2:女神の文字化け
女神は袂に手を入れると水差しを取り出し、直にグビグビと飲み干すと今更真剣に表情を改めた。
手遅れも甚だしい。
何事かツッコもうとする前に、自称女神は早口にまくし立てた。
「はい、では死ぬほど時間がないのでまず端的に言います。あなた方に私の力の一部を貸与します。それを使ってこの世界を救ってください」
「え? いやまず理由とか説明と」
「シャラップ!」
あからさまにジャパニーズな発音で遮られ、鷹は黙った。
どうしたもんかとスライムを見れば、相変わらず気持ち悪く麻痺していた。
「まずそちらの少女、アイサと言いましたね。あなたに時の栞の権能を与えます」
「与えますって……いやすいません先どうぞ」
キッと睨まれて鷹は黙った。
女神は愛紗の前に立つと、掌を広げて向け、「んーっ!」と頑張った風に唸る。
搾り出されるように小さな紙片のような、穏やかに光る何かが掌から現れ、愛紗の体に吸い込まれて消えた。
先の言からして何かしらの能力を与えたのだろうということまでは理解できたが、時の栞という単語はゲーム脳でもピンと来なかった。
その疑問には答えるとばかりに女神は一つ頷き、口を開く。
「時の栞とは世界そのものの保存。安全な時間に栞を差し込めば、その後如何なる危機に直面しても自在に栞を辿り、あなた達だけ記憶を保ったまま世界そのものを差し込んだ時間に戻すことが可能です」
「……つまり、セーブとロードってことですね?」
「そう思って頂いて構いません」
「ゲーム用語通じるのかよ」
鷹の言葉は快く無視された。
「いいですか? 使い方は魂に刻まれたはずです。まずは今すぐこの時に栞を挟み、これから先世界が『壊れた』と思った際は迷わず栞を辿ってください」
あまり穏やかではない『壊れた』という言葉に眉をひそめた鷹だが、召喚した張本人によって与えられた、異世界に来て初めての指針らしきものだ。ここで逆らっても何か意味があるとは思えない。
鷹の視線に、愛紗は頷いた。
「んー……こう?」
愛紗がスッと手を空に伸ばし、屈むと同時に一気に大地へと打ち下ろす。
「我、この瞬間を世界に刻まん!」
長い髪が宙に舞う間に指先が地面に接し、瞬間、清澄な音と共に薄青い光の波紋が愛紗を中心に周囲へ、世界へと広がった。
波紋が通り過ぎた後には何も変わらない草原だけがそこにある。
「あいたたた。突き指しちゃった」
「……いえ、別にそんな動作や詠唱は必要ないことはお分かりのはずですが」
「それっぽい感じでモーションと詠唱なぞ即興で考えてみました。あいたたたた」
「俺は別の意味でイタいよ姉ちゃん……」
理解できないわけではないのがまた辛い。鷹はいたたまれなさを凝縮したような気分にげんなりした。
呪文の詠唱や技のポーズの暗記や考案などはゲームに限らず二次元に触れたものの必須課題であり、同時に漏れ無く古傷となる。
何かをきっかけに思い出すだけで胸が締め付けられる。
「で、ともかくこれでセーブ完了ってことでいいんですか? 女神様」
「ええ……これでやっと落ち着いて話せます。この世界が陥っている危機と、あなた方に頼み縺ァ繧ェ繝シ繝」
「ああ? なんだって?」
女神が気持ちの悪い奇声を上げたと思った瞬間、世界が凍りついた。
比喩でなく、風の流れも、それによる草のざわめきすらも完全に静止した。
バグったスライムの麻痺エフェクトさえもピタリと止まり、動くのは鷹と愛紗、それと何か身振りでアピールしている女神だけだ。
「……姉ちゃん、これって」
「いわゆるフリーズだねぇ。いやーゲーム世界も大変だよーこれ」
「いやバグって止まる異世界なんて聞いたことねぇよ!? ていうかなんで俺たちは動けてんだ!?」
「んまー、そこらへんが召喚の理由なのかなーって分かってきたけど。とりあえず聞いてみようか、この髪が青くて白衣だけど巨乳じゃない女神様に」
「チャスモハァーワ」。」
女神が不満そうに呻くがやはり何を言っているのかまったく分からない。
愛紗は顎を指先でトントンと叩き何事か悩んでいたが、眉を立てた真顔になるとパンと簡単に手を打ち合わせた。
「戻れー」
「詠唱速攻で飽きたなてめー!」
栞を挟んだ時とは逆に、光の波紋が遥か地平の彼方から凄まじい勢いで愛紗へと収束していく。
戻った。
実際に時間が逆行したのかまでは判断できるものはなかったが、少なくとも草のざわめきは戻ってきた。
口を開いた女神の言葉も、ありがたいことに理解できるものであった。
「栞の参照は成功したようですね。改めまして……私の名はアンゼリカ。巨乳ではありませんがこの世界、アルディアスの時と調和を司る神です」
「姉ちゃん姉ちゃん、この女神様意外と根に持つタイプだぞ」
「反省しなさいね鷹君」
「えっ」
しれっと押し付けられた神への反逆罪に戸惑う鷹をよそに、愛紗はいかにも真面目に聞いてますとばかりに振る舞っている。
女神はわざとらしく咳払いをすると目を閉じ、厳かに続けた。
「この世界は『混沌』に浸食されています……」
たっぷり溜めを作り、二人がちゃんと聞いていることを確認するようにチラッと薄目で見てからさらに続ける。
「この世界はそうですね……本来はきっとあなた方が想像した通りの世界です。人間の文明はあなた方の世界ほど発達してはいませんが、魔法が存在し、平和に国々が助け合い、平和に魔王や破壊神が国を滅ぼしたり、まぁそんな感じでした」
「平和? 平和って言いました?」
「ほら勇者とか英雄とかも結構その都度いましたし。大体バランス取れてたんです。滅んで救って再興したら次のが君臨する感じで」
「続きもので前作の余韻ぶっ壊される感じで俺は嫌だなそれ」
「永遠の平和って方が嘘くさくないかなー。いやバッドエンドが好きってわけじゃないよ?」
「とりあえずそこは置いておいてください。今そこはさほど重要ではないです」
「左様ですか」
またいつ言語がバグるのかと不安だった鷹だが、あれは偶発的なものだったのか女神は流暢に話を続けている。
特に意識せずとも言葉が通じることについては、今更感じるところはなかった。
何しろウィンドウ表示が日本語である。通じない道理はない。
「そうですね……近世、というかまさにここ一年ほどは魔物たちを統べる邪悪なる存在、魔総理が君臨し、人々を脅かしていました」
「鷹君、ほらツッコミどころだよツッコんで」
「嫌だよ。姉ちゃんがツッコめよ」
「そう名乗ってたんだから仕方ないでしょうよ!!」
女神はキレた。
「……すいません」
「もうっ。……魔総理は各地に自らの部下を配置し、世界の脈を汚染していました。大地は腐敗し、海は荒れ……いえそのあたりは定期的に現れる魔王系の侵略の常套手段でまぁよいのですが」
「まぁよくはないんじゃないかなー……ああはい、すいません。どうぞ」
「ある時を境に、魔物たちの活動はそのままに、世界中で今まで見たことのない異変が起き始めました。……そう、あのような」
指差す先にいたのは、バグったスライム。
異世界に来たばかりの鷹達にも分かる、確かに明らかな異常だった。
「あれこそが世界を侵食する混沌の一つの形です。他にも視覚的、聴覚的問わず多種多様な異変が現れ、時として世界の常識すら突如として狂う。それが今のアルディアスです……」
「姉ちゃんのゲームみたいだな」
「うーん否定できない」
とはいえ、とスライムに歩み寄りながら女神の話は続く。
「生物、無生物問わずあのような歪な姿に変わる、さっきの私のように言葉があっぱらぱーになる等、小さな混沌であればまだいいのです」
「おいおいどんどんフランクになってきたぞこの女神」
「しっ、多分本題に入るところだから邪魔しない」
ところが、女神はスライムを見つめたままいつまでも次の説明に移らない。
まさかまた何か起きたのかと懸念したところで、女神は袂から紙片を取り出すとサッと目を通してすぐにまたしまい込んだ。
カンペだと指摘したい気持ちを抑えるのは難題だったが、鷹はやり遂げた。
「時の栞を辿る前にあなた方も見たでしょう、世界の最期を」
「あーうん、最期といえば最期なのかあれ」
あれ以上進みようがない、何も起きない。
ゲームで言えばいかなる操作も時間経過も意味をなさず、もはやリセットする他に対処のしようがない致命的なバグ。
それがフリーズというものだ。
「あれが混沌の終局の一つです。私は時の永久凍結と呼んでいます」
「フリーズって呼んでも?」
「お好きに。……起きてしまえば、神である私でも時の栞を参照し、凍りつく前の世界に戻す以外の対抗手段はありません。……それに私自身にも制約はあり、人の身の力を借りねば解決は不可能なのです」
「んー、さっき言ったようなこの世界のガチ系の勇者達に力を与えて解決してもらうのが手っ取り早いのでは?」
召喚そのものを否定するような愛紗の言葉に、しかし女神は首を横に振った。
「この世界の生命は基本的に混沌による異常に抗えません。永久凍結のような全世界規模の混沌が起きればそこで終いです。しかし」
「異世界の生き物な私たちはこの世界で何が起きてどんなにおかしくなっても影響なく動ける……と、そういうことですね?」
女神は少し驚いたように目を見開き、今度は首肯した。
「その通りです。故に時の栞を与える意味がある」
なるほど、と鷹も納得した。
この世界の人間が時の栞を得て冒険に出ても、フリーズしてしまえば本人が止まってしまいロードができない。
ならばフリーズを無視できるこの世界の外からセーブ・ロード役を呼んでしまおう……というのがこの召喚の本意のようであった。
「何が原因かは分かりません。しかし理由もなしにこんなおぞましいことが起きるはずがありません。その真実を解き明かして頂くべく、あなた方をこのアルディアスにお呼びした次第です」
そう結び、女神はまた水差しを一気飲みした。
正直、後半の語りは喉が乾いたのか大分声が掠れていた。