12:ゴブリンと踊る昼下がり
休憩ポイントといっても、当然サービスエリアがあるわけではなく、乗り場と同じように簡素な東屋が建っているだけだった。
酔いこそしなくとも、長時間座り続けて揺れに晒されるのはやはり誰しも辛いようで、乗客は一旦車外に降りて思い思いに休憩を取っている。
当然、愛紗は真っ先に這い出て、乗車中とは打って変わった爽やかな表情で両腕を広げてくるくるとその場で回っていた。
「はー、地面が揺れないって素晴らしい。アレニカアレニカ」
鷹は姉の脳天にチョップを入れた。
愛紗はがくんと膝から崩れ落ちて、地面に顔を埋めた。
マリアベルはどうしたろうかと振り向くと、目こそ開いてはいたが、まだ乗車中の震えが残っているのか、車内からそろそろと用心深く降りていた。そして少しよろけながらも地面に足がつくと、心底ホッとしたように息を吐いていた。
よほど乗り物が苦手なのだろう、見ていて随分と危なっかしい。
「鷹君、私今なんでぶたれたの」
「やかましい。なんで疑問に思えるかこっちが聞きたい」
ぶーぶーと口を尖らせる姉を無視して、あそこで話そうという意味を込め、小さく親指で東屋を指すジェスチャーをマリアベルに示した。
が、すぐ近くにいるというのに当のマリアベルは気が付かなかったのか、ぼんやりと鷹の方に顔を向けている。
その顔を向けているというのも何となく視線と視線が合わないような気がして、あくまでこちらの方角を向いているだけ、といった印象を受ける。
「マリアベルさん? 話すならあっちでベンチに座ってからでいいか?」
「マリアベルでいいですよ。分かりました、そうしましょう」
意識までボーッとしていたわけではないようで、鷹の言葉に対してはすぐに頷き、確かな足取りで東屋の方に自ら歩いていった。
……が、入る際に腕を柱に激しくぶつけて痛そうにしゃがみ込んでいた。
目を合わせることなく、ジェスチャーに気づかない。馬車から降りるのにも手間取る。そして明らかによく見える大きな柱にぶつかる。馬車の中、話す相手の顔をまず確認しようともしない。
それらを踏まえ、ベンチに座ったマリアベルに対し、鷹はできるだけ失礼にならないよう尋ねた。
「違ってたら悪い。マリアベル、君ってもしかして目が……」
しかし、マリアベルはきょとんとした後、慌てて顔の前で手を振った。
「え? ああいえいえ。ふっつーに見えてますよ。タカさんはモンクっぽい服装でややチンピラ顔、そのお姉さんですかね、女性の方は……形容しがたい格好で、あとせっかくお綺麗なんですから、土だらけの顔拭いたほうが」
「だってさ、チンピラ顔君」
「うるさい形容しがたいバカ姉」
盲目かという心配はどうやら杞憂だったらしい。
となると先程の違和感の原因はドジと、本気の乗り物嫌いと、あとは視線恐怖症あたりになるのだろうか。話していて物怖じは一切感じないので、視線を合わせないのはよくわからなかったが。
柄にもなく気を使ってしまったかと頭を掻き、鷹はマリアベルと向かい合う形で隣のベンチに座った。愛紗も、いつの間に買ったのか無地のハンカチで顔を拭いてから鷹の隣に座った。
「で、アース祭殿のクリスタルがバグ……奇妙な現象の原因じゃないか、って話についてだったか。どうも魔物の占拠後に更におかしくなった時期と、現象が起き始めた時期が被ったらしいってんだけど、俺達もミロムで物知りな人に聞いただけで、そうかもしれないってことしか分からないんだ」
「そうですか……」
少し落胆したように、マリアベルは俯いた。
やはり、白魔道士が集まる教会ともなれば、バグに侵された患者の治療を頼まれて苦い想いをすることもあるのだろうか。
そんな彼女の様子を見た愛紗がそっと耳を寄せ、珍しく真面目な声でこう囁いてきた。
「鷹君、ゆったりした服装だから気づきにくいけどこの子相当胸でかいよ」
「うるさい黙ってろバカ」
そんなことは見た瞬間から真っ先に確認していた。言われるまでもないことだ。
隠して隠しきれる質量ではない。
馬鹿にしているのかという憤りをマリアベルの胸を改めて凝視することで鎮めた。
豊かだ。
「でも、気にするってことはウエストアンゼだっけ? 君の町にもやっぱいそんな現象が?」
「やっぱい?」
煩悩と話すべきことが少々混ざってしまい、鷹は難しげに顎に手を当てた。
何故か愛紗は横目で冷たい目をしている。
幸い、噛んだだけだと思ってくれたようで、マリアベルは間を置いてから頷いた。
波打つ金髪が動きに合わせてふわっと跳ねる。
「あ、はい。教会で預かっている双子の子供が気づいたら四つ子になっていたり、物の見え方がおかしくなった者がいたり、その道四十年の司教様の白魔法が全て格闘技になっていたり、齢七十を超えたシスターがある日を境に五歳ぐらいの口調になったり」
「最後のはもしかして痴呆じゃない?」
「その可能性は非常に高いと見ています」
「なら何で例に挙げたよ」
やはり清楚そうな見た目に反して、なかなか問題のありそうな少女だった。
しかし、一つの教会の関係者にそれだけバグが集中するとなると、ミロムより被害の程は大きそうに思える。アース祭殿により近いことが関係あるのだろうか、などと何となく思った。
あと、とマリアベルが呟き、何か言うべきか迷うような素振りを見せている。
どんなバグが起きうるのかもできるだけ知っておいた方がいいだろう、と鷹は先を促した。
「……これは本当に些細なことなんですが、そういった症状が増えてきてから、教会にいる間だけ体の動きが重い、ような気がして……」
「重い?」
「ああいえ、そんな取り立てて気にするほどの差ではないんですよ」
そう言う以上はさほど明確なものではないのだろうし、他の人間が直接バグっていることに比べれば確かに些細だとは思える。
反面、愛紗はそれを聞いてから体を傾けて何か深く考え始めた。バグについてはある程度信用できる人間だ。何かしら、ゲームで体験したバグに紐づくものがあったのかもしれない。
マリアベル自身はその件についてはついで程度のものだったようで、あっさりと話題を変えた。
「それで、お二人はそれらの原因になっているかもしれないアース祭殿に行かれる、と?」
「ああ、そのつもりだ。ふんぞり返ってる魔物倒して収まるなら簡単でいいんだけどなぁ」
仮にも世界を支える代物だ。バグった魔物が触れた部分から簡単にバグっていくなどとは思いたくなかったが、そうであるなら対処は比較的しやすいとも言える。
いずれにせよ、クリスタルとやらを見てみなければ分かりようもないことではある。そこまで辿り着くためにも、冒険者が多いというコクランで仲間を見つけたいところではあった。
「そうですか、クリスタルの異変で……」
マリアベルも何やら俯いて考え事を始めてしまい、女性陣二人が黙ったことで鷹はどうしたものかなと所在なく視線を巡らせる。
すると、御者の男性が休憩している乗客達に向けておおいと手を振っているのが見えた。
何事かとにわかにざわめきが広がった頃、御者が馬車の反対側を指差した。
「お休みのところ申し訳ないんですが、どうも魔物が寄ってきてるみたいでして。少し早いですけど出発しちまった方がいいかもしれません」
馬車で駆け抜ければエンカウントせずとも、止まって休んでいれば遭遇することもある。魔物も動いている以上、それは道理だった。
そして、ミロムに着いてから向こう一度も戦闘をしていない身としては、敵の巣窟とも言えるアース祭殿に向かう前に色々と試しておきたいことがあった。
「姉ちゃん、追っ払おうかと思うけどいいかな?」
「んー? まぁ大方直接攻撃以外で何かちゃんと戦闘できないか確認しときたいってとこでしょ? いいんじゃないかな、ポコポコ殴るだけでよければ手伝うよ」
立ち上がる鷹を見て、愛紗も考え事をやめて席を立った。
マリアベルもこちらを冒険者として見ている以上、何をしようとしているのかは分かったのだろう。愛紗と同じように杖をその手に持ち、見上げてきた。
「あの、戦いになるのでしたら微力ですが私も……」
「いや、申し訳ないけどちょっと二人で試しておきたいことがあってさ」
「ま、多分心配ないから座っててよ。後で鷹君が頭から血を噴いてたら馬鹿にしながら回復魔法でもかけてくれればそれで十分だからさ」
「えっと、それはちょっと……」
引き気味に苦笑するマリアベルに謝罪の意を込めて片手を上げると、そのまま愛紗の頭を掴み、「ぐわあああ何をする人間めー」という呻きを聞きながら引きずっていく。
やはり戦闘中でないか、味方に対してであれば攻撃的な振る舞いはできるようだった。味方かどうかは若干怪しいところがあるが、魔物ではないはずだ。恐らく。
御者の示した方を見れば、確かになんとか視認できる程度の距離に、こちらに向かってきている魔物が見えた。緑の肌をした亜人。恐らく、ゴブリンとでも言うべきものだろう。
スライム等に続き、ポピュラーといえばポピュラーな魔物だ。
何をするのかと疑問符を浮かべる御者や乗客たちに、鷹は軽く姉を振った。
「ちょっくら追っ払えそうだったら追っ払ってみるんで、出発の準備だけお願いしていいっすか」
「お客さんらが? 冒険者の方でしょうが……無理はせんでくださいよ」
簡単な装備だけつけた若造二人だ、冒険者だとしてもそうそう全てを委ねるとは行かないだろう。
ましてや、全速で逃げれば戦うまでもない距離だ。これは、鷹のわがままでしかない。
アイアンクローから解放した姉を伴い、できるだけ馬車の遠くで戦闘になるように走り出す。
「姉ちゃん、俺ちょっと先に行って試してくるな」
「あいよー。まぁ休憩所でセーブはしてるから多少は無茶してもいいよー」
「ありがてぇ」
加速をつけ、全力とは行かないまでも愛紗が置き去りになる程度の速度を出す。
身体能力としてはこの世界としても特筆する程度になるのか、背後に微かに他の客のどよめきを感じた。それが少し誇らしいような、こそばゆいような微妙な気持ちだった。
――まぁ、不正に手に入った力だしなぁ。
レベル上げの努力すらない降って湧いたもので、人前で誇示するには少し罪悪感はある。
しかも代償もまたあまりに大きい。
現状、鷹は異様に速く動けてやたらタフだが、攻撃不可能な純粋な盾役でしかない。それに何か抜け道がないか、それを確認しておきたい。
近寄れば姿ははっきりと見えた。数は五匹ほど、全て同一の種類の魔物だ。
意識を集中すると、見た目に違わず【ゴブリン 5匹】の表示が現れた。
粗末な民族衣装のようなものに身を包んだ緑の肌は、ボコボコと瘤のようなものがあちらこちらにできている。手には狩猟用だろうか、大振りなナイフまで持っている。
そこまでなら知性を感じるが、残念ながら表情は人間のそれとは違い、話は通じそうもない。
事実、こちらを確認するや、慣れた動きで散開してナイフを構えてきた。
そこで、鷹はもう一段階加速した。
さすがに更なる加速までは予測しなかったのか、ゴブリンは人語とは異なる音を発して狼狽える。
手始めに肩からぶち当てに行く。速さに任せたタックルだ。高速で前方へ遷移する視界の中、身を引きかけたゴブリンの一匹が間近に迫る。
……が、やはりその攻撃は実現しない。
触れるほどの至近距離で、鷹の体はそれまでの加速を一切無視してピタリと止まっていた。
ジョギングしてから止まる程度の反動すらない、完全な運動の停止だ。
しかし、これは殴りや蹴りが駄目だった時点で予想はできている。
「やっぱダメかー。じゃあ次行くぞゴブ一号」
「ギー?」
首を傾げられた。正気に戻られた。ナイフを逆手に構えられた。
しかしそれはさせない。振り下ろされるゴブリンの右腕、その二の腕を殴りつける。
ナイフが到達するより速く鷹の拳が着弾する。当然、命中はせず停止するが、逆に相手の腕の側から拳に触れてくる。必然、鷹の手が邪魔となりゴブリンの攻撃は止まった。
「相手から触れることはできてそれを防ぐことはできる、と。じゃあ次」
見るからにパニックに陥るゴブリンの手からそっと、攻撃扱いにならないよう静かにナイフの刃をつまんで抜き取った。試しに柄を握ってみるが、ひどい違和感を感じてそのまま背後に投げ捨てる。
恐らく『しかし鷹には装備できなかった!』という違和感だろう。
モンクは素手が身上である。生憎、今の鷹はモンクではなくモン■だったが。
襲われる仲間のフォローをしようというのだろう、周囲の他の四匹が迫る中、無手となった一匹の腰を掴む。攻撃ではなく、単に捕まえるために掴むことはできた。
見た目からひどい悪臭ぐらいは覚悟していたが、意外にも草の汁のような、植物的な青臭い匂いぐらいしかしない。こう見えて比較的清潔な生活を営んでいるのか、植物を使った消臭などの文化があるのか、それはわからなかったが。
そのまま、レベルアップ直後にしたように鷹は垂直に跳躍した。
ゴブリンを掴んだまま。
「ギーーーーッ!?」
「いやすまん、怖がらせるつもりはないんだ」
高速での上昇はゴブリンにとっても恐怖でしかなかったようで、甲高い悲鳴のような鳴き声が空に響く。実際、悲鳴だったのだろう。
そのまま、最高点に達したところで手を離す。離すつもりだった。
「……あれ、離れね」
別段食い込むほど手に力を込めているわけではなかったが、自力で離すことはできなかった。
高所から投げ捨てるのは『たたかう』に相当するという、世界だかシステムだかの判断だろう。
打撃でないこれについては少し期待していただけに落胆し、鷹は再び垂直に落下した。
ゴブリンは嫌がるようにポカポカと殴ってくるが、いかんせん空中であり、戦意喪失しているのか力も籠もっておらず、大してダメージはなかった。
それでも姉の拳骨よりは痛いあたりはさすがにモンスターというべきか。
メニューを開くとカンストしたHPに対しては微々たるものだがダメージは受けている。
そしてジャンプしての投下すら無理ならば多分駄目だろうと確信していたとおり、着地もゴブリンへのダメージにはならなかった。
向上した身体能力により無事着地した鷹と同様、落下による衝撃はゴブリンに伝わっていない。
ぴたりと足が大地を捉え、直前までの自由落下のエネルギーはどこにも残らず消えた。
物理法則を無視するレベルで、鷹は魔物に大してダメージを与える行動が取れなかった。
当のゴブリンは自分が無事だったことに驚いているのか、きょろきょろと地上の風景を見回し、鷹の行動に呆然としていた他の四匹のうち、一番近くにいた一匹に慌てて駆け寄った。
友人だろうか、家族だろうか、それとも単に近かっただけだろうか、相手にすがってギーギーと鳴いている。ダメージは無理でも、恐怖だけは与えることに成功したようだ。
「ギーッ! ギーッ!」
「ギギーィ、ギーイ」
「『うぇぇぇん、あのチンピラっぽいニンゲン怖かったよぅ叔父上ー』『泣くな甥っ子よ。帰ったらおめぇの大好きな野菜のテリーヌを母ちゃんが作って待ってるからよォ』」
「アフレコすんな姉ちゃん」
追いついて早々に変な声で小芝居を始めた姉に、鷹は半眼で振り向いた。
愛紗は少々息が乱れていたが、馬車ではなく自分の足で走ったことに満足したのか、至って爽やかな表情でそこに立っていた。
変な人間がまた増えた。
先の抱きかかえジャンプのせいで動揺してじりじりと後ずさるゴブリン達を確認して、愛紗は不敵に笑うと、両腕をバッと広げてこう言った。
「『姉ちゃん、俺今まで人間の女の子が好きだと思ってたけどゴブリンの抱き心地は最高だ! 俺これから森に行ってあいつらのメスを攻略してくる!』」
「いやほんとグーで殴るぞ」
「うぁーごめん、緑の巨乳はお好みじゃなかったかー」
行けるかもしれなかったがそれとこれとは話が違った。




