イタリアW杯、グループリーグ第一戦。日本対カメルーン(4)
「お」
先にピッチに戻ってきていたカメルーンの選手たちを見て、久司は目を丸くする。
姿を見せた自分たち日本代表に気付いた彼らから向けられる眼差し、表情。それらが戦意と決意に満ちていたからだ。
(ハーフタイムで気合を入れ直したってところか。それとも何か策でもあるのかね)
心中で呟きながら久司は自分のポジションへ移動。主審の笛の音が響き、センターサークル内の勇司と鷲介がボールに触れると同時、前に走り出す。
勝を経由して下がるボール。それとカメルーン代表を見ながら、心中で呟く。
(3-5-2にシステムが変わっているな。それに他の選手たちも積極的に前に出ている)
左SBだったオーレリアがボランチの位置へ。左WGだったアンリが左SMFに下がってきている。
カメルーンのシステム変更自体にさほどの驚きはない。負けているチームが状況を変えるためによく打つ手の一つだからだ。
だが──
(勝負に動くには早すぎるぜ)
今の陣形は、久司としては初めて見る形。スタッフが入手したW杯予選や親善試合でも見たことはない。
しかしカメルーンイレブンの表情には力強さがある。つまりこれは何かしらの策を実行するということ。
この状況をひっくり返せる、彼らの切り札かもしれない。しかし試合はまだ半分も残っている。
それに攻撃に力を入れるということは守りが手薄になるということ。それによる生まれる隙を当然、久司や鷲介たちは見逃さない。
積極的に前に出るカメルーンイレブンを、日本代表はパス交換でかわす。そしてボールはセンターライン近くにいた久司の元へ。
前を向きドリブルを開始する久司の前にオーレリアが立ちはだかる。フェイントでかわそうとするが見事な反応を見せてこちらについてくる。
(ちっ)
心中で舌打ちしながら久司は再びドリブルを仕掛けるふりをして左サイドにパス。誰もいないところに向かったボールをかけ上がってきた中山が拾う。
相手が前に出始めたのと、3バックになったことでサイドの守りが手薄になったからだ。
カメルーン守備陣に即座に対応されないためか、中山は早々にゴール前にボールを上げる。弧を描きゴール前──GKと相手DFの間に飛んだボールに小清水が飛び込むが、ジャンの伸ばした足がボールを外へ蹴りだす。
弱い勢いで宙に浮くボール。それを勇司が拾い、反対側の右ハーフレーンにいる鷲介へパス。
ボールを受けた鷲介は前を向き、ゴールに迫る。彼の前には鷲介の同僚であるジャックが立ちはだかる。
同僚、そしてRバイエルンユースの黄金世代同士の対決は予想通り一瞬で鷲介が彼をかわしての決着だ。
左──センターレーンに突撃する鷲介。しかしその前を飛び出して来たサロモンが塞ぐ。
(悪くないタイミングだ。だがあれでは)
無理だと久司が心中で呟くのと同時、鷲介は左へパス。
少しマイナス気味のそのボールを勇司がダイレクトシュート。ボールはジェイソンが伸ばした足のつま先をかすめるも、見事無人のカメルーンゴールに突き刺さった。
後半7分、大歓声のスタジアムの電光掲示板に新たなスコア、3-1が表示される。
「ナイスゴールです勇司さん」
「そっちこそナイスアシストだ。サロモンに止められるかと思ったが足を止めず近づいてきて正解だったな」
「いいタイミングの飛び出しではありましたけど、あれでは俺からボールを奪えませんよ」
肩を組んで喜び合う二人。そこに久司も加わろうとしたその時、足を止める。
「──」
久司の足を止めた、カメルーンイレブン。
皆、後半開始直後の失点にショックは受けている。だがそれ以上に覚悟が決まったような顔をしている。
追い込まれた獣。手負いの獅子。そう例えられるような雰囲気がカメルーンイレブンから発せられていた。
(いや、それだけじゃない)
鷲介たちに言葉をかけて自陣に戻る中、彼らの浮かべた表情に既視感を覚える。そっくりではないが似たようなものをここ最近、見たことがある気がするのだ。
(……そうだ! 今季のスペインリーグ最終節の対戦相手だ)
最終節を迎えて2位、首位のRマドリーと勝ち点差2だったバルセロナR。
優勝するためには勝利必須であり、相手は負ければ降格が決まってしまうクラブ。半世紀近く前は1部の強豪だったが、様々な理由で落ちぶれた古豪のクラブ。
試合は結果的に勝利した──優勝も逃した──が、その内容はイエローカードが乱れ飛び、お互いのチームは負傷退場者が一人ずつ出るなど、凄絶だった。
そのクラブの選手とカメルーンイレブンの表情が、似ているのだ。
「勝さん」
「わかってる。ここからはより集中が必要だ」
カメルーンのキックオフで再開される試合。失点したあとカメルーンに何か変化が起こると思ったが特に何もない。
システムは3-5-2のまま。前掛かりなのも。3バックの横、サイドががら空きなのも。
(何を狙っているか知らないが、それを実行される前に決着をつけさせてもらうぜ)
ミラの突撃を瀬川とのワンツーでかわして前に出る久司。そして前半とは打って変わって隙だらけのカメルーン陣内を見てパスを放つ。
後半早々点が取れたのは相手が前掛かりになり3バックにしたのも一因だが、最大の理由は鷲介が自由になっていることだ。
警戒していないわけではない。だが前半のように誰かが密着マークなどはしていないし、彼への警戒も他のメンバーに向けているそれと大差ないように思える。
となれば、日本が鷲介にボールを集めるのも、鷲介が自由に動き回るのも必然の流れ。
カメルーンの激しいチェックやプレスを潜り抜けた勝が、カウンター気味のパスを放つ。それを受け取った鷲介が前を向き、カメルーンゴールへ突撃する。
スタジアムに轟く大歓声。鷲介と共にカメルーンゴールに突撃する小清水。相対するカメルーンイレブンはジャンとジャック。
鷲介たちの動きに合わせて下がり続けているジャック達。しかしペナルティアークのすぐそばまで鷲介が近づいた時、ジャックが動く。
右に切れ込もうとした鷲介に反応するジャック。しかし鷲介はダブルタッチで自分の前を塞いだ彼の左へ転身。
それを見て決まったと久司が思ったその時だ、驚くべき光景が目に入った。
「!?」
鷲介がボールを奪われたのだ。そして奪った相手はジャンではない。突破されたばかりのジャックだ。
飛び出してきたGKのサロモンが前を塞ぐことで鷲介は急減速。その一瞬のスキをついてジャックが鷲介からボール奪取した。
だが、それで終わりではない。
「な……!」
驚愕は続く。ボールを奪ったジャックはすぐ前にパス。それをピッチに飛び出したサロモンが足元に収め、フィールドプレイヤーのようにドリブルを開始。
ミドルサードまで来たら、彼は大きくロングキックを放つ。
久司は驚きながらボールの行く先へ顔を向ける。蹴られたボールが飛んだのは日本陣内の右サイド。
そのボールをサミュエルが田仲に競り勝つ。ボールを拾ったアンリがドリブルを開始するが背後から迫っていた瀬川が足を伸ばしてボールを弾く。
転がるボールに駆け寄る秋葉。クリアーするためボールを蹴るが、それをエヨングの飛び蹴りが阻害。転がったボールは再びカメルーンボールとなる。
(何だこの状況は……!?)
自陣に戻り守備をしながら久司は思う。
田仲たち日本のDFたちは奪取したボールを味方に繋ぎカウンター返しをしようとするのだが、それをさせまいとサミュエル達が猛然とプレスをかけている。
そしてカメルーンはボールを奪うやそこにいる面々が一斉に右サイドから攻めようとする。全く意味が分からない。
右サイドには田中をはじめ秋葉や瀬川、井口が集まって守備を形成している。となれば必然的に両チームの選手が激突し、ボールの奪い合いが起きる。
それが久司には全く理解不能なことだ。今現在日本代表の左サイドは中山だけしかいない。カメルーンとしてはボールを奪った次の瞬間、誰か一人でも左サイドに向かわせその選手にパスを出せば絶好のチャンスができるのに。
だというのにサミュエル達は左サイドに固まり、愚直にそこから攻めている。一体どういうことなのか──
心中で首を傾げながら右サイド──アタッキングサード近くのミドルサードへ接近する久司。するとちょうど久司の近くにいたミラの元へボールがやってくる。
チャンスと心の中で呟きミラの足元へ足を伸ばす。しかしそれより一瞬速く、ミラはパスを出した。
「え?」
てっきり瀬川を背負いながらボール要求するサミュエルに出すと思っていたパス。しかしボールは久司の右。日本の左サイドへ飛んだ。
そちらにふり向き、目を見開く。ボールが飛んだ左のハーフレーン。そこには今は誰もない。先程までいた中山はいつの間にかセンターレーンへ移動している。
そしてそこに落ちようとするボールに駆け寄る選手の姿を見て、久司は叫んだ。
「ジェイソンだと!?」
ボールをトラップしてボールを前に出し、さらに日本ゴールに近づくジェイソン。彼に小清水が近づいているがあまりにも遅い。
右に寄っていた川上が慌てて左に駆け寄るが、手遅れだった。ジェイソンはペナルティエリアに入った次の瞬間、シュートを放つ。
必死に手を伸ばす川上だが届かず、ジェイソンが放ったシュートは見事日本ゴール左に突き刺さった。
「く……!」
3-1から3-2に切り替わった電光掲示板にカメルーンサポーターから沸く歓喜の声を聞きながら、久司は歯噛みする。
カメルーンイレブンはジェイソンに駆け寄っては次々と抱き着くが、すぐに自陣に向けて走っていく。
「右サイドに攻撃を集中させて田仲さんたち守備陣の意識をくぎ付けにしたところで、ガラ空きの左サイドへのパス。
そのパスは田仲さんたちの意識外だったSBのジェイソン……」
自分と同じく戻ってきた鷲介が驚きと困惑の声で言う。どうやら久司と同じ気持ちのようだ。
「ジェイソンのオーバーラップは偶然じゃねぇ。間違いなく狙ったものだ」
「ああ。だが何故ああも完璧に合ったのかがわからない。それにあんな攻撃、W杯の予選や親善試合でも見たことがない」
「けど完全なアドリブってわけじゃねぇだろ。試合前の極秘練習でやったのか、それとも……」
「それにさっきの右サイドへの攻撃も不可解だ。ジェイソンに気を取られないようにするためだけにしては人数をかけすぎている」
身を翻し、ゆっくりと歩きながら久司と鷲介は話す。
早口で話す二人だが結論は出ないまま離れ、試合が再開される。
1点差となったことで日本代表は全体的に少し下がるよう監督から指示が来る。一方のカメルーン代表は得点の勢いのまま前掛かりとなる。
中盤五人とFW二人による連動したプレス。日本はかわそうとするがカメルーンイレブンは後先考えないような激しい運動量でボールを追い続け日本のパスコースを潰す。
やむなく川上へボールを戻しロングキックを放つが、ジャックやジャンが勇司や鷲介に競り勝ってはボールをすぐ前へ出し、またしても右サイドに人を集めて攻めてくる。
(さっきと同じ後方からのオーバーラップによるゴールを狙ってるのかよ。だがそれは無駄だぜ……!)
その理由は前線に残った小清水と鷲介だ。先程ジェイソンがオーバーラップできた最大の理由は鷲介も含めた全員が日本陣内に戻っていたからだ。
同じ轍を踏まないため、カメルーンの攻撃になった時、最低でも鷲介一人だけは残るよう先程言っていたのだ。彼が前線に残ることが、後方のDFたちの攻撃参加を防ぐことになると。
「こっちだミラ!」
「アルベール、左へ!」
「ミラ、右後ろへ!」
「アンリが右にいるぞ!」
「ミラ、サミュエルへ出せ!」
「エヨングのサポートをしろ、ミラ!」
「アルベール、ミラと共に挟み込め!」
怒鳴りつけるような勢いのカメルーンイレブンのティーチング。激しいそれと同じように不屈のライオンたちはピッチを駆ける。
だが二度目ともなると秋葉達もそれに順応、対応してくる。サミュエルの飛び出しを邪魔し、マイクのパスをカット。アルベールのドリブルを止め、エヨングのトリッキーな動きにも惑わされない。相手のプレスもダイレクトパスでかわし、ボールは徐々に前へ。
そして自陣のセンターサークルのラインにいた久司の元へ転がってくるボール。久司は首振りをした直後、それに駆け寄り前を振り向くと同時にパスを出す。
「行け、鷲介!」
カメルーン陣内の左ハーフレーンに飛ぶ久司のパス。小清水と共に残っていた鷲介は右に行くようなフェイントをした直後、斜め左へダイアゴナルラン。
小清水を追い越すように飛び出し、カメルーンのアタッキングサードのすぐ近くでボールを収め、相手ゴールに迫る。
(もらった……!)
鷲介の動きに唯一反応していたのは彼のチームメイトのジャックだけだ。
優秀なDFであることは久司も認める。だが彼一人では鷲介を止められないのは前半で証明されている。
ジャックの心を折ってやれと久司が思うと同時、鷲介がジャックを抜くべく動く。その動きにジャックは反応するもやはりわずかに遅い。
突破できる。そう久司が確信し、鷲介がジャックを抜き去った次の瞬間だ。サロモンが飛び出してきて鷲介の足元からボールを攫っていった。
◆
(なんだと……!?)
先程と同じくサロモンの背中を見て、鷲介は心中で驚きの声を上げる。
またしても彼にボールを奪われた。それが先程の失点シーンのきっかけとなったので鷲介はジャックと対峙しながらサロモンの動きにも気を配っていた。
目を離したのはジャックを突破する一瞬。だというのに彼は驚くべき速さで接近しボールを奪取した。まるで鷲介の行動がわかっていたかのような動きと反応速度。
(誘われていた? だとしても何故こうもあっさりボールを奪われる……!?)
混乱する鷲介だがゲームは続く。さっきと同じくペナルティエリアを飛び出したサロモンは日本陣内の右サイドへロングキック。ボールを巡り激しく争う両チーム。
試合の最中も考えていたが、これも理解できない。なぜ田中達DFたちが集まっているサイドにパスを出すのか。そしてそこに選手を集めているのか。
(これはまるでサッカーを覚えたての子供たちがボールに群がるワーワーサッカーだ。どうしてこんなサッカーをカメルーンはしているんだ)
ハーフェーライン上にいながら鷲介が思ったその時だ、ボールは下がり目の位置にいたマイクの元へ。
マイク・ウォメ。イタリアリーグ、アクイロット・ラツィオに所属する選手であり、クラブの司令塔を務める。
しかし代表が現在の戦術──堅守からのカウンターサッカーになってからは中盤をすっ飛ばす機会が多いため、クラブほどの活躍は見せていない。
今日の試合も目立つことなく、黒子のような動きで味方のフォローやサポートをするだけだった。
しかし何故か、今彼がボールを収めた姿を見て、鷲介はぞっとした。
理屈ではない。本能が危険だと感じたのだ。
「パスを」
出させるなと続けるより早く、マイクはボールを蹴った。
両チームの選手が入り乱れる右サイドを凄まじい速さと精度で通過するパス。それにアンリが飛び出しサイドラインぎりぎりでボールを収め、突き進む。
すぐさま田仲が寄っていくがアンリは止まらず爆走。田仲が前を塞ぐより早くコーナーのすぐそばまで駆け寄ると、センタリングを上げる。
鷲介はもちろんピッチ上の選手とスタジアム内にいる観客全てがその先を視線で追う。飛んだボールはペナルティエリアに侵入していたサミュエルの元へ。
「おおおおっ!」
マイナス気味のクロスボールに体をぶつけるようなヘディングを放つサミュエル。だが間一髪、鬼気迫る表情の秋葉が前を塞ぎ体でそれを止める。
次にボールに駆け寄るのはエヨングだ。ゴールまで2、3メートルと言う至近距離。しかし彼がボールを拾ったところには中山が立ちはだかっている。
反転するエヨング。パスを出すかと思ったが彼は何とパスを出すふりをしてヒールショットを放った。
エヨングのフェイクの動きにつられた中山が開けたスペースを転がるボール。ゴール右隅にボールは向かうが、川上の伸ばした手がボールを外へ弾く。
ゴール横に転がるボールに中山が駆け寄りクリアーしようとする。だが彼がサイドに蹴ったボールにアルベールがジャンプして足を伸ばしボールを中へ折り返す。
ペナルティエリアを浮くボール。それを瀬川が足を伸ばし蹴りだした直後だ。ボールの飛んだ先に、ミラが姿を見せる。
「ミラ!?」
瀬川のクリアボールを顔面で跳ね返すミラ。そのボールはピッチに落ちて転がり最後はサミュエルの足元へ。
サミュエルは躊躇することなく右へ振り向きシュートを放つ。そのシュートに対し井口が体を張る。
だが井口の体に当たり跳ね返ったボールは斜め左へ移動。シュートを防ぐべく動いていた川上の右を通過し、ゴールラインを割った。割ってしまった。
「……!」
戦術も技術もない、力技で強引。しかしゴールはゴールだ。
今日の試合で一番の大歓声がスタジアムを包み込む。カメルーンサポーターや選手はもちろん、スタッフやベンチメンバー、監督の喜びようも凄まじい。
電光掲示板に3-3と言う得点と、スコアラーであるサミュエルの名前が表示されるのを、鷲介は唖然とした顔で見つめるのだった。
◆
「嘘でしょー!?」
周囲に響くイザベラの声。他の面々からもそれに似た驚きや叫び声が次々と上がる。
「3-3……」
「しかもまだ時間は20分以上ある。この勢いを持続させれば逆転される可能性もあるね……」
顔面蒼白となる由綺に渋面のグスタフ。
一方修一は驚きつつも先程注文したコーヒーを口に運ぶ。カフェインと絶妙な苦みを感じながらカップを置き、言う。
「見事賭けに勝ったなぁカメルーンは。とはいえこのまま一気に逆転とはいかないだろうからどうなるかはまだわからないが」
「どういうこと、兄さん」
「賭けって何よ」
「カメルーンの無茶苦茶な戦い方には、何か理由があったんですか」
グイっと体を近づけてくる三人。
「由綺たちはともかくグスタフも気づかなかったのか……。
まぁいい。今言った通りカメルーンは後半賭けに出て、それに勝った。
完全勝利とはいかないギリギリの、辛勝だけどな」
「賭けって、カメルーンは何をしていたんですか」
「端的に言うならストーミング。それも日本の右サイド限定でだ」
「ストーミング……。……! まさか、そういうことですか」
「グスタフはわかったの? なら教えなさいよ」
TV画面でリプレイされている同点シーンが目に入ったのか、やや不機嫌そうにイザベラは言う。
「ストーミングとは自チームの陣形が壊れるほどに激しいプレッシングを仕掛け、それ以上に相手を破壊する。
相手の陣形も戦術も破壊する。いわばカオスをもたらす戦術なんだ。
カウンター戦術を主とする、アンリやアルベールなど足の速い選手を多く要するカメルーンには合っている戦術。
でも相当な運動量と練度、戦術理解度が求められ代表戦で行うのは極めて難しい。
──だからカメルーンは日本の右サイドに限定したストーミングを行った。そして行う際のルールもたった三つと少ないから実行も簡単なんだ」
視線を向けてくるイザベラと由綺に対し、グスタフは人差し指、中指、薬指を立てる。
そして一本ずつ折り曲げながら説明する。
「ルールは”日本の右サイドのみでハイプレスを行うこと”、”相手がプレスをかわす、テンポよくパスを出させないため捨て身のようなプレスをすること”、”ミラを誰よりも走らせること”の三つ。
まず最初のルール、”日本の右サイドのみでハイプレスを行うこと”はプレーエリアを限定することでカメルーン選手たちの消耗を極力少なくし、ボールを奪取した直後に大人数で一気に相手ゴールに迫るため。
まぁこれは半分成功半分失敗だね。スタミナ消費は抑えられたが日本の守備陣が奮戦したからこれによるゴールは生まれなかった。
次のルール”相手がテンポよくパスを出させないため捨て身のようなプレスをすること”。これはカメルーンのストーミングをパス回しで破壊されないためだね。
激しいハイプレスをしていてもそれをかわされるパス回しをされればプレス自体の意味がなくなるから。
これは概ね成功だよ。カメルーンが上手くやれていなかった最初と日本が慣れてきた最後当たりはチャンスを作られたけど、それ以外はミラを中心とした捨て身のようなプレスに日本は大いに押されて効果的なカウンターパスを殆ど入れられなかったからね。
そして三つ目の”ミラを誰よりも走らせること”。実はこれが作戦の肝ともいえる。
あの作戦中、誰よりも右サイドで走りまわりあらゆるプレーに関与していたのはミラなんだ。彼は持ち前の身体能力を十全に発揮して攻守にわたり、全開で動いていた。
元々ミラ選手は延長を含めたフルタイム120分、全速力で走り回れると言われるほどの常軌を逸したスタミナを持つことで有名だからね。
自身のプレスはもちろん、他選手が動くことで抜けた穴のカバーやフォロー、攻撃にも動いていた。
彼の常軌を逸した走りがあったからこそ。この作戦は成功したと言っても過言ではない」
立て板に水がごとく話すグスタフ。
理解しきれないのか由綺とイザベラはしばし首を傾げ、沈黙する。
「……カメルーンの戦い方はわかったけど、肝心のどうして日本が失点したかがわからないわ。どうして追いつかれたの?」
「2点目は右サイドに集中することで左サイドに気を回させないようにし、後方から上がってくる味方への警戒を弱めた結果だ。
そして3点目、同点弾だが、あの時すでに日本の陣形はカメルーンのプレスで破壊されていた。その結果だ」
「破壊って、失点時は確かに乱れていたけど破壊と言うほどじゃなかったと思うけど」
「形だけだ。それにストーミングをコントロールしていたマイクにとってはそれで十分だったのだろうよ」
「マイク……マイク・ウォメ選手?」
妹の声に修一は頷く。
「彼はパスでチャンスを生み、味方へゴールを供給する典型的な司令塔。
そのため堅守速攻のカウンターのカメルーン代表ではそこまで目立たない選手だが、十代から代表のレギュラーとして活躍し限定的ストーミングを行っているAラツィオでプレーする彼だからこそカオスを操るものとして抜擢されたんだろうな」
現在29歳、ベテランと言われ始める年齢のマイク。
しかしそれまでクラブでもカメルーン代表でも中核であり、世界のトップリーグで活躍することで得た膨大な経験。
それが彼の司令塔、味方を指揮し操る能力を高めていた。
「実際後半、他の選手と違いマイク選手はあまり動かず味方へのコーチングに徹していたよ。
まぁ今になって気づいたのはハイプレスをしていると思わせるには十分な動きをしていたからだろうね」
ミラや他の面々に比べればと言う話なだけあって、彼のハイプレスもその名に恥じないぐらいの迫力や運動量はあった。
スタミナを大きく消耗するそれを続けられたのもベテラン特有の経験値を基にした極力無駄が省かれた、味のある動きだったからだ。
「まだ疑問はあるよ兄さん。どうして日本がカメルーンのストーミングに付き合ったのかもわからない」
もっともな指摘だと修一は思う。
そもそも修一でもカメルーンがストーミングを仕掛けてきていることには気づいた。となれば直接戦っている選手たちが気付かないはずはない。
にも拘らず真っ向からカメルーンと相対したのは、
「理由は多分二つ。一つはカメルーン、いやマイクの上手さと日本の驕りだな。
カメルーンのハイプレスをコントロールするマイクだが、常にプレスを全開にしている訳じゃない。時折プレスを弱め、相手がボールを前に出させるような隙も作っていた。
これは味方を休ませる意味と、日本が武器とする正確なパス回しをさせることで日本の攻撃を誘発し、さらにストーミングから逃げられないようにしたんだろう」
現在の日本代表の長所の一つが正確なパス回しだ。小野や中神はもちろん各ポジションにはパス能力に長けた選手が多い。
そのため試合ではなるべくボールキープしようとしているのか、クリアーしようという場面がなかなかない。
何度か川上にまでボールを戻してのロングキックもあったが、あれはクリアーではなく明確に鷲介たちを狙ったボールだった。
パスを繋ぐこと、攻撃へのこだわり。そこを突かれたのだ。
「そもそもだ。ストーミングから逃げる方法はカメルーンが生み出すカオスから逃げればいい、または発生させないことだ。
これは俺が思いつく一例だが、カメルーンに仕掛けられたストーミング自体に付き合わず、鷲介を含めた味方全員を自陣に戻してのパス交換。
これならカメルーンのプレスを回避しながらボールを少しずつ前に移動できるし、日本がピッチ全体を使用するので局所的なストーミング自体作れない。
またそれによりカメルーンがプレスでボールを奪ったとしても日本陣内にすぐ攻撃することはできない。
すぐさま傍にいる日本代表イレブンが守備ブロックを形成しており、またボール奪取に襲い掛かるからだ」
昔と違い今の日本代表の面々はカメルーン相手でも一対一で後れを取るようなことはないし、何より味方のフォローに関してはカメルーンより日本がずっと先に行っている。
献身的、組織的な動きだけならば日本はW杯に初出場した時から世界と互角以上に渡り合えている。それはサッカーはチームプレーと言う考えが根底にあるからだ。
「2点目を奪われたときに日本はそうすれば同点に追いつかれるどころかさらに突き放していた可能性が高い。
ボールを奪還しての即カウンターで鷲介を馬車馬の如く走らせるという単純だが効果的な手段があるのだから。
ま、一人でカウンター要因となる鷲介は大変だろうが」
何せたった一人でボールを収め、さらに相手ゴールまで突き進まなければならないのだ。カウンターのたび自陣に残っているカメルーンのDF2、3人を突破しなければならない。
今の鷲介なら可能だろうが、それでも相当な体力を消耗するだろう。
「しかしそれをしなかった、カメルーンのストーミングに真っ向から相対したもう一つの理由は日本代表全体を不安にさせないためだ」
「不安?」
「現在の日本代表の最大の長所は鷲介を頂点とした攻撃陣だ。しかし反面、守備力の方は攻撃陣と比べたらやや劣る」
現在の日本代表が史上最強と言われている理由の一つは鷲介を筆頭にした攻撃陣の存在だ。
鷲介は言わずもがな、鹿島や堂本は二期連続リーグで二桁得点とチーム得点王となっており、小清水はアシストが二桁、桑野も今季は二桁得点している。
唯一二部所属の柿崎だが彼は二部とはいえ最後の最後まで得点王争いをしており、その実力は一部でも十分通用するとまで言われている。
「それでもあえてヨアヒム監督が攻撃サッカーをしているのは失点以上に得点を取るためだろう。
だがそれでも後ろ──守備が不安定では鷲介たち攻撃陣も安心して前に行けない。田仲達DFたちは彼らが安心するだけの守備をする必要がある。
だから日本代表の面々はカメルーン相手に引くことができなかった。もしこれが同点、またはリードされている状況だったらわからなかったが日本はリードしていたし何より今日の試合でカメルーンは強いが、自分たちより弱いと思っていたんだろう。
相手の攻撃陣は強力だが自分たちが頑張れば何とか凌げる。実際前半はそれができていたからな。だから逃げに徹せずカメルーンと正面衝突することとなった」
田仲達の誤算はカメルーンが局地的ストーミングを仕掛けてきたこと、サミュエル達FWに注視しすぎたことだ。改めて言うまでもないがカメルーンの3トップも日本と同等の破壊力を持つ。
エースであるサミュエルは今季リーグ戦では30ゴールをあげて得点王ランキング2位、アンリもフランスリーグで3位。エヨングは11ゴールと少ないがアシストは13と大きくチームの得点に関与している。
ストーミング中彼らは自分でゴールを取る動きではなく上がってきたミラたち中盤の選手をフォローする動きなど、チームで得点を取る動きをしていた。
その為彼らにを注視していた日本の守備陣はその動きに惑わされ徐々に守備陣に穴を開けてしまったのだ。
「と、まぁいろいろ理屈は思いつくが日本がカメルーンに対し引かなかったのは、もしかしたら単純な理由かもな」
「単純な理由?」
「相手に怖気づくような姿を見せたくなかった。正面から叩き潰したかった。そんな単純で感情的な理由だ」
そんな理由と言われるかもしれないが、それで動くことは十分にありうることだ。
日本がW杯に出場してはや数十年、その間日本はW杯では幾度も決勝トーナメントに出場し、また選手個人でも世界のサッカーファンを沸かせた。
そんな日本代表の中で、史上最強と言われる現日本代表。世界と対等以上にやりあえる、小細工を用いずとも真正面から戦えるいう自負が芽生えても不思議ではない。
「それにカメルーンが賭けに出なければ実際、日本はカメルーンを叩き潰せていた。ゴールは奪われていただろうがそれ以上に日本がカメルーンから得点していただろう」
修一としてもに日本の勢いは想像以上だった。アフリカ王者であるカメルーンを真っ向勝負で圧倒しているのだから。
その中核は当然、鷲介だ。CLを制覇したことで完全に覚醒したのか、今や彼はあのヨハンと並ぶ世界最高峰のドリブラーでありストライカーと言っても過言ではないだろう。
まだ19歳の──今年で20歳となる──彼。このままキャリアを積めば間違いなく世界のサッカー史に刻まれるレジェンドとなるだろう。
「さてそろそろ喋るのはやめてテレビに目を向けるか。
……お、日本、カメルーン共に選手交代だな」
「日本は鹿島選手と小清水選手に変わって堂本選手、柿崎選手が投入」
「それと陣形が、変わった?」
「へぇ……。これはこれは」
イザベラの言葉通り、TV画面に表示されるピッチの全体図。
それに表示される日本代表の布陣の変化。それを見て修一はうっすらを笑みを浮かべるのだった。
リーグ戦 24試合 18ゴール10アシスト
カップ戦 3試合 3ゴール4アシスト
CL 10試合 18ゴール4アシスト
代表戦(三年目)2試合 3ゴール1アシスト




