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はじまり
宜宗には庶子はいても嫡子はいなかった。母親の安大妃(アン大妃)は水垢離をして王妃張氏(チャン氏)の懐妊を願った。
安大妃の水垢離のお陰か、王妃張氏は懐妊した。すぐさま、産室庁が設けられて王宮は異様な熱気に包まれた。そんな中、宜宗の後宮の1人である趙淑儀(チョ淑儀)の懐妊もわかった。しかし、宜宗は見向きもしなかった。というより、嫡子というものに強い力を感じていたからだ。
宜宗は庶子である。安大妃は養母であり、実母は徳嬪金氏(トク嬪キム氏)という。安大妃の養子となっても庶子という事実は消えず、ようやく王になってから人々の記憶からそれが消えていた。庶子であるが故に宜宗は嫡子を誰よりも求めたのである。
梅の咲く頃、王妃張氏と趙淑儀は王子を産んだ。王妃の産んだ息子は翼と名付けられ、「元子」と呼ばれる。一方の趙淑儀の息子は翅と名付けられ、信寧君(シンヨン君)と名付けられた。
翼が5歳になると宜宗は彼を教育する機関、輔養庁(ポヤン庁)を設けた。歳の近い両班の子弟が集められて翼と良く遊び、学んだ。