息つくサムライブルーたち2
「ふー……。日本の温泉ほど熱くないのに不思議と体が温まりますね」
「ああ。悪くない」
「流石は欧州の大温泉保養都市群の一つ。古傷にもよさそうだ」
中世ヨーロッパの宮殿を思わせる高く広い内装。そこにある温泉に浸かる鉄一と兵藤、堂本の三人は満足の吐息を漏らす。
ここはモンテカティーニ・テルメ。イタリアトスカーナ州にある温泉郷だ。日本と同じ火山大国であるイタリアは各地に温泉が湧いており、その中でもここモンテカティーニ・テルメは世界遺産に認定されている欧州の大温泉保養都市群の一つだ。
18世紀後半にトスカーナ大公により温泉施設が整えられ現在の形となり幾人ものオペラ作曲家や歌手と言った著名人が訪れたという。
そしてそれはスポーツ選手も例外ではないらしい。これまで多くのサッカー選手が保養のために訪れたとのことだ。
(鷹野さんに誘われてきたが、来てよかったな)
鉄一達がここモンテカティーニ・テルメにいるのは鷹野に誘われたからだ。
代理人を通じて日本代表が四年に一度、W杯直前に訪れる日本の秘湯に行かない──帰国しない面々を知り、彼が声をかけてきたのだ。
もちろん全員が集まったわけではないがイタリアにいる鉄一に兵藤、田仲、スペインの堂本、フランスの中山、イングランドの小清水。そして鷹野を含めた7名の日本代表選手がここに集まったのだ。
「気に入っていただけたようで何よりです」
そう言って姿を見せたのは水着を着た鷹野だ。
ちなみに欧州で温泉に入る場合、水着を着るのはマナーだ。また男女混浴の場合が圧倒的に多く、鉄一達がいる温泉の周りには水着を着た男女の姿が目に付く。
「ああ。日本の温泉とは違うがこれはこれでいいな。
ところで鷹野、中山と小清水、祐希の奴はどうした? 先程まで一緒にいただろう」
「一輝くんとケイタ君はマッサージ中です。祐希さんはテルメ・ディ・テットゥッチョに行っています」
「確か飲める温泉──飲泉の施設でしたっけ」
「泥を体に塗るクレイセラピーの施設もあるんだったな。マッサージもいいがそちらにも後で行ってみるか」
温泉について話を咲かせる鉄一たち。モンテカティーニ・テルメの各所を巡り温泉を堪能する。
「うーん、予想以上に良い温泉施設だったね。イングランドリーグでの激しいフィジカルコンタクトで軋みを上げていた体が本調子になった気がするよ」
「同感です。疲労が溜まっていた僕の足も今は羽のように軽くなっています。
これなら後半戦はW杯でもいつもの調子で走れそうです」
「まぁ実際のところ思ったような効果はないだろうが、感じていた疲れがなくなったのは事実だ」
モンテカティーニ・テルメにあるモダンな雰囲気のカフェ。その奥のテーブルに座る小清水と中山、堂本たちはほくほく顔で言う。
堂本の言う通り実際体が蓄積した疲労やダメージは完全には回復されてはいないだろう。だが感じていた疲労が体からすっきりしたのも事実。ここに来た意味は十分にあった。
そう思いながら鉄一は先程注文したコーヒーやトスカーナ地方の伝統菓子チャダルを口に運ぶ。
「鷹野さん、声をかけてくれてありがとうございます」
「ははは。お礼を言うことじゃないさ。それに僕はウインターブレイクの間は一度はここにきているからね」
そう言って鷹野は注文した菓子に手を付ける。
彼曰く、欧州中を流離うようにリハビリの日々を送っていた時ここを訪れており、その時世話になったのだという。
注文した茶菓子を口にしながら鉄一達はのんびりと雑談に興じる。
誰かがふざけたりおどけたりなどして起こる笑い声。皆が程よくリラックスしていると、
「さて、W杯まで残り半年ですが。皆さんはメンバー入りする自信はありますか」
穏やかな笑みを浮かべて爆弾を放つ鷹野。
あまりに大胆過ぎるその言葉に鉄一は表情を引きつらせ、穏やかだった周囲の空気は重くなる。
「当然だ。この俺が選ばれないはずがない」
「今季は大きな怪我もせず調子も悪くはない。俺を脅かすような選手も今のところはいない。
順当に行けば選ばれるだろう」
代表常連である堂本、田仲が自信満々な様子で断言する。
一方、代表新参である面々は、
「僕のポジションであるFWは柳君がいるから一枠は確実に無くなるとして。
うーん、半々かなぁ」
「田中さんと違って僕のポジションには大文字さんがいますから。
選ばれるとは思いますけどレギュラーはどうですかね」
少し諦めが見える態度で小清水が、悩ましい顔で中山はそう言い、
「そんなことを考えていてもしょうがない。
W杯に出られるように一日一日の練習や残りの試合に全力を尽くすだけだ」
「同感です。余計な雑念が入ったプレーをしたら、選ばれないのだから」
兵藤、鉄一は真面目な顔でそう答える。
そして皆から一斉に、お前はどう思うんだという視線を浴びた鷹野は、
「当然ですが僕は自信があります。
今の僕は小野さんにも中神君、他の代表のMFたちにも負けているとは思いませんし」
聖人のような眩しい顔であっさりと言ってのける。
堂本たちのような強い自負は感じさせない。小清水たちのような躊躇いや謙虚さも無い。
ただ彼にあるのは自分に対する絶対の信頼。そして|それ(代表入り)が当たり前だという態度。
それを見て鉄一は思う。ああ、この人はやはりあの柳の先輩だと。
(でもまぁ、確かに鷹野さんは選ばれる可能性は高いよな)
現在の日本代表のMF。その中でW杯に選ばれる可能性が高いのは小野、中神、瀬川、土本、南郷と言った海外組だろう。
そしてこの中から南郷を除いた四人には一つの共通殿がある。それはユーティリティー性が著しく低いというところだ。
小野と中神、土本は攻撃に、瀬川は守備に優れた選手だ。そして南郷は攻守ともに実力を発揮する。
そして鷹野は南郷と同じ攻撃的、守備的MFどちらもこなせる。そしてその実力は正直、南郷より上ではないかとひそかに思っている。
(プロデビューして二年も経っていない人の動きとは思えないものな。結果も出しているし)
今季も彼が所属するハンブルクFの順位は10位~8位といった中位を定位置にしている。
その中で鷹野はクラブの不動のエースとして活躍している。前半戦を終えて7ゴール9アシスト。チームトップの成績だ。
強豪との試合でも輝きを放っており、RゲルセンキルヒェンやLミュンヘンからもゴールやアシストを上げている。その活躍ぶりからドイツをはじめ他のリーグの強豪がオファーを出すという噂や、出したという記事も見られた。
「ははっ。ついこの間代表デビューした若造が言うじゃねーか。
だが負けないぜ」
「堂本さんとはポジションが違いますよ?」
「関係ねぇよ。それに前半戦を終えた時点でのリーグ戦のゴール数は同じだ。
中盤の、それもプロ二年目の小僧と同じだなんて正直恥ずかしいからな。
なんとしてもお前より多くゴールを奪わねぇと日本代表のエースストライカーとして失格だしな」
「……。あれ? そういえば世間では鷲介が日本代表のエースストライカーじゃなかったでしたっけ?」
「……あいつに譲ったのは日本代表のエースだ。ストライカーじゃねぇ」
「そうなんですか? 初耳ですよ」
「そうなんだよ。よく覚えておけ」
平静を装う二人から放たれる圧に皆は戦々恐々。
誰も止めに入る様子がなく、やむを得ず鉄一が動こうとした時だ、
「はいはいそこまで。
堂本さん、あんた年齢的にベテランなんですから新参にムキにならないでくださいよ。どっちが子供かわかったもんじゃない。
鷹野も安い喧嘩を買うな」
二人の間に割って入る田仲。睨まれた二人は仕方ない。この辺にしておくかといった感じで腰を下ろす。
それを見て鉄一は安堵。トイレで席を外した後、自分と同じく用を足しに来た田仲に礼を言う。
「先程はありがとうございます田仲さん」
「気にするな。堂本さんが起こす揉め事の対処はいつもなら弘樹さんや直康さん、亮太さんがやっていたからな。
あのお三方がいないのであれば年が近く、見慣れた俺がやるしかないからな」
日本代表のDF、MFの重鎮でありベテラン三名を口に出し田仲は肩を竦める。
そしてこちらを見てにやりと笑みを浮かべ、
「しかしその様子だとお前が割って入ろうとしていたのか。
……なら次からは任せようかな」
「いやいやいや。勘弁してください。こんな面倒ごとの仲裁なんてもうまっぴらですよ」
どういう訳か知らないが鉄一は柳や中神、特に後者が時々起こす他選手との揉め事──と言っても些細なことだが──の仲裁によく駆り出される。
去年の欧州遠征の時も中神が練習中や食事をしている最中、堂本や瀬川、川上らと揉めあいや言い合いになり間に割って入ったものだ。
そしていつの間にか、中神が何かを起こしたら自分が呼ばれるようになっていたのだ。
「そう言うな。今までも柳や中神をよく抑えていたじゃないか。問題児の管理力はばっちりだぞ」
「あいつらで手一杯なんですよ! というか気づいていたら手伝ってください!」
「我が強く実力もあるガキどもを抑えるなんて面倒だから嫌だ。あいつらを止めるのは試合や練習、紅白戦の時だけでいい」
臆面もなく言い切る田仲。代表とイタリアにおける偉大な先達の残念な態度に思わず鉄一は肩を落とす。
「ところでだ。お前はどうだ?」
「どうって……代表に入れるかどうかはさっき言ったじゃないですか」
「セリフが優等生過ぎてつまらん。ここだけの話俺だけに本音を教えろ。シーズン序盤と違って調子がよさそうだし結構自信があるんじゃないか?」
何故か笑顔で──そして何故か少し恨めがましい気配を見せて腕を絡めてくる田仲。
まるで好きな女の子の名前の自白を強要するような態度に鉄一は冷たい眼差しとなるが、態度を改める気がないのを見て小さく息を吐く。
「まぁ、そうですね。自信はあります。調子はいいですし。
井口さんがあの調子ならスタメンを奪えるかもしれません」
今季、欧州各地で活躍する日本代表イレブンの大多数はシーズン序盤は好調か平均的なプレーを維持し続けていた。
しかし前半戦が終わった現在、調子を落としている者もいる。日本代表のDF──守りの中核を担う井口もその一人だ。
去年行われた10月、11月の欧州遠征。その10月の遠征を終えた直後の試合で井口は負傷したのだ。
一ヵ月の離脱とされていた怪我だが実際復帰したのは12月初旬。約二カ月の離脱だ。
それから試合に何度か出ているものの怪我する前ほどの好調さは見せていない。また代役だったCBが井口と遜色ない活躍をしているせいか怪我から復帰してもベンチにいるか、後半終盤での投入など明らかにチーム内での序列は下がっていた。
一方の鉄一は序盤こそ兵藤共々クラブサポーターや新聞などでバッシングを受けていたが、井口とは真逆に現在は好調だ。
10月の欧州遠征からようやくイタリアリーグ一部の激しさにも慣れてきて試合では兵藤と共にいくつものピンチを防いでいた。
ポジションは本職であるDMFとイタリアに来てから任されていたCBのどちらかだ。いや正直CBで使われることが多くなっている。
またゴールやアシストも上げており前半戦15試合に出場して3ゴール3アシスト。上々の結果だと自分でも思っている。
ちなみに3ゴールのうち1ゴールは田仲のいるNASミランから奪ったものだ。CKでこぼれたボールを強引に反転して相手ゴールにねじ込み、そのゴールのおかげで今季も優勝争いをしてる強豪のNASミランと引き分けたのだ。
「CBも慣れると楽しいものですよ。──特に行けると思って突っ込んできたFWの面々を吹き飛ばした時や、来ると確信していたラストパスをカットした時に見る相手の選手の顔を見た時は最高ですね」
「そ、そうか。うん、これからも頑張れよ。
……やっぱりあの試合で見たあの顔、見間違いじゃなかったんだな」
何か小声で呟きながら引いた顔になる田仲。はて、何かおかしなことを言っただろうかと鉄一は首を傾げる。
「ま、とにかくだ。残りシーズン半分を終えたらW杯だ。
俺としてはお前がメンバーにいてくれるのは心強い。──残れよ」
「ええ。もちろんそのつもりです」
田中の言葉に鉄一は頷く。
イタリアに移籍してまだ一年。改めて自分がまだまだだということ、そして世界の広さと高みを知った。
しかしそれだけではない。世界のレベルに届こうと努力し続け、その環境にもある程度は馴染んだ。
一年前の自分ならA代表はまだ早いと言える。だが今ならば胸を張ってA代表に自分がいると言えるぐらいの自信と実力はついた。
そして夢だったW杯出場を現実のものとして捉えつつある。
(柳、中神。少しずつだがお前たちに追いついているぞ)
日本の地で体を休めている同い年の盟友兼ライバルに向かって、鉄一は思うのだった。
◆
「三が日から日が経っていないのに人気があまりないですね」
「ここは地元民しか知らない穴場の神社だからな」
湯治最終日の今日、直康の案内でやってきた神社は人気がなくとても小さい。
周囲は高い木々で囲まれており、入り口である鳥居の奥にあるのは石を敷き詰めた参道と本殿しかない。
場所も温泉街の端にあり、確かに穴場と言う感じの神社だ。
「んでこの神社にはこの温泉街を訪れた代表選手たちが参拝しているんですか」
「ああ。挑む大会への必勝を祈願するためにな」
「神頼みねぇ……。ま、さっさとお参りを済ませましょう」
面倒くさそうに言って久司は参道を歩く。
鷲介は久司と共に二礼二拍手一礼を済ませ本道を離れる。
「何を祈願したんだ?」
「今年一年、怪我無くプレーできますようにって」
「何だよありきたりだなー。てっきりW杯優勝かと思ったのによ」
「それは願うことじゃない。──俺たち自身の手で成し遂げることだろ」
「ま、そうだけどな」
鷲介の言葉に軽く背伸びしながら久司は不敵に微笑む。
「そう言うお前は何を願ったんだ?」
「出場する試合全て万全なパフォーマンスを出せる様にってな」
「それ、願うことなのか?」
「願う事だな。もちろんそうなるよう準備はしているけど体調が万全でも、メンタルに問題がなくても、十全のプレーができるとは言えないからな」
久司はそう言って視線を上に向ける。
その先には分厚い雲と、その雲に遮られている太陽の影が見えた。
「十全のプレーができれば俺が負けることはあり得ない」
「個人競技じゃないんだしそれはないだろ……」
「いや十分にあり得るぜ。
他のチームメイトが駄目駄目でも、相手がノっていても、俺が十全ならことごとくフォローし邪魔するからな。
引き分けることはあっても負けることはないだろうさ」
「お前のその自信、たまに感心するよ……」
もしかしたらメンタルの図太さでは日本代表随一かもしれない。
そんなふうに鷲介が思い空に向けていた視線を下げた時だ、鳥居の影に隠れたところに小さな木の看板が目に入る。
「ん?」
「どうした鷲介」
「いやこれ。なんかこの神社に祭ってある神様について記述があるみたいだ」
看板を見て鷲介は言う。
「建御雷神 に精大明神……?」
「前者は知っているが後者は何の神様だ?」
二人は顔を見合わせ、首をかしげる。全く聞き覚えがない。
「精大明神は蹴鞠の神。今ではスポーツの神とも言われている神様だ」
そう言ったのは後ろにいた川上だ。
「ま、知らないのも無理はない。俺もこの神社に来て初めて知ったからな」
「確か京都のどこかに同じ神様を祭っている神社があるみたいだぜ」
集まっている鷲介たちが気になったのか、他の皆もこちらに集まってくる。
鷲介と久司はそれから外れ大社の方に目を向けた。
「スポーツの神様ね……。となると少しはご利益があるかもしれないな」
「かもな。でもあろうがなかろうがぶっちゃけどちらでもいいさ。
俺たちはただ一つの試合に全力を尽くすだけだ」
お互いが所属するリーグとカップ戦、CL優勝。──そして、日本代表のW杯制覇。
勝ち続ければいつかはそれに届く。いや、届かせて見せる。
そう思い鷲介は空を見上げる。空を覆っていた雲が、いつの間にか分かれており、陽光が差し込んできてた。
「そうだな。
そうして勝ち続ければ俺たちが目標としている結果も手に入るだろうからな」
久司の言葉に鷲介は無言で頷き、改めて晴れてきた空と差し込む陽光に目を向ける。
年は明けた。そして四年に一度の祭典。世界最大のサッカー大会であるW杯まで半年を切った。
改めてそう思い、脳裏に浮かぶ過去のW杯の試合。あの舞台に立つために──
(全力で走るだけだ)
鷲介は心中で呟き、右の太腿を優しく撫でるのだった。
リーグ戦 11試合 10ゴール7アシスト
カップ戦 0試合 0ゴール0アシスト
CL 3試合 5ゴール2アシスト
代表戦(三年目)1試合 1ゴール1アシスト




