20:悲鳴に学ぶ女子力の高低
瞬きをすると、そこは窓から射す月明かりだけが照らす、コクランの町の宿の一室だった。同室させてもらったアラスカル達の部屋だ。周囲のベッドからはまだ微かに身悶えのするような気配がする。恐らく、就寝の挨拶をして灯りを消した直後だろう。
寝返りを打って振り返ると、隣のベッドから姉が世にも奇妙な変顔を作って待ち構えていた。とても殴りたい。
二人で王国軍に先行して出るなら夜が明ける前だ。
一旦は、鳩のマークの探検隊が寝静まるまで待つ必要がある。就寝を経ずに働くのは大分気が引けるが、そうも言っていられない状況だ。たとえ自分達がいなかったとして、それを疑問に思いながらも予定通り王国軍は出撃するだろうし、そうするとアレに出くわして世界は終わるだろう。
まずは少し待とう、そういう気持ちを込めて愛紗に視線を送った。
すると愛紗は深く頷き、右手を変な形に曲げてこちらに見せてきた。
影絵の狐のような、親指と人差指で口を作り、その上に中指でアーチを作って目のようにし、さらに上に薬指で耳を作ったかと思うと、そこから生えた角のように小指をピンと直上に伸ばす。
その謎のハンドサインを見せながら、愛紗は至って真面目な表情で再度頷いた。
――全然わかんねぇ。
姉の奇行に一瞬気が遠くなりかけたが、眠れば朝になることは必至だ。なんとか気力で耐え忍んで姉から視線を逸らした。
一時間後、フロントで主人や酒飲み客に出くわすことを警戒した二人は、部屋の窓から外へと脱出し、町の北へと向かっていた。夜明けまでの数時間を使って出し抜けば王国軍が前回のフリーズ地点に辿り着くまでには全て終わっているはずだ。
それはそれとして、鷹は愛紗に先のハンドサインの意味を問うた。
「あれはおじさんザウルスのサインだよ」
「意味は?」
「おばさんザウルスと対を為す怪獣だよ。おばさんザウルスは角の角度が前向きになるよ」
「意味は?」
「特に無いかな」
自然と手が握り拳の形を作るのを実感する。とても殴りたい。
愛紗は早足に歩きながらウインドウを操作し、「あー、やっぱりレベルも元に戻っちゃってるなー」と残念そうに呟いている。レベル上げしても、データをロードすればその成果がなかったことになるのは道理である。能力の特性上仕方ないことだ。
やがて町の北門に到着した。体感時間で半日前、実時間で六時間後にルグリットら王国軍と合流した場所だ。深夜の今は当然まだ誰も来てはいない。冒険者や王国軍の行き来で町も不安になっているのか、出歩いている人間もほとんど見かけない。
移動する前に、これからなすべきことを改めて二人で確認した。
森を経由しての祭殿への移動、マリアベルへの事情の説明と勧誘、そして得体の知れないバグった化け物の浄化と、未だ侵入できていない祭殿の攻略。課題も分からないことも山ほどある。
「マリアベルが先行してたってことは、俺達より先に出発してたってことか?」
「多分ねー。あの子視覚に何か問題抱えてるからあそこまで辿り着くの苦労しただろうし、事によると馬車出て私達と別れてからその足で向かってるかな」
視覚。見えてはいるが何か不自然さを感じさせる彼女の挙動や視線に、何かバグが絡んでいるのだろう。挙動は生来のものでステータスが異常という可能性もあるにはあるが。
「やっぱなんかあるかな、あの子の目」
「でしょうよ。視覚のバグっていったら何かな、台詞の位置がズレるなんてことはないだろうし、モザイクかかってるとか? でも私の美貌も判別できたしねぇ」
「じゃあモザイクかかってんじゃねぇか」
「なんだと」
拳を振り上げる姉を無視し、前の周回で進軍した方角を見て軽く屈伸を行う。
疲れるが、仕方がない。その場で屈み、手を後ろに伸ばす。
「乗れ姉ちゃん。できれば早めに追い付いてマリアベルと話したい」
「おっと自ら馬になるとは感心だね。ならば姉も吐き気に耐えて見せよう」
「いや本当に頼むぞ、吐くなよ」
肩に腕が回され、背中に愛紗の体温を感じる。一応健康な女子高生ゆえ柔らかさはそれなりにあるが、肉親かつ中身がバグっているのであまりにもそそられない。今すぐ投げ飛ばしたい。
「あ、今エロいこと考えたでしょ。近親でそういうのはウギュェェェェ!!」
脳天から絞り出したような奇声を背に、鷹は走って森へと向かった。
北門から出てほぼ真っ直ぐ、やや西寄り。
全力でというわけにはいかないが、できるだけ早く。ついでに吐かれない程度に。
森へはまだ暗いうちに到着した。何しろ広い森だ。大体の方角さえ合っていればどこかにはぶち当たる。問題はここから祭殿への経路だ。元々観光地ゆえ探せば方角指示の看板などもあるのだろうが、暗くてよく見えないのは誤算だった。そして致命的なことに、二人は夜間の探索のための明かりなどを持ってきてはいなかったのだ。
背中では鷹以上に息を切らしている愛紗の、力ない声が聞こえてくる。
「いやー、だって今日日私好みのレトロゲームですらダンジョンって基本的に照明完備だからねぇ。ユーザーフレンドリーじゃないと生きていけない業界だよ」
「森はダンジョンじゃねぇだろ。いやダンジョンか、迷いの森とかそういう感じで」
なんとか踏み固められた道らしきものを見つけ、それに沿って走る。大体の方角は覚えているし、人の手の入っていない区域は本当に鬱蒼としすぎて侵入できず、ある意味分かりやすい。とはいえ一本道とは当然行かず、なかなか走りづらい。
道中、例によって何度かアンデッドは見かけたが、全て無視して走り抜ける。むしろ敵が配置されているということは祭殿への順路で合っている、という見方もある。
アンデッドのイメージ通り、動きの鈍い相手が多く基本的には問題はなかった。
一部、前周でも見かけたハイスピードゾンビだけは手足を高速で振って鷹の速度に追いついてきた。ある程度見慣れはしたし、戦力的に脅威ではないので恐れは感じなかったが、迫るゾンビの腐敗臭と走行の揺れで愛紗の呼吸が非常に危うい感じになっており、むしろそちらの方がよほど恐ろしかった。
段々目が慣れてきたとはいえ見通しの悪い森であり、前方を注視しながらの走りとなるので速度は出しづらい。ゾンビは勝手知ったるというべきか、上手い位置取りで木々が邪魔にならないコースを走って鷹に追いすがってくる。
やがて隣を並走し、そしてついに追い抜かれた。
ハイスピードゾンビは驚愕した鷹をチラと振り返ると、フッとニヒルに勝ち誇った笑みを浮かべ、この程度は序の口だとばかりにさらに加速して森の奥に消えていった。
さながら、土気色の流星のようであった。
「……満足してくれたようで何よりだけど、なんだあのアスリート」
「うぇ? 何かあったの? いきなり臭いが出たり消えたりしたけど、鷹君が突然ワキガになったと思ったら完治した? いやまぁそこはいいや。お姉ちゃんもはや何も見えず聞こえず己の内臓の機嫌を伺うことしかできないよ」
「じゃあ目的地につくまで心臓止めててくれ」
否定か文句か脳天に顎を乗せてウェーと鳴く姉を背負い、鷹は森の深層へとさらに駆けていく。明らかな行き止まりや通った覚えのない空き地に行き着いては引き返し、祭殿に近づいてるのかどうか今一つ自信がなくなってきた。
この周回が駄目ならカンテラと、方位を知れるコンパスなりを買おうと心に決めたときのことである。
「キャーーッ!!」
悲鳴が聞こえた。前周と同じ、若い女の悲鳴だ。
改めて意識すれば、確かに性質はマリアベルのそれに聞こえるような気もする。
もちろん、話した時間も短く状況も違うので断言はできないが。
グロッキー状態とは言え愛紗も気づいたのだろう、顎で頭を小突いてくる。
「だがぐん゛」
「喋るな吐くな。聞こえてる。それより見習えよ姉ちゃん、女子の悲鳴ってのはああいうのが本来望ましいもんだぞ。ウギュェェェとかでなく。あれはない」
「はぃ……あれ、なんで私説教されてんの?」
何故だろう。
軽く怪鳥っぽくて怖かったせいかもしれない。
悲鳴は思った以上に近くから聞こえた。だとすれば、少しおかしい。前周のあの悲鳴が例の化け物と遭遇してのものだったとして、位置としてはまだ祭殿からは少し遠く、時間もまだ未明だ。
あれが既に祭殿から出てきているとすれば、動きが変わってしまっているということになる。そうなると相手の出方を知っているというロードの利点が一つなくなる。
そう考えながら悲鳴の方向へ駆けていくと、その道すがら、やはり前回と同じように動けない程度に痛めつけられたアンデッドがまばらに転がっていた。
やはり、悲鳴の主とこの損壊の下手人は関係があるようだ。マリアベルに誰かしら強力な戦士が同行して、それが魔物にやられたことによる悲鳴、という線もまだあるが。
どのみちすぐ分かることだ。
そろそろ夜も明けようかという時間。背には酔いで青息吐息の姉。周囲に王国軍の皆はおらず、前回とは何もかも違う状況。だからこそ、鷹は見つけることができた。
地に膝をつき、片手に杖、片手で頭を押さえる少女の姿を。
夜の森にも鮮やかな白いローブと金髪は間違いなく、前回祭殿の至近で見つけた白魔道士、マリアベルその人だった。連れはおらず、一人だけだ。
その少し後ろには大きな木の根が地表で波打っている。その位置と彼女の以前の挙動からすると、つまづいて転んだ風に見える、というか恐らくそうだろう。
――ひょっとして、すっ転んで悲鳴上げただけか?
だとすれば前回も別に化け物とは関係なく、森の移動中に何度か転んで盛大に悲鳴を上げ、そのうちの一つがたまたま聞こえただけ、という可能性も出て来る。
軽く拍子抜けはしたが、心の準備の前にあの化け物と遭遇しなかったのは何よりだ。
とりあえず声を掛けるか、と思った時である。
頭上の木が微かにざわめき、コウモリにしては随分大きな影がスッと落ちてきた。
翼の生えたゾンビ、フライングゾンビだ。王国軍と戦っているのを見たことがある。ハイスピードゾンビとはまた違った意味で機動力に優れ、闇に紛れて人を襲うのが真の恐ろしさだとルグリットが説明していた。それが、鷹達と同じく悲鳴を聞いて寄ってきたのだろう。樹上からマリアベルの背後に音もなく滑空して接近している。
油断していた上にこの暗さだ、気づくのが遅れに遅れた。それでもレベル100の全力を用いればマリアベルを抱えて離脱させることはできるかもしれない。
そのためには背中の姉が非常に邪魔だ。悩みに一拍すら要さずに、鷹は支えていた手足を離して愛紗の体をその場に落とした。
それでまた少し遅れた。強く地面を踏み込み、一気に距離を詰める。ゾンビは既にマリアベルのすぐ頭上だ。背後からで、音もほとんどなく、地面に屈み背を向けた彼女には気づけまい。
――間に合え!
ゾンビを認識している、つまり戦闘中という扱いならば、多少乱暴にぶつかってもバグで誰にもダメージは与えられないはずだ。救助にはこの際好都合だ。
一気に数十メートルの距離を詰め、ゾンビとほぼ同時にマリアベルの至近に辿り着く。加速の差でなんとか間に合う。マリアベルは振り向かない、ただ、正面の何かを見ているようだった。小さく、彼女の透き通った声が聞こえた気がした。それが何かは分からない。
ただ、腕と杖が青と赤色に交互に光り、次の瞬間には背後に腕と肩だけで、杖がさながら抜刀のように振り抜かれていた。金属製の杖の先端は襲いかかっていた落下中のゾンビを正確に打ち払い、ついでにほぼ同じ位置にいた鷹の顎をも痛打していた。
ゾンビが弾け飛び……はせず、翼も含めた全身が不自然に曲がった上で背後に吹き飛ばされる。鷹もまた、顎を削る勢いで打ち払われたはずが、顎だけでなく腹にも腕にも足にも、背中にすら均等に痛覚が走り、その場の地面に叩き落されていた。
「ぐえー!!」
後方では先程落とした愛紗が落下の痛みに悲鳴を上げていた。
またしてもあまりに可愛さに欠ける悲鳴だった。
「ぐえー!!」
したたかに背を打ち、鷹が悲鳴を上げた。
図らずも姉と同じだったのは屈辱だが、姉よりは可愛い自信があった。
「あ、あれー!?」
間違いなく鷹がいたことに対してだろう、マリアベルがひどく困惑した声を上げた。
これはとても可愛らしかった。
ただ、彼女はその瞬間ですら背後を振り返ってはいなかった。
前だけをじっと見ていた。




