、ミュンヘンで再会した時だ。
仲間に声をかけている彼に背を向けて、鷲介も日本代表の面々の元へ歩いていくのだった。
◆
イタリアW杯 グループリーグA
第一試合 日本対カメルーン スコア 4-4
得点者 柳鷲介(日本 前半20分 アシスト 瀬川亮太)
柳鷲介(日本 前半29分 アシスト小野勝)
サミュエル・オリンガ(カメルーン 前半45分 アシスト アルベール・オレンベ)
鹿島勇司(日本 後半7分 アシスト 柳鷲介)
ジェイソン・ヌクル(カメルーン 後半15分 アシスト パトリック・ミラ)
サミュエル・オリンガ(カメルーン 後半21分)
サミュエル・オリンガ(カメルーン 後半28分)
柳鷲介(日本 後半47分)
マン・オブ・ザ・マッチ 柳鷲介(日本)
リーグ戦 24試合 18ゴール10アシスト
カップ戦 3試合 3ゴール4アシスト
CL 10試合 18ゴール4アシスト
代表戦(三年目)2試合 3ゴール1アシスト
W杯 1試合 3ゴール1アシスト




