CL決勝 ロート・バイエルンVSマンチェスターFC(4)
「それでは残り45分、頑張ってくれ!」
『応!』
控室で後半のゲームプランを伝え終わったヨシュアに皆は大きくはないが覇気のある声を返す。
ベンチメンバーやスタッフからも声をかけられ控室から出ていく鷲介たち。
意気揚々と入場ゲートに向かう最中、近くに来たミュラーに鷲介は小声で言う。
「監督の策、どう思う?」
「悪くはないと思うよ。上手くいけばヨハン選手の動きを制限できるし」
「確かにな。だがあのヨハンさんがこちらが思うように上手く踊らされるか不安ではある」
「それは僕も思うけど、ヨハン選手に集中してアーサーをフリーにする方が不味いよ。前半も彼のパス一本でゴールされているし。
前半こそ彼は目立たなかったけど、後半は確実に動く。シャルル選手もいるうえ、あのレベルのパスを上がってきた選手にポンポン出されればこっちが攻撃するどころじゃなくなる」
前半、アーサーはアシスト以外では目立った活躍はなかったが、彼が出していたパスはチームの潤滑油となっていた。
ハイラインとハイプレスでぐちゃぐちゃに動き回っているマンチェスターFCイレブン。ランダムと言うべきその動きに対し、アーサーの出したパスはぴたりと合っていたのだ。
以前対戦した時よりもパスの精度が上がっているのもあるが、味方がどう動くのか予想していなければできない芸当だ。
ミュラーの言う通りあれが攻撃に注力すれば──
「……そうだな。すまん。変なことを言った」
「前半以上に僕が彼に注力するし、監督に言われた通りジュニオールさんと対処する。だから攻撃は頼んだよ」
「ああ。得点を取ったり取られたりのシーソーゲーム。俺たちアタッカー陣は楽しくはあるがクルトさんたちやサポーターは気が休まらない。
彼らのためにもマンチェスターFCを突き放して、ゲームを落ち着かせるか」
そう言って鷲介は少し歩を速めた。
ゲートを抜けるとピッチには先にマンチェスターFCイレブンの姿があった。
CL決勝の後半が開始されるというのに彼らの雰囲気は朗らかだ。ヨハンなどはマルシオと何かを話して、小さく噴き出している。
ぐるりと回りを見渡し、最後にアーサーと視線が合う。
彼は小さく笑みを浮かべ頭を下げる。その優雅な、余裕がある態度を見て鷲介はかすかに眉を潜めた。
(まだまだこれからって顔だな。上等だ、全力で叩き潰す)
主審の笛が吹かれて始まるCL決勝の後半戦。
相手ボールで始まった後半、マンチェスターFCの戦い方は前半と変わっていない。
ボール保持時は即座に大量の選手が敵陣に流れ込み細かなパスを繋いで攻めてくる。守備時はハイラインを敷いてのポジションを無視するような激しいハイプレス。ボールを奪えばヨハンやマルシオ目がけての放り込みのカウンター。
一方鷲介たちRバイエルンも戦い方に大きな変更はない。攻める時は5レーン、守備時はクルトとジュニオールを中心としたゾーンディフェンスで相手の攻撃を凌ぐ。
ただ細かな個所は監督の指示が出ている。その一つが後半、ヨハンに対しボールを集めるよう誘導していることだ。
そのため後半、マンチェスターFCの攻撃陣はヨハンを中心に、Rバイエルンの右サイドから攻めてくる。だがクルトらの奮闘のおかげかシュートは打たれてもゴールの外かブロックで弾かれていた。
(今のところ、何とか上手くやれているな)
ラインを割ったボールがRバイエルンボールとなったのを見て鷲介は小さく安堵する。すでに後半10分が経過している。
前半同様、後半も激しく、両チームゴールまでチャンスが生まれるゲーム展開。
特に後半始まってすぐ放たれた、ヨハンのカットインからのシュート。前半の再現かと思われたが、相対したフリオがしっかり対応したのでボールはゴールバー上部に当たりゴールラインを割った。
ヨハンのそれを見て鷲介が肝を冷やした数分後の後半7分、前半は自チームのバランスを取るためか控えめだったアーサーがRバイエルンゴール前に飛び出してきた。
ヨハンからの横パスをダイレクトシュートするアーサー。邪魔が入らなければRバイエルンのゴール右上に決まっていたが直前でドミニクが前を塞いだため、ボールは彼の体に当たり、それをクルトが拾って味方にボールを渡して難を脱した。
後半8分、ミュラーのスルーパスに飛び出したアレックス。彼はペナルティエリアギリギリ外でダイレクトでボールを上げ、ジークがヘディング。
DFに弾かれるも鷲介が詰め寄りシュートを放つが、アーロンがコースを塞いでいたためシュートは彼が広げていた大きな体に弾かれた。
直後のCKでキッカーのフランツはマイナス気味のパスを出し、後ろから飛び出してきたミュラーがヘディングを放つが、間一髪立ちはだかったポールが体で弾き再びのCKに。
後半二度目のCKは直接ジークがいるところへボールを蹴るも、アーロンが飛び出して両手でキャッチし、ゴールには結びつかなかった。
(とはいえそろそろ向こうも対策してくる。──行くぞ)
ボールを持ったミュラーへアイコンタクトをかわし、了解と言う彼の笑みを見て鷲介は走り出す。
相も変わらず左サイドから攻めるRバイエルン。それに対しマンチェスターFCは左サイド、左ハーフレーン、センターレーンに選手を配置し、待ち構える。
他の選手が背後から迫り幾度も挟み込もうとする。その激しさに左サイドに集まったRバイエルンイレブンは守備陣にいったんボールを下げる。
そしてその下げたボールに駆け寄ったミュラーがダイレクトパス。強烈なグラウンダーパスはセンターレーンに侵入した鷲介の元へ。
ボールを収め前を向く鷲介。リチャードが立ちはだかるが構わず突き進み、空いている左に切れ込む。
そして鷲介が進んだ先に待ち構えていたフィル。彼の伸ばした足が鷲介の足元にあったボールを弾く。
転がるボールを拾うリチャード。しかしその瞬間、ミュラーとジークが彼に急接近。鷲介のボールロストを予見していたミュラーが驚く彼からボールを奪い、パスを出す。
そして鷲介もミュラーのフォローを予見していたため、すぐにそれに反応。ダイアゴナルランでボールを収めマンチェスターFCのペナルティエリアに侵入。
飛び出してくるアーロンの動きをよく見て放つシュートは見事、ゴールネットを揺らす。
後半13分、電光掲示板のスコア表示が3-3から4-3へと切り替わった。
◆
「鷲介がボールを奪われる前提でのショートカウンター。
ふん、俺たちの試合の時にもやったな。相変わらずセコイ真似をしやがる」
「そう言うなヴァレリー。これも立派なゲーゲンプレスだ」
ミラノ市にある、小ぢんまりとしたバルの一席。
店の中央に置いてあるTVに映し出されているCL決勝後半を見て毒づく若き同僚に、エメルソンは苦笑しながら言う。
ここはRNSミラン関係者専用と言うべきバル。周囲にはRNSミランの関係者──スタッフやOB、ユース、ジュニアユースに所属する若手たちの姿がある。
エメルソンもここで皆と騒ぎながら観戦しようとやってきたのだが、店に入るとTVに最も近い距離の座席に二人の同僚の姿があった。
一人は毒つきながら注文したピザを手にしているヴァレリー。もう一人はその隣に座って、
「しかしまだ時間は30分以上もある。マンチェスターFCの勢いは増すだろうな」
カプチーノの入ったカップに口をつけているシルヴィオだ。
優雅な動作で彼はカプチーノを飲み干し、試合再開されたTV画面に真剣なまなざしを向ける。
彼の言葉にエメルソンは静かに頷き、ヴァレリーは何も言わず吐息だけ漏らす。
三者ともわかっているのだ。マンチェスターFCの驚くべきしぶとさを。
何せそのしぶとさでCL準決勝、マンチェスターFCと対戦したRNSミランは敗退したのだから。
試合が再開され、予想した通りマンチェスターFCはより攻撃に力を入れる。
前半、失点した後の繰り返しのような光景。しかし先程と違いヨハンばかりにボールを集めなくなっている。
だがRバイエルンの守備陣は見事な連動で対処。それらの攻撃も受け止め跳ね返し、そして嵌めてボールを奪う。
「フン、ようやくヨハンにボールを集めさせられていると気づき修正してきたが、それすらも即座に対応させられるとはな」
「ここまで監督が予見していたのかな。それとも選手の個人戦術によるものか。
どちらにしても大したものだね」
Rバイエルンが勝ち越し弾を奪うまでの間、マンチェスターFCはヨハンにボールを集めていた。
これはRバイエルンの右サイドに人数がいないこと、またヨハンがフリーになることが多かったのだから当然の選択だ。
だがそれ自体がRバイエルンの罠だった。ヨハンがボールを受けた時、RバイエルンのDFたちは素早くゴール前を固めていた。
これはもちろんゴールを許さないためだ。そしてゴール前を固められた場合、ヨハンの選択はサイドを抉ってのセンタリングか中に切れ込んでカットインからのミドルのどちらかだ。
チームメイトとの細かなパス交換で相手DFを切り崩すこともするが、それはあくまで近くに味方がいた場合。
ヨハンがボールを受ける時、ショートパスを交換できる距離に味方はいなかった。そのためヨハンは二つの選択しか選べなかった。
「シャルルほどじゃないにしろヨハンのパス精度も中々だ。
だが彼のパスはことごとくRバイエルン守備陣やアンドレアスに防がれている」
「完全なフリーならもっといいパスを出せるんだろうが、フリオの奴がいやらしく邪魔をしているからな」
ヨハンは世界でも屈指のウインガーだ。例えゴール前を固められても鷲介と同等かそれ以上のドリブルとスピードで相手の守備網を切り崩せる。
それができない最大の原因が彼の傍にいる、Rバイエルンの右SBのフリオだ。
彼はヨハンに決して接近せず、しかし彼がプレーしにくい絶妙な距離を保っている。
その結果、ヨハンは中に切り込むこともできず精度の低いセンタリングやロングパスしか出せない。カットインをしても直前でフリオが邪魔をするためボールは弾かれ、またシュートを打たれてもアンドレアスが見事、防いでいた。
前半を含め、幾度か強引に切れ込もうとしたこともあったが、その場合はフリオや、フリオと近くにいたRバイエルンの選手たちに挟まれてボールを奪われている。
「しかしフリオの奴、こんなにDFが上手かったか。俺たちと対戦した時はこうじゃなかったよな」
「元々、これぐらいの対処はできる選手ではあったよ。でもそれだけじゃなく、相当ヨハンが出場しているゲームの映像を見返し、対処法を頭に叩き込んだのだろうね。
じゃなきゃここまで見事な対応はできない」
前半開始早々失点したのは映像と現実のすり合わせが不十分だったからだ。
失点した後は徐々に動きがよくなっていったのがその証拠だ。
「それと後ろにいるジェフリーたちからコーチングを受けているのだろうね。いくつか危ないシーンはあったけどそれを防げたのはそれがあったからだろうし。
何よりここまで対処できているのはRバイエルンに鷲介がいるからだろう。ヨハンに非常に似たプレースタイルを持つ、彼に匹敵するドリブルとスピードを持つ鷲介がね。
彼はもちろんRバイエルンの守備陣がヨハンに対し必要以上警戒していないのは普段、鷲介と練習しているからだろう」
「……」
鷲介の名を聞き、ヴァレリーは不機嫌な表情で黙り込む。
その表情から今期、彼にしてやられたことを思い出しているのだろう。
それにエメルソンは苦笑しながら続ける。
「フリオに邪魔をされているヨハンのパスは精度を欠き、それをRバイエルン守備陣が回収して攻撃につなげている。
最前線にいるマルシオもいい形でボールを受けようと何度もフリーランを繰り返しているけど、ジークフリートの動きに慣れているクルトたちが邪魔をしているためボールキープとバックパスが関の山」
「このままでは攻撃は停滞したまま。しかし流石は我がレ・ブルーの司令塔。アーサーの野郎を今まで以上に使い始めた」
「でもまぁそれも予期していたRバイエルン守備陣にすぐ対応されてしまったけどね」
エメルソンの言葉にヴァレリーは敵を見るような目を向けてくる。
不機嫌になった彼を宥めるようにエメルソンは彼が好きなジェラートを注文する。
失点する数分前、ヨハンにボールが誘導させられていることに気付いたのか、今までシャルルと並走、または少し下り目だったアーサーが前に出始めた。
マルシオの動きに完璧に合わせられるアーサーのパスでゴールに直結、またはRバイエルン守備陣を消耗させる。さらにそれによりヨハンへの対応を弱らせることも狙っていたのだろう。
しかしそのアーサーの前に立ちはだかったのがミュラーとジュニオールだ。彼らはアーサーがパスを出さないようしつこく纏わりついた。
アーサーはパス精度だけならばシャルルすら凌ぐ選手だが、ドリブルやスピードは一流で留まっているため、基本一人で相手DFをかわして前に出るということはほぼ無い。
それに相対するミュラーとジュニオール。ジュニオールはDFとしては世界トップではないが、長所である視野とスピードを生かしてアーサーの邪魔をしており、ミュラーはアーサーが嫌がる位置へポジショニングを取りなるべく前にパスを出させないようにしていた。
「あ、またボールがヨハンの奴に。
おいおい、それは無茶だ」
ヴァレリーが言うようにTV画面には左ハーフレーンから斜めにRバイエルンゴールに迫るヨハンの姿が映る。
だが彼が言うように無謀な試みだ。ヨハンの前にはフリオが立ちはだかっており近くにはジェフリーもいる。一方ヨハンの周りにはショートパスを繋げるような味方は一人もいない。
ボールを奪おうとするフリオをヨハンは鋭い切込みで突破する。流石と言うべき動きだ。
だがそれを読んでいたのか、ジェフリーがすぐさま飛び出してきてはヨハンからボールを奪い、さらに吹き飛ばす。
ボールを奪ったジェフリーはすぐさまパスを出す。ボールの行く先はセンターサークルにいるフランツ。
そのフランツにシャルルが迫るが、ドイツ代表の司令塔はそれを見越していたかのようにダイレクトパス。傍にいたミュラーとのワンツーで前に出るとスルーパスを放つ。
切り裂くような速く鋭いパスにマンチェスターFCのDFたちはもちろん、最前線にいた鷲介さえもわずかに反応が遅れる。
そのパスに見事反応していたのはジークフリートだけだ。
「!」
ジークフリートの飛び出し。いやその直前に見せた、フィルを振り切った動きにヴァレリーが息を呑む。
そしてそれはエメルソンも同じだ。彼の今の動きはオフ・ザ・ボールの完成形と言うべきものだった。
アタッキングサードでボールを収め、ペナルティアークに接近したジークフリートに先程振り切られたフィルが追いつく。
だがもう遅い。その距離はジークフリートの”竜殺し”の射程距離だ。
「決まったな」
ヴァレリーが言うのと同時、ジークフリートの右足が振りぬかれる。
放たれた強烈なシュートにアーロンは反応できない。そして弾丸のような勢いのボールはマンチェスターFCのゴールネットに突き刺さるのだった。
◆
「同点に追いつこうと前掛かりになっていたところでの失点……! これで5-3か」
エスタディオ・アルフォンス・ジェステにいるRバイエルンサポーターの歓喜の声が響く中、カールの右隣にいるミラが複雑そうな顔になって言う。
Rバイエルンと戦っているマンチェスターFCは同じロンドンを拠点とするライバルクラブ。そのライバルが自分たちを負かした相手に一方的にやられているのは面白くないのだろう。
「66分──後半21分での得点。普通ならこれで勝負ありだが、フランキーはどう思う?」
「カール、君が思っている通りだよ。──マンチェスターFCイレブンの表情にはまだまだ力がある」
そう言って左隣のフランキーは鋭い視線をピッチにいるマンチェスターFCイレブンへ向ける。
最初は幾人か項垂れていたが周囲の仲間たちに励まされ、すぐに顔を上げている。またシャルルやマルシオら、チームの中核である彼らは冷静そのものだ。
「シャルルやマルシオもだがアーサーの野郎もムカつくぐらい落ち着いてやがるな」
「ああ。想定内だというような顔つきだ。ここから逆転する策でもあるのか……?」
「わからない。でもこのまま終わる様子ではないね」
試合が再開されマンチェスターFCは当然ながら猛攻を仕掛けてくる。
ほぼ全員が敵陣に入り込んでのポゼッション。すでに終盤に差し掛かった時間だというのに疲れ知らずというふうに赤い悪魔たちは走りパスを回す。
シャルルのスルーパス、アーサーの精密クロス、マルシオのオフ・ザ・ボールにヨハンのドリブル。
タイミングやパターンを変えてそれらが繰り出されるが、クルトやアンドレアスたちを中心としたRバイエルンイレブンは懸命に凌ぐ。
「またヨハンにボールを渡したな。嵌められていることに気付いただろうに」
「今日のヨハンさんは俺たちが知る彼と比べても動きが悪い。いつも通りと思ったのは先制点のゴールぐらいだ。
あの調子なら代えられてもおかしくないと思うが」
今日のヨハンの動きは決して悪くはない。だがカールたちが知る絶好調、また直近の試合の彼と比べれば見劣りはする。
CL決勝と言う大舞台。彼ほどのプレイヤーがコンディション調整に失敗するはずはないと思うが──
そうカールが思う中、ヨハンはシャルルとのワンツーでドミニクをかわしRバイエルンゴールに迫る。
そこに立ちはだかるフリオに、後方に控えるジェフリー。マルシオに注力しているクルトもいざとなれば彼に接近できる距離にいる。
今日の彼ではこの三人を抜くのは至難の業。そう思った次の瞬間、ヨハンはドリブルを開始する。
「おいおい。またボールを敵にくれてやるのか」
呆れたようにミラが言った次の瞬間、カールは瞠目した。
ペナルティエリアが近いためか、ジェフリーと共にボールを奪うべく前に出たフリオ。その彼をヨハンは目を見張るような切れ味鋭い動きでかわす。
そしてその動きに戸惑ったジェフリーもまた、ヨハンはあっさりとかわしてしまった。
「んなっ……!」
驚愕するミラの声を耳にしながらカールの視線はヨハンから離れない。
ペナルティエリアに侵入したヨハンに、クルトがマルシオから離れ接近。GKのアンドレアスと共にシュートコースを塞いだ。
フリーとなったマルシオにパスを出せば1点だ。だが次の瞬間、ヨハンは信じがたいプレーを見せた。
急減速したヨハンは細かなボールコントロールでクルトをかわし、ボールを押さえようと体を投げ出してきたアンドレアスの頭上を越すチップキック。
アンドレアスの頭をかすめるような、弱くとも正確なボールは一度ピッチを跳ねて、Rバイエルンゴールを優しく揺らした。
「……!」
マンチェスターFCサポーターの喜びの声とRバイエルンサポーターの悲しみの声がスタジアムに響くが、カールたちはそれに反応しない。
フランキーもミラも。カールも。三者の視線は今ゴールを決めたオランダ代表のエースに注がれている。
「信じられねぇ。何だ今のプレーは……」
「急加速と急減速をこれ以上ないタイミングで使用したドリブル。まるでヤナギとミカエルが一つになったようなプレーだった。
だが、何よりも、今のプレーは」
「ああ。俺たちがよく知るヨハンの、それも絶好調時の姿だ」
マンチェスターサポーターたちに手を振りながら自陣に戻るヨハンを、カールは戦慄と共に見つめる。
5-4となった試合は一変した。先程までイケイケムードだったRバイエルンイレブンの動きやパスには動揺が見られ、マンチェスターFCはそこを容赦なくついてくる。
再びヨハンにボールが渡る。左サイドでボールを受けた彼は立ちはだかるフリオを再びあっさりとかわし接近してきたジェフリーの足が届くより早く中にパス。
そのボールに飛び出してきたシャルルがダイレクトで合わせるがアンドレアスが飛びついて弾き、何とか危機を脱するRバイエルン。
「ヨハンの野郎、とんでもねぇな。今の動き、後半の終盤でできる奴じゃないだろ」
「どうなっているんだ。先程までとはまるで別人だぞ……?」
「わからない。それよりもまだマンチェスターFCのチャンスは続くよ」
フランキーの言う通り、続くマンチェスターFCのCK。
アーサーが蹴り上げたボールは何とマイナス方向へ跳び、そこにはゴール前から離れたシャルルの姿が。
トラップして反転した彼はペナルティアークで反転し右足を振り上げる。
そこに立ちはだかるRバイエルンイレブン。しかしシャルルは少しの躊躇も動揺もせず右足を振るう。
ボールの行く先はシャルルの前を塞いだ選手たちの移動によりできた、Rバイエルンのペナルティエリア内にわずかにできたスペース。
選手たちの間にあった僅かな、ボール一個分の隙間をパスは掻い潜り、それに真っ先に反応したのはゴールに背を向けているマルシオ。
ジェフリー、そしてクルトの二人が後ろにいる状況。あれでは前を向けないし向けてもすぐにボールを奪われる。
そうカールが思った時だ、ボールに近づいたマルシオは右足を前に出しボールの起動を変えた。
マルシオの右足の内側に接触して右斜めに進路を変えたボール。それはクルトの股間をゆっくりと通過し、Rバイエルンゴールに収まった。
「な、何だ今のプレーは!?」
再び騒めく両サポーターの声を聞きながらミラが目を白黒させる。
だがその気持ちはカールも十分にわかる。ゴールを見ていない後ろ向きの状態からのあのシュート。
いや、実際あれはシュートと呼んでいいものか。シャルルのパスを右足のインフロントでコースを変えただけなのだから。
(一体どういう思考をしていればあんなプレーができるんだ……!?)
同じストライカーでありながらカールは困惑する。自分ではあのようなトリッキーなゴールは決してできない。いや想像したことすらない。
とはいえ1点は1点。電光掲示板のスコア表示が5-5へ切り替わる。
「フランキー、今時間は何分だ」
「29分、だね」
掠れたカールの声に、フランキーも震えた声で返す。
Rバイエルンが2点差をつけてから8分しか経過していない。その8分でスコアも試合状況もカールたちの想像を超えて大きく動いていた。
より激しく動揺するRバイエルンに容赦なく襲い掛かるマンチェスターFC。瞬く間にボールを奪取してゴール前に迫りラストパスを受けたマルシオがシュートを放つが、それを戻ってきていた鷲介が体を張って防ぐ。
本来最前線にいるはずの鷲介が自陣のゴール前にいる。これだけでRバイエルンイレブンの動揺ぶりがうかがえる。
クリアーされサイドラインを割るボールにすぐさまスローインが行われボールはアーサーの足元に。
前を向いた彼はポールとのワンツーでミュラーをかわし前に。そして右足を振り上げる。
未だ混乱が収まらないRバイエルン守備陣をかき回すマルシオやヨハンへのパスか。
そうカールは思ったが、スナイパーのような彼の瞳を見て、思わず叫んだ。
「アンドレアスさん!」
「シュートが来る!」
カールと同時にフランキーが叫んだ直後、アーサーの右足が振りぬかれた。
エスタディオ・アルフォンス・ジェステの空に舞うロングキック。それは弧を描いてマルシオたちではなく、Rバイエルンゴールに向かっていた。
四十メートル以上の超ロングシュート。それに気付いたアンドレアスが慌ててボールの軌道を探るが、遅かった。
アーサーの蹴ったボールはRバイエルンゴールの左サイドネットに突き刺さる。
後半30分、マンチェスターFCサポーターが狂喜する中、電光掲示板のスコアは5-6へと変わる。
「……信じられん」
「俺も同意見だぜ。マンチェスターFCの粘り強さはリーグで体験しているからわかってはいたが、これほどとは……」
カールにミラ。二人の”ゾディアック”は目の前で起きた逆転劇にただただ絶句している。
そして同じように言葉がなかったフランキーがしばらくして、掠れる声を発した。
「……信じられない。なんてことだ」
「どうしたよフランキー。顔から血の気が引いているぞ」
「今の逆転劇。これはおそらくマンチェスターFCの筋書き通りだ」
「は?」
「どういうことだ」
二人にふり向かず、ピッチのマンチェスターFCイレブンに視線を固定したまま、フランキーは続ける。
「今の10分間のマンチェスターFCのプレーと後半のゲーム内容を脳内で改めて確認したんだ。
するとこの10分間は要所要所で前半よりプレー強度やスピードが上がっていた」
「そりゃあヨハンのゴールで勢いづいたんだろ──」
「違う。そこからなんだ。ヨハンさんの、マンチェスターFCイレブンの動きが変化したのは。
普通に見ている人にはわからない、僕たちのようにマンチェスターFCと幾度も対戦したものしかわからない微細な変化。
そして何より、ヨハンさんたちはあえて動きを押さえていた。あのドリブル突破がその証拠だ」
上ずった、興奮したようなフランキーの物言いに、カールは気づく。
確かに彼の言う通り。あの時のプレーのキレは凄まじく、カールがよく知るヨハンのものだった。
「ただのまぐれや偶然であのようなプレーができるはずがない。
いつごろかは試合全体を見返さないとわからないけど、ヨハンさんたちは本気より少し力を抜いたプレーをしていた。
特にヨハンさんは試合が始まってから、いやおそらく先制した後から」
「何のためにそんなことをしたんだ」
「多分最初から本気を出せば前半のような熾烈な点の取り合いになるとわかっていたからだよ。
マンチェスターFCの明確な弱点は守備。仮にマンチェスターFCが点の取り合いをしてリードしていてもRバイエルンクラスの攻撃陣ならすぐに追いつかれる。
そこを逆用したんだ」
「……つまりなんだ。後半は疲れていると見せかけてあえてペースを落とし、相手にリードを許した。そして残り時間が少ない状況で一気にギアを上げたわけか。
信じられねぇ。本気を出してもゴールできるわけでもないのに」
「ヨハンさんたちならアラン監督は、それができると信じていたんだろうね。
マンチェスターFCベンチを見て見なよ」
彼の言葉に促され、マンチェスターFCを見るカール。
イレブン全員が集結しているマンチェスターFCベンチはお祭り騒いだ。まるでもう試合が自分たちの勝利で終わったかのようだ。
その中心にいるアラン監督は輝くような笑顔で選手一人一人に抱き着いている。後半も立ちっぱなしだった彼は怒りや焦りの表情で指示を飛ばしていたが、フランキーの言葉が真実なら、それもブラフと言うことだ。
(CL決勝と言う大舞台でそんなリスクのある賭けを取ったというのか……!)
信じがたい、と思うカール。そして視線をRバイエルンに向ける。
10分前までは悠然としていたベンチは凍り付いており、ピッチにいる選手たちは呆然とし、項垂れている。
マンチェスターFCが見せた、怒涛の逆転劇に多大な衝撃を受けていた。
あのフランツ、ジークフリート、ジェフリー、アンドレアスというチームの重鎮たちでさえ覇気が感じられない。
(これでは試合はもう──)
マンチェスターFCの勝利で終わるのではないか。そう思ったカールは目を見開く。
視界に映った最後の選手──”ゾディアック”の一人であり己のライバルである鷲介。
彼は他の選手と違い、表情に力があった。そして鋭い眼差しで敵ゴールを見据えていたからだ。
リーグ戦 24試合 18ゴール10アシスト
カップ戦 3試合 3ゴール4アシスト
CL 9試合 14ゴール4アシスト
代表戦(三年目)2試合 3ゴール1アシスト




