0:早坂鷹と早坂愛紗
モニターに映った騎士が、吹雪を撒き散らす強大な魔物を斬って捨てる。
パーティメンバーの称賛の声を受け、チャットに謙遜のメッセージを打ち込む。
やがて目的のアイテムがドロップし、冒険は一区切り。
大規模MMORPGであるアルディアスサーガオンライン、通称ASO。
そのプレイヤーの一人である早坂鷹の、今日の冒険が終わった。
時計を見れば就寝には少し早い。
ログアウトする前に拠点で戦利品の換金などしながらブラブラする。
ゲーム内通貨も大分まとまった額になり、土地の購入も視野に入ってきた。熟練プレイヤーと名乗ってもいい頃合いだ。
「結構結構。ゲーム世界は今日も平和なり、と」
一方でリアルの自分はといえば、漫画も好きには買えないような学生の身分だ。
鷹はため息をつくと、キーボードを避けながら机に突っ伏し、うめく。
「何か不思議な光に包まれて気づいたらゲーム世界、とかないもんかなー」
「鷹君さぁ、口を開いたと思ったらそれ? お姉ちゃんあんたの将来が心配だよ」
衝立の向こうからのんびりした声が聞こえた。
鷹の一つ上の姉の愛紗だ。
個人部屋ではなく、大きめの一つの部屋を衝立で区切って共用させられている。
年頃の息子と娘のプライバシーの重要性を親に説いて、部屋の提供を嘆願したこともあるが、そう遠くないうちにどちらか進学等で家を離れるだろうという予測を盾に却下された。
常日頃、くだらない理由で手や足や物がしょっちゅう飛び交うとはいえ、別段姉弟仲は悪くない。
とはいえ、ヘッドホンをつけなければゲームのBGMやボイスも丸聞こえというのはなかなか落ち着かない環境だ。
今も衝立の向こうの愛紗側のスペースからは、あまり音数の多くない、いかにもゲーム音楽的な曲が聞こえている。
愛紗は今となってはジャンク系の店か、秋葉原のゲームショップでもなければ置いてすらいない、鼠色のレトロゲーム機を好んで遊んでいる。
鷹も対戦や協力プレイできるものを筆頭にいくつか一緒に遊んだし、中には楽しめたものもあったが、何分古臭さは否めない。MMOをメインにやるようになってからはご無沙汰していた。高三と高二で、姉弟仲良く対戦という年齢でもない。
ともあれ、鷹はもう十回はクリアしたであろうRPGに勤しむ姉へ意識を向けた。
言われっぱなしが癪だったということもある。
「なんだよー、姉ちゃんだってRPGとか好きだろ。ほら、押し寄せる魔物を剣と魔法で薙ぎ倒して身を立てたいとか思ったりしないわけ?」
「生憎と私は生活がオンゲーどっぷりの鷹君と違って、受験勉強の息抜きにたしなむ程度だよ。それにファンタジーでクエストな世界って文明レベル低そうだし、多分不便この上ないよ。女子高生の生きる環境じゃあないね」
大体だね、と前置きして毎日三時間は『息抜き』している受験生はほざいた。
「ゲーム世界って、どう考えたってゲーム機がないじゃない。それ凄くやだ」
「……その考え方が俺よりよっぽどゲームどっぷりなのは気のせいか?」
半眼でのツッコミは無視され、「ギャーまた火の鳥飛んできた! 赤い奴め!」などと謎の呻き声が返ってきた。敵から全滅するような技でも喰らったのだろう、と経験から予想はできたが。
と、それまでは普通に聞こえていたレトロながらも勇壮な戦闘BGMが、プーっという単音を延々伸ばしたような耳障りな音に変わった。
サイコでサイケな前衛的演出に使われるのでもなければ、およそゲーム中に流れるようなものではない異音。いわゆるバグ音だ。
「なんだ姉ちゃん、またバグらせて遊んでんのか?」
愛紗はレトロゲームを普通に遊ぶ一方、アイテム増殖やキャラの強制変更などのバグを使って開発者の想定外の遊び方も楽しんでいる。今回もその一貫だろうと鷹は呆れた。
すると、バチンと電源スイッチを切る音と共に、衝立の裏からひょこっと愛紗が不満そうな顔を覗かせた。
外見的には垂れ目でおっとりした、可愛いと言える顔立ちではある。長い黒髪を掻き上げる姿が様になってもいる。ただ、常に目だけは笑っているような、そんな表情が特徴的だ。
愛紗は衝立に顎を乗せ、眉を立ててうがーと吠えた。
「違ーうー。今回は普通にプレイしてるけどソフトがもう限界なのー。念のためパソコンにデータ吸い出したりとか抵抗はしてるけど、やっぱり実機でやりたいしー。移植版は音悪いしリメイクは別物だしー」
「吸い込みってそれ違法じゃねぇの?」
「個人で楽しむ分にはいいんですー。バグで遊ぶ分にはセーブとロードがし易いエミュレータの方が色々便利だし」
曰く、バグにはフリーズやハマりが付き物である。それはそうだろう。故意に想定外な動きをさせた時までメーカーは責任を持てない。
対策の一つとして、吸い出したゲームをパソコンで遊ぶ際に使える、戦闘中だろうとどこでもセーブし、いつでもロードできる機能がある。
安定した状態、バグの発動直前の状態をセーブしておくことで、どうしようもないときのやり直しや、細かいバグの挙動の制御を試みるのだという。
鷹も動画サイトなどでそういったバグ研究を見たことがあるが、二十年近くも前のゲームで新しいバグが発見されたり、それによりありえない無茶な攻略ルートが見出されたりと、通常プレイで満足する人間にはよく分からない世界だった。
純粋に遊ぶには無粋だと思う一方で、予想できないような挙動が見られたり、本来没データとして日の目を見ないはずだった魔物やアイテムが見られるのが面白いというのは分かる。
それはそれとして、愛紗に関しては時々砂嵐状態でフリーズした画面を見て大笑いしていることすらあるので正気を疑うが。
「で? 今回はソフトがヘタって勝手にバグってしまった、と」
「そゆこと。私バグはバグで遊ぶけど、普通にプレイしたいときは普通のバランスで普通にやりたいし。通常プレイでコイン838861枚とか買ったりしないもん」
「いや、それはよく分からないけど。……ていうか、姉ちゃんパソコン持ってないじゃん、どこに吸い出したよ」
「えっ」
鷹が問うと愛紗はあからさまに狼狽し、口笛のつもりであろう細く長い息を吐いた。そして、明らかに作った声でこう言った。
「……親のパソコンを使うほど非常識じゃないよ、私は」
「弟のパソコン使う程度には非常識ってことだな。どこに隠した」
しかもさっきの言からすれば、バグプレイを常日頃から鷹のパソコンでやっているということになる。全く気が付かなかった。
特段注意を払っていたわけではないものの、姉の無駄な行動力と胆力に、鷹は戦慄した。十数年間付き合ってその恐ろしさは分かっていたつもりだが、行動を予測できるレベルに達してはいない。
「バグったデータと同居させてこっちのゲームがバグったりしねーだろうな」
「いやいやまさか。ウイルスじゃあるまいし問題ないってば」
「まぁさすがにそりゃ分かってるけ……ど?」
話しながらもログインしっぱなしだったASOの画面。
持ちキャラの騎士が町で待機しているはずのその画面が、出鱈目な極彩色に染まっていた。外したヘッドホンから微かに漏れる町のBGMはやけに甲高く音程が狂い、嫌な不協和音を奏でている。
「ちょ、姉ちゃんこれ本当にバグって……!」
「お? 何何どうしたの鷹君」
衝立を押しのけ、ペタペタとスリッパの音を立て鷹側の領地に入ってきた愛紗。
せっかく数百時間育て上げたデータが、不正扱いで削除されるのではと焦る鷹。
二人が覗き込んだ画面の中、色の暴力が吹き荒れる中、場違いなほど明るくポップな文字が楽しそうに踊っていた。
――WELCOME!!――
文字だけではない、澄んだ女性の声でそんな言葉が頭の中に響き、眠気に似た感覚が意識を奪っていった。
直後、モニターが強く光ったことが、気を失う前に見た鷹の最後の光景だった。
ついでに挙げるならば、一足早く気絶した愛紗の顎が脳天に叩きつけられたのが、最後に感じた痛みだった。




