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グロリアスマーチ(休止中)  作者: 織上ワト
第一部 悪夢襲来 -Fall In The Nightmare-
9/12

四章 融解 -revival- その③

遅刻です! むしろ遅刻がデフォだろと言われんばかりですが……申し訳ない(´;ω;`) そして前回の続きに当たる四章その③ですが想定よりかなり文章が膨大になってしまい、まだ完結してません……それも踏まえて読んでいただければと思います。ではどうぞ!

※今回も例の如く重要単語の読みを置いておきますので、読み方忘れた頃にどうぞ!

《深界クリフォト》《阿頼耶式アラヤシキ》《聖統主エルド》《鎧殻がいかく》

「馬鹿な……何者だ? あの少年は」

 同じ時、上空から静騎たちの様子を呆気にとられつつ眺めていたのは、先の流れ弾を放ったアレクシア当人だった。

 その端正な表情はこの時紛れもなく驚愕の色に染まっており、ともすれば今この瞬間この場で最も愕然としているのが彼女だと言っていいだろう。

(私の雷撃を、防いだだと? しかも片手で、軽々と……!?)

 有り得ないと、戦慄もあらわに立ち尽くす。

 確かに、先に放った雷撃は自分の全力からは程遠い威力の……言ってしまえば牽制弾(ジャブ)にも等しい程度の一発には違いなかった。そもそもが元々の標的すら別人であり、突如少年から迸った閃光に気を取られ、本来放つべき機を逸して暴発してしまったこともまた事実。

 故にそれは自らの闘気が殆ど通っていないただの落雷にすぎない(・・・・・・・・・・)

 無論のこと規模が度外れて大きいことや、本来的にあり得ない角度で落ちたことを考えれば甚だ常識外れの一撃には違いなかったのだが、それでもこの精神世界の最大の特性である心気を込めることによるブーストが抜け落ちた状態のソレの威力は、現実でも起こり得る範疇での放電現象の枠を逸脱することはない。

 だからこそこのようなただの雷など、深界(クリフォト)の戦人であれば難なく防いだとして何らおかしなことはないはずだ。ではアレクシアは一体何にショックを受けているのかと言えば、それもまた単純な話で――

(彼の位階は最も浅い(・・)習位のはずだ……明らかな格下相手にこの私が後れを取ることなど有り得ない)

 そう、その一点こそがアレクシアを困惑させる原因だった。

 深界に臨む聖統主(エルド)や眷属たちは自らの内に秘めた精神性の手綱をどれだけ巧く握れるか、もっと言えばどれだけその心の内に(・・・・・・・・・・)深く迫れるか(・・・・・・)に応じて大きく三つのレベルに分けられる。

 アレクシア自身は無論のこと最も深い層位に至っているわけだが、基本的に最も浅い層位である習位とその次の層位には大きな隔たりが存在し、ましてそのさらに深層ともなれば最早比較にすらならない。

 最深層と中間層は行使できる技能の数に差異があるだけで、基本能力に隔絶するほどの実力差は生じないのだが、しかしそれは――

「――有り得ない、とでも思ッているのかい?」

「っ……!?」

 瞬間、耳元に響いた不快な声音に条件反射で武器を振るう。しかし声の主は何が可笑しいのかへらへらと笑いながら、ひらりとその場で翻って攻撃を難なく躱してみせた。

「きッひひ、別に珍しい話じャないだろう? 小さなことをきッかけに丸ッきり別人みたいに変化するのは現実でだッて起こり得ることだ。まして深界ならなおのことじャあないのかい?」

 その言葉に心底不本意ながらも反論できず閉口する。

 虚言、妄言、狂言を擬人化したような存在である渾沌だが、ことこの話に限ってはアレクシアも認めざるを得ない。

 薄々感づいてはいたことだ。要は自分の攻撃を受け止められたという事実を、ちゃちなプライドが邪魔して許容できなかっただけの話。つまり――

「この土壇場にして成ったというのか……習位を超えた先の、絶階(ぜっかい)に」

 最早感心を通り越した呆れすら滲ませる調子でアレクシアは言葉を零した。

 何がきっかけとなったのかわからないし、そもそもがあの少年の存在すらこの戦場で初見だったアレクシアには彼が何者であるのかも見当がつかない。

 この悪魔の執着もいつもの暇つぶしかと思っていたのだが……もしかしたら本当に事情が違うのかもしれない。

「きひひ……ああ、残念だ。残念だなァ、シズキ。キミのことは是非ともこのボクが直々に導いてあげたかッたのに……先を越されちャッたかァ。きひひひひ!」

 言葉とは全く裏腹に、ぎょろりと剥いた瞳を隠しきれない愉悦に濡らしながら不気味に微笑む渾沌。その輪郭がざわざわと揺らぎ出し、急速に闇へとその身を同化させていく。

「貴様っ、逃がすか!!」

 咄嗟に放ったアレクシアの呵責なき一撃も、まるで煙でも貫いたかのように見事に身体をすり抜ける。そうして直後に頭に響く吐き気を催す虫の羽音。

「残念ながら時間切れだ。キミは好みのタイプだからね。浮気をするつもりはないけど、いつかまた遊ンであげるよ……きひひひ! きッひひひひひひ!!」

「渾沌! 貴様ぁぁぁああああああッッッ!!」

 轟哮を上げるアレクシアの怒りも虚しく、渾沌の姿はすでにそこから消え去っていた。

 まるで最初からそこには何もいなかったかのように、深界の空へと揺らいで溶けて消えてゆく。


 ――これはサービスだ。領域は解いておいてあげるよ。後はキミたち次第……また会おうぜ、ボクの愛しいシズキィ。


 そうしてアバドンから渾沌の悪魔の気配が完全に消滅する。後に残ったのは変わらず揺蕩う深界の陰気と、いつまでも頭にこびりついたように響き続ける腐り果てた邪念に爛れた嘲笑(わら)い声だけだった。


       ◇


 ――身体が軽い。


 自らのシャドウと同化を果たし、目覚めた新たな力――鎧殻(がいかく)を身に纏い、静騎が最初に抱いた感想がそれだった。

 全身を覆う黒白の鎧は峻厳にして流麗。一目見て半端な攻撃など一切通さない重厚さに満ちていると察せるのに、いざ身体を動かしてみれば驚くほどに抵抗を感じない。重さはおろか、通常どんな鎧にも通じて言える節間での摩擦や動きづらさというものが一切存在せず、それどころか鎧を身に纏う前より遥かに身体能力が向上している実感すらある。

 その事実に驚嘆し、しかし同時に静騎はそれも当然のことだろうとも思っていた。

 何故なら自分は今そうあって然るべき階層へと、その精神を置いている。

 つい一瞬前までとはわけが違う。この身体の異様な軽さは、鎧殻という己が信念とも言える心気を具現化したことによる士気高揚の効果もあるのだろうが、中心となっているのはそもそもの立ち位置の変化だ。

(心の浅層から深層へ。習位から絶階へ。己という存在を暴き、そして深く理解し受け入れることで至れる新たな階層)

 まるで昔何処かで誰かにそう教えられたかのように、決まり切った定型文を頭の中でそっと唱える。

 深界とは、膨大という言葉すら及ばないくらい果てしない世界の記憶の集合体だ。より深い界層へ潜っていけばいくほど世界を取り巻く記憶の密度が増していくのは当然で、それに伴い個人の精神にかかる圧は桁外れに上昇していく。

 例えるなら水圧のようなものであり、一層シェオルから二層アバドンへと落とされた時、静騎たち全員が覚えた重圧感や息苦しさとはこれが原因だった。

 考えてみれば当たり前の話だろう。自らの精神構造すらろくに理解できていないのに、世界そのものの精神的負荷に耐えられるはずもないのは至極真っ当な道理だ。

 故にこの時静騎の身に生じた変化を正しく言い表すならば、身体能力が向上したわけではなく心の枷が一つ外れた(・・・・・・・・・)。己の何たるかをより深く理解し受け入れ、この無意識の大海たる深界における存在密度を確かなものとしたことで、より深い界層の重圧にも耐えられるように心の在り様が変質したのだ。

(今ならわかる。想いを力に変えるという阿頼耶式(アラヤシキ)の神髄……それは自分自身の信念を見失わないこと)

 自身を見失えば十全に力は発揮できない。それは現実でも同様のことが言えるが、ここ深界ではそれが露骨に現れる。だが逆を言えばそれは、自分自身を見失うことさえなければ己を際限なく強化し続けることも可能だということ。

 強さも弱さも総てを受け止め、夢想の果てに思い描いた理想の究極。

 そこに辿り着くまでの道のりはまだまだ道半ばもいいところ。しかしだからこそそこに至るために、まずこの場で為さねばならないことがあると、自らの心を再度奮い立たせ――

「――っ!?」

 とその時、深界の大地を高速で疾駆する静騎は、突如真横から津波のように押し寄せる殺意を感じた。

 ただそれだけで全身がバラバラになりそうな密度の殺気を突き抜け現れたのは、血よりも赤い魔獣の顎。

「お前は……っ」

 そこに現れた意外過ぎる人物の姿を見止めて、静騎は大きく目を見開いた。

「――……」

 紅眼と同じ軍服を着込んだ薔薇色の髪の少女。つい先ほどまで黒狼と交戦していたはずの彼女が、理由はわからないが凄まじい速度で静騎へ突貫を仕掛けてきていた。

 彼女の右腕は最早肢体とは呼べないレベルの紛れもない異形と化しており、奈落を思わせる巨大な口を開いて静騎を食い千切ろうと迫っている。

「――ッ!!」

 無言のまま、無表情のまま、一切の呵責なく振り下ろされる猛撃を前に、しかし静騎の対応は冷静だった。

 なぜ今になって、という思いはある。

 この少女とはすれ違う程度とは言え、一層で一度出会っている。だからこそ何故今頃自分に興味を示したのか理由がわからない。

 絶階への覚醒を果たした静騎を喫緊の脅威と判断し抹殺しに来たのか、それとも他に思うところがあるのか、不明は不明だが一つだけわかるのは向けられる殺意の念に全く躊躇が見られないこと。

 だとしたら、やることはただ一つだ。

(そうだ、今こそ……!)

 頭上から振り下ろされる血の顎。

 それを前に静騎は加速を続けていた足を止め、急停止の後にその場から半歩身を引いた。

 目前で岩盤が爆発したような衝撃が弾け、余波だけでも吹き飛ばされそうなほど猛烈な風が荒れ狂うが、すでにそこに静騎の姿はない。

「どこへ――……っ!?」

 驚いたエリナが見せた一瞬の隙、その刹那に彼女の懐へと潜り込んだ静騎はその異常な速度のまま(・・・・・・・・)神速の拳を叩きこんだ(・・・・・・・・・・)

「ぐ……っ」

 弾き飛ばされ、堪らず苦悶の声を漏らすエリナ。

 その光景を視界に収めながら、静騎は一つの確信に至る。

 そうだ、これだ。この力こそが――


「阿頼耶式心象図(しんしょうず)、六系の一――烈心(れっしん)


 その言葉を口にし、自覚を果たしたことでさらなる力が湧き上がるのを感じる。

 阿頼耶式心象図――アステリズムとも称されるそれらは、合計六つに大別された阿頼耶式によるイメージの実現技能。平たく言えば深界において個々人に宿るステータスのようなものであり、その気性や心の本質に応じて得手不得手は異なる。

 そして今静騎が披露してみせた桁外れの敏捷性。それを実現させた技能が心象図、その一つである烈心。

 一層でシャドウと対峙したときも微かに呼び起こされた記憶に反応し、思わず口を衝いて出た言葉だったが、あの時と今とでは事情が違う。

 何故なら今の静騎は最早完全に心象図のことを理解している。道具を与えられても、使い方もわからず暴走気味に振り回すのと、構造、性質を理解した上で最良の方法で効率的に扱うのとはわけが違うということだ。

 この記憶の湧出とも呼べる現象についての詳細はいまだにわかっていない。わかっていないが、一先ずのところそれらは一切合財まとめて放り投げて考えないことにする。

 わからないことは後でいくらでも頭を悩ませられるし、今の自分にはやるべきことがある。余計なことに思考を割く余裕などないし、そして向こうも……どうやらまだやる気のようだ。

「――なるほど。さっきまでとはモノが違うというわけか」

 空中でひらりと反転し、難なく着地を果たしてみせたエリナが、ぽつりと呟く。

 それは静騎への発言と言うよりかはただの独り言のようだったが、流出される感情は狂気に染まりきっていた。

 抑えられない激情、まるで千年探し求めた仇敵か恋人にでも巡り会えたとでも言うかのように……背から突き出す血刃の翼が、異形と化した魔獣の右腕が、ぎちぎちと歓喜の震えに蠕動する。

「正直、こっちとしては全く身に覚えがないんだが……」

 どうも己の与り知らぬところで妙な事態に陥っている気がしてならないが、言ったように身に覚えがないのだから対処のしようがないし、向こうも聞く耳を持っているようには見えない。

 それに今静騎が標的としてい(・・・・・・・・・・)る存在は彼女ではない(・・・・・・・・・・)

 何故彼女が自分にここまでの執着を見せているのかはわからないし、そのことが気にならないと言えば嘘になるのだが……。

「お呼びじゃないんだよ。どこの誰だか知らないけど、さっさとそこをどいてもらう……!」

 宣言と共に踏み込み、唸りを上げる魔獣の懐へとその身を躍らせた。


       ◇


「……ヌゥ」

 一方同時刻、先にエリナと交戦していた黒狼は崩れた城壁の残骸を踏み締め、悩ましげな唸り声を漏らしていた。

 聞きしに及んでいた薔薇の魔獣との対決。邂逅当初はただの小娘とがっかりしたものだったが、自らが与えた致命の一撃、そこから流れががらりと変わった。

 儚い少女という化けの皮が剥がれ、本性を現した彼女の姿はこれまで見てきた何よりも禍々しく、美しく……有体に言って胸が躍るのを抑えきれなかった。

 ここ最近は身内のごたごたによってまともな勝負事ができていなかったし、今もまだその渦中にあるためにこの偶然の巡り合わせには心底から感謝したほどだ。ここを逃せば次はないと、久方ぶりに覚えた紛れもない強者との死合の昂揚感に、片腕の損失すら忘却の彼方にあった。

 故にいよいよ、ここからが至高の勝負の幕開け。そう思い、魂が欣喜雀躍と震えて止まなかったのだが……。

「……………………ヌゥ」

 逃げられた。

 現況をわかりやすく一言で表すならば、ただそれだけ。

 いざ尋常に勝負と言わんばかりに、まずは力比べだと互いの豪腕を突き出し合ったその瞬間のそれはもう鮮やかすぎる転身。

 まるで喜劇のようとすら思える変わり身の早さに、そのまま拳を空振り様にずっこけかけたほどだ。

 とは言え追えない速度ではなかった。今からでも後を追い、決闘の続きと洒落込みたいというのが当然の本音ではある。しかし――

「あーもう最悪じゃーん。こっからがいいとこだったのにさー」

「逃げられた……というより、完全に興味の対象から外れたって感じかな」

 ――とその時、ちょうど斜め後方辺りの瓦礫の山の上から二つの姦しい声が聞こえてきた。

 釣られて視線を向けてみれば、向こうもこちらに気付いたようで片割れの少女――カストルがにまーっとした笑みを浮かべて話を振ってきた。

「あっれー? そこにいるのって魔獣ちゃんとやりあってた狼のおじさんじゃーん? 何々~? おじさんも逃げられちゃったくち~?」

「……」

「何だよ無視すんなよー。こっちも相手のおじさんに逃げられちゃって、暇になりそうだったんだよねー。狼おじさんも同じならさぁ……特別出血大サービスでこのカストルちゃんが代わりにお相手してあげちゃってもい い ん だ ぞ?」

 言いながら片目を瞑りしなを作ってみせるカストル。隣に並ぶポルクスは呆れたように額に手を当てていたが、黒狼の方はと言えば妖しげな流し目を送るカストルを一瞥しただけで、興味なさげにふんと鼻で笑ってみせた。

「やめておこう。すでに興は醒めておる。貴様ら童の遊びに付き合う気もなければ、これ以上逃げる女子(おなご)の尻にかじりつく趣味もないわ」

 視線の先はエリナが消えていった方角。そこには今現在も二つの濃密な気配がぶつかり合っている様子が空気を伝わりひしひしと感じられ、どうやら自分は完全に振られたようだと自覚をし苦笑すら漏れ出てしまう。

「眼中にないとはまさにこのことよなぁ。してみればそちらも似たような状況だったと見受ける。果たし合いの中途でいきなり手の平を返されたのではないか?」

「答える義理はない……が、隠す意味もないな。そちらもすでに思い至っていると思うが、彼らの突然の転身の原因は十中八九――」

「――渾沌の連れてきていたあの少年、だろうな」

 とその時、バチンと空気が裂けるような音と一瞬の紫電の輝きと共に、新たな声がそこに加わった。

「隊長! よくぞ御無事で」

「ごめん隊長ー、こっちは逃げられちったー。そっちはどうだったのぉ?」

「こちらも同じだ。仕留め損なった。すまんな、部下を私用に付き合わせてしまったというのにこのザマだ」

 すまなそうに若干沈んだ表情を浮かべながらも優しい微笑みで姉弟の頭をそっと撫でるアレクシア。その顔は、渾沌と相対していた時の形相とは打って変わって穏やかなものだった。

「ゲプラーの雷后か。こうして話をするのは初めてか?」

「そちらは元ティファレト属の武臣――黒鉄(くろがね)殿とお見受けするが……白々しいセリフ回しはよせ。もとより仲良く団欒するような関係でもあるまい。ここ深界においては常在戦場。一度他に属する勢力同士が鉢合えば、特殊な事情でもない限り死闘は避けられんのは承知だろう?」

 しかし、言いながらもアレクシアが黒狼――黒鉄に向ける感情に敵意はない。

 それを以て味方同士ということにはならないことは自明だが、では何故アレクシアの言葉通り、両者の間で開戦の狼煙が上がらないかと言えばそれも彼女の言っていた通りで……要は今この場こそが『特殊な事情』に置かれているということ。

「とは言えいい機会だ。貴殿にも意見を訊いておきたいと思っていたところなのでな、黒鉄殿」

 その言葉に訝しげな表情を見せる黒鉄に、しかしアレクシアは構うことなく言葉を続ける。

「我々が取るに足らんと歯牙にもかけていなかった存在――あの黒白の装衣を纏った少年……貴殿はどう思うか?」

「……なるほど、そうきたか」

 問いに一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた黒鉄だったが、それはすぐに楽しそうな声音に上書きされた。

 それを以てこの人狼が何を思っているのか窺い知れるところではなかったが、ほんの数瞬だけ瞑目した後、彼はその巨大な顎を手で擦りながらゆっくりと口を開いた。

「フム、そうさな……はっきり言って、儂からしてみれば単なる童にしか見えん、今現在もな。確かに急激に力が上昇したのは認めよう。河原の砂利程度としか思っていなかったものが、実は金剛石の原石だったとも考えられないこともないが……そのようなことは深界ではよくある話だろう?」

 ここは深界――精神世界で、想いの力が何よりものをいう場所。何か小さなきっかけ一つで化けることなど日常茶飯事で、だからこそ静騎の急成長も珍しいことではあれど有り得ない話ではない。

 そうきっぱりと断じた黒鉄だったが、アレクシアの方はと言えば頷き同調の意を見せつつもすっきりとしない表情のままだ。

「その様子だと、そちらは儂とは違う印象を抱いたようだ。何か気になることでもあるのかな?」

「いや……」

 話を振られ、曖昧に言葉を濁してしまう。

 自分でも何がそんなに気になっているのかがわからない。アレクシアの考えは概ねにおいて黒鉄の言っていたことと同じだ。元々自分でも言っていたように、静騎のことは以前も今も取るに足らないものと思っていることに変わりはない。そのはずなのだが……やはり彼女にとって最も引っ掛かっているのが、あの渾沌の悪魔の存在だった。

 事情は不明だが渾沌は静騎のことを随分と懇意に――と言うより、異常極まる執着を見せていた。

 奴の悪ふざけの感覚で行われる悪逆無道については過去に痛いほど経験しており、思い出すだけでも虫唾が走るが、それだけにそれが奴の常態なのだということはよく知っている。

 しかし静騎に対する渾沌の態度は何かが違った。上手くは言えないがあの二人の間には『何か』がある。そしてその『何か』の存在が、アレクシアには背筋が寒くなるほど不吉なものに思えてならなかったのだ。

「隊長……? 顔色が優れませんが……やはりあの悪魔に何か」

「ああいや……すまない、平気だ」

 頭を振って余計な考えを打ち消し、情けないと自分自身に言い聞かせる。周りからは雷后と呼ばれ担ぎ上げられるような人間でありながら、内心は理由もわからないただの錯覚じみた予感に踊らされる小心者だったなど笑える話だ。

 どの道、渾沌はいつか必ずこの手で殺すと誓っている。例えこの予感が錯覚でなかったとしても、万一的中したその時には、自らの力を以て真っ向からねじ伏せればそれでいいことだ。

 故に、だとしたら今のうちに静騎たち一行を潰しておくべきかという考えも一瞬頭を過ったのだが……。

「……帰るぞ、カストル、ポルクス。もうこの場に用はなくなった」

「はーい」「了解です」

 この場は役者でないと、そう割り切ることに決めた。実情がどうあれ今のところ彼らが積極的な脅威とも思えない以上、わざわざここで自らが直々に労力を割くこともないだろう。

 それに今はネツァクの眷属たちが交戦中だ。彼らが相手ならば九割九分静騎たちに生き残りの可能性はないと言い切れるし、仮に万が一この修羅場をくぐり抜けたとすれば……。

(使い方次第では今後役に立つ可能性も大いにあり得る、か)

 彼の渾沌との繋がりはある種爆弾でもあるが、上手く扱えば奴とのパイプにもなり得る。

 どちらに転ぶかはわからないが、どちらにしても自分の為すべきことは変わらないと、深界に潜む悪魔への憎悪と殺意を新たにしながらアレクシアはアバドンを後にした。

「……ふむ、それでは儂も帰投といくか」

 そしてこちらの黒き人狼もまた、すでにこの戦場に自らが横入りできる隙間がないことを悟り、立ち去る意を見せていた。

 彼は戦を至上の幸福とし闘争を何より是とする男だが、それだけに他者の戦いに水を差すような無粋は好まない。無論のことその逆もまた然りであるため、本来であれば獲物を横取りされたこの状況、彼の堪忍袋の緒が切れたとしておかしくはない話なのだが……。

「もとよりこの場は退屈凌ぎ。であればすでに十分楽しませてもらったというもの」

 一つ呟いてから、今なお続く戦場に背を向ける。

 所詮、此度の戦は幕間劇。なればこそ、ここは真に魂を懸けてぶつかり合う者たちに譲ろうと、彼岸とすぐ隣り合わせの死合すら余暇として楽しむ人狼は、最後にもう一度だけ振り返り、この場におけるもう一人の戦人(いくさびと)に思いを馳せる。

あの男(・・・)もまた儂と同じ、戦乱の中でしか己の価値を見出せぬ者……そんな男が目の前の強者との戦いを放棄してまで求め行くとは……)

 少しもったいないことをしたかなと、僅かばかりの後悔に苛まれた黒鉄は一つ苦笑を漏らしてみせた。

 先ほど取るに足らぬと断じたあの少年。いまだ奮闘を続けるまだ見ぬ男に、少しだけ興味が湧いてきたのを自覚する。しかしここで死ぬようならばそれまでと、直後には実に黒鉄らしい武人の思考を抱き、その存在もまたこの第二層から薄らいでいく。

「勝敗の結果は次会った時の楽しみに取っておこう。もっともどちらが生き残ったとして、その時は問答無用の殺し合いになっているだろうがな」

 最後にそう呟き、少しだけ先の未来のことを楽しみに思いながら、アレクシアたちに引き続き黒鉄の気配もまた完全に深界から気配を消した。

 故にこの第二界層に残った存在は残りわずか。中でも特別に大きな気配が三つ、ここにきて一つの場所へと集結しようとしている。

 閉幕までの時は残り僅か。今宵、夢の終わりは刻一刻と迫っていた。


というわけでまたまた半端なまま終わってしまいましたが……次回で必ずこの章完結させますので! と言っても有言不実行極まってる私なのであまり期待しない方がいいかもしれませんが……とりあえず更新予定はいつも通り二週間先の12/25で! 早く上がれば早く更新するかもしれません。それではまた会う日まで……。

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