救世主
「それじゃあ日本、ドイツのベスト8進出を祝って、乾杯!」
ビールの入ったジョッキが二つ、軽くぶつかり合う。一気に飲み干した空也と同じく、隣に座っている金髪の男性もなみなみ入っていたビールを瞬く間に空にした。
彼はライナー・ケーニヒ。妻、サーシャの兄であり空也にとっては義兄と言うべき人だ。
「うーん、やっぱり勝利の後のビールは格別だな!」
「そうですね。日本の試合は一進一退のはらはらした展開でしたから喉も良く乾いた。その喉にヘレスはたまりません」
ミュンヘン名産のビールをジョッキに注ぎながら言うライナー。話の内容はつい先程終了したU-17W杯、決勝トーナメント一回戦日本とドイツの試合のことだ。
日本の相手はチリ。両チームとも最初から最後まで攻めては守りの繰り返しで、幾度となく歓声や悲鳴を上げる試合だった。
ボクサーがガードにかまわずパンチを打ちあうような試合は3-2。何とか日本が競り勝った。
日本の前に行われたドイツはアメリカと対戦。攻めてくるアメリカに対しドイツは強固な守備でことごとく跳ね返しては、カールたち役者が確実に点を加えて3-0の完勝。日本戦のようなドキドキはらはらするような展開はない、さながら横綱が関脇を一蹴するような、順当な結果だった。
「今日も試合も鷲介はゴールを決めてこれで7ゴール。得点ランキングも二位に浮上か」
「アドラー君は二得点を加えて9ゴールで単独首位。もっとも明日のアルゼンチンの試合結果ではまた逆転されるかもしれませんが」
グループリーグが終わっての得点王はアルゼンチンの10番、ミカエル・レオンだ。20歳以下最高のドリブラーと称されている彼も”ゾディアック”の一人であり、序列は鷲介やカールよりも上の二位だ。
「しかし二人とも、見事な活躍を見せてくれています。二人の才能を見込んでいた一人としては嬉しい限りですよ。
まぁドイツ人としてはともかく、ロート・バイエルンの人間としては複雑ですけどね」
サーシャが用意したつまみを食べながらライナーは言う。彼はロート・バイエルンのスカウトマンの一人であり、鷲介をRバイエルンへスカウトしたのは彼なのだ。
そして件のカールへも声をかけていたが色々あった結果、彼はライバルクラブであるレヴィアー・ドルトムントに取られてしまったのだという。
「しかし未だに少し信じられないんだよな。五年前の、あのチビ介が今ではプロになり、そしてU-17とはいえ日本代表に選ばれていることが」
「それに関してはよくわかりますよ。スカウトした僕が言うのもなんですが、あの時点で彼がトップチームに上がるところまでは想定していませんでした。
才能は有りました。ただ予想としては19か20あたりでRバイエルン2でデビューすると思っていましたから。トップは、厳しいと」
Rバイエルン2とはドイツリーグ三部に存在するRバイエルンのリザーブチームだ。ユースからプロになった選手は基本、ここに所属し、その活躍次第でトップチームへ昇格する。
黄金世代と呼ばれた昨季のユースチームのメンバーも数名もここに所属している。もっとも例外と言うものは存在しており今年で言うならば鷲介やセバスティアンがそうだ。
「それが17になった直後でのトップチームデビュー。これはさすがに度肝をぬかれました。最初はユース時代のコーチをされていた監督の贔屓かとも思いましたが、そうでないことを彼は証明してくれましたからね」
「とはいえあいつ自身は全く満足していないようだがな」
「でしょうね。……マルクスさんが言うにはいくつかのクラブから移籍の打診が来ているそうです」
鷲介の代理人の名前を聞いて、空也は飲もうとしていたジョッキから手を離す。
「あいつはそれを知っているんですか」
「大会終了後、話をすると言っていましたね。国内はもちろん国外からの話もあったとか。チーム名やオファー内容は全く聞いてはいませんが、マルクスさんが言うにはどれも決して悪い話ではないそうです」
「そうか……。試合に出れないチームから出れるチームへの移籍、まぁ良く聞く話ではあるが」
「やはり心配ですか」
「当然だ。あいつはまだ17だ。せめて国内のクラブなら多少は安心するが他国ともなればな」
一人暮らしのスキルがないわけではない。サーシャと結婚する前まで、空也が忙しいときは──時折母方の家に世話になったこともあったが──鷲介が家事をやっていた。他国で一人暮らしをしてもドイツでの生活経験やクラブからのサポートもあるだろうし、大丈夫だとは思う。
だが一人暮らしとプロ選手としての生活が両立できるかどうかは分からない。サッカー選手として凄まじい才能を持ってはいるが、彼はまだ若い。ちょっとしたきっかけでそれだ台無しになってしまうことも十分考えられる。
何より親として心配だ。もし鷲介に何かあれば早くして亡くなった妻に申し訳が立たない。
「個人的には最初の一年ぐらいはRバイエルンで頑張ってほしいものだ。移籍するにもシーズンが終了しても遅くはないだろう」
「ま、その話は今は置いておきましょう。──鷲介の、日本の次の試合、相手は今大会の四つの優勝候補の一つ、イタリアですよ」
「大会ナンバー1守備力を誇るチーム。今大会未だ失点無し、だったか」
「より正確に言えば無失点記録は欧州予選から続いています。予選で当たった同じ優勝候補であるスペイン相手でもゴールを許していませんからね」
「……たしかスペインにも”ゾディアック”は一人いたよな。そいつは出場していたのか」
「ええ。それでもイタリアはゴールを割らせませんでした。守備力だけで言うならば上のカテゴリーであるU-20を凌ぐとさえ言われています。
イタリアが守備力が高いのは伝統ですが、それでも今大会のU-17は史上最硬とまで言われているほどです」
育成年代最高峰のU-20以上の守備力。もはやそれは並みのプロ以上と言ってもいいのではないか。
「ライナー、一つ聞きたい。そのイタリアの守備陣を日本はどうにかできるか?」
「出来ないとは断言できませんが非常に厳しいと思います。仮に”彼”がいなかったとしても厳しいと言わざるをえない。それほどイタリアの守備は堅固です」
「彼ってのはゾディアックの──」
「はい、イタリアの”ゾディアック”。”ゾディアック”ランキング5位”リベロ”、サルバトーレ・マリオです。
彼を鷲介、いや日本がどうにかしない限り得点するチャンスは非常に低いでしょうね」
◆◆◆◆◆
「憂鬱だ……」
タクシーの中でどんよりしている柳。まるでこれから悪魔に会うような顔をしている。
「いい加減シャキッとしたらどうだ。そんな顔をしていたらせっかく招いてくれたフルール・サンジェルマンやフランスサッカー協会に失礼だろう。
俺たちはU-17とはいえ日本の代表。プロの試合のゲストとして招かれた以上相応の態度をする必要があるだろう」
昨日のことだ、練習が終わった後準々決勝を行うスタジアムを所有するフランスリーグのF・サンジェルマンから今日の試合の特別ゲストとして二人は招かれたのだ。
話を聞いた最初は喜んでいた柳だが、対戦相手であるU-17イタリア代表からも同じようにゲストを招くこと、そしてそのメンバーを聞いてからこのような顔をしている。
「やっぱり適当な理由をつけて断っておけばよかったか。……いや、でもそうしたらマリオのことだ。ホテルまで押しかけないからな。
ああくそ、こんな企画を立てたフランス、それを了承したイタリア、日本の協会が一番悪い……。試合前になんて余計な真似をしてくれてるんだ」
「イタリアの”ゾディアック”、サルバトーレ・マリオ。ランキングは5位、か」
鷲介同様、彼の経歴も凄まじい。近年イタリアリーグにおけるタイトルをほぼ独占しているスヴェントゥースに在籍しており14歳でユースに昇格、昨年シーズン後半からトップチーム昇格を果たした化け物だ。
そして鷲介のように徐々に試合時間が短くなったり途中出場よりもスタメン出場し、尚且つフルタイム試合に出ていることの方が多い。すなわち世界クラスがごろごろ在籍しているユヴェントゥースの面々と互角以上に渡り合っていると言う事だ。
ゾディアックのランキングはあくまで選手個々の能力の評価に過ぎないとされており上位>下位と言う法則は成り立たないとされているが5位から上はランキング通り、以下の面々とは格が違うとも言われている。そして鉄一としてはそれが一理あると持っている。
なにせマリオを含んだ上位五名は昨季全員トップチームデビューしており、歴戦の選手に引けを取らない結果を残し、評価を得ているからだ。一部では彼らこそ真の”ゾディアック”──世界クラスに到達した若手であり、以下の面々はそれらを飾りたてるわき役にすぎないとまで評している人間さえもいるほどだ。
「……なぁ、今から帰ったらダメか? 腹痛とかで」
「駄目だ。いい加減観念しろ」
「ああ、もう! 本当、恨むぜ。こんな企画を考案した人間全員を!!」
頭を抱えがしがしと髪をかきむしる柳。そんな彼に付き添いで来た協会関係者が慰めの言葉をかけているがさっぱり効果はない。
そんなことをしている間にタクシーは静かに停車する。外に出た鉄一の視界には見たこともないほど大きく立派なスタジアムがる。
フランスリーグはもちろん欧州でもトップクラス──あのロート・バイエルンやユヴェントゥースと同格とされているクラブ、フルール・サンジェルマンが所有するサッカー専用スタジアムだ。
スタジアムの案内員とともに中に入る。ゲスト用の通路は流石に静かだが、それでも時折スタンドからの歓声や声援が聞こえてくる。
世界トップチームが持つスタジアムとその雰囲気を感じながら進んでいると、あっという間に解説室に到着した。扉の前で何故か柳が身構える。
ドアが開かれ中に入ると、そこにはスーツを着た四十代半ばの白人男性と、彼らの右側に座っていた鉄一と同じ年代の二人の少年が振り向く。
そしてその少年の一人──ウェーブのかかった黒髪の少年、”ゾディアック”サルバトーレ・マリオはいきなり瞳を輝かせると席を立ち、早足でこちらに近づいてきた。いや、正確に言うならば表情を引きつらせた柳の方へ。
「会いたかったよ鷲介。僕の”愛しい人”!」
「寝言ぬかしてんじゃねー!」
両手を広げ抱き着こうとするマリオに対し、柳は彼の両腕を押さえる。だがマリオはそれに全くひるまず笑顔のまま、ぐぐぐと柳に迫る。
「寝言だなんてひどいじゃないか鷲介。君が僕の盟友でありライバルでありアモーレであることは事実だよ?」
「お前だけのな! さっさとはなれ、ろ……!」
突然始まった少年二人の力較べのような格好に、誰もが驚き動かない。柳からマリオが自分に対し異様な好意を抱いているという話は聞いていた鉄一さえも呆気に取られてしまっている。
ちなみに鉄一はマリオの言っていること──イタリア語が概ねわかる。過去イタリアに遠征したことや、憧れや目標とする選手がイタリアリーグに多いこともあって独学で学んだのだ。
「挨拶も満足にしていないのに離れるわけにはいかないよ。人として当然のことだろう?」
「普通に言葉だけでいいだろう―が! 抱き着く必要ねーだろ!」
どうやら力はマリオの方が強いのか、徐々に距離が近づいている両者。
「そうでもしないと、僕の熱い君への思いが伝わらないじゃないか。さぁ鷲介、盟友同士、再会の熱い抱擁を交わそう!」
「誰がするか! ──ヴィエリ、テツ、見てないで助けてくれ!」
口づけすらかわせそうな距離になって鷲介が叫ぶ。鉄一は一瞬、鷲介の慌てふためく姿が面白いのでもうちょっと見ておこうかと思うが、試合前に日本のエースがトラウマを負うのはまずいと思い、動く。
しかし鉄一が一歩踏み出したその時だ、部屋にいたもう一人の少年──190を超える長身の彼は呆れたような溜息をつくと早足で二人に近づき、柳たちの腕を掴んでは強引に離し、柳を守るように立ちふさがる。
「いい加減にしろマリオ。皆が見ているだろう。今回は言葉だけにしておけ」
「アドリアーノ、君と違って僕は久しぶりの再会なんだよ。抱擁ぐらいは当然──」
「ここは俺たちのホテルでもユヴェントゥースの練習場やスタジアムでもない。場所を考えろ」
ぎろりと睨みそう言うのはU-17イタリア代表のエースストライカー、アドリアーノ・ヴィエリだ。同い年のはずだが、彫りの深いその顔は彼を二十代半ばの大人に見せている。
さすがに仲間に叱責されたのか──それでも不満ありありの顔だが──マリオはむくれながら「わかったよ」と応じる。
「仲がいいねえ」
若者たちの騒がしい挨拶が終わったあと、そう言ったのはMCと思わしき白人男性だ。四十代半ばあたりの中年男性だが、体も顔つきもすらっとしており長い金髪を纏めひげを蓄えた姿はさながら社交界にいるような貴族を思わせる。
その人物を見て鉄一が瞠目していると、アドリアーノが彼に向けて謝罪する。
「お騒がせして申し訳ありません、ロベール・リゴーさん」
ロベール・リゴー。元サッカー選手であり現役時代はF・サンジェルマンやイタリアの名門NASミランに所属。またフランス代表として活躍し、EUROイングランド大会優勝、前々々大会のパラグアイW杯準優勝の立役者の一人として言われる往年の名プレイヤーだ。
「気にしなくていい。若者が元気なことはいいことだ。──さて、初めましてだね柳くん、藤中君。ロベール・リゴーだ。今日は共に試合の解説を頑張ろう」
「よろしくお願いします」
「お会いできて光栄です……!」
ロベールに鉄一はやや高揚して握手を返す。彼の現役時代のポジションは鉄一と同じボランチでプレースタイルも良く似ている。憧れであり目標としている選手の一人だ。
実況者とも挨拶をかわし、鉄一たちは席に着く。ロベールや実況者、マリオたちと雑談しながら両チームの今季の状態やメンバーについて語られていく。
まずホームのFサンジェルマン。昨季はフランスリーグ、カップともに優勝、CLではベスト16に残ったビッククラブだ。Rバイエルンやユヴェントゥースと同様、各国の代表を多く備えている。
そのチームの顔と言えるのは四名。Fサンジェルマンのユース上がりであり20歳と言う若さでチームのレギュラーを獲得したフランス代表のエマニュエル・ヴァレス。ロベールの後継者とも言われており屈強な体躯を生かしたハードなマークや豊富なスタミナによる運動量、そして中盤の底から放たれる正確なパスが特徴の選手で、すでにリーグではアシストを8上げており単独のアシスト王である。
次が不動の右サイドバックであり十年以上イタリア代表のスタメンを張っているディノ・ヴェッチェリオだ。身長は170前半と小柄だがインターセプトやカバーリングの名手として知られている。またエマニュエルと同じく運動量は豊富で自陣、敵陣の右サイドを絶え間なく動いており、FKの名手としても有名だ。今季のCLの予選とリーグを合わせてすでにFKだけで四ゴール決めている。
三番目は昨季のチームとリーグ得点王であるアルゼンチン代表の世界的ストライカー、クラウディオ・ルシオだ。今季序盤はプレシーズンマッチの時に負った怪我で開幕戦から数試合は欠場していたためさほどゴールを稼げてはいないが、一瞬の裏への絶妙な飛びだしと得意のワンタッチシュートは完全に怪我以前の状態を取り戻しており、復帰戦から三試合連続ゴールと好調だ。
そして最後の一人、クラウディオと共にスリートップを組んでいるFW、昨季スペイン屈指の強豪アシオン・マドリーから多額の移籍金と共に移籍してきたフランス代表のエースストライカー、ピエール・アドルフ・フォンティーヌ。
シュート、パス、ドリブルFKと得点に絡む能力が全て世界クラスのスーパーストライカーであり、一昨年のスペインリーグ得点王、また昨季は一月ほど負傷で戦線を離脱したにもかかわらずシーズン終了時点の得点ランキングでは三位。世界最高峰ストライカーとして有名なあのジークフリート・ブラントに匹敵、また一部の人間はそれ以上とも評価を受けているスター選手だ。そして移籍初年度である今年もそれを存分に発揮しており、現時点のリーグの単独得点王でもある。
「改めてみると錚々たるメンバーですね。ユヴェントゥースは昨季あんまり積極的な補強はしなかったから、知名度で言えば負けてるかなー?」
ピッチでアップ中のFサンジェルマンを見ながらマリオが言う。
「Rバイエルンはフィリップさんが引退、レイも移籍してしまったけどジークさんやスレイマニさんがいるし、互角かな」
フィリップ・カレンベルクとは昨季、三十歳と言う若さで引退したRバイエルンのDFの要だ。柳と同じくユースからトップチームに上がり、今の時代では珍しく一度も移籍せず、最後までRバイエルン一筋だった選手だ。凛々しいイケメンで多くの副業などで名が知られている。
レイ・ゴールトンはウェールズ代表の若きストライカーだ。十代でイングランドの強豪ブルーライオンCFCのユースからトップチームに昇格、21歳の時イングランドリーグ得点王を獲得しRバイエルンへ移籍。しかしレギュラーであるジーク達とのポジション争いに敗れ、また出場機会が少ないことを不満にブルーライオンCFCへ復帰。現在は所属チームでレギュラーとなっておりチームの勝利に貢献している。
「まぁいざ試合ともなれば負けるとは思わないが」
「だねー」
平然と言う柳とマリオ。朗らかだった空気が固まり、思わず鉄一は頬を引きつらせる。
「柳くん、それは自分がいるからという自負からかな? それとも現メンバーを信頼しての言葉かな?」
「後者に決まってるでしょう。前線のメンバーは負けていませんが後ろ、DF陣は昨季とほとんど変わっていません。今日のメンバーは昨季のCLのグループリーグでRバイエルンにコテンパンにやられたじゃないですか」
「僕は前者です。ピエールさんは凄いですけど一対一じゃ負ける気はしないですね。それにユヴェントゥースも昨季のCL決勝トーナメント一回戦でも完封しましたし、今のFサンジェルマンの攻撃陣でも僕もいるユヴェントゥースの守備陣を突破するのは容易じゃないですよー」
柳とマリオ二人の冷静かつ容赦のない批評を聞いて実況者はもちろんロベールの眉根に皺がよる。確かに二人の言うとおり昨季のCLでFサンジェルマンは両チームと戦い二戦とも文句なしの完敗を喫している。
だがさすがにはっきりといいすぎだ。鉄一は慌てて何か話題を逸らそうとしたその時、アドリアーノが言葉を発する。
「Fサンジェルマンも凄いですけど相手チーム、マルセイユFCも中々です。さすが昨季Fサンジェルマンと最後まで優勝争いを演じ、今期も二位にいるチームなだけはありますね」
そう言った彼は鉄一へ視線をよこしてくる。それを見た鉄一はすぐさま彼のフォローに入る。
「アドリアーノ君のいうとおりですね。全体的に見ればFサンジェルマンに劣ってはいますが要所では引けを取っていません。
特にチームキャプテンでありエースストライカーであるパトリック・ギレ選手はこの試合の注目選手の一人です」
対戦チームのマルセイユFCはFサンジェルマンと並びフランスリーグを代表するチームの一つだ。近年の成績ではFサンジェルマンの後塵を拝しているがここ十年でリーグ、カップを合わせて優勝四回を誇る強豪だ。昨季はFサンジェルマンとの直接対決に敗れ、その結果落した勝ち点3が最後まで響きシーズンを三位で終えた。
その代表格が今鉄一が口にしたパトリック・ギレだ。昨季の得点王ランキング2位でピエールと共にフランス代表のストライカーとして名高い。今季も着実にゴールを獲得しておりリーグ二位と言う好成績の原動力となっている。
「他の注目選手はセルゲイ・ペトロシャン、シモン・アングーロ、ボナベントゥル・ボカの三人ですかね」
マルセイユFCの面々がアップをするのを見ながらヴィエリが上げた名前。セルゲイ・ペトロシャンはアルメニア代表のCB。シモン・アングーロは昨季のチームアシスト王でもあるポルトガル代表FW。ボナベントゥル・ボカはチーム随一の身体能力と機動力を持つDMFでコートジボワール代表だ。
彼ら三人とパトリックは動きだけで周囲のメンバーと一戦を画す実力者だとわかる。知名度はともかくFサンジェルマンのレギュラーに決して引けを取るものではない。
「あと僕個人としては瀬川選手にも注目したいですね。何せ日本が誇るビック3の一人ですから」
ビック3とはサッカーの最先端である欧州各国のリーグに所属し、尚且つ名門、またはビッククラブに籍を置いている三人の選手の総称だ。
日本代表の主力でありマルセイユFCに所属する瀬川良太選手はその一人で、クラブでも代表でも中盤の底であるボランチとして活躍している。
「現役時代とポジションが同じのロベールさん的に瀬川選手はどうですか?」
「フィジカルと運動量は物足りなさを感じるね。ただインターセプトやパス精度、戦術眼は確かだと思うよ」
正確な批評に鉄一は頷く。ロベールの言うとおり瀬川は頭脳や技術に秀でたボランチだ。的確な動きや読みで相手のパスをカットしたり、自チーム敵チームの戦術変更にもすぐに対応してくる。
「藤中君は逆にフィジカルと運動量は凄いね。パスやシュートも攻撃参加するタイミングを見極めるもの上手い。
ただインターセフトに戦術眼の部分が物足りなく思うよ」
「……おっしゃる通りです」
今までチームのコーチや監督からさんざん言われたことに鉄一は苦笑する。鉄一と瀬川ともにチームではボランチの役目を追っているが、鉄一はフィジカルを前面にした積極的、攻撃的守備をするボランチで瀬川は技術を根幹としている守備的守備なボランチだ。
「柳くんはスピードの一点は間違いなく世界トップクラスだね。ドリブルやシュートも上手だ。ただスタミナやフィジカルはまだプロでも下の部類だね」
「……精進します」
「アドリアーノ君は逆にフィジカルが凄い。並のプロなら圧倒するレベルだ。戦術眼も高く、自分がいるべきポジションに常にいる。反面技術は物足りないね」
「エミリオ・フェラーラ選手のプレイなどを参考にしながら練習しています。あの人は自分と似たようなプレイスタイルなうえ、足元も上手いですから」
ロベールの評に鷲介はかすかにむくれ、一方アドリアーノはイタリア代表のレジェントFWの名を口にする。
「そしてマリオ君は──」
「僕はなんですか?」
「君に明確な特徴は無いね。──全てに優れていて欠点がない。まぁ器用貧乏といえなくもないけど、君らの年代で君レベルの器用貧乏は君以外存在しないから、万能と言ってもいいかもしれない」
「それは流石に褒め過ぎですよー。僕はただ何でもできるだけです」
無邪気に微笑むマリオ。しかしその笑みを見て鉄一はぞっとする。
そう、彼の言うとおり彼は何でもできる。それ故に”リベロ”の愛称と幼少から選出されてきた若きアズーリにおいて常に栄光の背番号10を背負ってきた男なのだ。
「さて、そろそろ雑談もこの辺にして試合の方に注目していきましょう!」
実況者の言葉を聞いてピッチに目を向ける。直後、試合が開始されるのだった。
◆◆◆◆◆
フィールドにいる主審が笛を吹き、ピッチに満ちていた緊迫していた空気が霧散する。FサンジェルマンとマルセイユFCの前半が終了したのだ。
「はい、前半終了です。スコアは2-0、ホームのFサンジェルマンのリードです。ロベールさん、前半はどうでしたか?」
実況者が明るい声で訊ね、ロベールが満足そうな表情で答えていく。フランスリーグを代表する強豪同士の前半45分は、中々に見ごたえの感じられる時間だった。
ホームのサポーターの声援を受けて攻めに攻めるFサンジェルマンと、その攻めを防ぎながらカウンターでチャンスを作るマルセイユFC。全体的な流れで言えばFサンジェルマンが押す時間は多かったが、マルセイユも要所で相手の攻撃を止めては危険なカウンターで相手ゴールを脅かしていた。
先制したFサンジェルマンの先制点を決めたのはピエールだ。前半十分、ゴール前のFKで壁の下をくぐるような低い弾道のFKを決めた。そしてそれで勢いに乗ったFサンジェルマンは攻めの勢いを一気に増し前半二十四分、上がっていたディノを起点としたパスワークでマルセイユFCの守備をかいくぐり、ペナルティエリアに侵入したピエールへのラストパス。
弾丸のような速いそのボールをピエールは当たり前のようにダイレクトでシュートを放ったがそれをセルゲイが体でブロック。だがその転がったボールをクラウディオが押し込んだ。
「ピエールさんのFKは凄かったです。あんなに低くて威力もあるキック、できる人は滅多にいないですよ」
「そうだね。ユヴェントゥースでもFKの名手はいるけど、あれを再現させられる人はいるかなぁ。
あとクラウディオさんのゴールも良かったです。あれぞまさしくストライカーの嗅覚って感じのゴールでした」
Fサンジェルマンと同格のクラブに所属する麒麟児二人は素直に賞賛の言葉を述べている。試合に集中していたのか隣の席にはマリオがいるのを柳は気が付いていない。試合の最中、鉄一とこっそり交代したのだ。
ここに来るまでの柳の様子を見ている鉄一としては断ろうとしていたが、無言で顔を間近に近づけてくるマリオの圧力に屈した。
「エマニュエルさんもことごとくマルセイユFCの攻撃を潰していました。一方の瀬川選手も頑張ってはいましたけど」
「そうですね前半の最初辺りは少し動きが悪かったです。特に二点目、ピールさんへのラストパスを防ごうとしていましたが動くのが一歩遅れました。まぁ瀬川さんの読みを超えたパスを出したエマニュエル選手が凄かったんでしょうけど」
実況者から話を振られ鉄一は素直に答える。
「だがマルセイユFCも攻守にわたって見事でした。二点取られたとはいえ完全に崩されたのは二点目のシーンだけ。少しでも何かが違っていれば0-0、または逆の結果になっていた可能性もありますね」
そのヴィエリの言葉を最後に、ひとまず鉄一たちゲストも休憩に入る。鉄一が柳と共にトイレに行こうとすると嬉々としてマリオが──その横にいる頭痛をこらえるようなしぐさをしているヴィエリがともにやってくる。
「確かこういうのってツリ、ションっていうんだよね。日本の学生固有の文化だって漫画で呼んだよ!」
「連れションだろ! ああもう、近づくなー!」
人気のない廊下でぎゃあぎゃあと騒ぐ天才二人。鉄一がそれをみて思わずため息を浮いていると、同時に隣にいたヴィエリも同じ仕草を見せる。
思わず鉄一は視線を向け、また彼も灰色の瞳をこちらに向けてくる。数秒見つめ合い、ヴィエリは苦笑する。
「うちのマリオがすまないな。後でよく言っておく」
「いや、俺に被害はないからいいんだが。何故あんなに鷲介に絡むんだ?」
鷲介からマリオとの関係は聞いている。昨季の欧州ユースリーグの準決勝、Rバイエルンユースとユヴェントゥースユースの戦いにおいてほぼ鷲介を無力化したこと、昨季の欧州ユースリーグの中でトップクラスの攻撃力をもっていたRバイエルンの攻撃陣から唯一、ゴールを奪わせなかったユヴェントゥースの守備陣の要が彼だという。
「正直なところ、俺もよくわからん。代表で一緒になった時聞いてみたら、欧州ユースリーグでの試合でゴールネットを二回も揺らされたかららしい」
「? 確か試合では双方ともに得点失点がなくPK戦になったと聞いたが」
「確かにな。だが鷲介のシュートがネットを揺らしたのは事実だよ。ただオフサイドになったり俺のファウルで得点は認められなかっただけだ」
彼──ヴィエリのことも聞いている。イタリア代表のゴールゲッターであり、サルバトーレ・マリオに次ぐ要注意人物であると。また昨季まで柳と同じRバイエルンユースに所属しており、そして今はイタリアリーグ二部のプロチームに所属、活躍していると。
「点は入っていない。だがボールをゴールに入れられた。それが理由なのか?」
「マリオ曰く「マンマークに自分がついていたにもかかわらず二度もゴールネットを揺らされたのは同年代では初めての経験であり忘れられない屈辱」だそうだ。
それがどうしてああも鷲介に親しげに接するのか。普通は敵対心を燃やすところだと思うが、まぁマリオは昔からああいう不可解な行動をするので迷惑が無ければ放置してる。止めに入るのも疲れるしな」
「今目の前で柳が迷惑しているようだが」
「何かあればすぐに気が付くし実害はない。鷲介もまだ大丈夫だろう。騒いでいるだけならまだ余裕がある」
この場において両者を良く知るヴィエリの言葉には説得力がある。
「それにフジナカ、君も止めに入らないようだが」
「俺にも実害はないしな。それに柳も試合に影響するとわかれば得意の俊足で逃げるだろ。
そうしないってことはいくらかまだ余裕があるんだろうさ」
「見事な見識だ」
再び見つめあう二人。鉄一は自然と右手を差し出し、彼もまたそれを握り返す。
なんとなくだが、いい友人になれる気がした。
◆◆◆◆◆
「さーて、後半はどうなるかねぇ鷲介」
「前半通りの展開が続くならFサンジェルマンの快勝だろー」
後半が開始され隣で馴れ馴れしく話しかけてくるマリオに鷲介は適当に返答する。休憩中いつのまにかテツと席を交代していることに気づき元に戻るよう言ったのだが、マリオからは笑いながら気にしないと言い、テツはどういうわけかヴィエリと仲良くなっており席を移動したくないと答えた。
マリオからの壁役として期待していたテツの予想外の行動に驚いた鷲介だが、親しげなテツたちを見てとりあえず我慢することに決めた。マリオはウザったいことないがその態度からは悪意の欠片もない。うっとおしい限りだがあと45分なら我慢できるだろう。
(こういう手合いはフェルナンドで慣れているからなぁ)
スペインリーグで活躍しているRバイエルンユースの黄金世代を思いだし、心中でため息をつく。
試合は鷲介の大方予想通りとなった。先制し、ホームのサポーターの声援を受けて攻めに攻めるFサンジェルマンに、それに押され、耐えつつカウンターで対抗するマルセイユFC。
このままFサンジェルマンに追加点が入るのも時間の問題かと思った後半12分だ、Fサンジェルマンのパスを瀬川がカットすると一気に前線──パトリックへ送る。
ガーナとフランスの二重国籍を持つマルセイユFCのエースストライカーはそのボールをきっちり受け取り、近くにいた味方へさばく。Fサンジェルマンも当然ボールを奪うべく動くがボールを収めたボナベントゥルはプレスされるより早くスペースができた右サイドへパス。DFを飛び越えラインを割ろうかと言う強く速いそのボールをシモンが見事足元に収める。
「お、裏取った」
「Fサンジェルマンが全体的に前がかりになったからこそできたスペースだよ。DFとの距離も離れている。チャンスだね」
絶好のカウンターのシーンに鷲介は目を見張り、マリオは冷静に理由を語る。
ボールを受け取ったシモンは真っ直ぐゴールへ向かう。当然DFも近づいてくるがマリオの言うとおり距離が離れているうえシモンのドリブルスピードが速い。あっという間にペナルティエリア付近まで近づく。
側に来たDFと一対一になるシモン。彼は軽快な動きとフェイント、首振りでDFを翻弄、惑わす。そしてDFに生まれた一瞬の隙をついて右にドリブル突破した──と思ったら前を向いたまま左へパス。
そのパスをマルセイユFCの選手はダイレクトでペナルティエリアへ出す。DFの間にできたスペースで出たそのパスを、マークを引きはがして走り込んでいたパトリックがダイレクトでゴールに叩き込んだ。
「お、一点返した」
「選手たちが見事に一体となった完璧な崩しだったね。これはマルセイユFCの方を褒めるしかないよ」
実況者の悲鳴、ロベールの冷静な、しかし悔しそうなコメントが聞こえる中マリオが言う。彼の言うとおりマルセイユの選手が見事連動した結果のゴールだ。
この一点で試合の状況は一変した。攻めていたFサンジェルマンはやや落ち着きを取り戻し、マルセイユFCは反撃の一点で勢いづく。しかしさすがフランスリーグ最高の戦力を保有するFサンジェルマン。エマニュアルとヴェッチェリオを中心にして、マルセイユの攻撃の芽を摘んでは、または攻撃を跳ね返す。オフェンスでもピエールを中心に際どいシーンをいくつも演出する。
一時押されていたFサンジェルマンだが、キーマンたちの活躍でマルセイユFCの勢いを削ぐ。そして彼らの頑張りで再びFサンジェルマンの方へ流れが来た後半25分だ、Fサンジェルマン陣内でドリブルをしていたシモンが倒され、マルセイユFCにFK。
「キッカーはボナベントゥル選手ですね」
「当然でしょう。彼はピエール選手やヴェッチェリオ選手と同じくFKの名手です。ゴール前のパトリック選手たちに合わせるか、それとも直接狙ってくるか──」
実況者とロベールが硬い声で話し合う。ボールはゴールから約三十メートルほどの距離だ。
狙えなくもないが厳しいのではないかと鷲介は思ったその時、ボナペントゥルがボールへ駆け寄っていき、右足を振りぬいた。蹴られたボールは壁を超えてゴールへ迫る。
(いいボールだ。だけど高い、入らない)
鷲介の予想通り、ボールはゴールバーに当たって跳ね返る。跳ね返ったボールに真っ先に反応したのはパトリック、ヘディングでボールをゴールへ放つ。
だがそれをヴェッチェリオがジャンプし、出した足で防いだ。その光景に鷲介はもちろんマリオたちも歓声を上げる。
しかしそのこぼれたボールを近くにいたシモンが飛びつき、強引にゴールへ叩き込んだ。2-2、同点だ。
「さすがマルセイユFC。見事な底力だな」
「反応したヴェッチェリオさんはさすがだったけど、クリアした位置が悪かったね。シモン選手のすぐそばに落しちゃ、押しこまれるよ」
「いや、周りにFサンジェルマンの選手はいたぞ。彼らより早く反応したシモン選手が凄いんだ。同じFWとして見習うべきプレイだな……」
「ボナペントゥル選手のFKも見事の一言だ。入らなかったとはほんの少し下ならネットに突き刺さっていたぞ」
若きイタリア勢、日本勢が続けてコメントする中、スタジアムのボルテージとピッチの選手たちは最高に盛り上がる。必死ともいえるような声援を受ける昨季のリーグチャンピョンは勝利の一点を取るために攻めに攻め、また同点に追いついたマルセイユFCはそれに対抗するかのように後半終盤にも拘らず激しいディフェンスと走力でそれを奪っては、逆転勝利の一点を奪おうと前に出る。
「残り時間五分切ったけど、相変わらずどちらも攻めてるなぁ。引き分けなんて欠片も考えてないって戦いだ」
「普通なら後々のことを考えてどちらか引くと思うが。まぁ双方ともともに優勝争いかつ長年のライバルって話だし、意地だろ」
「あーわかるなそれ。ユヴェントゥースとダブルミラン。RバイエルンとRドルトムントみたいなものかぁ」
正面からの激突を繰り返す両チーム。そしてロスタイムに入りFサンジェルマンの決定的シーンがあった直後だ。GKから繫いだボールがセルゲイに収まり、彼は大きく蹴り放つ。
ピッチを飛ぶボールが向かう先はパトリック。その彼へすぐ近くにいたエマニュエルが屈強な体をぶつけ合いながら競り合う。勝者はエマニュエルを背中で抑え込んだパトリックだ。
足元にボールを収めたパトリックがいつものようにポストをするかと鷲介が思った次の瞬間だ、彼はなんとそのボールへ足を振り上げると頭上に浮かせ、自分は機敏に反転してボールへ向かって行く。
「おお!?」
驚きの声を上げるマリオ。鷲介も反応こそしないが心中で唸っていた。それも当然、彼が浮かしたボールの先にはGK以外、誰もいなかったからだ。
ボールへ走るパトリックとエマニュエル。距離ではわずかにエマニュエルの方が近いが迷いない疾走をするパトリックが彼を追い抜き、ボールへ向かう。
パトリックの正面にはGK以外誰もいない。だが彼の邪魔をするべく散らばっていたFサンジェルマンのメンバーが一斉に迫ってくる。GKも彼らと連携してシュートを防ごうと距離を詰めていく。
その動きは見事の一言だ。GKはシュートを打たれても手や体で止められる位置にいるし、開けたゴールにはループシュートを警戒しているのか、DFが一人カバーに入っている。
あれではシュートは撃てない。そう確信する鷲介だがその予想は、しかし外れる。
「はぁっ!?」
今度こそ、驚愕の叫びを上げる鷲介。なぜならばパトリックはボールに追いつくと同時に低飛空に跳躍し、足を振りぬいたからだ。
そのシュートはドライブ気味のボレーで、ゴールを防ごうとしていたGKの頭上を越えてゴールへ向かう。しかも普通のシュートに比べれば襲いがループと言うほど遅くもない。何よりシュートの軌道はカバーに入っていたDFとは反対側のゴールへ向かっている。
(入るか!?)
マルセイユFC、ロスタイムの奇跡の逆転ゴール。そんな言葉が鷲介の脳裏に浮かぶ。
だが彼の予想はまたしても実現しなかった。ゴール右へ向かっていたボールは向かう最中に軌道が変化し、Fサンジェルマンのゴールポストに直撃するとそのままゴールラインを割った。
そして直後、ロスタイムの時間が終わ、主審の笛が鳴り響く。試合終了、引き分けだ。
「引き分けか~。いや、惜しかったなぁ」
「あのシュートが決まっていれば、今頃解説席は阿鼻叫喚だったな」
小声で話す鷲介とマリオの前、引き分けと言う結果に実況者とロベールがホームチームへの賞賛と安堵に少しの不満、アウェーチームの健闘を語っている。
「マリオ君に柳君、どうだったかな」
「素晴らしいゲームでした。ピエールさんやパトリックさん、世界クラスのFWが魅せたプレイは同じFWとして大きく刺激を受けました」
「攻防共に個人と組織が一体となっており、いい勉強になりました。今日の試合に負けないような試合を僕たちもしたいと思います」
鷲介もマリオも双方の健闘をたたえるようなコメントをする。
「今日は本当にありがとう。君たちの準々決勝も、楽しみに観戦させてもらうよ」
そう言うロベールと別れの握手をして鷲介たちは実況室から退出する。
「フランスリーグはFサンジェルマンの一強状態って聞いていたけど、噂通りじゃなさそうだったね」
「ああ。両チームとも今日の試合の状態を維持できていれば優勝争いは最後までもつれそうだ」
熱戦の空気に当てられたのか若きアズーリ二人が試合内容について熱く語っている。
それを聞きながら、鷲介は眉根をひそめていた。少し気になることがあったのだ。
「難しい顔をしてどうした?」
訊ねてくるテツ。彼の問いに雑談していた二人も鷲介の方を振り向く。
「いや、パトリックさんの最後のプレーがちょっと気になってな」
「何かおかしいことでもあったか?」
「いやそうじゃなくて。……なんであの時間で、パトリックさんがあんなスーパープレイをできたのかってことだ」
マルセイユの絶対的エースであるパトリック。固定と言うわけではないが彼の周りには常にマーカーがおり、ヴェッチェリオやエマニュエルが彼の動向に目を光らせて他のメンバーを動かしてはマークに付け、または彼ら自身がマークに付いたりしてもいた。
世界トップクラスの彼らの重圧に当てられているのであれば体力、精神共に相当に消耗していただろう。にもかかわらず後半ロスタイムと言う時間であのような目を疑うような真似ができたことは素直に凄いと思うのだが──
「普通、あり得ないだろ。あんなスーパープレーができるだけの余裕や時間を与えるなんて。Fサンジェルマンほどのクラブがだ」
フランスリーグの盟主。CL決勝トーナメントの常連チームであるFサンジェルマン。世界トップクラスのクラブチームが。いくら時間が時間とはいえ、だ。
パトリックがFサンジェルマンのレギュラー陣に劣っているとは思っていない。だが明確に上回っているとも思っていない。
鷲介が知る限り、あの状況であのクラスのメンバーを相手にあんな真似ができるのはジークフリートを含めた世界最高クラスの選手だけだ。試合を見る限りパトリックもピエールも、その域に近いが達してはいない。
「なんだ気が付いてなかったのかい?」
あっけらかんに言うマリオに、鷲介は思わず彼を見る。
彼は鷲介がなぜ驚いているのか全く分からないと言った風な表情で続ける。
「パトリックさんがあんなプレイをできたのは彼一人の力じゃないよ。セルゲイさんがパスを出した瞬間、彼の周りにいたマルセイユのメンバーが一斉に動いて、Fサンジェルマンの守備陣の気を逸らしたのさ。
もちろんパトリックさんも首振りでその状況を確認していたからあんな博打に近いプレイをしたんだと思うけど、あの一連のプレイはパトリックさんの個人技に見えがちだけどその実、彼とセルゲイさん、そして彼の周りにいたメンバーの意志疎通が完璧だったから成立したチームプレイだよ」
「──」
彼の言葉に鷲介は声もない。テツもヴィエリも、驚きの表情を浮かべている。
彼に見えているものが自分には見えていなかった。その事実が静かに鷲介の胸を打つ。
「それじゃあね鷲介。明後日の準々決勝で会おう!」
「試合を、楽しみにしている」
「……ああ」
マリオたちが乗ったタクシーが駐車場からゆっくりと発進するのを見ながら鷲介は思う。準決勝は間違いなく、今までで最も厳しい試合になると。
◆◆◆◆◆
「~♪」
「ずいぶんと機嫌がいいな。観戦した試合がよほどいい刺激になったようだな」
タクシーに乗ってからと言うものの、ずっと鼻歌を歌っているマリオにヴィエリは声をかける。
「まぁね。うーん、今無性に体を動かしたいよ! ねぇヴィエリ、今から借りている練習場に向かうのって駄目かな」
「駄目に決まっているだろ。練習場もすでに閉まっている。その元気は明後日の準々決勝で発散しろ」
「ちぇっ。──でもまぁ、そうだね。この体の熱は明後日まで取っておこう!」
無駄に大きな声で言うマリオにヴィエリは苦笑する。だがタクシーの窓に映った彼の顔を見て、戦慄する。
窓際に肘をかけたマリオの姿。だが窓に映っている彼の顔は喜悦に歪んだものだったからだ。
ヴィエリはこの表情を一度だけ見たことがある。そう、U-17W杯の欧州予選、スペイン戦の前日にだ。
あの試合、結果として引き分けだったが内容的に言えばイタリアが優勢だったと思っている。チャンスはこちらの方が多かったこともあるが、何よりマリオはスペインの”ゾディアック”に殆ど仕事をさせなかったのだから。マリオより上のランクであったスペインの至宝をだ。
「ああ、早く明後日にならないかなぁ。試合が待ち遠しいよ」
「……そうだな」
返答しながらヴィエリは思う。彼がいる限りどんなチームにも負ける気はしないと。U-17の頂点に立つのは自分たちだと。