混迷のゾディアック①
賑わう軽食店。その一角で鷲介はため息をつく。
テーブル傍に置いている大きな紙袋には実家から少し遠いところにあるデパートで購入した洋服がある。
気晴らしもかねて出かけた今日だが、さほど気は晴れない。原因は先々週、そして昨日行われたドイツリーグの試合だ。
「まさか勝ちきれないとは……」
22節にてLミュンヘンに0-4の大敗を喫したRバイエルン。優勝を争うチーム同士でありダービーマッチでの惨敗に監督はもちろん鷲介たち選手たちも各方面からボロクソに叩かれた。
そんな批判の嵐を吹き飛ばそうと挑んだ昨日の23節、南郷のいるベアリーンFCとの試合。
水曜日にはCLを控えていること、またLミュンヘン戦での疲労を考慮してか鷲介はベンチ外。フランツ、クルト、ドミニク主力をベンチに置いた。
今まで通り5レーンで圧倒するも前節での負けが影響していたのか、いつもよりパススピードやテンポ、勢いがわずかに遅れてた。
そんなRバイエルンの攻撃をベアリーンFCは耐え抜き、またはLミュンヘンのようにあえて攻撃させ、特定のところに来たら嵌めて取る守備でカウンターを繰り出し先制点を挙げ、前半を終える。
後半開始10分過ぎ、ジークが同点弾を叩き込み一気に逆転しようとするRバイエルンだが、そのすぐ後に再びベアリーンFCのカウンター。最後は南郷が押し込み再び勝ち越しを許してしまう。
その後捨て身というように攻めるRバイエルンだが、攻守の歯車がうまくかみ合わない。幾度もチャンスを作るもゴールネットは揺らせず、逆に相手のカウンターでピンチを招く。
敗色濃厚の雰囲気が漂っていたが、ここでチームを救ったのはチームのエースストライカー。後半ロスタイムに入る寸前、ジークが相手DFを強引に振り切って放ったシュートが見事ゴールネットに突き刺さる。
しかしスコアが動いたのはそれが最後。結果2-2の引き分けで試合を終えることとなった。
(CL決勝トーナメント直前の試合。
Lミュンヘンの大敗を消していい雰囲気で挑むためにも勝ちたかったな……)
23節が終了した結果、順位はこの通りになった。
1位 Lミュンヘン 23戦18勝4分1敗 勝ち点58
2位 Rドルトムント 23戦18勝3分2敗 勝ち点57
3位 Rバイエルン 23戦17勝5分け1敗 勝ち点56
4位 Rゲルセンキルヒェン 23戦 14勝7分2敗 勝ち点49
5位 ヴォルフFC 23戦14勝4分5敗 勝ち点46
6位 フランクフルトK 23戦11勝9分3敗 勝ち点42
LミュンヘンにRドルトムント。この二チームはRバイエルンとは正反対に好調を維持。見事Rバイエルンを抜き去っている。
そして昨日の試合にもサポーターやOBから批判の声が上がっている。一部の過激な意見としてもしCL決勝トーナメント初戦で負ければ監督解任したほうがいいというものもある。
(さすがに拙速すぎると思うが、相手が相手だからな)
明後日──水曜日のCL決勝トーナメント一回戦の相手はイングランドリーグのマンチェスター・アーディック。
そう、現Rバイエルン監督、ヨシュアが前季まで率いていたクラブだ。
ネットニュースを見るに向こうイングランドではこの試合について、大いに盛り上がっているという。
そしてこの対戦は、鷲介にとっても特別だ。何せかのクラブには同じ”ゾディアック”が二人、いるのだから。
(カール。そしてパトリック・ミラ。
今のチーム状況で二人が同時に出てきたら、かなり厳しくなる)
マンチェスターA、そしてカメルーン代表不動のボランチでもあるパトリックに、ジークの後継者と目されているドイツの至宝たるカール。
万全のRバイエルンならばたとえ二人がいたとしても問題なく戦えるだろうが、今のチーム状態では苦戦は必至だ。
対戦するマンチェスターAだが、こちらはリーグ三位。優勝争いに関わっており、チームも三連勝と好調だ。
「間違いなく難敵。明後日の試合、どうなるか……。
ん? ……!」
注文したコーヒーを飲みながらそう考えていたときだ、鷲介の視界に驚くべき口径が目に入る。
喫茶店の窓ガラスの向こう、路地に仲良く並んで歩く男女の姿を見たからだ。
男性の方はどこかで見たことがあるような、眼鏡をかけた優しそうな長身痩躯の日本人男性。そして隣にいるのは楽しそうな顔で男性と話す由綺の姿だった。
◆
「だ、誰だあれは。……そうだ、以前由綺と会っていた職場の先輩だ!」
建物の陰に隠れ、由綺に笑顔を向ける男性を凝視していると鷲介は思い出す。確か名前は岡本といっただろうか。
とはいえ以前ほど心が落ち着かない。というのも彼が由綺に向けるそれはただの同僚が向けるものではないと感じるからだ。
(あれは好意を持つ異性に向ける顔。由綺の奴、気づいているのか……!)
ぬぐぐと表情を歪め、鷲介は由綺に目を向ける。
彼女は全く気付いた様子がなく、朗らかな顔で楽しそうにお喋りしている。気づけよと鷲介は心中で唸る。
(それにしても何で二人きりで。仕事で使うものを買いに来たのだろうか)
移動する二人を追跡しながら鷲介は思うが、しばらく様子を見て違うと確信する。
訪れる店は靴屋や洋服店ばかりだ。そして洋服店では気に入ったものがあったのか、由綺は服を手に取ると、岡本の体に合わせている。
その様はまさしくカップルそのもの。鷲介は物陰から飛び出したくなるが、騒ぎを起こしてはまずいと懸命にこらえる。
真綿で首を絞められるような、胃袋がキリキリするような、微弱な苦痛を感じる時間が続く。
(よ、ようやく終わりか……)
駐車場までやってきた二人を見て、鷲介は大きく安堵の息を吐く。
二人を見かけたのは昼過ぎだったが今は夕暮れ前。難行の如き時間だった。
車に向かおうとする岡本。しかしなぜか由綺は呼び止めると、店で買った袋の一つを開き、中から取り出した包みを彼に差し出たのだ。
「んなっ……!」
思わず声が漏れ、慌てて口を押え物陰に隠れた。
大きくなった心臓の鼓動が落ち着き、周りを確認して、再び視線を由綺の方に向ける。
鷲介は目を見開き、再び声を発しそうになるのを懸命にこらえた。その理由は岡本の首元にまかれているマフラーだ。
先程まではなかったものだ。そして彼の手には由綺が差し出した包み──破いた紙袋がある。
つまり、あのマフラーは、由綺からのプレゼントというわけだ。
(ど、ど、どういうつもりだ由綺。なぜお前がプレゼントをするんだ)
バレンタインデーが直前の二月中旬の今日。これが日本ならば特に不自然なところはない。
だがここはドイツ。そしてドイツではバレンタインデーは男性から女性に贈り物をするのが慣例だ。
ちなみに鷲介と由綺は恋人になってからはお互いにプレゼントを渡している。そして今日鷲介がデパートに来たメインの目的は、由綺へのプレゼントを買うためだ。自分の洋服はオマケに過ぎない。
嬉しそうに笑う岡本。少し由綺と談笑して彼は自分の車に乗り、去っていく。
それを見送り由綺が身を翻したのを見て、鷲介は物陰から飛び出した。
「わっ、鷲くん。
こ、こんなところでどうしたの?」
目を丸くし問いかける由綺。
まっとうな質問だが頭に血が上った鷲介はこう返す。
「お前こそあの男──ええと、確か岡本さん、だったか──と、数時間も何やっているんだ」
「数時間? ……もしかしてずっとつけていたの?」
「悪いか!」
逆切れしたかのように叫ぶ鷲介。
だが数時間にかけて恋人と他の男性が親しくしているところを見ていたのだ。落ち着けというほうが無理がある。
鷲介の剣幕に由綺は困惑しながらも小さく息をついて、観念したかのように口を開く。
「えっとね、鷲くん。今日岡本さんに付き合ってもらったのは鷲君へのプレゼントを選ぶためなの」
「さっきマフラーを手渡していたのは何なんだ」
「あれは付き合ってくれたお礼だよ。それに岡本さんこの間、出勤時に着けてきているマフラーを買い替えようって言っていたから」
「だとしてもだ、彼氏のプレゼント買いに来ているのに、他の男性へのプレゼントを買うとかないだろ、普通」
鷲介の言葉に眦を下げる由綺。
申し訳なさそうなその表情を見て鷲介は攻勢に出る。
「由綺、もうあの男と二人きり、で、出かけるな」
流石に二人きりになるなとは言えず、少し言葉に詰まる鷲介。
「え、どうして?」
「あいつがお前に好意を持っているからだよ!」
きょとんとする由綺を見てたまらず鷲介は叫ぶ。
そして思い出す。昔から由綺は異性からの好意にはひどく鈍感だったことに。
小学校時代も、そしてここドイツでも、好意を持っている男は大勢いた。もっとも何故か告白されるようなことはほとんどなかったようだが。
「それはないよ。だって岡本さんは彼女がいるもの」
「だとしても油断するなって言っているんだ。大体ロビンさんみたいな複数の女性と付き合う男だっているんだぞ!
そもそも彼女がいるのに他の女性と二人きりで出かけるような男、信用できるか」
吐き捨てるように鷲介がそう言うと、由綺は眦を上げた。
滅多に見ない怒り顔の由綺を見てひるんだ鷲介に、由綺は言う。
「そんな言い方はないよ。岡本さんは真面目でいい人だよ。
それは一緒に仕事をしている私がよく知っているよ」
だが岡本を擁護するような由綺の言葉を聞き、ひるんでいた鷲介は再び強い眼差しを彼女へ向けた。
「仕事と人柄は関係ないだろ。立派な仕事をする人が裏で犯罪をしていたなんて話いくらでも聞くだろ」
「鷲君! どうしてそんな言い方するの!
さっきも言ったけど岡本さんはいい人だよ。仕事に慣れない私はもちろん他の人たちへもフォローするし。
それに鷲君のことも心配していたよ」
「何であいつが俺のことを心配するんだ」
「鷲君はシステムに、5レーンに捕らわれすぎているって。このまま戦術の駒として動き続ければ、鷲君の武器であるドリブルが劣化するんじゃないかって」
由綺の言葉を聞き、鷲介は大きくため息をつく。
心底、呆れたような吐息を。
「考えすぎだ。──大体、一般人がプロである俺を心配するなんて余計なお世話としか言いようがない」
そもそも鷲介が5レーンに注力しているのは試合に出場して勝つためだ。リーグを、CLを勝ち続けクラブにトロフィーを齎すためだ。
5レーンをすることがそれが最善手と思っているからやっているに過ぎない。──それ以外の問題は些末なことだ。
しかし視線を向けるとなぜか由綺は愕然とした顔になっていた。どうしたかと鷲介が問おうとした時、彼女は顔を伏せる。
「……もういい」
小声で何か呟く由綺。
そして鷲介から背を向け、どこかに歩いていく。
「お、おい由綺。どこに」
「帰るの! 夕暮れ時だし! トラムでね!」
背を向けたまま叩きつけるように言い、由綺は駐車場から出ていこうとする。
鷲介が彼女を追おうとした時だ、出入り口からライトを点灯した車が入ってくきた。
まばゆい光に二人の足が止まる。鷲介は止まった彼女のもとに向かうが、追いついたのと同時、車から修一が姿を見せた。
「由綺、迎えに来たぞ。……っと鷲介?
お前たち、こんな時間にこんなところで何を……」
怪訝な顔になる修一にどう説明したかと鷲介は思い悩む。
しかしそれより先に彼は由綺と鷲介の顔を見比べ、再び妹に視線を向けた。
「どうする、由綺」
「放っておいていいよ」
「わかった。乗れ。
それじゃ鷲介、またな」
「え? 修一さん。ちょっと」
「詳しいことは知らんが喧嘩したんだろお前たち。今は由綺も相当お冠みたいだし。
お互い少し時間をおいて、冷静になるんだな」
そう言って光明は由綺を車に乗せ、颯爽と立ち去っていく。
「……何あんだ、あいつ」
どういうわけか怒っていた由綺。だが怒る理由がわからない。
|仕事仲間(岡本)のことも少しはあるようだが、それだけであそこまで怒りをあらわにするとは思えない。
一人残された鷲介はすっかり日の落ちた宵の闇の中、大きく息をつくのだった。
リーグ戦 14試合 13ゴール7アシスト
カップ戦 0試合 0ゴール0アシスト
CL 3試合 5ゴール2アシスト
代表戦(三年目)1試合 1ゴール1アシスト




