守則
翌日、嬪宮の元に側室たちが挨拶に訪れた。鄭良媛、そして縣主を産んだ朴守則と並んで慶華は挨拶をした。
嬪宮は薔薇のような美貌を持っていたが、彼女たちに微笑む事はしなかった。間髪入れずに3人を座らせると冷たく言い放った。
「よく邸下に仕えなさい」
それに答えたのは鄭良媛だった。
「はい。しかしながら、どうして女官が我々、側室と一緒に座っているのです?」
鄭良媛はちらりと朴守則に目をやった。朴守則はうつむき唇を噛んだ。守則は女官の地位であり、側室の地位ではない。王の後宮でいう承恩尚宮と同等なのである。承恩尚宮とは王の寵愛を賜った宮女の地位であり、側室ではない。いわば中途半端な名目だけの地位なのである。
鄭良媛の言葉に反駁したのは慶華だった。
「良媛媽媽、それは言い過ぎです。守則だろうが良媛だろうが世子邸下に仕える者にかわりありません。そうですわよね?嬪宮媽媽」
「楊承徽の言う通りだわよ。鄭良媛、口を慎みなさい」
嬪宮の一言で何か言いたそうだった鄭良媛は口をつぐんだ。
「3人とも下がりなさい」
「はい」
慶華は嬪宮の殿舎から出ると朴守則から声をかけられた。野菊のような素朴さに柔らかい光をたたえた瞳が美しく見えた。
「承徽媽媽、先程はありがとうございました」
「お礼を言われることはしていないわ」
「いえ…私は守則に過ぎません。それを卑屈に考えてはいけないと気にもとめていませんでした。ですが、屈辱には耐えられません」
「守則はしっかりした方なのね。気が弱い方だと思っていたけれど」
「人は地位や見かけで判断できないものです。地位は人を奢らせ、見かけは見栄を張らせます」
「守則から含蓄のある言葉を聞けて嬉しいわ」
「どうか、守則でなく妹とお呼びください」
「なら、妹妹ね」
「妹妹?」
「そう。大陸の言葉で妹というの。姉は姐姐」
「承徽媽媽を姐姐と呼んでも?」
「こんな聡明な妹の姉になれるなんて光栄だわ」
2人は微笑み合った。後宮の女たちはいがみ合っていた。しかし、一握りの気の合う女たちが集まり擬似姉妹となる。同情姉妹と呼ばれる風習だった。
慶華は朴守則という女が気になった。何故、世子の娘を産みながら女官なのか。それを本人から聞くのははばかられたから、部屋に戻ってから呉尚宮に尋ねた。
朴守則こと朴寶羅は世子宮の宮女で教養高い桂尚宮(ケ尚宮)の弟子だった。それを世子が気まぐれに手をつけて懐妊させた。娘を産んでも気まぐれで寵愛はつなぎ止められず守則の地位に留まるしかなかったのである。
その日の夜、閨に世子が現れると慶華は優しく諭すように言った。
「邸下、縣主のことを考えたことがありますか?」
「縣主…守則の娘だな」
「この先、縣主が嫁ぐ時、ずっと女官の娘と陰口を叩かれるのかと思うと不憫になりませんか?それに封号もなく縣主、縣主とお呼びになって…それでは邸下が冷たい父親と思われてしまいます」
「言われてみればそうだな。何故、娘の将来を考えなかったのだろう…守則と娘に不憫な思いをさせてしまったな」
「ならば、すぐにでも慈悲と愛をお与えにおなり遊ばせ」
世子は慶華の得意そうな笑みを見つめた。