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ダッシュ!!  作者: 浮雲士
第一部
14/191

U-17,イングランド戦2






「皆、よく守り切った」


 疲弊し、控室に戻ってきた皆にそう声をかけたのはイングランドU-17の監督スティーヴ・ブリックだ。2点リードされている状況にも関わらず声音に怒りの色は微塵もない。

 元イングランド代表のDFであり現役時代、その冷静さで熱くなるチームメイトをなだめ、自身は一度たりとも激昂、退場したことがないレジェントは皆が休息を取る間にも、その落ち着いた声音で細かく指示を出す。


「イーノック、後半柳はチームで対処する。いいな?」

「……はい」


 うつむき、悔しさがにじむ声で返事をするイーノック。その心中は計り知れない。

 因縁の相手を前半途中まで上手く封じていたにも関わらず、その彼──柳はたった十数分で2ゴールの原動力となってしまったのだから無理もない。


「気を落とすなとは言わん。だが切り替えろ。あの厄介極まりない男を押さえるには君の実力が必要不可欠だ」


 出場しているDF一人一人に声をかける監督。物理的にも精神的にもズダズダにされたDF網を修復しようとしているのだろう。


(サムライソード、か。映像で見た時も思ったけど、そういわれるだけのことはあるね)


 サムライソードという柳の愛称はマンチェスターFCサポータが彼のドリブルを見てつけたのが最初だ。当時のマンチェスターFCユースの守備は堅固で失点も少なかった。それを彼のドリブルはあっさりと斬り裂いては突破し、幾度もチャンスを生んではネットを揺らした。

 あらゆるDF陣を凄まじい速さと切れ味で無慈悲に斬り裂く東洋の刀剣──。その名に偽りはない。ドリブルスピードやキレだけならば”ゾディアック”No1と言っても過言ではないだろう。ミカエルやロナウドといったドリブラーはいるが、彼ほどのスピードとキレを持っているものはおそらくいない。

 ”ゾディアック”ランキングこそ彼は11位の柳だが、それは彼がスピードとドリブルだけしか世界クラスと評価されていないからだ。つまりランキング上位者はサッカー選手としての総合力の高さで選ばれており、ランキング上位者>下位者といった方式は状況によって容易に覆ってしまう。


「アーサー、調子はどうだ。いけるか」

「はい、問題ありません」


 即答するアーサー。すると監督は水色の瞳で数秒、アーサーを見つめると頷く。


「わかった。なら後半、頼むぞ」


 監督が訊ねたのは全力で行けるかと言う事だ。アーサーは前半も決して手を抜いていたわけではないがやはり二月近くのブランク、所々にミスはあった。ブラジル戦でも同様だったが、相手が攻勢を緩めない、かつイングランドの連続ゴールで若きカナリア軍団が混乱していたこともあってそこまでではなかった。

 ブラジル戦の調子のつもりで試合をしていたがその試合を見た日本も警戒しているのか思った以上に守備は固く、あと一歩のところでゴールを奪えなかった。だが45分の時間があったのだ。ピッチコンディションや気候、風速。そして右足の状態。あらゆる情報の把握に細かな微調整を済ませるには45分は十分すぎる時間だ。


(柳、君に教えてあげるよ。サッカーと言うスポーツは、パスが根幹にあると言う事をね)

 





◆◆◆◆◆






 控室から戻ってきた鷲介の視線が真っ先に捕えたのは、円陣を組んでいるU-17イングランド代表だ。何やら英語で掛け声をかけるとピッチに散っていく。


(気合、入ってるな)


 ゆっくりとピッチに入りながら若きスリーライオンズを見る。誰もが勇ましく、そして瞳には隠しきれない戦意が宿っている。前半終了間際のがけっぷちまで追い詰められていたような様子は微塵もない。

 相手の監督は相当選手のメンタルコントロールが得意なんだなと思いつつボールに触れる。そして後半開始の笛がピッチに鳴り響く。

 ボールが後ろに回されるのを見て早速自分のポジションへ移動する鷲介。だがそこでイングランドの守備形態がゾーンに変更されていることに気が付く。


(ま、当然と言えば当然だな。……しっかし怖いぞ)


 鷲介の頬に流れる汗。それも当然だ。何せ前にいるイーノックはもちろん左右、そして背後からもぎらついた眼差しを感じるのだから。

 そして彼らは身長もそれなりでガタイもいい。正直絡まれているような感じだ。

 

(さて、イングランドはどう来るかね)


 鷲介はそう思いつつ試合の状況把握に努める。そしてちょっと意外に思う。先程のまるで鼻息の荒い闘牛のような様子だったスリーライオンズとは打って変わって、慎重かつ静かな攻め方だからだ。フォーメーションも変更はなく──というよりもむしろ全体的に下がり目に見える。

 失点しているのに前に出ていない相手チームを不審に思っていると、鷲介の元へボールがやってくる。早速前を向くが即座に詰め寄ってくるイングランドDF陣。

 彼らは前方のスペースを潰しなおかつ適切な距離を保っている。これは流石にスピード系ドリブラーの鷲介では単独で突破するのは厳しい。

 そう判断すると鷲介はドリブル突破するふりをして後方にバックパス。宮国、志村とボールが渡ったのを見て左でゆるゆると動いていた動きを即座に左へ急転換、加速する。


(来い!)


 加速する直前志村を見た鷲介。アイコンタクトが伝わったのかマークをかわした志村からロングパスが来る。

 鷲介の狙い通り、DFの裏へ抜け出せるボールだ。オフサイドギリギリで飛び出す鷲介とそれを追ってくる敵DFたち。

 ブラジル、セネガル戦で共に戦っていたためさすがに他の試合よりはパスのタイミングは合ってきており、精度も上がっている。だがやはりユースレベル、鷲介が欲する絶妙なパスではない。本来の狙いであるペナルティエリア内ではなく、エリア外でボールを収めた。


(今度はきちんと対応してきたか)


 サイドにボールが流れたことで鷲介を睨んでいたイングランドDFたちはゴール前を固めている。もちろんイーノックたちが鷲介からボールを奪おうと距離を詰めてくるが、ゴール前を固めているメンバーは細谷や志村たちへの警戒を怠ってはいない。

 前半、あっという間に日本が2ゴールを挙げたのもイーノックを初めとするDFたちが鷲介に気を取られすぎていたと言う事もある。もちろん他の日本の選手への警戒は怠ってはいなかったが、今ほどではなかった。特に鷲介がゴールを決めて二点目が入るときはそれが顕著だった。

 改めて気合を入れ直し鷲介はドリブルを開始、ボールを奪おうとやってきたイーノックらをかわしてペナルティエリア外からゴール左に向けてシュートを放つ。

 きき足ではない左足のシュートだがボールには勢いがあり枠内に収まっている。だがそれをイングランドのGKがパンチングで防ぐ。


(ま、さすがに防がれるか)


 そう思うと同時に鷲介は小さく笑む。何故ならこぼれたボールに細谷が駆け寄っていたからだ。

 ペナルティエリア左へ流れたボールをキープする細谷。そこへ志村がフォローに走り、鷲介はその近くへ走っていく。


(志村からのダイレクトパスをゴール左へ蹴り込む!)


 細谷のキープ→志村のダイレクトパス→鷲介のシュート。練習や試合で何度も行った──点こそ入らなかったが──得意の形だ。

 三点目ゲット。そう鷲介が確信したその時だ。後ろからアーサーの声が聞こえた。


「ダイレクトで来る。柳へのラインを切れ!」


 その声に反応するイングランドDF。鷲介は慌てて志村にパスをするなと指示を出そうとしたが遅く、志村のダイレクトパスはあっさりとカットされてしまう。


「いいっ!?」


 驚く志村の横でパスをカットしたDFはロングキック。そのボールは日本陣地の左サイドへ飛び、そのボールへテツとロランドが走っていく。

 ボールを競り合う両者。勝ったのはテツより一瞬速く跳躍したロランドだ。そして彼がヘディングで中央に落したボールを足元に収めたのはアーサー。

 すぐさまマークに行く春野だが、アーサーは上がってきたDMFとのワンツーであっさり春野をかわし、さらにダイレクトでスルーパスを出す。


(んなっ!?)


 アーサーのスルーパスを見て鷲介は心中で驚きの声を上げた。速く正確な彼のパスは、ちょうど日本のDFたちがボールを奪いに行こうとすればお見合いしてしまうような位置を通り過ぎたのだ。あれでは動けない。

 そのボールへ見事に反応しているウォーレスはダイレクトでシュートを放つ。シュートを打たれた直後やられたと思った鷲介だが、ボールは宮野のパンチングで弾かれる。

 が、安堵したのも一瞬だった。弾かれたボールはエリア内に転がり、それに大野とイーデンが寄ってくる。そして大野より足の長いイーデンが伸ばした足がこぼれたボールを日本ゴールへ押し込んだ。






◆◆◆◆◆






「──」


 セバスティアンの視界には一点返したことに沸き立つイングランドの選手が映っているが、今の彼はそれを認識していない。今彼の脳裏に浮かんでいるのは先程のアーサーが魅せたスルーパスだ。


「お、一点返したか。さすがにあのまま終わるわけはないと思っていたが、思ったより早かったな」

「まぁアヴァロンのスルーパス自体が一点物だったからな。ウォーレスのシュートを防いだ日本のGKも見事だったが、こぼれた位置が悪かった」

「イーデンのすぐそばだったもんね。日本の2番も反応していたけどあれは僕でもハインツでも無理だ。必然的な得点だよ」


 ドイツU-17のメンバーが呑気にコメントする中、画面の向こうで再会される試合。セバスティアンはあることを確認するために、今まで以上に試合全体を注視する。

 一点返したことでイングランドはますます勢いづく。日本もそれに負けまいと全体的に高いポジションを取るが、その日本の陣形をアーサーのパスがあっさりと突き破っていく。彼の出したパスはどれも日本陣内にできた穴をついており、そしてそこへ走るイングランドの選手へ正確に供給されている。

 その結果、正面衝突し、互角だったのは再開されて五分程度だ。それ以降はアーサーのパスの前に日本は下がらざるを得なくなってしまっている。そして全体的に下がってしまったことで前線との距離は離れ、鷲介と背番号11番は孤立状態だ。


「……凄いな。アヴァロンの”フィールド・アイ”は」

「まったくだ。これほどのものとは思わなかった」


 呟くカールとシューマッハ。やはり彼らは気が付いていたようだ。

 フィールド・アイとはサッカー選手に必須とされる空間認識能力が極めて高く、ピッチを二次元ではなく三次元、立体的に認識できる視野のことだ。

 フィールド・アイには四つの段階がある。まずLV1はピッチを三次元的に見れる──見下ろすようなことを可能とする。LV2は味方の選手がどのように動いているか正確に把握、LV3は味方だけではなく敵の動きさえも分かってしまう。

 そして最終レベル、LV4は敵、味方の動きから双方がどう動くのかを先読みしてしまうといったものだ。

 世界中のサッカー選手の中で名司令塔、ゲームメーカーと言われている選手は大勢いるがそれでも彼らはせいぜいLV2までが大半だと言われている。セバスティアンのチームメイトでありドイツ代表のゲームメーカーであるフランツもレベル3らしい。


「カール、君はアーサーのレベルをどう見てる?」

「LV3は確実だな。お前は?」

「僕も同意見だよ。……まったく、とんでもないね」


 セバスティアン自身のレベルはLV1からLV2の間と言ったところだ。だが彼の年代ではそれさえも希少かつずば抜けたレベルと言える。

 ”ゾディアック”のメンバーでもロナウドやラウルと言ったフィールド・アイを持つ選手は何人かいるが、アーサーのそれは彼ら以上だ。おそらくそれだけならばゾディアックを含めたユース年代の誰よりも優れているだろう。

 イングランド優勢の状況で試合は続く。だが押されている日本もただ無抵抗のサンドバック状態と言うわけではない。


「日本の背番号10、フジナカといったか。やるな。Jリーグとはいえ俺たちと同じプロなだけはある」


 カールの言うとおり、イングランドの攻勢を防ぐ日本の中核は彼だ。的確なコーチングで日本の守備陣をコントロールし、またカバーリングなどで縦横無尽に動き回っているのに動きが鈍っていない。大したスタミナだ。

 そして日本の反撃の核も彼だ。イングランドの選手をも圧倒する強靭なフィジカルでボールを奪い近くの味方はもちろん、前線にいる鷲介へ幾度もカウンターのパスを送っている。

 そのボールを受け取った、またはDFの裏を突いたロングボールに対し鷲介はいつもの高速ドリブルでDFを翻弄。ゾーンで守るイングランドDF陣に止められたりしてはいるが、そう易々とボールは失わずキープしたり、またシュートや背番号11への見事なラストパスへ持って行っている。

 イングランドの陣深くに残っている背番号11は鷲介よりもボールロストする回数は多いが、それでも体を張ってボールキープ、またはオフ・ザ・ボールの動きをしては鷲介からのパスを受け取り、それを味方へ返していたりする。

 全体的に見ればイングランドが日本を追い詰めているように見えるが、日本もイングランドへ的確かつ痛烈な反撃を行っている。


「とはいえ日本は早く三点目が欲しいな。このままだとイングランドに同点にされるのは時間の問題だ」

「そうだね。どちらかが得点すれば、状況は大きく変化するしね」


 そう答えながらセバスティアンの視線は今味方からパスを受けたアーサーをじっと見る。彼に対して二つ、不可解なことがあったからだ。


(どうしてアーサーは後半から全力で来たのかな)


 前半からすれば後半のアーサーは別人のように攻防共に奮闘している。しかし何故前半を後半のようにしなかったのか。

 フィールド・アイによるピッチや選手など全体の把握に時間がかかるのは分かる。しかしそれでも──個人差はあるが──二十分もあれば完了するだろう。セバスティアンやフランツもだいたいそれぐらいの時間でピッチの掌握を済ませてしまう。

 彼の場合、前半45分丸々必要なのだろうか。可能性としては考えられなくもないが仮にも”ゾディアック”──十代で世界レベルの実力に到達した麒麟児がそうであるとは考えにくい。

 それに気になる二つ目、それは彼のプレーが全力すぎると言ったことだ。なんというか後先考えていない、常に100%と言った風に見えるのだ。サッカーを覚えたての子供でもあるまいし不自然すぎる。


(もし僕の感じた違和感が正しかったとすれば、考えられる可能性は一つだけ──)


 日本陣内深くロングパスを送るアーサーの右足──負傷した個所へセバスティアンは鋭い視線を注いだ。






◆◆◆◆◆






「そろそろ点が欲しいな……」


 乱れている呼吸を鎮めながら鷲介は呟く。ちなみに日本語なので周りにいるイングランドDFたちには意味は通じていない。

 後半二十分過ぎた辺り、嵐のようなイングランドの攻勢もやや陰りが見え始めてきていた。一点返した直後、交代したイングランドの選手はともかく、特に攻撃陣の動きは前半とうって違って明らかに鈍ってきている。


(アーサー達主力の連中はまだ元気そうに見えるが、消耗していないはずはない。ここで一点決めれば──)


 間違いなく試合を決定づけることになる。何とかしてゴールを奪えないか考えているとボールがラインを割る。日本ボールだ。


「……。スローイン、か」


 ふと、試してみたいことを思いつく。志村のスローインで再びピッチにボールが戻り、そのボールがテツに渡ると、鷲介は叫ぶ。


「テツ! くれ!」


 その声にテツは非難──いつもテツと呼ぶなと言っている時の──視線となるも、即座に大きくボールを蹴る。

 テツのきっつい視線を見てすぐに走りだしていた鷲介。フィールドの右側に転がっていくボールを全力疾走で追いかける。


「っしゃああっ!」


 そのかいもあってからラインを割る寸前でボールを収めることができた。だが当然のことながらイングランドDFたちは追ってきており、またゴール前も固めてしまっている。

 しかし鷲介は全く構わず囲んできたイーノックたちが充分な距離まで近づくと、センタリングを上げるふりをしてわざと彼の体にボールを当ててラインの外に出す。


「春野、スローイン頼む!」

「あ、ああ……」


 ラインを割ったボールを鷲介はボールボーイから受け取り、春野に渡す。そしてボールを離す直前、すぐにボールをくれと言ってピッチに戻っていく。

 鷲介の要求に眉根をひそめている春野だが、要求通りボールを渡してくれる。そしてゴールの方へ振り向くが、当然イングランドDFたちが待ち構えている。


(守備陣は適度に整っている。──やるか)


 そう思うと鷲介はゆるゆるとゆったりとした動きで横へ移動。そして近づいてきたDFが適度な距離まで詰めてくると加速する。

 当然それにつられるDFたち。彼らが動いたことディフェンスの網に穴が生じそこへ走っていく細谷。それのカバーに回る他のイングランドメンバー。鷲介からパスをもらおうとサイドへ流れる春野。逆の左サイドでは手を上げてボールを要求している志村もいる。

 視界全ての動きを視野に収め、鷲介はさらにゴールへ近づく。ペナルティアークまで近づくと、それを危険と判断したのか適度な距離を保っていたイーノックとモイーズがボールを奪おうと迫る。 


(それを待っていたんだよ!)


 鷲介は心中でほくそ笑み、左右にフェイントを入れて大きく右足を振りかぶる。シュートを警戒したのか慌てて近づいてくるイーノックたち。そして彼らが先程までいたスペースはまだ埋められておらず、そこへ細谷が走り込んでくる。

 鷲介の狙いは二つあった。一つは単純にスローインからのボールを受けて単独、または細谷たちとの連携でペナルティエリアに斬り込みゴール。だがそれは一切油断のない眼で鷲介を睨んでいるイーノックたちを見て断念。二つ目の策──現状のような状態を作ることにした。

 春野、そして志村がサイドに流れることで両サイドのDFは僅かではあるがそちらに動き、また鷲介に寄ってきたイーノックたち。結果、ペナルティエリア内部にスペースができる。そこへのラストパスをだし細谷がゴールを決める──


(決定て、き──!?)


 だが三点目を強く期待した鷲介の両目は大きく見開かれる。パスを出した直後、鷲介の後ろ斜め左から飛びだしたアーサーがインサイドのスラィディングでそのボールに触れてしまったのだ。結果パスは大きく軌道がそれ、ボールを奪おうとしていたイーノックたちの前へ転がってしまう。


「残念だったね」


 左耳に響く熱のこもったアーサーの美声。彼はすぐさま立ち上がると日本ゴールへ向かって走り出し、同時にボールを要求する。


(この、野郎!)


 必殺のパスを防がれ、さすがに鷲介も頭に血が上った。反転し、ボールを受けドリブルを開始したアーサーの背後へ迫る。

 離れていた距離は十メートルもない。あっという間に追いつき先程の仕返しのようなスラィディングを放つ。だが鷲介のスパイクがボールに触れるより早く、アーサーは大きくボールを蹴っていた。


「残念、だったね」


 アーサーは鷲介に横顔──それもさわやかな笑みを浮かべた──を見せ、尚且つパスを出した直後、鷲介のスラィディングを軽やかなジャンプでかわす。あまりにも無駄がなく、絵になっているその動きと姿に、鷲介は一瞬目を奪われる。

 しかしすぐさま正気に返り、鷲介はボールの行方を探る。そしてボールが一気に日本ゴール前──ペナルティアークへ飛び、それを遠藤から競り勝ったイーデンのポストを収めたウォーレスを見て頬を引きつらせる。

 テツ──中盤を無視したロングボール。しかし効果は絶大だ。DFたちも中途半端な位置におり、ゴール前には遠藤と大野、CBの二人だけだ。


「止めろ!」


 思わず叫ぶ鷲介。そしてペナルティエリアへ侵入しようとするウォーレスを大野が体を張って止めた。

 安堵する鷲介だが、それもまた一瞬だった。主審の笛が鳴り響き、ペナルティアークを指差す。日本ゴール前、絶好の位置でのイングランドのFKだ。

 やや落胆しつつも気勢を上げるサポーターの声が響く中、あわただしく壁を作る日本とは対照的にイングランドの面々は手早くファウルの位置にボールを置き、そこへ誰も近づかない。

 いや、一人だけ近づく者がいた。アーサーだ。悠然と歩いてくるその姿は、何故か高貴、不可侵と言った雰囲気を漂わせている。


騎士王ペンドラゴン……」


 アーサーがボールの前に来ると同時に、騒いでいたイングランドサポーターが静まり返る。その光景はまるで王とそれに傅く臣下のようにも見え、鷲介は自然と彼のあざなを口にする。

 鷲介の心中でパトカーよろしく危険信号のサイレンが鳴り響く中、主審のホイッスルが鳴る。そしてアーサーは軽く一呼吸をしてボールへ駆け寄っていき、右足を振りぬく。


「──」


 アーサーの右足から放たれたボールはゆっくりと弧を描き日本ゴールの斜め左隅に突き刺さった。宮野も一歩も動けない、見事な一撃だ。

 だがそれは、文句が付けようがないものだった。速さ、軌道共にどうしようもなく、そして綺麗だった。今まであれほど美しく完璧なFKは見たことがない。


「凄い……」


 同点に狂喜乱舞するイングランドサポーターやスリーライオンズの面々を見ながら、小さな声で鷲介は呟く。褒めるしか、認めるしかないFKだった。

 しかしそれは当然、日本代表にとって痛烈すぎる一撃だ。0-2から2-2に追いつかれたのだ。しかも一方的に攻撃されていただけではなく、こちらも攻めて、時折相手をギリギリまで押し込んでいたのにだ。

 同点弾のショックが抜けきらぬ中、試合は再開される。鷲介にもあの見事なFKと同点弾の精神的ダメージは少なからずあったが、それでもまだ同点という事実が彼の気概を挫かなかった。しかし、


「くっ!」


 鷲介に向かってきたボールをイングランドの選手がインターセプトする。攻め込まれる展開を見るに見かねてたまらず下がってきた鷲介だったが、サポーターの声援に押され、勢いに乗ったイングランドの選手たちは動き続けてはボールをキープし、逆転弾を叩き込むべく日本ゴールに迫っている。

 声援がプレイヤーの力になる。よく聞く話だが、今ほどこの言葉の意味を理解できる状況もない。

 一方の他の日本のメンバーは誰もが追い詰められた表情だ。文句のつけようがない同点弾に後半終盤、そして疲労と言う要素が重なった結果、もはや日本は押し込まれ逆転弾を防ぐのがいっぱいいっぱいと言った有様だ。同点弾からすでにイングランドはシュート三本、CK2本を得ておりその両方から放たれるシュートはそのどれもが日本ゴールの枠内に向かっていた。


「テツ、志村、みんな。とにかく俺にボールをくれ! なんとかする!」

「わかってるよー!」

「今忙しいから少し待て! 前線にいろ!」


 テツや志村、宮野らが必死の表情で奮戦しているもいつもに比べ気勢は弱弱しい。そして再びゴール前で日本がファウルを犯し、イングランドのFKとなる。

 キッカーはもちろん鮮烈な同点弾を決めたアーサーだ。鷲介の頬を脂汗が滝のように流れる中、再び貴公子の右足が唸りを上げる。

 壁を越えゴール内──今度は右側──に向かうボール。だが狙いすぎたのか、そのボールはポストに当たり、跳ね返る。

 当然クリアしようと駆け寄る日本のメンバーだが、イングランドは当然それを押し込まんとする。鷲介は混戦状態になる日本ゴール前を見てたまらず下がりたくなるのを必死に堪え、カウンターのボールが来たときに備える。

 後ろを見れば相変わらずイーノックたちが鷲介の周りにいる。疲労の色が濃い顔をしているが、鷲介への視線の強さは先程と変わりない。鷲介への警戒は怠っていないようだ。


「お前さんたちは前に出ないのかよ」

「お前を放置するほど浮かれてはいない。今はまだ同点なのだから。

 それに俺たちとマンチェスターFCサポーターが味わった屈辱をこの場にいる母国のサポーターたちに与えるわけにはいかない。一国の代表として、当然のことだ」


 挑発するような口調で言う鷲介に真顔で答えるイーノック。その言葉に鷲介は眉をひそめる。

 薄々思っていたがこの男、少しばかり執念深すぎやしないだろうか。確かに欧州ユースリーグでボロボロにしてやったがあれはアーサーがいなかったせいもあるのに、これほどまで根に持つことでもないだろう。


「俺の言葉がよくわからないと言った顔だな。なら、俺たちに負けて味わうと良い。母国のサポーターの前で負けることがどう言う事なのかを」


 母国のサポーター。そう言われ思わず鷲介はスタンドに目を向ける。

 改めて見ればブラジル、セネガル戦と違いイングランドのサポーターの数は多い。イングランドとフランスと言う地理的に近いせいもあるのか、スタンドの八割近くがイングランドのサポーターやそれを応援している人のようだ。

 試合の状況を把握しながらスタンドを見回すと日本のサポーターの数の少なさに気が付く。イングランドに比べればほんの一握りと言った数だ。

 しかしそれでも彼らは必死に声援を送っている。テツや志村の名を叫び、また自分の名前が書かれている旗を振っている人もいる。


「……なるほど。確かにそう簡単に負けられない気持ちになるな」


 鷲介はサポーターについてあまり深く考えたことはなかった。なにせ今までは試合になれば常に大勢のサポーターがいるのは当たり前だったからだ。

 だがそれはロート・バイエルンと言う欧州、世界トップクラスの強豪であり、欧州各国に大勢のサポーターを持っているチームだからだ。

 しかし今は日本代表──日本と言う極東の島国を代表するチームの一員。日本よりはるか離れた異国であるここフランスでは彼らサポーターの数は少なくて当然だ。A代表ならともかくU-17ならばわざわざ日本から応援に来る人も非常に少ないだろう。


(でも、彼らは今、ここにいる。応援してくれている)


 イーノックの言葉が決して大げさではないことがわかった。異国にやってくると言う事だけでも大変なのに、彼らは応援するために色々な事柄──事の大小はあれど──を片付けてここにいるはずだ。そこまでして応援にきてくれてきているのだ。

 そして望んでいる。彼らサポーターは日本の強さを、世界を相手にしても勝てることを。遠くはるばる異国までやってきたそんな彼らを落胆させるようなものを見せるわけにはいかない。無様に負けて敗北の味を味あわせるわけにはいかない。

 正直なところ、心のどこかでこのまま押し負けてしまうかなと思っていた鷲介は改めて気合を入れ直し、もう一度サポーター席を見る。

 そして、気づく。日本サポーターの外れの席に見知った顔があることを。由綺が、リーザが、そして両親がいることを。


「……負けられないな」


 恋人や家族の応援を覇気に変えて、鷲介は改めてピッチを見渡す。相変わらずイーノックとモイーズが油断なく自分を見張っているが、同点に追いつき勝ち越し点を狙っているチームの雰囲気に当てられているのか、両SBは鷲介より少しだが前にいる。

 またボランチ、中盤も攻め上がっており、中盤とディフェンスのバランスが悪い。幾つものスペースがある。


(これなら、何とかなるか?)


 そう思う鷲介だが、すぐさま否定する。何とかなるかではなく、何とかするのだ。

 鷲介としてはできないとは思わない。イーノックたちは確かに厄介だがレヴィアー・ドルトムントやEFAユースリーグで戦ったユヴェントゥースのディフェンス達ほどではない。

 そもそもプロである鷲介がU-17相手にこのまま抑え込まれているわけにもいかない。プライドが許さない。


「柳!」


 ゆるゆると動いていた鷲介の元へテツの苦しげな声が響く。マークを受けつつもボールキープをしているテツを見て、鷲介はややサイド寄りだった位置から一気に中央へ走り出す。ダイアゴナルランだ。

 直後こちらの狙いを看破したテツからボールが送られてきた。ディフェンスの裏へ飛びだした鷲介の前へ彼が出したボールが落ちる。オフサイドはない。

 イングランドの、イーノックたちの守備は中々に厄介だった。だが彼らは絶対的にスピードと加速で鷲介に劣っている。もちろん経験や先読みなどでそれらを防ぐ術はあるが、彼らのそれは鷲介のスピードや加速を止められるレベルではない。 

 残っている力と応援で戻った気力をフル活用して、ボールを追う鷲介。さすがU-17のパサーであるテツのボールは細谷よりも精度がよかった。後半終盤と言う状況でもGKが飛びだしにくい場所へ落してくれた。

 左サイド、ペナルティエリア近くでボールを収めた鷲介へ当然イーノックたちが迫ってくるが、鷲介はそれらに脅威は感じずゴールへ迫る。緩急を織り交ぜた──ユースレベル相手ならば、意識しないでもできるようになった──高速フェイントでイーノックとモイーズをあっさりとかわす。


(前半、散々マークに突いていたのが仇になったな)


 あれだけ執拗にマークされているのならば、マークされる側としても相手のタイミングなど、色入りと察することもできようものだ。

 そしてボールを奪いに来た三人目もシザーズで惑わしペナルティエリアへ侵入。ショルダーチャージをものともせずシュートを放つ。

 GKは反応してはいたが、それだけだ。動き出すのが遅すぎた。鷲介の弧を描いたシュートはそんなGKの伸ばした手を燕のように軽々とかわし、ゴール右へ突き刺さる。

 湧き上がる歓声とチームメイトの歓喜の叫びを聞きながら、鷲介は日本サポーター──家族の前へ走っていくと、円満の笑みを浮かべて右腕を天に向かって突き上げた。






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