U-17準々決勝,イタリア戦1
車を運転しながらジークフリートは花の都パリの優雅な街並みがかすかな茜色に染まっているのを見る。
現在、夕方六時過ぎ。鷲介の試合が始まるまであと一時間ちょっとと言ったところだ。
「なぁアントニオ、いい加減待ち合わせている奴がだれなのか、教えてくれよ」
そう言うのは後部座席に座っているブルーノだ。そして問われたブルーノの隣に座っている禿頭のチームメイトは「会った時のお楽しみだ」と返している。
ジークフリートたちがなぜ今日、ここに来ているのか。まずジークフリートは今日この日、特に用事がなくまたU-17の日本とイタリアの試合が重なったため、チームメイトでありチームの末弟的立場にある鷲介の様子を見ようと思いやってきたのだ。
ブルーノは先日のリーグ戦が終わった後、シャワールームで観戦することを話すと「なら俺も一緒に激励に行ってやろう」などと、のたまいついてきた。アントニオはかつてのチームメイトが観戦すると言う事だったので同行したのだった。
「ジーク、アントニオが言うチームメイトって誰だと思うよ。アシオンか、やっぱりユヴェントゥースのどちらかだよな」
アシオンとはスペインリーグの”三強”と称されるチームの一つだ。正式名称はアシオン・マドリー。長年同じ”三強”であるレイ・マドリー、バルセロナ・リベルタと共にスペインリーグ、CLと共に激闘を繰り広げている欧州トップクラスのクラブだ。
故郷のブラジルでプロデビューしたアントニオは若いころから将来のブラジル代表の中核をなすと嘱望されており、その実力と将来性を最初に買ったのがアビアシオンだ。
19歳の時に移籍し三年間所属しそれからユヴェントゥースへ移籍。前半戦は着実な結果を出すが前半戦終了間際、監督が病に倒れそのまま辞任。赴任した新監督とは合わず後半戦は出番が激変。それに腹を立てた彼はちょうど当時オファーを送っていたロート・バイエルンへ移籍。そして現在に至る。
「ブラジル時代の友人の可能性もあるんじゃなか? ってこの話何度目だよ。あと少しで試合会場につくしそこで合流するんですから我慢しろよ……」
「でもよぉ、ユヴェントゥースならともかくアシオンだったらちょっとなぁ。あのチームには俺の天敵がいるってのは知ってるだろ」
「じゃあそうじゃないことを祈っておけよ。──と、見えてきたか」
左折すると眼前に試合会場であるフルール・サンジェルマンのサッカースタジアムが見えてくる。昨年はCLの予選で来て見たので間違いはない。
駅から借りたレンタカーを誘導員の指示に従って移動し駐車する。駐車場はほとんど埋まっており道を歩いている人の姿も多い。U-17とはいえ準々決勝ともなるとさすがに見に来ている人もそれなりにいるようだ。
待ち合わせの場所へ案内するアントニオについていくことしばし、スタジアムの中に入り一階の階段前でアントニオは足を止める。
「いましたよ。彼らです」
「あのサングラスをかけた怪しい三人組か」
「ブルーノ、それ思いっきりブーメランだって」
そう言いながらジークフリートはかけているサングラスを指でつつく。ジークフリートたちと同じサングラスをかけた三人組の男は一回の階段横にある壁に背を預けながらスマホをいじっている。
(……ん? あの人どこかで見たような)
ジークフリートが気になったのは三人組の右にいる男性だ。マフラーで首を覆っている青みがかった黒髪を白と黒のリボンでまとめている。リボンでまとめられたそれはさながら馬の尻尾のようだ。
「マルコス!」
「……! トニー! おお、トニー! 久しぶりだわが友よ!」
アントニオがそう呼ぶと三人組の真ん中にいる男性が笑顔を浮かべる。長いちぢれ毛を左右に分けた男性だ。
そして両手を広げてアントニオに近づき、またアントニオも笑顔で彼を抱きしめる。それを見てジークフリートは彼が誰であるかに気づき、そして気になった男性が誰だったのかを思い出す。
「こうして会うのは昨年のW杯以来かな」
「ああ、そうだな。久しぶりだなバッジョ」
尻尾を揺らして近づいてきた彼にジークフリートが小声で言うと、彼は笑みを浮かべてはわずかにサングラスを傾ける。
やはり──ジークフリートが思った通りの人物だった。青みがかった黒髪と同じ色の瞳、そしてリボンでまとめられた尻尾のような黒髪。
サッカー界広しといえどもそのような人物はただ一人──アレッサンドロ・バッジョだけだ。ユヴェントゥース、そしてアズーリの10番であり当代最高のファンタジスタと讃えられる天才プレイヤーだ。
そしてアントニオと再会を喜んでいる彼はバッジョと同じユヴェントゥースに所属するブラジル代表のマルコス・アレイショ・ロチャ。アントニオの親友だ。
「再会の喜びは結構だが注目を集めている。周りから俺たちの素性が知られないうちにさっさと観客席に行くぞ」
ポルトガル語で会話をする二人を見ていると左にいた三人目──長身の金髪の男性が言う。
巌のような頑強な圧と雰囲気を放っている彼。バッジョとマルコス──ユヴェントゥースの面子と共にいるというのはもしかしたら。そう思ったジークフリートの横でブルーノが声を上げる。
「あんたもしかしてバレージかむぐっ!」
「そうだ。久しいなレブロン、ブラント、マルケス」
ブルーノの口を手でふさぎ硬い声音で返してくる金髪の男性はロベルト・バレージ。バッジョと同じくユヴェントゥースの顔の一人でイタリア代表。
そしてレヴィアー・ドルトムントのポウルセンと同じく世界最高のDFとして評されている男だ。
ともあれ彼の提案通り自分たちの素性がばれないうちにさっさと観客席へ移動する。移動する最中、試合前だと言うのに盛り上がっているイタリアサポーターの姿がちらほら目に入る。U-17の主力であるマリオたちの名前を連呼している人の姿もある。
「やれやれ、当然と言えば当然だがほとんどがイタリアの応援をしているな」
席につき嘆息するブルーノ。彼の言うとおりイタリアサポータはもちろん、フランス人と思わしき人たちもイタリアへ声援を送っている。
一方の日本には見える限りでは日本サポーターしか応援の声を向けていない。というより場の雰囲気的に日本人しか上げられないような空気さえ漂っている感じがする。
「当たり前だろう。未来のアズーリで10番を背負うであろう男が出る試合だ。フランス人でもサッカー好きならば欧州のライバルであり同胞を応援するのは当然だ。
なにより仮にとはいえマリオと同格とされている”ゾディアック”──シュウスケ・ヤナギとの対戦。盛り上がるのは、まぁしょうがあるまい」
そう言って面白くなさそうに鼻息を漏らすバレージ。
「”仮”ねぇ。バレージとしてはサルバトーレの奴が鷲介と同格ってのは気に入らないのか」
「当たり前だろう。マリオとあの小僧がひとくくりされること自体ふざけている。彼のプレイは見たがただ速いだけの小僧だ。マリオとは雲泥の差がある。
マリオと同格といえるのはブラジルのロナウド、ドイツのカール、アルゼンチンのミカエル、スペインのラウルぐらいだろう」
「そのヤナギはあのポウルセンを突破してRドルトムントの鉄壁から1G1Aを奪ったわけですが?」
「ふん、Rドルトムントの守備陣がどうした。俺たち──ユヴェントゥースに比べたら、どうということはない。
ポウルセンか。あの程度の若造に不覚を取るとは、奴も衰えたものだな。俺ならば何もさせはしない」
傲岸不遜、無礼千万と言うべきバレージの言葉にジークは多少いらっとくるものの反論はしない。そう言うだけの実力がユヴェントゥースと言うチームと彼自身にあるからだ。
「それに一試合だけだが日本の試合を見た。あの程度で準々決勝までたどり着くとは、よほど組み合わせに恵まれたのだろう。
それもシュウスケ・ヤナギ頼みのつまらんサッカーだ。あれではマリオ率いるU-17のアズーリのは到底太刀打ちできまい」
「おいおい。さすがに試合前にそう決めつけるのはどうかと思うぜ」
「そうですよバレージさん。何が起こるかわからないのがサッカーの楽しさであり怖さです。確かにマリオはずば抜けた才能と実力を持っていますけどヤナギくんもそうでしょう。
もしかしたら彼が一人でマリオたちイタリアのDFを突破する可能性だってないとは言い切れませんよ」
バレージの一方的な決めつけにブルーノ、そしてチームメイトであるマルコスが反論する。
しかし彼は全く気にした様子もなく、言う。
「見ていればわかる。今大会のアズーリの守備は俺から見ても素晴らしい。
今までアズーリの前に屈したチームのようにシュウスケ・ヤナギも日本も、何もできんさ」
「そうでしょうか。たしかに僕も選手としての実力は、マリオが上回っていると思いますが──」
さすがの物言いにジークフリートが口を開こうとしたとき、バッジョが穏やかな声で言う。
「この試合で彼がマリオを上回らないとも限らない。僕たちはよく知っているでしょう? マリオの──”ゾディアック”と呼ばれた少年たちの底知れ無さと、成長速度を。
それにサッカーは個人競技じゃない。周りの人間次第でどうにでもなりますよ。イタリアが負ける可能性だって、十分にあると思います」
「お前──」
「ま、ここで持論を展開していて結果が決まるわけでもなし。ゆっくりじっくりと観戦しましょう。若きアズーリと日本の試合を。チームメイトと、将来強力なライバルになるかもしれない彼を」
にこりと微笑むバッジョにバレージは面白くなそうな顔になるも、むっつりとして黙り込む。
うまい具合にまとめたバッジョへジークフリートは小さく頭を下げる。それに対し稀代のファンタジスタは女性ファンが見たら卒倒しそうなウインクを返してきた。
◆◆◆◆◆
「──皆さん、この試合は今までの試合とは違います」
いつになく緊張感が漂うロッカールームにて、今日のスタメンが書かれたホワイトボードを背にしながらミシェルが言う。
「改めて言いますが、相手のイタリアは今大会ナンバーワンの守備力を誇っており自他ともに認める大会の優勝候補です。ぶっちゃけますが実力的には今の日本よりも確実に上でしょう。
しかし強い=勝つとならないのがサッカー。サッカーは十一人でするチーム競技。よほどの実力差があるのならばともかく君たちとイタリアの間にそこまでの差はありませんし、君たちがチーム一丸ともなれば勝利することは十分に可能です」
いつもと変わらぬ微笑を浮かべて、監督は続ける。
「ですがそれ以上に、この試合に勝つことができれば君たちは勝利以上の物を手にすることができます。──それは君たちU-17日本代表が、世界の頂点を狙えるという確実な証明と世界の頂点を競うチームと戦い、勝利した経験です。
勝ち上がっていけばイタリアと同じく優勝候補とされたドイツ、アルゼンチン、スペインと必ずぶつかるでしょう。そして今日の試合で得た自信と経験はそこで大きな武器になることは間違いありません」
ゆっくり、長々と話す監督。だがそれにはメンバーへの鼓舞激励が確かに込められている。鷲介の胸にもじわり、と熱のようなものが感じられる。
「ですので、今日の試合は非常に重要です。皆さん、力の限りを出し切って勝ちましょう。そして観客に、世界に、U-17日本代表ここにありと、見せつけてやりましょう!」
『応っっ!!』
ポン、と軽く手を叩いた監督へ、メンバー全員が威勢のいい返事を返す。試合前の練習の時にあった優勝候補と戦う緊張と恐れが見事に吹き飛んでおり、メンバーのほぼ全員が近くにいるものに「やるぞ!」、「勝ってやろうぜ」と威勢のいい言葉をかけている。
「やるぜヤナ! 俺たちは勝つ! 勝つぞー!」
「おう。そうだな! 勝とう!」
皆の息を消沈させまいと鷲介も大きな声を出す。わざわざ監督が上げたテンションを落とすような愚行はしない。
「よし、それじゃあ行くぞ!」
宮野が張りのある声でいい、ロッカールームから出ていく。ピッチに入る前、並んだイタリアの選手たちの中でマリオがこちらに笑顔で手を振ってくるが無視し、ちらりと彼らを見る。
やはりと言うか今まで通りというべきか幾名かは鷲介へ視線を向けている。その中に見知った顔がいくつかあった。特に注力するのは二人。
アレッサンドロ・ヴィスコンティ。あどけない童顔な彼だが、U-17というカテゴリーでは有数の優れたDFだ。昨季、ユヴェントゥースユースにて対戦した手強いDFで、現在はマリオやヴィエリと同じくプロになっている。
もう一人バンダナを巻いている彼はディノ・マルディーニ。RNSミランユース出身、そしてトップチーム昇格を果たした、鷲介が知る同年代のGKの中では一番といってもいい技量を持つ選手だ。彼もプロ選手でありすでに今季、何回も試合に出場している。また上のカテゴリーであるU-20代表も兼任しているうえフル代表候補にも選出されたことがある。今大会No1GKと言っても過言ではなく、このチームに置いてはマリオに継ぐ難敵と言っていい。
両チーム、共に気合いの篭った表情でフィールドへ。高らかに国歌を歌いあげコイントスを済ませると自陣へ散っていく。
「イタリアのシステムは今のところ4-4-2、か」
今のところ、というのはイタリアの陣形はマリオによって3-5-2、3-4-3と変化するのだ。そして陣形を変えるであろうマリオは今のところDFの位置にいる。
雲一つない、星が煌めく夜空に主審の笛が鳴り響く。U-17W杯準々決勝、日本対イタリアの試合が開始されたのだ。
ツートップの一角を張る15番ミルコとヴィエリのボールの接触で始まった試合。まずボールはゆっくりとイタリア陣内の奥へ回される。
全員がワンタッチでまわし、そして最後にマリオへパスが来る。笑顔の彼はそのボールに向けて右足を大きく振り上げ、振るう。
高く浮かび上がり、日本陣内へ飛んでいくボール。ペナルティアーク近くまで飛んだボールへジャンプするのはクリアーしようとするテツと、ヴィエリだ。
ボールへの反応が僅かに速かったためか、競り勝ったヴィエリが胸でトラップ。着地すると同時に右に反転して前を向くと右足を振り上げる。
彼のシュート──ペナルティエリア外とはいえ──に当然一番近くにいたテツが妨害に入る。体重を乗せたショルダーチャージ。しかしヴィエリも強靭なフィジカルの持ち主、Rバイエルンユース時代では幾度となくポストや潰れ役をこなし、そして今のようなシーンを鷲介の側で見せていた。
「宮野!」
鷲介が叫ぶと同時にヴィエリがシュートを放つ。ゴール左、枠内に飛んだボールはしっかり反応していた宮野が伸ばした左手で弾き、こぼれ球を大野が拾う。開始直後のイタリアのチャンスに観客席のイタリアサポーターから興奮の歓声が上がる。
(テツの当たりに耐えながらもシュートを打つか。やはり成長しているかヴィエリ)
鷲介が知るヴィエリならテツの当たりに耐えつつもシュートまで持っていくことは困難だったが見ての通りだ。2部とはいえリーグ戦に継続して出場している彼も着実に成長しているようだ。
「ふふふ、どうだい僕のパスは。上手くなっただろう?」
側に寄ってきて楽しそうに言うマリオを鷲介は無視し、ピッチに目を向ける。
拾ったボールを回す日本イレブン。しかしセンターサークルを超えた辺りでボールの展開が遅くなる。理由はイタリアの見事な守備だ。
今までの相手以上に前に出てくる上、パスコースやドリブルスペースを潰すのが上手い。しかも全員がまるで意志を統一しているかのように空いたパスコースやスペースを塞いでしまうのだ。
もちろん鷲介の目にはいくつかのコスやスペースが映っているが、指示を出す前にイタリアの面々が動いてしまうし、またマリオやヴィスコンティがコーチングをしてメンバーを動かしては封じてしまう。強引にパスを通したり志村などがドリブル突破を試みるが、さすが今大会No1の守備を誇るイタリア。的確なマークやインターセプトでボールを前へ運ぶことを許さない。
まさしくイタリア伝統の守備『カテナチオ』と体現しているかのような守備だ。
(流石にフルタイム持つとは思えないが……良くないな)
イタリアの守備に押されて日本全体が大きく下がり、また鷲介と細谷FW二人もイタリア陣内のセンターサークル近くまで後退してしまう。すでに試合開始して十分近く経つが、日本はボールキープする時間こそイタリアよりも長いが、未だイタリアゴール前にボールを運べていない。明らかにボールを持たされている状態だ。
「どうしたのかなー。全然鷲介にボールが来ないねー。このまま前半全く来ないなんてことはないよねー」
マンマークするマリオに「お前のせいだっつーの」と怒鳴り返してやりたい気持ちを押さえつつ、鷲介は動きながら首振りを続ける。そして数分後、ようやくイタリア陣内にできた綻びへ鷲介は手を上げて飛び込み、ボールを持っていたテツからのパスがそこへ通る。
「ようやく来たね!」
ペナルティアーク前に来たボールを胸トラップして落すと同時に鋭く右にターン、後ろにいたイタリアの選手を瞬時にかわすが、すぐにマリオが一気に距離を詰めてきた。
それを見て鷲介はドリブルスピードを若干落とし、マリオが間合いに入ると右にかわす。
「相変わらずきれっきれな動きだね!」
U-17はもちろん、並みのプロでも簡単に反応できない鷲介の動きに、しかしマリオは笑顔でついてきた。
世界クラスの実力者であるマリオは様々な点が優れてはいるが、その中でも特に厄介なのがマーカーの呼吸を読むところだ。どういう理屈かは知らないがとにかくマンマークの相手の動きにことごとく反応してしまうのだ。
しかもそれが実にしつこい。かつて対戦した時も一度、二度では振り切れず三度目でようやく少し反応が遅れたといった様だ。とにかく相手の呼吸──動く気配に対しては敏感すぎるのだ。
分かっていたがそのその事実に苛立ちつつ、鷲介はマリオが伸ばしてきた足をよけて後方に下がり、今度は左へ動く。
当然マリオはついてくるが鷲介も以前とは違う。六割程度の加速であり彼が動いたのを見計らって停止、再び右へ。
「まーだまだ!」
それでもなおついてくるマリオ。しかしそれも鷲介の想定内だ。大きく体が開いたマリオの両足の間へボールを通し、全力の加速で横を通る。
「嘘っ!?」
驚くマリオへ心中で舌を出しながら鷲介はそのままドリブルを開始しようとしたその時だ、マリオの後ろから飛び出したヴィスコンティが足を延ばしてボールをインターセプト、そのまま上がっていく。
「……!」
ヴィスコンティはボールをうばくべく寄ってきた志村を、近くの選手とワンツーでかわすと、久々の攻撃に少し陣形を乱れさせていた日本の陣内に空いたスペースへパスを送る。
矢のようなグラウンダーのパスにヴィエリが向かい、テツと大野が向かう。だがヴィエリは彼らを相手にせず、そのボールをダイレクトで左に出す。
適度な速度となったそのボールを拾った左SMFのトビアはゆっくりと中に切れ込むが、近藤が距離を詰めてくると彼が空けたスペースへボールを出す。
そのボールを追いかけるのはツートップの一角であるミルコだ。情報通り快速な彼はラインを割るギリギリでそれに追いつくとスピードでDFを振り切ってセンタリングを上げる。
やや弧を描いたボールに飛び上がるヴィエリと競るテツ、パンチングしようとする宮野の三者が日本ゴール前でぶつかり合う。勝ったのはヴィエリだがヘディングはしっかりとボールにミートせず弱弱しい勢いでボールはゴールラインを割った。
「うーん、残念!」
大仰に残念がるマリオだが口調は非常に軽い。余裕なのかそれとも性格なのか。両方かもしれない。
宮野のゴールキックに飛びつく細谷とイタリアの選手。競り勝った細谷が落したボールは志村、宮国、近藤とつながり鷲介に来る。
「今度は負けないよ!」
無視の言葉を心中に置き、鷲介は近づくマリオを避けるようにゆっくりと右から中央に向かっていく。そしてマリオより先に来たイタリアの選手を右にかわすが正面にはマリオ。
「もらったよ!」
絶好のタイミングだ。もしこのままドリブルすれば間違いなく取られる。──当然、鷲介もそれは分かっていたら彼が足を伸ばす直前、ヒールでボールを後ろへ流す。
「おっ」
「中村!」
鷲介のヒールを受け取ったテツが左サイドへボールを送る。イタリア陣形がやや右側に寄っていたためできたスペースへ走り込んだ中村はそのボールを収め、前に進む。
当然すぐさま対応したイタリアの選手の守備に足は止まるがボールはフォローに来た志村、細谷に渡り、彼らが粘っている中鷲介が近づいてパスを要求、今にも取られそうだった志村からギリギリでボールが来る。
「今度は逃がさないよ~」
ペナルティアークの正面、数メートル離れた場所でボールを収めた鷲介にマリオが近づいてくる。左サイドは志村や細谷、右サイドは近藤や宮国が動いていたためDFが散っている。近くにいるのはマリオとヴィスコンティだけだ。
勝負する。そう思うと同時に鷲介はまず寄ってきたヴィスコンティを高速シザースで突破する。だがさすがプロ、そしてマリオと共に昨季、ユヴェントゥースユースで戦った際鷲介を無失点で抑えた選手。突破できたもののその間にマリオが眼前まで迫ってきており、また他のDFも日本メンバーの動きに警戒しつつも守備を固めている。
さすが今大会No1守備力を誇ると言われるチーム。今まで戦ってきたどのチームよりも守備の構築スピードはワンテンポ早い。
今日二度目となる、マリオとの一対一。鷲介は左右に体を振り、そして右に全力加速。もちろんマリオはついてくるが、鷲介は右に流れたボールの前に右足を叩きつけるように置き、ボールの軌道を変化させる。そして左に流れたボールへ左足を伸ばす。
(ダブルタッチ、決まった!)
完全に右に傾いているマリオを見て勝利を確信する鷲介。そしてそのまま一気に加速しようとしたその時だ、唐突にマリオの体が沈んだかと思えば右に回転。そして鷲介が蹴りだしたボールへ右足を伸ばす。
(んなっ!?)
心中で驚く鷲介の目の前、マリオにカットされたボールを拾ったのは先程鷲介をかわしたヴィスコンティだ。彼はそのボールをサイドに流す。
「ふっふっふ。今回の勝負は僕の勝ちだねー」
「マリオだけじゃないんだよ。君を押さえたいと思っているのは」
立ち上がりドヤ顔するマリオと真顔で言うヴィスコンティ。マリオの常軌を逸した反射神経と読みに鷲介は舌打ちし、ボールの行方を追う。
マリオが奪ったボールから始まったイタリアのカウンター。今度はは中央を突破されシュートまでいくが、何とか遠藤たちが止める。しかしまたしてもゴール前まで行かれてしまったことに鷲介は歯噛みする。
そしてイタリアは守備を変化させる。今まで前に出てはドリブル、パスコースを潰していたそれが、今度は陣形全体が下がりある程度日本へのプレッシャーが弱くなった。
しかしそれは守備が弱くなったとイコールではない。要所要所でイタリアの選手が動いては先程以上の圧力をかけてくる。そしてボールを奪われたら一気呵成に前に出る。つまりどっしりと相手を待ち構えていた守りから重要な場所だけ守備力を集中し、同時にカウンターの攻撃力を上げる守り方になったのだ。
この変化は、実に効果があった。これによって生まれたカウンターに日本ゴールは連続して脅かされ、結果日本のメンバーは易々と前に出ていけなくなったのだ。そして鷲介もマリオのマンマークの上、周囲からのプレッシャーと守備の前にほとんど何も出来ていない。彼らの守りにマリオの動物的というような読みでドリブル突破はもちろん危険なパスやミドルシュートを放つ機会をことごとく察知されてしまっているのだ。
(このままだとまずいな)
試合映像を見ていてわかったが、U-17イタリア代表はまず守備を構築するのに時間をかけており、そのため前半早々点が入った試合はなくスコアが動くのは前半三十分以降が大半だ。つまり三十分以降となると本格的にイタリアが攻めてくると言う事だ。
スタジアムの時計表示を見ると、現在時間は二十分過ぎ。何とかイタリアのゲームプラン、そして無失点記録を破りたい鷲介はボールがラインを割り日本ボールになったのを見ると、後ろを向く。
するとテツとちょうど視線が合う。数秒見つめ合うことしばし、彼は無言で頷き、イタリアゴールに向かって指をさす。どうやら彼も鷲介と同じ気持ちのようだ。
「抜かせないよ~」
スローインから入れられたボールが幾人かをを経由して鷲介にボールが来る。そこへ迫るマリオを鷲介は気にしながら緩やかに右サイドへ流れ、マリオが一定の距離まで近づいたところで彼に向かって行き、しかしボールはヒールで後ろに流す。
「おおっ!?」
驚くマリオを無視して鷲介はトップスピードに移行、正面の彼から右斜め前に方向転換し手を上げる。希望通り後ろにいた春野からのボールが鷲介の目の前へ落ちる。
正面から背番号3のベルナルディーノ、後ろからはだみ声を張り上げながらマリオが近づいてくる。挟み込むつもりなのだろうが鷲介はボールをトラップすると挟まれる前に再び後方へパス。眼を瞬かせているマリオの横を通過したボールを春野がダイレクトで中央の空いたスペースへ。
そのボールをカットしようとしていたイタリアの選手より先に早く、上がってきていたテツが足元に収める。そしてショルダーチャージを仕掛けてきた選手をものともせず彼は強引に前に進むと左サイドへボールを蹴り、そこへ走り込むのは志村。
しかし、しかしさすがイタリアというべきか。パスの着地地点へすでに選手が向かっている。トラップしたらその合間に距離を詰められる。
「タニ!」
しかし鷲介の危惧は杞憂に終わった。志村もそれは予想していたのかダイレクトでパスを出す。左サイドに流れたボールへ走っていく細谷に、それを奪おうとするのはユヴェントゥースユースのレアンドロだ。
CBながらもそこそこに足が速い彼は細谷がボールを収めた直後にボールを奪うべく動く。何とかボールを動かそうとしている細谷だがレアンドロのしつこいマークに苦戦している。
「タニ、こっちへ!」
そんな細谷フォローに志村が来る。返されるパス。しかし志村のすぐ近くにボール奪取力に定評があるイタリアの背番号2番エルネストがいる。
「いったん後ろに」
戻せと鷲介が続ける前に志村はドリブルを開始する。当然、一番近くにいたエルネストがマークに付くが、志村は小刻みなフェイントやテクを駆使して彼を惑わすとそのまま突破する。
(やるな!)
志村がドリブルが得意なことは知っていたが、イタリア相手に通用するとまでは思っていなかった。正直、これは嬉しい誤算だ。
「うええっ!?」
マリオの驚きと悲鳴が入り混じった声を聞きながら鷲介はチームメイトへ賞賛を送りボールをもらうべく動く。そして志村がペナルティエリア直前まで来たところでゴールの左側を固めていたヴィスコンティが動き、彼が動いたことによりできたスペースへ鷲介は走り込み、志村もそこへパスを出す。
(オフサイドはない! もらった──!)
ペナルティエリアの左に流れてくるボールに鷲介は快速で駆け寄ると左足を振り上げる。コース的に厳しいが、狙えないわけではない。
体勢を立て直すのは不可だ。すぐ後ろにマリオがいるし、ほかのイタリアの選手もゴール前に集まってきている。もしワンテンポでも遅れれば皆で苦労して生んだこのチャンスを潰してしまうだろう。
ボールに接触する左足の甲。芯を捕えたという確かな感触を感じると同時にボールは勢いよくイタリアゴール──枠内へ飛んでいく。
ミートした瞬間、先制点という言葉が脳裏を過ぎる。だがその言葉は刹那の時間に霧散した。なぜならば鷲介のシュートを横っ飛びしたイタリアGK──ディノが弾いたからだ。
(な!?)
一点もののシュートを防がれ、思わず鷲介は固まってしまう。そしてそのわずかな時間の間に弾いてこぼれたボールをディノはしっかりとキャッチングする。
体を起こしたディノは鷲介に──日本陣内に鋭い眼差しを向ける。それを見て鷲介はカウンターが来ると直感し、慌てて後ろを振り向き、
「カウンターが来るぞ! テツは早く戻れ!」
そう声を張り上げると同時にディノは大きくボールを蹴り上げる。あっという間にセンターサークル近くまで飛んだボールをヴィエリが競り勝ち、それを近くにいたイタリアの選手が繋いでは日本ゴールに迫る。
今までと違い次々とイタリアの選手が前に上がっていく。マンマークに付いていたマリオもだ。それを見た鷲介はカウンターの危機を潰すことを最優先に考え、自陣へ疾走する。
ヴィエリを中心にボールキープしていたイタリアは後ろから上がってきていた味方と連動して早く、正確なパスワークを見せては日本ゴールへ迫る。
当然日本も失点を許すまいと宮野を中心とした守備陣が激走、奮闘し、また戻ってきたテツのディフェンスや守備の指揮、駆けつけた鷲介によるボールの追い回しによってボールはサイドラインを出てスローイン。何とかカウンターの失点は防いだ。
それに安堵した鷲介だが、しかし次の瞬間、総身を振るわせる。──いないのだ。つい先ほどまで近くにいたマリオが。
そして気づく。後備のDFが三人──すなわちイタリアの陣形が変わっていることに。4-4-2から3-5-2になっていることに。
「気をつけろ! マリオが来るぞ!」
そう叫んだのと同時に、イタリアの選手が入れたロングスローのボールをアズーリの10番が胸トラップで収める。そして彼、マリオはドリブルを始める。
慌てて彼の後を追う鷲介。マリオは近づいてきた春野をワンフェイントであっさりとかわし、さらに近づいてきた志村をエルネストとのワンツーで突破、前に進む。
「俺が行く!」
マリオの上りと突然のドリブル突破に浮足立つ面々にそう言ってテツが中央を突破してくるマリオへ向かって行く。また鷲介も全力で追っていたためか背番号10と記された青いユニフォームは目前だ。
背を向けていたマリオは一度左右に体を揺らした後、左へ動く。テツがそちらへ動き、鷲介は右側へ回り込む。ひとまずこれで問題はない。両チームのメンバーのほとんどは左サイドに寄っており右には誰もいない。
マリオが空いている右ではなく左へドリブルをしたのはそちらにいる味方へパスを通すためだろうが、ヴィエリたち前線のメンバーには大野と遠藤たちがしっかりとマークに付いている。
またいきなり右にドリブルをして──テツを突破したとしてもそのフォローには鷲介が入る。問題はない。改めて鷲介が思ったその時だ、
「……え?」
ふわり、とボールが宙を舞う。マリオを見れば彼は左足を振りぬいており、そのボールは右──ペナルティエリアの中へ落ちて行く。
誰もいないところへ何をパスしているんだ──と思ったその時だ、そのボールへ斜め左からヴィエリが走ってきていた。しかもボールとのタイミングはばっちりだ。まるで彼がそこへ走るのが、走るタイミングがわかっていたかのように。
(なん、だと……)
愕然とする鷲介の眼前、ヴィエリは追いかけてきた遠藤からのショルダーチャージを受けながら左に45度反転と同時、右足を振りぬく。
左手を出す宮野だがヴィエリの放ったボレーシュートは彼の体をすり抜けて日本ゴールに突き刺さった。
◆◆◆◆◆
「イタリア! イタリア!」
「マリオ! マリオ!」
イタリアの先制ゴールでサポーターの怒号のような歓声が響く中、アントニオはただただ唖然としている。
前の席に座っているブルーノはあんぐりと口を広げ、ジークフリートは眼を見開き、しかし何故か唇をかみしめている。
「さすが我らがマリオ。見事なプレイだ」
「……これぐらいできて当然だ」
親友も褒め称ええてはいるが、その声に幾分かの驚きが混じっている。フンと鼻を鳴らすバレージだが口元は緩んでおり、嬉しいのか語尾が震えている。
皆が驚き喜ぶ中、ただ一人落ち着いているのがバッジョだ。彼だけはいつもの調子で「ナイスプレー」と小声で言っている。
あの場面、ロート・バイエルンのパサー役を務めることがあるアントニオとしては二つのイメージがあった。一つはフェイントで正面のフジナカを惑わし、その隙に正面にいたヴィエリへパスを送ると同時に空いていた右へ全力疾走、彼からのリターンを受け、ダイレクトでシュートを打つというのを想像した。
もう一つはわざと人数がいる左側へ切れ込み日本の混乱を誘う。そしてできた隙やスペースを利用したパス、もしくはシュートを放つと言ったところか。少なくともマリオのようなプレイは想像もしなかった。
「……今のマリオのパス、まるで昨年のW杯でのバッジョの決勝ゴールのようだったな」
「うん、色々と違いはあるけど似ているなとは僕も思ったよ」
どういうわけか仏頂面で言うジークフリートにバッジョは笑顔で応じる。それを見てアントニオはもちろんブルーノとマルコスも表情を引きつらせる。
二人が言っているのは前回のアルゼンチンW杯の準決勝、ドイツ対イタリアの試合の話だ。準決勝と言う舞台まで勝ち上がってきた最高クラスのチームにふさわしい、壮絶ともいえる点の奪い合いとなったその試合で、バッジョが今のマルコのようなファンタジーなプレイを魅せたのだ。
3対3の延長前半、ペナルティエリア前でこぼれたボールをバッジョはダイレクトでループシュートを放った。ちょうど正面をケヴィンたちDFが塞いでいたこともあり、反応が遅れたGKはその優しいと言うべきシュートへの対応が遅れ、ボールはゴールに収まった。そしてそれが決勝点となりドイツは敗退。イタリアは決勝へ駒を進めたのだ。
(ああ、だからあんな顔をしているのかジークフリートは!)
彼からしたらマリオが凄いと思ってはいるのだろうが、それ以上に昨年の敗北を連想させるようなプレイを見せられ、なおかつ公私共に仲がいい鷲介が同じ思いをしていると思ってるからこそのあの顔だろう。
「……次のW杯、お前に代わって10番を背負うかもしれないと言われるだけはあるってことか」
「僕としてもそう易々と渡す気はないけどね。クラブでも代表でも」
世界を代表するFW両名の間で言い知れぬ空気が漂う中、試合は再開される。
より大きく、激しくなるイタリアへの応援の中、試合の流れは一方的にイタリアへ傾いていく。
イタリア自体は先制点と特に変化はない。マリオも元のポジションに戻っている。変わったのは日本だ。
「おいおいまだ前半だぞ。何をずるずる後ろに下がってやがる」
呆れたブルーノの言うとおり、先制され本来反撃に移るべき日本はどういうわけか、上がっていかない。そのため最前線にいる鷲介へボールが渡ってもフォローが足りず、結果鷲介としてはパスを返したり、またはドリブル突破を試みるもマリオのあの奇妙なマークに加え、ヴィスコンティたちに囲まれて前に進めなくなっている。
「マリオのあのプレイによほどの衝撃を受けたのだろうな。それも自分たちが攻撃に転じて絶好のチャンスを作りだした直後の失点。
もしふたたび前に出たらあのようなことになるかもしれない。そう思っているのだろう。だから今のように無様にずるずると下がってしまい、中盤のチェックも甘くなり、ボールを回される」
バレージの言うとおり、日本の中盤をイタリアの選手が警戒にボールを回してはいる。日本の選手もチェックをかけてはいるがやはり動きに精彩がない。
日本の選手を見る。顔が見えた幾名かの選手は何かを怖がっている表情をしている。そんな中、鷲介は怒りや苛立ち──そしてやはり彼の表情からもわずかな恐れがある。
たったワンプレーでここまで敵の心を挫くとは。”リベロ”の異名を持つかの少年、想像以上に恐ろしい相手のようだ。あのカールやロナウドと同じく少年と侮っていては火傷では済まない。
「残り時間は五分少々。さて、両チームどうするのかな」
フジナカへと何やら話している鷲介を見ながら、アントニオは呟いた。
◆◆◆◆◆
「頼むぜ、テツ!」
「……ああ、わかった」
頷く彼を見て鷲介はすぐさま自分のポジションへ戻る。相も変わらずマリオが話しかけてくるがそれを聞き流して周囲を探る。
今しがたテツに頼んだのはマリオにビビった面々を纏め陣全体の位置を元に戻す。そして可能であれば先程のビックチャンスのように攻撃に出ると言ったものだ。
正直なところ得点は気にしていない。ただ今の状態のままずるずると前半を終えるのはメンタル的に非常によくない。せめて戦う意思を、勝利への渇望を自身やイタリアに対して見せつける必要がある。そうしなければ後半から激しくなるであろうイタリアの攻撃に日本が崩壊しかねない。
(前半で勝負ありなんてふざけたことになってたまるかよ……!)
マリオは凄い。非常に認めたくないが自分より格上だ。
だが無敵というわけではない。そしてイタリアに最も効果的なダメージを与えるとすれば得点を決めるかマリオをどうにかしなければならず、そしてそれが可能なのは鷲介だけだ。今、他の面々はあてにならない。
「ねぇ鷲介。さっきからずいぶん大人しいけど、まさかもう降参ってことはないよね?」
そう言うマリオに心中で「うるせぇ」と返して鷲介はいつでも動けるよう準備をしながら首振りを続ける。前半四十分過ぎ、さすがのイタリアも試合時間の半分近くが経過すると所々に綻びができている。
現在ボールは宮野や遠藤、大野たちが後ろや中盤にボールを回してはまた後ろへ返すという光景が見える。そしてそんな彼らへテツが──彼に説得された志村も──大きい声で前に出ろと呼びかけている。
ただただボールを回す日本へ地元民やイタリアサポーターからのブーイングは先程から続いているが、それも気にしない。今はとにかくテツたちの説得が上手くいくことを信じる。
「柳!」
そして前半ロスタイムに入ったところでテツから名を呼ばれる。説得完了という呼び声に鷲介は小さな笑みを浮かべると一気に加速し、ボールを要求しながらセンターサークルを超えて自陣に戻る。
テツから飛んできたボールを収め前を向く。近くにいたイタリアの選手をワンフェイントでかわし中央へ。二人目、エルネストをまた抜きでかわしたところでマリオや他のイタリアの選手数名が近づいてくるのを見た鷲介は右サイドへパス。
空いた右サイド、一度ピッチをバウンドしたボールをトラップしたのはオーバーラップしてきたSBの近藤。そのまま真っ直ぐラインを駆ける彼は寄ってきたイタリアの選手の目前でボールを左に出す。そのボールを上がってきたテツがダイレクトで蹴る。
ボールが転がる場所はペナルティアークの右側にできたスペースだ。近藤に寄ってきたイタリアの選手がいた場所で、中央にいた鷲介は全速力でそこに走り込む。並みの選手ならば追いつけないであろうが、世界トップクラスのスピードを誇る鷲介ならば話は別だ。
「っしゃ!」
ペナルティエリア侵入と同時にボールに追いつく。だが少しパスの軌道がずれたのかエリア右深くのこの位置からではゴールを狙えない。
鷲介の狙いとしてはペナルティエリア侵入と同時にダイレクトでシュートを打つことだったのだが、瞬時にその考えを破棄してゴールの方を向く。
当然、それに立ちふさがるのはマリオだ。すぐそばにはヴィスコンティやディノの姿もある。近くにはパスを出したテツや細谷もいたが鷲介はそれらを無視して真っ直ぐマリオへ向かって行く。
(悪いが貰ったぞ、マリオ!)
マリオを左にかわしてからのカットイン&シュート。それが鷲介の狙いだ。もちろんマリオもそれを予想してはいるだろうが、問題はない。
例え予測していても今の鷲介の本気の加速に彼は一歩、一瞬遅れる。そしてその刹那の時間があれば鷲介はシュートを打てるからだ。
左へ100%加速してマリオをかわす鷲介。当然彼がシュートブロックをしようと動いているのを視界にとらえるが、その動きよりも鷲介のシュートの振りの方が早い。
振るわれる左足。弧を描いでゴールへ向かうボール。それを見て鷲介は同点を確信したその時だ。マリオの後ろから飛びだすように出てきたディノの伸ばした両手がボールを捕える。
(なんだと!??)
ディノの両手に捕えられたボールは一端ピッチを跳ね、彼の手に収まる。大きく目を見開く鷲介の目の前でディノは掴んだボールを大きく蹴りだす。
それを見て鷲介がようやくシュートを防がれたことを自覚し、慌てて後ろを振り向く。一気に日本陣内に入って言ったボールはヴィエリと遠藤が競り合い、またしてもヴィエリが競り勝つ。
(何やってんだ! 何度負ければ気がすむ!)
競り負けた遠藤へ怒りの声を上げながら鷲介は必死に自陣へ戻る。なぜならばまたしてもマリオがオーバーラップしていたからだ。
一点目のような真似をさせるわけにはいかない。その思いを胸に全速力で駆け、彼のマークに付く。
ヴィエリが競り勝ったボールはイタリアがキープするが、宮野たちの必死の守備でシュートを打たせていない。
近くに寄ってきた審判が時計に視線を向ける。前半終了か──。そう鷲介が思ったその時だ、背中を向けたマリオが話しかけてくる。
「がっかりだよ」
「……何?」
明らかに落胆した声に鷲介は眉をひそめる。マリオは鷲介の声に堪えず、独白のように続ける。
「がっかりだよ鷲介。あそこでシュートに来るかもしれないと思っていたけど、本当に来るとは思わなかった。
上がってきていたフジナカやそばにいた11番にパスをすれば、まだ得点できたかもしれないのに」
そう言って彼はこちらを振り向く。そして彼に向けられた瞳を見て、鷲介はぞっとする。
髪と同じ黒い瞳。しかしいつも喜の感情や好機に満ちたその瞳には乾いた、冷たい輝きが宿っている。
「ずいぶん傲慢になったね。今の君、つまんないよ」
「な……」
唐突な物言いに鷲介が言葉を失った瞬間、マリオは走り出す。一瞬、遅れて鷲介も後を追う。
眼前を疾走する背番号10番は手を上げる。そしてその足元へボールが来ると彼は日本ゴールめがけてドリブルを開始する。
(つまらない、傲慢になっただと……。何をわけのわからないことを!)
先程の鷲介の真似のようにマリオは寄ってきた宮国をかわし、志村をワンツーで突破する。
ペナルティエリア目前まで迫るマリオ。しかし直前で鷲介が回り込み彼を迎え撃つ。
「柳!」
「来るな!」
フォローに来ようとしていた遠藤を手で制して鷲介は腰を落とす。マリオを確実に止められるとは思っていないが俊敏性でも鷲介が彼を上回っているのだ。
もしシュート、もしくはドリブルで突破しようとしても事前に察知し、妨害や遅らせることはできる。そしてその後は宮野や大野たちがフォローに入ってくれるだろう。
「それが、傲慢なんだよ。鷲介」
マリオはつまらなさそうな表情でそう言うと同時に右へ突破する。すかさず鷲介も動きボールを奪おうと足を延ばすが伸ばした足がボールに届こうとしたその時、ボールの軌道が変化する。
(な……!)
マリオと共に鷲介の右を進んでいたボールは唐突に進路変更。足を伸ばした鷲介の股の間を抜ける。そしてマリオは鷲介の左をするりと突破してしまう。
また抜き。その事実を痛感すると同時に鷲介は後ろを振り向き、ペナルティエリアに侵入し、右足を振り上げているマリオを見て叫ぶ。
「宮野──っ!」
血を吐くような鷲介の叫びと同時に若きアズーリの10番は無慈悲にシュートを放つ。そしてそのボールはシュートを防ごうとした宮野の体の横をすり抜けて、日本ゴールへ吸い込まれた。
次の瞬間、狂ったような大音響の叫びと主審の笛が鳴り響く。2-0。鷲介がそれを自覚すると同時、主審が二度、笛を吹き鳴らす。前半終了を示す動作だ。
終了間際の失点。2-0。鷲介とマリオの勝負は鷲介の完敗と言う形となった。
◆◆◆◆◆
(さすがだなマリオ)
サポーターが連呼するマリオの名とその愛称である「リベロ」、「サルバトーレ」の呼び声を聞き、バレージは頬を緩める。
ユヴェントゥースの、いやイタリアサッカー界の麒麟児たる彼の二つの愛称「リベロ」と「サルバトーレ」。これは呼び名通り、彼自身やそのプレイスタイルを表している。
リベロとはイタリア語で自由の意味。そしてその通り、彼はフィールドの中ではポジションという枠に縛られない。なぜならば彼はGK以外の全てのポジションをこなせ、そしてそれらすべてで十全な能力──世界クラスの技量を発揮できるからだ。
シュウスケ・ヤナギを押さえたDF、先制点のバッジョじみたファンタジーなパス、そして二点目のストライカーと見間違うような動きとシュート。彼はチームやその時の状況に応じて、DFとなりMFとなりFWとなるのだ。
(素晴らしい)
普段こそ滅多に褒め称えたりはしないが、バレージほど彼に期待しているものはいないだろう。正直なところあと二年もすればバッジョからクラブ、代表でも10番を奪えるのは確実だと思っている。全てのポジションをこなせる彼はあらゆる局面において「救世主」となりえるからだ。
そんな彼がゾディアックランキング5位なのは、上位のランキング者が世界トップクラスに引けを取らない点をいくつも持っており、それが注目されているからだ。例えばドイツのカールは強靭かつ柔軟なフィジカルにジークフリートのような強烈かつ正確なシュート、テクニック。ゴールへの嗅覚などだ。
(さて、あと何点入る事やら)
とぼとぼとした足取りで控室に戻っていくシュウスケ・ヤナギ──二点目の明らかな原因──をバレージは冷めた目で見つめながら、思った。