U-17,イングランド戦3
「ナイスゴール!」
「さっすがヤナ! サイコーだぜ!」
「よくやった!」
駆け寄ってきた細谷と志村が鷲介の肩を抱き背中を叩く中、珍しいことにテツまでもが寄ってきて抱き着いてくる。
他のイレブン──GKの宮野までやってきてもみくちゃにされる鷲介。イングランドの猛攻が続いた時間が、それほど苦しかった表れだろう。
「さ、戻るぞ。まだ試合は終わってない。残り時間、このまま最後まで凌ぐぞ!」
テツの声に全員が『応ッ』と気合と魂がこもった返事をしてピッチに戻っていく。鷲介も由綺たちに手を振ってセンターサークルまで戻っていく。そしてその最中、アディショナルタイム3分が表示された。
(さて残り時間、どう来るかな……)
攻めに攻めていた状況で勝ち越し弾を許した。残り時間も少ない。普通なら心が折れそうなものだが、イングランドの面々はそのような顔をしている者はいない。
そしてアーサー。彼もその端正な顔立ちに燃え盛る焔のような執念を見せている。あの顔は同点を狙っている顔ではない。逆転し、勝利することしか考えていない顔だ。そして彼はそれが可能な右足を持っている。
(残り時間で2ゴール。あいつならやりかねないな)
鳴り響く主審の笛と同時にイングランドはほぼ全員が日本陣内へ侵入してきた。対する日本は細谷を一番前に残し──鷲介も残り、守備に回る。
「君が僕のマークに付くなんてね」
「監督からの指示だよ。まぁそんなものが無くても同じようにしていたとは思うけどな」
ボールを足元に収めたアーサーと対峙する鷲介。試合再開直前、テツから聞いたのだ。
システムも細谷のワントップである4-5-1に変更、鷲介は左SMFの位置でアーサーのマークに入った。
右FWから左SMFへのポジションチェンジ、実のところこう言ったことはユースで何度も行っている。ドリブルが得意であり足が速く、パスも上手い鷲介はその特性上、SMFもWGもそれなりにできる。
「悪いがこの短いロスタイムの間、お前さんには何もさせないぜ」
「それはどうかな。僕ばかり見ていれば勝てるというものでもないと思う、よ!」
そう言いながらアーサーは視線を向けていたところとは全く別のところへパスを出し、走り出す。彼へのマークを外さずボールの行く先を見ればそこにはロランドがおり、ボールを足元に収めた彼はすぐさまゴール前へボールを放る。
当然それに飛びつこうとするのはウォーレスたちだ。日本も遠藤や大野、テツがゴールさせまいと、ボールを奪おうと跳躍し、奔走する。
「後ろへ!」
「やらせるかっての!」
前線からのバックパスを収めたアーサーへボールを奪うべく鷲介が襲いかかる。先程の勝ち越し点で残っていた体力はほぼ使い果たしたが、動けないと言うほどではない。Rバイエルン仕込みのディフェンスでアーサーへチェックをかける。
「ボールを、寄越せっ!」
「ことわ、るっ!」
鷲介のしつこいマークに他の選手へボールを預けて走るアーサー。だが鷲介も残りかすのような体力を懸命に使い、彼へボールが来ないようすっぽんよろしくマークに付く。
アーサーの言うとおりアーサーばかりに集中するのは危険だが、その辺りは他のメンバーに任せるしかない。アーサーを放置しておけば冗談抜きでワンプレー──1本のパスやシュートで点が入ってしまうのだから。
『裏が開いた! パスを出せ!』
「志村、中村のカバーに回れ!」
『こっちだ! いやもうカバーに入られた。逆に出せ!』
「9番が来てるぞ! 大野、目を離すな!」
『ボールをくれ!』
「4番が上がってきてる! 注意しろ!」
両チームの選手が罵り合うようにチームメイトへコーチングする。どの声も必死さに満ちている。
何としてもボールを日本ゴールへ叩き込もうとするイングランドに、とにかくボールを奪取やキープ、クリアに尽力する日本。もはや両チームとも意地と気力で動いている。そしてそれは鷲介とアーサーも例外ではない。
「アイリスの前で負けられないんだよっ!」
「それはお互い様だ!」
回ってきたボールをダイレクトで撃つアーサー。しかし鷲介も足を延ばしてつま先にボールを当てる。ペナルティエリア上空の浮いたボールへイーデンや遠藤たちが殺到する。
もう何度目かの日本ゴール前での混戦。しかし今度は宮野の手の中に納まり、彼はそれを迷わず大きく蹴りだす。
クリアしただけのボール。だがイングランドが拾うのも時間稼ぎにはなる。そう鷲介が思った時だ、そのボールをイングランドのGKが足元に収めたのを見てぎょっとした。
位置はイングランド陣内、センターサークルから数メートルと言った距離だ。すぐ近くにはカウンターに残っていた細谷やイングランドの選手の姿もある。
(GKも攻撃参加するとは……!)
あり得なくはないがさすがにCKやボールが一旦外に出た状況と比べれば非常に珍しい。
GKはすぐさまボールを前線へ蹴りだす。つい数十秒前見た光景が再び日本ゴール前で繰り広げられる。
そして十数秒後、ペナルティエリアからこぼれたボール。それを拾ったのはアーサーだ。当然、彼の前に鷲介が立ち塞がる。
(さて、どう来る)
直感的に勝負に来ると鷲介は思う。パスほどではないがアーサーはドリブルも上手い。だがそう思う一方でやはりパスが来るのではと警戒する自分もいる。
一瞬、鷲介がパスを警戒したその時だ、アーサーは来た。ドリブルだ。
「……!」
さっそくボールを奪おうとする鷲介だが、上手くいかない。フィジカル面では互角だが、アーサーのキープ技術が抜群にうまいのだ。前に進みつつもボールが鷲介の脚が届かないところに置いてある。また体をうまく壁代わりにもしている。
さらに間合いや緩急の使い方も見事だ。特に緩急に関してはワンテンポごとに細かく速度を調節しており、よどみがない。明らかに鷲介よりもうまい。
(セバスティアンも似たようなドリブルをするが、あいつよりも上手だな……!)
ボールを奪えないことに焦る一方で鷲介は安堵もしていた。このまま無駄にキープしてくれていれば時間は無情に過ぎ去っていくのだ。時間が少なくなればなるほど日本の勝ちは近づいてくる。
一歩下がり、間合いを広げるアーサー。大きく右足を上げる彼を見て、反射的に鷲介は前へ飛びだす。
(パスを防ぐ! ボールを奪う!)
鷲介が迫る中、ゆっくりとアーサーの右脚が動き、ボールに触れる。ボールが接触したのは踵骨──踵に近い部位だ。
(パスじゃない!)
そう思った直後、アーサーの脚が接触したボールがゆっくりと鷲介の脚の間を通過する。そして同時にアーサーはボールを奪うべく飛び出して空いた鷲介の右側を通り抜ける。
パスに見せかけたまた抜き。そう確信し、振り向いた時には遅かった。アーサーはペナルティエリアギリギリで寄ってきた中村をかわそうとしていた。
フォローに回ってくれた中村に心中で感謝を伝えながら、鷲介は必死に追いかける。そして中村を翻弄して右足を振り上げたアーサーの足元──ボールめがけてスラィディングを放つ。
直後、ボールを挟み鷲介の伸ばした右足と、アーサーの右足が激突する。痛みに表情を歪める鷲介だが、意地と根性で耐える。
刹那の激突、勝ったのは鷲介だ。ボールは彼が伸ばした足先にある。そして負けたアーサーは派手にすっころぶ。
(よし、とにかく今は大きく蹴り──)
だす、と鷲介が思ったその時だ。主審がホィッスルを鳴らした。それを聞き鷲介は血の気が引き、まさかと思う。
予感は的中した。主審はペナルティスポットを指差し、さらに鷲介へイエローカードを提示してきた。
◆◆◆◆◆
様々な声が唖然とする鷲介の耳朶を叩く。喜ぶイングランドサポーターの声、悲鳴のような日本を応援する人たちの叫び。
それらを一通り聞き、瞬間的に鷲介の頭に血が登る。
「……どうして! 今のが──」
後ろからとはいえボールに行っていた。思わず審判に詰め寄ろうとした鷲介を中村と志村、テツが押さえつける。
「熱くなるな! この時間でもう一枚もらったら後々に響く」
「ミヤを信じようぜ。な!」
テツ、そして志村の強い口調──納得がいっていない声を聞き、熱くなっていた鷲介の頭がわずかに冷える。彼らも自分と同じ気持ちなのだ。
謝罪をしてくる中村に鷲介も「元は自分がかわされたからお互い様」と頭を下げる。そして腹の虫がおさまらない状態で日本ゴール前、ペナルティスポットに置かれたボールとそこにいるアーサーを見る。
(頼む宮野。止めてくれ……!)
ロスタイムもほとんどなく、鷲介自身の体力ももうほぼ尽きている。この状況で同点にされれば勝つのはほぼ不可能だ。
観客、ピッチのざわめきが徐々に小さくなっていく。それらすべての視線を集めるのはボールの前にたたずむアーサーだ。
彼は肩で息をしており整った顔立ちに濃い疲労の色も見える。だが不思議と絵になる。まるで今ここにいることが運命づけられていたような──
(いやいや。んなことがあるわけがない)
これはあくまで両チームの実力と根性、執念、運。さまざまな要因が重なった結果だろう。
主審の笛が吹かれ、アーサーは軽く肩を弾ませるとゆっくりとボールへ向かって走り出す。そしてFKのときと同じモーションで右足が振りぬかれた。
「──えっ」
思わず鷲介は呆けた声を出す。なぜならばアーサーの蹴ったボールは宮野が反応していた方向の真逆、ゴール右上部を叩き、外に外れたからだ。
PK失敗。その事実が刹那、フィールドからすべての音を消し、次の瞬間数多の悲鳴が聞こえてくる。
「はず、した? アーサーが?」
鷲介が気の抜けた声でそう言うのと同時に、主審のホィッスルが三度、高らかに鳴り響く。慌てて主審を見れば彼はセンターサークルの方へ手をかざしている。──試合終了、だ。
「よっしゃあっ!」
「決勝トーナメント進出だ!」
抱き合う遠藤や宮野、志村に細谷。あのテツも鷲介の背中を叩いた後、他の面々と抱擁している。
鷲介も喜ぶチームメイトから抱きつかれたり肩を叩かれるが、正直なところ勝利の喜びより結末──アーサーがPKを外したことの衝撃が今だ尾を引いている。
(しかし、まさか外すとは……)
アーサーが外してくれること──または宮野が止めてくれることを望んでいたのは間違いない。だがあれほど唖然としたのは、心のどこかではアーサーが決めるのを確信していた自分もいるためだろう。
とはいえ喜びに沸くチームメイト、歓喜のコールを続けているサポーターを見て鷲介もようやくその顔に笑みを浮かべ、大きく息をつく。
イングランドの選手を見ると当然と言うべきか、皆肩を落としている。特にイーノックたちリベンジ組の中には外聞もなく涙を流しているものもいる。
そんな彼らを励まし、慰めているのはやはりアーサーだった。悲しむ彼ら一人一人に寄り添い、落ち着いた表情で声をかけている。
その光景を見て彼が「騎士王」というこっぱずかしい字名をつけられた理由がよくわかった。自分とて少なからずショックはあるだろうに、それを微塵も見せず仲間を慈しむ。まさに臣下をねぎらう王と言うべき姿だ。
「勝利おめでとう、柳くん」
サポータへの挨拶が終わり、控室に戻ろうと言うところでアーサーが寄ってくる。チームメイトを慰めていた時のような落ち着いた表情だが、目じりはわずかに赤い。
そして右足の動きが左足に比べてわずかに鈍い。それを見て鷲介は言う。
「怪我、完治していなかったのか」
「ほぼ、ではあるけど直ってはいたよ。ただチームドクターからはフル出場するにはもうちょっと様子を見た方がいいとは言われていたけどね」
鷲介はその言葉を聞き、前半の妙な大人しさやミスの理由──今の状態でフル出場に足が耐えられるか確認していた──を理解する。
「やはり君相手では万全じゃない状態では及ばなかったか」
「そう自分を卑下するなよ。正直こっちもいっぱいいっぱいだったぜ。
それもお前たちに勝てたのはある意味、お前たちから代表として戦うことを教えられたからでもあるからな」
あのわずかな会話が鷲介に代表として戦う事への自覚、サポーターの重要度を再認識させてくれたのだから。
おそらく今までのままならばイングランドの勢いに押され逆転され、負けていただろう。
「あとでイーノックに伝えててくれないか。国の代表としての心構えを教えてくれてありがとう。また戦おうってな」
「喜ばないとは思うけど、まぁ伝えてはおくよ」
「……ところで、だ。もしかしてPKを外したのは」
俺のスラィディングの影響か。声を小さくしてそう尋ねようとする鷲介の言葉をアーサーは遮って言う。
「関係ないよ。あれを外したのはあの時の僕の実力だ」
断言したアーサーに鷲介は僅かに沈黙すると「そうだな」と返事をする。
おそらく、いや確実に影響はあったのだろう。だがそれを言い訳にはしないアーサーに鷲介は好感を抱く。
「ユニフォーム交換したいんだが、いいか?」
「ああ、かまわないよ」
鷲介は鮮やかな青色に染められている日本のユニフォームを差し出し、アーサーも背番号7が印されている純白のユニフォームをこちらへ渡す。
「僕たちはここで敗退するけど、君たちは頑張って決勝まで残ってほしいものだよ」
同時刻に行われたブラジルとセネガルの試合は1-1の引き分け。結果、ブラジル、セネガルが勝ち点4となり勝ち点3のイングランドは最下位、グループリーグ敗退となった。
「まぁアルゼンチンにドイツ、スペイン、イタリア。強敵は多いけどね」
「誰であっても負けるつもりで試合をしたことは一度もないぜ。お前だって、そうだろ?」
「もちろんだよ」
不敵に微笑むアーサーへ、鷲介も力ある笑みを見せる。
「それじゃあ、僕は行くよ。またね、柳くん」
「ああ、またな」
去っていくアーサーの姿を見て、鷲介は一日も早く、彼との再戦が実現してくれることを願う。
クラブか代表か。この格好いい男と再び相まみえたいと。