イタリアの空の下で、赤のチームは躍動する3
「ブラボー! ロッソネロ!」
「グランデRNSミラン!」
「くそがあっ……!」
スタディオ・ファビオ・リーヴァに轟くホームサポーターの喜びの声とエリックの悔し気な呻き声が鷲介の耳に響く。
現在後半二十九分。同点に追いつかれた勢いで逆転を許してしまった。おそらくRNSミランは勢いのまま追加点を取りにくる、と言うことはなく再びいつも通りの堅守に戻るだろう。そして焦ったこちらに隙ができたら怒涛の勢いでカウンターを繰り出してくるはずだ。
差はわずか一点。だが世界屈指と言ってもいいRNSミランの堅守を崩すのは5レーンアタックをもってしても容易ではない。追い詰められてしまった──。
そう思いながら鷲介の頭は酷く冷めている。今、彼の脳内にあるのは先程のエメルソンの逆転弾──ではなく、そこに至るまでの動きだ。
ミュラーのフォローのために動きクルトがわずかに作ってしまったスペースにエメルソンが飛び込み、ボールが来る直前首振りをして周囲を確認し、ダイレクトでシュートまで繋げた動きだ。
(見事な、手本としたいぐらいのオフ・ザ・ボール……。でも俺なら)
彼より早く動けて、そして余裕をもってシュートに行けたのではないか。そう思う。
主審の笛が鳴り響き、両チームの選手は動き出す。仲間たちは前に出て、そして予想通りRNSミランイレブンは下がり守勢に回りつつも、獲物の隙を伺う猟師の目つきをしている。
鷲介も先程のエメルソンのようなプレーをしようと思いながらピッチを駆ける。そして逆転された直後、アレンと交代したアントニオからボールが来る。
「鷲介!」
敵陣ペナルティエリア前の右ハーフレーンに来るボール。鷲介はヴァレリーからの圧を感じながらそれを受け、ジークが動いたことで発生したスペースにダイアゴナルラン。シュートを放つがヴァレリーにコースを消されていたためボールはポストの横を通り過ぎラインを割る。
「危ない危ない。お前にしてはいい動きだったが、枠内には飛ばさせねぇよ」
余裕そうなことをヴァレリーは言うが鷲介は相手にしない。というよりもそんなことをしている暇はない。
(今のはちょっと遅かった。……あともう少し早ければ)
攻めながらも崩れないRNSミランに対し、味方が焦るさまを見ながら鷲介は脳裏にあるエメルソンのプレーと自分の動きが合致するよう何度もイメージトレーニングをこなす。
当然だが今の状況が理解できていないわけではない。負ける気もさらさらない。だが鷲介の本能が言っているのだ。今、これをすることが勝利への近道だと。
それでも無情に過ぎていく時間。時計の針が後半三十五分に差し掛かりかけた時だ、ジークからボールを奪ったシルヴィオが二点目の時のような鋭いグラウンダーパスを自陣に放つ。
それを見てカウンターの言葉が鷲介の脳裏によぎるが数秒後に逆カウンターに切り替わる。ボールを収めようとしたエメルソンからミュラーがファウルに見える荒々しいタックルでボールを奪取したからだ。
「前に!」
肩で息をしながら叫ぶ親友。そして彼の鋭い眼差しが鷲介を見る。
スタジアム全体に鳴り響くミュラーへのブーイング。しかし彼は気にする様子もなくパスを出す。
(ミュラー……! そうだよな、やられたらやりかえさなくちゃな!)
二失点に関与して、決してメンタルにダメージがないわけはないだろう。だがそれをおくびにも出さないミュラーの姿に鷲介は奮い立つ。
ボールを収めたアントニオがドリブルで突き進む。守備陣構築の時間を稼ぐためか、RNSミランの選手はプレスをかけずある程度は運ばせる。
しかしゴール前に来ると戻ってきたロッソネロの選手たちがアントニオに近づき、制止させる。すぐに左サイドからジュニオールがフォローに来るが、その前をパオロが塞ぐ。
ドリブルで切り込もうとするジュニオールだが、パオロも上手く守っており前に進ませない。そんなジュニオールに鷲介は視線を送りながら再びダイアゴナルラン。
(ここにくれ……!)
交わる鷲介とジュニオールの視線。ジュニオールはいったん、アントニオにボールを返す。そしてリターンで来たボールをこちらの意図通り、ダイレクトでセンタリング。鷲介が向かう場所へボールを飛ばす。
ペナルティエリア内──センターレーンに切れ込む鷲介。そこにボールは来るが当然マークに付いているヴァレリーがコースを潰している。
だが構わない。先程もそうだが鷲介の目的はシュートを撃つことではない。──試合の流れの中で発生する、わずかなスペースに飛び込むことなのだから。
そして今、それが成功した。鷲介は顔を伏せて笑みを浮かべ、左足を上げる。飛んできたボールはそれに当たって軌道を変え鷲介の後ろ──ジークの元に。
「おおおっ!」
吠えるジーク。シルヴィオが反応するよりわずかに速く彼は動き、ボレーシュートを放つ。放たれたボールは見事、ゴール右上に突き刺さった。
「ジークフリート!」
「よっしゃあっ!」
「まだ同点だ! 逆転するぞ!」
駆け寄ってきたフランツ、エリックに向かってジークは言い、相手ゴールに駆け寄りボールを拾う。
ボールを抱えて自陣に戻るエースにフランツ達も表情を引き締め続く。そして鷲介もヴァレリーたちRNSミランイレブンの怒りを背中に感じながらも、表情を引き締めて後を追う。
表情を引き締めるのは、そうしなければ笑みを浮かべてしまうからだ。
(できた……! これだ。
5レーン、ポジショニング、オフ・ザ・ボール。全てはこれに繋がっていた……!)
これが継続できるのであればRNSミランの堅守があろうが関係ない。いや、どんな相手でも関係なく得点を奪える。
今まで薄暗い道を歩いていた感じだったが、その道に眩い光──夜明けのような輝きが照らされるのを鷲介は感じる。
試合再開の笛と同時に、勝ち越しゴールを奪うために両チームは前に出る。
「止めを刺させてもらうぜ、ヴァレリー」
「ぬかせ……! 勝利するのは俺の方だ!」
火花を散らしながらピッチを駆ける”ゾディアック”二人。
同点に追いついた勢いのRバイエルンとホームスタジアムの大歓声の前で負けられないRNSミランは激しくぶつかり合う。意地と意地のぶつかり合いと言ってもいいそれはファウルすれすれのプレーやファウルを乱発する。
幾度となく鳴り響くファウルの笛の音。アントニオを止めたジェレミアにイエローが提示され、Rバイエルンは左サイドでFKを得る。
壁を作る際でもいざこざがあり主審の笛が吹かれ止めに入られる。そして過剰に熱くなっていた空気が和らいだその時だ。キッカーのフランツがボールをゴール前に送る。
弧を描いて飛ぶボールに動く両チームの選手たち。しかしそれに勇敢に突っ込んでいったディノのパンチングが先にボールに触れてペナルティエリアの外に転がっていく。
そのこぼれ球を拾うのはミュラーだ。それと首振りで周囲を見て鷲介は動く。
波が引くように戻り始めていた両チームイレブンの動きが静止したわずかな時間。そしてその時にできた相手守備陣の微かな穴。
そこに向かって鷲介は飛び込み、親友も針の意図を通すような正確なパスをそこに放つ。
ダイアゴナルランでセンターレーンから左ハーフレーンに突き抜ける鷲介。しかしヴァレリーがついてきているためフリーではない。
「やらせねぇよ……!」
回り込んでゴール方向を塞ぎヴァレリーは勝ち誇った声で言う。
鷲介はそれに反応せず反転、ミュラーから届いたレーザーのようなパスを右足でトラップする。
ぴたりと足元に収まるトラップではない。止めたボールは左にこぼれる。だがこれはわざとだ。──ゴールにつなげるための。
「ふっ……!」
小さく息を吐いて鷲介は左に反転し加速。ヴァレリーを置き去りにし、そして彼の後ろで両手を広げていたディノに構わず右足を振りぬく。
全力で放ったシュートは弾丸のような勢いでディノの横を通過。RNSミランゴールのサイドネットに突き刺さった。
「鷲介ー!!」
「最高のパスだったぜミュラー!」
走ってくるミュラーに鷲介も駆け寄り強く抱き合う。ジーク達も寄って来てもみくちゃにされる。
数少ないながらも喜んでくれているRバイエルンサポーターに駆け寄り自陣に戻る中、鷲介は後ろを振り向く。
視線の先には厳しい顔をしたエメルソン、悔しさのあまり激高しそうなヴァレリーの姿がある。
(感謝するぜ。今の俺になれたのはあんた達のおかげだ)
今ならわかる。今季序盤の鷲介は明らかにおかしかった。自分のドリブルで敵陣を切り崩すことがゴールへの最善手だと思っていた。
だが監督からのドリブル禁止令やポジショニング改善、5レーンへの順応。そして何よりヴァレリーとエメルソンの存在がそうでないことを鷲介に再認識させてくれた。
世界トップにも通じる鷲介のドリブルにスピード。だがそれはあくまでゴールへの繋ぎに過ぎない。ドリブル突破=ゴールではない。
わかってはいても昨季の活躍から鷲介はそう思い込んでいた。だが幾度もヴァレリーに封殺され、ドリブルに頼らずオフ・ザ・ボールの動きでゴールを決めるエメルソンを見て、ようやく自覚できた。
自分がオフ・ザ・ボールを身に付けたらどれほどの武器になるか。チームを救えるか。
「ジークさん、今まですみませんでした。
もう、大丈夫です」
「……そうか」
鷲介の言葉にジークも嬉しそうに頷く。
それを見てやはり彼は鷲介の異変を察していたのだろう。だがあえて口にしなかったのは鷲介を一人前と認めていることと、口で言ってもわかることではないからだ。
実際、監督から遠まわしに言われてはいた。だが昨季の活躍があまりにも自身の中で印象に残っていたため、耳で聞いてはいても心では理解できていなかった。
後半ロスタイム直前で鳴り響く試合再開の笛の音。ロスタイムを含めた残り時間五分も無いが名門の意地か、RNSミランは前に出てくる。
その圧と激しい──捨て身のようなプレスに押されながらもRバイエルンは彼らの攻撃を弾き防ぐ。特に守備に専念したミュラーのコーチングが的確で敵イレブンやボールの動きを阻害する。
「行け!」
ロスタイムも尽きようかと言う時間、エメルソンからボールを奪ったクルトがボールを前に蹴り出す。このまま終わらせない。確実に息の根を止めて来いと彼の表情が言っている。
やや下がっていた鷲介も最後の力を振り絞り敵陣を駆け上がる。そして前にはボールを収めたエリックが一人で駆け上がっている。
その目の前にパオロが立ちはだかるが、不用意に前に出た彼の逆をついてかわす──
(いや、違う! これは──!)
エリックがパオロをかわした直後、センターレーンにいたはずのシルヴィオが突っ込んできては綺麗にボールを掻っ攫う。
それを見て鷲介は足を止め背後を振り向き、味方に向かって叫ぶ。
「カウンターだ!」
叫んだのと同時、鷲介の視界の右に強烈な勢いで通過するボールが映る。
そのボールをアンジェロが収めRバイエルンイレブンが駆け寄るより早く彼はパスを出す。
何故かスムーズに回るボール。そして幾度かのダイレクトパスが続いたボールが進む先はペナルティアーク付近のセンターレーン。そこには何故かフリーのルークの姿がある。
(なぜ中央を空けているー!?)
心中で叫びながら鷲介は自陣を見てその理由に気づく。RNSミランイレブンがRバイエルン陣内に大量に入り込んでは的確なフリーランをしており、それに仲間たちは釣られている。
そして鷲介は大きく目を見開く。先程までかろうじて形になっていた守備陣形が跡形も無くなっていることに。自陣が混沌としていること。
──この土壇場でRNSミランがストーミングを仕掛けてきたことに。
(前回の戦いでやったあのストーミングを今、してきやがった……!)
ボールを奪う相手が鷲介からエリックに変わったが、間違いなくあの時のそれだ。先程の捨て身のようなプレスはこの前振りだったのだ。
フリーのルークがシュートモーションに入る。そこにミュラーが飛び込むが鷲介は叫ぶ。
「駄目だ!」
鷲介の声と同時、ルークは飛び込んだミュラーの股を通すパスを出す。
そしてそのボールに左から突っ込んでくるエメルソン。クルトが追いかけているが明らかに一歩遅れている。
間に合わない。ペナルティエリアに入られシュートを撃たれる。その光景が鷲介の脳内にありありと浮かんだ次の瞬間だった。
エメルソンが触れようとしたボールを飛び出していたアンドレアスがスライディングでカットしたのだ。
転がるボール。その先には足元を見ずこちらを見ているミュラーの姿が。
(……お前ー!)
確信めいた笑みを見せる親友とクルト。それを見て鷲介は震え、すぐさま反転して敵陣に向かう。
読んでいた。見切っていた。RNSミランのストーミングカウンターを。あの二人は。
そして観客の悲鳴を聞きながら、近くにいたフランツの指示に従い鷲介は走る。
(ち……! 流石に戻りが早い)
ミュラーの出したパスがやや精度を欠いてサイドに流れたせいもあるだろうが、右サイドライン上でボールを拾った鷲介の視界に入ったのは、凄まじい勢いで自陣に戻り守備を構築するRNSミランの姿だ。
ストーミングを仕掛けた影響か、RNSミランの守備は穴だらけだ。だがシルヴィオの的確なコーチングは瞬く間にそれを補修してしまう。
最後の最後と言うのにガチッと固められようとしているその動きに鷲介は素直に驚き、賞賛する。そして全力で倒すために鷲介は駆け上がり、立ちはだかったリヤドを抜くふり──全力で駆け上がったため抜ける自信がなかったからだ──をして、上がってきた味方にパスを出し、前に走る。
動く味方とボールにより発生するわずかな穴。本来なら発見しても相手の修正により消える──または発見した選手の反応が遅くて穴を広げられない。
だが世界トップクラスのスピードと反応速度を持ち、自分と周囲のポジショニングへの理解力が高まっている今の鷲介なら。
そこに飛び込むこと、または干渉して穴を広げることも、不可能ではない。
(ここに……!)
鷲介がわずかにできたスペースに飛び込むことでセンターレーンに発生する隙。それを察したジークが飛び込み、またジークの動きを読んでいたフランツがドンピシャのクロスを上げてくる。
放たれるジークのヘディング。しかし間一髪というタイミングでシルヴィオが体を張ってそれを防ぐ。
ペナルティエリアギリギリ外の位置で零れるボールを拾う鷲介。しかしすぐに正面をヴァレリーが塞ぐ。
(ヴァレリー)
今まで幾人もの世界クラスのDFと相対した。ポウルセン、レオナルド、ニコ。
それらに決して劣らぬ、いやもしかしたら鷲介にとっては彼らより難敵と言える男だ。
昔も、そして成長した今でさえまともに勝ったことはほとんどなかったのだから。
(だが今は、勝つ)
そう心の中で呟き鷲介は小さく息を吸ってコースが空いている左に動く。それに反応、コースを塞ぐヴァレリーだが、鷲介はダブルタッチで右に切り返す。
急激な方向転換だが、ヴァレリーはすぐさま反転。このままでは再びコースを塞がれ、シュートを撃てても彼が伸ばした足がボールを弾くだろう。
だがそれは一対一。それも周囲に人がいなければの話だ。
「ヴァレリー!」
「!?」
制止の声と同時、鷲介に寄ろうとしていたヴァレリーは左側──鷲介から見た右側──にいたシルヴィオに気づき止まる。
味方同士の衝突を防ぐためのわずかな硬直。それで十分だった。鷲介はヴァレリーをかわしシュートを放つ。シルヴィオもヴァレリーに声をかけたため、こちらのシュートに反応できていない。
渾身の力で放たれたシュートはヴァレリーとシルヴィオの間を通り抜け、体を投げ出していたディノの左グローブを弾いて左側のゴール左隅に突き刺さる。鳴り響くゴールを認める笛の音。そして続いて吹かれる試合終了のホイッスル──
2-4。最終スコアが表示された電光掲示板を見て、鷲介は天に腕を突き上げるのだった。
◆
試合終了の笛の音が鳴り響き喜ぶベンチメンバー、スタッフの横でヨシュアは小さくガッツポーズをする。
試合に勝ったこともあるがそれと同じく、ヤナギの動きが自分の思い描いていたものと一致したことが嬉しいからだ。
現時点でも世界最高クラスのスピードと反応速度を持つヤナギ。その彼が5レーンに順応し、さらに正確なポジショニングを身に着けるということはより多くのチャンスを作り出せるということだ。
三点目、四点目のシーンもそうだ。ジークフリート達、他の選手では穴ができるとわかっていてもその前に対処されてしまい、相手守備陣に隙を作れなかっただろう。
だが
(特定のストライカーを持ちつつも、それに依存しない流動的な攻撃。それが私の5レーンアタックだ)
どんな堅い守りであっても隙は生じる。そしてヤナギのスピードならば修正される前にそこに飛び込み隙を広げ、または相手の守りを揺り動かせる。
そしてそれはRバイエルンのゴールチャンスをより多く生み出すきっかけとなる。
心中でそう呟き、ヨシュアはミュラーと肩を抱き合い喜ぶヤナギを見る。彼の変化はヨシュアにはもちろん、彼自身にも良い影響をもたらす。昨季終盤からドリブル一辺倒だった彼が優れたオフ・ザ・ボールを身に着けるということはチームだけではなく、彼自身のチャンスを多く増やすことでもあるからだ。
先ほども言ったが世界最高クラスのスピードと反射神経を持つヤナギ。彼は普通の選手では追いつけない、または反応できないボールに追いつくことができる。
つまり味方の放つ多少乱れたパスをチャンスにつなげることができ、また敵のミスを掻っ攫う可能性も他の面々に比べ高くなる。
現時点で世界クラスのドリブル突破能力を持つ彼が、ヨシュアが満足するレベルのオフ・ザ・ボールを身につければ、もう彼を止められるチームは皆無となるだろう。
例えマンマークを仕掛けても同じことだ。彼がデコイとなって相手守備陣を混乱させれば、その隙をジークフリート達が突くのだから。
またドリブルの多用を控えることは怪我の回数を減らすこと、選手としても寿命を長くすることにもつながる。昔と違い現代サッカーは相手のプレスもより組織的に、そして厚く強くなっている。
昨季のようなプレーを継続していれば相手DFのファウルを多く得ることはできるだろうが、それと引き換えに彼の体と足はダメージを負い、治療やリハビリでは治せない疲労と傷が蓄積するだろう。最悪二十代前半で引退することも十分あり得る。
そしてこれは気を付けていれば何とかなることでもない。トップレベルでの極限での試合状況において、自身の未来を考えてプレーする選手など皆無だからだ。
たとえ今現在怪我をしていても、それに構わず全力のプレーをする。そういった狂人が鎬を削るのが今、ヤナギがいる舞台なのだから。
(両サイドからのカットインによるミドルシュート。あれの精度を高めていけばジークフリートに並ぶストライカーとなるのも、夢ではないはずだ)
ドイツの育成では若手選手に両足のキック精度が同じになるよう指導するというものがある。
ヤナギも例に漏れず指導を受けたためか利き足でない左足のそれは右足ほどではないが高い。またプロになって右ウイングとして長い時間プレーしていたせいか、右サイドからのカットインのミドルは聞き足ほどの威力や速さはないが右足に迫る精度がある。
左サイドから切れ込んだ時はジークフリートのような強烈で速い弾丸を思わせるシュート。右サイドからのカットインからのシュートはDFをかわし弧を描くテクニカルなシュート。
ヨシュアが思い描く姿となったとき、ヤナギは世界一のストライカーの称号を手にしているだろう。
(まだまだ道は遠い。だが)
今は目の前の勝利と、その道を進み始めた彼を祝おう。
そう思い勝利に喜ぶイレブンとヤナギを見て、ヨシュアは微笑むのだった。
◆
「ナイスゲームだったよ。ヤナギくん」
サポーターへの挨拶が終わった直後、鷲介は声をかけられる。
振り向くとそこには微笑むシルヴィオと微苦笑するエメルソンの姿があった。
「前半はともかく、後半は何が切っ掛けかわからないが覚醒しての連続ゴール。今日は完敗だ」
「まるで若かりし頃のヨハンを見ている気分だったぞ」
そう言って二人は同時にユニフォームを脱ぎ、こちらに差し出す。
そして同時にお互いのそれに気づき、顔を見合わせ、穏やかではない笑顔を浮かべて睨み合う。
鷲介が「じゃんけんで」と仲裁に入り、数回のあいこの後、嬉しそうなシルヴィオと共にユニフォームを交換する。
「今日の試合の結果で君たちRバイエルンは1位で、僕たちRNSミランは二位でグループリーグを突破。
最も早い再戦はCL決勝となるかな」
「そうですね。──もし、そうなったときはまた勝たせてもらいますよ」
「──はっ。たかが一度勝った程度で随分な己惚れようだな」
鷲介の言葉に返ってきた辛らつな言葉。
それを言ったヴァレリーは試合前と変わらぬ偉そうな態度でこちらに歩み寄り、言う。
「ようやく俺と戦えるレベルにまで成長したようだな。しかし俺もRNSミランもこれからより一層強くなる。
また置いて行かれないよう、精々精進するんだな」
そう言って去っていくヴァレリー。
唖然とする鷲介の横でエメルソンは肩を竦め、シルヴィオは謝罪する。
「やれやれ。今負けた選手の言う言葉じゃないだろうに」
「すまないねヤナギくん。あれでもヴァレリーなりに君を認めているんだよ」
「……まー、今までの発言から考えればだいぶマシではありますね。腹が立つことには変わりありませんが」
遠ざかるヴァレリーの背にジト目を向けながら鷲介は言う。
「でも俺としては正直、あいつに勝ったとは一度も思っていませんよ。
二試合戦って、あいつを抜けたことはほとんどありませんでしたし。シュートの殆どを防がれていましたから」
今日勝てたのは鷲介が試合中に自分が進むべき道をはっきりと自覚し、それを行動に移せたからだ。
ジークに匹敵する優れたオフ・ザ・ボーラーであるエメルソンに、自分の最も得意とするドリブルをほぼ封殺したヴァレリー。
5レーンやオフ・ザ・ボールを勉強している最中、彼らと相対しなければ気付くのはもっと遅れていただろう。
そして次戦う時、彼らは今日の試合で変化した鷲介を研究してくるはずだ。となれば後半のような逆転劇の再現は非常に難しいだろう。
「ですから俺も、自分のプレーの精度をもっともっと上げなくては。
そして次対戦するときは真っ向からヴァレリーを打ち破ります」
オフ・ザ・ボールはもちろん、ワールドクラスと言われるドリブルも鷲介にとっては満足いくものではない。
何よりその点では確実に自分より上だと言い切れるライバルが二人はいるのだ。”ゾディアック”最強のロナウドに、現役スピードドリブラーNo1と言われるオランダ代表のエース、ヨハン。
あの二人と並ばなければヴァレリーを負かせるとは、言えないだろう。
「……なるほど。マリオがあれだけ君にこだわる理由が少しわかった気がするよ」
「え? なんですかそれ。と言うか理由なんてあったんですか」
「さて、それじゃあそろそろ行くとするか。鷲介、次に会う時を楽しみにしているぞ」
「また会おうヤナギくん。CLか、それとも来年のW杯かはわからないけど」
鷲介の質問に答えず去っていくシルヴィオたち。彼らの背を眺めていると背中を強く叩かれる。
「話は終わったようだな。
それじゃあインタビューに応じてこい。今日のヒーロー!」
後ろにいたジークに押されるようにメディアの元へ鷲介は歩いていくのだった。
リーグ戦 8試合 5ゴール 2アシスト
カップ戦 0試合 0ゴール0アシスト
CL 3試合 5ゴール1アシスト
代表戦(三年目)1試合 1ゴール1アシスト




